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迷歩録   なんもん

2017-05-08 09:32:09 | 日記
   <strong>春うらら  陽射をさえぎる  黄砂かな  朧な昼間  我が目のせいに


                                   ひのひら  ろくべえ


   人生に「なんもん」はつきもの、難問に負けてしまうと、難問に押しつぶされてしまう。「なんもん」と思っているのは

  自分だけ、特に相手のある人間関係などは、行き詰ると難問とい事にしてしまい、解決から逃避をしようと、逃げてしまう、

  感情が芽を出す。この感情を押さえ込み上手投げにするには、デカルトの言葉「難問は分割せよ」を思い出すと言い。

   つまり難しいこと難問は小分けにして、小分けにしたものを一つ一つ解決していくと、全体が解決するという考え方。大

  きな石垣を作ろうと思えば、石を一つ一つ積んでいくしかほかに方法はないという事であろう。人間関係の問題は、この小

  分けにしずらい面がある。小分けにできない人が殆どなので悩むのかもしれないが、人間関係だって関係性を紐解いていけ

  ば小分けにできる。つまり場面場面を良く分析して一場面における問題点を解決していけば、その総体が解決するという事

  である。

   人間関係の問題は、関係性が漠然としていて、総体的にしかとらえていないので、他人の評価を基準にしたり、人の噂話

  などを基準に判断したり、関係性を築こうとすると、上手くいかない、そのことが難問化することが多々ある。そのように

  人間は他人の評価を鵜呑みにする傾向がある。特に対人援助の場では、人間関係に自信が持てないものは、このような独り

  よがりな悩みを抱え、難問として、棚上げする傾向がある。棚上げした後は、自分の技術は顧みることなく、相手の欠点や

  などを、愚痴り人間関係の修復や、信頼と関係はほど遠い関係となってしまう。そうならないためにも、難問を分割して、

  解決方向を弄ることが大切なのではないだろうか。

   完璧でなく、完璧を目指す精神が大切で、相手に伝わるものではないだろうか。「なんもん」は「なんもん」と思ったり

  感じた時から「なんもん」である。生きてることそのものが「なんもん」なのだから、「なんもん」という言葉を自分の辞

  書からなくすようにしたいものである。

   

     

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