潔く 舞い散る落ち葉 きらびやか その姿なき 人の世の常
ひのひら ろくべえ
「体裁」という言葉がある。日本人が大切にしてきた言葉の
一つかもしれない。しかしこの頃この言葉が、重んじられる
ことなく、軽々しくなったり、軽率になってきてるのではないだろうか。
「体裁」とは、外から見た感じ、外見、見栄、世間体などということ
らしいが、そんなことが微塵も感じられないのが、この頃の記者会見
謝っているのやら、ないのやら、相手は誰なのか、体裁も何もかも
あったものではない。
このことは、日常が映し出されていることに気づかない人なのか
それとも、自分だけの保身に必死なのか、わからないが、企業として
あるいは地位あるものとして、「体裁」を欠くということは、日常的に
消費者のことは、それほど気にやんでないということにもなろう。
対人援助職に携わる者として、学び教訓としたいものである。
つまり「体裁」なるものは、その時短絡的に簡単にできるものではなく
長年かかって、自分の生き方の中に生まれてくるものである。
このことを、知ったうえで、日常を生きていくことが大切なのであろう。
赤信号みんなで渡れば怖くない、ではなく、「一人でも守るぞ赤信号」
でありたいと考える。
自分の「体裁」を大切にして生きていけるようになりたいものである。
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