奈良町を歩いていると
商家の旧邸宅が開放されていて、見学自由になっていました。
古い奈良の民家を公的な団体が管理されているようです。
お雛さんが飾られていました。
古い旧家に伝わるもののようで、写真をとりました。
離れの部屋や中庭の廊下や蔵など当時の趣を残しておりました。
市民センターで歴史(古墳についての講演があり)
予約のはがきを持たないと入れないのでしたが、最後に数名席があるようで、入れてもらえました。ありがたいものでした。
橿考研の方の講演でしたので、配られた冊子や講演内容がすばらしかったです。
自衛隊基地は戦後GHQの基地だったそうで、それを建築するにあたり古墳を壊さなくてはならなかったそうで、その前に(天皇の墓かもしれないと)古墳をなんとか発掘したいと尽力した人のお話を披露されてました。
6号墳といわれるところは、鉄の平板が積まれていたとのこと。それを電車に積んで橿考研に運んだそうです。その後、その鉄は宮内庁が管理されたそうです。
その発掘された当時の図が冊子にのっており、とても面白かったです。
佐紀盾列古墳群は天皇家のものでないとしたら、もしかして葛城氏のお墓なのかなと、一歴女としてのただの歴史ファンは????でした。
ちょうどセンターの横の喫茶店で古墳ケーキが販売されており、披露されてました。
今度奈良に行った折には購入してみようと思います。
興福寺の法句経はこの日はこの文が書かれていました。
商家の旧邸宅が開放されていて、見学自由になっていました。
古い奈良の民家を公的な団体が管理されているようです。
お雛さんが飾られていました。
古い旧家に伝わるもののようで、写真をとりました。
離れの部屋や中庭の廊下や蔵など当時の趣を残しておりました。
市民センターで歴史(古墳についての講演があり)
予約のはがきを持たないと入れないのでしたが、最後に数名席があるようで、入れてもらえました。ありがたいものでした。
橿考研の方の講演でしたので、配られた冊子や講演内容がすばらしかったです。
自衛隊基地は戦後GHQの基地だったそうで、それを建築するにあたり古墳を壊さなくてはならなかったそうで、その前に(天皇の墓かもしれないと)古墳をなんとか発掘したいと尽力した人のお話を披露されてました。
6号墳といわれるところは、鉄の平板が積まれていたとのこと。それを電車に積んで橿考研に運んだそうです。その後、その鉄は宮内庁が管理されたそうです。
その発掘された当時の図が冊子にのっており、とても面白かったです。
佐紀盾列古墳群は天皇家のものでないとしたら、もしかして葛城氏のお墓なのかなと、一歴女としてのただの歴史ファンは????でした。
ちょうどセンターの横の喫茶店で古墳ケーキが販売されており、披露されてました。
今度奈良に行った折には購入してみようと思います。
興福寺の法句経はこの日はこの文が書かれていました。