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道しるべには東城王と武寧王の父琨支王を祀る神社と書かれていました。
二人は兄弟でしたか?
村社であったこの神社の歴史は古く、安宿部郡は古来百済の渡来人が住んだところでもあり、推古朝に敷設された大道の近辺にあります。
夕暮れ時でしたが、古来の百済の渡来人がはるか日本に移り住み、苦労して開いた土地を思いました。
初詣はこの小さなお社でしたが、悠久のはるかな歴史を感じました。
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このあたりは渡来系が多く大和の東漢氏、河内の西文氏など渡来系氏族が多くおりました。
近つ飛鳥のあたりもその群衆墓からも渡来系の墓という特徴を示しているそうです。
古代大和や河内はかなりの国際都市だったのですね。