大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録第22章22~第23章11節

2021-03-28 12:47:46 | 使徒言行録

2021年3月28日大阪東教会主日礼拝説教「勇気こそ地の砂 」吉浦玲子 

【説教】 

<この人を見よ> 

 今日は棕櫚の主日です。棕櫚とは、イエス様がエルサレムに入っていかれた時、熱狂した民衆がなつめやし―口語訳聖書や文語訳聖書では棕櫚と訳されていた―の葉を振って歓迎したことから言われます。この棕櫚の日、日曜日から、主イエスのご受難の一週間が始まりました。主イエスは木曜日の夜に逮捕され、金曜日に死刑の判決を受け、十字架にかかられます。当時、ローマ帝国に支配されていたユダヤ人には正式に人を死刑にする権利はなかったので、権力者たちはローマの力を利用して主イエスを死刑にしました。実際のところ、当時のローマの総督のポンテオ・ピラトは、主イエスが死刑になるような罪を犯してはいないことが分かっていました。ヨハネによる福音書19章では、茨の冠を被らされ、紫の服を着せられた主イエスが、群衆の前に引き出された様子が描かれています。ユダヤ人の王と自称したと訴えられた主イエスが、実際は王でも何でもない、ローマ兵に侮辱され、暴行を受け、痛めつけられたぼろぼろの姿で、滑稽な王の格好をさせられた主イエスを、総督ピラトは敢えて人々の前に引き出しました。 

 「見よ、この男だ」。 

 ピラトは群衆に主イエスを指します。ほら、このイエスという男には何の力もない、あなたたちが訴えるほどのこともない、死刑にするほどものではない、ただのみじめな男ではないかとピラトは群衆に示したのです。「見よ、この男を」。この部分は、「この人を見よ」という言葉でも知られています。「この人を見よ」はラテン語で「エッケ・ホモ」という言葉です。「この人を見よ」「エッケ・ホモ」と題した絵画も多くあります。 

 今日から受難週です。私たちはキリストを見ているでしょうか?茨の冠を被らされ、滑稽な紫の布をまとわれたキリストを思い描くことはありますか?優しいキリスト、光り輝くキリスト、あなたはそのままでいいんだとおっしゃってくださるキリスト、これらももちろんキリストの真実の姿です。しかし、まさに「この人を見よ」と受難週に私たちに示されているのは滑稽で侮辱的な王の姿をさせられたキリストの姿なのです。 

 そしてまたキリストに従って歩む時、私たち自身もまた栄光の中ばかりを歩むのではありません。キリストのゆえに、信仰のゆえに、わたしたちもまた、愚かな者として、人々の視線を浴びることもあるのです。「この人を見よ」と、憎しみや怒りの矢面に立たされることもあるのです。 

 伝道者パウロもまた、キリストの御あとを追う者として、人々の憎悪の前に立たされています。パウロは堂々とユダヤ人たちの前で自分がイエス・キリストを信じることになった経緯を語りました。しかし、律法を守ることによって救われると考えているユダヤ人たちにとってパウロの話は火に油を注ぐものでしかありませんでした。<「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。」彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどだったので>というような騒ぎになりました。 

<さまざまな態度> 

 パウロは矢面に立ち、堂々と証しをしました。一方でパウロを取り巻く人々は様々な態度を取ります。パウロを捕らえた千人隊長は、パウロを鞭で打って、やったことを白状させようとします。つまり拷問にかけようとしました。しかし、パウロがローマの市民権を持った人間だと知って怯えます。ローマの千人隊長といえども、ローマ市民を拷問することはできませんでした。もしそういうことをすれば、千人隊長の側が処罰を受けることになるからです。 

 ちなみにパウロは「生まれながらローマ帝国の市民」だと言っています。これはパウロの親もしくは先祖の誰かがローマ市民だったということです。当時、植民地の人間であっても、ローマ帝国に対して貢献した者に対して市民権が与えられることがあったようです。パウロの家がどのような経緯でローマの市民権を得たのか具体的にはわかりません。しかし、ここで分かることは、パウロはかなり恵まれた家に生まれ育ったということです。当時の社会において、ローマ市民であるか否かというのは、その扱いに天と地ほどの開きがあったからです。 

 しかし、その恵まれていたパウロがいまや囚人として捕らえられています。拷問は回避できたものの、さらなる困難が続きます。祭司長たちと最高法院のメンバーが招集され、その前で取り調べを受けることになります。騒動を起こす群衆ではなく、ユダヤの権力者たちの臨席のもとに事情聴取が行われたのです。 

 しかし、権力者たちは最初からまともにパウロの裁きを行うつもりはありませんでした。大祭司アナニアの指示でパウロは口を打たれます。いきなり威嚇してきたのです。これはまさに、逮捕された主イエスが大祭司の前に連れて行かれた時、やはり大祭司の指示で打たれたことと重なります。今まさにパロロはキリストの歩まれた道を歩んでいるのです。そしてパウロは大祭司に対してひるむことなく「白く塗った壁よ」と言い放ちます。これは「あなたはふさわしい者ではない」という意味の言葉で、呪いの言葉です。裁きの場にあって、むしろ律法に立っていないあなたは呪われると言っているのです。またパウロは「その方が大祭司とは知りませんでした」と言っていますが、大祭司であることをパウロが分からなかったわけはなく、これは大祭司への皮肉でもあります。ちなみにここで、パウロは大祭司への呪いの言葉を発しましたが、使徒言行録の著者であるルカはそののちまさにこの呪いの成就を目撃したと言われます。こののち、66年に大祭司アナニアは国粋主義者によって殺されたのです。 

 さて、あつめられたメンバーには、律法主義者のファリサイ派もいれば、神殿での祭儀を重んじるサドカイ派がいました。それを知ったパウロは敢えて「死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです」と語ります。サドカイ派は死者の復活を信じていませんでしたから、敢えて「死者の復活」という言葉を出して、ファリサイ派の人々に対しては、自分の考えがユダヤの伝統的な考えと異なったものではないことを示し、サドカイ派との対立を煽りました。そのパウロの目論見通り、ファリサイ派とサドカイ派の論争が起こります。このことで、結局、パウロは助けられます。 

 エルサレム神殿で暴徒に囲まれて以来、パウロの身に起こっていることはたしかにたいへんな試練ではありますが、不思議なことにパウロは暴徒のリンチによる死からも、鞭打ちからも、最高法院での裁判においても、助け出されています。神が共におられパウロは救い出されたのです。一方で、彼の周りには混乱や不安が生じています。ローマの千人隊長にしても、パウロを陥れたいユダヤ人の間にも、平穏はありません。ただ一人、人々の矢面で、キリストのように「この男だ」「こいつを見ろ」と指をさされたパウロのみが揺るぎなく立っているのです。いえパウロは自分の力で立っているのではありません。神の力によって立たせていただいているのです。 

<勇気を出せ> 

 そのパウロに、その夜、主がおっしゃいました。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」この「勇気を出せ」という言葉には、「元気を出しなさい」とか「しっかりしなさい」という意味がある言葉です。主イエスが中風の人を癒す時、あるいは長年出血のあった女性を癒す時に、かけられた言葉と同じです。病の人であれ、捕らえられているパウロであれ、その状況で、勇気を出せ、とか、元気を出せ、とか、しっかりしろ、というのは、普通に考えると無茶な言葉のようにも聞こえます。ただ、パウロや中風の人や長い間出血している女性がそれぞれ一人でいるのなら無茶ですが、そこにはキリストがおられるのです。今日の聖書箇所でも、パウロのそばにキリストは立っておっしゃったのです。  

 パウロは堂々と矢面に立ちました。しかし、それはパウロが勇敢だったからではありません。キリストが立たせてくださったのです。「その夜」と書かれている夜、おそらくパウロは疲れ、不安にとらわれていたことでしょう。最高法院で勇敢であっても、一人の夜にはパウロとて弱きになったと思われます。使徒言行録やパウロの書簡を読むと、繰り返しパウロが恐れたこと、不安に思ったことが記されています。だからこそ、主イエスがそばに立っておっしゃったのです、「勇気を出せ」と。 

 主イエスは「エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように」とおっしゃいます。主イエスは、パウロのこれまでの戦いに対して「よくやった」とおっしゃっているのです。励ましてくださっているのです。さらに主は「ローマでも証しをしなければならない。」とおっしゃいます。これまでもたいへんだったのに、まだ先があるのですか?とも思えることですが、ローマ行きは、むしろパウロが願っていたことです。ここにきて、パウロは主が自分の願いを聞き届けてくださったことを知らされます。キリストに勇気を与えられ、それに応えて勇気を出して歩んだ者には、さらなる道が示されます。これは恵みです。目の前につりさげられた餌をどんどんと先に引っ張られてどこまでも走らされるのとは違います。むしろ走れば走るほど、目標がクリアになり、景色が広がっていき、喜びの歩みとなるのです。 

 一方、主イエスは、その地上での生涯の最後、ご受難の時、ヴィアドロローサ―涙の道-を十字架を背負って歩まれました。その歩みは、ゴルゴダ―されこうべの丘―へ続くものでした。人々の罵声と土埃の中を、ローマ兵に鞭打たれながら歩まれました。その歩みの先に待つのは死だけでありました。その絶望の道を主イエスが歩んでくださったゆえに、キリストを信じ、キリストと共に歩む者の歩みは喜びの道となるのです。キリストの十字架のゆえに罪赦された者は、時に「この人を見よ」と試練の最前線に晒されることはあっても、その先に必ず希望があります。だから勇気を出すのです。キリストが共におられます。復活のキリストが共におられます。まさに今日の聖書箇所で、パウロは死者の復活を証ししました。私たちもまた、けっして絶望の死では終わりではない歩みをこの地上においてなしていきます。昨年の復活祭は緊急事態宣言のため、礼拝は非公開で行いました。大変残念でした。しかし来週は、依然としてコロナの感染者が増加しているため、すべての人が集まれないかもしれませんが、復活祭礼拝として礼拝を共にお捧げします。その前の木曜日には昨年はできなかった洗足木曜日礼拝を行います。実際、コロナの禍の今後も私たちにはどのようになるのかまったく分かりません。しかし、なお私たちはキリストから勇気をいただいて歩みます。この歩みが失望に終わらないことを知っています。「この人を見よ」と指をさされた主イエスのご受難の姿の先に復活の希望があります。その希望に生きるとき、まことの勇気が与えられます。キリスト者は地の塩と言われます。「この人を見よ」とキリストを指し示す時、私たちは地の塩なのです。希望を指し示すのです。そこには小さな勇気が要ります。その勇気は一人一人に与えられます。勇気を振り絞って「この人を見よ」と指さす時、さらにに私たちの未来はキリストによって拓かれていきます。 

 


使徒言行録第21章37節~22章21節

2021-03-21 17:19:53 | 使徒言行録

2021年3月21日大阪東教会主日礼拝説教「 大胆に語れ」吉浦玲子 

【説教】 

<語らずにはいられない> 

 いま、受難節を私たちは過ごしています。受難節は、主イエスの十字架のお苦しみを覚える時です。そして、その苦しみが何のためであったか、そのことをよくよく覚える時です。私たちは繰り返し繰り返し、聞いてきました。キリストの十字架が私たちの罪のためであったことを。キリストを十字架につけたのは他ならぬ私たち自身であったということを。2000年前の遠い国の出来事、歴史家のヨセフスの歴史書に小さく記述されているエルサレムでのイエスという男の処刑の記事、それが2021年を生きている私たちの存在の根幹にあること、その驚くべきことを私たちはこれまでも聞かされてきています。聖書から聞かされ、そして聖霊によって知らされています。 

 しかしまた、一方で、罪ということを聞くとき、自分は罪人だと思う時、「ああ私はどうしようもないダメな人間だ」と落ち込みます。クリスチャンであっても、いえ、クリスチャンであればいっそう、自分の罪が見えてきます。繰り返し繰り返し犯してしまう罪が見えてきます。気づかずに犯して、あとから罪だと示されることもあります。しかし、罪は、罪だと気づいて、落ち込んで終わりではありません。「イエス様ごめんなさい」とお詫びして終わりではないのです。私たちは私たちの罪を聖霊によって知らされる時、新しく生き始めるのです。まったく新しい人生を歩んでいくのです。そもそも聖書を読んで、キリストの十字架を見上げて、自分自身がまったく変わらない、そんなことはありえないのです。あなたは罪人だと言われて、自己嫌悪に陥って、自信をなくして、それで終わり、ではないのです。むしろそこから、新しく歩み出す勇気、生き生きと生きる命を与えられるのです。自分の罪が大きければ大きいほど、自分に注がれた神の愛の大きさが分かるからです。今日の聖書箇所では、まさにパウロという大伝道者が、いかに新しくされたかということがパウロ自身の口から語られています。 

 さて、パウロは、エルサレムでとうとう逮捕されました。神殿に異邦人を入れたという濡れ衣を着せられたのです。怒りと憎しみに燃えたユダヤ人たちのリンチによってあやうく殺されるところを、当時のイスラエルの支配者であったローマの軍隊がやってきて、命拾いをしたのです。暴動の様相を呈していたので、ローマ兵がやって来て、騒ぎの原因を知ろうとしましたが、群衆はあれやこれや叫びたてていて、まったく事情が分かりません。そこで、騒ぎの原因と思われるパウロから事情聴取をしようと、パウロを兵営に連れて行こうとしました。しかしそこで、パウロ自身が、話をさせてほしいと願ったのです。パウロはローマ兵に話すことを許され、ユダヤ人たちの前で語り出します。しかし、パウロ自身が助かるためであれば、このままローマ兵の取り調べに応じて誤解を解いて釈放してもらうことも可能であったかもしれません。にもかかわらずパウロは自分を殺そうとした同胞の前で敢えて話をすることを希望しました。 

 ここから語られる内容は使徒言行録第9章で描かれていることと重複します。パウロがかつてキリスト教徒を迫害していたこと。キリスト教徒を迫害するためにダマスコに行こうとして、その途上でキリストと出会ったこと。そして回心をしたこと。さらにキリストを証しする伝道者となったことを語ります。 

 しかしこれは不思議なことです。パウロはいまユダヤ人たちから訴えられているのです。訴えられている理由は、神殿を冒涜したという嫌疑です。そのことに対しての申し開きをパウロはしていないのです。自分が律法に基づいて神殿で清めの儀式をしていたこと、異邦人を神殿の入れてはいけない場所に異邦人を入れてはいないことを語れば良かったのです。しかし、そうではなく、パウロは自分がいかにしてキリスト教徒になったかを語りました。これは、火に油を注ぐようなことです。パウロを殺そうとしていたユダヤ人たちは、そもそもイエス・キリストを信じられない人々でした。パウロがキリストを信じさえすれば救われるといってる、そのことに憎しみを募らせていたのです。その人々に、自分が主イエスを信じるようになったという証をしても、律法によってこそ救われると思っている人々の反発を買うだけなのです。そもそも信仰の出来事は、理屈で納得させることのできるようなものではありません。それがどんなに真実の言葉であっても、聞きとることができない人々はいるのです。イエス様ご自身、お語りになる時、「耳ある者は聞きなさい」とおっしゃっていました。物理的に耳があっても、音声としての声は聞くことができても、言語を理解する能力はあっても、神の真理を聞く耳のない人はいるのです。そんな人々に対して語るとき、むしろその言葉が真実であればあるほど、聞く耳のない人々にとっては憎しみを助長する言葉になるのです。真実の言葉は、耳当たりのいい言葉ばかりではないからです。神の真理の言葉は、人間の思いや行いを否定する言葉にも聞こえるからです。神の真理の言葉は、人間の罪、自分自身のあさましさを知らされる言葉でもあるからです。 

<多く赦された者として> 

 しかし、パウロは語りました。語らずにはいられなかったのです。彼を駆り立てていたものは、自分を愛し、赦してくださった神への情熱でした。彼にはかつてキリスト教徒を迫害していたという深い罪の負い目がありました。テモテへの手紙Ⅰに有名な言葉があります。「「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」この<わたしは、その罪人の中で最たる者です>という言葉は、文語訳聖書では、「その罪人の中にて我は頭なり」と訳されていました。有名な「罪人の頭」という言葉です。讃美歌249番には<罪人の頭>という言葉が出てきます。「われ罪人の頭なれども 主はわがために いのちをすてて つきぬいのちをあたえたまえり」という歌です。神の前に立つ時、私たちの罪は、とてつもないものです。いや私の罪はたしかにひどいけど、あの人よりもましだというように、くらべようもないものです。一億円を借金をしている人が一億一円借金をしている人より自分はましだというようなものです。実際のところ、一億円だろうが、一千万円だろうが、私たちの罪は、神であるキリストを十字架につけねば赦されないものなのです。神であるキリストの肉を裂き、血が流されなければ赦されないほどのものなのです。あなたはキリストの血を流させたが私はちょっとしたひっかき傷だけだ、などといえる人はいないのです。パウロだけではなく、神の前に立つ時、私たちは誰もが<罪人の頭>です。誰もがキリストの肉を裂き、血を流させた者です。 

 しかし、最初にも申し上げましたように、罪ということを聞いて、それでずどんと落ち込んで「ああ私なんてダメだ」と思って終わりではないのです。いえ、「ああ私なんてダメだ」と思っている程度であれば、それは本当のところでは罪がわかっていないということでもあります。不思議なことなのですが、自分の罪が本当に分かるのは、罪が赦されたことを知った時なのです。赦された時、逆に自分がどれほどの罪を犯していたのかが分かるのです。それと同時にそれほど神に愛されているのかを知るのです。 

 福音書の中で、このような話があります。罪深い女が主イエスがファリサイ派に人の家で食事をしている場に入ってきました。その女は泣きながら、そのイエス様の足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗ったのです。いきなり入って来て、異様なことをする女性です。しかし、この女性は精いっぱいの主イエスへの感謝を表したのです。主イエスは主イエスを食事に招いた家の主人であるファリサイ派の人にこうおっしゃいます。「わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた」と。そしてさらにおっしゃるのです。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」罪深い女はおそらく娼婦であったと思われます。当時の社会で、誰から見ても、罪深い、排斥されるような女性でした。そんな女性が部屋に入って来ること、ましてや体に障られることなどは、律法を守って生きている人には耐え難いことです。主イエスが女性が為すままにされているのを見て、家の主人は主イエスをも軽蔑したと思います。しかし、主イエスはおっしゃるのです。その女性は多く赦され多く愛を示しているのだと。 

 パウロもまた、多く赦され、多く愛を示して生きる者とされました。パウロは福音を語ること、自分を変えてくださったイエス・キリストを語り続けることによって、神の愛、そして隣人への愛を多く示した人でした。神は赦された者に新しい使命を与えられます。その使命がパウロにとっては、福音を語ることでした。福音を語るということは正しく教理を講義することではありません。立派な聖書解釈を示すことではありません。自分自身を変えてくださったイエス・キリストを指し示すことです。 

 私の信仰の先輩であったある女性は、クリスチャンになる前、クリスチャンの友人の女性の自宅で行われていた聖書を読む会に誘われて行きました。聖書の話も良かったのですが、なによりそこに集まっていた仲の良い友人たちとおしゃべりができる、リラックスできるということが、楽しかったようです。その先輩がある日、まだ洗礼を受ける気持ちにはなっていなかった頃、近所の道を歩いていると自分を聖書を読む会に誘ってくれた友人が向こうから自転車でやってきたそうです。その友人は通りすがりに先輩の耳元で「あんたのために死んでくれたお方がいてはんねんで」と言って自転車で去って行ったそうです。それまでも十字架の話は聞いて理解していたのですが、その時はじめて「自分のために死んでくれた方がいる」という言葉に衝撃を受けたそうです。その先輩は、そのときのことを鮮明に覚えているそうです。友人が自転車で通り過ぎて行った情景、その時のまわりの街並み、空の色、すべてが忘れられないと。そしてその先輩は洗礼を受けてクリスチャンになりました。その先輩は、その自転車の一件以外で、私の知る限り、特別なことはなにもなかったようです。また受洗後、劇的に人生が変わったというわけでもなかったようです。それまでと同じように子育てをし、仕事をしていたそうです。でもずいぶん経ってから娘さんに言われたそうです。その先輩には娘さんが三人いたのですが、先輩が洗礼を受けた後、雰囲気がまったく変わったと娘さんたちに言われたそうです。特に上の二人の娘さんからは、自分たちが小さいころは、やたら厳しかったお母さんが、洗礼を受けてから、以前ほど怒らなくなったと言われたそうです。洗礼を受ける前の厳しいお母さんを知っていた二人にとって、一番下の娘さんは変わってからのお母さんに小さいころから育てられたわけで、その末っ子の妹が羨ましいと言われたそうです。先輩は自分では気づいていなかったそうなのですが、そういえば、上の子供たちが小さいころは、もちろん子育てになれてなくて一生懸命だったというのもあったのですが、どこかにほかの家の子供と比べたり、自分の願いを子供に必要以上に押し付けていたと気づいたのだそうです。でも、洗礼を受けてからは、そんな思いがなくなったそうなのです。なので特に末っ子の妹さんはのびのびと育ったそうです。つまりその先輩自身も、キリストによって変えられたのでした。 

 私自身は、中年になって洗礼を受け、そこから会社を辞めて牧師になるという、かなり人生が変わりました。そのことに関しては丸一日でも語れるくらいですが、ここでは語りません。しかし、外側の生活が変わろうが同じであろうが、すべての人は、キリストによって変えられます。

 受難節、私たちもキリストによって変えられた者として生きます。キリストは高みに立って私たちを断罪し、裁かれたお方ではありませんでした。むしろキリストこそが罪人の頭として十字架におかかりになりました。罪なきお方が私たちと同じ罪人となってくださったのです。だから私たちは変えられるのです。それぞれに新しい役割を与えられ新しく生きる者に変えられます。一度、変えられたらそれで終わりではありません。繰り返し変えられるのです。そしてその変えられた証しを私たちは大胆に語りつつこの生涯を歩んでいきます。 


使徒言行録第21章17~36節「聖なる場所とはどこか」

2021-03-14 16:28:13 | 使徒言行録

2021年3月14日大阪東教会主日礼拝説教「 」吉浦玲子 

【聖書】 

 わたしたちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。 

翌日、パウロはわたしたちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。また、異邦人で信者になった人たちについては、わたしたちは既に手紙を書き送りました。それは、偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉とを口にしないように、また、みだらな行いを避けるようにという決定です。」そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。 

 七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、守備大隊の千人隊長のもとに届いた。千人隊長は直ちに兵士と百人隊長を率いて、その場に駆けつけた。群衆は千人隊長と兵士を見ると、パウロを殴るのをやめた。千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者であるのか、また、何をしたのかと尋ねた。しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた。パウロが階段にさしかかったとき、群衆の暴行を避けるために、兵士たちは彼を担いで行かなければならなかった。大勢の民衆が、「その男を殺してしまえ」と叫びながらついて来たからである。 

【説教】 

<パウロの願い> 

 パウロはいよいよエルサレムに到着しました。ここでエルサレムのクリスチャンたちにパウロ一行が歓迎をされたことが描かれています。しかしまた同時に少し不可思議なことも記されています。当時のエルサレムの教会のリーダー的存在であったヤコブは、「兄弟よ、ご存知のように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っていいます」とパウロに語りかけます。ヤコブは主イエスの兄弟と言われ、従妹とも実の弟とも言われます。当時のエルサレムの教会ではペトロ以上の大きな力を持っていました。さらにヤコブは「この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。」と続けます。 

 パウロはユダヤ人ではない異邦人に対して、割礼を初めとした律法の遵守は必要ないとは言っていましたが、<異邦人の間にいる全ユダヤ人>に割礼を施すな、慣習に従うなと言ってはいません。ですから、これはまったく誤解に基づく発言です。 

 この背景には、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの間の根深い壁があります。モーセの時代から律法を守って来たユダヤ人にすれば、イエス・キリストを信じるということは旧約聖書で預言されていたメシアの到来を信じるということで、それは律法や預言の延長上にあることでした。一方で、イエス・キリストを受け入れた異邦人にとっては、割礼を初めとするユダヤ教の律法を守ることはむしろ救いを受け入れることの障壁となりました。この点に関して、使徒言行録の15章にあるように、エルサレムで会議が持たれ、正式に異邦人クリスチャンに対して、律法を守ることを強制しないということが決定されました。パウロはその決定に基づいて、異邦人への伝道を続けてきました。しかし、使徒会議の後もユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの間の壁は取り除かれることはありませんでした。その問題はずっとくすぶっていたのです。 

 そもそもパウロは自分のことを「ヘブライ人中のヘブライ人」だと自負していました。その自分が、主イエスに救われたのは律法の遵守や善い行いのためではないということをパウロは体験していました。しかしまた同時に、パウロは福音がイスラエルの歴史と切り離されて現れたのではないことも知っていました。アブラハムに始まるイスラエルへの神の救いの歴史のなかで、福音は与えられたとパウロは誰よりも強く考えていたのです。ローマの信徒への手紙のなかで、パウロは、「ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分をうけるようになった(11:17)」と語っています。もともと豊かな根を張り、茂っていたユダヤの枝が折り取られ、そこに接ぎ木されたのが異邦人であるとパウロは語っているのです。パウロはユダヤが特別に神に選ばれた民であり、その信仰的財産の上に、異邦人の救いは立っていると理解していました。むしろパウロはモーセから離れるどころか、ユダヤの信仰の土台の上に異邦人に福音が告げられたと考えていました。ユダヤの信仰の土台に立つということは律法を遵守することではなく、むしろ神の愛と救いを信仰において捉えることだとパウロは考えていました。その意味において、パウロはユダヤ人の教会と異邦人の教会は、神の救いの歴史を踏まえ一致すべきと考えていました。 

 ですからパウロは異邦人への伝道者であると同時に、ユダヤ人クリスチャンの集うエルサレムの教会も大事にしたのです。そもそも、今回のエルサレム訪問も、パウロは命の危険も顧みず、財政的に貧しいエルサレムの教会を支援するための献金を各地の異邦人教会から集めてエルサレム教会へ捧げるためにでした。この献金に関して、心無い人々から、「パウロは献金を集めて私腹を肥やしている」と噂までされていたのです。そのような中傷を受けながらも、パウロは、ユダヤ人の教会、異邦人の教会の一致を心から願って、エルサレムにやって来たのです。 

<律法を守る人を得るために> 

 このようなパウロの思いとは裏腹に、エルサレムの教会の対応はいわゆる「塩対応」といってもいいものでした。リーダーのヤコブが「幾万人ものユダヤ人が信者になって」パウロの言動に困惑していると語るのです。この「幾万人ものユダヤ人」いう言葉をヤコブが出しているということに関して、ある方は、ヤコブはここでパウロに圧力をかけていると言っておられます。つまりヤコブはパウロに、あなたが勝手なことをしたら幾万人ものユダヤ人信者が黙っていないぞということを言外ににおわせているのです。そしてヤコブはパウロに一つの提案をします。つまり誓願を立てている人々の儀式をサポートして欲しいというのです。これは旧約聖書の民数記に記されている律法に従ってナジル人の誓願をしている人が行う一連の儀式を取り仕切り費用も出してほしいというのです。このことによってパウロがけっしてユダヤの律法や伝統をないがしろにしているわけではないことをユダヤ人のクリスチャンたちに示すことができるというのです。パウロはこのヤコブの提案を受け入れます。パウロは「幾万人ものユダヤ人」と語るヤコブの圧力に屈したのでしょうか。そうではありません。もとよりパウロは死ぬことすら覚悟してエルサレムに来ているのです。人間的な力関係や圧力への恐れなどはありません。ここでもパウロはただただ、教会の一致のためにヤコブの提案に従ったのです。 

 そもそもパウロは、以前にも、ギリシャ人を父に持つ若い伝道者テモテに割礼を授けています。パウロ自身、割礼は救いの条件ではないと繰り返し言っていたのに、なぜテモテに割礼を授けたかというと、テモテ自身が、ユダヤ人社会の中で受け入れられるようになるためでした。割礼の問題にしろ、誓願者への対応にしろ、それが救いの根本に関わることであれば重大なことです。そういうことであれば、エルサレム教会の命令であれ、ヤコブの言葉であれ、パウロは従わなかったでしょう。しかし、パウロはそうではないと判断をしたのです。救いの核心に関わることではないが、しかしまた、そのような些細なことから教会というものが分断されてしまうこともパウロは知っていたのです。25節にヤコブが偶像に献げられた肉について言及していますが、これはかつて使徒会議で取り上げられたことです。パウロは律法の食べ物の規定を守ることが救いの条件とは考えていませんでしたが、コリントの信徒への手紙やローマの信徒への手紙を読むと、そのような食べ物の問題で傷つく人々もいることをパウロは理解していて、配慮をしていることが分かります。 

 つまりパウロは共同体の一致のため愛の配慮をしたといえます。しかし、勘違いしてはならないのは、愛の配慮というのは何でもありということではないのです。異端的な考えや、教会を福音から離れて、なんらかの意図を持って利用しようとする動きには徹底した対応をしたのです。福音を壊し、キリストの十字架の意味を捻じ曲げ、教会を人間的な思いで動かし教会でないものにすることはゆるされません。パウロはそういったことをすべて考え尽くし、教会の一致のためにヤコブの提案に従ったのです。 

<パウロの逮捕> 

 しかしこのパウロの愛の配慮は、パウロ自身の逮捕という報われない結果をもたらしました。そもそも誓願の儀式の清めの期間が7日間にもおよぶということ自体、エルサレムでの滞在期間が延びるということで、命を狙われているパウロにとって危険この上ないことでした。しかも、神殿に出入りするという目立つ行為をしなくてはなりません。案の定、アジア州から来たユダヤ人がパウロを見かけ、捕らえます。神殿には異邦人も入れるところと、ユダヤ人しか入れない場所があるのですが、ユダヤ人たちはパウロが、本来、異邦人を入れてはならない場所へ異邦人を入れたと勘違いして、大きな騒動となります。30節に民衆がパウロを境内から引きずり出したとありますが、これは明確に彼らが最初からパウロに対して殺意を持っていたゆえの行動です。神殿で人を殺すと神殿を汚すことになるので、彼らはパウロを神殿から引きずり出したのです。そして暴行を加えたのです。実際のところ、騒ぎを聞き、駆けつけたローマの千人隊長が到着するのがもう少し遅かったら、パウロは殺されていたでしょう。 

 パウロの命を救ったのが、異邦人であるローマの兵隊であることは皮肉です。パウロが苦労をして献金を届け、そしてまた教会の一致のために心を尽くしてその指示に従ったエルサレムの教会から助けは来たとは書かれていません。幾万人ものユダヤ人信者がパウロの釈放のために祈りを捧げられたということも記されていません。パウロは結局、教会の助けを受けることなく、一人でこの状況に立ち向かいます。教会の一致を願い、自分にとって危険な要求に従ったパウロは報われないと感じます。 

 しかし、今日の聖書箇所の最後にこのような言葉があります。「パウロが階段にさしかかったとき、群衆の暴行を避けるために、兵士たちは彼を担いで行かなければならなかった。大勢の群衆が、「その男を殺してしまえ」と叫びながらついて来たからである。」 

 大勢の群衆が「殺せ」と叫ぶ場面を私たちは聖書の別の箇所で読んだことがあると思います。そうです、主イエスが十字架にかかられるときです。主イエスがなさった数々の救いの業を喜び、主イエスのエルサレム入城に熱狂した人々が一転して、主イエスに対して「殺せ」「十字架につけろ」と叫んだ受難週の出来事です。パウロはまさに、十字架の主イエスと同じように人々の罵りを受け、殺意のなかにあるのです。さらに自分の足で歩くのではなく、ローマ兵に担がれ、自由を失っています。みじめで悲惨な状況です。しかし、まさにいま、パウロは主イエスの足跡を追っているのです。十字架の主イエスに従っているのです。それはエルサレムの教会やヤコブのせいではなく、神がそのようにパウロを導いておられるのです。 

 神に従って歩んで来て、こんなさんざんな目に遭うのなら、神に従う意味はないのでしょうか?理不尽な中傷や悪意の中、報われない労苦を徹底的になしてきたパウロほどの献身はないと思うと胸が痛みます。たしかに人間的な局面だけで見れば、パウロの労苦は骨折り損のくたびれ儲け、どころか、自分自身の命の危機へと招いただけです。しかし、神の視点から考えたらまったく別のことが見えるのです。 

 パウロの献身は大きな実りを残しました。この出来事を使徒言行録の著者であるルカは見つめていました。パウロとの旅の途上においてはパウロの判断に反対をすることもあったルカが、やがてパウロの歩みを振り返るとき、そこにたしかに神の御業があったことを知りました。報われないと感じるようなパウロの徹底的な献身は、その後のキリスト教の歴史を見る時、むしろ大きく報われたのです。実際のところ、この使徒言行録がまとめられたころ、すでにエルサレムはローマによって破壊されていました。パウロが引きずり出された神殿も廃墟となっていました。そしてエルサレムの教会も無くなっていたのです。しかし、パウロを通して神の業は為りました。イスラエルを信仰の土台として、福音は全世界に広がりました。これはパウロという優れた特別な伝道者だから為しえたことではありません。いえパウロ自身、自分の働きがどのような結果をもたらすかは分かっていなかったのです。ただただ愚直に神に従って聖霊に導かれて歩んでいくとき、そこに神が大きなことを為してくださるのです。私たちもまた聖霊に導かれ歩む時、神のなさる業を必ず見ます。神に従い歩む時、報われない労苦はないのです。 一分一秒、小さな一歩一歩が神によって豊かな実りをもたらすものとされます。


使徒言行録第21章1~16節「別れの先にあるもの」

2021-03-07 16:07:21 | エフェソの信徒への手紙

2021年3月7日大阪東教会主日礼拝説教「別れの先にあるもの 」吉浦玲子 

【聖書】 

 わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。 

わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。 

 わたしたちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした。翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。そして、わたしたちのところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」 

 わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。 

 数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。カイサリアの弟子たちも数人同行して、わたしたちがムナソンという人の家に泊まれるように案内してくれた。ムナソンは、キプロス島の出身で、ずっと以前から弟子であった。【説教】 

<別れ> 

 3月になりました。最近は9月入学や入社も増えていますが、まだまだ日本では学校の進級進学の区切りは多くの場合、3月となっています。ですから、3月というのは、卒業の季節であり、別れの季節でもあります。様々な別れが私たちの人生にはあります。お互いに生きているならば、多くの場合、再会の希望はありますが、二度と会えない別れもあります。そしてそれが再び会えない別れとは知らず別れる別れもあります。 

 今週は東北の大震災から10年目となります。10年前のあの日もおびただしい人々が、別れの言葉すら交わすことなく、突然の別れを迎えました。牧師として葬儀を司式します時、ヨブ記の中の言葉であります「主は与え、主は奪う。主の御名はほむべきかな」という聖句を必ず式辞や祈りの中で語ります。神はたしかに私たちにすべてを与え、そして奪われます。しかし、現実に思いもかけぬ別れを体験する時、それが神のなさることだとは言っても、耐えがたく、残酷に感じます。まさに神は私たちの大事なものを奪われ、心の一部分までも奪われるように感じます。しかし一方、キリスト者は、この地上で別れても天でふたたび会うことができる、そのことを希望として持っています。それは絶対的な慰めであり、希望です。その希望を持ちながらも、やはり耐え難い別れというものはあり、奪われる悲しみはあります。 

 今日の聖書箇所はパウロがエルサレムへ向かう途上のことが書かれています。「わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した」とあります。パウロたちはミレトスでエフェソの教会の人々と別れて船出したのです。ここで「別れを告げて」と訳されている言葉は「引き離されて」あるいは「引き裂かれて」ともいえる強い言葉です。聖霊に示されパウロが御心と信じ、決断した歩みでありながら、パウロにもエフェソの人々にも、心の糸が引きちぎられるような悲しみがあったのです。 

 昔、広島にある修道院に泊りがけで黙想に行ったことがあります。その修道院の裏手にひっそりと墓地がありました。幼稚園の園庭くらいの広さの墓地には、いろんな国からやってきた修道士たちの墓がありました。スペイン、イタリア、アルゼンチン等々、皆、聖霊に導かれてはるか東の果ての小さな島国にやってきて、キリストに仕え、広島の地で生涯を終えた人々でした。彼らにも故国郷に家族があり、友がいたでしょう。当時私は、まだ献身ということは全く考えていなかったのですが、遠い国から愛する人たちとのつながりをすべて断ち切って、遠い国にやって来た人々の墓を見ながら胸に迫るものがありました。また三年前のことですが、急にある集会での奨励を頼まれました。もともと奨励を為さる予定だったカトリックの司祭さんが突然、天に召されたので、私が代役を依頼されたのです。召された司祭さんは、私は直接存じ上げない方でしたが、アフリカのケニアの出身で、その方の葬儀に親族の方々が日本に来るのにたいへん時間がかかり、一週間以上のちに葬儀が営まれたと聞きました。いくら交通が便利になったといっても、現代でも、何かあっても、すぐには駆けつけることのできない距離に離れていたご家族の心をつくづく思いました。自然災害のように意図せずに関係を奪われる別れであっても、覚悟の上の別れであっても、そこに痛みはあります。 

 しかしまた、生きていくということ、神の御心に従って生きていくということは、人との別れ―奪われること―にまさる神の恵みに生きていくということでもあります。別れの痛みを神によって越えさせていただき、新しい歩みを始めるということです。パウロもエフェソの人々も、神によって引き裂かれた思いの中で、また神によって新しく歩み始めたのです。 

<どちらが正しいのか> 

 その後、パウロは、ティルスで、そしてまたカイサリアでも、人びとに別れを告げました。そしてまたいずれの町においてもパウロは、人びとにエルサレムへ行くことをやめるようにと乞われます。ここで注意したいのは、パウロをエルサレムへ行かないようにと引き留めている人々は、けっして人間的な感情で引き留めているわけではないということです。ティルスでは「彼らは”霊”に動かされ、エルサレムに行かないようにと、パウロに繰り返して言った。」とあります。またカイサリアにおいても、預言することのできるアガボという人が聖霊のお告げとしてパウロがエルサレムで逮捕されることを語ります。このアガポという人は使徒言行録の11章にも出てきた人で、大飢饉を預言した人です。そしてまたカイサリアで、パウロが滞在していて、アガボが訪ねて来たのは、フィリポの家でした。「例の七人」と書かれているのは、フィリポは使徒言行録6章に描かれている、選ばれた7人の執事のうちの一人だったことを示しています。そして使徒言行録8章にはのフィリポが、エチオピアの宦官を救いに導いたと記されていました。さらに、この使徒言行録の著者であるルカ自身も、今日の聖書箇所の14節で「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので」と書いています。つまり<わたしたち>、つまり著者であるルカも含めたパウロの同行者が、この時点でパウロのエルサレム行きに反対をしていたことが分かります。こういうことを総合しますと、カイサリアでパウロを引き留めた人々はけっして、人間的な情でパウロを引き留めたのではなく、むしろ信仰的な思いで引き留めたのです。 

 しかし、一方で、パウロ自身も、聖霊によって導かれてエルサレムに行こうとしていました。20章で「わたしは、”霊”に導かれてエルサレムに行きます」と語っているとおりです。そしてまた、パウロ自身も、エルサレムで投獄と苦難が待ち受けていることを聖霊によって知らされていたのです。エルサレムに行こうとするパウロと、パウロを引き留めようとする人々に双方に対して、聖霊なる神は、エルサレムでパウロが逮捕される、苦難に遭うという、同じ内容を示しているのです。それぞれに聖霊に聞き、聖霊に促されて語っているのです。大筋において同じことを聞きながら、パウロは行くといい、ティルスやカイサリアの人々、そしてルカたちは行くなと言っているのです。皆がそれが御心だと思って言っているのです。それぞれに御心と思ってはいたけれど、パウロもしくはパウロ以外の人々のどちらかが間違っているのでしょうか? 

 これからのちのキリスト教の歴史を知っている私たちは、エルサレムに行ったパウロはそれを契機として、ローマに行くことになりました。さきほどルカがパウロのエルサレム行きを反対していたと申しましたが、ルカの反対の理由は、おそらくパウロ自身がローマを目指していたことを知っていたからです。パウロがローマに行く前に逮捕されたり、殺されたりしてはいけない、そうルカは考えて反対していたと思われます。しかし、結果的にパウロはローマに行きました。2000年後の私たちは、そのことがキリスト教にとって大きなことであったことを知っています。ですから、エルサレムに行くと言ったパウロこそが御心を為したのであって、エルサレム行きを止めようとした人々はルカを含めて、御心を見誤っていたと考えてしまうところがあるかもしれません。 

 しかし、そうとは単純に決めつけられないのでしょう。やはり、どちらが正しいとも言いきれない、ぎりぎりの判断というものがあるのではないかと思います。実際、パウロ自身も、動揺していたことが分かります。13節に「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか」とパウロは言っています。「心をくじく」と訳されている言葉は「心を砕く」「心を粉々にする」という言葉です。英語でbreaking heart、あるいはcrash heartとなります。パウロは人々が何と言おうと、100%の自信をもって揺るぎなくエルサレムに行くと宣言したのではなく、御心を求めながら、心が散り散りになるような思いだったのです。 

 私たちの日々には、すっきりと行く手を示される時もあれば、悩みつつぎりぎりの判断をするときもあります。そしてまた自分の判断のために、多くの人々を悲しませ、パウロのように人々を悲しませながらも進む時もあります。そしてまた、あとから考えて、過去の判断が正しかったのか迷う時もありあります。やはりあの時の判断は失敗だったのか、祈って決めたはずなのに、自分の思いが先走っていたのだろうか?そう悩む時もあります。 

 しかしそのすべてのことを含めて、私たちは神に委ねて生きるのです。大胆に言えば、私たちの判断の正しさや誤りは大きな問題ではないのです。ただただ、どれほど祈ったか?神に求めたか?が問題なのです。私たちは罪深い者ですから、祈りつつも、自分の勝手な思いを捨てきれず、御心を聞きとり切れない時もあるかもしれません。しかし、それでも祈って求めたのであれば、神がすべてを良いものとしてくださるのです。私たちが誤ることなく御心を聞きとり、正しく判断をしたときだけ、神が私たちを助け、導いてくださるとしたら、私たちの未来はずいぶんと硬直したものになります。私たちは失敗して良いし、間違っても良いのです。こういうと無責任ではないかと思う方もおられるでしょう。しかし、神のご計画、そして恵みは私たちの判断や行動のいかんに関わりません。 

<御心がなりますように> 

 「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ。」とルカは語っています。「御心が行われますように」という言葉は「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と主の祈りの中にも同じような言葉が出てきます。そもそもクリスチャンとは、「御心を求め、御心のなることを求める」者たちであると言えます。しかしまた、「御心」を、逃げ口上のようにクリスチャンは使ってしまうこともあります。自分の祈りを祈る前から「御心がなりますように」「御手に委ねます」と神に丸投げするような姿勢は実際のところ神にまったくゆだねてはいないのです。偽善者の祈りです。「御心がなりますように」「御手にゆだねます」と言いつつ、御心をまったく問うていないのです。しかし、実際のところ、自分の願いを願わず、「御心がなりますように」「御手にゆだねます」ということが、信仰の優等生だと勘違いしている人が多いのです。祈りを通して、神が私たちに思いを問うておられるのに、神との交わりをなしていないのです。それは実際のところ、御心を問うことを放棄している姿勢です。 

 その勘違いは、主イエスのゲツセマネの祈りを表面的にとらえていることから来ます。十字架におかかりになる前、主イエスはゲツセマネで祈られました。そしてまず主は、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」と祈られました。つまり十字架にかかることを避けさせてくださいと願われたのです。苦しみもだえ、汗が血の滴るように地面に落ちた、とルカによる福音書に描かれています。私たちは血のような汗を流して祈ることは生涯に何度もないかもしれません。またパウロのように悩みおののき、心くじかれ、なお聖霊に問うことも多くはないでしょう。しかし、恐れつつ悩みつつ、ぎりぎりの思いで御心を問うところに、御心は為されるのです。私たちは心素直に自分の願いを神に申し上げます。神に願いを申し上げるからこそ、また精いっぱい御心を聞こうとするのです。しかし、結果的に聞き間違えてしまうかもしれません。誤った方向に行くかもしれません。しかしなお、心砕かれながらも御心を問う者の上に必ず御心はなるのです。一方で、ぎりぎりの祈りをすることなく、安易に優等生のつもりで「御心のなりますように」「御手にゆだねます」と祈るとき、私たちは永遠に御心を知ることはできません。 

 祈りは神との格闘です。旧約聖書でヤコブが神と格闘したように、私たちもまた、祈りを通して神と精いっぱいの格闘をします。受難節、私たちはゲツセマネの主イエスの祈りを覚えつつ、御心を問います。そのとき、必ず、私たちの上に、また教会の上に御心がなるのです。