平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2018年5月6日 神の教会

2018-08-06 22:31:47 | 2018年
 ここでも、「神の教会」の秩序について語っています。神の教会の秩序はどうあらねばならないのか、そのことについてパウロは、具体的にコリントの教会で起こっている問題を取り上げて、私たちにその考え方を教えてくれています。使徒言行録の2章42節から47節のところで、初代教会の信徒たちが、民衆から好意を寄せられた理由を述べていますが、そこには、「信徒たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと良心を持って一緒に食事をし、神を賛美していたので」とあります。それなのに、喜びと良心を持って一緒に食事をするということが、このコリントの教会ではなされていませんでした。それは、富む者と貧しい者との間に生じていた亀裂でした。21節に「なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいると思えば、酔っている者もいるという始末だからです」とあり、さらに「あなたがたは、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか」と、富む者たちに対して怒りをぶつけています。パウロは、このようなことでは、主の晩餐を食べることにはならないと述べます。当時は、儀式としての主の晩餐と、いわゆる愛餐との区別は、分かちがたく結びついておりました。ですから、富む者たちは、定刻に来て、先に食事をし、酔い潰れているような者もおる一方、定刻に来ることのできない貧しい人々が、やってきたときには、食べ物が残っていないということになっていました。パウロは、「食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、ということにならないために」と厳しく忠告しています。 . . . 本文を読む