大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録32~43節

2020-08-30 15:27:08 | 使徒言行録

2020年8月30日大阪東教会聖霊降臨節第14主日礼拝説教「起きなさい」吉浦玲子

【聖書】

ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。

そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。

ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。ペトロはしばらくの間、ヤッファで皮なめし職人のシモンという人の家に滞在した。

【説教】

<聖なる者たちを巡るペトロ>

 使徒言行録の後半ではパウロの働きが中心に描かれるようになりますが、今日の聖書箇所では、パウロの回心の記事から、ふたたびペトロへと話が移っています。話が連続していないようにも思えます。これは使徒言行録が、その名の通り、使徒の働きを描いたものではありますが、個々の使徒たちに着目して編集されているわけではないからです。あくまでも、使徒言行録は聖霊による教会の成長が描かれています。ペトロ物語でもパウロ物語でもないのです。この9章から12章は特に異邦人への宣教という流れの中での教会の働きが描かれています。

 さて、ペトロはエルサレムの教会の中心となる存在でしたが、「方々を巡り歩き」とあるように、彼自身もまた広範囲に宣教と牧会に励んでいたことが分かります。少し前のところではサマリアに向かいましたし、今日の箇所ではリダやヤッファを訪問しています。リダはエルサレムの西に位置しており、ヤッファはさらに西で地中海沿いの町です。このペトロの働きは各地にできたキリスト教徒の群れを指導するためでもありました。リダの「聖なる者たち」というのはリダのキリスト者の群れ、教会を指します。教会は各地のそれぞれの教会が、それぞれにばらばらにあるのではなく、全体として一つの教会でもあったのです。これは現代においてもそうなのです。各教会は、大きな一つの教会のなかにあります。教会は一つの大きな教会として前進し成長していくのです。そういういわゆる全体教会の働きとしてペトロはリダやヤッファを訪問しました。ペトロは個人的に各教会を視察しに行ったのではなく、教会から派遣されて、それぞれの地域の教会を指導しにむかいました。

<キリストの業をなす>

 教会というとき、「教会はキリストの体である」といわれます。つまり教会はキリストの働きをなす共同体であるといえます。教会は、聖書や教理をお勉強しに来るところではありません。いやもちろん教会ではみ言葉を学び、教理を学びます。しかし、教会は学校ではないのです。教会はキリストの体なのです。天におられる頭なるキリストの地上における実働部隊といっていいのです。愛の実践をなす実働部隊です。その教会には、キリストの権能、つまりキリストの力が与えられています。

ところで、使徒言行録を読みますと、既視感のある場面が時々出てきます。それは、福音書で主イエスがなさったことと同じように、使徒言行録で弟子たちが行っている、そういう場面があるのです。少し前にお読みしましたステファノの殉教の場面で自分を殺そうとする人々に対して「この罪を彼らに負わせないでください」とステファノが叫ぶところは、キリストの十字架の上での「父よ、彼らをお赦しください」という言葉と重なります。そしてまた今日の聖書箇所は使徒であるペトロが、中風の人を癒したり、さらには死んだ人を生き返らせたという話が記されていますが、福音書を読みますと、福音書にも主イエスが中風の人を癒されたという話があります。福音書において中風の人に主イエスがおっしゃった言葉は「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」でした(ルカ5:24)。今日の聖書箇所では、ペトロが中風の人にこう言っています。「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい。」です。共に、起き上がって、床を自分で担いだり整えなさいと言っています。それまで床に横たわることしかできなかった人が、その床を自分で動かすことができるようになるのです。床だけがその人の世界だったのに、その床から解放されて新しい生き方ができるようになったのです。

 また、ヤッファでタビタが蘇る話も、福音書にあるヤイロの娘の蘇りの話と似ています。福音書では、すでに息を引き取っていたヤイロの娘の手を取り、主イエスは「起きなさい」とおっしゃいました(ルカ8:54)。今日の聖書箇所ではペトロがタビタの遺体に向かってひざまずいて祈り、遺体に向かって「タビタ、起きなさい」と言います。中風の人の癒しの時もヤイロの娘の時も、ペトロは主イエスの側にいて、その奇跡の業を見ていました。その時のことはペトロの脳裏に鮮烈に焼き付いていたことでしょう。そして自分自身がアイネアやタビタに向かうとき、あのときと同様に、キリストの御業がなされることをペトロは期待をしたのです。当然ながら、ペトロは自分自身が、癒しや死者を蘇生させる力を持っているとは思っていませんでした。キリストの御業が自分を通して、そして教会を通して、働くことを知っていたのです。

 そしてキリストの力が働いたとき、そこには神への立ち帰りが起こるのです。リダにしてもヤッファにしても、そこにはすでにイエス・キリストを信じる者たちがいたのです。しかし、キリストの奇跡の力を見た時、リダの人々は「主に立ち帰った」とあり、ヤッファでは「多くの人が主を信じた」とあるように、多くの人が神へと導かれました。キリストの業は、病の癒しや蘇生が、人々を驚愕させることにとどまらず、人びとを神へと結びつけるのです。

<無力を感じる>

 しかしまた、このような癒しの奇跡の場面を読む時、正直申しまして、信仰者として無力感も覚えるのです。聖書の場面では、奇跡が起こり、病が癒され、死人すら蘇ります。しかし、現実には、そのような奇跡は多くの場合、起こりません。まったく起こらないわけではありませんが、多くの場合は起こりません。

 しかし、一つはっきりしていることは、病が癒されても、さらには死から蘇生できたとしても、信仰によって人間は肉体的に不死となるわけではないということです。いずれにせよ、人間はやがて死ぬのです。アイネアもタビタも死んだのです。しかし、肉体の死が絶望ではない、終わりではないということを私たちは信じています。私たちの信仰は、旧約聖書に出てくるエノクやエリヤのように死なずに天に上げられることを求めるのではなく、神による救いと、肉体の命を越えた永遠の命を求めるものです。そしてそれは、単に、逃れようのない肉体の死をごまかすための詭弁や作り話ではありません。葬儀で天の御国でふたたび会いましょうと語ることは死による別れの悲しみを紛らすための方便ではありません。私たちは信仰によって、たしかにキリストが死に勝利されたこと知っていますし、私たちにも復活に命が与えられていることを知っています。

 しかし、やはり、今日の聖書箇所のような癒しの場面、奇跡の場面を読みますと、さまざまな思いがあります。人生を重ねていくとき、多くの癒されない病や死と出会います。それはクリスチャンであれ、ノンクリスチャンであれ、変わりはありません。どれほど祈ってもだんだんと重くなっていく病を目の当たりにします。そして息を引き取られた、棺の中の方に「起きなさい」と声をかけても、その目がふたたび開くことはないのです。それが現実であるにもかかわらず、なぜ聖書には、旧約新約を問わず、癒しや蘇りの記事が多いのでしょうか。

<しるしとしての奇跡>

 6年前に一度お話ししたことをここで少し話したいと思います。7年前に私の母は逝去しました。当初軽い心筋梗塞と言われ入院し手術も成功したのですが、2週間後に急変して、亡くなりました。急変の知らせを受け、母が入院している長崎県の佐世保に向かうとき、私はたいへん動揺しました。実は、母のなくなる前の数年間、私は母とあまり良い関係ではありませんでした。いろいろな複雑な事情があったのです。もちろん、和解したいという願いはありました。が、母は認知症が急激に進み、一気にすべてのことを忘れてしまいました。ですから和解はできなくなったのです。それで―これは私の勝手な願いで、信仰的でも何でもないのですが―この地上で母と和解ができないのであれば、せめていつか母が召される時、葬儀は自分が司式をしたいと思っていました。せめて自分の手で心を尽くして母を送り出したいと思っていました。ところが母が急変したのは、私が伝道師になるための補教師試験の10日前でした。今、母が召されたら、まだ伝道師にもなっていない私が葬儀をすることはできない、母と和解もできないまま、葬儀の司式もできないまま、母が召されたらどうしようという思いがありました。

 動揺して、東京におられる牧師に相談の電話をしました。その先生には当時、献身のことなどについて、年に一回くらい相談事の電話をしていたのですが、いつも穏やかに対応してくださる方でした。しかし、そのとき、その先生は、思いがけず、いつもと違って、厳しい口調でおっしゃいました。「吉浦さん、あなたとお母さんの間にこれまで何があったかなんて関係ありません。いいですか。あなたはすでに神に召されて、いま、佐世保に向かっているのです。これからお母さんの身に何が起ころうとも、あなたは、佐世保に行って、神に召された者として、なすべきことをなしなさい。大丈夫です。おかあさんにもしものことがあったとしても、死で終わりではありません。神様の業は死では決して終わりません。だから、安心して、あなたはそこでなすべきことをなしなさい」

 いま、「タビタ、起きなさい」という言葉を読みながら、その時の言葉を思い出します。私の母は、臨終の床で目を覚まして、起きることはありませんでした。しかしまた、同時に「死では終わりではない」という先生の言葉も強く思い起こすのです。母は蘇ることなく葬られたままですが、死で神の業は終わらない、その言葉は7年たった今も真実の響きをもって私の中にあります。

 キリストの奇跡は、私たちに、終わりの日の現実を見せてくださるものです。私たちは皆、黙示録に書かれている終末の日に目を覚ますのです。「起きなさい」という声をその時私たちも聞くのです。寝たきりでこの地上で死を迎えた人も、そのとき、「立ち上がって、床を整えなさい」という声を聞くのです。かつて床に縛られていた人も起き上がり、歩むのです。聖書に繰り返し記されている奇跡は、やがて私たちが神の国で目の当たりにする現実です。

<安心してこの世の使命に生きる>

 では私たちはこの地上では奇跡なきむなしい現実を生きるのでしょうか?そうではありません。いますでに神の国は始まっているのです。キリストの到来によって、神の国はすでに開かれました。この地上で、奇跡的な癒しを目にすることはあまりないかもしれません。しかし、私たちのこの地上での現実にもやはり奇跡はあるのです。私の母の死も死では終わりではない家族の物語がその後、続きました。今も続いています。むしろ世界は奇跡に満ちています。神の力はあふれているのです。聖霊によってその力を私たちは感じることができるのです。

 その神の力の満ちているこの地上を、私たちは、それぞれの使命をもって生きるのです。神の力によって神に立ち帰らせていただきながら、神の使命に生きるのです。「あなたはすでに神によって召されている」そう東京の牧師が私におっしゃいましたが、それは私が伝道師になるからとか牧師になるからということではなく、イエス・キリストを信じて生きる者はすべて神によって召されて聖なる者とされています。それぞれに神の使命を与えられて、それぞれになすべきことをこの地上でなすのです。神のなさる奇跡の業に応答するのです。

 そしてすでに神に召された者として生きる時、アイネアの物語も、タビタの物語も深い慰めをもって私たちに響きます。自分とは関係のない、ラッキーにもキリストの力によって癒された人の遠い物語ではなく、やがて私自身が体験することになる出来事として感じることができるのです。私たちはすでに神に召された者として生きながら、今はまだ終わりの時ではありませんから、そこには苦しみも悲しみもあります。道の途上で倒れそうな時もあり、実際、力尽きる時もあります。しかし、私たちはそこでも聞きます。「起きなさい」という言葉を。やがて、終わりの時に完全な形で聞く「起きなさい」という声をこの地上でも聞くのです。やがて完全な形で聞くことができる約束の言葉として聞きます。聖霊によってその声を聞かせていただき、神に慰められ、力を与えられ、私たちはこの一週間も起きてなすべきことをなしてこの地上を生きていきます。


使徒言行録9章19~31節

2020-08-23 15:30:24 | 使徒言行録

2020年8月23日大阪東教会聖霊降臨節第13主日礼拝説教「神に与えられた出会い」吉浦玲子

【聖書】

サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、

すぐ諸会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。

これを聞いた人は皆、驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼ぶ者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。

かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、その陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁伝いにつり降ろした。

サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼が旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって堂々と宣教した次第を説明した。それで、サウロはエルサレムで弟子たちと共にいて自由に出入りし、主の名によって堂々と宣教した。また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうと狙っていた。それを知ったきょうだいたちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ送り出した。

こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和のうちに築き上げられ、主を畏れて歩み、聖霊に励まされて、信者の数が増えていった。

【説教】

<サウロの回心>

 サウロはダマスコへの途上で、復活のイエス・キリストと出会い、回心をいたしました。本日は、今日の聖書箇所の前の箇所も少し参照しながら、共に、読んでいきたいと思います。サウロは、ギリシャ語読みではパウロと呼ばれ、のちに、新約聖書のなかの多くの書簡を残す人物ですが、回心以前はキリスト教徒を迫害していました。そもそもキリスト教徒への迫害の契機となったステファノの殺害の時も、サウロは殺害者側に加担をしていました。ダマスコへ向かっていたのも、徹底的にキリスト教徒を迫害するためでした。9章の最初の部分を見ますと、熱心なファリサイ派であったサウロは、大祭司の許可を得て、「この道に従う者(キリスト教徒)を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行」しようとしていたのです。そのサウロがキリストと出会い、洗礼を受け回心をしました。劇的な回心体験をする人はときどきありますが、サウロの回心はその代表格であると言えます。

 そして回心をしたサウロは今日の聖書箇所では「すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。」とあります。洗礼を受けた後、数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいたのちの、「すぐ」です。大祭司に訴えて、意気揚々とキリスト教徒を迫害しようとしていた男が、キリストと出会って、三日間、目の見えない状態となり、回心をした。その数日後のことです。数カ月や半年ののちではないことに驚きます。当然、あの迫害者であったサウロがキリストを宣べ伝えているということで、人々は驚きました。「ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた」と22節にある通りです。

<人を苦しめる生き方、自分が苦しむ生き方>

 今日の聖書箇所の少し前の15節に「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」というサウロに関する主の言葉があります。キリストは、サウロを宣教のための特別な器として用いると語られたのです。

 サウロはもともと聖書に詳しいファリサイ派の優秀な学者でした。先ほども申しましたように、やがて新約聖書のなかの多くの書簡を記すことになる人物です。しかし、そのように優秀な人間だったから、主が「わたしの選んだ器」であるとおっしゃったわけではありません。そしてまた「すぐに」サウロがキリストを宣べ伝えることができたわけではありません。

そもそも器というのは何かを入れるものです。もちろん器そのものに芸術的な価値があるものもありますが、基本は、器は何かを入れるために用いられるものです。サウロはキリストを入れる器とされたのです。回心前のサウロという器は、律法やら自分の思いがいっぱい入った器でした。しかし、キリストと出会い、洗礼を受けて、その器はすっかり空にされました。空になったそこにキリストが満たされたのです。これはサウロに限ったことではありません。私たち皆がそうなのです。それぞれにキリストを入れる器なのです。器の種類にはいろいろあって、サウロのように異邦人や王たち、そしてイスラエルの子らに差し出される器もあります。現代の日本の家庭の中で家族の救いのために用いられる器もあれば、大阪東教会を創立するためアメリカから派遣されてこられたヘール宣教師のように、まだキリスト教が伝わっていない遠い地域へと派遣される器もあります。

 いずれにしても、キリストを入れる器とされる生き方は「わたしの名のために苦しむ」生き方、つまりキリストの名のために苦しむ生き方だと主イエスはおっしゃいました。ここを信仰生活が苦行であるかのように読んではいけません。ときどきそのように勘違いして頑張るクリスチャンがいます。奉仕や祈りを努力項目と捉えてしんどくても歯を食いしばって頑張るという方がおられます。それはむしろ神を悲しませるあり方です。

 ここでいう苦しむというのは、他者への愛のために苦しむ生き方を指します。愛することは痛みを伴います。愛の苦しみに生きる者とされるということです。キリストと出会う前のサウロは、自分の信念や熱心さのために他者を裁き、他者を苦しめる者でした。しかし、キリストと出会い、サウロは他者を苦しめる者から、他者への愛のために苦しむ者に変えられました。自分の信念や熱心さの代わりにキリストによって満たされた器とされたゆえに愛のために苦しむ者とされたのです。

<キリストの愛ゆえに>

とはいっても、実際のところ、苦しむ生き方というのは誰でも嫌なものです。もし好んで苦しもうという人があったとしたら、それはどこか歪んだ病んだ生き方、不健全な生き方です。

サウロは、なぜキリストのために苦しむ者とされたのでしょうか?一つには、自分の信念や熱心さに生きるという、本当は虚しく辛い生き方から解放された喜びがあったからです。自分の熱心さや信念に生きるあり方は美しいようで、閉鎖的な生き方です。自分のあり方にこだわる生き方です。頑固な生き方です。そしてその頑固さはおのずと人を裁き、見下すことにつながります。人を裁き見下し、苦しめる生き方は暗く、喜びのない生き方です。その生き方からサウロは解放されたのです。愛のために苦しむことはたしかに苦しいのですが、そこには苦しみにまさる明るさと喜びが与えられたのです。

さらに、何よりサウロはキリストの愛に捉えらえたので、キリストのゆえに苦しむ者とされたのです。ステファノの殺害に加担し、その後もキリスト教徒の迫害の中心にあったサウロを、キリストは責めたり罰したりはされませんでした。赦し、むしろ、使命を与えてくださいました。使命を与えるということは、信頼しているということです。信頼は愛に基づくものです。

そして赦しというとき、単に、迫害をしていたことを赦された、ということにとどまりません。サウロは自分の罪の本質を知らされたのです。熱心に神を求めていたつもりだった自分が実は神から離れていたことを知らされたのです。律法の知識と自分の熱心さをよりどころとして、神を自分のよろどころとしていなかったのです。そこに罪の本質がありました。しかし、今やサウロはキリストと出会い、まことの神のあふれるほどの愛を知らされました。キリスト者を迫害していた自分を罰するのではなく、むしろキリストは自分のために死んでくださった、そのキリストの愛を知ったのです。その愛のゆえにサウロは変えられました。

<出会いによって>

 サウロは変えられ、キリストを宣べ伝える者とされましたが、周囲の人々は、キリスト者も、キリスト者を迫害する側も大いにとまどいました。これは当然のことでしょう。そしてやがて、かつての仲間からは裏切者として命も狙われることとなりました。そのような陰謀もあり、サウロは町を離れ、エルサレムへ向かいました。

 そこで、エルサレム教会の人々と交わろうとしましたが、最初はうまくいきませんでした。キリストの弟子たちは、かつての迫害者サウロを恐れたのです。しかし、バルナバという人が仲介をして、サウロを使徒たちへ案内し、サウロは使徒たちと交わりを持つことができるようになりました。 しかし、またそこでもサウロは命をつけ狙われるようになり、エルサレムから離れ、カイサリア、タルソスへと宣教の旅に出ることになりました。そのような流れの中、教会は基礎が固まって、さらに発展し、信者の数が増えていったのです。

 キリスト教の発展の流れの中でサウロという人物の働きは大きかったのですが、しかしそれはサウロ一人ではできなかったことです。そもそもサウロが回心をし洗礼を受ける時、迫害者であったサウロを受け入れ洗礼を授けたアナニアという弟子の存在は大きなものでした。そしてまた回心後のサウロを殺害する動きに対しては、町の城壁から籠に乗せてサウロをつり降ろしてくれた弟子たちの助けがありました。そしてまたエルサレムで最初は相手にされなかったサウロを仲介してくれたバルナバの存在もありました。ちなみにこのバルナバは、4章で持っていた畑を売り払い教会に捧げたと記されている人物です。バルナバとは慰めの子という意味だとも記されています。この慰めの子であるバルナバは、サウロのこれからのちの初期の伝道旅行の同労者となります。

 この世において成功なさった方が「人に助けられました」とか「人に恵まれました」とおっしゃるのをよく聞きます。たしかにどのようなことでも、一人の力でできることはなく、助けてくれる人物、支えてくれる人々があってはじめて成し遂げられます。サウロにもアナニアにはじまり多くの協力者があったのです。

 この世においては、人脈を広げるとか、コミュニケーション能力を高めるということが良くいわれます。そうすることによって協力者が得やすくなりますし、さまざまな新しいチャンスを得ることができるようになります。

 しかしサウロの場合、サウロ自身が人脈を広げたりコミュニケーション能力を高めた結果、恵まれた出会いが与えられたわけではないと考えられます。そもそもキリスト者の迫害者であったサウロがどんなに頑張っても、通常ならば教会の中で大きく働けるように導いてくれる協力者はなかなか与えられないでしょう。しかし、実際はすみやかに与えられました。神によって与えられたのです。

<聖霊言行録>

 春から、使徒言行録を共にお読みしておりますが、最初の頃、使徒言行録は聖霊言行録とよく言われると申しました。使徒言行録を物語として読みますとき、使徒たち、弟子たちの生き生きとした様子が感じられます。迫害や試練の中でもめげることなく宣教に励む姿が見えます。今日の聖書箇所でも神の教会は広がって行ってることが書かれています。しかし、それは当時の教会の人々が頑張って教会が発展したということではありません。たしかに、ペトロが、ステファノが、そしてサウロが、実に生き生きと宣教をしています。しかし、宣教の主体は聖霊です。聖霊が弱かったペトロに力を与え、ステファノの殺害の場にサウロを導き、アナニアをサウロのもとに遣わし、また助け手としてバルナバが与えられました。これらはすべて聖霊の働きです。

ところで、これまでも使徒言行録を読み進めております中で、何回か引用しましたが、使徒言行録の第一章で主イエスが天に昇られる前、おっしゃった言葉があります。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

これまで読んで来た使徒言行録において、主イエスがおっしゃったように、エルサレムばかりでなくユダヤとサマリアの全土に教会は広がりました。そして今まさにサウロとバルナバはイスラエルの範疇を越えた世界へ宣教へと向かおうとしています。やがて当時の世界の中心であったローマにまでサウロは到達します。主イエスの言葉通り、地の果てまでキリストの証人が起こされようとしています。

キリスト教の宣教の業は何より神のご計画の中にありました。聖霊なる神が主体となり推し進められました。ペトロもステファノもサウロも、聖霊なる神に突き動かされて働きました。現代に生きる私たちもまた、聖霊なる神によって導かれています。

しかしそれは、人間が神の繰り人形のように生きるということではありません。結局すべて神がおぜん立てされて、その筋書き通りに人間が働くだけであれば、そこには何の喜びもありません。神の側の喜びも人間の喜びもないのです。

神はそのあふれる愛で人間を捉え、その愛への応答として、御自分に喜んで従う者を求めておられます。神が怖いから、地獄に落ちたくないから服従するのではなく、神と愛し愛される関係の中で、神に従う者を求めておられます。ペトロもステファノもサウロも神に愛され応答し、神に従う者とされました。神に応答する者たちは、互いに神によって結びつけられます。神によって人と人が結ばれるところに宣教の業は豊かに花開きます。かつていがみ合っていたユダヤ人とサマリア人が和解したところに福音が豊かに花開いたように、迫害者であったサウロとエルサレム教会の使徒たちとの交わりを契機にして、さらに教会は発展しました。

私たちの教会も、そしてまた私たちのそれぞれの場所での日々も、神に愛され、応答していく歩みの中で祝福されます。時に神に素直に応答できない時もあるかもしれません。そのようなとき、神は無理強いはなさいません。私たちには神に応答することにおいて自由があります。拒否権もあるのです。しかしその自由の中で、時には葛藤しながら、なお神に応答して生きていくとき、私たちは愛の恵みの内に生かされます。私たちは自由な者として喜びのうちに神に従います。そして聖霊によって導かれ歩んでいきます。


使徒言行録8章16~40節

2020-08-16 14:31:35 | 使徒言行録

2020年8月16日大阪東教会聖霊降臨節第12主日礼拝説教「導き手は与えられる」吉浦玲子

【聖書】

さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。

彼が朗読していた聖書の個所はこれである。

「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。

卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」

宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。

道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」

<底本に節が欠けている個所の異本による訳文>

フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。

そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った

【説教】

<寂しい場所>

 「さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。」とあります。そしてそこは「寂しい道である」と記されています。

 フィリポのサマリア伝道は大きな成果を上げました。それはサマリアに福音が告げ知らされ、多くの人々が救われた、ということのみならず、エルサレムの教会にとっても、大きな喜びが与えられた出来事でした。歴史的な経緯から、仲の悪かったユダヤ人とサマリア人の間の障壁を神が取り除かれた出来事でした。まことに神は人をわけ隔てなさらず福音を与えられることが分かったのです。けっして、取り去ることのできないと思われていた人間の間の壁が壊れました。神が壊されました。神がすべての人々を愛し、人と人炉の間の壁も壊される、そのことが示され、人々は喜びに満たされたのです。特に、それはユダヤ人中のユダヤ人、神から特別に選ばれた民という自負のあったヘブライ語を話すユダヤ人で構成されていたエルサレムの教会の人々にとって、人種的にも宗教的にも他民族と混血していたサマリアの人々にも聖霊が注がれ、救いを与えられたことは驚きであり、神の偉大さをいっそう知らされる出来事でした。

 その喜びの出来事ののち、フィリポは突然、エルサレムからガザへ下る道へ行けと言われます。寂しい道へ行けと言われるのです。通常、伝道をするなら、にぎやかなところのほうが有利のように感じます。実際、開拓伝道をする時、教会は人が集まりやすい場所に建てます。明治時代、宣教師がやってきて、こぞって伝道を始めた時、大阪では、現在の市内の中心部に各教派は拠点となる教会を建てました。現在の中央区をはじめとしたこの地域には明治初期に建てられた、創立140年150年といった教会がたくさんあります。大阪東教会もそのひとつです。しかし、フィリポは寂しい道へ行かされました。

 少し前に、私はある先輩牧師から「あなたも寂しい道へ行きなさい」と言われたことがあります。キリスト教の伝道の行き詰まりが言われて久しい時代ですが、それでも大阪市内はまだまだ恵まれている地域です。人の流動もあり、新しく教会に来られる方もおられます。この地域は寂しくはない、にぎやかなところなのです。しかし、これが一歩、中心部から離れると、ましてやもっと地方に行くと、人の流動はなく、本当に寂しいところなのです。そういう地域での伝道は過酷を極めます。しかし敢えて、牧師は寂しいところへ行くべきだとその先生はおっしゃいました。そして実際その先生は関西での牧師生活から隠退され、地方に移住をされました。寂しいところで生きていく決意をされたのです。

 しかしまた、寂しいところとは、単に、人のいないところ、栄えていないところ、ということだけではありません。ある意味、クリスチャンとして生きるということは寂しいところで生きることという側面があるのです。多くの人の称賛を浴びたり、称賛を浴びることはないにしても達成感や自己実現を得るというところとは少し違う生き方をすることになるのです。ヨハネによる福音書の21章でペトロに対して、「あなたは若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」と主イエスはおっしゃっています。両手を伸ばし、帯を締められ、行きたくないところへ行くということは十字架にかかるということを暗示している言葉ですけれど、寂しいところへ行く、人のあまりいないところ、一般的な賞賛を受けにくいところへ行くということでもあります。

 ここには、まだ受洗して間もない方もおられますが、このようなことをいうと、せっかく洗礼を受けたのに、これからなにかわびしい人生が待っているのかとがっかりされるかもしれません。もちろんがっかりなさる必要はありません。人間的な目で見たら寂しい道でありながら、本当の意味での豊かな確かな道、実りが与えられる道へと信仰者は導かれるのです。

<あの馬車と一緒に行け>

 寂しい道へ向かうフィリポには迷いはありませんでした。「すぐに出かけて行った」のです。そこでエチオピアの宦官に出会います。エチオピアとありますが、現在でいうとスーダンに近いところであったようです。この宦官はエチオピアの女王の全財産の管理を任されるほど地位の高い人でした。エルサレムに礼拝に来たというのは、この人は、異邦人でありながらユダヤ教を信じる人であったと考えられます。

 その宦官とフィリポはまさにこの時しかない、という出会いをします。神が備えてくださった出会いです。宦官はまさにイザヤ書53章を読んでいたのです。これはイザヤ書の中のキリスト預言の箇所の一つです。

 ここは来るべき救い主が華々しいお姿で来られるのではなく、みじめな僕の姿で来られ苦難に遭われることが描かれています。つまりイエス・キリストの十字架の出来事を預言しているのですが、聖霊の導きがなければそれは理解できないことです。イザヤ書は何百年もユダヤで読まれながら、ペンテコステの時まで、その本当の意味は理解されていなかった箇所です。

 フィリポは「読んでいることがお分かりになりますか」と問います。宦官は「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう。」と答えます。突然現れたフィリポに素直に宦官は手引きしてくれるよう頼みます。地位が高くともこの宦官はたいへん謙遜に教えを乞うたのです。そもそもこの宦官は、神を求めて、エルサレムまで宦官は礼拝に行ったのです。現在のエチオピア、スーダンからエルサレムまでというのは2000キロほどもあります。その距離を旅してもぜひエルサレムに行きたかったのです。神を求めていたのです。しかし、彼は満たされなかったのです。神殿に行き、祈り、律法学者の聖書の話を聞いたかもしれません。ユダヤ教は、現在でもそうですが、律法の定めに手順に従えば、異邦人でも信仰者となることができます。正式にユダヤ教に改宗した異邦人はユダヤ人として扱われるのです。しかし、宦官であったこの人は、去勢された者は神の会衆に加わることはできないという律法の定めによって神の会衆に加わることは許されなかったのです。どれほど地位が高く、お金を持っていても宦官は神の民とはなれなかったのです。神を求めながら、満たされない思いの中で、宦官は当時たいへん高価だった聖書を入手して帰路についていたのです。その聖書を読みながら、いっそう神への求めが高まっていたまさに、その時、フィリポは「あの馬車と一緒に行け」と示されたのです。このフィリポと宦官の出会いは、神を求めていた宦官にとって恵みであったと同時に、伝道者フィリポにとっても幸いでした。伝道者は福音を聞く人と出会うことが何よりの幸いだからです。どれほどたくさんの人がいても、だれも神に興味がない、福音を聞く耳を持たない人々の中では伝道者は働くことができません。ですからこの出会いは二人に神から与えられた素晴らしい時間だったと言えます。

<ここに水があります>

 神を求めていた宦官は乾いた綿が水を吸うように、フィリポを通して語られた福音を受け取りました。彼はエルサレムで得られなかった真理を、この寂しい道の途上で得たのです。彼が求めていた神は宦官だからあなたを受け入れないとおっしゃる神ではなかったのです。ですから、フィリポが躊躇なく、寂しい道へと向かったように、宦官にも躊躇はありませんでした。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」そうフィリポに提案します。フィリポの答えは本文には記されていません。しかし、十字のようなしるしがあります。これは翻訳をする時、多くの聖書の写本を参照するのですが、信ぴょう性の高い写本に欠けているけれど、いくつかの写本には記されている部分があるというしるしです。それが脚注のような形で272ページに記されています。そこを読みますと「「フィリポが、『真心から信じておられるなら、差し支えありません』と言うと、宦官は、『イエス・キリストは神の子であると信じます』と答えた」。とあります。異邦人であれ、宦官であれ、神は心から信じる者を受け入れられるそうフィリポは答えました。それに対して、フィリポはイザヤ書の53章で語られた苦難の僕がイエス・キリストであり、この方こそ神の子であると信仰告白をしたのです。

 福音の真理を知ることは、それは、新しく生きることと直結します。福音は知識ではなく、生き方を根本から変える力です。福音を聞きながら、生き方を変えないあり方は実際のところ、福音が知識でとどまっている状態です。福音は力であり、命そのものです。それゆえ福音は人を洗礼へと突き動かすのです。ヨハネによる福音書の3章でニコデモとの会話のなかで、主イエスは「はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」とおっしゃいました。知識として十字架や復活のことを聞いていてもそれだけで神の国を見ることはできないのです。自分で考えを改めたり、新しい行動を起こしたりしても神の国は見ることはできません。新たに生まれなければならない、そう主イエスはおっしゃいました。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」水と霊によって生まれるとは、洗礼を指していました。洗礼は単なる儀式ではありません。人間の目にはただ数滴の水が頭に垂らされるだけのものです。しかし、そこで起こっていることは死と復活なのです。古い命に死に、新しい命に復活をする出来事が洗礼では起こっています。

 宦官は「ここに水があります」そう言いました。彼は福音の力に突き動かされました。フィリポが「洗礼を受けられては?」と促す前に、「洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」と言いました。神を求めていた宦官は、聖霊によって御言葉を聞きとり、命へと促されたのです。フィリポはただちに洗礼を授けました。

<喜びにあふれる>

 さて、最後の部分に不思議なことが書かれています。洗礼を終え、水から上がったとたん、「主の霊がフィリポを連れ去った」とあります。宦官は洗礼によってキリストと結びつけられました。新しい命に生かされる者とされました。洗礼の後、キリストを指し示してくれたフィリポの姿は見えなくなりました。しかし、宦官はすでにキリストと結びついていたのです。ですから「喜びにあふれた」のです。喜びとはキリストと共にあることです。そしてキリストと共にあることを示してくださるのが聖霊です。

 普通なら短い時間とはいえ、キリストを指し示し、福音をかたってくれた先生であるフィリポと唐突に別れてしまうというのは寂しいことです。しかし宦官は喜びにあふれました。宦官が冷たい人だったからではありません。洗礼は、宦官とフィリポの間のことではなく、宦官と三位一体の神とのことであったからです。フィリポは確かに宦官を神へと、救いへと導きました。しかし、ここで大事なことはフィリポは確かに神に従順に寂しい道へ行き大事な働きをしましたが、宦官の救いはあくまでも神の働き、ことに聖霊の働きであったということです。

 宦官は喜びにあふれて旅をつづけました。一方、フィリポは数十キロ離れたアゾトに現れました。フィリポもまた宦官との別れを悲しむことなく、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせました。

 私たちにも私たちを神へと導いてくださったフィリポがそれぞれにいます。ひょっとしたらそれは人間ではなく書物であったり音楽であったりしたかもしれません。しかし、神を求める者には必ず導き手が与えられます。もちろん聖霊ご自身が最大の導き手といえます。同時に、聖霊によって、そのときもっとも必要とする人間を私たちは導き手として与えられることもあります。しかしまた、聖霊の働きは風のように、どこからきてどこへいくか分からないものです。でも、たしかに私たちは導かれます。寂しい道へと導かれます。しかし、そこは目には見えなくても実は恵みにあふれた道です。フィリポに宦官が与えられたように、私たちも寂しいところで、かけがえのない出会いをします。よろこびに満ちた奇跡を体験します。今は天におられ目には見えないキリストを信じる信仰は、現実に目に見えるこの世の素晴らしいものを越えた喜びを与えてくれます。一見、にぎやかで豊かに見えるところには決してない、真実の恵みを与えてくれます。聖霊に導かれて歩む寂しい道は孤独な歩みのようで孤独ではないのです。人間を新しくし、命の輝きを増し加える愛の交わりに満ちた喜びの道です。

 


使徒言行録8章1b~25節

2020-08-09 14:53:32 | 使徒言行録

2020年8月9日大阪東教会聖霊降臨節第11主日礼拝説教「」吉浦玲子

【聖書】

その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。

さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。

ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。

エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」

このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。

【説教】

<神がゆるされること>

先週は平和主日でした。日本基督教団では八月第一主日は平和主日と定められています。教会のみならず、八月は日本において平和について深く考えるべき月です。しかし、年年歳歳、戦争や平和についてメディアに乗ることは少なくなり、今年は特に新型コロナウィルスのことで大変な状況ですので、いっそう、戦争や平和について語られたり報道されることは少ないようです。とはいえ、今日は長崎に原爆が投下された日です。私は長崎県出身ですが長崎市内ではなく県北部の佐世保市の出身ですので、長崎市内のように原爆の痕跡が残っているなかで育ったわけではありません。それでも子供のころは被爆経験のある人が数人は周囲にいましたから、原爆のことはある程度、同世代の他地域の方よりリアリティをもって感じられるかもしれません。

ところで、ある方がおっしゃいました。「どのような理不尽でひどいことでも、それが現実に起こっているということは、それが起こることを神がゆるしておられるということだ」と。これは個人の人生においても、社会においても、教会においてもそうです。だとするならば、広島や長崎への原爆投下も神がゆるされたことなのでしょうか。大阪でいえば、大阪大空襲で多くの方が犠牲になったことも、この大阪東教会の会堂が焼け落ちたことも神はゆるされていたのでしょうか。あるクリスチャンが、長崎への原爆投下は、神への燔祭-焼き尽くす捧げもの―として長崎が捧げられたものだと語ったそうです。その方は、ご自身も被爆され家族も失われましたが、神の大きな摂理の中で、原爆というものを捉えようとされたのです。原爆は神の摂理の中にある、すなわち神のゆるされたことだと考えられたのです。しかし、これは誤解を与える危険のあることでもあります。そもそも戦争や、原爆投下は、人間の罪によって引き起こされたものです。神の摂理だから、神がゆるされたからといっても、戦争や原爆投下を引き起こした人間の罪が正当化されてよいわけではありません。

しかしまた人間の罪による悲惨も含めて、そこにも神の摂理が働いているということは事実です。本日の聖書箇所では、ステファノの殺害が契機となり、教会への迫害が燃え上がったことが書かれています。これまで順調に成長してきた教会が大打撃を受けます。純朴にキリストを信じ、持ち物も共有する平和な信仰生活を送っていた人々が次々と牢に送られました。そもそも教会は最初からけっして反社会的な存在ではありませんでした。もともとは教会外の人々からも好意を持たれていた存在でした。しかし、悪意を持った一部の人々の策略が発端となり、ステファノが殺害され、迫害が始まりました。たいへん理不尽なことでしたが、一度火のついた迫害の嵐は簡単には収まりませんでした。多くのキリストの弟子たちはエルサレムから逃れました。しかし、逃れつつ、伝道をしたのです。「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」とあります。「散って行った」とありますが、これは原文では、「散らされた」と受け身形で書かれています。弟子たちの意志ではなく、散らされたのです。誰が散らしたのか?それは、迫害者ではなく、神なのです。迫害そのものは人間の嫉妬やかたくなさという罪の表れですが、神は迫害の起こることをゆるされ、むしろ大きな歴史の中でご自身の業を前進させられました。何回か語ってきたことですが、この使徒言行録の時代のみならず、キリスト教の歴史において、迫害によって繰り返し弟子たちが散らされたことは、散らされた先で新しく福音が伝えられる機会になったのです。しかし現実的なことを考えますと、もともとの生活基盤を失って、散らされた人々が、細々と、慣れない土地で伝道をするのはたいへんな困難があったでしょう。そもそも生きていくための糧を得ることからしてたいへんだったでしょう。迫害のなかでステファノのように命を落とした者もあったでしょう。それぞれの状況を個別で見ますとひどい話です。しかし、なお、いよいよ福音は伝えられました。迫害を通して、神はさらに多くの人々を救おうとされました。ただ、神は結果的により多くの人に福音が伝えられれば、個々の人々が苦しもうが、個別の教会が迫害で立ちいかなくなっても構わないということではありません。散らされた弟子たちそれぞれに神の顧みがあり、そこに恵みがあったのです。

<魔術ではない>

そんな散らされた弟子たちの一人フィリポはイスラエル北部のサマリアで伝道をしました。そのフィリポにも神の顧みがありました。サマリアでの伝道は順調でした。汚れた霊に取りつかれた人たちも中風や足の不自由な人も癒され、町の人々は大変喜びました。

そこにシモンという人が出てきます。この人は魔術を使って人々を驚かせて人々から注目されていました。客観的に見ますと、不思議なことを行うという点においては、フィリポも、このシモンという男も同じなのです。実際、人々は長くこのシモンの魔術に心を奪われていたのです。シモンは「この人こそ偉大なものと言われる神の力だ」と人々から言われていました。そしてその称賛をシモン自身も否定しなかったと考えられます。シモンは魔術によって自分を偉大なもののように人々に見せていたのです。これはたとえば使徒言行録の3章で生まれつき足の不自由な男性を癒したペトロとヨハネとはずいぶん違う姿勢です。ペトロとヨハネは、ペトロとヨハネたちが足の不自由な人を癒したと思っている人々に「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見るのですか」と言っています。ペトロとヨハネは、この足の不自由な人が歩いたのは自分たちの力でも信心によるのではなく、神の力なのだと語りました。今日の聖書箇所でもフィリポはシモンのように自分を偉大なものと自称することはせず、神の国とイエス・キリストについて告げ知らせました。

そもそも聖書には人智を越えた奇跡が多く記されています。キリストご自身のみならず弟子たちもまた奇跡的なことを行いました。今日の聖書箇所のフィリポもそうです。神や弟子たちによる奇跡と、シモンが魔術で人々に見せていたようなものは、見ようによっては同じに見えるのです。不思議なことが起こるという点においては同じように見えるのです。

旧約聖書の出エジプト記を読みますと、イスラエルの人々を解放してほしいとモーセがエジプト王ファラオと交渉します。その交渉において、神が奇跡を行い、神の力を知らしめてファラオに決断を迫ります。しかし、その奇跡のうちのいくつか、たとえばナイル川を血に変えるとか、かえるを大量発生させると言った事柄はエジプトの魔術師にも同じことができたのです。さらにいえば、新約聖書の時代、今日の聖書箇所でも、病の人が癒されるという記事がありますが、2000年前の病の多くは現代であれば医学によって癒される可能性があるでしょう。では医学を使って病を癒す現代の医師は神と並ぶ存在なのでしょうか。もちろんそうではありません。普通の人間にはできないことが起こるという点においては、神のなさることも、魔術師や現代の医者がなすことも変わりません。もちろん魔術師はともかく、医者は人間を病の苦しみから救ってくれるのですから感謝な存在です。

医学は人間にとってありがたいものではありますが、神の業は、人間を神に結びつけるためになされる点において、人間がなすこととは異なります。魔術や医学や科学技術によって奇跡的がことができたとしてもそれは神の業とは根本的に違います。神の業によって、病が癒されたり不思議なことが起こるのは、人びとを神の国へと導くための入口に過ぎません。その入り口が派手で、目をくらませるようなものであっても、その内側に、まことの救いと平安がなければ、奇跡はただの一過性の魔術のようなものです。肉体の病が癒されても、そののちの人生が罪にまみれ、不安と絶望に満ちたものであれば意味はありません。しかし神の業は魔術ではなく、信じる者を、救いへ、平安へ、そして永遠の命へと導くものです。

<聖霊が与えられる>

 そのようななか、エルサレムからペトロとヨハネがやってきます。「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた」ペトロとヨハネが祈ると、サマリアの人々が聖霊を受けたと記されています。ここは、読まれて、混乱される方もおられるのではないでしょうか。フィリポから洗礼を受けたのに、サマリアの人々は聖霊を受けていなかったのはなぜなのか?迫害によって人々が散らされたはずのエルサレムになぜ使徒たちが残っているのか?本来迫害のターゲットになるのは、ペトロやヨハネといった教会のリーダーであるペトロやヨハネといった使徒たちであるはずではないか?この箇所は、さまざまに解釈をされている部分です。

 ここで考えられるのは、最初の殉教者のステファノを初め、サマリア伝道をしていたフィリポもギリシャ語を話すユダヤ人であったということです。ギリシャ語を話すということは、もともとイスラエル外にいて、イスラエルに戻ってきた帰国者であるということです。それに対してペトロやヨハネたちはもともとからイスラエルにいるヘブライ語を話すユダヤ人でした。そもそもステファノが陥れられたのは、ギリシャ語を話すユダヤ人からでした。そういうことから考えると、迫害は、ギリシャ語を話すユダヤ人を中心に起こっていたといえるでしょう。ヘブライ語を話すもともとイスラエルにいた人々への迫害はゆるやかでペトロたちはエルサレムにとどまることができたと考えられます。

 ではなぜ、フィリポの洗礼では聖霊が与えられず、ペトロやヨハネが祈ると聖霊が与えられたのでしょうか?六章を読みますと、フィリポは使徒ではなく、今日でいうところの執事という職務にあったことが分かります。これをもって、聖霊を授ける権能は使徒だけにあり、執事であるフィリポにはなかったのだと解釈する人もいますが、おそらくそうではないでしょう。

 ここにはユダヤ人とサマリア人の問題があります。サマリアはもともとイスラエルのなかの地域でしたが、イスラエルがソロモン王の以降、南北に分裂し、北の王国がアッシリアによって滅ぼされたのち、外国人が多く入ってきた地域です。人種的にも宗教的にも混血してしまった地域です。また歴史的にもユダヤ人と、その混血したサマリア人の間には争いがありました。ユダヤ人とサマリア人は仲が悪かったのです。福音書にはサマリアの女の話や、良いサマリア人といった話が出てきます。ことさらにサマリア人ということを出しているのは、そもそもユダヤの人々の間で、サマリアを劣った者たちと見ていたからにほかなりません。ある意味、自分たちこそ純潔のユダヤ人と思っている人々からしたらサマリア人は異邦人よりもゆるしがたい近親憎悪的な感情がありました。

 その異邦人よりも劣っていると思っていたサマリアの人々が主イエスを信じ、受け入れたということはヘブライ語を話す純然たるユダヤ人からなるエルサレムの教会の人々にとって驚きだったと思われます。神を知らず、劣っていると思っていたサマリアの人々が自分たちと同じように神の業を受け入れたと聞き、とりもなおさず、使徒たちが派遣されてきたのです。実際に、サマリアの人々は神を、主イエスを受け入れていました。それを見て、ヘブライ語を話すユダヤ人である使徒たちは心打たれたのです。人間をわけ隔てなさらない神の御業の偉大さを知ったのです。福音がすべての人々に開かれていることを知ったのです。もともと教会の中でも、ヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の間でいさかいがあったくらいです。ましてや純然たるユダヤ人ではないサマリア人へのユダヤ人から見た偏見は大きなものです。しかし、ユダヤ人とサマリア人の間の壁が壊れました。まことの和解が起こったのです。主にある交わりが実現したのです。その主にある交わりの中に聖霊が降ったのです。ペトロとヨハネがすぐれているから聖霊が降ったのではなく、まことの神の前の交わりのなかに聖霊が降ったのです。聖霊は交わりの霊でもあるからです。逆に言いますと、人間的な分裂や差別の中には聖霊は降らないのです。聖霊が降ったということは和解の象徴であり、真の交わりの表れなのです。

<神のプレゼントは無償>

 その喜ばしい状況をみて、魔術を使っていたシモンはよからぬことを考えます。使徒言行録の時代、聖霊ははっきりした形で人々に降ったようですが、それを見たシモンは、お金を積んで、自分にも聖霊を人に与えられる能力をもらいたいと使徒たちに言いました。実に愚かなことです。和解と交わりの象徴である聖霊を、お金で自在に繰れると思っているのです。

 そもそも聖霊というのは、人間が自由に所有したり与えたりはできない神の力です。聖霊が降り、聖霊に満たされる、ということは、聖霊に支配されるということです。それはキリストに支配されるということと同じ、むしろ自分を神のものとしてゆだねることです。

聖霊を自由に所有したり与えたりすることはできませんし 自分のために利用することはできません。シモンという男は愚かなのですが、私たちもまた、同じような愚かなことをしたり考えたりすることがあると思います。自分の利益のために神の力を求めたり、自分の努力や信仰の強さで神の力が与えられると思ったりします。

 自分が努力して得たお金で買ったものは、たしかに自分のものです。しかし、神の力は、自分の努力で得るものではありません。和解と交わりの中で、サマリアの人々に聖霊が降ったように、私たち自身が神と和解をしてその喜びのなかで神の力が注がれます。罪の中で自分の力を頼りに生きていた私たちが、キリストの十字架によって罪赦され、神との隔たりが取り去られたところに、神の力が与えられます。自分の努力や力を放棄したところに無償で神の力は注がれます。ヘブライ語を話すユダヤ人が自分たちこそ純潔のユダヤ人で神の民だと自分を誇っていたように、自分の中に何か良いものがあると誇っている時には神の力は注がれません。ただただ神の力はプレゼントなのです。私たちは喜びをもってそのプレゼントを受けるのです。ヨハネの黙示録で「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、値なしに飲むがよい。」と言われます。この世界で最も価値のあるものは値なく神からいただくものです。人間には値をつけることも、支払うこともできない高価なものです。その最高に高価なものを私たちは今喜んで受けます。


使徒言行録7章49節~8章1a節

2020-08-02 14:50:57 | 使徒言行録

2020年8月2日大阪東教会聖霊降臨節第10主日礼拝説教「」吉浦玲子

【聖書】

『主は言われる。「天はわたしの王座、/地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。 これらはすべて、/わたしの手が造ったものではないか。」』

かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」

人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。 人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、 都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。 それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。

【説教】

<救いの歴史の中で>

 私たちはたしかに人生の中で神と出会い、救いを与えられます。闇から光へ、苦しみから平安へと移されます。そこには一人一人の救いの物語があります。劇的な救いを経験する人もいれば、穏やかにいつまにか神に導かれている人もいるでしょう。そして、それぞれの信仰体験のなかで聖書を味わっていくとき、それぞれの個別の救いの物語が大きな神の物語のなかに入れられていることを知ります。私自身の嘆きの物語がサムエル記のハンナの祈りと繋がります。自分の苦難の経験が出エジプトの民の荒れ野の旅と重なったりします。詩編の詩人たちの嘆きや賛美が私自身の嘆きや賛美そのものになります。

 聖書の神は私たちの神であり、私たちもまた神の民とされているからです。アブラハム、イサク、ヤコブの神は、21世紀を生きる私たちの神でもあります。そして、数千年の時間を越えて、9000キロの距離を越えて、私たちの日々は聖書の時代の人々と結ばれています。

 さて、神と神殿と律法を冒涜しているとして訴えられたステファノは長い説教をしました。偽証人が立てられ、たいへん不利な状況でした。自分の命を大事に思うなら、このような説教はしない方が良かったでしょう。しかし、ステファノは堂々と語りました。アブラハムからモーセ、ダビデ、ソロモンにわたって神の救いの御業を語りました。それは、自分が神や神殿や律法を冒涜しているわけではないことを弁明するものでもありました。しかし、それ以上に、キリストを信じる信仰がアブラハムの時代からの壮大な神の救いの歴史のなかにあることを語りました。神の救いの歴史の中で、今現在、何が起こっているのか、自分と自分を訴える者たちがどういう位置づけなのかを語ったものです。これは現代においても重要なことです。さまざまな課題を、聖書に記されている救いの歴史の中から見る必要があります。ステファノは神の救いの歴史から、今現在自分が置かれている状況を語りました。

<神さまバイバイ>

 さて、今日の聖書箇所の少し前のところでステファノは語っています。「天はわたしの王座。地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家を建ててくれるというのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。(イザヤ66:1-2)」ここでは、神は人間の作ったものの中に縛られる存在ではないということが語られています。実際、アブラハムは旅をしながら、折々に祭壇を築き礼拝をしましたが、ひとつところに神がおられるわけではないことを知っていました。出エジプトの民も幕屋というテントで神を礼拝しました。荒れ野を歩む民と共に神がおられたのです。初めて神殿を建てたソロモンも、神が人間が造った神殿のなかにとどまられるお方ではないことを知っていました。幕屋や神殿は確かに神を礼拝する場ではありますが、神はそこにだけおられるのではありません。神に祈り神を礼拝する者と共に神はおられます。

 ところで、幼稚園が併設されている教会の牧師をしていた方からお聞きしたことです。幼稚園での活動が終わって子供たちが家に帰る時、子供の中には教会の会堂に向かって「神さまバイバイ」と手を振って帰る子がいたそうです。神様が教会の会堂に住んでおられるとその子供は思っていたのです。子供には悪気はもちろんないわけですが、神さまが会堂に住んでおられるというのは間違いです。しかし、それは、ことに日本人にはなじみやすい感覚です。ご本尊みたいなものがどこかにあって、そこに拝むべき方いるという感覚です。しかし、聖書に語られている、天地創造をなさった神は、神殿や教会の会堂にのみおられるのではありません。これは特にプロテスタントの教会で大事にしてきたことですが、神は、神を信じ求める者といつも共におられます。もちろんこの会堂にも、今、神はおられます。それはこの会堂が神の住みかということではなく、神は礼拝を捧げる私たちと共にいてくださるからです。会堂の建物それ自体が神聖なものではない、と言いますと、驚く方もおられるかもしれません。しかし、会堂は祈りと礼拝を捧げる人間がそこにあるとき、特別な場となるのです。それは旧約聖書の預言者たちも繰り返し言ってきたことです。旧約聖書の時代、神は神殿にのみいるという誤った考えを預言者たちは繰り返し警告しました。神殿で祭儀を行いさえすればよいと考え、普段の生活はまったく神から離れているあり方を預言者たちは批判したのです。神は神殿がご自分の憩う場所だなどとは思っておられないとイザヤも言ったのです。神殿や会堂を出るとき「神さまバイバイ」といった幼稚園児のように普段の生活では神様から離れてしまう人々を預言者は批判していました。

 ステファノを批判する権力者たちもまた神は神殿におられると思っていました。逆に言いますと、神殿の外では「神さまバイバイ」だったのです。神殿では厳粛にさまざまに祭儀を行い、日々の生活の中では形式的には律法を守っていましたが、そこにはまことの神への愛、神への従順はなかったのです。

<聖霊に逆らう>

 ステファノは「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています」と語ります。聖霊は、キリストを指し示してくださる神です。キリストによって父なる神の愛と救いが人間にもたらされました。そのことを聖霊は示してくださるのです。つまり聖霊によらなければ人間は神の愛と救いは分かりません。聖書を読み、キリスト教の教理を学ぶことは大事なことです。しかし、そこに聖霊の働きがなければ、ただのお勉強になります。ただのお勉強からは神の愛と救いは分からないのです。冷たい信仰になるのです。会堂で荘厳な礼拝を捧げればよい、立派な朗々たる祈りを捧げたらよい、信仰者らしい振る舞いをすればよい、ということになります。本人はいたってまじめで熱心に信仰を実践しているつもりでも、そこには神の愛と救いへの本当の喜びがありません。ステファノを批判する神殿主義者のサドカイ派や、律法主義者のファリサイ派の信仰と変わらないのです。

 なぜ聖霊が働かないのでしょうか?ステファノは「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち」と言いました。かたくなという言葉は、ギリシャ語の元の意味は「首が固い」ということです。英語でも「stiff-necked」と訳される言葉です。首が固い、首が凝った状態です。私もパソコンを長く使っていると同じ姿勢が続いて首が凝ってしまいます。血の巡りが悪くなり頭まで痛くなります。蒸した熱いタオルなどで血行を良くすると凝りが取れて楽になります。首が固く、ガチガチに固まっていると全身状態まで悪くなるのです。「心と耳に割礼を受けていない」というのも同じ意味です。割礼は旧約聖書の時代から、神に従うしるしとして男子の包皮を取り去る習慣ですが、心と耳が包皮に包まれているようにかたくなである状態だというのです。

 なぜかたくななのでしょうか?同じ姿勢をつづけると首が固くなるように、動きのない状態であることが原因の一つです。心がかたくなということは、心に動きがないのです。自分に固執しているのです。自分の考え、自分の思いに固まっていると心がかたくなって聖霊が働かなくなります。自分のやり方、慣習、流儀に固執して、本当の生き生きとしたあり方を失ってしまうのです。伝統ある教会がまことの信仰の命を失い、聖霊の働かない権威主義に陥ることが多々あります。それは、教会のあり方がかたくなとなり、心と耳に割礼を受けていない状態になるからです。そこには聖霊が働きません。むしろ自分では信仰熱心なつもりでも聖霊に逆らう者となってしまうのです。そして聖霊による言葉をかたくなに拒否するようになるのです。

 一方で、聖霊が働いた状態とは、しっかりとキリストとが示されている状態であり、それはとりもなおさず、キリストに支配していただいている状態です。支配というと自分の自由がなくなるような気がするかもしれません。しかし、本来、洗礼を受け、クリスチャンになるということは、自分をキリストの支配にゆだねることです。それまでは自分の主権は自分にありました。その主権をキリストにお返しするのが洗礼です。洗礼によって聖霊をいただき、キリストに支配していただいているにもかかわらず、ふたたびかたくなになり、聖霊に逆らう者に戻らぬよう、たえず祈りのうちに、信仰の心が生き生きと動きをもっていることが大事です。

<神の慰め>

 ところで、加藤常昭先生のある本に「慰め」という言葉の説明が書かれていました。お聞きになったことのある方もおられるかと思いますが、「慰め」という漢字は心にアイロンを当てることをあらわしています。ごわごわ、しわしわになった布にアイロンをあて、まっすぐにやわらかなものにするように、心にアイロンをあて、心をまっすぐにやわらかなものにするのが慰めだと説明されていました。

 聖霊に逆らう頑なな心はごわごわ、しわしわで慰めがないのです。自分の主権にこだわり、自分のやり方、自分の思いを押し通す時、すべてが自己責任となります。大人はたしかに自分の人生に責任を持ち生きていきます。しかし、人生のすべてのことに自分が責任を負うということは決してできないのです。この世界はそもそも人間を越えたものだからです。人間の限界を超えて人間の責任を追及するあり方はとてもしんどいものです。辛く慰めのない状態です。

そして自分の外側の世界のみならず、自分の内なる罪も自分には手に負えないものです。罪を自分で反省して自分でやり直して生きていけばよいということにはなりません。ひとたび反省をしても、人間は罪を繰り返します。私たちは自分で自分の罪をどうしようもないのです。ですから主イエスが来てくださり、十字架によって贖ってくださいました。その主イエスに自分の主権をお渡しする時、私たちはまことの自由を得ます。自分が自分の主権者であることをやめ、主イエスに主権をお返ししたとき、逆に私たちは自由になるというのは不思議なことです。主イエスは私たちの支配者でありますが、心を柔らかく、まっすぐにしてくださる慰め主であるからです。主イエスに主権をお返しするとき、私たちは本当に慰められ、喜びに満ちた日々を与えられるのです。

<永遠の命>

 しかし、頑ななままであれば、聖霊が働くことはできず、キリストのことも分からないのです。頑なな人々はステファノを殺しました。「人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲い」かかりました。そして石打ちによってむごたらしく殺したのです。聖霊が働き、キリストに慰められ、神と共に生きたステファノは結局、殉教をしました。キリストの教会における最初の殉教者となりました。聖霊が働いても結局、無駄だったのでしょうか?

 そうではありません。ステファノは、天におられる父なる神とキリストを見上げていました。キリストが神の右の座におられるのをはっきりと見たのです。神の右の座におられるということはキリストは神から全権を与えられたということです。この世界の全権を握っておられる方がたしかにステファノと共におられるのです。世界の全権を握っておられる方は、人間の命をも握っておられます。キリストご自身、十字架で死なれた後、復活をされました。肉体の命は滅びてもそれで終わりではないのです。復活の命、永遠の命を握っておられる方がおられるのです。ですからステファノは永遠の命に生かされる確信の内に安らかに眠りました。「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んで息を引き取ったのです。この言葉は、主イエスが十字架上でおっしゃった言葉と同様なものです。これはステファノが素晴らしい人格者であり、信仰者であったということではありません。ステファノが完全に聖霊に満たされ、キリストのご支配の中にあったということです。聖霊に満たされ、キリストに支配されていたステファノは、内なるキリストによってこれらの言葉を叫びました。

 今日の聖書箇所の最後に、サウロと言う青年が出てきます。のちに大伝道者となるパウロです。彼はこの時、ステファノを殺そうとしている人々の荷物番をしていたのです。そしてサウロ自身、ステファノを殺害することに賛成していたとあります。この時サウロは、やがて自分自身がキリストを信じ、伝道する者となり、逆に迫害される側になるとは夢にも思っていなかったでしょう。最初の殉教者ステファノと大伝道者パウロの不思議な出会いの場面です。殺される側と殺す側というけっして交わることのないはずの二人が聖霊によって同じ目的に生きる者と変えられました。パウロにとってこの時、ステファノは憎々しい存在だったでしょう。やがて、キリスト者になった時、パウロは自分のことを<罪人の頭>と言いましt。ステファノを初め、多くのクリスチャンを自ら迫害したパウロののちの後悔は大きかったでしょう。しかしなお、この場に青年サウロを置かれた神のご計画は素晴らしいものであったと思います。ステファノの肉体は死にましたが、不思議なあり方で、その信仰と伝道の魂は荷物番をしていた青年に受け継がれていったのです。そういう意味でもステファノの死は無駄ではなかったのです。サウロはステファノの最後の叫びを聞いたでしょうか。それは分かりませんが、聞こえていたとしても、その時はステファノの叫びはサウロの心に響かなかったでしょう。しかしやがて、そのステファノの叫びの意味をサウロは深く理解し、自分自身が殉教宇する時、同じ叫びをしたことでしょう。

 今日、一人の姉妹に信仰の灯が受け継がれていきます。ここにいるクリスチャン皆が、誰かから信仰を受け継いできました。もちろん聖霊によって私たちはキリストを指し示されました。しかし、そのことを知らせてくれた誰かがそれぞれの人にあったのです。姉妹は東京にある教会で信仰の最初の導きを受けました。そして今、大阪東教会の先人たちからの信仰の灯を受けられます。ステファノからサウロにつながった信仰の命は、その後も不思議な形で2000年間受け継がれてきました。その不思議な神のなさりようを今日、私たちは見ています。その神の業に、私たちは今日新たに慰められます。