2021年5月23日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子
【説教】
<不安な船出>
パウロはいよいよローマへ向けて船出しました。しかし、その旅は、これまで同様、順風満帆とは程遠い過酷なものでした。しかし、ひとつ幸いないことに、この旅にはこの使徒言行録の著者であるルカを始め、マケドニア人アリスタルコも同行しました。アリスタルコは19章でエフェソで騒動が起こったとき共にいた弟子として名前が出ていた人です。この27章から、使徒言行録の記述は、ふたたび「わたしたち」という表現になっています。著者であるルカが共にいたからです。パウロは囚人でありながら、皇帝直属部隊の百人隊長の好意によって、仲間との同行がゆるされ、シドンに入港したときは、その町で友人たちと会うこともできたのです。この船にはパウロ以外にもローマに護送される囚人が乗っていたのですが、27章の記述を読むとパウロは囚人たちの中で特別に扱われていたようです。船の中でおそらく自由にふるまうことがゆるされていたようです。ここにも、神の恵みと配慮があります。
しかし、その後の航海は、風の具合が良くなく、船足がはかどらなかったと記されています。神は確かにパウロをローマへと遣わそうとしておられるはずなのに、なぜか、すいすいと船は進まないのです。状況が芳しくない時、私たちは、そもそもこれは神の御心ではなかったのではないかと不安になります。パウロもまったく不安にならなかったわけではないでしょう。そのようななか、のろのろと船は進み、クレタ島の「良い港」と呼ばれる港にどうにか、たどり着きます。ここでパウロは航海を続けることが危険であると主張しますが、受け入れられません。ある意味、これは当然であるかもしれません。パウロは船や航海の専門家ではなかったからです。百人隊長は、専門家である船長や船主の意見に従います。
ここで思い出すのは、福音書の複数箇所に書かれている大漁の奇跡物語です。漁師だったペトロたちが一晩中漁をしても魚が獲れなかったのに、主イエスが舟を出しなさいとおっしゃってそれに従って舟を出して漁をすると、とてつもない大漁であったという話です。ペトロは舟や漁の専門家でした。その専門家のペトロが、納得できないながらも、主イエスに従ったら漁のプロのペトロが驚くほどの大漁だったのです。神による大漁でした。これは、専門家の指示を無視して、なんでもかんでも、神さまにお伺いを立ててやったら良いということではありません。しかし、神と共に歩む時、ある種の霊的感性が養われ、これからの歩みへの展望が与えられるのです。人間的には完璧な予定を立てて、万全のつもりであることが、現実には想定外のことが起きてあっけなく崩れ去ることもあります。理屈ではしっかり筋道立てて準備しているのだけど、どうもなんとなくこれはまずそうだ、そのような感覚は与えられるのです。しかしまた、現実はそのような霊的な感覚通りには動きません。パウロが主張しても、専門家の意見の方が通るのです。12節に「大多数の者の意見に」よってとあるように、この世の常識が通るのです。それが現実です。結局、船は船出することになりました。南風が静かに吹いて来て順調に事が進むと人々は思いました。しかし、まもなく、暴風が襲ってきました。「エウラキロン」とは東北風という意味です。クレタ島の2500メートル級の山から吹き下ろす強力な風です。結局、船は漂流しました。人々は積み荷を海に捨て始め、「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しくふきすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。」皆が、絶望するような状況となりました。
<希望の言葉を述べる>
その中でパウロは立ち上がって語ります。「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」専門家である乗組員さえ希望を失っていた時、パウロが皆を力づけました。パウロに対しての人々の反応は書かれていません。皆は意気消沈して反論する元気もなかったのか、少し希望を持って聞いたのかは分かりません。少なくとも、途中でさえぎられることなくパウロは語ったのです。そもそも、プロの船乗りすら希望を失っているとき、希望の言葉を語れるということは素晴らしいことだと思います。そもそも希望とは「命」につながるものです。パウロはだれ一人命を失わないと語りました。私たちは命の確信を持つ時、希望を持ちます。もちろん信仰者はこの地上を越えた永遠の命の確信によって、永遠の希望を持ちます。しかし、ここでパウロはキリストへの信仰を持たない人にも大胆な命への希望を語ります。
ところで、少し前に、「明日へのアンサンブル」として昨年演奏されたものをテレビの録画で見ました。新型コロナ感染症の最初の緊急事態宣言ののち、すべての演奏会がなくなった演奏家たちが10名ほど集って演奏をしている場面でした。それぞれに各交響楽団の主席演奏者クラスの人たちでした。本来ならそれぞれの楽団のリーダー的な方々でしたが、すべての演奏会がなくなり、その録画では観客が誰もいないホールで、一人一人の間を開けて立って演奏をされていました。演奏家たちは、このコロナの中で、音楽は不要不急のものか?という問いを突き付けられ、そしてまた現実に各楽団は経済的な打撃を受ける中で悶々と過ごしていました。演奏の途中で、最初の緊急事態宣言の時、人が消えた夜の東京の町の景色も映し出されました。無人の夜の東京の景色を見ながら、思いました。これは一つの絶望の景色だと。当時は今よりも感染者も亡くなった人も少ない状態でしたが、まだ新型コロナというものが今よりも分かっていなくて、不気味な恐怖感があったと思います。人のいない東京のビル街の夜景がその当時の人々の不安を象徴していると感じました。パウロたちのように、嵐の中を漂流し、一寸先の命もわからないような状態ではありませんでしたが、たしかにあの人っ子一人いないビル街の風景には恐怖と絶望があったと思います。その景色を背景にして、奏でられる「明日へのアンサンブル」は演奏家たちのそれまで抑えられていた思いがほとばしって、たいへん熱を感じさせるものでした。そしてそこに一筋の希望が与えられるものでした。そこに人間の命の輝きがあったからです。
翻って使徒言行録のなかでパウロは人々を力づけるために音楽を奏でたわけではありません。しかし実際、彼の言葉には力があったのです。彼は神の天使の言葉として語りました。「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。」恐れるなという言葉は、そこに神が共におられるという宣言でもあります。その言葉はパウロへの言葉であり、しかしまたパウロのゆえに神は共にいる人々も救い出されるとおっしゃったのです。パウロが語った言葉ではなく、上から、神から与えられた言葉えした。そこにまことの命がありました。まことの希望の言葉としてパウロは語りました。まことの希望は神から与えられるものです。
さて、今日は聖霊降臨日です。使徒信条の2章に聖霊が降臨した時のことが描かれていました。炎のような舌が分かれ分かれに弟子たちの上に降りてきて、弟子たちに言葉が与えられました。福音を語る言葉です。キリストの十字架と復活の出来事を語り、人間に与えられる救いを語る言葉です。まことの希望を語る言葉です。聖霊によって私たちもまた、希望を語る者とされます。嵐の中でも、希望を与える言葉を語る者とされます。
もちろん、私たちはパウロのような状況になった時、堂々と希望の言葉を述べられるかどうかはわかりません。しかし、語らせてくださるのは聖霊です。私たちの力ではありません。言葉ではなくても、態度で語ることもできると思います。以前もお話をしたことがある話で、ある教会の信徒さんの話です。戦争中、まだクリスチャンになる前、その人は結核で入院をしていたそうです。日曜日になると病室の窓の下を、近所の教会に向かう人々の姿が見えたそうです。その人は教会やキリスト教に興味は全くなかったのですが、一人、片手のない人が、それはそれは嬉しそうに教会に向かっている姿が見えたそうです。その片手のない人は毎週毎週、嬉しそうに病室の窓の下を通っていったのだそうです。本人は自分が見られていることは気づいてはいなかったのですが、ほんとうにうれしそうだったそうです。毎週その姿を見ていた人は病が癒えて、しばらくして教会に通い出しクリスチャンになったそうです。毎週、誰が見ているとも知らず、嬉しそうに教会に通っていた片手のない方は、意識せず、その方なりの希望の言葉を語っていたといえます。聖霊によって語っていたのです。
<命の糧>
さて、パウロが人々に命は失われないと語ったのち、船は陸地に近づいていました。船員たちは真夜中の暗闇の中でも、長年の勘で、陸が近いことを感じ取ったと思われます。そこで船員たちはひそかに舟から逃げ出そうと小舟を降ろしました。しかし、それに気づいたパウロは百人隊長と兵士たちに船員がいなくなったら残された者は助からないと忠告します。それで兵士たちがその小舟の綱を断ち切りました。護送される囚人に過ぎないパウロが船全体を守るための行動をしたのです。
さらにパウロは、夜が明けるころ、皆に食事を勧めました。これは異教徒も交えての食事ですから、愛餐と呼ぶべきもので、聖餐とは異なります。しかし、パウロはここで一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べています。聖餐ではないのですが、神が与えてくださる、神の整えられたものとしてパウロはこの食事を位置づけました。ルカによる福音書の中で有名なエマオへの道の話があります。復活のキリストと出会った弟子たちが、相手がキリストと分からず共にエマオという村まで歩いていくのです。そして村に着いて、食事の場面で、キリストが感謝の祈りを捧げてパンを裂きます。そのパンを裂いた瞬間に弟子たちの目が開け、パンを裂かれたのがキリストだと分かります。パウロもこの食事の場面で、肉体的な栄養補給をするためだけではなく、神と触れてほしいと願ってパンを裂いたのです。パウロはここでもパンを裂くという行為をおもって神から来る希望を示しました。
私たちは、この聖霊降臨の日、聖餐に与ります。これは神に与えられた神が触れてくださる場です。聖餐の場には聖霊が豊かに働きます。聖霊はキリストを示してくださる霊です。私たちは聖餐において、聖霊の働きによってキリストの十字架の出来事を知らされます。聖霊によって、小さなホスチアとぶどうジュースがキリストの命を示していることを知らされます。聖餐の場で、キリストが「恐れるな」と語り「髪の毛一本もなくなることはない」と勇気づけられる言葉を聞きます。私たちは聖餐においても、キリストの希望の言葉に触れるのです。キリストの十字架の死と復活によって与えられた希望を知らされます。パウロが嵐の中で神に祈りを捧げ、神の前でパンを裂き、食べたことによって、一同は元気づきました。神が元気を与えてくださったのです。私たちもまた、今から神が整えてくださる聖餐に与ります。そして、聖霊の注ぎの内に、私たちもまた嵐の中でも元気に希望の言葉を語る者とされます。
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