大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

マルコによる福音書第5章35~43節

2022-05-15 13:38:56 | マルコによる福音書

2022年5月15日日大阪東教会主日礼拝説教「タリタ、クム―起きなさい」吉浦玲子

 会堂長のヤイロは娘の病気のことが、気が気ではありませんでした。彼は主イエスの前にひれ伏し、娘を救ってほしいと願いました。彼は会堂を司り、礼拝を指導する立場の人でした。さらにはその地域の訴訟の裁定にもかかわる有力な人物でした。しかし、多くの有力な人々は、3章の会堂での出来事にもあるように主イエスを憎み殺そうとすら考えていました。その状況の中、ヤイロが主イエスに関わるということは、自分の立場を危うくすることでもありました。しかしなおヤイロはひれ伏して願ったのです。愛する娘の命がかかっていたからです。それに応じて、すぐに主イエスは一緒に来られたのですが、群衆が押し合い圧し合いして進みづらいのみならず、途中、十二年間出血の止まらなかった女性とのやり取りもあり、なかなかヤイロの家にたどり着きません。ヤイロにしてみれば一刻を争う状況で、主イエスはいかにものろのろとされているようなのです。

 そこに会堂長の家から人々が来て、娘の死を知らせました。ヤイロはどれほど無念であったでしょう。群衆がいなければ、そしてまた出血を癒された女性に時間を取られていなかったら、ひょっとしたら娘は助かったかもしれません。会堂長の家から伝えに来た人は「もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」といいます。丁寧な言い方ですが、主イエスに来ていただいても、もう無駄ですということです。現代でも、臨終が確認された者に対して、医者はそれ以上の医療行為はできません。もうお医者さんの手を煩わせることはないでしょう、と人々は言うのです。

 しかし主イエスは、これに対して不思議な態度を取られます。すでに娘は死んでいるにもかかわらず、主イエスはヤイロの家に行かれます。私たちは主イエスがどなたか知っており、ああここから奇跡が起こるのだと思います。しかし、ヤイロやヤイロの周りにいる人たちは、いくら主イエスがこれまで多くの病の人を奇跡的に癒されたとしても、まさか死んでしまった人間をどうにかできるなどとは思いません。そう思うのは普通のことです。

 「恐れることはない。ただ信じなさい」という言葉も不思議です。ヤイロたちはこのとき、恐れてはいないのです。娘が生きているときであれば、娘が死んでしまうのではないかということを恐れていたでしょう。もう、恐れるもなにも、すべてが終わってしまったのです。ゲームオーバーなのです。ここで何を信じろというのでしょうか。

 主イエスは会堂長の家に着いて、人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」とおっしゃいます。人々はイエスをあざ笑ったとありますが、人々の態度はけっしておかしなものではないでしょう。実際、少女は息を引き取ったのです。それは間違いのないことでした。それを眠っているだけだなどという主イエスに対して、何を言っているのだ?!という思いになるのは当たり前です。大事な家族が息を引き取って悲しんでいる人々のところへ、変な宗教家が入り込んできて、「死んだのではない、眠っているのだ」などと言ったら、普通怒って追い出すでしょう。しかし、ヤイロはそうはしなかったのです。娘を失ったショックもあって、ただただ主イエスのなさることにおろおろと従っていただけかもしれません。しかし、彼の耳には「恐れることはない。ただ信じなさい。」という言葉が響いたのです。その意味はわかりませんでしたけれど、主イエスの恐れることはない、という謎のような言葉を確かに聞き、信じる者としてついていったのです。主イエスに従った、ということが、ヤイロの信仰なのです。信じるとは、主イエスに従うことであり、主イエスの業を見るということです。

主イエスは人々を外に出し、子供の両親とペトロとヨハネとヤコブの三人の弟子だけを連れて子供のいる部屋に入っていきました。主イエスの圧倒的な権威ある態度です。ちなみにペトロとヨハネとヤコブの三人はこののち、山の上で主イエスのお姿が変わられるとき、そしてまた十字架の前にゲツセマネで祈られるときも、主イエスと共にいます。多くの弟子の中から特別に使徒として十二名が選ばれ、その中でもさらにペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人は特別に召されたと言えます。弟子たちに上下関係があったわけではありませんが、主イエスが神から来られたことを示す特別な時に、この三人は目撃者としてそばにいることを命じられたのです。そこで主イエスがお示しになることがきわめて特別なことゆえ、神の神秘に深く関わることゆえ、限られた者だけに示されたのです。

 さて、これらの者たちの前で、子供の手を取って「タリタ、クム」と主イエスはおっしゃいます。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい。」という意味であると書かれています。「タリタ、クム」は主イエスの時代、ユダヤの人々が使っていたアラム語です。ヘブライ語に近い言葉ですが、主イエスの時代には歴史的変遷の中、旧約の時代のヘブライ語ではなくアラム語が使われていたのです。新約聖書は当時、ローマ帝国の支配していた地域で広く使われていたコイネーギリシャ語という言葉で書かれていますが、何か所か、主イエスがお語りになったアラム語そのものが記されている箇所があります。その一つがこの「タリタ・クム」です。決定的な神の業と、その言葉そのものの簡潔な音の響きがあいまって、あえてアラム語のまま、ここには記されているのでしょう。

 実際のところ、「タリタ・クム」起きなさいという言葉で死んだ人が目を覚ましてくれたらどんなにいかと思います。仮死状態であったならば別ですが、たしかに息を引き取った人が「起きなさい」という言葉で目を覚ますことは、この世界においてはありません。私たちはともすれば、まあイエス様だから何でもできるよねとあっさり読んでしまうかもしれません。イエス様すごいねと。逆に、いや科学の進んでいない当時、やはり仮死状態のようなものであったのではないかと考えたりするかもしれません。

 仮に本当に死んでいた人間が生き返ったとして、それは神の御業としてそれ自体が決定的なことでしょうか。もちろん愛する人が目を覚ます、それは親しかった者たちにとっては決定的なことです。しかし、考えてみますと、たしかに少女は目を覚ましましたが不死になったわけではありません。これからこの少女が健やかに過ごしたとしても、何十年か後にはやはり死ぬのです。死の病から回復することはたしかに素晴らしいことですが、人間はどこまで行っても肉体の死から解放されることはありません。その死の時が数十年延びたことが決定的な神の業でしょうか。

 主イエスは起き上がり歩き出した少女に食べ物を与えなさいとおっしゃいます。これは少女が肉体的に健やかであり、ごく普通に生活できる存在として目を覚ましたことをあらわしています。しかし、また同時に、あっさりした内容でもあります。死者が目を覚ましたということが劇的には描かれていないのです。食事をする、ごく当たり前のこととして描かれています。マタイによる福音書によれば、主イエスが復活の時、弟子たちにかけられた言葉が「おはよう」でした。またルカによる福音書によれば、復活の主イエスは焼き魚をお食べになったという記事もあります。復活、死からの蘇りというとき、主イエスは何か特別な荘厳なことをおっしゃったりなさったりするのではありませんでした。

 しかしながら、矛盾するようなことを申しますが、やはりこの場面では決定的なことが語られているのです。主イエスは死を打ち破られるお方であることが語られています。人間が、まことの命、永遠の命に生きるものへと変えてくださるお方なのだと語るのです。私たちには肉体の死がやってきます。しかしまた私たちも聞くのです。「タリタ、クム」という言葉を。この地上での命を終えて、しばらくの眠りの後に「タリタ、クム」という言葉を聞くのです。そして永遠の命をいただいて起きるのです。この少女のよみがえりは、私たちもまたよみがえることのさきぶれ、保障として私たちに語られています。またキリストの復活のさきぶれとして語られています。もちろん神である主イエスは、肉体の死にも勝利されるお方です。しかし、聖書は肉体の死に勝利する以上のことがあると語るのです。それはぼんやりとした「天国で会いましょう」という希望ではなく、「タリタ、クム」と明確に私たちを起こす声を聞くということです。永遠の命とは神と共に生きる命です。その永遠の命に比べれば、この地上において寿命が数年、数十年延びることは小さなことです。しかしその小さなことを聖書は語ります。私たちに永遠の命の扉が開かれていることのしるしとして語るのです。

 そしてまた「タリタ、クム」という言葉は、終わりの日のよみがえりのときに先立ち、今この時、私たちは聞くのです。私たちは起きているようで起きていないのです。毎日睡眠時間を削るほど、忙しく生きていても、逆に肉体に痛みや不調があったり、悩みがあって、眠りたくてもぐっすりと眠れないとしても、キリストの「タリタ、クム」という言葉を聞かなければ霊的に眠っているのです。

 今日の場面で主イエスに従って部屋に入ってきたペトロ、ヤコブ、ヨハネは主イエスが十字架におかかりになる前、ゲツセマネで祈られているとき、そばで眠っていました。主イエスがその命をかけた祈りの戦いをなさっているとき、霊的に眠っていたのです。彼らはその耳で今日の聖書個所の場面で「タリタ、クム」という言葉を聞きました。でも、その声を霊的には聞いていなかったのです。まだその霊的な命は生きていなかったのです。

 私たちも起こされなければなりません。「タリタ、クム」という言葉を聖霊によって聞かねばなりません。いや実際、私たちはすでに聞いているし、聞き取れる者とされているのです。耳をふさいではならないのです。「タリタ、クム」神の真実の前で目を覚ましなさいと主イエスは語られているのです。神の真実とは何でしょうか。それはキリストと共にある時、恐れることはなにもない、ということです。「恐れることはない。ただ信じなさい。」大阪東教会の創立者であるヘール宣教師の息子であり、やはり宣教師として神に仕えていたジョンは若くして天に召されました。その後も、その奥様であるハリエットさんは日本に残って宣教の業に励まれました。第二次世界大戦の荒波の中、多くの米国人宣教師がアメリカに引き上げていくときも、そのハリエット夫人はご自身の病もあり、なお日本に残られました。彼女の耳には聞こえていたのでしょう。「タリタ、クム」という言葉が。そして恐れることなくキリストを信じ、自身の肉体の命が尽きるまで日本に残られました。私たちの日々にも恐るべきことは多くあります。たしかに恐ろしいことが私たちに降りかかってくるのです。しかしなお恐れることはない、とキリストはおっしゃるのです。死の陰の谷を歩まねばいけない時ですら、私たちは恐れることはないのです。死に打ち勝ったお方がおられます。目を覚まして歩みましょう。


マルコによる福音書第5章21~34節

2022-05-11 18:12:06 | マルコによる福音書

2022年5月8日日大阪東教会主日礼拝説教「あなたはほんとうに生きていますか」吉浦玲子

【説教】

 イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。

 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」

 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

【説教】

 今日お読みした聖書個所で、癒された女性に主イエスはこのように語っておられます。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

 人間は誰でも病気にかからず元気に暮らしたいと願っています。しかし、多くの人は病気にかかるのです。病気にかかりたくてかかる人はほとんどいないと思います。少なくとも重篤で長期間、日常生活に支障をきたす病気にはなりたくないと思います。不摂生が病気の主たる原因であるなら「あなたの生活を整えて、もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」ということは言えるかもしれません。栄養や休養や運動に気を配って生活をして元気に暮らしなさいということは分からないでもありません。しかし人間の体は不思議なもので、持って生まれた体質や様々な条件によって、似たような生活をしていてもある人は元気で、ある人は病気になります。そして今日の聖書個所に出てくる女性は12年も患っていたことが記されています。多くの医者にかかったとありますから、できる限りの手は尽くしたのです。そのうえで病気は治らなかったのです。出血が止まらないということは、律法で汚れた者とみなされることでした。汚れた者は信仰共同体から排除されるのです。ですから、この女性が好き好んでこの病になったわけではありません。病になるような特別な不摂生をしたわけでもないでしょう。そもそもこの病気の原因は分からなかったのです。なのに主イエスは「もうその病気にかからず」とおっしゃるのです。かからないですむ具体的な手立てがあるように思えないのになぜ主イエスはこのような言葉をおっしゃるのでしょうか。

 そのことを心に留めながら、今日の聖書個所を読んでいこうと思います。主イエスは湖を再び舟で北西に進まれ、イスラエルの地に戻ってこられました。湖の南東側の異教の地では、主イエスは悪霊を追い出されたにもかかわらず「この土地から出ていってほしい」と言われました。それに対して、ユダヤの地では主イエスの周りに大勢の群衆が集まってきました。主イエスに癒してもらいた人々、主イエスに悪霊を追い出していただきたい人々、主イエスの話を聞きたい人々、そのような人々が大勢集まってきたのです。その大勢の人々の中で、二人の人が今日の聖書個所では描かれています。会堂長のヤイロという人と、出血の止まらない女性です。この二人は相互には関係のない人です。その二人の物語が並行して進んでいきます。

 最初に登場するのはヤイロで、瀕死の状況にある娘を救ってほしいと願います。主イエスはヤイロと一緒に出掛けます。一刻を争う状況でした。急ぐ主イエスとヤイロに群衆も従ってきて押し迫ってきたとあります。急ぐ主イエスたちにとっては歩きにくい、邪魔な状況です。そのような状況の中で、十二年間出血の止まらない女性が群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れたとあります。さきほど申し上げましたように、律法によれば出血のある女性は汚れているので、本来、このようなことをしてはならないのです。汚れた人間が他の人に触れると、その触れられた人も汚れるからです。汚れた人間は共同体の中に紛れ込んではいけないのです。しかし、主イエスに触れた女性はたちどころに癒されました。

 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と聞かれました。その時、主イエスは歩みをとめておられたでしょう。一緒にいたヤイロは気が気でなかったと思います。娘の命が危うい、一刻を争うときに、「わたしの服に触れたのはだれか」などと悠長なことを主イエスはお聞きになっているのです。そもそも群衆が主イエスに押し迫っている状態で、誰が降れたかなど問うのはナンセンスであり、弟子たちも「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか」と驚きます。おそらく主イエスは、誰が触れたかはお分かりだったと思います。しかし、敢えて問われたのです。女は自分の身に起こったことが恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話しました。ここで分かることはこの話は女性の病気が癒されてよかったで終わる話ではないということです。女性が恐ろしくなったのは、自分に神の業が起こったことを感じたからす。そしてまた自分が律法に違反したことも知っていたので震えながら出てきたのです。

 そして正直にすべてを語った女性に主イエスは冒頭に語った言葉をおっしゃいます。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」もちろん女性に信仰がなかったから病気になったわけではありません。しかし、女性は主イエスの福音を聞いたわけでもありません。自分の罪を悔い改めたわけでもありません。ただ主イエスに触れようとした、病気が治りたい一心だったのです。しかしその女性が主イエスに触れた、それを主イエスが「あなたの信仰」とみなしてくださったのです。私たちは自分の信仰が立派とかだめだとかいろいろ考えるかもしれません。祈りが足りない、聖書の学びが足りない、奉仕が足りない、そんなことを考えるかもしれません。しかし、信仰というものは主イエスに触れようとすることなのです。自分の人生の中で、日々の生活の中で、主イエスにほんの少しでも触れようとするとき、それを主イエスが「あなたの信仰」だとご覧になってくださるのです。

 息子が小学校の低学年くらいのころ、一緒に近所に買い物に行くとき、道で手をつないで歩いていました。ところが、ある時、息子がぱっと手を離すのです。あれ?と思ったら、向こうから友達がやってくるのです。ははあ、友達にお母さんと手をつないでいる姿は見られたくないのだなと思いました。そういうのが恥ずかしい年ごろになったんだなと感じました。その後、その友達がいなくなったら、また、手をつないでくるのです。かわいいようなおもしろいような気持でした。もっと小さいときであれば、どこでも誰の前でも親と手をつないでいたのです。そして当然ながら、もっと大きくなると親とは手などつながなくなります。陳腐なたとえかもしれませんが、神の子供とされている私たちは幼子のように神と手をつなぐのです。心置きなく主イエスに触れるのです。人の目を気にするとき、私たちは神から手を離してしまうのです。神から手を離し、自分一人で立派な信仰者としてふるまうのです。そこには本当の信仰がありません。

 一方で、神に触れるということは畏れ多いことのように感じられるかもしれません。実際、旧約聖書を読みますと、神とは聖なる方であり触れることはおろか、顔を見ることもできないお方と考えられていたことが分かります。<神の顔を見たら死ぬ>そう考えられていました。実際、神は聖なるお方です。罪ある人間がそもそもは触れてはならない存在なのです。しかし、主イエスが来られ、神と人間の間を隔てていた罪を主イエスご自身が引き受けてくださいました。ですから、主イエスのゆえに私たちは神と触れることができのです。そしてまた主イエスに触れることを通して私たちは神を知ります。主イエスに触れることのないものは神を知ることができません。 人生の歩みの中、主イエスから手を離して自分の足で歩いているつもりになっている、それは愚かなことです。人の顔ばかり見て主イエスに触れることのない信仰生活、それもむなしいことです。さきほども申し上げましたように、この出血の止まらなかった女性は、何か信仰的なことをしたわけではありません。福音を聞いて信じたからでも、悔い改めたからでもありません。ただただ主イエスに触れたのです。そこに癒しと救いが訪れました。

 触れる触れるというと、じゃあどうやって触れるのだ、自分は主イエスに触れてるのかどうか分からないと思われるかもしれません。でも考えてみてください。これまで神に守られたこと、神に助けられたことは数多くあったのではないでしょうか?人間の顔や自分の行いばかり見ていたら、神の助けや恵みは分かりません。日本人にありがちなことですが、神に助けられているのに「皆さんのおかげです」と周囲に気遣ってばかりいるとき、神の助けが分からなくなってしまいます。でもほんとうに神に助けられている、そのことを知る時、すでに神の方から、主イエスの方からあなたに触れてくださっていたことが分かります。信仰がないにもかかわらず、悔い改めが不十分であるにもかかわらず、自分の罪ゆえ自業自得のように苦しんでいるにもかかわらず、主イエスがすでにあなたに触れてくださって救ってくださっていることに気付くのです。繰り返しますけど人間ばかり見ていたら、どれほど信仰的行為を行っていても生涯あなたに主イエスが触れてくださっていることを気づくことはありません。神がすでに触れてくださっていることに気づかない、それが罪であり、人間の病です。

 「もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」と主イエスがおっしゃった「その病気」という言葉は「あなたの病」「あなたの苦しみ」ということです。つまり神と離れていることからくる病、苦しみのことです。主イエスを知る前の人間の根源的な病のことです。その根源的な病から解放されて、まったく新しい人間として健やかに暮らしなさいと主イエスはおっしゃっているのです。この女性は病が癒される、いってみればご利益を求めました。しかし、主イエスが与えられたのはそれ以上のことでした。まったく新しくされて、根源的な健やかさをいただくことでした。体の病であれば、ふたたびかかることもあるでしょう。どれほど体が健康であっても、最後には人間は肉体的には死ぬのです。

 しかし、その死を打ち破ってくださった復活の主イエスが触れてくださった。だから私たちは新しく生きていくことができるのです。そのとてつもない恵みに感謝するとき、私たちはおのずとみずからもまた主イエスへと触れる存在になるのです。神がしてくださったことを素直に喜ぶ心、自分の業でも誰かほかの人の業でもない、神の業を喜び祝うとき、私たちはすでに神に触れているのです。

 「安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」


マルコによる福音書第5章1~20節

2022-05-11 16:38:38 | マルコによる福音書

2022年5月1日大阪東教会主日礼拝説教「正気に戻った男」吉浦玲子

【聖書】

 一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
 ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。

【説教】

<墓場に住む人>

 主イエスと弟子たちはガリラヤ湖の向こう岸、南東部にありますゲラサ人の土地に着きました。主イエスが舟から上がられるとすぐに汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやってきた、とあります。汚れた霊とは悪霊であり、人間に災いを起こす霊のことです。神の霊ではなく、悪しき霊です。

 この悪霊に取りつかれた人は墓場を住まいとしていた、とあります。これは象徴的なことです。墓というのは「死」を象徴する場所です。そこにこの人はいました。それは、この人は命ではなく、死に捕らえられていたということです。生物学的には生きていましたが、この人の日々は死に捕らえられていました。完全に正気を失い、自分で自分を全くコントロールできない状態でした。通常の社会生活ができない状態で、周囲の人々に迷惑をかけないためであったと思われますが、足枷や鎖で縛られることもあったようです。しかし、足枷や鎖で縛られても、それらは破壊され、「だれも彼を縛っておくことはできなかった」とあります。では、彼は縛られることなく自由であったかというと、もちろんそうではありません。「彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」とあるように、自分で自分を害する行為をしていました。それは本人が望んだことではなく、汚れた霊がさせていたことです。彼を支配していた悪霊の力を周囲の人も本人もどうすることもできなかったということです。

 こういった悪霊という存在は現代に生きる私たちにはとらえにくいところがあります。聖書のこういう記述を読むと、科学の進んでいなかった時代において、原因の分からない病気や現象を悪霊の仕業と考えていたのではないかと思ったりします。しかし、たしかにこの世界には悪しき霊が働いているのです。私たちを傷つけ、苦しめる存在があります。それはある時は心身の病として私たちを苦しめます。もちろんすべての病が悪霊の仕業というわけではありません。特に注意をしないといけないことは、ある種の精神的な病を悪霊の仕業だと考えることです。しかしまた、同時にたしかに私たちの命を損ないような力は現代においても働いています。

<レギオン>

 主イエスはおっしゃいました。「汚れた霊、この人から出て行け」。この悪霊に取りつかれた人は不思議なことに、この言葉を聞いて「イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい』」と言いました。かまわないでほしいのなら、自分から近くに来なければよいのに、走り寄ってきたのです。これは汚れた霊は、自分が主イエスには歯が立たない相手だということが分かっていたということです。先週、主イエスが夕方、わざわざ舟を出して、このゲラサ人の住む土地に向かわれ、嵐にあわれた箇所を読みました。主イエスは、おそらく天候が芳しくないことはご存じの上で舟を出すように弟子たちに命じられ、この土地に来らました。この悪霊に取りつかれた人を救うためです。そのことは悪霊の側も分かっていたのです。自分を苦しめる「いと高き神の子イエス」が来たことを。そして勝ち目がないことを。

 また不思議なことに、主イエスはこの汚れた霊に名前をお聞きになっています。名前があるということは、人格的存在、というと変ですが、この汚れた霊は意志をもった存在だということです。そしてまた名前を聞くという行為は相手への優位性を示しています。主イエスはこの点においても悪霊より上の立場なのです。そして悪霊が答えた名はレギオンと言いました。「大勢だから」と霊は答えます。これは<もろもろの悪霊>ということです。もともとレギオンとはローマの軍隊の一軍団をさす言葉です。一レギオンには四千から六千人の兵士がいたようです。それだけの悪霊がこの人を支配していたのです。このレギオンは「自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願」いました。ここでも、あくまでも主イエスが圧倒的な権威を持っておられレギオンより優勢なのです。

<目に見えない王国>

 さきほど申し上げましたように、たしかに悪しき霊の力というのはこの世界にあるのですが、神の力に対抗する悪しき力があって、その二つの勢力が拮抗してこの世界で戦っているというわけではないということです。善悪二元論的なことを聖書は語っているわけではないのです。世界は神によって支配をされています。しかし、たしかに悪しき力は今も働いています。終末の時、神の救いが完全に完成するとき、その悪しき力は完全に取り除かれます。しかし今は、その悪しき霊が働くことを神がおゆるしになっているのです。

 そう考えますと、私たちの世界には、悪しき霊が満ち満ちているように感じます。ウクライナのこと、コロナのこと、さまざまなことを考えますと、なにか深い闇で世界が包まれているように感じます。人の心も荒び、ニュースやネットなどを見ていますと、ひどい事件や発言が目につきます。この世界は神の力ではなく、悪霊の力によって支配されているのではないかと思うようなことが満ちています。

 ところで、数年前、壮年婦人会で「ヨハネの黙示録」を学んだことがありました。その時、参考にしたのが「小羊の王国」という本でした。その中で語られていたことは、黙示録が描く終末の時まで、たしかに悪しき力がこの世界に満ちるのです。悪の王国が成長していくのです。悪霊の力が増大していくのです。福音書の中のたとえ話で申しますと、毒麦が成長していくのです。実際、この世界には、毒麦が満ちて、いまもどんどん成長しているように見えます。良い麦はほとんど見えないように感じます。しかし、「小羊の王国」の作者は言うのです。終末に向かって、キリストの王国、つまり小羊の王国もまた成長しているのだ、と。毒麦がたわわに実っているようで、実は、それ以上に良い麦が育っているのだと。

 これは単なる楽観論ではないのです。なぜなら、たしかに、2000年前、キリストは来られ、良い麦の種を蒔かれ、それは今も増え続けているからです。そしてその王国は肉眼で見えず知性でも理解をすることはできないけれど、たしかに成長しているのです。それは単にキリスト教の信徒数が増えているとか、教会が栄えているということではなく、神の御業が今日においても豊かに進んでいるということです。一見、悪に打倒され廃墟のようにみえるところにすでに豊かに良い麦が実っている、目には見えないけれど、すでにキリストの王国はこの世界で成長しているのです。私たちが信仰の目を開けているとき、それに気づくことができます。

<悪霊を追い出されては困る?>

 さて、このゲラサ人の土地は、異教の土地でした。つまり神を知らない土地でした。神と関係なく生きていけるのです。レギオンは主イエスに「かまわないでくれ」と言ったとありましたが、これは、「わたしとあなたは関係ないだろう」という意味の言葉です。さらにいえば「いと高き神の子」という言葉は、よその神に対して言う言葉です。レギオンにとって、主イエスは、自分とは関係のない神、離れてほしい神なのです。ゲラサ人の土地は神から離れていた土地であったゆえですから、レギオンにとって居心地がよかったのです。そして、豚の中に乗り移らせてほしいとレギオンは願います。主イエスがお許しになると、レギオンは豚に乗り移りますが、その数が二千匹だったと書かれています。その豚が湖の中になだれ込んでおぼれ死にました。豚は律法においては汚れた動物でした。この異教の地では豚が飼われていて、その豚もろともレギオンは滅びました。この場面は、強烈です。二千匹もの豚が湖になだれ込む状況は恐ろしい光景です。それだけの力がこの男性を縛り付けていたということです。

 そしてこの男性はレギオンから解放されました。しかし、これでめでたしめでたしではありませんでした。レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気に戻った様子を見て、そしてそれが主イエスがなさったことだと知ったこの土地の人々は、主イエスに出て行ってほしいと言いました。これまで悪霊を追い出された主イエスを見たユダヤの人々は「ここにずっといてもらいたい」と主イエスに願いました。しかし、ここでは出ていってもらいたいと言ったというのです。二千匹の豚が溺れ死ぬという状況があまりに凄惨でおぞましく、強烈だったので、人々は恐れを覚えたのかもしれません。あるいはまた、この地方では豚が飼われていましたから、二千頭もの豚が死ぬということは経済的損失と考えられたのかもしれません。

 普通に考えますと、悪霊が追い出されることは喜ばしいことです。しかし、人間にとってそれは必ずしもそうではないのです。私たちは墓場には住んでいません。裸で叫んだり自分を傷つけたりはしていません。周囲の人々が足枷や鎖で自由を奪おうとしているわけではありません。しかしまた、私たちもキリストを知る前は、墓場に住んでいたと言えます。私たちはそれなりに心身が健康であったとしても、けっして自由な存在ではありませんでした。罪に縛られ、この世に縛られていました。私たちはこの社会の様々な制約の中で生きていました。それを不自由に感じる心ももちろんありましたが、一方で、そこから解放されることを心から望んでいたわけでもない側面もあったのではないでしょうか。レギオンが汚れた豚の中に入りたかったように、罪の世界にとどまりつづけること、悪事をやめないことは心地よかったと感じていた側面があったのではないでしょうか。そう感じさせられていたこと自体がまさに悪霊に支配されていたということです。

 かまわないでくれ、わたしとあなたに何の関係があるのだ?そう神に向かって叫んでいたのはレギオンのみならず自分ではなかったでしょうか。神の支配より、レギオンの支配の方が心地よい、神から離れている方が自由で楽しい、そういう思いが人間の中にはあるのです。実際に主イエスが来られても、主イエスに自分の日常から出て行ってもらいたいと願うのです。それはクリスチャンであっても同様です。あまり使いたくないいやな言葉に「日曜クリスチャン」「サンデークリスチャン」という言葉があります。普段は神とは関係のない生活をしながら、日曜だけは教会に行って、クリスチャンらしく振舞うクリスチャンのことです。普段は神様にかまわないでくれという態度で、その罪滅ぼしのように日曜だけ教会に来て、それでちょっとすっきりした気分になって帰っていく。こう言われると、特に会社員時代の自分を振り返りますと胸が痛いところがあります。日々のしんどさ慌ただしさのなか、日曜の礼拝だけは守る、それだけで精一杯というところが正直ありました。しかし、日々のしんどさ慌ただしさの中、毎日ほんの少しでも、一瞬でも立ち止まる、そして神を向く、その心があるとき、私たちは日曜クリスチャンではありません。

<正気に戻る>

 私たちはキリストの前にあって、このレギオンに取りつかれていた人のように、正気に戻るのです。こういうと少し変な言い方になりますが、教会は日常と離れた清らかな空気を味わうためではなく、正気に戻るために来るのです。この悪しき霊が跋扈する世界に生きて、私たちはともすれば正気を失うのです。そしてレギオンにコントロールされるのです。ですから私たちは教会でキリストと出会い、そしてまた日々においても祈りにおいてキリストと交わります。十字架から復活されたキリストは死ではなく命を与えてくださる方です。レギオンをも追い出される方です。私たちは安心してよいのです。この世を支配する悪しき霊に怯えて生きる必要はありません。そして悪しき霊と自分で戦う必要もありません。ただ、キリストと共に生きるのです。キリストの命に自分がすでに入れられていることを確信して生きるのです。墓場ではなく、光に満ちたキリストの王国、小羊の王国に私たちは今生かされています。

                               


マルコによる福音書第4章35~41節

2022-05-11 15:44:23 | マルコによる福音書

2022年4月24日日大阪東教会主日礼拝説教「なぜ怖がるのか」吉浦玲子

 主イエスの弟子には、ペトロをはじめとして漁師たちがいました。もともと彼らはガリラヤ湖で漁をしていました。現代のガリラヤ湖周辺ではペトロにちなんだピーターズフィッシュというものが食事として提供されるようです。これは大型の淡水魚を料理したもので淡水魚の割にはそれほど臭みもなく食べられるもののようです。そのような魚が捕れるガリラヤ湖を中心にした地域は自然が豊かで美しいところであったようです。しかし一方、ガリラヤ湖は、海抜がたいへん低く、谷底にあるような地形で、周囲から吹き降ろす風によって荒れることもよくあり、急に天候が変わることもあったようです。

 今日の聖書個所では、ガリラヤ湖を船で渡っていた時、嵐に見舞われたことが描かれています。プロの漁師であったペトロたちが怯えるほどの嵐だったようです。舟の中まで水が入り水浸しになりました。ところが、あろうことか主イエスは眠っておられたのです。艫(とも)とありますから船尾の方で、枕までして熟睡しておられました。弟子たちはそのお姿を見て「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と叫びます。弟子たちは必死に舟に入ってきた水をかき出したり、転覆しないようにどうにかバランスを取ろうと必死だったでしょう。しかし、主イエスは寝ておられるのです。これまで、さまざまな奇跡を行ってこられたイエス様、きっとこの方なら今のこの状況をどうにかしてくださるに違いないと弟子たちは思っていたでしょう。しかし、頼りにしている先生は、こともあろうに、眠っておられるのです。さらに言えば、「向こう岸に渡ろう」とおっしゃったのは、主イエスご自身でした。わざわざ日が暮れる頃に、舟を出そうなどとおっしゃらなければ、このようなことにはならなかったのです。プロの漁師であったペトロたちは、ひょっとしたら、天候に不安を覚えていたかもしれません。そのようななか、舟を出した責任者であったからこそ主イエスへ「どうにかしてくださいよ」という思いもいっそうあったでしょう。にもかかわらず主イエスが寝ておられることに対して「わたしたちがおぼれてもかまわないんですか」という批判めいた言葉は出てきたのでしょう。

 私たちは主イエスがどのようなお方は、一応、知っていますし、この物語の結論も知っていて、慌てふためく弟子たちの信仰を情けないなと思ってしまうかもしれません。しかしやはり、わたしたちでも、嵐にあうような緊急事態を体験するとき、やはり慌てふためくこともあると思うのです。神を信じていても、キリストがともにいてくださると信じていても、「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と叫ぶようなことがあると思います。叫ぶならまだいいです。そこに主イエスがおられることすら私たちは忘れて、あたふたしてしまうこともあるかもしれません。

 叫ぶことなく、「海に沈むのも神の御心」というような悟りきったような態度を神は求めておられません。これは神の前で最も不信仰な姿です。叫んだらよいのです。どんどん叫ぶべきなのです。神は私たちの意表を突くやり方で敢えて嵐を起こされるお方だからです。この舟は次の聖書個所を見ると、ゲラサ人の地方に向かっていました。そこはガリラヤ湖の東側で、イスラエルではなく異邦人の地でした。その地方では律法で汚れたものとされている豚を飼っていたようです。弟子たちはおそらくそんなところに行きたくはなかったと思います。しかし、主イエスは「向こう岸に渡ろう」とおっしゃったのです。なぜ主イエスはそこへ向かっておられたのでしょうか。主イエスは基本的には十字架におかかりになる前はイスラエルへと福音宣教をなさっていました。それがわざわざゲラサの方へ向かわれた、ということには、いくつかの理由があるかもしれませんが、ひとつには、そこに救うべき人がいたからだと言えます。救うべき魂があるとお考えになったから、主イエスはその汚れた異邦人たちの地へと向かわれたのです。

 逆に言いますと、救うべき魂のところへ行かなければ嵐にはあわなかったのです。宣教をしなければ嵐にはあわなかったのです。イスラエルの中にとどまっていれば安全だったのです。しかし、主イエスは舟に乗ってでかけられました。主イエスと共に生きていくということは、主イエスと共に宣教をすることです。そしてそれゆえに時に嵐にあうこともあるのです。直接的な宣教ということだけではなく、皆さんの日常の生活においても、主イエスと共に歩むということは、時として、行きたくない「向こう岸」に行かされることでもあります。当然、舟に乗りさえしなければ、嵐にあって水浸しになることもありません。しかし、主イエスと共に歩むとき、乗りたくない舟に乗って、行きたくないところに行かされるようなことも時としてあります。しかもそこで嵐にあってしまうのです。

 舟は教会を象徴するともいえます。教会もまた、風に翻弄される落ち葉のように、嵐の中で水浸しになってしまうことがあります。しかしまた教会も、安全地帯にとどまっているならば、主イエスのご意志に従って生きているとは言えません。時として「向こう岸」に渡らねばならないときがあります。いつもいつも荒海に出ていくわけではありませんが、ただひたすら安全な陸にとどまっていることは、主イエスの御心ではないのです。

 しかしまた一方で思います。やはり、「向こう岸」に渡るのはしんどいではないか、と。せっかく信仰をもって歩んでいるのです。普段の生活で厳しいこと、つらいことは山のようにある、せめて信仰においてはほっとしたい、慰められたい、つらい思いをしたくないと正直思う心もあると思います。わざわざ「向こう岸」にはやっぱり渡りたくない、そんな思いもあるかもしれません。

そう思いつつ、今日の聖書個所を読み進みますと、結局のところ、嵐は主イエスが「黙れ、静まれ」とお𠮟りになると静まったと記されています。そして主イエスは「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と弟子たちにおっしゃいます。しかし、これは、ほら、イエス様を信じていたら困難から守られるんですよ、弟子たちのような不信仰ではいけませんよ、いつでもイエス様を信じて生きていきましょうねという単純な話ではないのです。

 私たちは「向こう岸」に渡らなくても、陸にいても十分にしんどいことはあります。にも拘らず、なぜさらに「向こう岸」に渡るのでしょう。苦労に苦労を重ねるようなことをしないといけないのでしょうか。そうではないのです。自分が安全だと思うところにとどまっているとき、神の豊かさが見えないのです。ひとつところにとどまって舟を出さなければ、嵐にはあわないし、そこでそこそこ生活ができているかもしれません。しかし、主イエスに従って舟を出すとき、はじめて、嵐の中でも守られる神の現実を知らされるのです。舟を出さなければ、慣れた陸の生活ならば、そこでしんどいことがあっても、自分で頑張ってどうにか切り抜けていくような感覚になると思います。もちろんそこでも神の助けはあるのですが、しかし決定的な神の働きは分かりにくいのです。そしてそこでは神の救いの業が見えないのです。

 旧約聖書では、出エジプトした民は、荒れ野で神からマナを降らせていただいて食べ、また岩から水を出していただいて飲みました。旅立った者には神の御業があらわされるのです。そもそもエジプトにとどまることは奴隷であり続けることでありました。それでも、エジプトでは肉鍋を食べることができました。実際、出エジプトした民は、荒れ野を旅しながら、エジプトの肉鍋の方がよかったと文句を言いました。エジプトで奴隷としてこき使われる生活と、荒れ野を旅する生活、一見、どっちもどっちだなと感じるかもしれません。しかし、荒れ野を旅する民には昼は雲の柱、夜は火の柱として、神の守りがありました。申命記8章に、モーセはその荒れ野の旅を総括してこう語っています。「この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。」荒れ野の旅には確かに苦労があった、しかし、旅立った者の着物は古びず、足がはれることもなかった、たしかに神の守りがあったことを思い出しなさいと、モーセは語ります。今日の聖書個所で言えば、たしかに舟を出してあなたたちは苦労をした、水浸しになって怖い目にあった、でも、守られたでしょう。そう主イエスはおっしゃるのです。「まだ信じないのか」という言葉は諫めておられる言葉に聞こえますが、「あなたたちは、もう信じることができるのではないか」という言葉でもあります。あなたたちは信じて、旅をすることができる、これからも舟を出し続けることができる。恐れる必要はない、そう主イエスはおっしゃるのです。だから私と一緒にこれからも舟を出そう、旅立とう、と主イエスはおっしゃっているのです。苦労に苦労を重ねるために旅立つのではないのです。鍛錬や修行ではないのです。神の救いを見るために旅立つのです。

 私たちはいま奴隷ではありません。しかし、さまざまに現実の中で縛られている側面があります。さまざまな制約や不便や欠乏があります。病などの身体的な苦しみもあります。しかし、主イエスと共に旅立つ時、私たちは意外なことに、これまで自分を縛っていたものから、自由にされるのです。旅立ちはしたものの、主イエスは眠っておられて、私のことなど忘れておられるように思える時があっても、実際は、私のために働いておられることを知るのです。そして神の救いを見るのです。私がすでに救われていることを見、さらに誰かが救われることを見るのです。

 さきほどの申命記の聖書個所で昔、別のところで説教をしたことがあります。その時、少し個人的なことをお話ししました。私の息子が中学生のころ、不登校になって学校に行かなかった時期があります。思春期と反抗期で、いろいろと荒れていて、ある時、私に腹を立てた息子が玄関のところの壁を拳で打って、壁が何か所か壊れてへこんでしまいました。その当時、私は非常に困ってしまって、市の不登校相談窓口とかにも相談したりしたのですが、すぐには解決しませんでした。一年半後に不思議なありかたで子供は学校に行くようになったのですが、数年後、その壁のへこんだ部分を見ているとき、さきほどの申命記の箇所が響いてきたのです。「あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。」自分ではあの当時、とても苦労をした気がしていたのです。たいへんだったと思っていたのです。いや実際母子家庭でしたし、たいへんだったのです。経済的なこともありましたし。でもわかったのです。確かに着物も古びなかったし、足もはれなかった、嵐の中で水浸しの舟のような日々でしたが、たしかに守られていたことがわかったのです。

 私たちは主イエスと共に歩むとき、嵐を避ける生き方ではなく、もっと大胆に漕ぎ出す生き方になるのです。嵐の中にあっても、荒れ野の中にあっても、けっして打ち捨てられることはないからです。その時々に、不安にあって叫ぶことはあるでしょう。しかし、主イエスがおられるのです。嵐は静まるのです。そして、恐れることはない、信じなさい、そうおっしゃるのです。ですから私たちは大胆に舟を出します。

 

 


ルカによる福音書第24章13~35節

2022-05-11 15:21:58 | ルカによる福音書

2022年4月17日日大阪東教会復活祭礼拝説教「心は燃えていたではないか」吉浦玲子

 肉体をもって復活をされたイエス・キリストはさまざまな形で弟子たちと出会ってくださいました。復活のキリストとの出会い方はマグダラのマリア、トマス、ペトロ、それぞれに違いました。今日、出てくる二人の弟子たちともまた特別な出会い方をされました。復活のキリストは、一人一人と特別に出会ってくださるのです。逆に言いますと、一人一人と特別に出会ってくださるからこそ、私たちは復活のキリストを信じる者とされるのです。

 さて、弟子たちはエマオという村に向かっていました。エマオはエルサレムから10キロほどのところにありました。彼らはエルサレムから離れようとしていました。先生として仰いでいた主イエスが捕らえられ十字架におかかりになり死んでしまわれた。その衝撃と悲しみの中で、そしてまた同時に、エルサレムにいては自分たちの身にも危険が迫るかもしれない。いろいろ混乱する思いの中で彼らは、エルサレムの町から去っていきました。

 彼らは主イエスの逮捕から十字架までの一連の出来事をどう受け止めていいか、まだ分かっていませんでした。19節を読みますと「行いにも言葉にも力のある預言者」だと彼らは主イエスのことを思っていたことがわかります。彼らは実際多くの素晴らしい主イエスによる奇跡の出来事を見て、この方こそイスラエルを救ってくださる、力強い預言者だと信じていました。そしてそれまで聞いたことのない神の国の話も聞きました。主イエスの言葉は知識や学問によるものではない、権威ある神の言葉だと感じて彼らは聞いたのです。この先生は、ほかの先生とは違う。大きな力を持っておられるお方だ、どこまでもついていこうと彼らは思っていたでしょう。しかし、その主イエスが、死んでしまった。それも英雄のような最期ではなく、みじめな罪人として、もっとも恥ずべき十字架刑を受けて死んでしまわれた。「この一切の出来事について話し合っていた。」とあるように、彼らは互いに論じ合いながら歩いていました。しかしいくら論じ合っても、せんないことでした。

 そんな彼らに「イエスご自身が近づいてきて、一緒に歩き始められた」とあります。「しかし、弟子たちの目は遮られていて、イエスとは分からなかった」のです。不思議なことです。ヨハネによる福音書では復活のキリストと出会ったマグダラのマリアもまた最初、相手が主イエスとは分からなかったと記されています。復活のキリストは十字架の前とお姿が変わっておられたわけではありません。しかし、二人の弟子たちもマグダラのマリアも分からなかったのです。

 二人の弟子は、イエスから「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と聞かれると「暗い顔をして立ち止まった」とあります。弟子たちは暗い顔をしていたのです。マグダラのマリアも墓の前で途方に暮れて泣いていました。復活のキリストがそばにおられても、目が閉ざされているとき、人間は明るくはなれないのです。暗い顔をしたり、涙を流すのです。これは私たちのキリストとの出会いとも同じです。そもそも二人の弟子たちはエルサレムで婦人たちが「イエスは生きておられる」と言っていることも聞いていたのです。誰かとの別れがあったり不幸に見舞われたとき、それでもその悲しみから心を整理して立ち直ろうとしているところに、その悲しみの根幹に関わる事柄で理解しがたいことを聞くと、当然余計心は混乱します。立ち直ることが難しくなります。彼らにとって復活についての言葉はいっそう、そうだったでしょう。弟子たちも心はさらに混乱し、顔はいっそう暗くなりました。しかしまた復活という神の現実を知らない限り、人は本質的に暗い顔をするのです。私たちもまた、キリストを知る前、暗い顔をしていたのです。

 その暗い顔をしていた弟子たちに、主イエスは「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」とあります。聖書についてなんと主イエスご自身から講義していただけたのです。今日の週報の表紙に弟子たちとエマオに向かって歩まれる主イエスの姿を描いたロバート・ズンドの絵画を印刷しています。美しい明るい春の道を三人がいきいきと語り合いながら歩む様子が描かれています。これは画家の想像力によって描かれたもので、実際の、エマオへの道がどのようであったか、三人の様子はどうであったかはわかりません。しかし、今日の聖書個所の最後にあるようにこのとき弟子たちの「心は燃えていた」のです。しかし、主イエスご自身が主イエスご自身について語られる言葉を聞きながら、なお弟子たちは、語っておられるのが復活の主イエスであることが分かりませんでした。復活のキリストを復活のキリストとして知るためには聖書の学びを超えた何かが必要なのです。

 彼らは目指す村に近づいたとき、先に行こうとされる主イエスに「一緒にお泊りください」と申し上げます。主イエスから話を聞いていた彼らの中に少し変化が起こりました。暗い顔をしていた彼らは客人として主イエスをもてなそうという気持ちがわいてきたのです。「一緒にお泊りください」主よ、共に宿りませ、そう彼らは言ったのです。

 今日は歌いませんが1954年の讃美歌39番に「日暮れて四方はくらく」という讃美歌があります。「日暮れて四方はくらく/わがたまはいとさびし/よるべなき身のたよる/主よともにやどりませ」という詞になっています。この讃美歌は静かなメロディーとあいまって、情感的に歌われることが多いと思います。この世をよるべなく生きる私たちと共に、神様、ともにいてくださいと切々と響いてくる讃美歌です。ちなみに豪華客船タイタニック号が海に沈んでいくとき、甲板で音楽家たちが最後まで演奏を続けた逸話は有名です。その時、演奏されたとされる曲の一曲は「主よ、みもとに近づかん」という讃美歌だと言われます。しかし、この「日暮れて四方はくらく」も演奏されていたという生存者の証言もあるそうでうす。たとえ暗い冷たい海に放り出されようとも、なお共にいてくださる神がおられる、パニックと恐怖の中で、この曲を人々がどのように聞いたのか想像もできません。しかしなお、絶望的な状況の中で神がおられる、命と死を超えて共に宿ってくださる神がおられる、それは私たちの希望です。その希望に揺るぎはありません。しかしまた私たちはこの讃美歌をあまり情緒的に聞いたり歌うことには注意をせねばなりません。主が共に宿ってくださる、ということは復活のキリストが共に宿ってくださるということです。二人の弟子たちのようにみ言葉を聞く者と共に宿ってくださるということです。人生の荒波の中、神が共にいてほしいということ以上に、復活のキリストがはっきりと見えるように、共に宿ってくださいと願うのです。まだしっかりと復活のキリストを見ることはできない、あるいは頭での理解でしかないかもしれない、しかし、少しずつみ言葉によって変えられて行っていく、確信はもてない、ちょうど夕暮れ時のくらい景色がはっきりしないような心のうちに、復活のキリストに「共に宿ってください」「一緒にお泊りください」と願うとき、主は共に宿ってくださるのです。そして復活という神の現実、肉体をもって復活してくださったキリストの現実を教えてくださるのです。復活のキリストにどうぞ私の内側にお入りくださいと扉を開ける時、その最初は洗礼の時とも言えますが、肉体をもって復活をされた主イエスは私たちと共に宿ってくださいます。

 さて弟子たちと家に入られた主イエスは不思議なことにその食卓において、客人ではなく、主人のようにふるまわれます。「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。」と食卓の主導権を握っておられます。そしてまさに主イエスがパンを裂かれたその瞬間、二人の弟子たちの目は開かれました。ここで分かることは人間の目が開かれること、復活のキリストを理解することは、キリストの側の働きかけによることなのだということです。どれほど勉強して聖書の知識を積み上げても、復活のキリストを自分の内にお招きし、そこでキリストご自身が働いてくださらなければ復活のキリストを知ることはできません。

 一方、復活のキリストを知ることは肉眼でキリストを見ることとは関係のないことが、二人の弟子たちがイエスだとわかったとたん、その姿が見えなくなったことからわかります。実際、復活のキリストと共に道を長い時間歩いたのに、彼らはそれが復活のキリストだとは分からなかったのです。しかし、キリストによって目が開かれました。そして彼らはエルサレムへと引き返しました。復活のキリストの弟子として生きることを選択したのです。彼らはもう暗い顔をしていませんでした。肉眼でキリストを見ることなくても、復活のキリストが共に宿ってくださり、これからも共にいてくださることを知ったからです。私たちもまた復活のキリストを肉眼で見ることはできませんが、復活のキリストの弟子となることを選択した者たちです。

 「道で聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」そう彼らは喜びの声をあげます。まさに傍らで主イエスの声をきいていたとき、すでに心は燃やされていたのです。自分自身が洗礼前、母教会に通っていた時、今思えば、確かにあの時、私の心は燃えていました。阪急電車の岡町駅を降りて母教会までの10分弱の道のりでした。まだ洗礼を決意していなかった時ですら、すでに今思えばキリストによって心を燃やされていました。あの阪急の駅から母教会までの道が私にとってのエマオへの道でした。みなさんにもそれぞれに心を燃やされたエマオへの道があったと思います。週報の表紙の絵のように生き生きと語り合っているそんなエマオへの道があり、今もその道が続いています。

 心が燃えていた、という言葉は、口語訳や文語訳では「心の内が燃えていた」と心の内側という言葉になっています。実際、ギリシャ語の原文でもそのようになっています。心の内側ですから、外からぼうぼうと燃えているような燃やされ方ではないのです。炭火が静かに赤く燃えるように、あるいは小さなともし火がともされているように燃やされるのです。燃えていない信仰などはありません。燃えていないひんやりとした信仰などはありません。形式的には厳粛だけど、内側は燃やされていない、そんな信仰はありません。ただ静かにお行儀よく学んだり祈ったり奉仕をするのが信仰ではありません。復活のキリストに内側で燃やされ、共に宿っていただく。そこに救いがやってきます。十字架の前のキリストの言動を知っていた弟子たちは目は開かれなかった。人の言動によって人間が変えられることもありますが、それは救いには至らないのです。復活のキリストによって心の内側を燃やされない限り、まことの救いには至らないのです。まことに救われた弟子たちがすぐさまエルサレムに戻ったようにそこにはダイナミックな動き、豊かな感情の働きが伴います。復活のキリストと出会うことはそのあなたの心が内側で燃やされることです。そしてキリストによって変えられることです。一人一人のエルサレムに向かうことです。私たちは今日も復活のキリストと出会い、心を燃やされます。