ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

古代豪族  后妃氏族としての和珥氏

2016年07月22日 22時40分21秒 | 日記
朝日カルチャーで和珥氏についての講座があったので行ってみました。

古代和珥氏は10名以上も后妃を天皇にだした名家ではありました。

直接皇后になった人はいなかったにしても、和珥氏系統の日葉酢姫や狭穂姫等は皇后になっています。

東大寺山古墳から出た銘入りの鉄剣は和珥氏の古代豪族としての勢いを見せてくれています。

古代豪族和珥氏は大春日朝臣、小野朝臣、和邇部宿祢 和安部臣、葉栗臣など一族に分かれている。

766年に春日蔵人常麻呂等が27人が春日姓を賜る記事等がありますね。続日本紀

滋賀県に和邇や小野などの駅名があり、古代和珥氏との関係や別業があるのかと思っていましたが、奈良時代以降に支流の氏族の変遷によるものだそうです。

継体天皇を擁立した大伴や物部とともに、和珥氏も継体を推挙しており、娘も嫁がせている。

皇后手白香皇女も母方を辿ると和珥氏と縁が深い。

それだけ力があって、奈良時代以降あまり活躍していない。むしろ支流の方が学者として名声があったり、地方で活躍している人もいる。

和珥氏はいつしか衰退していった氏族なのでしょうね。大伴も物部もしかり・・・

何故和珥氏に興味をもったかといいますと、西殿塚古墳(トヨの古墳と言われる、正式には手白香皇女の衾田陵)が和珥氏の勢力範囲に近く、トヨが和珥氏の出ではないのかという仮説を立ててしまったからです。

萱生しゅうごうにも和珥氏の娘の墓があるようですね。

素人古代史ファンとして、また継体大王のおっかけとして、いろいろ興味あるところに行ってみようと思っています。

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