大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ヨハネの黙示録第21章1~5節

2021-10-31 17:48:44 | ヨハネの黙示録

2021年10月31日須磨月見山主日礼拝説教(逝去者記念礼拝)「涙はぬぐわれる」吉浦玲子 

<耳で聞かれた手紙> 

 「わたしはまた、新しい天と地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」 

 迫害されてパトモス島に流されていたヨハネは新しい天、新しい地を、幻に見ました。「ヨハネの黙示録」という書名にある黙示とは、隠されていたものが示されるということで、啓示と同じような言葉です。黙示で示されることは、これから起こることでありますが、はっきりとした筋書きや期日や内容が示されるわけではなく、幻のようなイメージで示されます。「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である。(マタイ24:36)」そのように福音書に記されているように、やがてくる決定的な<その日その時>のことは、父なる神だけがご存知であって、詳細はその時まで伏せられているのです。<その日その時>が黙示されているのが黙示録です。 

 詳細は伏せられているのであれば、「ヨハネの黙示録」はなぜ記されたのでしょうか?はっきりと書かれていないのなら、わざわざ書かれない方が良いのではないかと感じられるかもしれません。実際、この「ヨハネの黙示録」は、さまざまな解釈をされて、世界の破滅の予言のように語られることもあります。新興宗教に部分的に利用されたこともあります。実は私自身も、まだ教会に行っていなかった若い頃、妙なユダヤ主義の著者による怪しげな予言書を読んだことがあります。当時、流行っていた本なのですが、それがあとから思いますと、この「ヨハネの黙示録」をベースに勝手に解釈した人類破滅の予言書だったのです。もちろん、この「ヨハネの黙示録」は、そのように世界の終わりの時を煽って恐怖感を与えるために書かれたものではありません。そうではなく、むしろ、神を信じる者への慰めと希望を与えるために書かれたものです。 

 そもそもこの書物は、迫害の中にあった1世紀のクリスチャンへ送られた手紙の形式をとっています。この手紙は、クリスチャンの集まり、集会、礼拝において読み上げられたのです。人々は耳からこの黙示録の物語を聞きました。この書物のかなりの部分は恐ろしい禍々しいイメージで占められています。星が落ちてきたり、海が血に代わったり、大きな災害が起きたり、恐ろしい戦いや獣の姿をした暴君が現れたりします。今日お読みした箇所の直前ではサタンが敗北します。この手紙が最初に読まれた1世紀は、現代のような映像技術による表現はありませんが、むしろ、人々は読み上げられている内容を集中して耳で聞き、聖霊によって示されたことでしょう。人々は、その場面をどんな壮大な映像技術を駆使されたよりも鮮やかなイメージとして感じ取ったでしょう。人々は息もつけないような緊迫感をもって読み上げられる言葉を、遠い話ではなく、自分たちへの言葉として聞いたでしょう。そしてその言葉は、当時の人々を大いに慰め、力を与えたのです。恐怖を与え、怯えさせるのではなく、神の恵み、力、愛を人々は感じ取ったのです。 

 そしてそれは、迫害を受けていた1世紀のキリスト教徒だけではなく、今日、今、ここで共に礼拝をお捧げしている私たちもまたそうなのです。私たちは、2000年前に読み上げられていたこの手紙によって、神から与えらえている恵みと希望の根拠を明確にすることができるのです。「わたしはまた、新しい天と地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」すべてが新しくされる、天も地も、新しくされる、それこそが私たちの希望の根拠なのだと私たちは示されているのです。 

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 そもそも、最初の天と最初の地とは、天地創造において、神がお造りになったこの世界そのものです。しかし、その世界に終わりがあることを聖書は語ります。始まりがあって終わりがある、それが聖書の世界です。ぐるぐる循環するような時間の感覚ではないのです。世界にも、そして私たちのこの世の人生もまた初めがあって終わりがあります。誰にでも肉体の死が訪れます。 

 個人的なことを申し上げるのは恐縮なのですが、私の父は私が四歳の時、脳出血で32歳の若さで亡くなりました。亡くなったその日の朝まで元気で、普通に会社へ出勤をする準備をしていて、突然、倒れて、意識不明のままその日の午後に亡くなりました。私は、畳の上に倒れたスーツ姿の父をおぼろげながら覚えています。まだ小さな子供を残して、突然、人生を終えてしまった父は無念であったと思います。一方、私の母は、7年前に病で亡くなりましたが、さまざまな事情があり、その晩年、一時期、私と疎遠になっていました。もちろん、そうなった理由をどうにかして、和解したいと願っていましたが、その前に、母は急激に認知症が進んでしまい、何も分からなくなってしまいました。会いに行っても、私のことはかろうじて娘と分かるのですが、過去のやり取りなどは全く忘れていて、疎遠になったことに関わる話は一切できませんでした。お互いにわだかまっていた思いはもうどうにもできなくなりました。そしてそのまま天に召されてしまいました。ですから本当に意味で母との和解をせぬまま送り出してしまったことになります。私自身、何とも言えない思いが残りました。そしてまた一方の母の思いはどうであったのかと思います。 

 実際、この世界にはいろいろな別れがあると思います。別れの言葉さえ言えない突然の別れもあり、どうにもならない事情の中で、さまざまま思いを抱えたままでの別れもあります。初めがあり、終わりがあるのですが、その終わりにおいて、大団円とはいかないことも多くあります。できることはやりつくして別れたとしても、悲しみや喪失感は大きいものです。ましてや、突然のことであったり、さまざまな事情の中で、悔いやいろんな思いが残ることもあります。 

 しかし、聖書は語るのです、初めと終わりを支配されているのは神なのだと。そしてまた私たちがこの世界で「終わり」だと感じていることは実は終わりではないのです。新しい天と地が来る、ということが示すのはそういうことです。古い天と地が終わって、それで終わりではないのです。ですから、私たちは、この世界の終わり、そしてまた自分の人生の終わりについて、神にお任せしたらよいのです。この世界でできなかったこと、あの人に対してできなかったこと、逆になぜあのとき、あんなことをしたのか、あの人になぜなんてことを言ってしまったのか、そういったことすべてを神にお委ねしたらよいのだと聖書は語るのです。 

 そもそも新しい天と地については、いろいろな解釈があります。ある神学者は、穏やかな世界の変化だと語っています。しかし、今日の聖書箇所の少しあとのところで、この新しい天と地にある都エルサレムについて書いてありますが、この新しいエルサレムは、長さと幅と高さが1万2千スタディオンと書かれています。この高さのサイズは成層圏を越えるようなとてつもない高さなのです。そう考えますと、この新しい天と地は、穏やかにいまの世界が変化するというより、全く違う世界が起こると考えた方が良いのでしょう。実際、今日お読みしました聖書箇所でも、新しいエルサレムが天から下って来ると書かれています。新しい天と地は、今の世界の延長ではなく、まったく世界が新しくされるのです。神の「終わり」というのはそういうことです。そして私たちは、何かこの世界の延長のような漠然とした桃源郷のようなところを天国だとして、そこに行くのではなく、全く新しくされた世界に生きるのです。そしてまたそれはふわふわとした概念的なものではなく、確かな新しい世界なのです。そして私たちはそこで蘇りの体をいただき生きるのです。 

<神と共に生きる> 

 そしてその新しい天と地において、私たちは神と共に生きるのです。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。」 

 私たち何となくお花畑のような美しい天国で懐かしい人々と再会して暮らすのではありません。いやそういうことはあるのでしょう。しかし何より、聖書が語るのは、新しい天と地において、私たちは神と共に生きるのだということです。いま、私たちは神を肉体の目で見ることはできません。しかし、新しい天と地において、神が私たちと共に住んでくださるというのです。何より私たちは、神の民とされるというのです。 

 そして神と共に生きるということは、なにより神の愛と慈しみのうちに生きるということです。私たちは現在のこの世界で精いっぱい生きながらも、どうしてもやりきれないこと、失敗することがあり、人間関係においても悔いを残してしまうこともあります。思いもかけない事故や災害に巻き込まれ深い悲しみを負うこともあります。そのように私たちはこの世界での人生を、ある意味、痛みや悲しみ、涙を蓄積させながら生きます。しかし、新しい天と地において、「神は自ら人と共にいてその神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐいとってくださる。」とあるように、私たちはこの世で流した涙をすべてぬぐいとっていだけるのです。私たちは、新しい天と地で、単に懐かしい人々に遭うのではなく、なにより、神と顔と顔を合わせてお会いして、私たち自身をすべて新しくしていただくのです。完全な慰めをいただくのです。 

 それは単にこの世でできなかったことが、あの世でどうにかなるという無責任な人間的な希望が叶うということではありません。最初の世界の壊れゆえ、また私たちの罪ゆえ、ひび割れていたすべてのことが修復されるということです。それは神にしかできないことです。そしてまた私たちはこの世界でスーパーマンのように強くならなくてもいいのです。すべてを自分の責任で負って生きていくのではありません。仮に失敗をしたとしても、そのすべてを神が引き受けてくださるのです。もちろん、キリストの十字架のゆえに、神に救われた者として、神に感謝しながら、神と隣人を愛しながら生きていきます。しかし、人間には限界があります。その限界を限界のまま、神にお委ねして謙遜に生きていきます。弱さのままで生きていきます。自分の弱さも欠けもすべて神にお委ねします。そのとき、むしろ今の世界はどうでもよいというのではなく、大胆に失敗を恐れず、力強く私たちは今のこの世界を私たちは生きていくのです。 

<信仰を与えられて> 

 ところで、この「ヨハネの黙示録」は迫害を受けていたキリスト教徒に向けて読み上げられたと申しましたが、初期のキリスト教徒たちは、殉教した仲間の名前を集会で読み上げ、その棺の上で聖餐式をしたと言われます。聖餐式はキリストの十字架の死を覚え、そのことのゆえに贖われ罪赦されたことを感謝し、復活の希望を新たにするものです。迫害を受けていた人々は、まさに肉体の死と隣り合わせの日々を送りながら、なおそこに、キリストの十字架を覚え、復活の希望に生きていました。肉体の死は痛ましいものですが、十字架と復活のキリストを信じる信仰のゆえに、次々と仲間を失いながら、なお彼らに希望がありました。それは、現実の苦しみから目をそらすために、夢物語のような天国の作り話にすがったからではありません。実際そこに、家族や友の棺があるという厳しい現実がある中で、なお、そこにも神の力が及んでいることを、たしかに彼らは感じていたのです。死を打ち破る命があることを彼らは知っていたのです。彼らは迫害の中で信仰を失いませんでしたが、それは迫害者と闘争や戦闘をしたわけではありませんでした。無力にとらえられ、酷い目にあわされたのです。クリスチャンでない者からしたら殉教は、けっして華々しいものではなく、みじめで弱々しいものに見えたでしょう。 

 私は長崎県佐世保市というところの出身ですが、カトリックのクリスチャンが多いところです。私自身はクリスチャンホームの出身ではありませんでしたが、何となく教会やキリスト教の雰囲気にはなじんで育ちました。子供のころ、市外の郡部には隠れキリシタンの家が割と普通にありました。昭和の時代でしたが、そういう家では仏壇の中に、マリア観音が置かれていたりします。今日は宗教改革記念日であり、プロテスタントとしては、マリアに対して特別な崇敬を持ちません。また、隠れキリシタンの中には本来の信仰から変容して土俗化した信仰になったものもあったと言われます。実際、明治以降、教会に戻らなかった、教会になじめなかった隠れキリシタンたちもいたようです。しかし、そういうことはありますが、何百年にもわたって迫害の中で守られて来たマリア観音を思う時、そこに一筋の信仰の光があったことを感じます。ニカイヤ信条以来の信仰がたしかに迫害の中にあったのだと思います。神の創造の業を信じ、来るべき新しい世界を信じ、復活の命、永遠の命を信じた人々が黙示録の時代のみならず、この日本の片田舎の近代においてもたしかにいたのです。私たちの信じる聖書の信仰の命は弱々しいようで、実際のところしたたかで強靭なのです。私たちの信仰が強いわけではなく、そのような信仰を聖霊によって私たちはすでに与えられているのです。神が与えてくださっているのです。 

 さきほど、初期のクリスチャンは殉教者の棺の上で聖餐式を行ったと申し上げました。しかし、21世紀を生きる私たちもまた教会において礼拝を捧げる時、同様に、新しい命の希望を新たにされ生きています。いまここに肉眼で神、キリストを見ることはできませんが、私たちはたしかに教会において、そして礼拝のただなかにおいて、神の民とされ、神と共にあります。そしてまた、この地上の礼拝は、天の礼拝とも繋がっています。今日は逝去者記念礼拝です。私たちは先にこの地上の生涯を走り終えられた方がたを覚えます。今、私たちはその一人一人の方々を肉眼で見ることはできません。しかし、今捧げているこの地上の礼拝は、天の礼拝とつながり、やがて来るべき新しい天と地における礼拝の先取りです。先人たちをどのような時も守り、その信仰を与えてくださった神に感謝をいたします。この須磨月見山教会の長い歴史を支えてこられた先人たちには、多くの困難もあったと思います。涙の祈りの時もあったでしょう。しかしなお、その涙はぬぐわれました。いま神の御もとにやすらっておられます。わたしたちもまた先人と同じ信仰を神によって与えられ、守られ歩みます。この地上の須磨月見山教会の礼拝において、神と共に歩みます。そして、やがてすべてが新しくされ、すべての涙がぬぐわれ、新しい天地で今ここにおられない方々も共に喜びの礼拝を捧げます。その希望のなか、私たちは今日を大胆に生きていきます。初めと終わりを支配してくださる神にすべてをゆだね力づよく歩みます。 

 


ペトロの手紙Ⅱ第一章1~11節

2021-10-24 15:53:10 | ペトロの手紙Ⅱ

2021年10月24日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子 

<招かれた私たち> 

 主イエスは罪人のただなかに来てくださいました。主イエスは徴税人や娼婦といった社会的に見たら軽蔑されていた人々,神からもっとも遠いと思われていた人々と食事を共にされ、救いの言葉を語られました。そして、そのもっとも神から遠いと思われていた人々が救われました。言(ことば)なる神と出会い、その言葉を聞いて信じ、多くの人が救われました。その救いは私たちにも与えられました。私たちは2000年前、ローマの手先として同胞から金を搾り取っていた徴税人や、あるいは罪深い娼婦とは異なった存在だったでしょうか?神の前に罪人であることにおいて、まったく違いはなかったと言えます。私は確かに罪人だったかもしれないけれど、徴税人よりはマシだとか、娼婦ほどではない、そういうことはないのです。私たちはだれもが深い罪の中を生きていました。 

 ルカによる福音書の中のエピソードですが、主イエスに救われた徴税人の一人であったザアカイは主イエスに言います。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かをだまし取っていたら、それを四倍にして返します」イエス様は罪の世に生きる罪人のところに来られます。そしてその罪人を罪人のまま招かれました。招きに応じて主イエスを信じた者は救われました。救われた者は変わるのです。たとえば、これまで不正な儲けによって財産を溜め込んできていたザアカイが、財産の半分を貧しい人のために施すといったように。主イエスが来られた喜びのゆえにザアカイは自ら財産の半分を施すと言ったのです。そのザアカイを見て、主イエスはおっしゃいました。「今日、救いがこの家を訪れた」と。財産の半分を施すというザアカイの決意を聞いて、じゃあお前を救おうと主イエスは言われたわけではありません。主イエスと出会った、それも主イエスの方からザアカイに呼びかけられた、それゆえに、ただそれだけで、ザアカイは変えられました。救い主であるキリストと出会って変わったのです。それまでザアカイは知らなかったのです。ほんとに大事なものを。しかし、主イエスが彼のもとに来られて、ザアカイの世界が変わったのです。それまでの暗い深い闇に包まれたザアカイの日々に光が射しました。神の光が射したのです。むなしい世界であり、意味のない人生であれば、せいぜい好きに生きればいい。主イエスの時代、ローマに支配されていた祖国のイスラエルがどうなろうとかまわない。自分はただ、この世を生き抜くためにお金だけを信じ、お金を得るためなら手段を択ばない、ローマの手先となって同胞を苦しめることもいとわない、そのような徴税人として生きて来た日々が変えられました。キリストと出会い、神の言葉を聞いたとき、まさに平和と喜びに満たされたのです。それは単にちょっと良い話、ためになる話を聞いたのではありません。神と共に生きることこそが人生の目的であることが分かったのです。財産やお金やこの世の地位がすべてではなくなったのです。猥雑な楽しみも、ひととき盛り上がる酩酊も要らない、もっと大事なことを見つけたのです。生きていく中心が見つかったのです。私たちもそのような者としてすでにイエス・キリストによって召されました。 

<すべてのキリスト者へ> 

 今日からペトロの手紙のⅡを共に読んでいきます。ペトロの手紙のⅠもそうだったのですが、ペトロの手紙という名称ながら、実際の著者は明確ではありません。ペトロの名前を借り、ペトロの教えを受け継いだ誰かがこの手紙を書いたと言われています。また、ペトロの手紙Ⅰはその冒頭に、送付先の地域が書かれていましたが、Ⅱに関しては、特に地域や対象が明示されていません。言ってみれば全キリスト教徒、世界中のキリストの弟子たちに向けて発信された手紙であるといえます。さらに言えば、このペトロの手紙Ⅱは、新約聖書の文書中、成立が最も遅い時代であると考えられています。2世紀の中盤とも言われます。つまり、主イエスの十字架の出来事から100年以上たったころ、人びとに読まれた手紙です。すでにイスラエルがローマに破壊されて、エルサレム神殿がなくなってからも50年以上たっていました。かつて、福音書の時代、主イエスと対立したサドカイ派は70年のエルサレム神殿崩壊と共に壊滅し、ファリサイ派は、各地に散らばっていきました。キリスト者もまた、ローマ帝国の各地に散らばっていたのです。そういう時代背景を考えますと、この手紙は、ある意味、キリストの十字架の出来事を目撃した第一世代の弟子たちがいなくなり、福音書の舞台となったイスラエルという国もなくなった新しい時代を生きる人々へ宛てられた手紙といえます。聖書の教えを伝える者も、それを聞く者も、いずれも主イエスが地上におられた時代を知らない時代に成立した文書なのです。そういう意味では、現代に生きる私たちに近いところで書かれた文書であるともいえます。当時、各地に散らされているキリスト者は依然としてローマから迫害を受けていました。そして同時に、異端的な教えもさらに増えていたのです。その状況の中で、しっかりと正統的な教えに立とうということで書かれたのがこの手紙であろうと思います。ペトロの手紙Ⅰと同様、著者が語る部分について、あえて「ペトロ」という使徒の名前を使って語ります。それは時代が変わっても、ペトロたちが信じていたことと信仰が変わったわけではないからです。21世紀に生きる私たちもまた、そうです。キリストを信じる信仰、聖書の言葉はけっして変わることはないのです。ペトロ本人が語った言葉も、それを受け継ぐ弟子たちの言葉も、いずれも初代教会の教えと変わることはありません。私たちの信仰、大阪東教会の信じるところもペトロたちの信仰と何ら変わることはないのです。いきなりザアカイの話をしましたが、ザアカイの時代も、そしてまたこのペトロの手紙Ⅱを最初に読んだ二世紀のキリスト者も、私たちも、キリストの光の中に、新しく生かされている者として同じ信仰に生きています。 

 そしてペトロは語ります。「主イエスは、ご自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。」私たちは「与えられた」のです。ザアカイが与えられたように、私たちも主イエスご自身の神の力によって、「命と信心とにかかわる」すべてを与えられました。必要な「すべて」を与えられたのです。それにプラスアルファで別のことが必要だとは言われていません、主イエスが与えてくださったこと以外に、たとえば人間の立派な行いが必要だなどということはないのです。 

 ザアカイは、ただ有名なイエスという人を見ようと思って木に登ってイエスを見ました。私たちも主イエスを見て、知るのです。それは御言葉によって知るということです。「それは、わたしたちをご自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです」主イエスご自身が私たちに見せてくださるのです。だから私たちは主イエスを知ること、認識することができます。 

 この「認識」という言葉は「知識」という言葉でもあります。ギリシャ語で「グノーシス」です。この手紙が発信された二世紀、まさにグノーシス主義という異端が起こっていました。グノーシス主義は必ずしもキリスト教における異端には限りません。たとえば、現代でいうところのスピリチュアルもグノーシス主義の側面を持つといえます。「グノーシス(知識)」に人間の力で到達することを目標としているのが特徴です。手紙では、この「グノーシス(知識、認識)」という言葉をあえて使ってありますが、そのようなグノーシス主義ではない、まことの知識、認識は主イエスご自身が与えてくださるのだと語られているのです。私たちが何か修行したり瞑想したりして知識に到達するのではなく、キリストご自身によって、知らされるのだと語るのです。 

 さきほど、この手紙は十字架の出来事から100年ほどたって成立したと申しました。実際のところ、キリストの復活、昇天から100年たっても、キリストの再臨はありませんでした。第一世代の弟子たちは去り、なお、キリストの再臨がないなか、迫害は続ていました。キリストの再臨、終わりの日の希望に生きていたキリスト者たちのなかに動揺があっても不思議ではありません。グノーシスのような異端も起こっています。その状況の中で、なおしっかりとキリストを信じる信仰に立とうとこの手紙は語っているのです。「この栄光と力ある業とによって、わたしたちには尊くすばらしい約束が与えられています。」すでに約束されているキリストの再臨、終わりの日の希望の約束にしっかりと立つことが勧められています。自分の知識や行いで救われるのではない、ただ救い主なるキリスト・イエスに固く立つのだと手紙は語っています。この手紙を読んだ2世紀のキリスト者も、私たちも、キリストのなさった業を肉眼で見たわけではありません。しかし、それぞれにキリストと出会い、確かな約束をいただいています。その約束にしっかりと立つことが語られています。 

<神の本性にあずかる> 

 ですから、この地上を歩む時も、キリストを知る以前のように、この世の悪しきあり方に染まらず歩むのです。ザアカイが強欲や不正から離れたように、私たちも情欲に染まったこの世の退廃から離れます。それは自分の意思で離れるというより、神の約束を信じる時、おのずと免れさせていただくのです。自分で自分の中にある罪の力、この世の退廃に惹かれてしまう情欲を捨て去るのではありません。それはできないことです。しかし、キリストを知り、そしてその約束の素晴らしさを知る時、私たちはこの世の退廃の虚しさを知ります。この世にあって情欲にまみれて生きることがむしろ悲しみに満ちたことだと少しずつ知るのです。 

 子供のころからクリスチャンの親に連れられて教会に行き、中学生の時、洗礼を受けた友人が言っていました。大学に進学して親元を離れて自由になって教会に行かなくなったそうです。ずっと親や教会に縛られているようえ嫌だったのが、日曜にも友達と遊びに行ってとても楽しかったそうです。まさに青春を謳歌していたそうです。そのなかで、なにか不都合があったとか、挫折したということではないのですし、その友人が特別になにか退廃的なことをしていたわけでもありません。しかし、ある時、心がざらっとしていることに気づいたそうです。いつのまにか世界がどんよりとして心が薄暗いところに沈み込んでいくような気持ちがしたそうです。教会から離れて、自由で楽しくて仕方なかったはずなのに、これは何か違うと感じたそうです。そして教会に戻ったそうです。 

 私たちはこの罪の世のあり方、情欲に染まり退廃的なこの世から完全に離れることはできません。むしろ私たちの本性はこの世を好み、情欲にまみれるものです。しかし、キリストを信じる信仰を与えられている私たちは、罪の世、そしてもともとの自分の本性からも守られているのです。「われらをこころみにあわせず悪より救いいだしたまえ」と主の祈りで祈りますが、まさにその祈りは聞かれて、私たちは守られています。そして守られているだけではありません。この罪深かった私たちが「神の本性」にあずからせていただくのです。愛に欠け、弱く、真理を知らなかった私たちが、愛と力と知恵をいただくのです。神の性質にあずかるのです。キリストご自身の神の力によって、私たちは神の性質にあずかります。それこそが、何より素晴らしい約束です。いやそんなことはない、自分は相変わらずダメな人間だと思う必要はないのです。すでに神の力は私たちに及んでいるのです。私たちはこの世の力ではなく、神の力によってすでに生かされています。 

 


ペトロの手紙Ⅰ第5章6~14節

2021-10-17 15:00:10 | ペトロの手紙Ⅰ

2021年10月10日大阪東教会主日礼拝説教「悪魔への抵抗」吉浦玲子 

<思い煩いをゆだねられるか> 

 「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい」とペトロは語ります。この言葉は、福音書の中にある主イエスご自身の「思い悩むな」という言葉と響き合います。「明日のことを思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ6:34)」私たちの日々には思い煩い、思い悩みが多くあります。小さな子供であっても、さまざまに胸を痛めて思い悩みます。そんな私たちをこれらの言葉は慰めてくれます。実際、大きなトラブルがあって夜も眠れない状態で思い悩んでいたノンクリスチャンの友達に、このマタイの言葉をメールしたことがあります。普段は宗教的なことを嫌う友人が「ほっとする言葉ですね」とその夜はゆっくり眠ることができたと言われたことがあります。 

 ところで、一般的に信仰者というのは、泰然自若(たいぜんじじゃく)として、なにかあっても神に委ね切って動揺しないことが信仰深さの現れのように考えられています。たしかに、くよくよ思い悩んだり、取り乱すのは信仰者らしくないように感じられます。私が小学生か中学生のころに読んだマンガで忘れられない場面があります。少女漫画でしたが、内容は社会的なことを取り扱っていて、とてもシリアスなものでした。と言いましてもほとんどストーリーは忘れたのですが。主人公の女の子、たしか中学生か高校生くらいなのですが、その主人公の友人の女の子がいて、その子がクリスチャンという想定でした。当時私は教会に行ったこともなく、信仰というものをまったく分かっていなかったのですが、そのクリスチャンの友人が、重い病気になるのです。友人は緊急手術になり、命も危ないかもしれないという状況で、手術室に運ばれていくとき、不安のあまり、とても取り乱すのです。その友人に対して主人公の女の子が「あなたクリスチャンでしょう!信仰を持っているんでしょう。それなのにその態度はなんなの。しっかりしなさい」と言うんです。いわれた友人ははっとして「そうだったわ」と気を取り直して手術室に向かうという流れになっていました。私は何十年も前に読んだ、全体のストーリーすら忘れたそのマンガのその場面がずっとひっかかっていました。まだ自分が信仰を持っていない時だったのですが、「あなたクリスチャンでしょ、信仰者でしょ、取り乱さないでしっかりしなさい」という言葉には、少し違和感があったのです。 

 実際、自分がクリスチャンになって、自分が何か事が起こった時いつも平静でいられるかというとそうではありませんし、明日のことをまったく思い悩まないなどということもないのです。そして思い煩いをすべて神にお任せできない自分につくづく自分は信仰者としてダメだと思ってしまって、そこで思い悩みがさらに深まる、ということすらあります。 

 しかしまた、主イエスご自身、けっして思いまどうことなく父なる神の御心をいつもおうけになったかというと、そうでもないのではないかという場面が福音書にはあります。ゲツセマネの祈りの場面です。キリストは十字架を前にし、ゲツセマネでひどく恐れ悲しみもだえられました。古今東西、死を前にして勇敢に恐れることなく立ち向かった人間は多くあります。それに対して、イエス・キリストは恐れ、悲しみ、もだえられました。血のような汗を流されました。この場面をもって、イエスは情けないという人もあります。さすがのイエス様でも逮捕や死ぬことは怖かったのだと思う人もあるようです。しかし、主イエスの十字架の死は、通常の人間の死ではありませんでした。全人類の罪を負い、その罪ゆえに神の裁きをお受けになる、神の怒りをお受けになる、そのような死でした。竹森満佐一牧師は、いまだ人間の誰も経験したことのない完全なる死とおっしゃっていました。父なる神の怒りを受けることの、ほんとうの恐ろしさをご存知だったのは、神なるキリストだけです。ですからキリストは十字架の前、恐れ悲しみもだえられました。そこには救い主の戦いがありました。 

 キリストのゲツセマネでの苦しみ、十字架の上の悩みは、私たちの思い煩い、思い悩みとはまったく次元の違うものであるといえます。しかしまた、同時に、父なる神に自分をゆだねていくということにおいて、私たちもまた、キリストと同じように戦うのです。一人一人の戦いがあるのです。戦いもなくゆだねますというのは丸投げでしかありません。本当に神に信頼している姿ではありません。私たちは肉体を持ち、生物学的な欲求を持ち、肉体的な苦痛を恐れます。また自分の意思を持ち、一方で社会的な存在として生きていきます。その中で、私たちは霊的に神と交わりながら、神に自らをゆだねていきます。しかしそこには戦いがあるのです。ヤコブが一晩中、神と戦ったように、ヨブが神と口論したように。イサクを奉献せよと命じられたアブラハムとイサクに静かな戦いがあったように。私たちには思い煩いの中で、戦いがあります。その戦いの中で、神ご自身が語ってくださるのです。神が私たちを心にかけてくださっていることを。繰り返し繰り返し、知らされるのです。あの時は神は心にかけてくださったけれど、今は忘れられている、そういうことはないのです。そんなちっぽけなことにくよくよするお前はだめだなどとはおっしゃらないのです。一人一人にそれぞれの戦いがあることをよくよく神はご存知なのです。そして、いつもいつも心にかけてくださっているのです。そのことを私たちは戦いの中で繰り返し知らされるのです。 

<悪魔の策略> 

 そして私たち一人一人のちっぽけとも思える戦いは、実は大きな意味を持っています。私たちの思い煩い、そして戦いの本質にあるものは、衣食住の悩みから将来への思い煩い、あるいはどうしようもない人間関係などなど、それらは極めてこの世的、現実的なことのようです。しかし、突き詰めますと、自分の存在そのものの不確実さと、さらに突き詰めますとそこには「死」への恐れがあります。この自分の存在が自分ではどうしようもないというところに至ります。自分の身の回りのことも、これからの時間も自分の手のうちにないのです。ただ神の手のうちにあるのです。ですから私たちは思い煩うのではなく、神に向いて生きていくのです。「身を慎んで目を覚ましていなさい」とペトロは語っています。これは単に謙遜の美徳を説いているわけではありません。私たちには、私たちを神から引き離そうとする力が働くからです。私たちの心を私たちではどうしようもないところへと向けようとする力が働くからです。ペトロはそれを悪魔と呼んでいます。 

 ペトロの手紙が送られた人々は迫害の中にありました。まさに吠え猛る獅子のような存在があったのです。現代では、そのような悪魔はいないのかというと、やはりいるのです。そして、悪魔が悪魔の姿をして現れるのであれば、まだこちらも防ぎやすいのです。しかし実際に悪魔は、悪魔の姿をしてはやって来ません。むしろ信仰深そうな姿をしてやってきます。愛や平和を語るのです。パウロの手紙を読みますと、教会の中に、律法を守ることを主張する人々が入り込んできたことが記されています。その人たちは実に信仰的宗教的に見える人々でした。割礼をすること、食事の規定を守ることを勧めました。しかし、それはつまりキリストの十字架だけでは救われないと言っているのです。福音だけでは不十分だと言っているのです。実際彼らは真面目な宗教家の側面があったでしょう。しかし、彼らは反キリストであり、福音を汚す狼でした。パウロは「残忍な狼」と言いました。宗教的な信仰的な姿をして狼は、人びとを福音から引き離そうとします。これは現代でもあります。律法的なこと、行為義認的なことを勧め、福音から人々を引き離す力というのは現代でも働いています。キリスト者自身が真面目なキリスト者になろうとしてどうしても律法的になる傾向があるのです。そこに悪魔が入り込んでくるのです。 

 そして、繰り返し語っていることですが、現代の教会でもっとも多い悪魔は、それはやはり世俗化を進めて来る悪魔でしょう。愛と平和を語りながら、教会を楽しいこの世的なコミュニティセンター化する力が入り込んできます。身を慎んで神の言葉の前に立つのではなく、キリストの愛の名のもとに、自分たちの居心地の良さや楽しみを求める力が働きます。 

 しかし私たちは、そのような悪魔に対して自分の力で戦うのではありません。「信仰にしっかり踏みとどまる」のです。信仰にしっかり踏みとどまるというのは、なにより、神が私たちを心にかけてくださっていることを知るということです。神の顧みが、私たちの思いをはるかに超えて深いこと、神のなさることが私たちの為すことを越えてはるかに大きいことを知るということです。それがすべて私たち一人一人のために為してくださっていることを知るということです。 

 神が私たちを深く心にかけてくださっていることを知っているから、私たちは身を慎むことができるのです。神の前にへりくだることができるのです。思い煩いをゆだねることができるのです。神がとてつもなく私たちを愛してくださっているから、私たちは神の前で謙遜になることができます。神が私たちのことをほったらかしで、私たちが自分でいろんなことを自分でどうにかしないといけない、自力で悪魔と闘わなくてはいけない、というのであれば、私たちは自分の力に頼らざるをえません。そして私たちはへりくだることはありません。 

 悪魔と戦ってくださるのは神ですが、その神へへりくだるプロセスにおいて私たちには戦いがあります。戦いには痛みと悔い改めが伴います。神と戦ったヤコブが、足の腿の関節を神から外されたように痛みを負います。誰よりも聖書に詳しく神に忠実だと高ぶっていたバウロはダマスコ途上でキリストの光によって打ち倒されました。この手紙を書いているペトロ自身、主イエスの前に出て主イエスをいさめようとして「サタン、引き下がれ」と言われました。神の前にへりくだらない時、自分自身が悪魔となってしまうのです。神のなさることを妨害する者となってしまいます。自分では神のために教会のために、と思いながら、むしろ、神の業を阻害する者となってしまうのです。 

 その時私たちは神から打たれます。しかし、神から打ち倒されることは恵みなのです。神に対して高ぶり、悪魔に取り込まれことがないように神は憐れみをもって私たちを打たれるのです。打ち砕かれ悔い改めたとき、私たちは謙遜を学ばせていただきます。一生涯、謙遜の学びともいえます。しかしそれこそが神が心にとめてくださることを知り、神の愛を知ることです。 

 

 


ペトロの手紙Ⅰ第5章1~5節

2021-10-10 15:53:37 | ペトロの手紙Ⅰ

2021年10月10日大阪東教会主日礼拝説教「高慢こそ罪の根源」吉浦玲子 

<弱さと痛みにゆえに> 

 昔、お世話になった隠退牧師があります。女性の牧師でした。いまよりも、女性の牧師の数が少なく、さまざまに制約のあった時代に、女性の牧師として道を切り拓い方でもあります。その先生は、現役時代、4つの教会でそれぞれに会堂建築をされた方でもあります。その4つとも、小さな教会で、経済的には常識的に考えて会堂建築なんて無理と思われていたところでした。にもかかわらず、建築を実現された。話をしていても大変迫力がある方でした。ずばずばと厳しくはっきりものは言われる方で、男性の牧師がたじたじとなるような方でした。しかしまた言葉の奥に愛を感じる方で、皆が頼りにしていました。その牧師と共通の知人がいて、その知人から聞いたことです。その牧師先生は結婚をなさっていましたが、子供がなかったそうです。高齢になってからも、それを時々気に病んでおられたそうです。先生は、若い時に病気をされて、子供を産むことができない方だったのです。ご主人はそれを承知で納得されて結婚をされ、夫婦二人で歩んでこられたのです。それでも、女性の先生は、時々思い出したように、自分には子供がいないということを悲しんでおられたそうです。で、知人がその都度に、「先生、自分には子供がいないというけれど、あなた、たくさん<霊の子供>を産んだでしょう?」というのだそうです。<霊の子供>は、信仰の上での子供ということです。その先生が洗礼を授けた人たちであり、また信仰を導いた人たちです。そうしたらその先生は「ああ、そうやそうや、感謝や、私には神様がたくさん<霊の子供>を与えてくださった」と気を取り直されたそうです。その話を聞いて、あの迫力のある、信仰の情熱の塊のような先生にも弱いところがあるのだなと感じました。でもかえって親近感がわいたところもありました。どんなに強いように見えていても、人間は神の前では皆弱い者です。しかしまた、思いました。私たちは神の前に生きる時、弱さや痛みゆえにゆだねられているものがあると。私たちは弱い罪人ですが、その弱さゆえ、罪ゆえに、むしろ神は、私たちに委ねてくださるものがあるのです。 

 さて、今日の聖書箇所には、長老という言葉が出てきます。ここでいう長老とは今日でいう長老教会における長老とイコールではありません。長老、執事、牧師、監督といった教会の職制はもう少し時代が新しくなってから成立します。今日の手紙の箇所で書かれている長老とは、その呼び名の通り、年配の人、というニュアンスがあります。ベテランの信仰者ということでもあります。しかし、ただ信仰歴の長い人、歳をとった人というだけでなく、教会を導いていくリーダーというニュアンスもあります。そういう意味では、今日の長老や牧師とも通じるところがあります。 

 その長老たちに私自身も長老なのだとペトロは語ります。同じ長老同士として長老方へ語りたいと、親身な思いで語りかけています。そしてまた「キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として」とも語っています。ペトロにとって「キリストの受難の証人」ということは痛みを伴う言葉であろうと思います。福音書を読みますと、彼は、キリストの受難の時、つまり主イエスが逮捕され十字架におかかりになる時、逃げて、裏切った者だからです。ペトロは、おそらく、キリストの十字架そのものは見ていないと考えられます。ですからここでペトロは、自分は主イエスの生前からの弟子で、直接にその受難も目撃したのだということで受難の証人と語っているわけではないのです。逃げて裏切った自分が、復活のキリストに赦され、いままさに教会において長老として歩んでいる、その赦しのうちに、キリストの受難を覚えているということです。弱くて裏切った自分のために、キリストが十字架にかかってくださった。その十字架のゆえに自分が赦されている、つまりキリストの受難の意味を身をもって知らされた者としての、受難の証人なのです。そういう意味では、私たちもまた受難の証人です。2000年前の十字架の出来事を目撃はしていませんが、今、それぞれにキリストのゆえに罪赦され、歩んでいる、その感謝の内に十字架を覚える時、私たちもまたキリストの受難の証人なのです。歳が若かろうが、信仰歴が浅かろうが、私たちは皆、キリストの受難の証人なのです。そして受難の証人であるということは、私たちは自らの罪ゆえにキリストを十字架につけた者であるという痛みと切り離して語ることはできません。 

<羊をゆだねられる> 

 さらにペトロは語ります。「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい、」「ゆだねられている」とありますが、これはペトロのいうところの長老が、神に対して、この羊とこの羊とこの羊を引き受けますと申告して引き受けたわけではありません。逆に羊の側も、この長老が良いと牧者を選んだわけではありません。牧者も羊も、神が引き合わせ、神が牧者にゆだねられたのです。牧者の側も、羊の側も、ある意味、選択権はないのです。神が羊を牧者にゆだねられたということを、牧者も羊も信じることができるかというのが、まず重要なことです。牧者が羊を選んだわけでも、羊が牧者を選ぶわけでもないのです。それが分かっていなければ、教会は成り立っていきません。牧師であれ長老であれ信徒であれ、それぞれに互いが能力や人格を査定しあって、この人は牧師にふさわしくないとか、長老としてふさわしいとか、人間的に判断をするのではないです。企業であれば、課長にふさわしいとか、社長の器の人だとか、優秀な社員だと査定はできるかもしれません。しかし、教会においては、そのような人間的な判断よりもまず先に神のご意志があることをわきまえ、それを大事に受け止める必要があります。もちろんこれは教会では一切文句を言うなということではないのです。適切な議論や批判はもちろん為すべきです。しかし、突き詰めますと、神の教会において、神にふさわしい者など、どこにもいないのです。ふさわしくない者、罪深く、弱い者が神の恵みによって、神から役割をゆだねられているのです。まずそこに立って歩むのが教会です。 

 ところで、ペトロが、牧者や羊という言葉を出すとき、私たちはヨハネによる福音書の21章を思い出します。このペトロの手紙を読む時、以前にも、引用した箇所です。主イエスが逮捕された時、「イエスなんて知らない」と三度も否定したペトロが、主イエスの復活の後、ガリラヤ湖の湖畔で復活の主イエスと出会う場面がありました。主イエスはペトロに「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と問われました。ヨハネの子シモンとはペトロの正式な名前です。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」という問いは、イエスなんて知らないと言って主イエスを裏切ったペトロにとって複雑な思いを抱かせる問いだったでしょう。裏切る前の熱血漢だったペトロなら「はい、私は誰よりもあなたを愛しています」と自信満々で答えたでしょう。しかし、ペトロは「わたしがあなたを愛していることはあなたがご存知です」と答えることが精いっぱいでした。自分の弱さ、罪を知ったペトロは、端的に「愛しています」と答えることができなかったのです。 

 信仰というのは、確信をもって信じるとか、自信をもって愛するということとは少し違うのです。ペトロだけではありません。私たちは誰でも、神の前に立ったとき、自分の弱さや罪が見えてきます。たしかに神を愛している、目の前におられる復活の主イエスを愛している、でも、そんな自分の心ほどあてにならないものはない、ペトロはよくよく分かっていたでしょう。といってもペトロは、もしふたたび事が起こった時、自分がまたイエスを裏切るとは思ってなかったでしょう。実際、復活のキリストと出会い、ペンテコステで聖霊を受けたペトロは、そののちどれほどの迫害にあってもひるまずキリストを宣べ伝える者に変えられました。しかし、変えられたからといって、変えられた自分、別人になった自分を誇ることはできないのです。変えられれば変えられるほど、自分の罪が見えてくるからです。それを赦してくださっている神の愛の深さを知るからです。「わたしの羊を飼いなさい」という言葉は、よしお前は試練をくぐり抜けて一皮むけて成長したからわたしの羊をゆだねようとおっしゃっているのではないのです。赦され、神の本当の愛を知った者とみなされ、神の憐れみにうちにゆだねられたのです。 

 そして、神の愛を知る者は、自分に権威を持つことができません。羊をゆだねられている、それは確かに神から権能を授かっているということです。しかし、だからといって、それを誇ることはできないのです。「権威を振り回してはならない」とペトロは戒めますが、神に愛されていること赦されていることを知る者は権威を振り回すことはできないのです。 

<愛に感謝して> 

 さらにペトロは若い人たちへ勧めます。「長老に従いなさい」と。神から羊をゆだねられている長老に従うということは、神の御心に従うということです。繰り返しますが、それは無批判に従えということではありません。そしてまた、長老が立派だから従うのでもありません。長老に模範となれ、とペトロは語っていますが、それは立派な信仰者として模範を示せということではないのです。神の前に弱い者、罪人して、誠実に立ち続ける姿を見せよということです。失敗して罪を犯して悔い改める姿、弱い者としてひたすら神にすがる姿をもって模範となるということです。若い人たちもまた、その姿勢を見習って、神の前に弱い者として立っていくのです。 

 とはいえ、模範となれと言われると、とてもとても無理だと感じられるかもしれません。また逆に、他の人を見て、ついついこの人は模範にならないと感じたりするかもしれません。私自身、ある大先輩の牧師が、私を始め、居並ぶ後輩の牧師たちに対して「あなたがたは、信徒さんに対して、パウロのように「わたしを倣いなさい」と言わなくてはならない」とおっしゃるのを聞いて、それは難しいなと思ったことがあります。実際、パウロはコリントの信徒への手紙Ⅰ4章16節で「そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい」と語っています。これはパウロが特別に大伝道者だから言えることであって、普通は言えないことだと感じてしまいます。さらに言えば、いくら立派な伝道者だからといって、「自分に倣え」なんてちょっと傲慢なんではないかと感じたりもします。しかし、パウロは自分の何を倣えといっているかというと「キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方」だというのです。ここで、キリスト・イエスに結ばれたとパウロが語っている「結ばれた」という言葉は、ギリシャ語でν Χριστῷという言葉です。「キリストにあって」とも訳される言葉です。何回か説明をしたことがありますが、これはキリストにすっぽり包まれているというニュアンスのある言葉です。パウロは、自分はすっぽりとキリストの愛に包まれている、自分が立派だとか、功績があるということではない、ただただキリストの愛に包まれているあり方をしている、その生き方を倣いなさいということです。逆にそのキリストの愛からはみ出して、自分の手柄や宗教的な立派な態度に価値を置く生き方をしてはならないということです。 

 キリストの愛にすっぽり包まれていることを感じる時、私たちは、平安を与えられます。不安を取り除かれます。そして本当に謙遜な者とされます。謙遜の前にキリストの愛が先立つのです。「互いに謙遜を身につけなさい」とペトロは語りますが、謙遜は、神の愛に自分が包まれていることを知らなければ身につきません。自分の行いや思いが神の愛より先立っているならば、謙遜にはなれないのです。努力をして腰を低くして、謙遜な態度を身につけるのではありません。ただただ神の愛を知る時、私たちはおのずと謙遜にされるのです。今ここにいる私たちはそれぞれに豊かに神の愛を受けている者です。しかしまたその愛に感謝しながら、その愛の深さを実はあまり知らない者でもあります。私たちが思っているより、ずっとずっと私たちは神に愛されています。私たちはその愛を、生涯かけて深く知っていきます。その愛を知れば知るほど、謙遜な者とされます。謙遜な者にいっそうの恵みが与えられるのです。そして多くをゆだねられる者とされます。 


ペトロの手紙Ⅰ4章1~12節

2021-10-03 15:36:17 | ペトロの手紙Ⅰ

2021年10月3日日大阪東教会主日礼拝説教「恥多き人生でよし」吉浦玲子 

<キリストさん> 

 キリスト者、英語でいうところのクリスチャンという言葉が使われ出したのは、もともとユダヤ教の一派と思われていた初期のキリスト教徒たちが、ユダヤ人以外の、聖書でいうところの異邦人への伝道を開始したころです。使徒言行録で少し前に皆さんとお読みしたところでもありますが、初代教会最初の殉教者ステファノの死を契機にエルサレムでキリスト教徒への迫害が始まり、多くの人々がエルサレムから各地に散らされました。その散らされた先の一つであるアンティオキアという町で熱心に伝道がなされました。バルナバの働きがあり、またバルナバに見いだされたパウロも本格的に活動を開始したころです。キリスト者、クリスチャンという言葉には、当時、善いニュアンスがあったのか悪いニュアンスがあったのかははっきりとは分からないようです。しかし、イエス・キリストを宣べ伝えている人々をアンティオキアの人々が「キリスト者」と呼んだのです。キリストのことばかりしゃべっている人たち、年中、「キリスト、キリストと言ってるあの人たち」という感じかもしれません。 

 ある牧師が仕えている教会で、ホームレスの人々への弁当を配るという活動をしていたそうです。配布当日、牧師も奉仕に参加しました。配布場所の講演でホームレスの人々がずらっと並んで、弁当が配られる順番を待っていました。その配布場所では、いろいろな団体が、そのような支援活動をしているそうです。弁当を配っていると、列の後ろの方から、並んでいる人々の会話が聞こえてきたそうです。「今日はどこのや」と言ってるのです。毎週のようにいろんな福祉団体が、弁当を配ったり炊き出しをしていて、今日の弁当配布はどこの団体がやっているのかという意味で「今日はどこのや」と聞いていたのです。そうしたら横にいた別のホームレスの人が「今日はキリストさんや」と答えたそうです。そしたら聞いた方も「そうか、キリストさんかー」と納得していたそうです。その会話を聞いた牧師先生は「いやいや、キリストさんじゃなくて、うちは○○教会なんやけど」と言いたくなったそうですが、はっと気づいたそうです。「そうやそうや、たしかにこれはイエス様が、なさってくださっていることや。自分たちがやってる、うちの教会の活動やと思ったらあかんわ。ほんとにキリストさんがなさってるんや。キリストさんの弁当やわ、これは」と思ったそうです。キリスト者というのはキリストを宣べ伝えながら、すべてを神の栄光に帰する者たちのことです。キリストの名によって宣教をし、すべてのことをキリストにゆだねていく、これは<キリストさん>のなさったことだと心から感謝して歩んでいく、それがキリスト者です。 

 しかし、人間はついつい、これはあの人ががんばったからとか、場合によって自分の手柄だと思ったりします。もちろん自分が頑張ったことを否定する必要はありません。自分で自分をほめてもいいですし、頑張った方、努力をなさった方に、ねぎらいや感謝の心を持つことは大事です。しかし、まず感謝すべきは神に対してです。キリスト者は、聖霊によって<キリストさん>の働きを知らされます。ですから、あの人のおかげだとか、この人のがんばりだとかばかり考えるのはキリスト者の姿勢ではありません。神は、ご自分に従う者たちへ、それぞれに賜物として力や志を与え、道を整えてくださいます。まず最初に<キリストさん>、つまり神の働きがあり、神の祝福があります。<キリストさん>の働きを知っている者には、かならず聖霊の実りがもたらされます。キリスト者はすべてのことを人への誉れとは思わないのです。 

<キリスト者として辱めを受ける> 

 さて、キリストを宣べ伝え、キリストの力を信じるキリスト者には苦しみがあることを、繰り返しペトロは語っています。そしてそのことを「驚き怪しんではならない」と言います。驚き怪しむどころか「喜びなさい」というのです。使徒言行録第5章には、最初の迫害によってペトロたちが最高法院で調べを受け、鞭を打たれ、その後、解放されたあと「使徒たちはキリストの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜んだ」と記されています。キリスト者として、キリストの名のために、つまりキリストを宣べ伝えるために、やましいことはないのに、不当な目に遭って、それを耐え忍びなさいというのはまだ理解できます。しかし、喜べとまで言われるとどうなんだろうかと考えてしまいませんか。使徒たちのように、辱めを受けることを喜ぶというのはなかなか難しいことだと思います。辱めは受けたくない、恥はかきたくない、それが普通の感覚だと思います。 

 そもそもペトロが語る苦しみとは、キリストの苦しみにあずかるものです。キリストの苦しみは私たちを救うための苦しみでした。肉体的な苦痛と、侮辱と、裏切りにあった苦しみでした。それはすべて私たちのためでした。そして、そのキリストの苦しみはけっして無駄にならなかったのです。私たちもまたキリスト者として、キリストを宣べ伝えていくときに苦しみに遭うならば、それはキリストの苦しみにあずかることです。宣教の上での苦しみのみならず、病やさまざまな試練といった自分一人の苦しみであっても、キリストと共に歩む歩みの中で味わう苦しみはキリストの苦しみにあずかっているのです。さまざまな痛み、苦しみ、孤独、その苦しみの中で十字架のキリストと出会います。なぜこんな苦しみに遭うのか、なぜこのような痛みを担うのか、分からない、そのような時、キリストと必ず出会います。そしてキリストの苦しみにあずかっていることを知らされます。キリストの苦しみにあずかっているのなら、当然、それは決して無駄には終わらないのです。 

 「それはキリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです」とペトロは語ります。地上においても、終わりの時においても、キリストの栄光が現れるとき、苦しみを耐えた者には、喜びが満ちあふれるのです。ある牧師が、ある教会に赴任してたいへん張り切っていたそうです。ところが、慣れぬ土地で、牧師の奥様が体調を崩され、その看病のために、思うように伝道ができなかったそうです。奥様の病の心配と、新任で赴任したばかりなのに、満足な働きができないことへの焦りで、ひどく苦しい思いで過ごしていたところ、一年たって、赴任以来の新来会者の数を数えたら百人ほどになっていたそうです。もともと20名ほどの教会で、かつ、最寄駅から少し距離がある不便な場所の教会だったのに、たくさんの新しい人が招かれていたことが分かりました。もちろん新しく来た人々がすべてが継続的に教会に繋がったわけではないですが、その牧師は、そこに神の業を見て、畏れ、喜ばれたそうです。思うように自分が動けない困難の中で、神の業を見て、力を与えられたそうです。私たちは苦しみにあっても、必ず、神の業を見ることができます。神のご栄光を見ることができます。それを知っているから喜ぶことができるのです。さらに終わりに日には、キリストがふたたび来られ、そのご栄光を顔と顔を合わせるようにはっきりと見ることができる、神の業の完成を見ることができる、だからいま地上であう苦しみに耐えることができ、さらに喜ぶことができるのです。 

<恥多きキリスト者の人生> 

 さらにペトロは、「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません」と語ります。ペトロたちは鞭打たれ辱められましたが、喜びました。私たちもキリスト者として受ける苦しみを恥じてはならないのです。そもそも、日本の文化は恥の文化といわれていました。世間に恥ずかしくない生活をするということがひとつの規範でした。不祥事を起こしたとき、その問題自体を詫びるのではなく、まず「世間をお騒がせ」したことを謝罪します。世間に対して恥ずかしいことをしたことを詫びるのです。「恥」という感覚は、倫理的なあり方を支える側面があります。そういう意味で、悪いものではありません。しかし、昨今は、そういう「恥」の概念が変化してきているとも言えます。もともと「恥」への感覚は、世間を騒がせなければよい、人様から恥ずかしい奴と思われなければ何をしてもよいというところへ落ち込みやすい傾向がありましたが、いまや、恥ずかしいことをしても堂々としているという状況が日本でも多いように思います。電車などの公共の場で人目を気にせず化粧をする女性から、平気で嘘をついてどこまでも詫びない権力者まで、恥を失った人々が堂々としている社会になりました。多様化した価値観や人とのつながりが希薄になった中で、昔のような、固定的な価値観を支える「世間」とか「常識」というものが通用しなくなったせいかもしれません。恥ずかしいと感じる対象の「世間」という感覚が希薄になったからかもしれません。しかし、恥の感覚が希薄になったとはいえ、やはり、恥はかきたくない、というのが普通の感覚だと思います。同調圧力の強い日本の社会にあって、個人が個人のあり方を貫くことは難しく、人と違っていることは恥ずかしい、生き辛いということがあります。そのような日本においてはクリスチャンはマイノリティです。私自身、親戚中で、ただ一人のクリスチャンで、親戚が集まる場で、好奇の目で見られたりします。日本の社会の中で、クリスチャン、キリスト者であることは、恥ずかしさ、生き辛さをおのずと持っているといえます。 

<本当の宝> 

 迫害を受け辱めを受けたペトロたちが喜んだという使徒言行録の記事に先ほど触れましたが、最初に教会ができた頃から、キリスト者は、ある種の恥ずかしさの中で生きて来たと言えます。ローマの信徒への手紙に有名なパウロの言葉があります。「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」わたしは福音を恥としないと敢えてパウロが書いているというのは、福音は恥だという風潮が当時、あったからです。ギリシャ人は知的な人々です。その知的な人々に「死者の復活」などということを言っても「その話はいずれまた」と敬遠されます。ユダヤ人にとっては、十字架でみじめに死んだ男が救い主だなどということは怒りすら覚えることです。当時の社会において、福音を信じることは、はみ出し者であり、ばかげたことでした。バウロ自身、福音を信じることによって、それまでのユダヤ人の中でのエリートとしての地位を失いました。しかし、そこに悲壮なものがあったかというとそうではないのです。自分の思想信条のためにすべてを投げ打つとか、夢のために犠牲を払うということではなかったのです。福音の力の素晴らしさを確信したゆえに、他のことはどうでもよくなったのです。フィリピの信徒への手紙にパウロのこのような言葉があります。「わたしは主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」パウロはキリストという宝を見つけた人でした。福音書の中に、畑の中に宝を見つけた人が、財産すべてを売り払って、その宝を手に入れるという話がありました。天の国は畑の中に隠されている宝のようなものだとたとえられているのです。その宝の価値が分かっていない人には財産を売り払うなどということはばかげた話です。しかし、宝の価値を分かっている人は、財産すべてを失っても、むしろ喜ぶのです。ペトロもパウロもそうでした。 

 福音は力であり、何にも代えがたい宝です。私たちの人生を根底から変える力であり、祝福を源である宝です。それを得るためにこの地上で受ける恥などささいなことだとペトロもパウロも考えていました。福音の力、キリストという宝、それは聖霊によって知らされることです。人間や世間に忖度している人には決して見えない力であり、宝です。私たちには、今、その福音の力を感じているでしょうか?キリストという宝が見えているでしょうか?今、目の前にキリストの宝はあるのです。聖霊を求めなければ、私たちの目は曇り見えないのです。聖霊に祈り願い、福音の力をいっそう感じ、キリストという宝を見えるようにしていただきましょう。そこから新しい人生が始まります。