大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

2017年4月23日主日礼拝説教 マタイによる福音書28章16~20節

2017-04-30 15:14:23 | マタイによる福音書

説教「さあ、行きなさい」

<待っておられた主イエス>

 キリストを裏切った弟子たちは、ガリラヤで復活のイエス・キリストと出会いました。すぐる週お読みしました婦人の弟子たちに現れた復活の主イエスが、「行きなさい」と言われたので、弟子たちはガリラヤの山の上で主イエスと出会いました。つまり主イエスは、弟子たちを招かれたのです。キリストはご自分を裏切った弟子たちを招き、出会われました。それもご自身の方が先回りしてガリラヤにむかって、弟子たちを迎えられたのです。先にガリラヤで待っておられた。自分がそこに行くから、皆で待っていなさいということではなく、先に主イエスが待ってくださっているのです。ヨハネによる福音書21章でも復活の主イエスは漁をしている弟子たちを岸辺で待っておられました。主イエスは、漁からかえってきた弟子たちのために朝食の準備までして待っておられました。そこに主イエスの深い愛があります。

 今日の聖書箇所では、ガリラヤでお会いした主イエスに対して、彼らはひれ伏したとあります。これは礼拝をしたということです。イエス・キリストに対して礼拝をした、つまりこれは教会の出来事を語っているのです。わたしたちもこの朝、復活のイエス・キリストを主として礼拝をしています。これは私たちの物語でもあります。

<疑う者もいた>

 しかし、ここにたいへん重要なことが記されています。「しかし、疑う者もいた。」

 目の前に復活の主イエスを見ても、ほんとうにこれはよみがえりの主であろうかと疑った弟子たちがいたということです。釘の傷跡をもったお姿のままで目の前におられるイエス様を見てもなおこの方は復活されたのだろうかと疑う者がいたということです。11人のうちの何人かが疑ったのかもしれませんし、あるいは皆が心の中で多少疑っていたのかもしれません。

 これが教会の現実だということです。わたしたちの現実だということです。皆が皆、100%の信仰を持っているわけではありません。ゆるぎない信仰を持っているわけではありません。この朝も、いまここに、よみがえりの主が共におられる、その臨在のうちに私たちは礼拝をお捧げしていますが、しかし、本当によみがえりの主はおられるのか、人間はいつも疑うのです。すべての人間が疑うといってもいいでしょう。ほんとうにここはキリストの臨在される教会であろうか、キリストは本当に復活して出会ってくださったているのだろうか、復活という信仰の根幹にかかわる部分で私たちは自信がなく、疑いながら、集うのです。それが教会なのです。

 そのような自信のない、疑い深い私たちがなおキリストに招かれて礼拝をしている、自信のない信仰者が集まって、教会を形成している、教会と言うのは2000年に渡り、そのようなものでした。信仰と不信仰がまぜこぜになって、信じる者と信じない者が共にあって、また一人の人間の中でも信仰は揺れ動く、そのようなすべての人々をキリストは先回りをして迎えてくださり招いてくださるのです。そしてそのひとりひとりにキリストは近寄ってきておっしゃいます。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」

<大宣教命令>

 一切の権能とはこの世界の命と死、歴史、すべてにかかわることを支配する権能ということです。みじめに十字架の上で罪人として死なれた主イエスは、いまや支配者として父なる神から権能を授かって弟子たちの前に立っておられます。その支配者たる主イエスは弟子たちにおっしゃいます。

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」

自分を裏切った弟子達、いま目の前に自分を見ながらもなお疑う者もいる弟子たちに主イエスは大胆に命じられます。「行きなさい」と。「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」

すべての権能を授かっておられる方が、教会にむかって、洗礼を授ける権能を与えられたということです。つまり教会の役割はまず第一に洗礼を授けるということであるのです。これはかつて、ペトロの信仰告白の場面でも語られたことです。マタイ16:16で「あなたはメシア、生ける神の子です。」とペトロが信仰を告白しました。そのペトロに対して「わたしはこの岩の上に教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」と主イエスはおっしゃいました。教会は実にキリストがこの地上の岩の上に建てられる命の砦であるということです。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

教会が地上でつなぐこと、洗礼を授けられ新しい命へとつながれたことは、天上においてもつながれている、その教会の洗礼の業は天につながっているということです。大阪東教会のすべての業は天につながっているということです。それは長老会が決定したり牧師が執行したりするその業が天につながっているということです。目に見えることがらは、人間がなしているように見えて教会の業は天につながっているのだということです。そしてそれは突き詰めると、新しい命、キリストが復活によって現わされた死に打ち勝った命にかかわることなのです。

教会が伝道をしていくということは単に教勢を上げるとか、規模を拡大していくということではなく、新しい命に生きる人々を生み出していくということです。その働きには必ず祝福がついてくるのです。教会が新しい命の業に仕えて行くとき必ず祝福があるのです。

なぜならキリストは「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とおっしゃっているからです。キリストを裏切って捨てて行った弟子たちに対しておっしゃったのです。そしてまた「疑う者もいる」弟子たちにおっしゃったのです。今日を生きる疑いやすい信仰の薄い私たちにもおっしゃっているのです。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる、と。

 世の終わりとは、キリストの再臨の時です。いつもと言うのは毎日毎日ということです。絶えずということです。わたしたちがキリストのことなど忘れているその瞬間にでも、ということです。

 キリストが共におられることを忘れる時、わたしたちの業は人間の業になります。この世的な事業になります。それは非常にしんどいことになるのです。自分の力でがんばる事業、活動になるからです。

<あなたのガリラヤからはじめる>

 ところで、主イエスはガリラヤで弟子たちと会われました。なぜガリラヤなのでしょうか?それは弟子達がガリラヤの出身だったからです。また主イエスと弟子たちの宣教の始まりがガリラヤだったからです。これはマタイによる福音書の26章などを共に読んでいた時にも申し上げたことですが、復活の主イエスと出会って、新しく生きていく、教会の業をなしていく、それは、まったく新しい場所で始めるものではないということです。もともとの自分たちの生きて来た場所、そこで新しく始めるのだということです。復活の主イエスと出会ったから、弟子たちはまったく新しい土地に行って、まったく新しいことを始めたわけではないのです。自分たちのホームグランドからはじめるのです。もちろんそれはある意味、難しい面もあるのです。まったく新しい所で新しく始める方が困難もありながら、気楽な所もあるのです。

 ガリラヤは自分たちが勝手を知っている場所ではありますが、失敗もした場所です。そしてまた地味な場所です。復活の主と歩むということは、いきなり華々しい活動を開始するということではないということです。自分の持ち場で、一見、今までとは代わり映えのしないことをやるということです。これは教会の伝道ということに限らず私たちの日々もそうです。

 ここにおられる方も、洗礼を受けたから、信仰を持ったらから、キリストと共に歩むから、突然、別の職業についた、いきなり人間関係が変わった、劇的に生活が変わったということではおそらくなかったかと思います。もちろんそういうことがまったくないわけではないもしれません。しかし、基本的にはキリストと共に歩むというとき、まったくこれまでやっていたなかった新しいことを始めるということでもありません。なんだか代わり映えのしない、昨日と変わりばえのしない場所で、代わり映えのしない人間関係の中で、いってみれば地味な生活を続けていくのです。弟子たちが漁師として魚をとっていたように、わたしたちもわたしたちのそれぞれのガリラヤでそれぞれに昨日と同じ漁を魚を釣る日々の業を行うのです

 しかし、そうであっても、そこにはすでに先回りして待っておられるキリストがおられます。そしていつも一緒におられます。世の終わりまでいてくださいます。ですから代わり映えのしない場所が変えられていくのです。相変わらず、失敗ばかりしていると感じる自分自身も自分の気付かないうちに変えられていくのです。昨日と同じ今日だと思っていても実は変えられていく、わたしたちのガリラヤが変えられていくのです。わたしたちの日々も変えられますし、また教会も変えられていくのです。キリストの祝福のうちに変えられていくのです。代わり映えのしない日々のなかに奇跡が起こるのです。

 そしてまたキリストはおっしゃいます。19節で「あなたがたは行って、すべての民を自分の弟子にしなさい」と。すべての民を、というのはすべての国民を、ということです。ちなみにマルコによる福音書では全世界にと記されていますが、このマタイによる福音書はユダヤ人への福音ということを意識した福音書です。第一章はキリストの系図から始まっていました。ユダヤ人としてキリストはお生まれになった。ユダヤの旧約聖書から連なるその歴史のなかで神の物語はあった、旧約聖書で預言されていたことの成就としてキリストは来られた、それが系図によって現わされていました。ユダヤ人ということを他の福音書より強く記しているのがマタイによる福音書です。そのマタイによる福音書の最後は、行け、すべての国民のもとに行けと言う言葉で終わっているのです。ユダヤ人の歴史の中からはじまったこの福音はユダヤ人の中に、イスラエルに、パレスチナ地方に留まるものではない、全世界へ向かうのだと語られているのです。全世界へ行け、そう語られているのです。そしてそのことは成就したのです。イスラエルからはるかに離れたこの極東の島国にも福音は伝えられました。

 それは、キリスト教会の伝道戦略とか、政治的なことと絡んださまざまな事情によってキリスト教が伝わったということではありません。多くは迫害や戦乱の中でクリスチャンが散らされて広がって行ったのです。大伝道者パウロは当初はまだまったくヨーロッパに行って宣教することは考えていない時期にヨーロッパへ渡ることになりました。使徒言行録に記されていますが、別の宣教を考えていたのにその道が閉ざされてヨーロッパに渡ることになります。やがてローマで宣教したいという願いをパウロは持ちますがそのローマへ向かうのは囚人として護送されてローマへと向かったのです。皮肉と言えば皮肉です。「行って、すべての民を弟子とせよ」そのキリストの思いは、人間個人の思いを越えて成就しました。もちろん、個々の局面を見れば人間や教会の戦略はありました。たとえば宗教改革ののち、ローマカトリック教会はヨーロッパにプロテスタント教会が広がったことを契機に、世界宣教に乗り出します。その世界宣教の時期に、日本にもキリスト教は伝えられました。それは植民地時代、ヨーロッパ各国の世界戦略という政治的な動きとも重なっていたとも言われます。しかし、やはりその人間の思いを越えて、いや人間の思いを利用してといってもいいでしょう、福音は広がりました。「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」この言葉は成就したのです。神が働かれ、人間が個人の思いを越えて「行って」福音は伝えられたのです。

<新しい日々へ>

 ガリラヤで復活のキリストと出会った私たちもまた「行きます」。それは個人個人にとっては、直接的な伝道とか宣教ということではないかもしれません。ガリラヤから始めた私たちは、しかし、やがて「行く」のです。気がつくと違う人生を歩むことになるのです。

 復活の主イエスと歩む人生は、日々新しいのです。日々新しくされる人生なのです。わたしたちも変えられていきます。そしてやがて考えてもいなかった所に、行くことになるのです。それが物理的に地理的に遠いところに行くということではないかもしれません。ずっと同じ場所同じ土地にいてなお変えられていく、新しくされていく歩みである場合もあります。しかし、いずれにせよ、それは孤独な歩みではありません。危険な歩みではありません。もちろん困難はあります。キリストの十字架を背負う歩みです。しかし、キリストがいつも共にいてくださるのです。すべての民を弟子にする、そこには交わりがあるということです。交わりを生み出していくということです。愛の共同体が起きるということです。わたしたちは新しい愛の交わりに向けて世の終わりまで出掛けて行くのです。そこには奇跡があります。復活のキリストが共におられるのですから、奇跡が起こるのは当り前のことです。わたしたちの日々にも、教会にも奇跡が起こります。2000年に渡って奇跡は起こり続けたのです。ですから、喜びを持って私たちは世界へと出て行きます。キリストと共に新しく生きて行きます。

 


2017年4月16日主日礼拝説教 マタイによる福音書28章1~10節

2017-04-20 18:15:57 | マタイによる福音書

説教「あの方は復活なさった」

<おはよう>

 キリストは「おはよう」とおっしゃって婦人たちと出会われました。「おはよう」、これはギリシャ語の原語の意味では「喜びなさい」という意味がありますが、当時の使われ方としては、ごく一般的な挨拶と考えられる言葉です。「おはよう」とか「こんにちは」「ごきげんよう」と訳される言葉です。昨日の夕方、道で別れた友人とまたこの朝、出会って挨拶をする、「おはよう」、毎日会う職場の人、近所の人といつものように挨拶をする「おはよう」、そんな気軽さで復活のイエスは婦人方と出会われました。

 先週までの受難節にずっと読み継いでいたキリストの受難の物語からは、唐突なように復活のキリストは人々の前に姿を現します。狂気に満ちた「イエスを十字架につけろ」という人々の叫びも、生身の肉がえぐられた残酷な鞭打ちも、さらし者にされ、血を流し、衰弱して死んでいかれた十字架の上のお姿も、まるで何もなかったかのように、「おはよう」、そうおっしゃって、昨日の続きのように、主イエスはそこにおられました。

 復活というたいへんな奇跡が描かれているにしては聖書の復活の場面は考えようによっては、あっさりしているのです。光り輝くなかに神々しい主イエスが華々しい宣言と共に現れてもよさそうなものですが、そうではありません。ただ日常のあいさつの言葉をもって「おはよう」と、婦人たちの前に現れるのです。

 もちろん、今日お読みした最初のところには地震が起こったと記されています。そして主の天使の姿が稲妻のように輝いていたとも記されています。その天使を見た番兵たち、それなりに屈強の男たちだったと思いますが、その番兵たちが震え上がり死人のようになったとあります。そのようなただならぬ天使たちの様子がありました。それに対して、主イエスのお姿に関しては、特別な様子は記されていません。主イエスと出会った婦人たちは近寄って足を抱いたとあります。足のない幽霊でもなんでもない普通に肉体を持ったお姿で復活されたのです。キリストは幻でもなんでもなくリアルな存在として婦人たちに現れたのです。それにしても、聖書の多くの奇跡の中で、奇跡中の奇跡、そしてまた福音の根幹をなす復活の出来事がこれほどあっさり記されていることは不思議です。

 <すべてが新しくされた>

 すべてが新しくされたからです。昨日から続く今日ではないからです。世界が変わってしまったのです。すべてが過ぎ去り、すべてが新しくされた、その朝に、キリストは「おはよう」とおっしゃっているのです。言葉だけを聞くと不思議な感じがします。昨日の続きのような「おはよう」です。しかし、あれほどの出来事、十字架の出来事があった、それはほんの二日前のことです。しかしいまその二日前のことをなにひとつ引きずることなく、キリストは復活されました。昨日の続きの今日ではない、新しい朝です。新しい命の中に主イエスはおられます。キリストは死なれ、陰府にまで下られた、しかし、もうそのことはすべてが過ぎ去ってしまった。キリストは肉体をもって新しい命の中におられる、その命のただなかで新しい朝にキリストは「おはよう」そう言って出会ってくださったのです。

復活のキリストと出会った婦人たちはまだそのことがはっきりとはわかっていません。

<墓は空>

 キリストと出会う前に、婦人たちはまず空の墓を見せられます。「空虚な墓」というのは復活という出来事において象徴的なことです。そこには亡骸があるはずでした。金曜日の主イエスの死から三日目です。十字架から降ろされた亡骸は、大急ぎで墓に入れられました。安息日が迫っていたからです。本来は亡骸に施すべき丁寧な処理をする時間がありませんでした。取り急ぎ亜麻布に包まれ墓に入れられた、その亡骸には時間の経過しただけの状況があるはずです。安息日に墓に行くことのできなかった婦人たちは、おそらく亡骸に施すべき処理をするために安息日が開けると大急ぎでかけつけたのです。婦人たちは主イエスの亡骸をねんごろに葬りたかったのです。それがせめてもの、主イエスへの誠意であると婦人たちは考えたのです。婦人たちの精一杯の善意でした。しかし、遺体はなかった。そこにあるべき、既に時間がたった、紛れもなく死のにおいをはなっているはずの遺体はなかったのです。

 天使たちは言います、「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」そう、婦人たちもすでに聞いていたのです。主イエスが苦しみにあって死に、三日目に復活をするということを。しかし、誰もそのことを分っていなかったのです。ただ精いっぱいの善意で、没薬や香料などをもって墓に駆けつけたのです。しかし、善意にあふれた婦人方は肝心なことは分っていなかった。<かねてから言われていた>キリストご自身から何度も聞いていたのに、その主イエスの言葉を分っていなかったのです。

 天使たちから復活の事実を聞いた婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、他の弟子たちに知らせるために走っていきました。婦人たちは走ったのです。一刻も早く知らせようと走ったのです。これはどういうことだろう不思議なことだと話し合いながら歩いて行ったのではありません。走って行った。おそらく婦人たちもこの時に論理的にこの出来事を理解していたわけではないでしょう。しかし、一目散に走って行った。ほとばしるような喜びの内に、もちろんただならぬことが起こったという恐れの気持ちもありながら、抑えることのできない感情をもって走った。ゆっくり歩いていくことなどできなかったのです。

<出会ってくださる復活の主>

 その婦人たちの前にキリストは立っておられました。「立っていて」という言葉は「出会って」というニュアンスでもあります。キリストは走ってきた婦人たちに出会ってくださったのです。復活のキリストは婦人たちと出会ってくださったのです。

 かねてから復活の話を聞きながら、そのことを信じていなかった婦人たちと出会ってくださった、なぜ信じなかったのか?と、主イエスはとがめることはなさらず、出会ってくださった。そして「おはよう」とあいさつをされた。そしてまた、「わたしの兄弟たちに告げよ」と言葉を残されます。「わたしの兄弟たち」とは誰か、兄弟ですから男性の弟子たちです。キリストを捨てて逃げ去った弟子たちです。婦人たちは、番兵が見張っている墓まで勇気を持ってやってきて精一杯のことをしようとしたのです。しかし、男の弟子たちは、おそらく息をひそめて隠れていたのです。衝撃的な出来事に茫然自失していたかもしれません。その弟子たちを「わたしの兄弟」と主イエスは呼ばれるのです。

 主イエスを裏切ったのは祭司長たちに主イエスを銀貨30枚で売ったユダだけではありませんでした。弟子たちすべてが裏切ったのです。逃げたのです。しかしなお、その裏切り者のかつての弟子たちを「兄弟」と呼ばれ、彼らもまた、自分と出会えるのだとおっしゃるのです。

<復活という現実>

 しかし、このキリストの復活の出来事は理屈で解明できることではありません。しかし、また復活はキリスト教会がねつ造した作り話でもありません。キリストは信者の心の中に思い出の中によみがえった、ということでもありません。キリストは肉体をもってよみがえられました、そして弟子たちと、出会ってくださった、逆に言えば、復活のキリストと出会った人々にとって復活は現実なのです。

 11節からは、主イエスの復活の出来事を隠ぺいしようとする人々の様子が記されています。弟子たちが夜中に来て遺体を盗んでいった、そのような噂を流すように祭司長たちが画策したことが描かれています。しかし、祭司長たちが画策しなくても、通常、死体が墓からなくなるようなことがあれば、死体が盗まれた、そう考えるのが、筋の通ったことです。論理的に納得できることです。

 復活は、人間の理解できる範囲で筋を通そうとしていくとき、けっして理解できるものではありません。合理的な説明はできないのです。しかし、復活のキリストと出会った人、いえ、復活のキリストに出会っていただいた人には紛れもない事実として復活は信じることができるのです。復活のキリストと出会うことのなかった番兵や祭司長たちは復活をもみ消そうとしました。そんな彼らにとって、依然としてこの世界は死に支配されたものでした。かねてから聞きながら復活を信じていなかった婦人たちも、主イエスを裏切ってひそんでいた弟子たちにもキリストは出会ってくださるのです。「おはよう」と言ってくださるのです。婦人たちが、弟子たちが立派だったからではありません。キリストはそんな夫人や弟子たちと出会うために復活してくださったのです。婦人や弟子たちだけではありません。私たちとも出会うために復活をしてくださいました。

<見ていないのに信じる>

 今日の聖書の場面では息をひそめて隠れている、そして裏切った自分を責めていたであろうペトロにもであってくださいました。そのペトロがのちに伝道者となり、こう語っています。「あなたがたは、キリストをみたことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ち溢れています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」三年半、実際に主イエスと行動を共にし、間近に主イエスを見てきたペトロが、主イエスが天の戻られたのち、つまり地上でのイエスとお会いしたことがなくてなお主イエスを信じるようになった人々に対して語った言葉です。キリストを見てないのに愛し、今見なくても信じている。これは私たちのことでもあります。私たちは2000年前、復活のキリストと出会ったわけではありません。しかし、なお、復活のキリストは聖霊によって私たちと出会ってくださいました。肉体の目では見えなくても、わたしたもまた信仰によって確かに復活のキリストと出会いました。いえキリストの方から出会ってくださったからこそ信仰を与えられたのです。

<死の終わり>

 その復活のキリストは、すべての人々に告げ知らせるために出会ってくださいました。何を告げ知らせるためか?それは「死」が取り去られたことを告げ知らせるためです。

 さきほど、墓の中に主イエスの亡骸がなかったと申しました。当時の墓は洞窟でした。その洞窟は大きな石で閉ざされていました。その石の向こうに、亡骸があったのです。石で閉ざしたのは、もちろん亡骸を大事に保存するためでありました。しかし、心理的なことでいうと、石によって墓を閉ざす行為は、亡骸を、そしてその亡骸によって人間がいやがおうにもしらされる「死」という現実を人の目から隠すためでもありました。誰にでも訪れる「死」。その死を人間は石の向こうに洞窟の中に普段は目につかないように閉じ込めていたのです。しかし、「死」は破られました。キリストの十字架によって打ち破られました。石は転がされ、墓は空でした。キリストの復活、それは死への勝利宣言でした。その勝利宣言をするために主イエスは復活されたといえます。

 しかし、まだこの世界には現実には死が存在します。今日の午後、墓前礼拝に向かいますが、ここにおられる多くの方の肉親や友人方で、すでに地上を去られた人々とは、いまはこの地上であいまみえることはできません。大阪東教会の教会墓地がある服部霊園にはおびただしい数の墓石が並んでいます。そのおびただしい墓は空ではありません。その下にまぎれもなく死があります。その中にあってキリスト教徒の墓だけは空などということはないのです。キリストが死に勝利されたのに、キリストの墓は空なのに、なぜまだこの世界に死はあるのか。服部霊園の墓は空ではないのか?それはまだ終わりの時ではないからです。

 キリストは死のとげである罪を滅ぼされました。そして新しい時代が始まりました。しかし、完全にすべてが完成するのは終わりの日です。ヨハネの黙示録で語られるキリスト再臨の時です。その時までまだこの地上に肉体の死はあります。墓は空ではありません。しかしすでに私たちは復活の主イエスと出会っています。新しい命への扉は既に開いています。そしてやがて終わりの時にすべての墓は命に向かって開かれるのです。完全に死が取り去られるのです。それは絵空事ではありません。それは壮大な命の完成の時です。しかし、すでに復活のキリストと出会っている私たちには、そのさきがけとして、もうすでに命への扉は開かれています。今日、新しく一人の方が、その新しい命の扉を開かれます。洗礼によって扉が開かれます。輝く天使が、いま、その方の前の大きな石を取り除きました。そして新しい命がはじまります。復活の主イエスと新しく出会われます。私たちと共に「おはよう」という声を聞くのです。主イエスのその声を聞きながら、私たちは新しく歩んでいきます。イースターおめでとうございます!


2017年4月9日主日礼拝説教 マタイによる福音書27章45~56節

2017-04-20 17:38:36 | マタイによる福音書

説教「神に見捨てられた御子」

<主イエスは弱音を吐かれたのか?>

 主イエスは十字架におかかりになり、苦しみののちに死なれました。他の福音書の記事と合わせて読みますと、同時に十字架に架けられた他の囚人たちに比べたら比較的早く息を引き取られたようです。それは十字架の前の夜通しの裁判、鞭打ちなどの残虐な暴行のために十字架に打ちつけられる前にすでにずいぶんと衰弱されていたせいであると思われます。

 十字架を取り巻く人々は、イエス様が死んでいく有様を見世物のように見物していました。これまで、さまざまな奇跡を起こして、群衆の間で評判だったイエスが、最後になにか奇跡的なことを起こすのではないかという興味もおそらく持って見守っていたことでしょう。しかし、主イエスは、十字架の上で奇跡的なことを起こすことはなく息を引き取られました。

 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」この言葉は、聖書を読む上で、昔から、大きな議論になってきた言葉です。これは、詩編22編の言葉であると言われます。しかし、「わが神、なぜお見捨てになったのか」この言葉だけを聞く時、主イエスが最後の最後になって、まるで弱音を吐かれたかのようにも取られかねない響きがあります。実際、ある著名なクリスチャン小説家は、そのエッセイの中で、この言葉はイエス様の言葉として聖書に記されていない方が良かったとすら書いています。しかし、聖書の中に、書かれるべきでない言葉はありません。そこから読み取るべきことがあるから記されているのです。

 主イエスは逮捕に先立つゲッセマネの祈りにおいて、ご自身が十字架にかかることをご自身の飲むべき杯ととらえ、父なる神に「わたしの願いどおりではなく、あなたの御心のままに」と祈られました。主イエスは父なる神のみこころに従うことを祈りの内に決められたのです。

 ですから、裁判の時も、ピラトの尋問の時も、主イエスはご自身が死をまぬがれることができるような証言は一切なさりませんでした。基本的に沈黙を貫かれたのです。裁判ではほとんど沈黙を貫かれた主イエスは、十字架の上ではいくつかの言葉を語られています。四つの福音書の十字架の場面でそれぞれに主イエスが語られた言葉は少しずつ違って記されています。この「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」という言葉はマタイとマルコの福音書に出てきます。なぜマタイとマルコは、あえて読みようによってはイエス様の弱音ともとられるような言葉を残しているのでしょうか。

<神の裁き>

 私たちが、ここではっきりと知らねばならないことは、主イエスは、父なる神の裁きを受けられたということです。罪なき御子が、罪ゆえの裁きを受けられたということです。そして罪の報いとして死を迎えられたということです。罪の報いとしての死は、それは明確に父なる神と切り離されること、神から打ち捨てられることを指します。主イエスは父なる神と切り離される死を迎えられたということです。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」主イエスはまさに今、これまでのご生涯をもっとも親しく交わってきた父なる神から打ち捨てられている、その絶望的な死を迎えようとしている、それが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」という言葉に現わされているのです。容赦ない、罪の裁きを主イエスはお受けになったということがこの言葉から分かるのです。その死は美しいものでも、かっこいいものでもない、極めて残酷で悲惨で、主イエスは決定的に恐ろしい死を死なれた、その死に向かう思いが、この「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉に現わされています。

 見物人からは、そしてまた、あとからこの福音書を読む多くの人々からも、主イエスはここで弱音を吐いている、結局、みじめに無力に死んだのだ、自分で自分のことを神の御子と言いながら、結局、神から救われることなく死んでいったのだと思われたのです。実際、神の御子である主イエスは父なる神から確かに見捨てられたのです。

 私たちはそのことの恐ろしさを知らないのです。神の裁きの徹底した恐ろしさを知らないので、神の怒りを受けて、いま死のうとされている主イエスに何らかの救いが来るのではないかと期待して見守るのです。惨めな死ではなく、なにか神々しい、ヒーローのような死を期待するのです。

 実際、「エリ、エリ」という言葉が「エリヤ」と響きが似ていたからかもしれませんが、見物人の中には「この人はエリヤを呼んでいる」という人もいました。そして、本当にエリヤが救いに来るか見守っている人たちがいたのです。ちなみにエリヤは旧約聖書を代表する預言者の一人ですが、エリヤ自身は、生きたまま、天に上げられたと旧約聖書に記されています。列王記下2:11を見ますと、エリヤの天に上る場面は実に派手といってもいいある種の荘厳さをもって描かれています。火の戦車、火の馬が現れて、エリヤは嵐の中を天に上って行った、とあります。このようなことが目の前で主イエスに起これば、人々は主イエスがやはり神の子であったとその場で納得したかもしれません。でも火の戦車も火の馬も現れず、嵐の中を主イエスが天に昇られることはありませんでした。ただ最後に、大声でなにごとかを叫び、主イエスは息を引き取られたのです。

 もちろん、そのあとに神殿の垂れ幕が裂けたり地震が起きたり、聖なる者が生き返ったりという異常なことは起こりました。いえ、それ以前にも、そもそも昼の12時に、全地は暗くなったとあります。しかしむしろ、神の御子が息を引き取られる、そのことに伴って、何の不思議なことも起こらないということは考えにくいことです。

 しかし、たとえば主イエスの降誕の場面でルカによる福音書ではみどりごイエスの誕生を知らされた羊飼いの前に天の大軍が出てまいります。天使と天の大軍の讃美が鳴り響くのです。でも本来それは驚くべきことではありません。神の御子が御降誕になった。その場面で、天の大軍が出てくることなど、ある意味、当たり前のことなのです。驚くべきことは、その神の御子が貧しい若い夫婦の家に、非衛生的な飼い葉桶の中に寝かされているということです。神の御子である方がそのように貧しい姿でこの地上に来られたことの方が天の大軍の讃美よりも驚くべきことです。同様のことがこの主イエスの死の場面でも言えます。罪なき御子が父なる神に見捨てられてみじめに息を引き取られた、それはたいへん驚くべきことです。全地が暗くなったことや、神殿の幕が裂けたり地震が起きるなどということは、神の御子が罪の裁きを受けられたことに比べれば驚くに足りないことです。

<新しい時代の始まり> 

もちろん、ひとつひとつのことには意味があるのです。昼に全地が暗くなるというのはアモス書に記されている裁きの場面の預言です。裁きの時、全地は暗くなるのです。まさに主イエスの上に神の怒りの裁きが到来したことを示します。また、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたことにも意味はあるのです。長く教会に来られている方はお聞きになったことがあるかもしれません。この垂れ幕は神殿の中の至聖所と呼ばれる場所を区切っている幕です。この幕で隔てられた至聖所には年に一回、大祭司だけが入ることがゆるされています。そして大祭司は年に一回、そこで罪の贖いの儀式をするのです。動物の犠牲を用いて、動物の血を使って、人間の罪の贖いの儀式をしたのです。しかし、今、まことの神の子羊であられる主イエスの血によって、永遠の贖いの業が成就しました。ですから、もう大祭司が至聖所で贖いの業をなす必要はなくなったのです。ですから、この神殿の垂れ幕は裂けたのです。そもそもこの「裂けた」という言葉は、原語では「裂かれた」となっています。そしてまた、上から下に裂けたということからも分かるように、天におられる父なる神が裂かれたと言えます。別の言い方をしますと、人間の罪ゆえに神と人間との間を隔たらせていたものが、今、神ご自身によって上から下に裂かれたのです。まったく新しい時代が始まったということです。

 そしてまた、地震が起こり、墓が開いた、聖なる者たちの体が生き返ったとあります。墓が開くと聞くと、わたしたちはおぞましい幽霊やゾンビみたいなものが出てくるようなイメージを持ちます。しかし、ここで言われているのはまったく違います。死の力、おぞましい汚れた力ではなく、命の力が新しく起こったということです。この世界を支配していた死の力が敗北したということを示しています。

 これらの出来事を見ても、多くの人々は何が起こったのかを知ることはありませんでした。ただ、ローマの兵隊である百人隊長と見張りをしていた人たちだけが「本当に、この人は神の子だった。」と語るのです。神から特別に選ばれた民であるはずのイスラエルの人々ではなく外国人である百人隊長、ローマの人々が主イエスが神の子であると告白しているというのは皮肉なことです。

 この世界は混沌に満ちています。恐怖に満ちています。すぐる週、世界には大きな緊張が走りました。何が正義で何が事実であるかメディアからだけでは私たちには理解が及びません。正義であれ、悪であれ、弱き者、小さな者が、悲惨な状況においては、多く命を落とし、また傷つきます。そして、一方において正義であったとしても相手にとっては往々にして憎悪を深めることであります。そうして憎悪が憎悪を産みます。

<この世界の片隅で>

 いま日本で、ことにこの大阪の地にいる限りにおいては、かろうじて平和が守られているように感じるかもしれません。しかし、この大阪の地もまた、混沌とした恐怖に満ちた世界のただなかにあることには変わりはありません。昨年公開された「この世界の片隅で」という映画がありました。わたしは映画は見ていませんが原作のコミックは読みました。戦争中の一地方の人々の暮らしが味わい深く描かれた作品でした。少女だった主人公が、結婚して大人になっていく、嫁ぎ先でのいろいろなこと、人生のさまざまなことを経験しながら生きていく、当時の風習や文化がリアルに描かれていて、生き生きとしていました。小姑との確執とか、子どもができないとか、いろんなこの世のいってみれば平凡な営みが、淡々と、しかし愛を持って描かれていました。そしてその主人公の人生に戦争が影を落としていきます。最後には広島の原爆投下へと至ります。この世界の片隅のほんのささやかな、でもかけがえのない、一人一人の生活、人生が踏みにじられていく、それがある種、淡々と描かれていました。今日生きるわたしたちもまた、恐ろしい、恐怖に満ちた世界の片隅にあります。その片隅で精一杯に生きています。世界の大きな枠組は私たちの思いを越えて揺れ動き、時として罅が入って行きます。

 私たちは何に頼れば良いのか。ミサイルが飛んできたとき、祈っていれば、助かるのか?毒ガスがまかれたとき、神を信じていれば大丈夫なのか、いえ、そういうことでなくても、この日本には多くの自然災害があります。今日の聖書箇所のように地震が起こり、地が揺れ動き、岩が裂け、とんでもないことが起こるかもしれません。わたしたちはどうしたらよいのか。

 そのなかでいえるただひとつのことは、ごく当たり前のことですが、私たちの命も死もすべて神のご支配の中にあるということです。祈ればミサイルを逃れられる、地震で助かる、そういうことはわからないことです。それは神の御心のうちにあるからです。しかし、大事なことはこの地上に生きる時、なおキリストの十字架を見上げ、そこにこそ命と死のすべてがあることを確信することです。そこにこそ力があり、そこにすべてをかけるのです。

 揺れ動く世界の中にあって、たしかなものはなにひとつない、しかし、ただ一つ確かなものとして、十字架があります。そしてその十字架が復活への命へと続くものであることを、今日も明日も明後日も、繰り返し覚えます。死は既に滅びました。たしかに肉体の死は私たちに訪れます。しかし、それで終わりではない命があります。神と共に生きる命があります。

 百人隊長たちは地震が起こり、あり得ないことが起こる状況の中でなお役目として職務としてその場を離れることができなかったということもありますが、キリストのもとにとどまったのです。キリストのもとに留まったからこそ「この人は神の子だった」と告白ができたのです。わたしたちもまたキリストのもとに留まり、キリストへの信仰に生きる時、この世界の片隅にあって、世界はどのように動揺しても、なお平安を得、明るい命の中に生きることができるのです。この受難週をそのことを覚えつつ喜びのイースターを共に迎えましょう。


2017年4月2日主日礼拝説教 マタイによる福音書27章32~44節

2017-04-20 17:28:52 | マタイによる福音書

説教「十字架の上のイエス」

<あなたもそこにいた>

 いよいよ主イエスは十字架におかかりになります。カトリックの教会や修道院に行くと、主イエスが「されこうべの場所」まで歩まれ十字架におかかりになる場面~十字架の道行~といいますが、その十字架の道行が描かれた絵やレリーフのようなものがあって、それに従って、主イエスの苦難を黙想することができます。だいたい全体で14枚から15枚あります。「イエスさまが十字架をかついでを歩まれる」「ここでイエスさまが倒れられる」「キレネ人のシモンが十字架を担いだ」とかイエス様が十字架を担って歩まれた道行きの場面がひとつひとつ描かれているのです。この道ゆき、この道のりをヴィアドロローサともいいます。

 この受難節、わたしたちは、普段以上に主イエスの御受難を覚えて、そのことのゆえに神との平和をわたしたちが今、得ていることを感謝したいと思います。しかし、わたしたちはたとえば、さきほど申しましたキリストの十字架の道行の絵に従って、一枚一枚をどのように詳細に主イエスの御受難を思い描いても、黙想しても、本当のところは主イエスが味あわれた御受難のほんの少ししか理解することはできません。キリストの十字架の道行きは、ヴィアドロローサは、人間の想像を、また体験をはるかに超えたもので、そのようなとてつもない苦難をイエス・キリストは受けてくださったからです。

 そのキリストの受難の場面において、おおまかにいって、三種類の人間が出てきます。

 一人は通りすがりに無理やりに主イエスの十字架をかつがされたキレネ人のシモン、そして大勢の主イエスを罵る人々、そしてまた本日お読みしました聖書箇所にはまだ直接出てきませんが、主イエスを遠巻きに見守っていたと考えられる婦人たちです。

 何回かお話ししたことがある話ですが、あえて話をさせていただきます。わたしは洗礼を受けましたとき、もちろん、理屈としては主イエスの十字架のことは、ある程度理解していたのです。イエスさまの十字架によってわたしたちの罪が赦された、わたしたちは救われた、そのことは頭では理解していました。そしてわたし自身、その救いを渇望していたのは事実です。しかし、ほんとに、「ああ本当にこのわたしが主イエスを十字架につけたんだ、私の罪によってイエス様が十字架につかれたんだ」と理解したのは受洗して、しばらくしてからでした。

 イースターの前の週に、洗足木曜日の礼拝がありまして、これは朗読礼拝でした。受難に関わる聖書箇所を次々と読んでいく礼拝でした。わたしは何人かの人たちと共に聖書朗読の奉仕をしました。そのときわたしが朗読担当をした箇所がマルコによる福音書の15章の主イエスが十字架にかかられる場面でした。今日お読みしましたマタイによる福音書と同様、十字架上のイエスが、人々からあざけられる場面でした。「おやおや、神殿を打倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」あるいは「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」マルコによる福音書ではそのような言葉が並んでいました。あんまり読みたくない場面でした。いやだなあと思いながら読みました。

 でも、礼拝の時、読んでいるうちに、その十字架の場面が異様にリアリティをもってわたしの心の中に湧き上がって来ました。人々の雰囲気とか、土の匂いとか、血なまぐさい感じとか、そういうものが突然、立ちあがって来ました。そしてその時、はっきりとわかりました。この十字架の場面で、イエス・キリストを罵っていたのはわたしだ、ということが。変な言い方ですが、わたしはあの時、2000年前のあの場所にいた、とすら思ったのです。

 わたしはキリストに唾を吐きかけ、口汚く罵ったのです。自信を持って思ったというと、とても変ですが、わたしは主イエスを遠巻きにして心配しながら嘆きながらついて行った婦人たちの中にはいなかったと思ったのです。この私は、祭司長や律法学者と一緒に罵っていたと、はっきり思ったのです。

 2000年前に十字架におかかりになったイエス・キリストと、20世紀に生まれたわたしが何の関係があるのか、そんな思いはすべてそのとき、かき消えました。キリストを十字架につけたのは、ほかならぬこの私なんだとはっきり悟りました。わたしはあの時、あの場所に、ヴィアドロローサにそしてされこうべの場所に、たしかにいたのだと感じました。

 ところで讃美歌21の306番に「あなたもそこにいたのか」という讃美歌があります。<あなたもそこにいたのか 主が十字架についたとき ああ、いま思いだすと 深い深い罪にわたしは震えてくる>という歌詞です。これはとても有名な黒人霊歌です。黒人として苦難の日々を送っていた人々がなお、自分たちの苦難を嘆くのではなく、むしろ自分自身がキリストの十字架に場面にいて、そしてその自分の深い深い罪に震えるという歌です。とても深い歌だと思います。

 わたしたちもまたこの歌の歌詞のように、震えるのです。キリストを十字架につけることをなんとも思わず罪を犯してきた自分自身に。自分の罪ゆえにキリストを十字架につけておきながら、その苦しみを、徐々に衰弱して、人々の罵りの中、残酷な形で死んでいくその有様をみて、なお罵ることのできる自分自身に震えるのです。

 キリストがメシアであると知らなければ、民衆に一時期もてはやされただけの、ただの愚かな偽預言者として、わたしたちはキリストを罵ることができるのです。「他人は救ったのに自分は救えない。」そう人々は罵りました。たしかにキリストはメシアとして他人を救ったのです。病を癒し悪霊を追い出し、目の見えない人が見えるようになり、歩けない人が歩くようになったのです。その事実を人々は確かに見たのです。しかし、その救いを見ながらキリストがメシアであることに気づけなかった。それが罪ある人間の限界です。そしてキリストをメシアだと理解できない人々は、キリストが自分は救えない、その無力なさまも見て馬鹿にしました。なぜキリストは自分を救わなかったのか、それは自分を罵る人々を救うためでした。「自分で自分を救え」とキリストに対して罵っている、まだ救われていない罪深い人々を救うためでした。

<強いられた恩寵>

 ところで今日の聖書箇所に出てくるキレネ人のシモンと言う人は、この十字架の出来事の中で、ある意味、とばっちりを受けた人です。キレネと言いますから、アフリカの北部、現在のリビアから来た人です。当時、ユダヤ人が多く住んでいたようです。きっとこのシモンは、過ぎ越し祭に合わせてエルサレムに巡礼に来ていたのでしょう。ところが、たまたま、主イエスをされこうべの場所へ引いていくローマの兵士と出会ってしまって、主イエスの十字架を無理やり担がされてしまったのです。主イエスは十字架をかつがされる前、鞭打ちを受け、またそれ以外にも、ローマの兵士から暴行を受けておられました。ですから、この時点ですでに重い十字架を担ぐだけの体力がなかったのだと思われます。映画「パッション」などで、ご存知の方もおられるかと思いますが、ローマにおける鞭打ちというのは残酷なものです。鞭には肉がえぐれるような突起がついていました。その鞭で打たれると、その鞭うちだけで死んでしまう人がいるくらいえげつないものでした。そんな鞭打ちを受けられた主イエスの十字架をシモンは無理やり担がされました。おそらく家族や親族と一緒にエルサレムに来ていたのではないでしょうか。ある意味、楽しい家族旅行的なことでもあったはずです。それが、これから死刑になる男の十字架をかつがされるというとんでもないことに巻き込まれました。

 「強いられた恩寵」という言葉があります。神の恵み、恩寵というものは、いつもいつも素直に感謝できるものではありません。むしろ、いやちょっとそれだけは勘弁してほしい、そういうことを、言ってみれば、強いられてしまう、強制されてしまう、そういうことも時にあるのです。そして私たちはたいへん迷惑で困ったことだと思うのです。いやだな逃げたいなと思いながらそのことをやっていくうちに、やらざるを得ないうちに、やがてそれがたいへんな恵みであったことに気づく、そういうことがあります。ああまさに神に「強いられた恩寵」だったなあと感じるのです。

 キレネ人のシモンの強いられた恩寵もまた、衝撃的なものだったといえます。やじうまたちの騒ぐ中を何の関係もない自分が、十字架をかつがされる、迷惑千万なことです。しかし、ローマの兵に命令された以上、逆らうわけにもいきません。

 しかし、このシモンは、やがて知るのです。主イエスの十字架を担ぐことになったのは、ローマの兵に無理強いされたのではない、まさに野次馬たちの中から、神ご自身が自分を選び、召して、その役割につけられたことを。十字架を運ばされたのは、まさに大いなる恩寵、強いられた恩寵であったことを。

 このシモンはおそらくこののち、主イエスを信じるクリスチャンになったと考えられています。マルコによる福音書は、「アレクサンドロとルフォスとの父」とこのシモンのことを記しています。このように名前が記されているということは、アレクサンドロとルフォスという人物が初代教会において良く知られていた人物だからだと考えられます。そのよく知られている人物の父がシモンなんだとマルコによる福音書に記されているわけです。実際、パウロはローマの信徒への手紙の16章13節に「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。」とルフォスという名を書いています。このルフォスは十字架を担いだシモンの子供だと考えられます。また、使徒言行録13章1節には「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。」と記されていて、この中のニゲルと呼ばれるシメオンというのが、シモンのことだと考えられます。ニゲルというのはアフリカ系の人を指す言葉ですし、シメオンというのはシモンのラテン語的な呼び方なのです。ですからシモン自身ものちに教会の指導者となったと考えらえます。つまり、シモンとその家族は、皆、クリスチャンになって、やがて宣教の業に励むことになったのです。そして伝道者パウロを助けたのです。

 シモンの回心がどの時点でなされたのか詳細はわかりません。

 しかし、やがて主イエスを救い主と信じることになったシモンの目にも、主イエスは最初はただの無力な弱々しい囚人としか映らなかったでしょう。せっかくの巡礼を台無しにされた、いまいましい相手であったかもしれません。主イエスは、おそらく同時に十字架につけられた他の囚人たちと比べても弱々しく、また惨めな有様であったと思われます。いくたびも道で倒れるその姿を見ながら、しかしなお、シモンの心に何かが生まれていったのかもしれません。

 しかしなによりシモンは、イエスと共にヴィアドロローサ、涙の道を歩いたのです。シモン自身は望んではいなかったのですが、十字架の道行をシモンは主イエスと共にしたのです。そして、歴史上ただ一人、主イエスが担われた十字架の重さを自分自身のその腕に感じたのです。血と汗のにじんだ十字架の生々しさを感じたのです。聞くに堪えない、主イエスに投げかけられる罵詈雑言や嘲笑を聞いたのです。土埃の中を汗を流してシモンは主イエスと共に歩んでいったのです。シモンはまさに讃美歌21の306番に「あなたもそこにいたのか」と歌われた、その現場に、いたのです。そして、やがてその十字架の重さが、血と汗のにじんだその十字架の生々しさが、他ならぬ自分の罪の重さであり、生々しさであることに気づいたのです。そしてそのとき、十字架を担い主イエスと共に歩んだ道行がヴィアドロローサが恵みであったことに気づいたのです。

 なぜならヴィアドロローサは死で終わるものではないからです。無力でみじめに見えたキリストは実は勝利者だったのです。やがて復活され死に勝利をされる方でした。その方によって自分が救われたことをシモンは知りました。わたしたちも救われました。罪を贖われました。そんな私たちはまた歩み出すのです。自分自身の十字架を背負って。シモンのようにキリストと共に日々のヴィアドロローサを歩んでいくのです。

 しかしその道は、すでにキリストが歩んでくださった道です。そして勝利してくださった道です。私たちの十字架は私たちが担いきれないようなものではないのです。時には耐えられないように思われる強いられた恩寵であったとしても、なおキリストと共に歩むとき、それは喜びへと向かう道なのです。勝利へと向かう道です。その歩みをキリストと共に歩んでいくのです。


2017年3月26日主日礼拝説教 マタイによる福音書27章15~31節

2017-04-20 16:57:54 | マタイによる福音書

説教「茨の冠を載せた王」

 今日の聖書箇所では主として三パターンの人間が出てきます。ポンテオ・ピラト、バラバ、群衆です。それぞれに立場が違います。もちろんこれ以外にも主イエスを十字架につけることに最も積極的に関与した祭司長たちや長老もいました。しかし、今日の聖書箇所ではこれまでいくたびか言及してきた祭司長や長老と言ったイスラエルの権力者以外の人々に目を向けて行きたいと思います。これらの人々は、もともとは祭司長たちのように明確に主イエスを十字架につけようという意思は持っていなかったように思われます。しかし、結果的に、それぞれがイエスを十字架につけることに関わっていくのです。

<権力者ピラト>

 まず、ローマから派遣された総督のピラトが出てきます。イスラエルを支配していたローマの権力を握っていた人物でした。在位期間26年から36年と言われます。今日の聖書箇所を読みますとピラトは「人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていた」とあります。ピラトはイスラエル人から見たら神から遠い存在とされる異邦人でした。しかし、分かっていたのです。主イエスには罪がないということを分かっていました。今日の聖書箇所の少し前のところにピラトが主イエスを尋問する場面がありますが、その場面で、主イエスがご自身に不利な証言をされても答えられないのでピラトは非常に不思議に思ったとあります。権力者として多くの人間を見て来たピラト、ことに反逆者と言われる罪人を多く見て来たであろうピラトからしたら、主イエスはたいへん不思議な存在だったでしょう。なんとも捉えどころのない、判断に困る人物だったでしょう。仮に訴えられている罪を実際に犯した人間であったなら、ピラトに対してさまざまに情状酌量を願ったでしょう。まして罪を犯していないとすれば、最高権力者のピラトに、ありとあらゆる訴えをしたでしょう。しかし、主イエスはお答えにならなかった。そのイエスさまの様子を見て、そしてまた主イエスを訴える人々の様子を見て、ピラトは主イエスがいってみれば冤罪、罪もないのに訴えられていることを見抜いたのです。

 権力の座にある人間としてそれは当然の判断力であったとも言えます。しかしまたピラトにとって、主イエスは見たこともない存在であったでしょう。彼の政治家としてのそしてまた実務家としての判断を越えた存在であることもおそらく彼は感じ取っていたでしょう。そしてピラト以上にそれを感じ取っていたのは彼の妻でした。妻はピラトに伝言したとあります。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」それに対してピラトがどのように思ったか、その詳細は聖書に記されていません。しかし、あえてこの妻の伝言が聖書に記されていることから考えられますのは、この妻の言葉はピラトに対して何らかの影響を与えたということです。主イエスはピラトにとってどうにもとらえどころのない不可思議な存在で、かつ、妻からも奇妙な伝言が届き、権力者とは言え、ピラトの心になんらかの不安というか、嫌な感覚が兆したであろうことは想像に難くありません。

 ピラトはどうにかして罪なき罪人であるイエスを釈放しようとしました。それは上に立つ人間としてのまっとうな判断から来るものでもあり、そしてまた、なにか捉えどころのない不安のようなものからも来るものでした。「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」そうピラトは問います。しかし、祭司長たちに扇動されていた群衆は「バラバを釈放しろ」と叫びます。この時点で、すでにピラトは弱腰なのです。自分自身の判断でどちらを釈放するということを決定できないのです。群衆に委ねているのです。そもそもピラトも総督と言っても、最高権力者ではありません。ローマに仕える役人に過ぎません。騒動が起これば責任をとらされる立場でした。ですから、結局、暴動が起こりそうだと恐れたピラトはバラバを釈放します。

 24節でピラトは群衆の前で手を洗って「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」と言います。ここでは完全にピラトは自分の責任を群衆に転嫁しています。本来、死刑を決定する立場にありながらその立場を放棄したのです。

 これはピラトがローマ皇帝ではなく、一官吏であったからということだけのせいではありません。ここに権力者の限界があるのです。この世の最高の権力を持っていても、悲惨な最期を遂げる権力者は古今東西、歴史上いくらでもいました。権力が人間の世界によって立つ以上、それは普遍なものでも、永劫続くものでもなく、容易に崩れ去るものだからです。

と ころで、私たちが毎週告白します使徒信条においてはピラトは「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と信条中、出てくる名前です。この使徒信条を読みますと、ピラトはなんて悪い奴だろうと感じます。しかし、実際には彼は積極的には主イエスを十字架へつけようとはしていないのです。しかし人間の世界の権力の限界としての象徴であるともいえます。また権力者がその権力を放棄した、権力を正しく用いることのなかった権力者の罪そのものも問われているといえます

<群衆は赤面しない>

 そしてまたそのピラトを追いつめたのは祭司長やユダヤ人の権力者たちともいえますが、群衆たちでもありました。主イエスがエルサレムに入ってこられた時、「ホサナ、ホサナ」と熱狂して迎えた群衆がそのわずか数日後に主イエスを十字架につけろと叫んでいます。もちろんそこには祭司長たちの誘導があったわけです。そしてまた独特の群集心理というものもあったのです。バラバと呼ばれる囚人はおそらく政治犯ではなかったかと言われています。反ローマ活動をして、おそらくそこで暴動なり殺人なりを犯したのでしょう、それで捕えられた人物であったと推測されます。16節にバラバ・イエスという評判の囚人がいた、とあります。人々にとってローマへ抵抗する人物というのは一定の人気があったと思われます。そうであったとしても、バラバではなく、主イエスを十字架につけろと叫ぶ群衆は残酷であると思います。長時間にわたってじわりじわりと殺されていく十字架に一人の生身の人間をつけることを熱狂して叫ぶ群衆の姿は醜悪です。

 教会学校の教案誌もこの箇所を扱っているのですが、この箇所の群衆についてこう記されていました。「群衆は赤面をしない」と。個人の人間、たとえばピラトであれば、ピラトという個人の名前が使徒信条に残る、そういう形である意味、その罪の責任が問われます。しかし、「バラバではなく、主イエスを十字架につけろ」と叫び、ピラトを恐れさせた群衆はその自らの行いについて、後に赤面することも恥じることもありません。責任を問われることもありません。それこそが群衆が群衆であるゆえんと言えます。なにかそのときの特別な状況で、熱狂してしまう、そういう恐ろしいことが起こったのです。群衆の中の一人一人にしてみたら、のちに主イエスが十字架の上でおっしゃる言葉である「自分で自分が何をしているのかわからないのです」という状況なのでしょう。その自分で自分が何をしているか分からないままに、救い主を、神の御子を、十字架につけろと叫ぶ、それが赤面しない群衆であるといえます。しかし赤面しない群衆が熱狂して異常なことをしているとき、一人一人が別人に変化しているわけではありません。もともとあった一人一人の罪が浮き上がってきているのだと考えられます。

 バラバという、政治的な目的であれ本当に罪をおかした罪人ではなく罪なき救い主を十字架につけろと叫ぶ、2000年後の私たちから見たら狂気とも言える出来事です。しかし、それは当時の愚かな群衆が引き起こしたことではなく、人間の心の底にある罪があぶりだされ姿を現した出来事であるといえます。

 私たちもまた罪にある時、「バラバではなく、主イエスを十字架につけろ」と叫ぶ者であるのです。ローマに抵抗してくれる、つまり自分たちの現実を良くしてくれるヒーローを求め、真の救い主、神からは目をそらします。そのとき人間は救い主を十字架につけるのです。教会もまたそうです。この世的なことにおもねっていくとき、教会自身が主イエスを十字架につける過ちをすることもあるのです。教会が世俗化するとき、教会自体が主イエスではなく、バラバを選ぶ、そういうことは歴史的にいくらもあったのです。

<バラバという男>

 それにしてもこのバラバという男もイエスという名であったことは皮肉です。イエスのいう名自体がよくある名前であったということもありますが、この世の人気者と、神の子が同じイエスという名であり、人々がこの世の人気者を選んだというのは実に象徴的な出来事です。

 ところで、「バラバ」という小説がありました。ペール・ラーゲルクヴィストと言う人が1950年に発表したものです。本日の聖書箇所で出てきます死刑囚バラバを主人公にした物語です。もちろん、聖書にはバラバのその後については記されていません。そもそもバラバの氏素性の詳細もわかりません。ですから、この小説は全くのフィクションと言っていいのだと思います。

 その小説では死刑囚の身分を解かれ自由になったのち、最初、キリスト教のことを胡散臭く思っていたバラバが、少しずつ変わって行くという内容になっていました。自分の代わりに死刑になったイエスという男について、また、その後出会ったキリスト者について、最初は怪訝な思いを持ちながら、馬鹿らしい思いを持ちながらも、しかし何か不可思議なことも感じていたバラバの姿が描かれます。そしてまた後半では、キリスト教をしっかりと理解していないゆえに、キリスト教に心ひかれながら、とんちんかんなことをしてかえってキリスト教の迫害に手を貸してしまうようなことも描かれながら、バラバが変わっていくという物語でした。

 現実のバラバのその後がどうであったか、もちろんわかりません。しかし、ラーゲルヴィストの小説を思い起こすとき、私たち一人一人もバラバなのだと改めて思います。

 バラバ自身がピラトに交渉して死刑を免れたわけではありません。バラバが群衆に働きかけたのでもありません。バラバにしてみたら、<棚から牡丹餅>のように死刑を免れ、命を得ることができたのです。いま、<棚から牡丹餅>と言いましたが、こういうことを申し上げると不遜なことの出ようですけれど、わたしがまだ洗礼を受ける前、牧師から聖書の学びを受けておりました時、イエス様の十字架の話を聞いて、それってまさに<棚から牡丹餅>だと思ったのです。イエス様の十字架が私たちの罪の身代わりであり、そのことを信じさえすれば救われるなって、そんな虫の善いことがあるのかと思いました。まさに<棚から牡丹餅>みたいなことがあるのかなと感じました。そんなお気軽な馬鹿げた話があるのかと。

 しかし、現実にそうなのです。主イエスは私たちの代わりに死んでくださった。そして私たちはバラバのように、代わりに生かされたのです。それも死刑を免れただけではなく、永遠の命をいただいたのです。

 ですから私たちは小説のバラバのように変わっていくのです。少しずつ。キリストの方を向きながら変わっていきます。バラバではなく主イエスを十字架につけろと叫ぶ罪人であった私たちが、新しい命の光の中を歩んでいくのです。

 ある方は、この裁判の場面を神が働かれた裁判だとおっしゃっています。祭司長たちがいてピラトがいて群衆がいる、彼らが動かしているように思われるこの裁判の場面が、なお、神の裁判の場面なのだというのです。人間の愚かさ醜さがあふれているこの場面になお神の愛が注がれているというのです。このときイスラエルにおいてピラトに権限を与えらえたのも、イエスと言う名をもつバラバをこの時この場に置かれたのも、つきつめればすべて神の業です。人間の力ではありません。神ご自身がその御子を罪人として裁かれたということです。そしてそこにこそ、限りない神の愛が注がれているのです。<神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された>、神はその独り子を「十字架につけろ」と叫ぶ群衆へ、罪深い世へと与えれました。十字架へと与えられました。父なる神ご自身が御子へ死刑判決を下されたのです。そこに、限りない深い愛がありました。人間を罪から救う愛がありました。