以前お花見バスツアーで撮った写真がでてきました。
アップします。
どこのお寺かは忘れました。近江あたりではなかったかと思います。
さむくなってきました。
会社でお仕事用ヒーターを出そうと思ってます。
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源氏物語
同じ顔を持つ女性達の生き方(式部は同じ顔をもった女性がそれぞれ対照的な生き方をしたことを見事に書き表しています)
桐壷
桐壷帝から、ただ一身に愛された女性。
宮中幾百の女性がいる中で貫いた2人の愛は周辺からのしっとやそねみ、ねたみを受け、権力者の意に添わぬ純愛はたくさんの障害を受けるものでした。
桐壷の部屋は清涼殿から遠く、更衣の中でも下から2番目の地位である部屋へ足しげく通う様又は清涼殿へのお召しの際などは一族の期待を受けて入内した女性の中にあってたくさんの嫉妬をかったものでした。
心の病、気病みがもとで、このはかなげな女性は短い、人生の幕を閉じます。
御所において死人を出してはいけないという死に際にあっても、車を用意して、異例の措置を帝はこの女性に取ることになります。
桐壷も父の大臣が生きていれば、後ろ盾もあったでしょうが、死んでいては後ろ盾もなく心もとない状態で、右大臣の娘弘徽殿が生んだ第一皇子や、自分よりも身分の高い女御達に後宮にあっては遠慮がちではかなげであったことでしょう。
光源氏という美しい皇子をもうけますが、幼くして母を失った皇子はこのときから、母を思い、この母を永遠にあこがれ、その思慕から青年になり、成人にいたっては女性遍歴を繰り返し、繰り返しながらも永遠に求められない母の愛、その母の面影をさまよい求めていくのです。
藤壺
輝く日の宮
藤壺は後宮でこう呼ばれてました。天皇家の一族、やんごとなき身分。
大臣も弘徽殿も自分の立場をこの方の前ではわきまえないといけません。
しっとやそねみもこの方にむけられることはなかったのでしょう。
桐壷とうり2つの顔立ちながら、なんと対照的な生き方をしていることでしょうか。
桐壷帝がこの女性の虜になったのは言うに及ばず、光源氏も母の面影を持つこの女性を想いその思いは、帝の女御であるということをはばかりもせず密通してしまうことになるのです。
華やかな人生かと思われた藤壺も苦悩を背負うことになるのです。
桐壷帝は源氏の子と知りながらも、藤壺が生んだ皇子をその腕に抱き寄せるのでした。
藤壺は桐壷帝を裏切った罪の意識に苦しみ、その苦しみから、幾夜もの光源氏の申し出を断り、出家剃髪の身となる。
紫の上(若紫)
藤壺の姪、藤壺の面影をとどめる愛らしい人
光源氏の周囲も認める妻(内縁関係、今の言葉では)
幼い頃、光源氏に引き取られ、光源氏の理想の女性に育てられ幸せを掴む。
晩年、自分の居場所がないことに気病む。
六条御息所の娘、秋好む中宮は先帝の女御となり、その後源氏が後ろ盾となり六条邸に戻り暮らしている、今の中宮は明石の君が生んだ姫であり、明石の君も、娘が入内に際し、付き添い、国母の母として地位を確たるものにしている。女三の宮は光源氏の正室となり、年齢を重ねた紫の上に、この若い正室の登場は衝撃を与えることになる。
藤裏葉や柏木で紫の上は自分の身分、立場を静かに自覚することになる。光源氏は病気がちな紫の上を心配するが、心のそこまではわからない。
紫の上が病気で没した後、光源氏は悲しみ、そして出家したという。
この3人の女性は似た顔を持ち、それぞれに違う立場を生きた女性。特に藤壷と桐壷は対照的な生き方ですね。
全てをもって生まれてきた人に、愛憎にまみれた苦悩を・・・
持たざる人には後宮3000の中から帝の愛を捉えた、短くも一人の人に死ぬほど愛された人生。
光源氏は最後まで母を思い慕い、そしてその母を追い求めて止まない流浪の人であったようにおもいますが・・・
このまえ、ワーナーマイカル大日で中島みゆきコンサート劇場版をしていた。
画像が綺麗で、とても美人だった。
もっと昔を歌を歌って欲しかったが、最近のが多かった。
最後の「歌姫」はやっぱいい歌でした。
みゆきの良さが全面にでて、本当歌姫でした。