大阪東教会礼拝説教ブログ

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使徒言行録第22章22~第23章11節

2021-03-28 12:47:46 | 使徒言行録

2021年3月28日大阪東教会主日礼拝説教「勇気こそ地の砂 」吉浦玲子 

【説教】 

<この人を見よ> 

 今日は棕櫚の主日です。棕櫚とは、イエス様がエルサレムに入っていかれた時、熱狂した民衆がなつめやし―口語訳聖書や文語訳聖書では棕櫚と訳されていた―の葉を振って歓迎したことから言われます。この棕櫚の日、日曜日から、主イエスのご受難の一週間が始まりました。主イエスは木曜日の夜に逮捕され、金曜日に死刑の判決を受け、十字架にかかられます。当時、ローマ帝国に支配されていたユダヤ人には正式に人を死刑にする権利はなかったので、権力者たちはローマの力を利用して主イエスを死刑にしました。実際のところ、当時のローマの総督のポンテオ・ピラトは、主イエスが死刑になるような罪を犯してはいないことが分かっていました。ヨハネによる福音書19章では、茨の冠を被らされ、紫の服を着せられた主イエスが、群衆の前に引き出された様子が描かれています。ユダヤ人の王と自称したと訴えられた主イエスが、実際は王でも何でもない、ローマ兵に侮辱され、暴行を受け、痛めつけられたぼろぼろの姿で、滑稽な王の格好をさせられた主イエスを、総督ピラトは敢えて人々の前に引き出しました。 

 「見よ、この男だ」。 

 ピラトは群衆に主イエスを指します。ほら、このイエスという男には何の力もない、あなたたちが訴えるほどのこともない、死刑にするほどものではない、ただのみじめな男ではないかとピラトは群衆に示したのです。「見よ、この男を」。この部分は、「この人を見よ」という言葉でも知られています。「この人を見よ」はラテン語で「エッケ・ホモ」という言葉です。「この人を見よ」「エッケ・ホモ」と題した絵画も多くあります。 

 今日から受難週です。私たちはキリストを見ているでしょうか?茨の冠を被らされ、滑稽な紫の布をまとわれたキリストを思い描くことはありますか?優しいキリスト、光り輝くキリスト、あなたはそのままでいいんだとおっしゃってくださるキリスト、これらももちろんキリストの真実の姿です。しかし、まさに「この人を見よ」と受難週に私たちに示されているのは滑稽で侮辱的な王の姿をさせられたキリストの姿なのです。 

 そしてまたキリストに従って歩む時、私たち自身もまた栄光の中ばかりを歩むのではありません。キリストのゆえに、信仰のゆえに、わたしたちもまた、愚かな者として、人々の視線を浴びることもあるのです。「この人を見よ」と、憎しみや怒りの矢面に立たされることもあるのです。 

 伝道者パウロもまた、キリストの御あとを追う者として、人々の憎悪の前に立たされています。パウロは堂々とユダヤ人たちの前で自分がイエス・キリストを信じることになった経緯を語りました。しかし、律法を守ることによって救われると考えているユダヤ人たちにとってパウロの話は火に油を注ぐものでしかありませんでした。<「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。」彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどだったので>というような騒ぎになりました。 

<さまざまな態度> 

 パウロは矢面に立ち、堂々と証しをしました。一方でパウロを取り巻く人々は様々な態度を取ります。パウロを捕らえた千人隊長は、パウロを鞭で打って、やったことを白状させようとします。つまり拷問にかけようとしました。しかし、パウロがローマの市民権を持った人間だと知って怯えます。ローマの千人隊長といえども、ローマ市民を拷問することはできませんでした。もしそういうことをすれば、千人隊長の側が処罰を受けることになるからです。 

 ちなみにパウロは「生まれながらローマ帝国の市民」だと言っています。これはパウロの親もしくは先祖の誰かがローマ市民だったということです。当時、植民地の人間であっても、ローマ帝国に対して貢献した者に対して市民権が与えられることがあったようです。パウロの家がどのような経緯でローマの市民権を得たのか具体的にはわかりません。しかし、ここで分かることは、パウロはかなり恵まれた家に生まれ育ったということです。当時の社会において、ローマ市民であるか否かというのは、その扱いに天と地ほどの開きがあったからです。 

 しかし、その恵まれていたパウロがいまや囚人として捕らえられています。拷問は回避できたものの、さらなる困難が続きます。祭司長たちと最高法院のメンバーが招集され、その前で取り調べを受けることになります。騒動を起こす群衆ではなく、ユダヤの権力者たちの臨席のもとに事情聴取が行われたのです。 

 しかし、権力者たちは最初からまともにパウロの裁きを行うつもりはありませんでした。大祭司アナニアの指示でパウロは口を打たれます。いきなり威嚇してきたのです。これはまさに、逮捕された主イエスが大祭司の前に連れて行かれた時、やはり大祭司の指示で打たれたことと重なります。今まさにパロロはキリストの歩まれた道を歩んでいるのです。そしてパウロは大祭司に対してひるむことなく「白く塗った壁よ」と言い放ちます。これは「あなたはふさわしい者ではない」という意味の言葉で、呪いの言葉です。裁きの場にあって、むしろ律法に立っていないあなたは呪われると言っているのです。またパウロは「その方が大祭司とは知りませんでした」と言っていますが、大祭司であることをパウロが分からなかったわけはなく、これは大祭司への皮肉でもあります。ちなみにここで、パウロは大祭司への呪いの言葉を発しましたが、使徒言行録の著者であるルカはそののちまさにこの呪いの成就を目撃したと言われます。こののち、66年に大祭司アナニアは国粋主義者によって殺されたのです。 

 さて、あつめられたメンバーには、律法主義者のファリサイ派もいれば、神殿での祭儀を重んじるサドカイ派がいました。それを知ったパウロは敢えて「死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです」と語ります。サドカイ派は死者の復活を信じていませんでしたから、敢えて「死者の復活」という言葉を出して、ファリサイ派の人々に対しては、自分の考えがユダヤの伝統的な考えと異なったものではないことを示し、サドカイ派との対立を煽りました。そのパウロの目論見通り、ファリサイ派とサドカイ派の論争が起こります。このことで、結局、パウロは助けられます。 

 エルサレム神殿で暴徒に囲まれて以来、パウロの身に起こっていることはたしかにたいへんな試練ではありますが、不思議なことにパウロは暴徒のリンチによる死からも、鞭打ちからも、最高法院での裁判においても、助け出されています。神が共におられパウロは救い出されたのです。一方で、彼の周りには混乱や不安が生じています。ローマの千人隊長にしても、パウロを陥れたいユダヤ人の間にも、平穏はありません。ただ一人、人々の矢面で、キリストのように「この男だ」「こいつを見ろ」と指をさされたパウロのみが揺るぎなく立っているのです。いえパウロは自分の力で立っているのではありません。神の力によって立たせていただいているのです。 

<勇気を出せ> 

 そのパウロに、その夜、主がおっしゃいました。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」この「勇気を出せ」という言葉には、「元気を出しなさい」とか「しっかりしなさい」という意味がある言葉です。主イエスが中風の人を癒す時、あるいは長年出血のあった女性を癒す時に、かけられた言葉と同じです。病の人であれ、捕らえられているパウロであれ、その状況で、勇気を出せ、とか、元気を出せ、とか、しっかりしろ、というのは、普通に考えると無茶な言葉のようにも聞こえます。ただ、パウロや中風の人や長い間出血している女性がそれぞれ一人でいるのなら無茶ですが、そこにはキリストがおられるのです。今日の聖書箇所でも、パウロのそばにキリストは立っておっしゃったのです。  

 パウロは堂々と矢面に立ちました。しかし、それはパウロが勇敢だったからではありません。キリストが立たせてくださったのです。「その夜」と書かれている夜、おそらくパウロは疲れ、不安にとらわれていたことでしょう。最高法院で勇敢であっても、一人の夜にはパウロとて弱きになったと思われます。使徒言行録やパウロの書簡を読むと、繰り返しパウロが恐れたこと、不安に思ったことが記されています。だからこそ、主イエスがそばに立っておっしゃったのです、「勇気を出せ」と。 

 主イエスは「エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように」とおっしゃいます。主イエスは、パウロのこれまでの戦いに対して「よくやった」とおっしゃっているのです。励ましてくださっているのです。さらに主は「ローマでも証しをしなければならない。」とおっしゃいます。これまでもたいへんだったのに、まだ先があるのですか?とも思えることですが、ローマ行きは、むしろパウロが願っていたことです。ここにきて、パウロは主が自分の願いを聞き届けてくださったことを知らされます。キリストに勇気を与えられ、それに応えて勇気を出して歩んだ者には、さらなる道が示されます。これは恵みです。目の前につりさげられた餌をどんどんと先に引っ張られてどこまでも走らされるのとは違います。むしろ走れば走るほど、目標がクリアになり、景色が広がっていき、喜びの歩みとなるのです。 

 一方、主イエスは、その地上での生涯の最後、ご受難の時、ヴィアドロローサ―涙の道-を十字架を背負って歩まれました。その歩みは、ゴルゴダ―されこうべの丘―へ続くものでした。人々の罵声と土埃の中を、ローマ兵に鞭打たれながら歩まれました。その歩みの先に待つのは死だけでありました。その絶望の道を主イエスが歩んでくださったゆえに、キリストを信じ、キリストと共に歩む者の歩みは喜びの道となるのです。キリストの十字架のゆえに罪赦された者は、時に「この人を見よ」と試練の最前線に晒されることはあっても、その先に必ず希望があります。だから勇気を出すのです。キリストが共におられます。復活のキリストが共におられます。まさに今日の聖書箇所で、パウロは死者の復活を証ししました。私たちもまた、けっして絶望の死では終わりではない歩みをこの地上においてなしていきます。昨年の復活祭は緊急事態宣言のため、礼拝は非公開で行いました。大変残念でした。しかし来週は、依然としてコロナの感染者が増加しているため、すべての人が集まれないかもしれませんが、復活祭礼拝として礼拝を共にお捧げします。その前の木曜日には昨年はできなかった洗足木曜日礼拝を行います。実際、コロナの禍の今後も私たちにはどのようになるのかまったく分かりません。しかし、なお私たちはキリストから勇気をいただいて歩みます。この歩みが失望に終わらないことを知っています。「この人を見よ」と指をさされた主イエスのご受難の姿の先に復活の希望があります。その希望に生きるとき、まことの勇気が与えられます。キリスト者は地の塩と言われます。「この人を見よ」とキリストを指し示す時、私たちは地の塩なのです。希望を指し示すのです。そこには小さな勇気が要ります。その勇気は一人一人に与えられます。勇気を振り絞って「この人を見よ」と指さす時、さらにに私たちの未来はキリストによって拓かれていきます。 

 



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