大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録第24章1~27節

2021-04-25 17:16:57 | 使徒言行録

2021年4月25日大阪東教会主日礼拝説教「長い闘い」吉浦玲子   

【説教】  

<聖霊が語らせてくださる> 

 パウロがエルサレムの教会のための献金をもって、エルサレムへと上ってきてから目まぐるしいことが起こりました。逮捕、最高法院での裁き、カイサリアへの移送などがありました。今日の聖書箇所では、エルサレムのユダヤの権力者たちがパウロをローマ総督フェリクスに訴えるためにやって来た場面です。まず、ユダヤの権力者側の弁護士テルティロがローマ総督フェリクスにパウロを訴えます。弁護士は前半は、慇懃にローマに対して賞賛と感謝を述べ、自分たちがローマに対して従順であることを示します。そしてパウロに関しては、パウロはユダヤの律法を犯し、ユダヤ人の間で騒動を起こしている、さらには神殿までも汚した者なのだと告発します。新共同訳聖書の本文にはありませんが、7節の最後に十字架のしるしがあります。これはこの箇所で違う内容を記述した聖書の写本があることを示します。その内容は、使徒言行録の最後の箇所に脚注のような形であげられています。そこを見ますと、自分たちはこの件を律法の問題として、つまりユダヤ人のなかの問題として裁こうとしていたのに、エルサレムの千人隊長がやってきて、無理やり、パウロを自分たちから引き離してしまったと語っていることが分かります。つまり、ユダヤ人たちにとって、これは純粋にユダヤの問題であり、本来は、ローマ総督を煩わすような問題ではないのだと語っているのです。言外に、パウロを自分たちに引き渡し、自分たちで裁きをさせてほしいと訴えているともとれます。脚注の部分を含めても弁護士の言葉は短いものです。このあとパウロに反論されますが、具体的な証拠などのない説得力に欠けるものでした。 

 それに対して、パウロは論理的に答えています。そもそも自分は数年ぶりにエルサレムに入ってからまだ12日しかたっていない。その短い期間で、騒動を起こすなどできないし、騒動を起こしたことを見た者はいないと訴えます。ユダヤ人たちの訴えには証拠がないというのです。そしてまたユダヤ人たちが一番問題としている神や律法の問題についても何ら非はないと訴えます。そもそも発端となった出来事、自分が律法に従ってきよめの儀式をしているときにそばにいたのはアジア州から来たユダヤ人だけで、自分を告白するならそのアジア州からきたユダヤ人がするべきだと言います。また、今、総督の前にいる大祭司を初めとする人たちは最高法院での裁きの場にもいたのだから、私に非があるなら最高法院の裁きで見つけたはずだ、その見つけた私の不正を訴えてみよと言ったのです。実際のところ、最高法院での裁きもユダヤ人の中のファリサイ派とサドカイ派が対立して紛糾し、パウロの不正を立件できる状態ではなかったのです。このパウロの弁明は堂々たるものです。 

 パウロはもちろん優秀な頭脳を持っていた人物です。しかし、ローマ総督、そしてまたユダヤ人の権力者たちを前にこれほどにたじろがずに語れたのは、単にパウロが優秀だったからではありません。そこに神の守りがあり、聖霊によって語るべきことを示されたからです。主イエスは福音書の中で、やがて弟子たちが迫害を受けることになることを知っておられ、その時に備え、こうおっしゃっていました。「引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。(マタイ10:18-20)あなたたちが将来迫害を受けて捕らえられ追及されたとしても、そのとき何をしゃべろうと心配しなくていい。話すべきことは与えられる、主イエスの「父の霊」すなわち聖霊によって与えられるから心配しなくていいと主イエスはおっしゃったのです。パウロもまた主イエスの「父の霊」によって弁明の言葉を与えられたのです。 

 私たちはパウロのように迫害を受けて尋問されるということはないかもしれません。しかし、日々の中で、言わなければよかったと後悔することや、なぜあの時、大事なことを言えなかったのかとふがいなく思うことは多々あります。しかし私たちが、日々祈り、神に求めて生きる時、言わなければよかったと思うこと、言えばよかったと思うこと、それらすべてのことを越えて神は良き方向に導いてくださいます。それはちょっと虫が良いのではないかと思われるかもしれません。しかし、私たちが日々祈りのうちに歩む時、そしてもちろん、自分なりに精一杯のことを語った時、そこには聖霊が働いてくださるのです。自分の思いを越えて神が語られるということもあります。 

<信じることの恐れ> 

 さて、この論戦はパウロに有利に進みました。しかも、総督自身、「この道」つまりキリスト教のことについて「かなり詳しく知っていた」とありますから、キリスト教がユダヤ人たちの言うような騒動を引き起こすものではないことは総督は分かっていたのです。しかし、結局、総督はパウロをこのままカイサリアで監禁します。総督は正しい判断、裁きをしようとしたのではなく、あくまでも自分に有利に事を進めたいだけでした。パウロを無罪放免にしたら、ユダヤ人たちの憎しみを買います。また、どのようなことをしてもユダヤ人たちはパウロを殺すでしょう。ローマ市民権を持っているパウロが殺されたり、騒動が起こると自分の責任になります。しかしまたローマ市民権を持っているパウロを証拠不十分な状態で有罪とするわけにもいきません。ですから、ユダヤ人たちの機嫌を損ねないように結論を先送りにしたのです。この期間は、結局、総督の交代の時まで続きました。組織の中ではこういうことが時々起こります。なんらかの思惑のため、敢えて、問題が塩漬けにされて放置されてしまうようなことがあります。 

 パウロがエルサレムからカイサリアに移され、ここから一気にローマへの歩みは進むかと思っていたら、パウロはカイサリアで実に二年間も足止めを食うこととなります。審議中断のまま被疑者として拘束され続けることは、精神的にも辛いと思います。しかし、先週もお話をしましたように、この期間、パウロは獄中書簡と言われる手紙を執筆しました。そしてまた、総督夫婦にキリストの教えを語る機会もありました。使徒言行録の先を読みますと、カイサリアを出た後のパウロのローマへの道も、けっして平坦なものではありません。神はパウロをローマへ遣わすことを決めておられながら、なおパウロはさまざまな困難に見舞われます。しかし、その歩みの中で、パウロはキリストを証ししながら進みます。しかし、足止めのようなことも、災難のようなことも、神によって、その場、その時、最適な状態で人間がことを為すことができるように配慮されているのです。 

 そのような神の配慮のなかで、パウロは総督フェリクスに対して、イエス・キリストを信じる信仰について語ります。ここで興味深いことが記されています。「しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、「今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする」と言った。」フェリクスは、イスラエルを治めていくうえでの職務上の情報収集の必要と、知的興味を持って、パウロの話を聞いたと思われます。しかし、正義や節制や裁きについて聞くと恐れを抱いたのです。自分と関わりのない風変わりな新興宗教の話と思って聞いていたら、その話は、フェリクス自身に向かって突き刺さって来る話だったのです。彼自身の弱いところ、端的に言えば、罪を突いて来る話だったのです。パウロは、フェリクスが不正をしていること、節制をしていないことを特段意識して、あてつけのように語ったわけではないでしょう。ごく普通に、人間の罪と、神の裁きを語っただけだと思われます。しかし、聞いているフェリクスにとって、そのパウロの言葉は「神の言葉」として響いたのです。そして恐ろしく感じたのです。フェリクスはユダヤ教の分派の変わった教えとして、知識として聞き流すことができなかったのです。 

 この恐れから、信仰へと入ってくる人々もいます。ペンテコステの日、「イエス・キリストを殺したのはあなたがただ」というペトロの説教を聞いて「大いに心を打たれた」人々が三千人洗礼を受けました。「大いに心を打たれた」とは心を動かされたということです。キリストを十字架につけた、その罪を問われた人々は反発や恐れを越えて、心動かされて主イエスを信じて生きる者とされました。しかしまた、フェリクスのように、恐れは感じても、心は動かされても、とどまってしまう人々もいます。洗礼者ヨハネを殺したヘロデ・アンティパスも洗礼者ヨハネの話自体には興味を持っていたのです。また十字架におかかりになる前、主イエスが自分のところに送られて来たとき、とても喜びました。主イエスの評判を聞いていたので、興味があったのです。しかし、そのヘロデも主イエスを信じませんでした。フェリクスにしても、ヘロデにしても、自分自身のなかに手放せない欲望が大きい時、神の言葉に触れても、恐れは感じても自分の欲望の中にとどまるのです。 

<長期戦へ> 

 ところで、使徒言行録のなかでは、イエス・キリストを信じる信仰のことを「この道」と記されていることがあります。今日の聖書箇所では14節のパウロの弁明の中にあり、また先ほど触れました22節、総督フェリクスについて「この道についてかなり詳しく知っていた」という箇所です。少し前の聖書箇所でいえば、22章でパウロ自身が自分の回心について語る中で「わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです」と、「この道」を使っています。 

 この道というときのギリシャ語の「道」という言葉は、まさに人が歩く道そのものです。英語ではWayです。日本人的な感覚では茶道とか柔道とか、「道」という言葉は親しいものではないでしょうか。武術や芸事でひとつのことを極めていくこと、精神的な修行を含めたあり方を「道」と言います。また造語的に武術や芸事以外のものに対しても、ひとつのことを精神面を含めて、極めていくという意味で「○○道」と言ったりします。 

 しかし、キリストを信じることを指す「この道」は鍛錬して何事か極めるというあり方とは違います。ごく素朴にイエス・キリストと共に歩む道といういうことです。「生きていくこと」そのものなのです。精神的修行とか、努力して極めていくということとは違います。私たちは道なき道を自分で切り拓きながら歩むような時もあります。でもそのようなときですら、道を拓いてくださるのは実のところは主イエスなのです。「わたしは道である」とおっしゃるイエス・キリストと共に歩むとき、道は拓け、道は整えられていくのです。その道が作られた道を私たちは歩むのです。そしてその「道」は信じて洗礼を受けておしまいではなく、そこからずっと続いていくのです。主イエスを信じて歩む道は、神の国まで続く道です。試練も苦労もある道ですが、一人ではない道です。歩いているその時は夢中で歩んでいてわからないのですが、振り返ると、あの時もこの時も主イエスが共におられ、導いてくださっていたことがわかる道です。今日もその道を私たちは未来に向かって歩みます。 

  

 

 

 

 


使徒言行録第23章12~35節

2021-04-18 13:03:24 | 使徒言行録

2021年4月18日大阪東教会主日礼拝説教「試練を突き抜ける 」吉浦玲子  

  【説教】  

<宗教的熱狂ではない>  

 パウロは逮捕され自由を奪われていました。そもそもパウロはエルサレムが自分にとって危険な町であることを覚悟の上でエルサレムにやってきました。エルサレムの教会に各地の教会から集めた献金を捧げるためでした。そのエルサレムでパウロは、やはり、捕らわれの身となってしまいました。エルサレムの神殿で騒動が起き、ユダヤ人たちから半殺しの目に遭いましたが、ローマの兵によって助け出されました。パウロはエルサレムのユダヤ人たちに弁明をしましたが、むしろさらに騒ぎが大きくなりました。そこでふたたびローマ兵によってパウロは人々から引き離されました。ローマ兵はパウロを拷問にかけて自白させようとしましたが、パウロはローマの市民権を持っていたので、免れました。その後、今度はユダヤの権力者たちを集めて最高法院で裁判が開かれましたが、パウロの巧みな誘導でファリサイ派とサドカイ派の間に対立が起こり、激しい論争となり、パウロはユダヤ人たちから引き離されました。これが今日の聖書箇所の場面に至る前の経緯です。 

 パウロは兵営に連れて行かれ、外界との接触は遮断されていました。そんなパウロがうかがい知ることのできないところで、パウロを殺害しようとする者たちの策略が進んでいました。40人以上の者たちが、パウロを殺すまで飲み食いしないという誓いを立てたというのです。飲み食いしないという誓いと聞いても、あまりピンとこられないかもしれません。彼らは本気になってパウロを殺そうと企てていたのです。パウロは今、ローマの管理下にあります。そのパウロを再度、最高法院に審議の名目で呼び出し、最高法院への途上でパウロを殺そうとしたのです。当然、パウロにはローマ兵の護衛がついています。そのなかでパウロを襲うというのは、命懸けのことです。ローマに逆らうことでもあります。場合によっては、ローマからユダヤ人に対して激しい懲罰がくだりかねないことです。しかしなお、40人のユダヤ人たちは自分の命と全ユダヤを危険にさらしてもパウロを殺そうとしたのです。彼らにとって、それこそが、神に仕えることだったからです。イエスなどという者を救い主だと言い、律法を守ることではなくイエスを信じることによって救われるなどと語るなど、神と律法への冒涜だと考えたからです。しかも、パウロは救いはユダヤ人のみならず異邦人にも開かれているといって、異邦人にも教えを広めていました。自分たちこそが神の民と思っていたユダヤ人にとっては、到底、許しがたいことでした。パウロを殺そうとしている40人は宗教的熱狂に取りつかれていたと言えます。 

 この世界には、宗教嫌いの人が多くいます。ことに日本には多いように思います。繰り返される宗教の名を借りた戦争や紛争を見て、宗教こそがもめ事の源と考える人は多いのです。実際、宗教的熱狂に陥った時、それは排他的な攻撃を生みます。キリスト教の暦の中でも残念ながら、そのようなことは繰り返されてきました。しかし、本来、福音を信じるということは、キリストの十字架と復活によって、罪赦され、自由に愛に生きるということです。自分自身が赦された罪人であり、自由にされた者である以上、他者の罪をく勇断したり、自由を奪うことは福音に生きる生き方ではありません。 

<神の計画は進む> 

 しかし、宗教的熱狂に駆られた人々はなりふり構わずパウロを殺そうとします。しかし、不思議なことに、パウロの殺害計画は外界と遮断されていたはずのパウロの耳に入ります。その殺害計画をパウロの甥が聞きつけたのです。このあたりの事情ははっきりとはわかりません。かなりリスクのある企てですから、簡単に外部に漏れるような形で殺害計画が練られていたわけではないはずです。このパウロの甥について詳細は分かりませんが、クリスチャンではなく、むしろ熱心なユダヤ教徒であったのではないかと考えられます。そもそもパウロ自身、もともとはファリサイ派のエリート教育を受けたユダヤ教徒で、キリスト者を迫害していたくらいですから、パウロの親族がキリストの福音に反発をしたとしても不思議ではありません。甥は殺害計画をしていたユダヤ人側にいて殺害計画を知ったのでしょう。しかし、親族の情としておじであるパウロへ危険を知らせたのでしょう。そしてまたその計画はローマの千人隊長の耳にも入れられます。そして即座にパウロはカイサリアへ移送されることとなりました。 

 この一連の流れは、パウロが運よく難を逃れたということではなく、まさしく、神がそのように導かれたといえます。今日の聖書箇所の前のところ11節で神はパウロに対して「ローマで証しをしなければならない」と語られました。まさにそのローマへの道が着々と整えられているのです。この流れの中でパウロがなしたことといえば、甥から聞いたことを千人隊長に伝えさせただけです。パウロは囚われの身であって、それ以上のことは何もできなかったのです。しかし、パウロの無力にもかかわらず、神の計画は着々と進んで行きました。パウロの先祖がローマの市民権を得たこと、そしてファリサイ派の教育を受けさせることのできる家に育ったことを含めて、パウロがこの世に生まれてくる前から、既にその計画は始まっていたのです。 

 それにしても、パウロを護送するのに、歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名が準備されたというのはたいへんものものしい状況です。自らの命を顧みず襲ってくる、40名の熱狂的なテロ集団を迎え撃つためにはローマとしてもこのくらいの人員が必要であると千人隊長は判断したのでしょう。そしてそれは実際に妥当であったと思います。しかし同時にこれは、神ご自身が、ローマを使って、パウロを守られたともいえます。丸腰の囚人一人にたいして500人の守りを神がつけられたのです。神ご自身が、パウロをローマへ送るというご計画を進めるためになされたことです。 

 昨年、新型コロナ感染症のため、教会は大きな試練に見舞われました。ご存知のように、いまもまだ試練は続いています。コロナ以前のように集会を行うことができず、主日礼拝すら、非公開で行ったときもありました。教会の宣教活動にも打撃でしたし、財政面でも大きな試練でした。しかしまた、その試練の中で、3名の受洗者が与えられました。教会学校にも新しい生徒さんが与えられました。この一年、私たちがしゃかりきに伝道をしたわけではありません。むしろ大幅に教会の活動は制限を受けていました。にもかからず、神の業は進んでいました。 

 さて、千人隊長はカイサリアにいる総督に手紙を送ります。その手紙において、千人隊長は自分に都合の良いことを伝えています。ローマ市民権を持っていたパウロがユダヤ人たちから殺されそうになっていたのを自分が救い出した、と冒頭書かれていることは嘘です。そもそも千人隊長はパウロがローマ市民権を持っていることを知らず拷問しようとしていたのです。かつ、パウロが告発されているのはユダヤ人の律法に関することであって、死刑や投獄に値することはないと分かったとも書いてあります。しかし、この者への陰謀があるという報告を受けたのでそちらに移送しますと書かれています。要するに、この手紙から分かりますことは千人隊長は自己保身をしているということです。自分を良く見せて、なおかつ、自分が責任を問われるような事態を避けるため、面倒な囚人であるパウロをさっさと自分の管轄地域でないところに送ろうとしたのです。しかしまたこの千人隊長のいかにも小役人的な考えをも神は用いられたのです。 

<> 

 そしてパウロはカイサリアに送られます。カイサリアはエルサレムから80キロほど離れたところにあります。カイサリアとは「カイサルの町」という意味です。カイサル、つまりローマ皇帝にちなんだ名がつけられていることからも分かるように、ローマにおもねって作られたローマ風の町でした。かつて主イエスがお生まれになった時、ベツレヘムの子供たちを殺害したヘロデ大王が建設した町でした。パウロが移送された当時、ローマの総督はカイサリアに住んでおり、カイサリアは、イスラエルの政治的、軍事的な中心地でした。パウロはヘロデの官邸にとどめられます。これはヘロデ大王が作った宮殿で、ローマ総督が住んでいたようです。 

 総督はパウロにごく短い質問をした後、裁きの公平性を保つため、パウロを告発する者たちが到着するまでは、パウロ側から事情聴取はしませんでした。公平性を保つためといっても、総督もまた先の千人隊長と同様、特にパウロに対して同情的でも正義にあふれた人物でもありませんでした。今日の聖書箇所のあとのところを読むと、結局、パウロはここに二年間留め置かれることになります。総督はパウロからお金をもらおうとしてパウロを呼び出していたともあります。 

 パウロは、ある意味、孤独でした。パウロの周りにはパウロを理解し、支える人はいませんでした。パウロのことを憎み命を狙う者、自分の保身だけを図る人物、利益を得ようとする者ばかりがいました。そもそもパウロが逮捕される直接的な原因となった神殿での儀式をさせたエルサレムの教会の人々から支援が来たとはどこにも書かれていません。パウロが命をかけて献金を届けた教会の人々も冷たかったのです。うんざりするような状況です。そして、さきほど、ローマへとパウロを導く神の計画が始まったと申しましたが、ヘロデの官邸に留め置かれて、その計画は中断されたようにも思います。 

 しかし、このカイサリアのヘロデの官邸でパウロは書簡を書いたと言われています。その書簡のひとつはフィリピの信徒への手紙であったと言われます。フィリピの信徒への手紙は「喜びの手紙」と言われます。監禁状態の中、パウロはなおキリストの愛を語りました。パウロはフィリピの信徒への手紙のなかでこう語ります。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。(フィリピ3:12)」大伝道者パウロが、既にそれを得たわけではない、自分は完全ではない、と語っていることに、少しほっとします。試練の中で、パウロが完全な者だから平気でいられたというわけではないのです。ただ、キリストが自分を捕らえてくださっている。だから、試練の中をまっすぐに突き抜けて歩んでいけるのです。神の計画はとん挫して見えながら、2000年のちの人々に愛と勇気を与える手紙がこの時期に書かれました。それもまた神のご計画でした。キリストによって捕らえられ、励まされ、勇気を与えられたパウロの言葉が今日も響きます。私たちもまたキリストに捕らえられた者として神のご計画の中を信頼して歩んでいきます。 

 


ヨハネによる福音書第20章24~29節

2021-04-11 15:00:28 | ヨハネによる福音書

2021年4月11日大阪東教会主日礼拝説教「見よ、主が目の前に 」吉浦玲子  

  

【説教】  

<疑ってはいけないのか>  

 昨日、教会学校教師会を兼ねた青年会をネット会議システムで行いました。ほぼ毎月、ネットで開催をしているのですが、昨日はマルコによる福音書から、マグダラのマリアに復活のイエス様が現れる場面を黙想しました。未信徒の方も含めて青年たちの疑問は「なぜマグダラのマリアに最初に主イエスが現れられたのか?」ということでした。弟子の格付けからしたら一番弟子ともいえるペトロに最初に主イエスが現れられて良いはずです。しかし、なぜマグダラのマリアなのか?その説明はさまざまにされていますが、一つ言えますことは、神のなさることの順序は人間には理解できないということです。人間の側の順番や格付けや忖度と神のなさることの順序は全く関係しないということです。しかし、その順番のいかんに関わらず、早かろうが遅かろうが、神のなさることは人間にとって最適の神の時になされるのです。 

 今日の聖書箇所には、疑い深いトマスとして有名なトマスが出てきます。この人はマグダラのマリアと対照的に、復活の主イエスと「遅れて」出会った人です。彼はどういうわけか、12弟子と言われる弟子たちが主イエスで出会ったとき、一緒にいませんでした。ですから、復活の主イエスと会うことができなかったのです。 

 トマスは他の弟子たちが「主を見た」というのを信じませんでした。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、またこの手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言います。このトマスの言葉にはとても激しいものがあります。ここからトマスは疑い深いトマスと言われ、<トマスのように疑うことなく主イエスの復活を信じましょう。信じる者となりましょう>というような教訓めいた教えが語られたりします。 

 しかし、普通に考えていただきたいのです。復活ということはそんなにさらっと信じられるものでしょうか?さらにいえば、この罪深い自分の罪が、主イエスを信じるだけで赦されるなんて、きわめて虫の良い話を私たちはあっさりと信じられるものでしょうか?人間には理性が与えられています。認識する力が与えられています。見てもいないものを、体験もしていないものを、私たちは鵜呑みにできるでしょうか? 

 むしろ、トマスの態度というのはきわめてまっとうな態度であるともいえるのではないでしょうか?私たちの信仰は、なんでもかんでも思考停止をして受け入れる信仰ではありません。それは洗脳されていることと変わらないのです。 

 私たちはなぜキリストの復活を信じているのでしょうか?それは私たちがトマスのように、復活のキリストと出会ったからです。正確に言えば、キリストの方から出会ってくださったからです。私たちが疑い深かろうが、素直に信じる者であろうが関係ないのです。キリストが出会ってくださるのです。キリストが触れてくださるのです。だから私たちは信じることができるのです。言ってみればキリストによって信じさせていただいたのです。 

<なぜすぐにトマスに現れられなかったのか> 

 トマスはそもそも他の弟子たちが主イエスと会っている時、なぜいなかったのでしょうか?聖書には何も書かれていません。ですから推測するしかできません。彼は恐れていたのかもしれません。主イエスの一味として自分も捕らえられ殺されるかもしれない。だから仲間たちのところへも行かず一人で隠れていたのかもしれません。ただ一つ言えますことは、彼は誠実な人間であったということです。この箇所を語るとき、いつもお話しすることですが、十字架におかかりになる前、主イエスが死を覚悟してエルサレムに近いベタニアに向かわれたことがありました。その町に主イエスと親しいラザロという男性がいて重病だったからです。ベタニアは主イエスの命を狙う権力者たちがいるエルサレムに近く危険でした。しかし、トマスは言ったのです。「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と。トマスはベタニアは危険だからやめましょう、とか、先生だけで行ってくださいなどと言わず、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言ったのです。そして実際、トマスは主イエスと共にベタニアに行ったのです。彼は大きな覚悟と誠実さをもって行動したのです。しかし、主イエスの逮捕の時、結局、トマスは逃げたのです。 

 事故や自然災害などで大事な人を亡くした人が、自分だけが助かったことに苦しむということがあります。なぜあの人は死んだのに自分は生き残ったのか?罪責感のようなものがなかなかぬぐえず多くの人々が苦しまれています。ましてトマスの場合、不可抗力の事故や自然災害ではなく、主イエスを見捨てたのです。そもそもまじめで誠実だったトマスにはそれは大きな苦しみであったと思います。その苦しみは、すべての逃げた弟子たちのものでありましたが、ことに、トマスにおいては強かったのではないかと思います。 

 トマスがわざわざ、主イエスの手の釘跡やわき腹の傷のことを語っているのは、それだけ、生々しく主イエスの十字架の死を彼が受け取っていたということでもあります。主イエスが十字架の上で息を引き取られてから9日間、彼の脳裏には、鞭打たれ、十字架で肉を裂かれ、血を流された主イエスの姿が何度も何度もフラッシュバックしていたのではないでしょうか。キリストを見捨てた自分、情けない自分、罪にまみれた自分、そんな自分を、自分で責めても責めても責めたりない、そんな苦しみの中にあったのではないでしょうか。 

 そのトマスのためにキリストは現れてくださいました。そんな苦しみの中にあったトマスのことをご存知であったはずの主イエスが、なぜむしろ一番先にトマスに現れてくださらなかったのでしょうか?他の弟子たちから一週間遅れて現れられたのでしょうか? 

 主イエスが最初に現れられたのは週の初めの日でした。そして8日のちとは、最初の日曜を入れて8日のち、つまりこの日もまた週の初めの日であったのです。つまり礼拝の場であったのです。主イエスは週の初めの礼拝の時に、礼拝する者たちの真ん中に立ってくださるのです。最初の週の初めの日、トマスはふさぎこんでいたのか、恐れていたのかわかりませんが、主イエスと共なる礼拝に出なかったのです。ですからトマスは主イエスにお会いすることができなかったのです。 

 私たちは、一人ぼっちで主イエスと会うのではないのです。礼拝において出会うのです。礼拝において主イエスと出会うからこそ、日々、また聖霊によって主イエスと出会うことができるのです。礼拝において主イエスとお会いすることがなければ、どれほど聖書を熱心に読んでも、一人で祈っても、私たちに信仰の力は与えられません。いま、ネットを介して礼拝を捧げておられる方々がおられます。リアルタイム配信で時を同じくして礼拝をしておられる方もあれば、録画や録音したもので礼拝を捧げられる方もおられます。しかし、同じ御言葉を聞くとき、私たちは共に主イエスと出会っているのです。いま、大阪のコロナ感染者が急増しています。今週から、礼拝以外の諸集会はふたたび休会といたしました。しかし、生けるキリストと出会う礼拝は、できる限り、この会堂で共にお捧げしていきたいと現時点では、願っています。感染の状況や行政からの指導によっては昨年のようにふたたび礼拝を非公開にせざるを得なくなるかもしれません。しかし、その場合でもできれば、時間を同じくして礼拝を捧げていただきたいのです。時間がずれても、同じ御言葉に聞き、同じ説教を聞いていただきたいのです。そのとき、主にあって教会はひとつとなります。一つの教会の真ん中にキリストが立たれます。 

<私たちの希望> 

 さて、主イエスは弟子たちの真ん中に立たれ、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃったのち、トマスに向かっておっしゃいます。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」主イエスはトマスの思いをすべてご存知でした。これはけっして批判的に主イエスがトマスにおっしゃっているのではないのです。あなたの思いのたけをすべて私に対して為したらいいとおっしゃっているのです。私はあなたの思いをすべて受け止めるとおっしゃっているのです。 

 そしてまた肉体をもって復活なさった主イエスは、その肉体に触れよとおっしゃっているのです。かつて旧約聖書の時代、神を見ると死ぬと言われていました。神は聖なる存在で罪深い人間には触れることはおろか目にすることさえできない存在でした。しかしいまや、主イエスは、「あなたの指をここへ当てよ」とおっしゃる、触れることのできる神として皆の真ん中に立っておられるのです。 

 トマスはその主イエスに対して「わたしの主、わたしの神よ」と言います。これは、信仰告白です。トマスの、そして私たちの信仰告白の最もシンプルな言葉は、イエス・キリストが私の主であり、わたしの神であるということです。トマスは、主イエスを実際に触れることはありませんでした。主イエスが先に触れてくださったからです。この場面で、主イエスがトマスを抱きしめるとか、手を取るといったことをなさったとは書いてありません。しかしたしかに主イエスはトマスに触れられたのです。主イエスはこの場面では、ただトマスにのみ向いて語られています。この日、主イエスはトマスと出会うために現れてくださったのです。そしてトマスの心の深いところに触れられました。ですからトマスは「わたしの主、わたしの神よ」と告白することができたのです。 

 「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と主イエスはおっしゃいます。この言葉もトマスをとがめておっしゃった言葉ではありません。復活の最初の目撃者たちは、皆、主イエスの肉体を「見て」信じた者たちです。肉眼で主イエスを「見た」人々がいたからこそ、主イエスの復活は確かなものとして語り継がれてきたのです。この「見ないのに信じる人は、幸いである」というのは、主イエスの昇天ののちに主イエスを信じる者となる人々へ向けた言葉です。私たちへ向けられた言葉です。私たちは主イエスを肉眼で見たわけではありません。しかし、信じる者とされました。その私たちが幸いな者だと主イエスはおっしゃてくださっているのです。 

 たしかに、私たちはいま、肉眼で主イエスのお姿を拝見することはできません。しかし、ここにいる皆が、主イエスによって触れていただいたのです。主イエス自らが、私たちに触れてくださったのです。語りかけてくださったのです。今も主イエスは触れてくださっています。それは劇的な神秘体験ではありません。(そういうこともありますが)自分には触れられていないと感じるならば、それはあなたがキリストを見ようとしていないからです。トマスが、自分の苦しみの殻に閉じこもっていたように、また、ユダヤ人を恐れて隠れていたように、自分の思いや、さまざまな日々の厳しい現実や人間にとらわれているからです。しかし、主イエスは私たちの思いのたけをご存知です。その思いをすべて打ち明けなさい、私にもっと近寄って、私にもっと触れなさいとおっしゃっています。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」という言葉は、あなたの苦しみやさまざまな思い煩いにからめとられて復活の主イエスを信じない生き方ではなく、自由になって信じる者となりなさいということです。私たちは現実の中でどうしても信じない者になってしまうのです。そんな私たちに主イエスは信じる者になりなさいとおっしゃるのです。 

 私たちは週の初めの日、礼拝でキリストと出会います。礼拝でキリストと出会った私たちはそののちの日々にもキリストと共に歩みます。振り子のように信じる者と信じない者の間を行ったり来たりしながら、しっかりキリストが私たちに触れてくださっています。だから私たちは日々告白するのです。「わたしの主、わたしの神」と。 

  

 

  


ルカによる福音書第24章36~49節

2021-04-04 15:07:14 | ルカによる福音書

2021年月日大阪東教会主日礼拝説教「 約束を守られる神」吉浦玲子  

  

【説教】  

<復活の生々しさ>  

 キリストは復活されました。肉体をもって復活されました。それは生々しい出来事でした。復活は、キリストは亡くなれたけれど、心の中にいつまでも生きておられる、というようなことではありません。あるいは霊的な存在として主イエスは生きておられる、そういうことではありません。十字架におかかりになるまえと同様に、肉体をもって、復活をされました。そしてそのお姿は光り輝くものではなく、そのお体にはたしかに、十字架におかかりになったときの釘の跡、槍突かれた傷の跡が、生々しく残っていました。それは、主イエスが十字架の上で息を引き取られて三日目のことでした。それは、弟子たちの中に混乱を生じさせました。まず女性たちが主イエスの墓に行ったら墓が空になっていることを発見しました。遺体は一体どこへ行ったのか?何が起こったのか?弟子たちは分かりませんでした。一方、エマオへ向かっていた弟子たちに主イエスが姿を現されました。またシモンにも現れたとも聖書は記します。しかし、弟子たちはまだはっきりとは状況をつかめていませんでした。それが今日の聖書箇所の場面です。 

 「こういうことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた」こう記されています。これまで復活のキリストは復活されたと思われる痕跡を示したり、個別の弟子に姿を現されましたが、ここではじめて、弟子たち皆の前に現れられます。復活のキリストは弟子たちの真ん中に立たれたのです。これは今日私たちがお捧げしている礼拝の姿でもあります。復活のキリストが今も私たちの真ん中に立っておられます。これが週の初めの日の出来事です。もっとも、今もキリストは私たちの間に立っておられるというと少し話が混乱するかもしれません。いま、私たちはキリストを肉眼で見ることはできないからです。しかし、今日の聖書箇所では肉眼で見ることのできるお姿で復活のキリストは皆の前に立たれました。 

 そしてキリストはおっしゃいます。「あなたがたに平和があるように」。この言葉は一般的な当時の挨拶の言葉、ヘブライ語の「シャローム」であると考えられます。<こんにちは><こんばんは>そのような挨拶を主イエスはなさったのです。しかし、普通のことのように主イエスは挨拶をなさっていますが、その状況はとんでもないものでした。主イエスは話をしている弟子たちの真ん中に「いきなり」立たれたのです。どこかから入って来られたという形跡がありません。主イエスは普通に「こんにちは」とあいさつをなさっていますが、弟子たちは当然驚きます。「彼らはおそれおののき、亡霊を見ているのだと思った」とあります。当然でしょう。たしかに主イエスが息を引き取られたのを弟子たちは知っています。もし、いったん死んだものの、実は仮死状態だったので、蘇生をしたということなら、キリストはドアを開けて部屋に入って来られるはずです。しかし、突然、皆の前に現れられました。しかしここで、短絡的に、なにか霊的な存在としてキリストが復活をされたと考えてはなりません。 

 とはいえ、どうにも理解しがたい形で復活の主イエスは現れられました。むしろ霊的な存在として現れられたのであれば、たとえば弟子たちが考えたように亡霊であれば、まだ私たちも納得できるでしょう。しかし主イエスは自分は亡霊ではないとおっしゃるのです。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい」とおっしゃるのです。亡霊ではなく、触ることのできる肉体という実体を伴った存在なのだと主イエスはおっしゃるのです。さらには焼き魚を食べるというパフォーマンスまでなさいます。 ここは弟子たちのみならず、多くの人々が戸惑うところです。復活なさった主イエスは亡霊のようなものではないが、壁をすり抜けられるようなところがあり、物理的な制約において十字架におかかりになる前の体の様子とは少し違うのです。少し違うのですが、たしかにキリストは生々しく肉体を持って復活をされました。 

<復活のキリストと出会う> 

 ところで、7年前、私がこの大阪東教会に主任として仕えるようになった年の復活祭の礼拝では、平山武秀牧師が説教をしてくださいました。私が当時、伝道師であって、聖餐を執行できませんでしたので、平山先生にお願いしてお越しいただいたのです。その時の説教の中で、平山先生は「聖書には主イエスを目撃した人々、主イエスと出会った人々の証言がたくさん記されています。その聖書において、主イエスに関する出来事の中で、受肉と復活は、特に重要な出来事です。受肉と復活は、神の救いの根幹に関わる最も大きな奇跡です。しかし、そのふたつの出来事を直接目撃した者はいないのです」と語られました。キリストの語られたことやなさったことを多くの人々が目撃しました。そしてそのことは福音書にも手紙にも書かれています。しかし、受肉と復活の決定的瞬間を直接に目撃した人はいないのです。復活に関していえば、すべての福音書で「空の墓」から話が始まります。墓の中で主イエスが目を開け起き上がられる場面、歩き出される場面などはだれも見ていないのです。復活なさった主イエスとの出会い方も尋常なあり方ではありません。突然、姿が見えたり、消えたりします。亡霊だ、幽霊だと言われる方がよほど信じやすいのです。決定的な場面の目撃証言がないままに不思議な書かれ方で聖書は復活の出来事を伝えています。それゆえ、復活なんて信憑性がないとか、教会の捏造だとかいう愚かな人々も出てきます。 

 しかし、たしかに2000年に渡り、キリスト者は受肉と復活の奇跡を信じて来たのです。それが愚かな作り話であれば、2000年前に発生した新興宗教のたわごととして歴史の中で消えていったことでしょう。実際のところ、決定的瞬間の目撃者はいないにも関わらずキリストが復活されたという伝承は消えませんでした。復活のことが記されたもっとも古い文書はコリントの信徒への手紙であると言われます。この手紙はキリストの死後20年頃に書かれたことが学問的に解明されています。十字架の出来事から20年という時間はけっして長くはありません。今から20年前のことを思い出してみてください。アメリカの同時多発テロが起こった頃です。当時物心ついた年齢であった人間にとってはツインビルが崩壊する衝撃的な映像は生々しく記憶にあるでしょう。キリストの復活の記事もそうです。実際に主イエスがエルサレムで十字架におかかりになった記憶が鮮明にある人々がまだ残っていた時代です。復活は十字架の出来事をリアルで知っている人々がいなくなった100年や200年後に言い出されたことではないのです。 

 しかしなにより決定的なことは、復活のキリストと実際のところ、多くの人々が決定的な形で出会ったことです。その復活のキリストは出会った人々に対して決定的な変化を生じさせたのです。単に亡霊と話をしたというのではない、出会った人々の人生を根底から変える存在として復活のキリストは人々と出会われたのです。ですから、復活のキリストと出会った人々はそのことを語らざるを得ませんでした。そしてその証言は、2000年後においても聖霊によって聞くとき、リアルな生々しい言葉として響いて来るのです。 

<肉体をもった復活> 

 そして繰り返しになりますが、キリストご自身が肉体をもって復活なさったことはとても大事なことです。そもそも肉体、体とは何でしょうか?キリストご自身が「触ってみなさい」とおっしゃっていますが、肉体とは触れ合えるものなのです。観念や概念ではなく、触ることができる実体なのです。聖書が語ることは哲学や精神論ではありません。現実の世界において起こる出来事であり、現実の世界を生きる私たちの生活に関わって来ることです。 

 愛というものが、単なる概念であれば、私たちにとって愛は意味をなしません。愛は、愛するという行為を伴ったときはじめて意味を成します。そしてその愛するという行為は肉体によって行われます。聖書には主イエスが病人を治された話がたくさんあります。主イエスは病人に優しい言葉をおかけになっただけではなく、実際に肉体に働きかけられたのです。肉体に対して愛を実践されました。つまり肉体というものは、抽象的なものではなく、実際に愛し、愛されるという現実に生きる存在であるということです。 

 以前、どうしても出席しないといけない会で、周りはあまり親しくない人ばかりで、アウェイ感満載で、いごこちが悪い思いをしました。会が終わり、周りの人はまだ三々五々それぞれに雑談をしていましたが、私は、そそくさとその場を離れ帰ろうとしていました。戸口のところで、ふと視線を感じて振り返ると、一人の人が、私に向かって、部屋の向こう側から「さよなら」という感じでニコニコしながら手を振ってくれていました。別に駆け寄って来て話しかけるということではなかったのですが、アウェイ感、疎外感を感じていた私はその人が手を振ってくれていたのがとてもうれしく感じました。その人は私が話す相手もなくとぼとぼ帰っていく姿を見て、わざわざ手を振ってくれたのです。その気持ちがうれしくて、私も手を振って会釈をして帰りました。その人は肉体の目で私を認識して肉体の手を振って気持ちを表してくれました。言ってみれば小さな愛を示してくださったのです。 

 肉体は、愛を入れる器として存在します。そしてまた愛を受ける器として存在します。 重い荷物を持ってしんどい思いをしている人に、口で愛してると言っても意味はありません。小さな荷物の一個でも一緒に持ってあげる、そこに愛があります。疲れた家族のために、その人が好きな飲み物をそっと準備をする、そこに愛があります。泣いている子供をぎゅっと抱きしめてあげる、その時、子供は愛を感じます。 

 そもそも肉体は神がお造りになりました。神が愛を持って造ってくださいました。その肉体をもって私たちは愛を表現する者となるのです。キリストご自身がその肉体にお苦しみを受け愛を示してくださいました。そしてまた愛と救いを示すために、肉体をもって復活してくださいました。2000年前、弟子たちはたしかに肉体を持った復活のキリストと出会ったのです。天から響くキリストの声を聞いたのではありません。わざわざ魚まで食べてみせられる生身のキリストと出会ったのです。 

<神の約束としての復活> 

 そしてそれらのことはすべて神のご計画の内にありました。愛のご計画、救いのご計画の中にありました。愛を持って私たちの肉体を造ってくださった神は、2000年前突然キリストを復活させられたわけではありません。44節に「わたしについてモーセの理っぽいと預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」と主イエスが語っておられます。復活は、人間の救いのために、罪からの救いのために、すべては神がご計画されていたことでした。そしてそのことはあらかじめ知らされていたことでした、神が約束されていたことでした。神はその約束を果たされました。しかしそれで終わりではありません。神の約束はまだ続きます。いま肉眼で私たちは私たちの真ん中におられるキリストを見ることができませんが、やがて見ることのできる日が来ます。再臨の時です。そしてまた私たち自身も復活をします。すでにこの地上を去った愛する兄弟姉妹もそうです。終わりの日に肉体をもって復活をします。先に地上を去った人々も復活をします。その日、すべての涙はぬぐわれます。神の約束は続くのです。その約束の希望に生きる力を与えられるのがキリストの復活の出来事です。キリストの復活は、神の約束の成就であり、さらに与えられる約束への確かな希望です。