ヤマトトトヒモモソヒメ徒然記

たわいのない日常事をしたためております。

最後の講座

2014年03月14日 22時01分24秒 | 日記
1限目は天平の光と影で、草壁王朝の最後である、孝謙天皇といろいろ言われていた道鏡のことだった。

道鏡は八尾の出身らしい。

怪僧などいろいろ噂のある人物だけど、孝謙天皇にはどう映ったのか。

女性天皇で初めて中継ぎでない天皇だったらしい。

皇太子として立太子をした初めての女帝。

出家天皇として初めて、大嘗祭、新嘗祭をした天皇、初めてづくしが多い。

一方道鏡は、サンスクリットに精通した秀才。

西大寺の僧で法相宗の僧侶だったらしい。

孝謙天皇の後の天皇は藤原氏と関係の深い人ばかり、道鏡を必要以上に怪僧に仕立てないといけなかったのだろう。

すべて真相は藪の中だけど・・・

2人は強いきずなで結ばれた純愛だったらいいのだけれど・・・乙女チックなメルヘンを考えるお年でもないけれど・・・




2限目

大乗五蘊論

難しい。最後の講座も難しい。うつらうつらしているひともいる。私もその一人。

こころに残ったことを書くと、異熟とは阿頼耶識の別名らしい。

異熟識とは前世の業が異なって熟する。

阿頼耶識とは諸法の種子を蔵している。

阿頼耶識とは

一瞬前と一瞬後が同一種類のものとして連続し継続する。

また、この阿頼耶識があるので、心の働きを滅ぼしつくした瞑想、概念化がなくなった瞑想、概念化がない場所での生存から出た人が再び認識対象を区別して理解できるようになる。

これを阿頼耶識が変容した識別(転識)(=眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識)の復活という。



「春の雪」の聡子が、60年後に再開した、清顕の友人に、その友人の存在や清顕自身をもすでに忘れ去っていた。

若い2人の愛や葛藤、聡子が選んだ出家への道。

また出家を決意した理由すら忘れ去ったというか、もともと、その3人がいた時間は本当に実在したのかどうかもわからない。

聡子と会った本田は、この60年はいったい空なのか実なのかすらも、読み手にとっても最後はわからないすべてが、無であると理解すべきなのか疑問を投げかけています。

きゅうりを輪切りにして、それが一刹那、消滅し、生まれるとも書いてましたが・・・そういうことでしょうか?

聡子は一人でこの輪切りのきゅうりのように、消滅し生まれ変わり、それでも形はきゅうりで居続けたのでしょうか?

興福寺に通うとこの疑問がとけるかと思いましたが、やっぱわからないものです。

永遠の謎です。











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