大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録第28章

2021-05-30 18:37:44 | 使徒言行録

2021年5月30日大阪東教会主日礼拝説教「ゴールを目指して」吉浦玲子   

【説教】  

<やはり理解しない人々> 

  ローマを目指していたパウロ一行は、難破して散々な目にあいましたが、結果的には一人たりとも命は失われずマルタ島へ上陸しました。マルタ島には三ヶ月滞在しましたが、その間、パウロは蝮に絡みつかれても無事だったり、また、島の長官の父親を癒したり、さらには多くの島の病人も癒しました。これらは聖書によくある奇跡物語のように読めますが、これらの逸話から、なにより神がパウロを守っておられ、ローマに向かうにあたり必要な物が備えておられることが読み取れます。船が難破して、荷物を失い、身一つでマルタ島に上陸したパウロたちでしたが「彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。」とあるように、島の人々を通して神が必要を整えてくださったのです。 

 さて、パウロは、その後、ようやくローマへと到着しました。死を覚悟してパウロがエルサレムへ向かってから二年以上かかりました。船出してからも数カ月かかったのです。そのたどり着いたローマで何が起こったか?騒動や迫害が起こったとは書かれていません。ただローマでも、主イエスを信じる者と信じない者がいた、ということが書かれています。 

 パウロはこれまで新しい土地に行ったときと同様にその土地にいるユダヤ人たちと集会を持ちました。そのなかでパウロは「わたしは民に対しても先祖の慣習に対しても、背くことは何一つしていない」と、ユダヤの伝統や律法に何一つ違反していないことを語りました。ローマ人は自分を釈放しようとしたけれどユダヤ人が反対をしたのでやむを得ず皇帝に上訴したのだと説明します。さらに「同胞を告発するためではありません」とユダヤ人社会へ反旗を翻しているわけではないことも語りました。迎えたユダヤ人側は「分派」と呼ばれていたイエス・キリストを信じる者たち、つまりキリスト教徒については聞いていたこと、またその「分派」には反対が多いことを知っていると語りました。しかし、パウロに対して特に悪い先入観はもっておらず、ひとまず話を聞いてみようという穏健な態度でした。その後、集会が持たれましたが、さきほど申しましたように、信じる者と信じない者があったのです。結局、集会は物別れに終わったのです。 

 苦労に苦労を重ねてローマまで来て、はかばかしい成果はあげられなかったように見えます。パウロはイザヤの言葉を引用して去ろうとするユダヤ人たちに対して、ことに信じようとしなかった人々に対して語ります。「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」これはイザヤ書第6章にある言葉です。預言者イザヤが、神によって預言者として召される場面で語られる言葉です。実は新共同訳聖書のイザヤ書の第6章9節を読みますと少し違う言葉が書かれています。「行け、この民に言うがよい。よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな、と」。つまり神はイザヤにへ民に対し「理解するな、悟るな」と語れと言っているように読めるのです。これは神の言葉を預かる預言者の困難さを示す言葉です。神の救いを説いても、人間は受け入れようとしない、理解も悟りもしない、しかしなお預言者はその不毛な働きをせねばならない、そう神は語っているのです。理解しようとしない民に語ることは「理解するな」と語ることと同じことだ、それほどに民は頑迷なのだとイザヤに神はお語りになっているのです。そのイザヤへの神の言葉は、パウロへの言葉でもありました。これまでも何回もパウロは経験してきたことです。リストラでもエフェソでも、時として、命すら落としかねないような、実際半死半生の目にあうようなユダヤ人の攻撃にあってきたのです。しかしなおパウロは同胞であるユダヤ人の救いのために語りました。語らざるを得なかったのです。イザヤと同様、神が語らされたからです。神の救いを語ることは、良き知らせを告げることです。良き知らせを告げるならば、多くの人が喜び、そこに平和で麗しい共同体が立ち上がるように思います。しかし、神の良き知らせは、多くの人間にとっては、けっして良い知らせではないのです。良き知らせを良きものとして受け取るには、神の方を向き、神に立ち帰る必要があるからです。しかし、人間は、神を向き神に従うよりも自分のやり方、自分の考え、自分の力で生きたいのです。神に特別に選ばれていたはずのユダヤ人もそうでした。神にほんとうに従って生きるのではなく、自分の力で律法を守る、自分の行いで救いを得る、そう考えていたのです。これは現代においても変わらぬことです。人間は神に従うよりも自分を頼りにするのです。自分の行いで天国を勝ち取ろうとするのです。それは教会に中においても同様です。 

<中途半端な幕切れ> 

 結局、パウロはローマまで苦労してやってきて、これまでと同じことを経験しました。そもそも、一年に渡って読んできました使徒言行録の最後に当たる部分に書かれていることは「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」です。 

 ローマで宣教が進み、教会が大発展した、とか、パウロがローマ皇帝の前ではなばなしく証をした、というようなことは書かれていません。ただ自費で借りた家に丸二年住んで主イエス・キリストのことを教え続けた、とだけ書かれています。少々尻すぼみのような、不完全燃焼のようなすっきりしない最後です。 

 パウロはローマで処刑されたと言われています。もっともイスパニア、今のスペインにまで行って伝道をしたという説もありますが、ローマで処刑されたという説の方が優勢です。著者であるルカは、敢えて、パウロが主イエス・キリストについて教えた二年間ののちのことには触れていません。処刑されたとしたら、結局、パウロは熱心に宣教したけれども報われなかったという印象を与えるから、敢えて、不幸な結末をルカは書かなかったという人もいます。しかしそうなのでしょうか?不幸な結末を伏せるために、なんだか中途半端な終わり方でルカは使徒言行録を閉じたのでしょうか?そうではないと思います。この終わりかたこそ、ルカを用いて神が私たちに与えてくださった使徒言行録のあり方なのです。 

 ところで、繰り返し申し上げたように、使徒言行録は聖霊言行録であって、使徒たちの武勇伝や初代教会のすばらしい発展のさまを書いたものではありません。聖霊なる神の働きを記したものです。そしてまた、使徒言行録の第一章にある主イエスの言葉の成就を記したものです。第一章にある主イエスの言葉はこうでした。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、そして地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」聖霊が降ると、あなたたちは地の果てに至るまでわたしの証人となると主イエスはおっしゃっています。その第一章の主イエスの言葉に対して、この最終章の終わり方は呼応していないようにも感じます。当時のパウロにとってローマこそが地の果てだったのでしょうか?いえそうではありません。パウロ自身、ローマの信徒への手紙の中で、ローマを経由してイスパニアまで行きたいと語っています。パウロにとって、もともとはローマは終着の場所、地の果てではありませんでした。 

 フィクションですが、2018年の映画に「パウロ―愛と赦しの物語」というものがありました。この映画はローマでのパウロの最後の日々が描かれています。皇帝ネロによるキリスト教徒への残酷な迫害のなか、最後は斬首刑となるパウロとそれを支えるルカの物語でした。ルカは、残される信徒たちのために使徒言行録を記そうとしています。獄中にいるパウロのところに忍び込んでルカはパウロと様々な話をします。そして書こうとしている使徒言行録の最期は「自費で借りた家に二年住んで、神の国を宣べ伝えた」ということにしようとルカはパウロに提案します。その場面でパウロもルカも和やかに語るのです。映画全体は明るいものではありませんでしたが、この場面には不思議な印象を持ちました。もちろんこれは映画の中のフィクションなのですが、ルカが意図的に使徒言行録をこのように終わらせたということは納得できることでした。 

 使徒言行録はパウロの物語ではなく、使徒言行録を読む人々の物語なのだとルカは考えたのです。つまり、今ここにいる私たちの物語だと考えたのです。パウロが二年間、自費で家を借りて宣教をした、そのあとに続く物語がある、地の果てにまで続く物語がある、それを意図して2000年前、ルカは使徒言行録をいったん閉じたのです。いったんルカは筆を置きましたが、さらに書き続けられる物語だとルカは考えたのです。パウロは勇敢に殉教しました、で終わるとそれはパウロの物語になります。しかしそうではない、この物語はのちのすべての信仰者へ向けた物語なのだ、なお地の果てにまで続く物語が続くのだとルカは私たちに語りかけているのです。 

<私たちの聖霊言行録> 

 それにしても、パウロが二年間自費で借りた家に住んだことなど、どうでもいいようなことに思います。しかしここで語られていますことは、この二年間、パウロは自由に妨げられることなく宣教ができたということです。もちろん囚人ではあって、ローマの見張りはついていました。これまでのように、あちこちにいって集会をすることはできなかったかもしれません。しかしそのようななかでも、彼のところに多くの人がやってきて、その人たちに対してパウロは神の国の話をすることができたのです。ここに平安があったということです。立派な邸宅で贅沢をして過ごすのではないけれど、そこには明るい充足感があったのです。パウロの生涯は不自由で苦労だ不自由で苦労だらけのようでありながら、そこに神の平和があった。それがキリストを証しするすべての者に与えられる平和なのだと語られています。 

 そしてまた、私たちも、信仰者だからといって衣食住に関してどうでもいいということはないのです。賃貸であれ持ち家であれ、私たちは多くの場合、それぞれにどこかに住んで生活をします。生活を抜きにした人生、信仰はありえません。世捨て人のように、山里に庵を組んで自給自足の生活をするわけではありません。そういう意味でも、パウロが自費で借りた家に住んだというのは、のちの私たちへの一つのメッセージです。私たちは生活をしながらキリストの証し人とされるのです。世俗から完全に離れて、きよい生活をするのではないのです。それぞれの場で、それぞれのあり方で、交わりの多い少ないの差はあれ、生活の中で人々と交わりながら、信仰生活を送っていくのです。逆に言えば、教会にいる時間だけキリスト者として生きるのではありません。自宅で食事をしている時も、仕事をしている時も、趣味に打ち込んでいる時も、私たちは信仰者として生きているのです。それは四六時中、キリスト者らしく立派に生きなさいということではありません。私たちはすでにキリストの者とされているのです。先週から、聖書日課をお配りしていますが、私たちが日々聖書を読もうが読むまいが、毎日祈ろうが祈るまいが、すでに私たちはキリストの者とされていて、その恵みの中にあるのです。日曜日だけではなく、礼拝や奉仕をしているときだけでなく、余裕がなく神さまのことを思えない時でも、さらには心が神から離れているとき、キリストに反発を覚えているときでも、私たちは神のものなのです。生きる時も死ぬ時も神のものです。 

 この話も何回かしたことですが、私が初めて海外に行ったのはアメリカへの出張でした。海外旅行にその時まで行ったことがなかったのです。初めての海外、初めての海外出張でとても緊張していました。海外出張といってもかっこいいものではなく、泥臭い仕事を朝から晩まで、ホテルに戻ってもしていました。そもそも当時、自分としては望んでいない職場へ異動させられて、くさっていたときでもありました。いろんな意味であまり行きたくなかった出張でした。仕事もたいへんしんどかった一週間の出張の最終日、サンフランシスコに行きました。それまで観光らしいことは全くしていなかったので、その日、現地駐在の方がわざわざ連れて行ってくださったのです。しかし、あいにく土砂降りでした。でも、夕暮れ時に、小高い丘の上に上ったとき、ほんのしばらく雨があがりました。ちょうど陽が落ちるころでした。一瞬雲が切れて、雲の間から射す夕日はとても美しく「ああアメリカの夕日だ」と思いました。夕日はどこでも同じなのですが、そのときは格別に美しく感じられたのです。つくづく思いました。神は望んでもいないところへ連れて行かれる。来たくなかった出張にも連れてこられた。でも悪いことばかりではない、そう感じました。いや悪いことどころか、素晴らしい恵みではないか。私の思いを越えて神の恵みはあるのだ、行きたくないところに連れていかれても、そこに美しいこの夕日のような輝きが見せていただける、祝福がある、これからもずっとあるのだ、そう感じました。 

 これから、私たちはどこへ神さまに導かれていくでしょうか?ローマでしょうか?イスパニアでしょうか?あるいはずっと変わり映えしない同じ場所にいるかもしれません。しかし、どこに連れて行かれても、あるいは同じところにいても、そこに恵みがあります。私たちは神のものだからです。その恵みの内に、地の果てにまで私たちは行きます。神のものとして祝されて行きます。私たちが行けないところへは、また、後に続く人々が行ってくれます。私たちの一人一人の人生もそうですし、教会もそうです。教会も私たちで終わりではありません。私たちが地の果てまでいき、さらに私たちのあとからさらに遠くに行ってくれます。だから安心して私たちは歩き続けます。私たちの聖霊言行録は終わりません。 


使徒言行録第27章

2021-05-23 17:11:22 | 使徒言行録

2021年5月23日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子   

【説教】  

<不安な船出> 

 パウロはいよいよローマへ向けて船出しました。しかし、その旅は、これまで同様、順風満帆とは程遠い過酷なものでした。しかし、ひとつ幸いないことに、この旅にはこの使徒言行録の著者であるルカを始め、マケドニア人アリスタルコも同行しました。アリスタルコは19章でエフェソで騒動が起こったとき共にいた弟子として名前が出ていた人です。この27章から、使徒言行録の記述は、ふたたび「わたしたち」という表現になっています。著者であるルカが共にいたからです。パウロは囚人でありながら、皇帝直属部隊の百人隊長の好意によって、仲間との同行がゆるされ、シドンに入港したときは、その町で友人たちと会うこともできたのです。この船にはパウロ以外にもローマに護送される囚人が乗っていたのですが、27章の記述を読むとパウロは囚人たちの中で特別に扱われていたようです。船の中でおそらく自由にふるまうことがゆるされていたようです。ここにも、神の恵みと配慮があります。 

 しかし、その後の航海は、風の具合が良くなく、船足がはかどらなかったと記されています。神は確かにパウロをローマへと遣わそうとしておられるはずなのに、なぜか、すいすいと船は進まないのです。状況が芳しくない時、私たちは、そもそもこれは神の御心ではなかったのではないかと不安になります。パウロもまったく不安にならなかったわけではないでしょう。そのようななか、のろのろと船は進み、クレタ島の「良い港」と呼ばれる港にどうにか、たどり着きます。ここでパウロは航海を続けることが危険であると主張しますが、受け入れられません。ある意味、これは当然であるかもしれません。パウロは船や航海の専門家ではなかったからです。百人隊長は、専門家である船長や船主の意見に従います。 

 ここで思い出すのは、福音書の複数箇所に書かれている大漁の奇跡物語です。漁師だったペトロたちが一晩中漁をしても魚が獲れなかったのに、主イエスが舟を出しなさいとおっしゃってそれに従って舟を出して漁をすると、とてつもない大漁であったという話です。ペトロは舟や漁の専門家でした。その専門家のペトロが、納得できないながらも、主イエスに従ったら漁のプロのペトロが驚くほどの大漁だったのです。神による大漁でした。これは、専門家の指示を無視して、なんでもかんでも、神さまにお伺いを立ててやったら良いということではありません。しかし、神と共に歩む時、ある種の霊的感性が養われ、これからの歩みへの展望が与えられるのです。人間的には完璧な予定を立てて、万全のつもりであることが、現実には想定外のことが起きてあっけなく崩れ去ることもあります。理屈ではしっかり筋道立てて準備しているのだけど、どうもなんとなくこれはまずそうだ、そのような感覚は与えられるのです。しかしまた、現実はそのような霊的な感覚通りには動きません。パウロが主張しても、専門家の意見の方が通るのです。12節に「大多数の者の意見に」よってとあるように、この世の常識が通るのです。それが現実です。結局、船は船出することになりました。南風が静かに吹いて来て順調に事が進むと人々は思いました。しかし、まもなく、暴風が襲ってきました。「エウラキロン」とは東北風という意味です。クレタ島の2500メートル級の山から吹き下ろす強力な風です。結局、船は漂流しました。人々は積み荷を海に捨て始め、「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しくふきすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。」皆が、絶望するような状況となりました。 

<希望の言葉を述べる> 

 その中でパウロは立ち上がって語ります。「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」専門家である乗組員さえ希望を失っていた時、パウロが皆を力づけました。パウロに対しての人々の反応は書かれていません。皆は意気消沈して反論する元気もなかったのか、少し希望を持って聞いたのかは分かりません。少なくとも、途中でさえぎられることなくパウロは語ったのです。そもそも、プロの船乗りすら希望を失っているとき、希望の言葉を語れるということは素晴らしいことだと思います。そもそも希望とは「命」につながるものです。パウロはだれ一人命を失わないと語りました。私たちは命の確信を持つ時、希望を持ちます。もちろん信仰者はこの地上を越えた永遠の命の確信によって、永遠の希望を持ちます。しかし、ここでパウロはキリストへの信仰を持たない人にも大胆な命への希望を語ります。 

 ところで、少し前に、「明日へのアンサンブル」として昨年演奏されたものをテレビの録画で見ました。新型コロナ感染症の最初の緊急事態宣言ののち、すべての演奏会がなくなった演奏家たちが10名ほど集って演奏をしている場面でした。それぞれに各交響楽団の主席演奏者クラスの人たちでした。本来ならそれぞれの楽団のリーダー的な方々でしたが、すべての演奏会がなくなり、その録画では観客が誰もいないホールで、一人一人の間を開けて立って演奏をされていました。演奏家たちは、このコロナの中で、音楽は不要不急のものか?という問いを突き付けられ、そしてまた現実に各楽団は経済的な打撃を受ける中で悶々と過ごしていました。演奏の途中で、最初の緊急事態宣言の時、人が消えた夜の東京の町の景色も映し出されました。無人の夜の東京の景色を見ながら、思いました。これは一つの絶望の景色だと。当時は今よりも感染者も亡くなった人も少ない状態でしたが、まだ新型コロナというものが今よりも分かっていなくて、不気味な恐怖感があったと思います。人のいない東京のビル街の夜景がその当時の人々の不安を象徴していると感じました。パウロたちのように、嵐の中を漂流し、一寸先の命もわからないような状態ではありませんでしたが、たしかにあの人っ子一人いないビル街の風景には恐怖と絶望があったと思います。その景色を背景にして、奏でられる「明日へのアンサンブル」は演奏家たちのそれまで抑えられていた思いがほとばしって、たいへん熱を感じさせるものでした。そしてそこに一筋の希望が与えられるものでした。そこに人間の命の輝きがあったからです。 

 翻って使徒言行録のなかでパウロは人々を力づけるために音楽を奏でたわけではありません。しかし実際、彼の言葉には力があったのです。彼は神の天使の言葉として語りました。「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。」恐れるなという言葉は、そこに神が共におられるという宣言でもあります。その言葉はパウロへの言葉であり、しかしまたパウロのゆえに神は共にいる人々も救い出されるとおっしゃったのです。パウロが語った言葉ではなく、上から、神から与えられた言葉えした。そこにまことの命がありました。まことの希望の言葉としてパウロは語りました。まことの希望は神から与えられるものです。 

 さて、今日は聖霊降臨日です。使徒信条の2章に聖霊が降臨した時のことが描かれていました。炎のような舌が分かれ分かれに弟子たちの上に降りてきて、弟子たちに言葉が与えられました。福音を語る言葉です。キリストの十字架と復活の出来事を語り、人間に与えられる救いを語る言葉です。まことの希望を語る言葉です。聖霊によって私たちもまた、希望を語る者とされます。嵐の中でも、希望を与える言葉を語る者とされます。 

 もちろん、私たちはパウロのような状況になった時、堂々と希望の言葉を述べられるかどうかはわかりません。しかし、語らせてくださるのは聖霊です。私たちの力ではありません。言葉ではなくても、態度で語ることもできると思います。以前もお話をしたことがある話で、ある教会の信徒さんの話です。戦争中、まだクリスチャンになる前、その人は結核で入院をしていたそうです。日曜日になると病室の窓の下を、近所の教会に向かう人々の姿が見えたそうです。その人は教会やキリスト教に興味は全くなかったのですが、一人、片手のない人が、それはそれは嬉しそうに教会に向かっている姿が見えたそうです。その片手のない人は毎週毎週、嬉しそうに病室の窓の下を通っていったのだそうです。本人は自分が見られていることは気づいてはいなかったのですが、ほんとうにうれしそうだったそうです。毎週その姿を見ていた人は病が癒えて、しばらくして教会に通い出しクリスチャンになったそうです。毎週、誰が見ているとも知らず、嬉しそうに教会に通っていた片手のない方は、意識せず、その方なりの希望の言葉を語っていたといえます。聖霊によって語っていたのです。 

<命の糧> 

 さて、パウロが人々に命は失われないと語ったのち、船は陸地に近づいていました。船員たちは真夜中の暗闇の中でも、長年の勘で、陸が近いことを感じ取ったと思われます。そこで船員たちはひそかに舟から逃げ出そうと小舟を降ろしました。しかし、それに気づいたパウロは百人隊長と兵士たちに船員がいなくなったら残された者は助からないと忠告します。それで兵士たちがその小舟の綱を断ち切りました。護送される囚人に過ぎないパウロが船全体を守るための行動をしたのです。 

 さらにパウロは、夜が明けるころ、皆に食事を勧めました。これは異教徒も交えての食事ですから、愛餐と呼ぶべきもので、聖餐とは異なります。しかし、パウロはここで一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べています。聖餐ではないのですが、神が与えてくださる、神の整えられたものとしてパウロはこの食事を位置づけました。ルカによる福音書の中で有名なエマオへの道の話があります。復活のキリストと出会った弟子たちが、相手がキリストと分からず共にエマオという村まで歩いていくのです。そして村に着いて、食事の場面で、キリストが感謝の祈りを捧げてパンを裂きます。そのパンを裂いた瞬間に弟子たちの目が開け、パンを裂かれたのがキリストだと分かります。パウロもこの食事の場面で、肉体的な栄養補給をするためだけではなく、神と触れてほしいと願ってパンを裂いたのです。パウロはここでもパンを裂くという行為をおもって神から来る希望を示しました。 

 私たちは、この聖霊降臨の日、聖餐に与ります。これは神に与えられた神が触れてくださる場です。聖餐の場には聖霊が豊かに働きます。聖霊はキリストを示してくださる霊です。私たちは聖餐において、聖霊の働きによってキリストの十字架の出来事を知らされます。聖霊によって、小さなホスチアとぶどうジュースがキリストの命を示していることを知らされます。聖餐の場で、キリストが「恐れるな」と語り「髪の毛一本もなくなることはない」と勇気づけられる言葉を聞きます。私たちは聖餐においても、キリストの希望の言葉に触れるのです。キリストの十字架の死と復活によって与えられた希望を知らされます。パウロが嵐の中で神に祈りを捧げ、神の前でパンを裂き、食べたことによって、一同は元気づきました。神が元気を与えてくださったのです。私たちもまた、今から神が整えてくださる聖餐に与ります。そして、聖霊の注ぎの内に、私たちもまた嵐の中でも元気に希望の言葉を語る者とされます。 


使徒言行録第26章19~32節

2021-05-16 14:54:53 | 使徒言行録

2021年5月16日大阪東教会主日礼拝説教「人間には愚かで神には貴いこと」吉浦玲子   

【説教】  

<光を語り告げる人> 

 さて、先週、共にお読みした箇所の最後にところ26章18節にキリストがパウロに語った言葉がありました。「こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである」。彼らとはユダヤ人と異邦人、つまりすべての人です。そのすべての人が罪赦され、恵みの分け前にあずかるようになるためにキリストはパウロに語られました。神を知らず、神に背いていた人間が、その罪を赦され、そして赦されるのみならず、恵みの分け前までも与えられる、そのことのためにパウロはキリストによって伝道者とされました。 

 恵みとは、神と共に生きることです。良き時も悪しき時も、神が共にいてくださり、神と共に歩むということです。喜びの時も試練の時も、神と共にあって、そのすべてのことが豊かなものとされるのです。健康な時も病の時も、若い時も年老いた時も、その日々に神の配慮が満ちているということです。回り道のようなうまくいかない時期でさえ、神の豊かな導きがあるのです。 

 そしてパウロは今日の聖書箇所ではそのイエス・キリストの救いと悔い改めについて自分が語ってきた内容において、預言者やモーセが必ず起こると語ったこと以外は語っていないと言っています。つまり現代でいうところの旧約聖書に記されていることとなんら矛盾をしないことを語っているのだと言っています。 

 ここは特に、イスラエルの王であるアグリッパ王を意識してパウロは語っています。アグリッパ王は、血筋的にも純然たるユダヤ人ではなかったようで、またユダヤ教の熱心な信徒ではありませんでした。しかし、ユダヤの王として、一応はユダヤの律法や伝統はある程度知っていたのです。パウロはアグリッパ王に対して、自分はユダヤの律法や伝統から外れたことをしているのではないのだと言っているのです。ここまでなら、アグリッパ王にも話は通じたかもしれません。しかし、さらにパウロは語ります。「つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」メシアはもともとユダヤ人が待ち望んでいた救い主です。そのメシアが苦しみを受け、復活して、民にも、つまりユダヤ人にも異邦人にも光を語り告げるというのです。 

 光とは救いであり、福音です。まさに闇に射し込んでくる神の恵みです。井戸の奥底に落ち込んでいたような人間にさっと光が射し、救いの手が差し伸べられたのです。その救い主の十字架と復活をパウロは語りました。そしてその光の出来事をメシア自身がお語りになるのです。キリストご自身が救いであり、光であることを、キリストご自身が私たちに示してくださるのです。そのことをパウロは語りました。 

 パウロは熱心に語りました。今日は教会学校で青年が子供たちに説教をしてくださいました。パウロも、現代における牧師もまた信徒も、キリストについて、このようなお方であると語ります。神の恵みはこんなに素晴らしいと語ります。しかし、パウロや現代の牧師や信徒さんが語っているようで、実際に語っておられるのは主イエスご自身なのです。主イエスご自身が光を語り告げてくださっているのです。私たち一人一人が、誰かの前で説教はしなくても、聖書の話を直接にはしなくても、聖霊が働くとき、そして私たちが聖霊によって祈りつつ歩む時、主イエスご自身が私たちにも、そして私たちの隣人にも、光を語り告げてくださるのです。 

<神に貴く人間には愚か> 

 しかし、人間がかたくなな時、主イエスご自身が光を語られても、その言葉を聞きとめることはできません。ローマ総督フェストゥスはパウロが話しをしている途中で大声で言います。「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」と。たしかに聖霊が働かなくては、光の言葉は聞きとることはできません。ユダヤ教徒でなくても、救い主が苦しみを受けるだの、死者が復活するだのということは理解できません。しかし、キリストの死と復活こそが、私たちに救いをもたらすことなのだということは分かりません。キリストの復活を聖霊によって知らされなければ、私たちはまことの命に生きることはできません。 

 そして、まことの命に生かされている者、光の言葉を告げ知らされた者は、キリストを語ります。生き方においてキリストを証しします。しかしそれは必ずしも立派な生き方であったり、尊敬されるようなあり方になるとは限りません。幸い、日本は宗教に対して本質的な理解は薄いながら、キリスト教に対して、それほど否定的ではありません。ミッションスクールやキリスト教系の病院や福祉施設の良き働きによって、キリスト教に対して大きな嫌悪感は持たれていません。世のため人のために奉仕をすることに対しては一般的には良いイメージを持たれているのです。 

 しかし反面、信仰の本質においては理解されないのです。善い行い、優しい態度、献身的な姿勢は評価をされても、キリストの死と復活によって私たちがまことの命に生かされているのだという真理に関しては、「その話はいずれまた」と言われたり、「頭がおかしい」と言われるのです。 

 パウロの言葉は、着飾って物見遊山のように集まった権力者たちには届きませんでした。パウロの粘り強い自分のようにキリストの死と復活を信じてほしいと訴える言葉についに人々は立ち上がって話を打ち切ってしまいます。そして、アグリッパ王は言います。「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもあらえただろうに」。アグリッパ王たちに、キリストの告げる光の言葉は届きませんでしたが、パウロが無実であることは分かったのです。彼らには、パウロが愚かな男に見えました。パウロは鎖につながれること以外においては私のようになってほしいと語りましたが、囚人として実際に鎖につながれ自由を奪われているパウロはただただアグリッパ王たちにとってはみじめな存在でした。彼らにとってパウロはみすみす釈放されるチャンスを逃した馬鹿な奴でした。しかし、神からご覧になったとき、その姿はまるで違います。鎖につながれ、これからローマへと護送される囚人のパウロは光の言葉を聞いた光の子とされています。貴い存在とされています。着飾った裕福で力ある人々は、神の目には愚かな無知な存在なのです。私たちはパウロのようにも生きることができますし、アグリッパ王たちのように生きることもできます。私たちには選択の自由があります。一度選択しても、人間は揺れやすく、どちら側にでも振れるものです。その私たちを導かれるのが聖霊です。 

<キリストを感じられない時> 

 ところで、先週の13日の木曜日は教会暦では主イエスの昇天日でした。いまお読みしています使徒言行録の第1章に主の昇天について描かれています。主イエスがこの地上で宣教をなさり、十字架におかかりになり、復活をなさった、その復活の主のお体が天に上げられました。その主の昇天を覚えるのが昇天日です。そして昇天から10日後が聖霊降臨日です。キリストが天に昇られ、聖霊が降ってくるまでの間の9日間、弟子たちは待っていました。聖霊降臨がいかなるものかは、弟子たちにははっきりとは分からなかったでしょう。しかし、聖霊が注がれるまでエルサレムにとどまるようにという主イエスの言葉に従って、弟子たちは祈りつつ待っていました。キリスト不在の地上で待っていたのです。 

 教会暦で言いますと、いまはまさに聖霊の注ぎを待っていたそのような弟子たちの祈りを覚える時です。聖霊降臨日、聖霊が注がれ、この地上に教会が立ち上がりました。教会は人間が立てたものではありません。初代教会もそののちの教会もそうです。この大阪東教会も神が立てられたのです。ヘール宣教師を始め先達の祈りと努力はあったでしょう。しかし、先立ち歩み働かれたのは神です。 

 しかし使徒言行録によりますと、最初の教会はキリストが昇天をなさって、すぐに立ったのでもありません。キリスト不在の9日間を弟子たちは祈りつつ過ごしました。私たちもまた、祈りつつ待つという時を人生において過ごします。神が何事かを起こされるその前の時、期待しつつ待ちます。ある時はこれから先の展望が見えない、祈っても祈っても答えがなく途方に暮れている時、心折れそうになる時、まったく動きのない現実の中で、キリストの思いがわからないようななか、待ちます。今お読みしています使徒言行録の箇所ではパウロは監禁されています。何度も裁きの場へ引き出され明確な罪を指摘されないまま囚人とされています。主イエスからローマで宣教せよとご指示を受けながら、いっこうに進まないローマへの道のりの中、神がいよいよ事を起こされるその時を、パウロも待っています。 

<聖霊によって希望の道が拓かれる> 

 ところで、使徒言行録は、昨年の5月17日から読み始めました。昨年の聖霊降臨日の2週前、最初の緊急事態宣言発令中のことでした。礼拝は非公開で、当時はリアルタイム配信はできておりませんでした。ですから、ブログや音声で皆さんは読んだり聞いたりなさったと思います。この一年あまり、教会において、コロナ前は当たり前にそれまでやってきたことができなくなりました。皆で共に会堂でお捧げする礼拝も、信仰者同士の交わりも、伝道活動も。いやがおうでも、教会とは何か?信仰生活とは何か?ということを考えさせられたこの一年でした。この一年を、2000年前の生まれたばかりの教会の物語を読みつつ歩むことになったというのは神の導きであったと思います。同時に、この一年は、昇天日から聖霊降臨を待つような、長い長い祈りの一年であったとも思います。繰り返し申してきましたように、使徒言行録は、聖霊言行録です。弟子たちの活躍や初代教会の発展ぶりを、すごいねと読むのではなく、それを導いておられた聖霊の働きを読むべきものでした。次週は聖霊降臨日、そしてその翌週は三位一体主日です。その三位一体主日でこの使徒言行録を読み終えます。神がどのような意図をもってこの世界にパンデミックをもたらされたのかは分かりません。しかしながら、このパンデミックの一年を、聖霊言行録を読みながら歩んできたことは恵みであったと思います。神のご意思を私たちは分かりませんが、しかしなお神は大阪東教会に、そしてこの世界のキリスト者に希望を持っておられます。ペトロやパウロが特別だったから守られたのではなく、神が愛しておられるすべての民に神は聖霊を注ぎ、それぞれのローマへと導かれます。聖霊の風が吹き渡る時、そこには失望ではなく、行き止まりではなく、かならず神の新しい世界が開けることを私たちは聖霊言行録によって知らされてきました。パウロは、周りの人々からは愚か者とみなされ鎖につながれローマへと向かいます。しかし、その歩みは神に導かれ神に貴いものとされ神の光の言葉と共に守られるのです。私たちもローマへ向かいます。聖霊に導かれ光の言葉を聞き、光の言葉を携え、神に貴い者とされて歩みます。 


使徒言行録第25章13~26章18節「復活は捏造か」

2021-05-09 17:16:05 | 使徒言行録

2021年5月9日大阪東教会主日礼拝説教「復活は捏造か」吉浦玲子   

【説教】  

<闇の中にある人々> 

 ローマの総督フェストゥスのもとにアグリッパ王が表敬訪問に来ました。このアグリッパ王はヘロデ大王のひ孫にあたります。ヘロデ大王はマタイによる福音書にでてきますように、主イエスがお生まれになったころ、幼子の主イエスを殺そうとしてベツレヘムの二歳以下の子供たちを虐殺した悪名高い王でした。アグリッパ王はその血を引います。この一族のもともとの出自についてはいろいろな説がありますが、純粋なユダヤ人の血筋ではないといわれます。そして代々、ローマの傀儡として、王であったり領主としてイスラエルを統治していました。そのヘロデ大王のひ孫のアグリッパ王が新しく赴任してきたローマ総督のもとにあいさつに来ました。王といっても実際はローマの支配下にありますから、ローマ総督に王の方から出向いて来たのです。その総督と王の会話に、囚人となっていたパウロのことが話題になりました。前任者が放置していたキリスト教徒に関わる厄介ごとに、新任のフェストゥスは頭を痛めていました。もっとも、パウロ自身が、皇帝に上訴したので、自分自身が直接はパウロの裁きに関わらなくてもよくなったので、フェストゥスとしては少し安堵していました。そのパウロのことは、アグリッパ王との会話にはちょうど良い話題でした。アグリッパ王は興味を持ちパウロと会うことになります。 

 翌日、アグリッパ王は妹のベルニケと共にやってきます。前日にも、アグリッパは、このベルニケと一緒にフェストゥスのところに来ていますが、アグリッパは妹と共に住み、いつも共に行動していました。ここからユダヤ人の間ではこの二人は近親相姦の疑いがもたれていたようです。このベルニケはのちには、ローマ皇帝二代に渡って愛人にもなったようで、彼らはあまり道徳的には感心しない人々であったといえます。ちなみにアグリッパ王の妹のベルニケのさらに妹は、前任のローマ総督のフェリクスの妻となっていました。この結婚は不法なものではありませんが、当時、ユダヤを支配していた人々は、権力において一体となっていたことがわかります。いわゆるずぶずぶの関係です。そして力と富はありましたが、そこには不品行や保身や策略が満ちていたのです。 

 そのような力ある者たちのまえにパウロは引き出されることになりました。フェストゥスには自分には理解のできないユダヤの宗教がらみの問題で捕らえられているパウロをローマに送るにあたって、何らかのレポートを作成しないといけないので、そのための助けをアグリッパ王にしてもらいたいという思いもありました。 

 23節にアグリッパ王とベルニケは盛装して到着して、千人隊長をはじめ、町のおもだった人々がいたとあります。集まった人々にとっては、ちょっとおもしろい見世物を観るような気分であったでしょう。権力と不品行に溺れている人々が、実際のところは罪のない人物を、哀れな囚人として上から目線で見下ろしているのです。この世の力関係でいえば、パウロは無力です。かつての主イエスもまたそうでした。アグリッパのおじのアンティパスも捕らえられた主イエスが連れてこられたとき、興味本位で眺めたのです。主イエスは十字架にかけられ、パウロもこれからローマへ護送されます。権力者から見たら取るに足らない人物に過ぎず、ただひととき、なにか面白いことでも聞けるかと思って眺めているのです。 

<死者は復活したか> 

 そのような場ではありましたが、引き出されたパウロは堂々と弁明を始めます。目の前にいる人々は神を知りたいと願っている人々でもなく、ただ権力と不道徳に溺れているような人々です。それはパウロ自身にもよくわかっていたでしょう。しかしパウロは、この醜い場もまた、キリストを証しするために神から与えられた場であると考えました。彼は自分が回心した経緯を語りました。 

 前半で自分が信じていることは、ユダヤの人々と同じ神の約束なのだと語ります。第26章7節に「私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。」とあるように、アブラハムに始まる旧約の時代から、ユダヤ人たちが信じていた神の救いの約束を自分も信じているとパウロは語ります。神が終わりの日にその約束を完全に果たされるその希望に生きているのだと語ります。それはそもそもユダヤ人に与えられた約束でした。その約束を信じているからといって自分は訴えられているのはおかしいとパウロは語ります。 

 もちろん、パウロが信じていることはユダヤ人がもともと信じていた約束がイエス・キリストの十字架と復活によってすでに成就したという点において、当時のユダヤ人たちと違っていました。ユダヤ人たちは、ずっと救い主メシアの到来を待っていました。その救い主がイエス・キリストとして到来したこと、そしてそのことがキリスト自身の十字架と復活において明らかにされたことを信じる点がパウロたちキリスト者とユダヤ人たちの違いでした。キリスト者を迫害していたユダヤ人たちはキリストがメシアであること、復活なさったことを信じていなかったのです。神から来られたメシアが十字架で罪人としてみじめに死んだなどということは到底受け入れられなかったのです。 

 これは当時のユダヤ人たちや回心前のパウロがおかしかったのではなく、人間として当たり前の感覚です。どうして、死者が生き返ったりするでしょうか?まれに仮死状態からの蘇生ということはあるでしょう。しかし完全に死んだ人間が生き返るなどということはありえません。しかも、パウロの時代の人々は実際にエルサレムでイエスという人間が十字架にかかった事件を知っています。あのイエスが復活しただの、どこからどう見ても人間であった男を神から来ただの、神の子だなどということは許しがたい神への冒涜と感じる方が当たり前なのです。 

<希望の源> 

 ひるがえって、私たちはどうでしょうか?私たちは聖書に書いてあることを無批判に信じてこんでいるんでしょうか?まあそれがキリスト教だからと、多少納得はできないながらも、なんとなくぼんやりと信じているのでしょうか?実際のところ、キリスト教会の中にすら、あちこちに「復活は教会の捏造だ」などという輩がいます。 

 しかし、今ここにいる私たち、そしてまたネットで礼拝を共にしている、主イエスを信じている人々は、信じています。私たちはたしかに、2000年前に人間としてこの世界に来られ十字架で死なれたお方が、確かに復活なさったことを信じています。神の子として来られ救い主として復活されたことを知っています。それは聖書の作り話でもパウロや教会の捏造でもないことを信じています。私たちは皆、キリストと出会ったからです。 

 パウロもまた、自分とキリストとの出会いを語ります。キリストとの出会い、すなわち回心の出来事を語ります。使徒言行録のなかには、パウロの回心の場面は9章と22章にも記されています。それらに比べて今日の聖書箇所の記述は短くなっています。しかし、いくつか独特のところがあります。一つは、ダマスコ途上で当時サウロと呼ばれていたパウロがキリストに呼びかけられたとき、ヘブライ語で語りかけられたという点です。他の箇所ではヘブライ語とは記されていません。これは語りかけられたのが、人間として復活されたキリストであったということをはっきりと示しているのです。天からまか不思議な託宣があったということでなく、パウロ自身が復活のキリストとたしかに出会ったということです。そしてもうひとつの特徴はキリスト自身がパウロへの伝道者としての召しを語られたという点です。 

 キリストはパウロに語ります。「起き上がれ、自分の足で立て、わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。」パウロは天からの光を見、地面に倒されたのです。キリストによって倒されたのです。神の圧倒的な力によって倒されたのです。しかしその倒されたパウロにキリストは「立て」とおっしゃいます。これまでの生き方ではなく、新しく立てとおっしゃったのです。そして新たな使命を与えらえたのです。これをパウロがなにか妙な神秘体験をして勝手な妄想に取りつかれたとか、単純に雷にでも打たれておかしくなったと考えることもできるかもしれません。しかし、私たちはこれが真実であることを知っています。私たちは天からの光は見なかったかもしれませんし、キリストの声は聞かなかったかもしれません。しかし、たしかにキリストご自身が私たちと出会い、私たちを立たせてくださいました。私たちの隠しようのない罪の姿を見せ、私たちを倒され、そして悔い改めの内に立ちあがらせてくださいました。そしてまた試練に打ち倒された時、立たせてくださり、新しく生きていかせてくださいました。 

 さらにキリストはパウロに「それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである」と語ります。人間はもともと、みな謁見室でパウロを興味本位に見下ろしているアグリッパ王やフェストゥスのように闇の中にいたのです。自分たちは自分の足で歩いていると思いながら、サタンに支配されていた哀れな存在、みじめで悲惨な者だったのです。 

 二週間ほど前、昔の友人が亡くなっていたことを知りました。ここ数年は事情があって、音信不通になっていたのですが、昔はとても仲が良かった友人でした。子供が小さいころは家にもよく来てくれて、子供ともよく遊んでくれました。自殺だったようです。とても胸が痛みました。まだ自分の気持ちの中で整理できていないのですが、彼女が光の中で生きてほしかったと残念に思います。同時に、友人と親しかった頃の自分を思い出しました。普通に子育てをして会社で働いていて、別にアグリッパ王たちのような力も何もありませんでしたが、やはり自分はサタンに支配されみじめな者だったと思いだしました。もちろんその亡くなった友人がどうこうということではありません。しかし、自分自身は、あのころ、闇の中にいたとつくづく感じました。あのままキリストに出会っていなければ自分も闇の中で滅んでいただろうと思います。友人がキリストと出会っていたら、と悔やまれてなりません。 

 キリストを信じる者は救われ、光の中に置かれています。その光に照らされるとき、はっきりと分かるのです。キリストの十字架と復活の意味が。暗闇の中にいるときはけっして分からないのです。自分の知恵や力に溺れている時、キリストの復活はただの作り話としか聞こえないのです。しかし、光によって罪が露わにされ、打ち倒された時、私たちははっきりと聞くのです。復活のキリストの「立て」という声を。そして新しい使命をいただくのです。闇の行いを脱ぎ捨てて、光の中を歩み出すのです。復活のキリストともにあゆむとき、私たちもまた光を掲げる者として歩んでいくのです。けっして闇に追いつかれることも闇に落ち込むこともないのです。光の子として歩んでいくのです。 


使徒言行録第25章1~12節

2021-05-02 13:38:33 | 使徒言行録

2021年5月2日大阪東教会主日礼拝説教「裁くのは誰か」吉浦玲子   

【説教】  

<八方はふさがっていても> 

 パウロはローマ皇帝に上訴しました。もともと、どうにかしてパウロを裁きたいユダヤ人たちと、ユダヤ人の機嫌を取りつつうやむやにしたいローマ総督の間で、事態は膠着状態でした。そもそもパウロには訴えられるべき罪はありませんでした。それはローマ総督にも分かっていたのです。しかし、膠着状態は二年続きました。その二年はパウロにとって苦しいものであったと思います。ローマへ行くという願いは叶わぬまま、監禁状態が続きました。確かに神に示されたローマへの道がいったいどうなるのか、神へ信頼しつつもパウロは悩み苦しんだでしょう。 

 ローマ総督がフェリクスからフェストゥスに代わって、少し事態が動きました。フェストゥスは前任者よりもスピーディーに物事を進めたい人物のようです。赴任してきた総督として、ユダヤの有力者たちと早速コンタクトを取り、要望を聞きます。ローマがイスラエルを支配していたとはいえ、植民地の円滑な支配には、植民地イスラエルの有力者たちの協力が必要だからです。フェストゥスはユダヤ人たちがパウロという囚人を裁きたがっていることを知りました。ユダヤ人たちはパウロをエルサレムへ戻して裁きたいと願いましたが、フェストゥスはカイサリアで裁いたら良いと提案しました。ある程度は要望は聞くけれど、ユダヤ人たちの思い通りにはさせないという支配者側のさじ加減がそこにありました。その流れの中で、早速、カイサリアで取り調べが行われます。しかし、そこでも、結局これまでと同じことが繰り返されました。ユダヤ人たちの訴えには力がなく、パウロは明確に反論しているにも関わらず、結局、パウロは無罪放免とされません。その状態をパウロはローマ皇帝に上訴することによって打ち破ろうとしました。 

 これはパウロにとってもイチかバチかの駆けでした。ある意味、追い込まれたともいえます。ユダヤ人たちはエルサレムでの裁きを望み、フェストゥスもそれを提案しました。彼は前任の総督同様、「ユダヤ人たちに気に入られようと」したのです。パウロは政治や権力の力の前で無力に翻弄されていました。しかし、皇帝への上訴という決断によって道が拓けました。神が拓いてくださったのです。 

 ところで、ときどきお話しすることですが、戦中の、大阪東教会の牧師であった霜越四郎牧師は、1941年に不敬罪で逮捕されました。これは無実で、結局不起訴となったのですが、最大拘留期限の90日に渡って拘留されました。その拘留中に作られた短歌が「監房のうちはひろしや八方はふさがりおれど天に通いて」というものです。先生が当時拘留された房が実際広かったのか狭かったのかはわかりませんが、しかしいずれにせよ、天につながっているから広いと先生は歌っておられます。<八方はふさがり>という言葉に、コリントの信徒への手紙のパウロの言葉を思います。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために。コリⅡ4:8-10)パウロは四方と言い霜越先生は八方とおっしゃってますが、しかし、いずれにしても、わたしたちは四方八方がふさがっているようでも、苦しめられても行き詰らないし、途方に暮れるようなことがあっても失望しないのです。パウロはそう語り、霜越牧師もそのように考えておられたのです。なぜならわたしたちはすでに十字架で死なれた主イエスの死をまとっているからです。イエスの死をまとうことは、イエスの新しい命が現れることでもあるのです。 

 それは単純に苦しいことがあっても、イエス様が助けてくださいますよということではなく、主イエスの死と新しい命に与る者は失望しないのです。パウロの時代、信仰深くても殉教する人々はいました。パウロ自身、この使徒言行録の聖書箇所ですでに二年に渡る理不尽な扱いを受けています。さらに最後は殉教したと言われれています。しかし周りの状況はどうであれ、私たちは希望を失わないのだとパウロは語っています。 

 霜越牧師は、拘留中、聖書を読める環境ではなかったようですが、先生の中には間違いなく、パウロのことが浮かんでいたでしょう。四方から苦しめられても行き詰らないというコリント書のパウロの言葉は心にあったでしょう。四方八方はふさがってても天につながっている、天の命に生かされている。まったく恐れや不安がなかったわけではないでしょう。しかし、苦しみの中でパウロと同様、キリストに支えられたのです。天からの慰めを受けたのです。 

<神の慈しみのうちに> 

 さて、パウロは皇帝に上訴しました。当然ながら、皇帝は人間です。しかしまた、当時の世界における最高権力者でありました。その皇帝に対しての上訴がどのような結果をもたらすか、パウロにはわかりませんでした。ある意味、無謀かもしれません。しかし、パウロが皇帝に上訴できたのは、その結果がどうなろうとも、本当に裁かれるお方は神だけであるという確信があったからです。 

 この世の裁き、この世界の判断は、もちろん大切で、場合によっては命に関わることもあります。しかし、パウロを初めとした弟子たちは、神の裁きは、自分の肉体の命以上のものであると分かっていたのです。主イエスは「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 マタイ10:28」とおっしゃいました。この部分を聞くと、恐ろしくなります。私たちはやはり体を殺そうとされたら恐ろしいのです。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな、と言われても、正直、「それは無理です」と言いたくなります。しかしまた主イエスは続けてこうもおっしゃっているのです。「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたはたくさんの雀よりもはるかにまさっている。」主イエスは、一羽の雀さえ、父の赦しがなければ地に落ちることはないとおっしゃいます。魂も体も滅ぼすことのできるお方は、しかし、一羽の雀の命さえも守ってくださるお方だとおっしゃるのです。私たちは、命知らずに困難に立ち向かっていけと言われているのではないのです。まず第一の前提として、神は、私たちの命を慈しみ、髪の毛一本までも数えてすべてをご存知でまもってくださるお方なのです。 

 そのような慈しみは人間にはできないことです。ローマ皇帝にも決してなしえない、愛と慈しみと裁きの力が天の父なる神にはあります。戦争中、官憲の力は絶大だったでしょう。一介の牧師に過ぎない霜越牧師など取るに足りない存在だったでしょう。実際、大阪市内でも、戦争中、逮捕されて殺された牧師はいたのです。しかし、肉体の命以上の裁きがある、そのことを思う時、この地上での困難は耐えられるのです。それは単に、この世で殺されるより地獄の方が怖いんだぞということに怯えて耐えるのではありません。私たちの肉体も魂もすべて神の御手の内にあり、雀一羽すら慈しまれる神の配慮は愛に満ちている、そのことのゆえに恐れることはないのです。 

<キリストの御跡を追う> 

 そしてまたこれまでも申し上げてきたことですが、パウロの歩みは、十字架におかかりになった主イエスの歩みと重なります。たとえばフェリクスやフェストゥスといった総督とパウロとの関わりは、かつての主イエスと当時の総督であったポンテオ・ピラトとの関係に相似しています。かつての総督ポンテオ・ピラトもユダヤ人たちに捕らえられて連れてこられた主イエスに罪がないことは分かっていました。しかしまさにピラトも今日の聖書箇所のフェストゥスと同じように「ユダヤ人たちに気に入られようとして」主イエスに死刑の判決を下してしまいました。使徒言行録の著者であるルカは、パウロが主イエスの道を歩んでいることをはっきりと意識して今日の聖書箇所でも書いています。 

 パウロ自身はある時は意識的に、ある時は、知らぬうちに、主イエスの御跡を追っていました。これは私たちの歩みでもあります。もちろん私たちはパウロのような大伝道者ではありません。霜越牧師のように官憲の前で屈しない精神力も持っていないかもしれません。しかし、それでもなお、私たちはキリストを信じて生きる時、おのずとキリストの御跡を追う者とされるのです。ある友人は、脳出血を起こして体に障害が残りました。それまでは礼拝でオルガンの奉仕をしていたのですが特に左手が動かなくなり、奏楽の奉仕はできなくなりました。彼女は奏楽にすべてを捧げていたといってもようように熱心に奉仕をされていましたから、大変つらかったと思います。でも彼女は信仰によって立ち直りました。礼拝の奏楽はできなくなりましたが、家に訪ねて来る友人と楽しく讃美歌を歌いました。自宅のオルガンで、どうにか動く右手で讃美歌のメロディーを弾きながら彼女はとても楽しそうに歌っていました。病という苦しみを通して、なお、キリストが共にいてくださること、神が慈しみ深いことを彼女は知ったからです。 

 キリストの御跡を追うということは、キリストの十字架のお苦しみを味わうことでもあります。本来、人間は苦しみは避けたいものです。しかし、パウロも病を得た友も苦しみの中でキリストと出会ったのです。キリストの愛、神の慈しみをより深く知ったのです。ですから私たちは苦しみをも恐れる必要はないのです。もちろん苦しいことをやせ我慢する必要もありません。ただ良き時も悪しき時も、神を求めて生きる時、私たちはおのずからキリストの歩んだ道を歩ませていただいているのです。それは神の愛をいっそう深く知る歩みです。