ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

奈良の商家のお雛さん

2016年03月25日 20時10分45秒 | 日記
奈良町を歩いていると

商家の旧邸宅が開放されていて、見学自由になっていました。

古い奈良の民家を公的な団体が管理されているようです。

お雛さんが飾られていました。


   


古い旧家に伝わるもののようで、写真をとりました。

離れの部屋や中庭の廊下や蔵など当時の趣を残しておりました。

市民センターで歴史(古墳についての講演があり)

予約のはがきを持たないと入れないのでしたが、最後に数名席があるようで、入れてもらえました。ありがたいものでした。

橿考研の方の講演でしたので、配られた冊子や講演内容がすばらしかったです。

自衛隊基地は戦後GHQの基地だったそうで、それを建築するにあたり古墳を壊さなくてはならなかったそうで、その前に(天皇の墓かもしれないと)古墳をなんとか発掘したいと尽力した人のお話を披露されてました。
6号墳といわれるところは、鉄の平板が積まれていたとのこと。それを電車に積んで橿考研に運んだそうです。その後、その鉄は宮内庁が管理されたそうです。

その発掘された当時の図が冊子にのっており、とても面白かったです。

佐紀盾列古墳群は天皇家のものでないとしたら、もしかして葛城氏のお墓なのかなと、一歴女としてのただの歴史ファンは????でした。

ちょうどセンターの横の喫茶店で古墳ケーキが販売されており、披露されてました。

今度奈良に行った折には購入してみようと思います。


 興福寺の法句経はこの日はこの文が書かれていました。

   
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平城京歴史資料館

2016年03月22日 13時13分48秒 | 日記
歴史資料館に入るのは初めてでしたが、平城京の生活など、再現されていました。無料でした

意外にも絨毯が敷いているのに驚きました。



食品も豊富な食材を使っているようです。




調で集められた、各国の貢物が中央には豊富にあったのでしょうか?

蘇かな?昔の人はチーズも食べていたようですから・・・




娯楽の碁など、いろいろですね。楽しみもないとね



お部屋はベッドがあったようです。正倉院展でも見たことがありました。



意外に現代風の生活に驚きました・・・

絨毯は大陸から来たのでしょうね。

韓国ドラマの三国時代でもベッドや絨毯があったので、誇張しすぎなんて思ってましたが、日本でもあるのですから、大陸からの地続きの国では当然あったのでしょう。

この前歴史講座に行った折、古代三国時代の話でしたが、高句麗との戦があったおり、平群氏だったか名前は定かではありませんが、宮殿を襲った折に絨毯と高句麗の姫をさらってきて、絨毯を天皇に、姫君を蘇我氏にささげたと先生が言っていました。

最高権力者は蘇我氏と天皇家のいったいどっちだったのでしょうね?


橿考研の秋季展は「蘇我氏」だそうです。

現代でも蘇我氏の流れをくむ「藤原氏」についてもあるようで、葛城氏、蘇我氏など当時の名門の家系を継いでいる氏族なので楽しみです。




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北山辺の道を歩く

2016年03月17日 12時41分18秒 | 日記
大和道の会主催のハイキングで、午前中は講座をきき、午後からは春日造りの神社を歩きました。

今回は地味な道でしたが、春日造りの神社(島田神社と鏡神社)を見ることができました。

前回は手白香皇女のお墓など巨大古墳を巡るハイキングで見ごたえがありましたが、今回はハイキング道であっても、あまり知られていない北山辺の道という地味な道を歩きました。

島田神社では自治会をあげて、歓迎いただき、お茶までご用意頂いてました。

いろいろ歴史にも触れ、こちらは明治初めまでは、崇道天皇陵の横にあった神社のようです。今はやや移動され、独立されていました。

自治会が管理しているこじんまりとした小さな神社でもあります。

春日大社の春日造りを見ることができました。式年造替があるたび、関連する末社に払い下げ(?)られるようです。

たしか、枚方の百済王神社も春日移しだったかと思います。

終着点は鏡神社でした。

藤原広次の鎮魂をされている神社でした。

新薬師寺の横にあり、このあたりから、北山辺の道へと昔の人は歩いたようです。

遣唐使に向かう人の祈祷所でもあったようでした。

先生は東大寺の監技の方が解説されていて、昔から神殿には水銀朱が塗られていたらしく、その場合は黒ずむようで、鏡神社はその典型といってよいようで、確かに黒ずんでいました。本物が塗られているとのことでした。

楽しい1日となりました。

年齢の高い人もおり、しんどくなったらタクシーやバスで途中帰ることもできるので気楽に高齢者も参加できるようです。ちょっと歩いたところで、もうバスやタクシーで帰る人もいて、あと少しで北山辺の道に入るのに・・・思いましたが何より健康が大事です。

泊まりで関東方面からの人が多いそうです。言葉が関東方面の人もちらほらおりました。


     

出発した地点は帯解でしたが、このあたりは和邇氏の勢力範囲だった土地のようです。

古代10人近く天皇家に妃を出した家でもあり、東大寺山古墳の鉄剣は有名ですが・・・

勢力のある豪族でした。

午前中の講座で、このあたりから奈良市内にかけて春日とも呼ばれておりました。

春日の意味は古代はとても意味深いようです。和邇氏も春日氏と改名されているようですし、はるひやかすがと2重に読んだ歌がありました。

     

崇道天皇陵前の池にまがりの皇子の歌があったので写真をとりました。継体天皇の皇子(母は尾張目子媛)の歌だったので写真をとりました。

まがりの皇子の皇后は春日山田皇女(手白香皇女と姉妹?)で和邇氏出自の母を持つ皇女でした。このあたりとも関わりが深いのかどうなのか?

この辺は八嶋と呼ばれていたようですね。








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春らしくなりました

2016年03月02日 19時09分36秒 | 日記
まだ空気は冷たいのですが、なにかしら陽気な春の風が吹いている今日この頃。

5日の日は奈良文化講座の春日大社‘はじまり‘と式年造替と題するFMラジオ講座にい行ってきます。

8キロほどのハイキングを楽しんでまいります。

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