大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ヨハネによる福音書1章19~34節

2018-04-30 19:00:00 | ヨハネによる福音書

2018年4月29日 大阪東教会主日礼拝説教 ヨハネによる福音書1章19~34節 「神の小羊」吉浦玲子

<声であるヨハネ>

 洗礼者ヨハネは救い主イエス・キリストの証言者、証し人として活動しました。多くの人々が彼のもとにきました。そしてヨハネから悔い改めの洗礼を受けました。今日の聖書箇所に書かれております<水の洗礼>が悔い改めの洗礼でした。

 やがて救い主が来られる、そしてそれは同時に神の裁きの時が来るということでした。神の裁きのまえに、悔い改めよ、そうヨハネは人々に叫びました。その言葉を受け入れた多くの人々がいました。マタイによる福音書を読むと「エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」とあります。われもわれもと、人々はやってきました。これはヨハネの証しの言葉に力があったことを示します。これは単にヨハネが優れた路傍伝道者であったとか、卓越した人心掌握術を持っていたということではなく、ヨハネが特別に神から召された人であったゆえでした。そもそもイスラエルの人々は、自分は神から特別に選ばれた人間であって洗礼など受ける必要はないと考えていたのです。儀式としての洗礼というものはヨハネ以前にもありました。が、基本的には、それはイスラエル人以外の異邦人のものでした。すでに神に選ばれているイスラエルの民は洗礼を受ける必要がない、そういう考えが一般的だったようです。にもかかわらず、ヨハネから神の裁きが近いことを知らされた人々は洗礼を受けにやってきたのです。それは尋常なことではありませんでした。イスラエルの中に一大ムーブメントが起こった、ある種の信仰覚醒状態が起こったということです。人々がエルサレムとユダヤ全土から押しかけて来る、ヨルダン川で列をなしてヨハネの洗礼を受ける、それはエルサレムにいる権力者、宗教指導者にとっては、不安な出来事でした。本来、人々を支配し指導する立場である人々は単に自分のお株が奪われたということを越えて不安に思ったのです。それは裁きということに不安を持ったのです。

 権力者や宗教指導者にとって、裁きは自分たちが聖書で学び理解したように起こるべきことでした。自分たちの知らないところで知らないやり方で裁きの到来の宣告や裁きが起こってはならないのです。そしてまたそのとき登場する救い主、メシアもまた自分たちの知らないようなものがやってきては困るのです。しかし、この突然現れたヨハネという男は、勝手に裁きや救い主メシアについて語っている、それはエルサレムの権力者、指導者たちには許し難いことでした。

 エルサレムの指導者たちは不安と怒りを覚え、使いをヨハネのところに差し向け状況を確認しました。「あなたは、どなたですか?」この言葉は日本語では丁寧に訳されていますが、実際は、「お前は誰だ?」「お前は何者だ?」という厳しい尋問口調であったと考えられるそうです。現代で言えば、不審尋問を受けたり家宅捜索を受けるようなものです。

 そこでのヨハネの返答は「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」というものでした。指導者の使いたちは、ヨハネが自分をメシアというのではないか、あるいは旧約時代の偉大な預言者であるというのではないかと思っていたかもしれません。しかし、そうではないとヨハネははっきりと答えます。ヨハネという人は神からに自分の召し、担わされた役割にしっかり立っていた人物だといえます。エルサレムからまたユダヤ全土から人々が押し掛けてくる、そのような存在である自分を、ただ「声」であると語ったのです。

 人間は弱いものです。昔、職場の先輩が言っていました。どこからの引用だったのかは分かりませんがこんなことでした。「人間はうまくいっていないとき、試練の時は、案外、皆、がんばるものだ。それほど違いはない。その人間の本当の価値を見ようと思ったら、むしろその人間に権力や称賛を与えたらいい。そのときその人間の本当の姿が現れる。」人は無名の時、また、貧しい時、評価されない時、努力をします。しかし、努力をして目標を達成した時、また権力を得たり、称賛を受けてしまうと、その権力や称賛が大きければ大きい程、人によっては、そこから傲慢になり、場合によっては道を踏み外し転落していきます。権力や称賛を得た自分を大きな者と思い、舞い上がり、傍若無人になります。あるいは権力や称賛をうけながらそれを失いたくないという重圧に苦しんだり、うすうす自分の限界に気づいて、そこから逃げるために、道を踏み外し転落します。この世のニュースには、そのようにして道を踏み外したかつての成功者たちの転落の姿はいくらでも見ることができます。

 しかし、ヨハネはどれほど人々が集まって来ても、自分を中心に大きなムーブメントが起きても、自分は「声」であることにただ忠実に歩みました。しかしそれはヨハネ自身が立派な人物だったからというわけではありません。もちろんヨハネは他の福音書には「ラクダの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」とあるように禁欲的な生活をしていました。高潔な人物であったようです。しかし、その信仰がまったく揺らがなかったということではないと思います。今日の聖書箇所の後半ではヨハネがキリストを「神の子羊」と証しますが、そのヨハネ自身、あとから「来るべき方はあなたでしょうか」と弟子をイエスに差し向けて問う場面もあります。ヨハネ自身もまた弱い人間でした。限界があり、揺れ動く人間でした。揺れ動きつつも、「声」であることを自覚していました。それは指し示すべきお方が彼には示されていたからです。裁きと救い、それが現実になることをヨハネは神から知らされていた、それゆえ、ヨハネは自分自身への認識もぶれなかったのです。指し示すべき方、見るべきお方を知らされていた。それゆえにヨハネは自分自身がメシアだと思うこともなく、自分は偉大な人間だと尊大になることもなかったのです。

神を知ること、つまりキリストを知ることは、端的に言って自分を知ることなのです。逆に神を知らない人は自分を知ることもないのです。神を知らなければ周りの人や自分自身の評価で自分を図るしかないのです。人の称賛を受けて舞い上がって道を踏み外したり、自分で自分はダメだとコンプレックスを感じて消極的にしか生きて行けなくなったりします。

<神の小羊>

 そのヨハネは、ついにイエス様ご自身と出会われたとき、こう言います。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」

 聖書のことをご存じない方でも、「迷える小羊」という言葉は知っています。「迷える小羊」という言葉は、半分茶化したようなニュアンスで使われることもあります。羊というのは弱いもの、そういうイメージは一般に持たれているようです。実際、羊は弱いものです。集団で生活をし、群れから外れた羊は自分を守ることができず死んでしまう、そんな存在です。羊はイスラエルにおいては親しい動物でした。旧約聖書のアブラハム、イサク、ヤコブたちも羊を飼う者でした。ダビデも羊飼いでした。新約聖書のルカによる福音書で、はじめてキリストの降誕が告げ知らされたのも野原にいた羊飼いたちでした。

 しかし、羊という時、もっとも重要なことは羊は神にささげられるものとして用いられたということです。そして「神の小羊」というときの小羊は出エジプト記に由来します。出エジプト記12章に、過越しの食事の説明があります。エジプトで奴隷であったイスラエルの民がそのエジプトを脱出する際のことです。イスラエルの民を解放しようとしないエジプトに神が災いをくだされます。その災いとはその家の初子、長子を殺すというものでした。イスラエルの人々がその災いを免れるために、小羊の血液を家の入口の二本の柱と鴨居に塗る必要がありました。神の災いが、その入り口の血を見て、通りすぎていく、過越して行く、そのためにイスラエルの人々は、その災いが起こる日、小羊を食べ、その血を家の入口を塗ったのです。その羊は傷のない一歳の雄でなければならないと出エジプト記には記されています。

 「神の小羊」とヨハネに証しをされた主イエスも傷のない小羊でした。罪のない小羊でした。すべての人々の解放のために、神に備えられた小羊でした。かつての出エジプトの災いの日、イスラエルの人々は家族で小羊を食べたのです。そしてその血を家の入口に塗りました。いま、洗礼者ヨハネに向かって歩いて来られるキリストは、「わたしを食べよ」とわたしたちにおっしゃる方です。そして血を流される方です。その血は十字架において流されました。その血のゆえに私たちから神の災いは通りすぎていきました。災いは私たちが招いたものです。私たちの罪ゆえ私たちは神の災い、つまり裁きによって滅ぼされるべき者でした。しかし、その私たちが受けるべき災いをキリストが小羊となって血を流してくださり、私たちは災いを免れました。「世の罪を取り除く」とヨハネは言いました。人間の罪を人間自らが取り除くことはできません。この世界の罪を人間が取り除くことはできません。ただ神の小羊だけが取り除くことができる、これは新しい出エジプトの出来事です。私たちが罪の奴隷から解放された出来事です。

<来てくださる方>

 ある方は、キリストは「来てくださる神」だとおっしゃいました。今日の場面でも、キリストはヨハネに向かって来られました。ヨハネはキリストを証していました。が、ヨハネの方からキリストを探しまわったわけではありません。ヨハネは「わたしはこの方を知らなかった」と31節で語っています。ヨハネはたしかにこの方を証していたけれど、その方を目の前にするまでは現実のキリストは「知らなかった」のです。そのキリストを知らないヨハネの前にキリストの方から来られました。

 人々はヨハネに洗礼を受けるためにエルサレムとユダヤ全土から、各地から押し寄せてきました。もちろんこれから主イエスが宣教活動を始められると、主イエスの元にも多くの人々が押し寄せてきます。しかし、人々がほんとうにキリストと出会うのは、みずからが押し掛けていって出会うという仕方で出会うのではありません。キリストの方から見つけて出してくださるのです。気に登っていたザアカイにイエスは「降りてきなさい」と呼びかけられました。押し合いへしあいしていた群衆に紛れて主イエスの衣に触れた女性をイエスは探し出されました。群衆の中からただ一人の人間をキリストは見つけ出し、呼びかけ、救ってくださいます。押し寄せてくる人々に十羽一絡げで救いを与えられるのではないのです。キリストはいつも一人一人個別に救いを与えられます。

 「『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

 ヨハネはもともとキリストのことを神から知らされていました。しかし、肉となられた、人間となられたキリストがヨハネのもとに来て、洗礼を受けられるまで、現実のキリストは知りませんでした。それはナザレの村の貧しい青年でした。大工のせがれでした。どの福音書にもイエス・キリストの風貌は描かれていません。イザヤ書53章には「見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない」とキリストは預言されていました。ぱっと見て、これが神の小羊だとわかるようなお姿ではなかったのかもしれません。しかし、その貧しい田舎の大工の青年の上に神の“霊”が降り、とどまりました。つまり父なる神ご自身が御子イエス・キリストを、神の小羊としてヨハネに示されたのです。ヨハネは喜びに満たされたことでしょう。神の小羊、世の罪を取り除くお方に出会えたのです。ヨハネの声はいっそう確信にあふれました。私は見た、私は知った、たしかに神の裁きと救いの到来、そしてメシア救い主の到来を見た。それはキリストご自身がヨハネのもとに来られ、神ご自身が見せてくださったことです。

 出エジプトの過越しの小羊は家族単位で食べました。しかし、私たちは一人一人で神の小羊をいただきます。私たちも見るのです。知るのです。神の小羊が私たち一人一人のところに来られ、もうすでに災いから過越していることを知らせてくださいます。わたしたちはキリストを頂きました。すでに血は流されました。いま、自由な解放された者として、私たちは新しい一歩を踏み出します。


ヨハネによる福音書 1章14~18節

2018-04-25 15:38:37 | ヨハネによる福音書

2018年4月22日 大阪東教会主日礼拝説教 「神を指し示す」吉浦玲子

<宿られた神>

 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」

 言、すなわちイエス・キリストは、肉体をもって、この現実の世界に、生活をなさいました。宿られた、という言葉は、ホテルみたいなところで短期間宿泊して滞在する旅行者であったということではありません。<私たちの間>に、つまり私たちと共に生活をされたということです。天地創造の昔から父なる神と共におられた言は高みから人間を見下ろされるのではなく、私たちの現実の世界、歴史のただ中にこられ、宿られました。もっとも、短期宿泊ではないとさっき申し上げましたが、「宿られた」という言葉の原語には英語で言えば「tent」という意味もあります。テントをはってキャンプをする、そんなニュアンスがあります。実際、主イエスはたしかにその宣教活動にあって旅をなさいました。立派な宮殿や、豪華な屋敷に住まわれたわけではありませんでした。旧約の時代のアブラハムやイサク、ヤコブたちが天幕と言われるまさにテント生活で、一か所に定住しなかったように、旅の日々を送られました。旅の途上、弟子の家であったり、その地域で主イエスを受け入れる人々の家にお泊りになりました。その地上での生涯のお姿は貧しいものであったでしょう。上品な着物を着て優雅な生活をなさっていたわけではありませんでした。そして私たちと同じように、お腹を空かせ、肉体の疲れを覚え、悲しみ、喜び、歩まれました。私たちと同じようになられたのです。それが「宿られた」ということです。

ところで、私の好きな讃美歌の一つに、讃美歌39番があります。「日暮れて四方はくらく/わがたまはいとさびし/よるべなき身のたよる/主よ、共に宿りませ」1節から5節まで、「主よ、共に宿りませ」という言葉が最後に繰り返され、しみじみと心にしみる讃美歌です。

 個人的なことですが、「宿る」という言葉から、ひとつの情景が思い起こされます。子供の頃、長崎県佐世保市に住んでいたのですが、実は、大阪に母の叔母にあたる人がいました。その人が亡くなったのが私が中学生か高校生の時でした。その亡くなる少し前、母は大阪に叔母さんを見舞いに行ったのです。大阪には母の弟もいて、その弟の家にしばらく滞在して叔母さんの家の手伝いなどをしたようです。その時、私は佐世保の北部の北松浦郡郡にある親戚の家に預けられ、母と妹だけが、大阪に行きました。預けられた家のおばさんは端的にいって少し気難しい方でした。あまりしゃべらない、むっつりした人でした。特別にいやなことがあったわけではないのですが、子供ながらに気を使いました。もちろん、数日間のことであり、私は別にホームシックになったわけでも、ひどく辛かったわけでもありません。むしろ佐世保市内にあった学校とその親戚の家がある北松浦郡まで、数日、バスで通学するのが何となく新鮮で物珍しくもありました。そんなある日、夕方、いつものようにバスに乗っていて、ふと外を見たら、秋だったので日の暮れが早く、ほとんど真っ暗になっていました。40年前の田舎の日暮れは本当に何もなくて真っ暗でした。ところがその真っ暗な中に、突然、一軒家の灯りが遠く見えました。家の中の様子ははっきりとは見えないのですが、その家の電気の明かりのなかに、食卓を囲む家族のだんらんの様子が明るく浮かび上がりました。周りが真っ暗なので、余計、輝くように光が浮かび上がって見えたのです。その光の中に家族の姿が見えました。しかし、すぐにバスはそこを通りすぎて、また窓の外は真っ暗になりました。でも、暗闇に浮かびあがった家族のだんらんの様子は、なんとなくセンチメンタルな思いを私に抱かせました。当時は讃美歌39番は知らなかったのですが、何か突然、自分が讃美歌の歌詞にある<寄る辺なき身>になったような感覚を持ったのです。実際は数日後には家族は帰って来て自宅に戻れるのでバカバカしいと言えばバカバカしい子供じみたセンチメンタルな思いだったのですが、闇の中に浮かび上がった明るいあの情景はとても印象的でした。今でも忘れられません。そしてそのときなんとなく感じた<寄る辺ない旅人>のような感覚も忘れられません。大人になって、もっとリアルに<寄る辺ない>感覚を私はいくたびも経験しました。明るい光から隔てられて、自分は一人で夕暮れの景色の中にいるような、そんな寄る辺なさを、おりおりに大人になっても感じることがありました。それは単に私が故郷を出て、別の土地に来たからということだけではないと思います。誰もが人生において感じる寄る辺なさであったと思います。家族がいても、それなりに恵まれた生活をしていても、ふと感じる寄る辺なさというものもあると思います。讃美歌39番で歌われている寄る辺なさは人間だれしもが感じる気持ちではないかと思います。だからこそ「主よ共に宿りませ」とこの讃美歌の作者も歌っているのです。

 そして実際、主は、キリストは共に宿ってくださるお方です。私たちが孤独であっても、心細い思いを持っていても、共にいてくださる方です。主ご自身が、父なる神のもとを離れてこられた方です。天地創造の前から高いにところに住まわれていた方がこの地上の荒れ野に来られました。寄る辺ないこの地上の日々を、誰からも、弟子からですら、理解されずに歩まれました。だからこそ、主は私たちの日々の寄る辺なさを理解してくださり、私たちと共に宿ってくださるのです。

<神の子の栄光>

 しかし、また一方で、貧しく寄る辺なくこの世界を歩まれた御子イエス・キリストは御子としての栄光に満ちておられました。「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた。」言なる神であるイエス・キリストは確かに、人間としてこの世界を歩まれました。しかし、一方で、神としての栄光にも輝いておられました。栄光といっても、それは絢爛たるこの世の権力や力を越えたものでした。そもそも、この世界には恵みも真理もありませんでした。人と人が傷つけあい、不正がまかり通っていました。恵みなどなかったのです。そしてまた不公平で嘘に満ちた世界でした。真理には程遠い世界でした。それはキリストが到来した2000年前も現代も同じです。その世界で、キリストは病を癒し、人々の痛みを取り除き、知恵の言葉を語られました。私たちがまことに生きる力を得ることのできる言葉を語られたのです。そこに御子としての栄光がありました。愛と正義の栄光と言っても良いでしょう。ヨハネによる福音書の1章の18節までは特に福音書全体のプロローグとも言われます。ヨハネによる福音書全体はまさに主イエスの恵みと真理を描いた書物です。そこから輝きだす神の栄光が描かれています。

 つまり、ここで言われていることは<キリストはまったき人間であり、まったき神である>ということです。つまりキリストは完全な人間であった、そして同時に完全な神であった、ということで、キリスト教の根幹となることがらです。根幹となることでありながら、しばしばこのことを理解しない異端といえるような考えが歴史的に起こって来ました。現代においてもそうです。キリストの人間性をのみ重視する人々がいます。キリストは神であり人間である、このことを4福音書の中でもっとも明確にあらわしているのがヨハネによる福音書です。福音書が記された頃も、キリストは人間であるということをいう人々もいたのでしょう。また逆にキリストは神であって人間ではなかったという人々もいたのです。だからこそ、ヨハネによる福音書ははっきりと、<言は肉となった>つまり言葉なる神は肉体を持った人間となったと記されているのです。そして同時に<父の独り子としての栄光>を現わす神であったとも記されているのです。人間であったからこそ、そしてまた同時に神であったからこそ、主イエスは、やがて十字架におかかりになり、私たちの罪の贖いをなすことがおできになったのです。私たちを救うことができたのです。ハイデルベルグ信仰問答でいえば、問14から18に詳しく説明されていて、ここで簡単に説明することは困難です。むしろこの福音書全体を読んで理解していくことであろうかと思います。ただ少しだけ申し上げれば、キリストが人間であるだけであれば、神の裁きや怒りには耐えることはできません。また一方で神であるだけであれば、私たち人間の身代わりとは成りえません。人間であり、神であるからこそ、キリストは私たちを救うことがお出来になったのです。

<恵みの上の恵み>

 「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」

 言なる神であるキリストは貧しいお姿でこの地上を歩まれたと申し上げました。しかしなおこのお方から豊かさがあふれ出たというのです。お姿やその生活は貧しくても豊かさが満ちあふれていました。そして「恵みの上に、更に恵みを受けた」とあります。14節にも恵みという言葉が出てきましたが、実はヨハネによる福音書では、この箇所以降、同じ単語では「恵み」という言葉は出てこないのです。「恵みの上に、更に恵みを受けた」という言葉はとても素晴らしい言葉ですが、じゃあ「恵み」というのは具体的に何なんだ?ということははっきりとは説明されていません。それでも「恵み」という言葉を聞く時、感覚的になんとなくは分かります。ああいいなあと感じます。この恵みは単なる物質的な豊かさによる恵みではなく、本当に人間を豊かにする恵なのだとは感じます。

 しかし、それは具体的にはどういう恵なのか?ひとつには「恵み」という言葉は使わずにこの福音書全体でキリストの恵みについて語られているという側面があります。「恵み」とはこれこれこういうものだと定義付けできるようなものではなく、キリストご自身のお姿、なさったことを通じて語られているということがあると思います。

 そしてもうひとつは、「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」というときの「わたしたちは皆」という言葉にかかっていると思います。「わたしたち」とは誰でしょうか?ヨハネの福音書を書いたり編集した初代教会の信徒たちでしょうか。キリストと実際に出会った人たちでしょうか?そうではないでしょう。この「わたしたち」は、いまここにいる私たちなのです。もちろん、キリストと実際に出会った人々も福音書を編集した人々もそこには含まれます。その「わたしたち」は言が肉となられて以来、この世界に生きる「わたしたち」のすべてなのです。

 であるならば、ここで語られていることは、いまここにいる私たちもキリストの恵みを見た、ということです。私たちも「恵みの上に恵み」を受けたということです。私たちはすでに恵みを知っているのです。福音書の編集者はわたしたち、そしていまこれを読んでいるあなたたちもキリストの恵みを知っていますよねと語りかけているのです。実際にわたしたちはキリストの恵みを知っています。知っているからこそ今ここに集い御言葉を聞いているのです。

 そのように福音書のプロローグで語りかけ、福音書全体で、キリストの恵みの現実を語っている、そういう構成になっているのだと思います。恵みの現実は、神の現実でもあります。父なる神の現実でもあります。

<ご自身を示される神>

 「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」

 天地創造された全能者である神は、人間には到底認識することのできない存在です。逆に人間が定義できるような、100%理解できるような存在が神ではあり得ません。にもかかわらず、私たちは、神という存在をついつい小さく考えてしまいます。自分の納得できないこと、理解できないことが起こると、神様がおられるのならなぜこんなことが起こるのかと考えたりします。しかし、私たちには本来神の御心はすべては分かりえません。、だからといって神は私たちにはまったく理解できない存在でもありません。いやそもそも理解できない存在であるお方が、あえて、ご自身を私たちに指し示してくださった、そのことが記されているのが聖書です。本来は知ることのできない神のことがらを、神は自ら示してくださっているのです。それは御子であるキリストを通して示されました。人間となられた御子であるゆえに、私たちは理解することができるのです。言の神であるゆえ、私たちは私たちの言葉を通じて理解することができるのです。

 神は、言葉なる神、御子である神によって私たちにご自身を示されました。神がご自身を示される、それは神の愛の現れです。私たちを愛してくださっているからこそ、ご自身を現わされたのです。御子を通して示してくださったのです。愛とは交わりがあるということです。実体のない相手とは交わることはできません。交わりのない愛はありません。神はその存在を御子を通して示してくださいました。もちろん神は私たちにみずからを示すことなく、恵みを注ぐこともおできになったでしょう。しかしなお、神はご自身を示されました。それは愛の交わりをなされる神であるからです。愛の交わりを欲される神の愛と恵みは、神との交わりの中で感じることのできる愛と恵みです。さきほど「恵み」とは具体的には書かれていないと申し上げました。それはご自身を示してくださる神との交わりの中で知るものであるからとも言えます。私たちはその恵みを知ります。御言葉によって、キリストを知ることによって神を示され、そのとき、その愛と恵みをより一層知らされます。キリストを通してご自身を示される神との交わりによって私たちは日々恵みの上に恵みを頂いていることを知り歩んでいきます。


ヨハネによる福音書1章6~13節

2018-04-16 19:00:00 | ヨハネによる福音書

2018年4月15日 主日礼拝説教「神の子となる資格」吉浦玲子

<呼びかける声>

 「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。」

 ヨハネによる福音書に最初に出てくる人名は、イエスでもなく、マリアでもなく、ヨハネです。ちなみにこの福音書は「ヨハネによる福音書」ですが、この福音書に冠されている名前のヨハネとこの6節に出てくるヨハネは関係ありません。「ヨハネの福音書」という時の<ヨハネ>は主イエスの12弟子のなかで「イエスの愛された弟子」として「ヨハネによる福音書」に記されている弟子、もしくはイエスの愛された弟子と関連を持つ神学的グループを指すと考えられています。ヨハネ教団、ヨハネ教派といったものがあったと考えられます。ヨハネによる福音書21章には「これらのことについて証をし、それを書いたのは、この弟子である。」とあります。この福音書を書いたのは「この弟子」だと記されているのです。この弟子は「イエスの愛された弟子」です。その弟子は、かつては12弟子の中のゼベダイの子であるヨハネであったと考えられていましたが、現在では、そのように考える神学者は少ないようです。

さて、その、福音書の著者に関わるヨハネではなく、一般的に洗礼者と呼ばれるヨハネが6節に登場します。このヨハネは、他の福音書すべてにも主イエスに先立って神の国の宣教を始めた人物として登場します。洗礼者ヨハネは旧約聖書においても預言された人物であり、たいへん重要な役割を担って登場しました。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」先ほどお読みいただいたイザヤ書にそうありました。このイザヤ書で語られているのが洗礼者ヨハネです。主イエスに先だって活動をし、またイエスの到来を指し示したということで洗礼者ヨハネのことはアドベントにおいて語られることも多いのです。このヨハネのことを、繰り返し聞きながら、私は神様のなさることの不思議をあらためて思います。救い主が来られる、なぜそのことを前もって人間の「声」でもって呼びかけ、道を備える必要があるのでしょうか?神の御子であられる方が来られる、そのことをしょせん人間に過ぎないヨハネがなぜ呼びかける必要があったのでしょうか?

天地の造り主であり、全能の神であるなら、人間を用いる必要はなかったのではないかと思います。実際、用いないと実現できないというような神様側の都合はなかったでしょう。神は人間の手助けを必要とされません。ヨハネというイスラエルに現れた一人の人間を用いずとも、父なる神は、来るべき救い主の登場を告げ知らせることはいくらでもできたでしょう。

しかしなお、神はヨハネを用いられました。「呼びかける声」として用いられました。神の御子が人間となってこの世界に来られるというとんでもない出来事を証する者としてヨハネは用いられたのです。人類の歴史の中でたった一回だけおこった神が人間になられる、ヨハネによる福音書の言葉で言えば、言が到来したということを、言によって光がもたらされるということを、神でも言でもない、暗闇の中にいる人間に告知をさせられたのです。

しかし、またこのことはキリスト到来以降の世界にもつながることです。キリスト到来ののちもまた、神は光について証することを人間に担わされました。「言葉なる神」のことを、人間が他の人間に告げ知らせることを望まれました。神ご自身が直接一人一人の人間に告知されたのではなく、人間によって人間に対して光を証することを願われました。洗礼者ヨハネは、キリスト到来以降の教会の原型であるともいえます。そしてまた今日に生きる私たち一人一人の姿でもあります。教会はこの世界という荒れ野に道を備えるのです。そしてまた私たちはその荒れ野で呼びかける声として生きていくのです。光を指し示すものとして生きていきます。キリストの到来、光の証をするのです。ヨハネがその固有の名前で福音書の最初に記されたように、私たちもまた一人一人固有の名前を与えられ、神によって、個別の役割を与えられる存在なのです。

<神の子の資格>

 それだけの役割を与えられている私たちは「神の子である」と言われます。実際、教会に集う私たちは、「私たちは神の子どもである」という言葉を良く聞きます。教会学校の子どもたちの献金の祈りの言葉の中にも「これからも神さまの子どもとしてまごころを持ってあなたに従う者としてください」という言葉があります。

子供たちが、自分たちのことを「神様の子ども」というとき、それはなにかほほえましいことのようで、さほど抵抗なく受け入れられます。しかし、大人である私たちが、自分が「神の子供である」ということは、理屈としては受け入れられても、その言葉にどこかざらっとした感覚も生じます。普通に子供という時、それは多少、大人の身勝手なものの見方もあるのですが、純真無垢なとか、無邪気なとか、罪がないという言葉が出てきます。もちろん子供という存在もけっして単純なものではありません。単純に子供が純真無垢とか、罪がないとはいえません。しかし、それでもやはり、子供よりも長く人生を生きて来た者はいやでも自分の罪深さ、愚かさを思います。そんな自分などが神の子どもであろうかと感じます。いやいやその罪のゆえに愚かさのゆえにキリストが死んでくださったのではないか、既に罪は赦され、私たちは今は晴れて「神の子」と言えるのだ、そういうことは言えます。もちろんそれは正しいことです。

もちろん胸を張っていいのです。私たちは神の子どもなのです、間違いなく。神の子どもとされているのです。私たちはそのことをそれこそ子供たちのように無邪気に喜んでいいのです。実際、12節にあります。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」私たちには「資格」があるのです。ここでいう「資格」という言葉には「権威」というニュアンスや「特権」というニュアンスがあります。「力」というニュアンスもあります。資格であれ権威であれ力であれ、まずそれは<与えられたもの>であるということが大事です。資格試験というものがありますように、この世界においては通常、資格というのは私たちが努力をして手に入れるものですが、神の子となる資格は、私たちの側によって手に入れることができるわけではありません。そもそも、人間にはそんな資格はなかったのです。もともとはなかった資格を私たちは与えられました。これはとても大きなことです。教会に来たら、洗礼を受けたら、私たちは皆神の子どもである、そのことは当たり前のことのように、ともすれば軽く考えられますが、それは当り前のことではありません。当たり前ではないことがキリストの到来ののち起こったのだということを改めて思いめぐらしたいと思います。そしてまた私たちが「神の子」の資格を得ているかどうか、そのことは、私たちの人生の根幹にかかわることです。極めて重要なことがらです。

<人間の価値>

ところで、ニュースを見ていましたら、国立青少年教育振興機構の昨年の調査で、日本の高校生に対して「自分には価値があると思うか」という問いを出したところ、「ある」と答えたのは44.9%だったそうです。それに対して同時に調査した中国、韓国、アメリカの高校生では8割を超える高校生が「自分には価値がある」と答えが出したそうです。日本人は遠慮がちとか謙遜というような国民性の違いはあるでしょう。しかし、そのことを考慮しても、極端に日本の高校生が他の国の高校生に比べて自分の価値を低く捉えていることがわかる調査結果です。調査では、日本では個性を大事にすることよりも他人との比較を重視する傾向があり、また、「空気を読む」ことが重要とされ、どうしても個人はあり方は埋没してしまうことによるのではないかと分析されていました。この調査結果への正確な分析は私にはできません。しかし、おそらく現代の高校生は、昔に比べても、未来への希望が持てなくなっているのではないかと考えさせられます。格差社会といわれる社会の状況の中で、早い時期から自分の限界を見せられているという面があるかもしれません。社会における現実的な試練や挫折を経験する前に、すでに自分を諦めてしまっているような面があるのではないかと危惧します。一方で、才能を持った若い人の活躍がニュースをにぎわしています。天才といってもいいような若者がいろんな分野で素晴らしい活躍をしています。しかし、そういう若者の活躍を見るにつけ、逆に、特別な才能があるように思えない、いってみれば普通の人間には価値がない、そんな感覚も生まれるのかもしれません。特別な才能や能力によって人間の価値が決められてしまうとき、大多数の人間は自分を諦めてしまいます。そして、自分には価値がないという感覚と、自分が神の子どもであるという聖書の言葉には大きな乖離、へだたりがあることがわかります。

<本当の自由と価値>

ところで神の子といえば、まず第一にキリストをさします。ちなみにキリストが「神の子」と聖書で言われる時、ギリシャ語では、「神の息子」という言葉で現わされます。一方で、今日の聖書箇所の12節の「神の子」というときの「子」は息子ではなく、一般的な意味での子供です。つまり同じ「子」といっても違いがあります。キリストは神の実子であり、「神の子」とされた人間は法律上の子ども、養子であるという言い方をします。その違いはありながら、なお、父なる神からみたとき、子としての権威、特権においては同等なのです。キリストを受け入れる者、キリストの名を信じる者、つまりキリストを信じる者にはご自分と等しい資格、権威をキリストは与えられたというのです。

「この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」

神の子は、人間が神の子になりたいと努力をしてなれるものではありません。神の子というのは血によってではない、つまり生物学的ななんらかの特殊性やら持って生まれた才能やら家柄や育った環境によってなるということではありません。肉の欲や人の欲、つまり人間的な思いや願いによってなれるものではありません。ただ神によってのみ神の子とされるのです。

ところで、「神の子となる資格」という時の資格には、権威や特権というニュアンスがあると申し上げました。ある神学者によると、この資格という言葉の語源に遡ると、「外にいる」という意味になるそうです。その神学者は、権力を持って他者を支配する支配者自身はその支配の外にあるというイメージで「外にいる」ということを説明されていました。つまり資格、権威を持った人は、支配の中にいるのではなく、支配の外にあって自由なのです。

 11節に「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」とあります。これは5節の「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」ということと同じことです。この世界は、そして多くの人々は、光を理解しなかった、そしてまた言を受け入れなかったのです。実際、主イエスを人々は受け入れませんでした。十字架につけて殺したのです。自分たちの病を癒し、悩みを解決し、生活を保障してくれるこの世の王は受け入れても、この世の権威の外にある神の御子は殺したのです。それがこの世の権威です。この世の力です。しかし、光、言である主イエスは、この世のなかにはいなかったのです。外にあったのです。それが御子の権威です。「外にいる」のです。

神の子とされているわたしたちも同様です。わたしたちもすでにこの世の外におかれています。この世の価値観に縛られない存在なのです。この世の価値観に縛られ、他人と自分を比較する必要はないのです。そしてまた、空気を読むことにきゅうきゅうとして自分を見失う必要はないのです。自分の価値は、ただ神が与えてくださるのです。「あなたは値高く貴い」とイザヤ書にあるように、神はご自身の子どもたちにおっしゃいます。その値の高さ、価値の貴さはこの世から自由にされた値であり貴さです。神に由来する値であり貴さです。それこそがまことの権威です。この世の価値観では計ることのできない価値であり権威であり特権です。

聞き様によっては、それは、この世から離れて、勝手な価値観で自分を規定していることのようにも聞こえます。しかし、考えていただきたいのです。この世の価値観に自分を合わせていくことが人間を幸せにするかどうか?そこでは自分は相対化され他の人と比べて落ち込んでしまうだけの存在です。そしてなにより、この世の価値観の中にいる時、つまりこの世の価値観で縛られる時、私たちはこの世の外にある神の御子を殺すのです。言なる神を認めず暗闇の中にある時、突き詰めると、私たちは光を覆い隠そうとし、闇の中で神の御子を十字架につけるのです。罪を犯すのです。光を否定し、闇の中にいつづけるのです。そこに本当の希望はありません。幸福はありません。ただどんよりとした不安と一時しのぎのような安定があるだけです。

しかし、もう光はきました。言なる神は来られました。その光を受け入れる時、私たちはこの世界から自由になります。この世に支配されることなく、外にあることになります。それが神の子としての資格であり権威です。それは世捨て人のように生きるというのではありません。暗黒のこの世にあって光を仰ぎながら希望を持って生きていくということです。自分に、ほかのだれにもない価値があることを神によって知らされながら生きていくということです。もちろんこの世との戦いはあります。この世と相いれない苦しみもあります。しかし、この世にあって、自由に、喜びを持って生きることができるようになるのです。本当の使命、生きがいを持って歩むことができるようになります。私たちは今日も、「神の子ども」として、この世という荒れ野に豊かな声をあげながら歩んでいきます。

 


ヨハネによる福音書1章1~5節

2018-04-09 19:00:00 | ヨハネによる福音書

2018年4月8日大阪東教会主日礼拝説教 「光あれ」吉浦玲子

<言とは>

 私たちの世界に、そしてわたしたちの人生に、光がたしかに来ました、ヨハネによる福音書はそう伝えます。すでに光は来たのです。この地上の物理的な光に太陽という源があるように、私たちの世界に、そして私たちの人生に来た光にも源があります。その光はイエス・キリストという源です。その光の源なる神、神であるキリストをヨハネによる福音書は語っています。

 4つある福音書はそれぞれに意図をもって記されました。たとえばマタイによる福音書は旧約聖書の成就として来られたキリストを中心に語っています。そしてまたルカによる福音書は、キリストの福音がユダヤ人を越えて世界に広がって行くものであることを語っています。ヨハネによる福音書はもちろん他の福音書と重なる部分もありますが、光の源である神、神であるキリストをなにより語ります。

 この福音書の最初の言葉は「初めに言があった」です。初めとは天地創造よりも前ということです。言とはキリストのことです。なぜ言がキリストなのでしょうか?そのことはこの福音書全体を通じてこれからゆっくりと理解していくことであるかもしれません。しかし、いま、少しお話しするとすれば、<キリストは言葉なる神である>という言い方をしますが、その<言葉なる神>という意味での言であるといえます。かなりざっくりした言い方をしますと、キリストは言葉を持って私たちに語りかけてくださる神であるということです。キリストは私たちとかけ離れてどこか遠くに鎮座なさっている神ではないということです。言葉を持って語りかけてくださる神、それがキリストであるということです。

そしてまた、そのキリストがなぜ<言>というひと文字で現わされているのでしょうか?それは言葉なる神がお語りになることが、いわゆる私たちが普通に話す言語における言葉という意味での言葉ではないからです。その言葉は、もっとアクティブなものなのです。行動する言葉といってもいいでしょう。力を持った言葉、クリエイティブな言葉と言ってもいいでしょう。あるいは神の知恵に満ちた言葉ということでもあります。

 ところで、最も古く日本語に翻訳された聖書はギュツラフ聖書です。これはかねてから日本に伝道をしたいと願っていたオランダ人の宣教師ギュツラフが、まだ日本が鎖国していた19世紀に、嵐で尾張から漂流した日本の三人の漁師とマカオで出会って翻訳されたものです。その最初に翻訳された福音書がヨハネによる福音書です。そのギュツラフ聖書のヨハネによる福音書の冒頭はこのように訳されています。「はじまりにかしこいものござる」。<言>と新共同訳で訳されているところが「かしこいもの」と訳されています。つまり単なる言葉ではなくかしこいもの、知恵というニュアンスがあるのです。そもそもここは原語ではロゴスというギリシャ語になっています。この言葉には論理とか概念というもともとの意味がありました。このロゴスという単語があえて福音書に使われたのは、当時のギリシャ語が公用語であった世界の知的な人々へのアピールもあったようです。哲学的な意味でのロゴスに対抗してあえて使われたといえます。ただの人間の論理や概念ではない、ほんとうのロゴスとはキリストであり、まことの知恵であり、力なのであるということをロゴスという単語を使って語っているのです。

 さてその<言>、すなわちキリストは神と共にあった、つまりキリストは父なる神と共におられたということです。御子であるキリストは、初めのときから父なる神と共におられた。そして「言は神であった」と続きますが、それはキリストは神そのものであった、ということです。つまりキリストは神のご性質をもっておられるということです。「言は神と共にあった」と言われる時の神は、父なる神を指し、「言葉は神であった」という時の神は神のご性質をさします。日本語では同じ神ですがギリシャ語では神という名詞の前につく冠詞が異なり区別されます。

<創造とキリスト>

 「万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。」これはキリストご自身が世界の創造に関与なさったということです。キリストは創造の以前からおられた。キリストは2000年前のクリスマスに突然出現されたわけではありません。この世界の創造のその前から父なる神と共に御子はおられました。

 創造ということでいえば、私たちは旧約聖書の創世記を思いうかべます。実際、このヨハネによる福音書の1章では創世記が意識されています。創世記は「初めに、神は天地を創造された」と始まります。その創世記が語る「初め」のときからキリストは父なる神と共におられた神であるとヨハネによる福音書は語ります。そもそも旧約聖書の創造の物語は、おとぎ話や神話のように、世界の由来を記したものではありません。この世界が神によって秩序をもって造られたということが記されています。神の創造の業の前には混沌があったのです。「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」そのように創世記の1章2節には記されています。混沌であり、闇の深淵があったこの世界に秩序と光を与えられたそれが神の創造です。

 しかし、神によって秩序と光が与えられたはずのこの世界にはなお混沌と闇があります。暴力と憎しみによって破壊された町を、そして傷ついた人々を私たちは毎日のようにニュースで知らされます。自然災害で破壊された人々の生活を知らされます。悲惨な事件や事故はありふれたことのように日々繰り返されます。そしてなにより私たち自身の日々に、私たち自身の心に、混沌と闇があります。普段はその混沌と闇から目をそらし生きていても、必ず私たちは私たちの混沌と闇に向き合う時が来ます。

 神の創造の業は秩序と光を与えるものであったはずなのに、なぜ世界に、そして私たちの心に混沌と闇があるのか?それは私たちが、天地の造り主であり、私たちの造り主である神から離れていく心が私たちにあるからです。神から離れていく心、つまり、罪があるからです。私たちに、そして世界に罪がある、そこに混沌と闇があります。世界が壊れ、私たちも壊れるのです。

 少し話がずれますが、<エントロピー増大の法則>という物理法則を習った記憶はありませんか?エントロピーというのはものすごく大雑把にいって物理的な混沌の度合いといってもいいかもしれません。この世界というのは自然の状態ではエントロピーが増大する方向へ向かう、つまり混沌へと向かうということです。すごく単純な例でいえば、たとえば、部屋というのは自然にしていれば散らかってくる、エントロビーが増大していく、そのような法則です。そこで整理整頓という自然ではない人為的な外的な力がくわわって部屋は片付いていく。つまりエントロピーが減るということです。

 私たちの心のエントロピーも自然の状態では混沌へと向かうと言ってもいいでしょう。自分自身で秩序を作って行くことはできそうでできないのです。外からの力によって秩序が与えられることが必要なのです。その外からの力が、神の力であり、キリストの力でした。

<光の到来>

 実際、混沌と闇の世界に、ふたたび光が来ました。

 それがキリストのこの世界への到来です。キリストの受肉、クリスマスの出来事です。イザヤ書9章に「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」とあります。これは旧約聖書におけるキリスト到来の預言の言葉の一つです。罪の闇の中を歩む私たちの上に、たしかに光が輝きました。キリストという光が輝いたのです。イスラエルの人々は混沌の闇の中にいました。神に選ばれた民であったにも関わらず国が滅び、国土は荒廃し、1000キロ以上離れた地に強制的に移住させられました。その混沌と闇の中で、自らの罪を知らされ、光、つまり救い主の到来を待望しました。数百年を経て、まさに光はきたのです。

 その光は、ただ美しく、世界や人間をさっと清めるような光ではありません。私たちをまことに生かしていく命の光でした。「言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」とヨハネによる福音書の4節にあります。ここで言う命は、生物学的な命ということを越えた命です。生物学的な命を越えたといいましても、それは何か理想化された観念的なものではありません。人間がもっとも人間らしく力に満ちて生きていく命に関わる命です。私たちはキリストの光に照らされたとき、はじめて本当に生きていくのです。キリストご自身の命に満たされて、本当の自分として生きてゆくのです。

 キリストを知らなくても、私たちは生活していくことができます。イスラエルの民のように暗闇の中から光を待望する必要なく、物質的にも精神的にもそれなり生活をすることはできるのです。私自身、中年になるまで、そうやって生きてきました。キリストを知ることなく、それで特段不便もなく生きてきました。その人生がただ暗いものであったかというとそうではありませんでした。それなりに生きがいもあり、普通に生活をしていたのです。

 キリストを知るということは、ほんとうの光を知るということと同時に、自分の中の闇と混沌を知るということです。闇と混沌を知らされるということです。自分では健康なつもりで生きていた、しかし、健康診断で、あなたの内臓に問題があると知らされるように、私たちはキリストによって自分の罪の現実を知らされます。光によって、闇が露わにされるのです。5節に「光は暗闇の中で輝いている」とあります。これは現在形です。光は2000年前に一度来て消えたのではありません。今も輝いているのです。私たちの闇を照らしているのです。そして、闇は露わにされたとき、滅ぼされるのです。光を受け入れる時、闇は消滅します。そのとき、私たちは本当の命の中に生かされます。キリストの命の中に生かされます。どうしようもない現実のなかを力強く生きることができるようになります。

<キリストの光を受けて歩もう> 

 私たちは光として到来されたキリスト共に歩みます。その光を光として受け入れ歩んでいきます。しかし、5節は続いて「暗闇は光を理解しなかった」とあります。これはキリストが理解されなかったことが記されています。私たちは受難節、復活節と教会の暦のなかを歩んでいますが、私たちは光を理解しなかった闇の力によってキリストが十字架にかかられたことを特に受難節に繰り返し聞いて来ました。ここには、そのキリストのこの世界での受難の記録が端的に記されていると言っていいでしょう。実にこのヨハネによる福音書の1章は、創世記に始まる創造からキリストの受難までの、人間の罪の歴史を記していると言っていいのです。キリストの光は空間的な広がりと共に時間的な広がりもあるということです。

 その人間の歴史のただなかに来られた光、それがキリストです。人間の歴史の中に来られたということは高いところから降って来られたということです。光り輝くところではなく、ドロドロとして汚い醜い世界のただ中に来られたということです。そして私たちと共に歩んでくださるということです。そしてまた人間の歴史であると同時に、神の支配される歴史の中に来られた光がキリストでした。神のご支配として言うとなにか私たちは縛られているように感じるかもしれません。しかし、神の支配というのは私たちがあるべき場所に置かれているということです。良く適材適所という言い方をしますが、神はまさに私たちをいるべき場所においてくださるということです。私たちはこの世界で生きていっていいということなのです。自分の居場所がないとか生きがいがない、あるいは生きる目的が見つからないということが言われます。しかし神のご支配の中にある時、私たちはいるべき場所におかれ、私たちの日々は意味があるものになります。その時は、なにか無駄のような、徒労のように見えることでも、かならず意味のあること、益となることであることを知らされます。まさに私たちの毎日が本当の命に生かされていくということです。

 キリストの光を受けて、今、私たちはキリストがどなたであるかを知っています。聖霊によって知らされています。ですから光を受け入れるのです。キリストと共に歩むのです。歩み続けるのです。キリストの語りかける言に聞くのです。聞き続けるのです。言葉なる神の言葉を私たちの道の灯として歩むのです。初めからあった言は、ほかならぬ私たちのために来てくださり、今も私たちと共にあるのです。


マルコによる福音書16章1~8節

2018-04-09 17:55:31 | マルコによる福音書

2018年4月1日 大阪東教会主日礼拝説教 「復活」吉浦玲子

<劇的ではない復活の記事>

 キリストは復活されました。死から命へと新しい時代を開かれました。人間をつないでいた死から人間は解放されました。キリストが死に勝利をされたからです。

 ところで、キリストの降誕を祝うクリスマス、復活を祝う復活祭、そして聖霊の降臨を祝うペンテコステが教会の三大祝祭です。この中でも最大のものが復活祭です。何となくクリスマスの方が世間的にはメジャーな気がしますが、教会が、もっとも大きな祝祭としてきたのは、復活祭、イースターです。

 その最大の祝祭の中心である復活の出来事はキリスト教の信仰の中核にあることでありながら、聖書の中では、それほど華々しい書かれ方はなされていないようにも感じられないでもありません。クリスマスの時のように羊飼いたちの前で天の軍勢が大いなる賛美をしたり、ペンテコステの時のように嵐のような音がして炎のような舌がおりてくるような劇的なシーンはありません。ことにマルコによる福音書は、復活に関してはそっけないといってもいいくらいの記述になっています。皆が見ている前で、イエス・キリストの墓を閉ざした大きな石がどーんと割れて、そこから光り輝く復活のイエス様が登場する、などということはないのです。

 復活の出来事の最初の目撃者である婦人たちが墓に行ったとき、そこで見たものは、空となった墓でした。もちろんそこには天使と思われる若者の姿はあります。しかし、現代の私たちから見ると、いたってあっけない記述とも思えます。主イエスの十字架への道のり、ことに受難については多く記されているのに、復活に関しては簡潔に記されています。マルコによる福音書では、今日お読みいただきました聖書箇所ののち、復活なさったイエス様ご自身が姿を現わされる場面が記されてはいますが、その記述も「ご自身を現わされた」というようないたってあっさりした表現になっています。弟子たちに現れられた時も、復活のお姿そのものよりも、宣教命令の方が主として語られています。

 復活というとんでもない奇跡の出来事をなぜこれほどあっさりと聖書は記しているのでしょうか?それはひとつには復活の出来事は、人間には理性では理解しがたいことであって、書き現わすことが困難であったということが考えられます。復活の主イエスと出会った人々にとっても驚くべきことで、かつ、その人のすべてを変える出来事であったにも関わらず、それを伝えることは難しかったのだと考えられます。

 しかしながら、一方で、聖書に記されている復活の出来事を深く読んでいきます時、やはりそこには驚くべきことが伝えられているのです。ある意味で天の軍勢が賛美をすること、炎のような舌が降って来ることと変わらぬ、驚くべき神の出来事が記されていると考えられるのです。

<見えているもの>

 今日の聖書箇所の直前にはイエス様の葬(ほうむ)りの場面が出てきます。少しその部分を読んでみます。身分の高いアリマタヤのヨセフが勇気を出して、ローマの総督でありキリストの十字架刑を執行させたピラトに申し出て、イエス様の遺体を引き取り、自分が所有している墓に葬ります。「この人も神の国を待ち望んでいたのである」と記されています。この人は明確にはイエス様の弟子となっていたわけではなかったのでしょう。身分が高い人であれば、キリストの弟子であることは不都合なことであったせいでもあるかもしれません。権力者たちはみなキリストの敵でした。アリマタヤのヨセフも権力側の人間であり、キリストの弟子であることが知れたら立場が危うくなる可能性がありました。しかしなお、イエスの教えに共感し、この方こそ神の国を立ててくださる方だと感じていたのでしょう。だからこそ「勇気を出して」申し出たのです。ここにこの人の誠実さがあります。しかしまたこの人の絶望もここにあったのです。キリストこそ、神の国を打ち建ててくださると信じていた、その希望が砕かれたのです。希望が砕かれながらなお、主イエスをせめて葬ろうとしたのは自分自身もキリストを死刑にした権力側の人間であったという心の痛みもひょっとしたら、あったのかもしれません。ヨセフの姿には自分の立場を慮る小心な人間の悲しみ、そしてそれはこの世界の大多数の人間のものである悲しみがにじんでいます。一方で、主イエスを葬った場面には、女性たちもいました。彼女たちは「イエスの遺体を納めた場所を見つめていた」のです。その視線の先にあるのは彼女たちが愛し、従ったイエス様の遺体を納めて閉じられた墓の扉です。女性の力では到底動かせないような巨大な石があったのです。それは無残な死の象徴でした。墓と墓を閉ざした巨大な石は、彼女たちの未来が閉ざされたことを示すしるしでした。彼女たちと共に旅をし、生き生きと語り、笑い、悲しみ、怒っておられた主イエスはもうおられない。ただ冷たい、硬直したなきがらがたしかにあり、さらにその亡骸も墓の中に閉ざされてしまいました。イエスさまの亡きがらがおさめられた墓はイエス様のなきがらのみならず彼女たちの希望をも閉ざしてしまったのです。

 アリマタヤのヨセフにとっても、女性たちにとっても、希望は砕かれ、未来は閉ざされていました。それが現実でした。目に見える現実でした。それが安息日の前の出来事でした。

<石は転がされていた>

 さて、今日の聖書箇所では「安息日が終わると」とあります。安息日のまえに、イエス様は葬られましたが、それは丁寧な葬りではありませんでした。働くことができない安息日の前に、大急ぎで亜麻布でイエス様の亡きがらを巻き、かろうじてお墓に納めたのです。

 それが女性たちにとっては心残りな、残念なことでした。もっと丁寧にしっかりとイエス様を葬りたい、そう彼女たちは願っていたのです。男性の弟子たちが逃げ去り、葬りもしなかったのに対し、女性たちは香料を買い、ふたたび墓まで、出掛けて行くのです。しかも、「週の初めの日の朝ごく早く」とあります。彼女たちは、きっと夜が明けるのを今か今かと待っていたのです。ここが女性の不思議なところです。もう主イエスは亡くなってしまったのです。先ほども申し上げましたように、神の国の建設ということはもうできなくなったということは彼女たちも頭では思っていたのです。彼女たちはこの時点では復活ということは分かってはいませんでしたから、男性の弟子たちと同様、彼女たちにとっても、もうすべては終わってしまった状況だったのです。にもかかわらず、しっかりイエス様を葬りたいと考えるのは、彼女たちの人間らしい思いでした。また、女性らしい思いでした。良い意味での、女性の現実的なところ、たとえ亡くなった人であっても、いや亡くなっておられるからこそ、どうしても愛する人のために、何かをしないではいられない、そんなところが出ています。彼女たちにとって信仰とは頭で考えるものではなかったからです。頭で考えたら男性の弟子たちのように、もう神の国の建設はできないのだから逃げ去ったら良いのです。

 女性たちの心配は墓を閉ざした石をだれか転がしてくれるかどうかでした。それでも、心はやる彼女たちは石を転がしてくれる人がいるかどうかわからぬままに、墓へと急ぎました。「ところが、目を上げて見ると、石はすでにわきへ転がしてあった」とあります。「石は非常に大きかったのである」とあるように、巨大な石は転がされていたのです。

 そして女性たちが墓の中に入ると、天使と思われる若者が主イエスの復活の告げられるのでした。ここに、復活なさった主イエスの姿はありません。ただ石が転がされ、墓が空になっていたという事実だけがありました。しかし、すでに大きなことがここで告げられています。アリマタヤのヨセフが、そして女性たちが、もうすべてが終わってしまった、希望が砕かれてしまった、未来は閉ざされてしまったと考えていた現実が変えられている、ということです。非常に大きかった石は転がされていました。誰が転がしたのでしょうか?それは神です。神ご自身が巨大な石を転がされました。死によって閉ざされていた未来を再び開かれました。神が開かれたものは二度と閉ざされません。死は、永遠の命に向かって開かれたのです。かつては墓をふさぐ巨大な石が現実でした。15章の終りで女性たちが見つめていた現実は墓をふさぐ巨大な石でした。しかし、今や、その現実が変えられました。石が転がされたとき、死は虚しくなったのです。墓は空になったのです。そこにたしかにあったはずの、死はもうありません。

 私たちの現実もそうです。私たちの現実にも巨大な石があります。絶対に自分では転がすことはできない、動かすことはできない、そんな巨大な石があります。しかし、その石は転がされるのです。神によって転がされるのです。石によって閉ざされていたものが、神によって開かれるのです。それが復活の出来事です。

 私たちの現実にも巨大な石があると申しましたが、それは変えようのない運命や試練であるともいえます。しかし、もっとも大きな石は、私たちにとっても死です。やがて、この世界から私たちの肉体は滅びます。それが現実です。私たちの人生には遅かれ早かれ終わりがきます。私たちの人生もまた死という大きな岩で閉ざされています。それが現実です。死によって閉ざされている一人一人の人生です。ある人はその有限の閉ざされた日々を誠実に生きようとするでしょう。誠実に生きようとしながら、タイムリミットがあるその日々に、確実に終わりの時は影を落とします。何もかも死で終わりであるならば、その時までにどうしても成し遂げなければいけない、そのような重荷もあります。しかし人間には成し遂げることは往々にして困難なのです。

 長崎で原爆に被爆し、子供たちを残して、原爆症で亡くなられた永井博士のことをご存知でしょうか。私は長崎出身ながら、クリスチャンになるまで、実はあまり知りませんでした。放射能の専門家でもあった永井博士は爆心地付近で被爆し原爆症を発症している自分の死期が近いことをよく分かっていました。原爆ですでに、母を亡くしていた子供たちが、さらに父である自分を失うことを、当然、博士は考えたでしょう。しかし、博士はけっして悲観をなさらなかった。いくたびも自分自身の容体が悪化し、命の危機を迎えながら、1951年の最期まで被爆者の救護活動と研究をされました。ある知人は、書籍で永井博士の文章を読み、博士の姿に感銘を受けられました。なにより子供たちを残して死ぬのに不思議な平安がある博士の姿に驚いたとおっしゃっていました。その博士の根底にキリストを信じる信仰があることを知って、知人は教会に行きはじめ、洗礼を受けられました。ちなみに永井博士の最期の言葉は、「イエズス、マリア、ヨゼフ、わが魂をみ手に任せ奉る(ゆだねたてまつる)」であったそうです。神が開かれた新しい現実、死を越えた現実があることをご存知であったゆえに、永井博士は、限られた地上での日々を悲観することなく焦ることなく生き抜かれました。親として子供たちを残していくという現実も神に委ねられました。永井博士の日々もまた神によって巨大な石が転がされ、新しく開かれていたのです。その開かれた命のゆえに御手にすべてをゆだねることができたのです。

<肉体をもって復活された>

 キリストは復活は新しい現実を開きました。今日の聖書箇所ではその復活のお姿は描かれていません。しかし、白い衣を着た若者は「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方はここにはおられない。」と言います。<十字架につけられた>と天使は語っています。つまりたしかに十字架につけられ血を流し肉を裂かれて死なれた主イエスが復活したのだと言っているのです。たしかに現実に死んだイエスが復活をされたのだというのです。そしてまたナザレのイエスと言っています。それはあえてナザレということによって、肉体をもった現実を生きる人間としてのイエスを示しています。キリストの復活は、主イエスの思い出が人々の心の中によみがえるとか、何か特別な心霊現象とか、概念的なことではなく、あの「ナザレのイエス」が復活されたということなのです。肉体をもって、この地上を歩き語ったイエスが、また肉体をもって、復活されたということです。

 そしてまた天使は「行って、弟子たちとペトロに告げなさい」と言います。ここであえて、ペトロの名前が出ています。男の弟子たちは皆逃げたのです。そういう意味で皆同じでした。しかし、あえてペトロという名前が出ている、それは、ペトロがイエス様の逮捕ののち「イエスなんて知らない」とイエス様を否定したことと関係があります。イエスなんて知らないと言ったペトロは誰よりも悔いていたでしょう。一番弟子として従って来たペトロの挫折はだれよりも大きかったでしょう。そのペトロのことを主イエスは気にかけておられた。しかし、それは人間的な情的な配慮とかフォローではありません。ペトロの名前をここで出すことによって、赦されない罪はない、どんな失敗を犯してもやりなおせるのだということがしめされているのです。死で閉ざされた日々であるなら、場合によって、失敗は致命的です。もう取り返しがつかないこともあります。しかし、死は命へと開かれました。もう取り返しのつかないことはないのです。ペトロも、私たちもやり直すことができる、キリストの復活のゆえに、わたしたちは取り返しがつかないという後悔と諦めのなかに生きる必要はなくなったのです。それが新しい現実です。

 しかし、巨大な石を転がされる神の新しい現実に出くわしたとき、人間は喜びよりまず恐れを感じます。そこに本当に神の力が及んでいると知る時、ふるえあがるのです。女性たちもそうです。亡骸に香油を塗ることは実際は悲しい作業です。しかし、その悲しい現実を越えるできごとと遭遇した女性たちは、「墓を出て逃げ去った。震えあがり、正気を失っていた。そして、だれにもなにも言わなかった。恐ろしかったからである」とあるように喜ぶどころか恐れて逃げ去ったのです。

 実際、神の現実は恐ろしいことです。神の現実は、信仰によらなければ恐ろしく震えあがることです。あるいは神の現実は信仰によらなければ、目の前にあっても見えないものです。神の新しい現実は、信仰によって新しい目を開いていただいた時、見えるようになります。この時の女性たちはまだ聖霊を受けていませんでした。ですから信仰の目が開いていませんでした。しかし、ペンテコステののちを生きる私たちは洗礼によって聖霊を受けています。ですから新しい神の現実を喜ぶことができます。

 復活おめでとうございます。この新しい現実がすべての人のものとなりますように。死では終わらない希望の日々は既に開かれました。その希望の中に大いなる神への賛美とともに生きていきましょう。