ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

女性の仏教「血の池地獄」

2015年02月27日 19時40分29秒 | 日記
四条センターで女性の仏教の思想背景を聞いてきた。

「血盆経」の内容によると

女性のみがおちて苦を受ける血盆池地獄を目にした目連尊者がその理由を尋ねると、極主(あるいは仏)は、出産時(及び月経)の出血により地神を穢れた衣を川で濯いで水を汚し、善男善女が誤ってその水を汲んで茶を煎じ、諸聖に供養して不浄を及ぼしてしまうため、この「苦報」を受けると説く。母親たちの「苦報」を悲しんだ目連尊者が救済の方法を問うと、血盆勝会を催し、僧侶を請じて「血盆経」を転誦させると、池の中に蓮華が生じ地獄から救済される佛地に生じることができると説いている。



女性がおちる地獄絵などの冊子もあり、昔の女性は不浄のものとして扱われたのか、あれからどうして女人は成仏する人間として扱われていったのかその変遷も知りたいと思いました。
14世紀から15世紀以降、法然の浄土集や親鸞の浄土真宗の布教では、十悪・五逆の悪人でも往生できる故、罪業深い女性でも往生できるように、悪人往生の論理が女性にも転用され、結果として女性は比叡山や高野山などの聖域の登れない不浄の身であり(女人禁制)、嫉妬深く、罪業深いものという認識を深めていき、「五障・三従」も女性の罪業として説き広められていった。(「それ一切の女人のn身は、人知れず罪の深きこと」「十悪・五逆の罪人も、五障三従の女人も」-蓮如「御文」、女と生まれては、五障三従の積み深ければ」-「春色辰巳園」

道元「正法眼蔵」「礼拝得髄」
女人なにのとががある、男子なにの徳がある。悪人は男子も悪人なるあり、善人は女人も善人なるあり。
聞法をねがい出離をもとむること、かならず男子女人によらず。
また、日本国に一つのわらいごとあり。いわゆるあるいは決界の地と称じ、あるいは大乗の道場と称じて、比丘尼・女人等を来入せしめず。邪風ひさしくつたはれて、人はきまうることなし。

男性は母なる女性から生まれる。不浄であるわけはないのですが???
女性が現在の地位を獲得するまでは大変な変遷や差別を経て今があるのですね。
現在に生まれてよかった。
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ドラマ「永遠の零」を見て

2015年02月19日 18時04分22秒 | 日記
「永遠の零」を見て、戦争で散った青年たちのことを思った。

あんな若い青年が特攻で命を散らしたのかと、そして彼らが残して行った日本を彼らは今どう見ているのだろうか。

インターネット上にある彼らの遺書や写真を見て、まだまだ少年の面影を残す彼らが日本の軍人として貴い命をささげたのか、またそのような厳しい時代背景があったにせよ、特攻2時間前の彼らは穏やかに笑っている人もいる。
子犬を抱いて、くったくなく笑っている。
泣くだけないたのだろうか、覚悟を決めたのだろうか。私のようなものに彼らの気持ちがわかるわけもない。

出撃の杯を飲み干す彼らは顔が引き締まっている。やるなら航空母艦を狙うだろう。

そうでなければ散る意味がないのかもしれない。どうせ散る命なら・・・

このような、命令を下さざるを得なかった参謀、作戦本部は彼らに何を期待したのだろう。

終戦間際の時に、最後のあがきすることがあれば、メンツよりも引き際も大切ではなかっただろうか・・・

この時代に懸命に生きた人を非難することはできないれど・・・

かれらの高潔な精神と完全なる孤高の魂に敬礼する・・・日本を守ろうとした彼らに感謝の誠をささげたい




私のおじいさんは体が弱いため兵隊検査に落ち、国に供出する砂糖大根と麦を作っていたらしい。当時の南樺太は日本領土でした。

爺さんたちは野山を開拓し、農場を手にした。

戦前はそれなりの暮らしができたらしいが、戦後はロシア人に山の伐採である強制労働などに駆り出されたこともあるらしい。

日本が負けてすぐの混乱した時期、母のおばは密航で北海道にわたり、仕事で残った母の叔父は強盗に入られ、外国人に銃で殺されたらしい。

土地があったおじいさんは、ロシア人が農地を引き取りに来るまで、農地を休ませないように、変わらず耕されていたらしい。(休ませると土地がやせるからか?)

最後の日本からの迎えの船が来るという昭和23年12月におじいさん一家は帰国するため、村の人たちと列車に乗り込む。

きのみきのまま、子供6人を抱えたおばあさんも全て財産を持ってこれるわけもなく、ロシア人は全て置いていくように言ったのだけれ、とりあえずのものだけは持ってでた。家、馬や牛、農機具、家畜は全て代わりに来たロシア人に渡すこととなった。

列車はいたるところで止まる。村人でお金を集めてロシア軍に渡す。渡すと列車は動き出す。そしてまた止まる・・・

日本からの迎えの船が来ている真岡までやっとの思いでたどり着く。。
港までの坂道を降りなければいけない。雪も積もっている。1つ1つと少ない荷物を置いて降りる。

いやしくもその荷物をロシア軍は拾っていたらしい。 

港のトイレにおばあさんは子供たちに行かせなかったらしい。粗末な小屋で、下は崖になっており、雪の凍てつく寒さで凍ったトイレでは子供が何人も落ちて、崖には子供の死体がたくさんあったらしい。

最後の引き揚げ船にやっとの思いで乗り込んだおじいさん一家は北海道函館へと向かった。
船内では樺太内から集まった日本人達がこれからの不安を抱え乗り込んでいた。村から一緒だった障害を持つ青年がどうしても家に帰るとだだをこね、取り押さえたお兄さんに殴られて、打ち所が悪かったのか船内で亡くなることもあったらしい。船長が水葬にして弔ったらしい。

船内で喜んでいたのは日本軍の兵隊で、毎日お酒など飲んでの宴会のようだったそうです。緊張が解かれ国に帰れる喜びがあったのでしょう。

干し魚をおじいさん一家にくれた兵隊もいたようです。兵隊は田舎に帰れば困らないけど、引揚者は北海道に着いた途端に途方に暮れることを心配したのでしょうね。

函館に到着間近で船内に伝染病が発生したため、2週間ほど函館の船上で足止めされたらしい。

ここからはアメリカ軍が引き継ぐので、衛生面では厳しくなるようです。

父の一家はこれより早く日本に帰国していたので、縁故ありで富良野の親戚に身を寄せていた。

父が通っていた豊原の小学校の校長先生と女の先生は生徒の前でロシア人に連行され銃殺されたそうです。

父と一緒に引き揚げ船に乗っていた別の女教師はロシア人の子供を身ごもっていたそうです。(強姦されたことによる)

敗戦後は混乱したのでしょう、国境線に近い人は乳飲み子を山に捨ててきた人もいたようです。

父に昔聞いた話では、アメリカ兵の軍服の清潔さはロシア兵と比べ物にならなかったらしい。きっちとしてかっこよかったらしい。まだ10歳位の父にはアメリカ兵はそういう風に見えたようです。



ようやく函館に降り立ったおじいさんさん一家だけれど、おじいさんが健康検査でひっかかり、函館の病院へ
母の末の妹も具合が悪くおばあさんと一緒に病院へ

残った長女の母と、弟妹はアメリカ軍の配給のコーヒー券などをもらい途方に暮れていたらしい。コーヒー券は子供の分もあったらしい

母もまだ11歳くらいだった・・

何とか収容所に行く車に乗せてもらえるという話を聞き、兄弟で乗り込むが子供では持ちきれない荷物を載せてと声を出せないおとなしい母でしたが、何とか振り絞って、その荷物も載せてくださいと、大人に伝えたそうです。

ようやく、収容所へ行って1日目は過ごしたそうです。

白いお米のごはんもあったようです。妹の病気もあり、半年くらいはそこの収容所で過ごし、そのあと縁故なしで旭川の引揚者住宅へ入ったようです。

おじいさんは当時家出同然で樺太に行った人でしたので、いまさら故郷へ帰ることもできなかったのでしょう。

おじいさんの弟は引揚者の名前が出るたび新聞を見て、探していたようです。あとからになってようやく連絡がとれたようです。


これが私の父母の終戦でした。

「永遠の零」の壮絶な若者の人生に比べれば、足元にも及びませんが当時本土以外にいて帰国する人たちの戦後も大変なものでした。
満州や朝鮮にいた人はもっと大変だったと聞いてます。
戦争はないのが一番ですね。そして外交努力で戦争を防げる力と叡智への期待を願うものの1人でもあります。

それにしても戦後の占領軍はアメリカでよかった。ロシアだったら今の日本の繁栄は望めないです。




あるお寺に書かれていた法句経









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梅が咲く

2015年02月17日 19時03分57秒 | 日記
会社に行く途中で咲いている梅を見つけた。

春はもう来ていると感じる今日この頃。

韓流時代ドラマにはまって、半年ほど経過。

母が「インス大妃」を借りてきた。宮中物が好きなようだ。

まだ2巻しかみてないが、かわいい恋から始まる。これからどろどろしてくるのだろうか。

女性ものはどろどろした愛憎で満ちているので、戦記ものを優先にしているつもりですが・・・

この前通販のレンタルを借りてみた。トンイなどとても安くみられる。

つたやに比べてとても安いし、旧は半額で見られる。送料は自前ですが・・・

春は間近・・・暖かくなったら旅行でも行ってみたいです・・・










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「海神」を見終わる

2015年02月12日 18時03分02秒 | 韓国ドラマ
韓国ドラマ「海神」を見終わる。

レンタルショップにないことが多く、その間「トンイ」「ホジュン」「帝王の娘スベクヒャン」などを借りてみていた。

「海神」は最後みんな亡くなっていく中、チョンファお嬢様が最後唐へと向かう船の中で抱いた赤子に、この海の流れを覚えておくのですよ、いつか帰る道ですから。???を言って、最終回となった。

彼女を愛した、2人の男性チャンボゴ、ヨンムンも最後は死んでしまい、最後まで彼女を守ろうとしたヨンムンの純愛には胸を打つものがある。けれどそれ以上にチャンボコを心から愛していたチョンファも最後、自分のチャンボコへの心情をヨンムンに伝える。
チョンファはかなうことができなかったチャンボコへの愛をこの最後に預かったチャンボコの息子に誠心誠意注ぐのだろう。
トライアングルにはまった恋愛ではあったが、自分とは違う人と結婚したチャンボコを死んでから後も、変わらず愛し続けるのだろう。
お嬢様がんばって・・・

ヨンムンのこの役柄では、愛を求めても得られない、愛することも愛されることも不器用な海賊の中で生まれた孤児役であったけどこのあとのドラマ「朱蒙」では本領発揮で主役の座を務めていた。
戦時者や男性主役の男っぽいドラマばかりみていたので「トンイ」はかわいらしい、宮中ドラマで女性から人気があるのかと推測する。
それと「ホジュン」は身分の卑しさ等でいじわるされても立ち上がって、自分の道をきわめる、成功者のお話でとても私も気に入っている。

「帝王の娘・・・」は完成度が高いと書いていたブログがあったので、借りてみた。
画像の美しさはぴか一だと思う。
日本の手白香皇女の名前が由来だと書いているものもあり、はたしてどうなのでしょうか?

手白香皇女を調べてみると、継体天皇の皇后で前の王朝から続く、由緒ある血筋。継体天皇は応神天皇5世の孫で、突然ふってわいた皇位継承権を獲得した人物でもあり、前王朝の媛をめとることで、継体から今まで続く王朝の正当性を保っている。

日本書紀では上記のように書かれていますが、地方の記録などには手白香皇女は百済の武寧王の娘と書いているものもあるとか・・・
武寧王は41歳までを日本で過ごしたらしい。

日本書記って当時の日本の識者が書いたものでしょうけど、当時権力の中枢にいた人が歴史をどう書いても、読める人も正す人もわずかだったでしょうね。百済や新羅の歴史まで取り入れて書かれていてもわからないところありません?


この2人(継体天皇と手白香皇女)の間に生まれた天皇が欽明天皇で、聖徳太子の母、穴穂部間人皇女、聖徳太子の父用明天皇の父親である。ドラマの話の内容は全然日本とは関係のないところとなってますけどね・・・。

韓国では最高12パーセントの視聴率で、まだ続く所を早い目にドラマは終わったそうです。
5巻まで見ましたが、それなりには楽しめました。「トンイ」のような底抜けの明るさはないですが、城から脱出し、聾唖の従者とお嬢様とが行きがかり上一緒に暮らしはじめ、最後本物の愛情を育むという序盤のストーリーは女性は好きだと思います。








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花燃ゆ 2

2015年02月04日 19時14分28秒 | 日記
この前の大河「花燃ゆ」は、吉田松陰が国禁を侵し牢獄に繋がれる身となったところから始まった。

やや牢獄とあって、暗さは禁じ得ないけれど、また会話の流れも聞いててなんでそうなるの?と素人目でもおかしかった。

これから、松下村塾をたちあげ、若者たちをどう導くのか吉田松陰の男を感じさせてくれるドラマであってもらいたい。

視聴率は低迷を続けているが、頑張ってほしいものです。

それにしても「花より団子」共演の松潤と本当に井上真央は結婚するの???お似合いだけどね・・・

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