2021年5月30日大阪東教会主日礼拝説教「ゴールを目指して」吉浦玲子
【説教】
<やはり理解しない人々>
ローマを目指していたパウロ一行は、難破して散々な目にあいましたが、結果的には一人たりとも命は失われずマルタ島へ上陸しました。マルタ島には三ヶ月滞在しましたが、その間、パウロは蝮に絡みつかれても無事だったり、また、島の長官の父親を癒したり、さらには多くの島の病人も癒しました。これらは聖書によくある奇跡物語のように読めますが、これらの逸話から、なにより神がパウロを守っておられ、ローマに向かうにあたり必要な物が備えておられることが読み取れます。船が難破して、荷物を失い、身一つでマルタ島に上陸したパウロたちでしたが「彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。」とあるように、島の人々を通して神が必要を整えてくださったのです。
さて、パウロは、その後、ようやくローマへと到着しました。死を覚悟してパウロがエルサレムへ向かってから二年以上かかりました。船出してからも数カ月かかったのです。そのたどり着いたローマで何が起こったか?騒動や迫害が起こったとは書かれていません。ただローマでも、主イエスを信じる者と信じない者がいた、ということが書かれています。
パウロはこれまで新しい土地に行ったときと同様にその土地にいるユダヤ人たちと集会を持ちました。そのなかでパウロは「わたしは民に対しても先祖の慣習に対しても、背くことは何一つしていない」と、ユダヤの伝統や律法に何一つ違反していないことを語りました。ローマ人は自分を釈放しようとしたけれどユダヤ人が反対をしたのでやむを得ず皇帝に上訴したのだと説明します。さらに「同胞を告発するためではありません」とユダヤ人社会へ反旗を翻しているわけではないことも語りました。迎えたユダヤ人側は「分派」と呼ばれていたイエス・キリストを信じる者たち、つまりキリスト教徒については聞いていたこと、またその「分派」には反対が多いことを知っていると語りました。しかし、パウロに対して特に悪い先入観はもっておらず、ひとまず話を聞いてみようという穏健な態度でした。その後、集会が持たれましたが、さきほど申しましたように、信じる者と信じない者があったのです。結局、集会は物別れに終わったのです。
苦労に苦労を重ねてローマまで来て、はかばかしい成果はあげられなかったように見えます。パウロはイザヤの言葉を引用して去ろうとするユダヤ人たちに対して、ことに信じようとしなかった人々に対して語ります。「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」これはイザヤ書第6章にある言葉です。預言者イザヤが、神によって預言者として召される場面で語られる言葉です。実は新共同訳聖書のイザヤ書の第6章9節を読みますと少し違う言葉が書かれています。「行け、この民に言うがよい。よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな、と」。つまり神はイザヤにへ民に対し「理解するな、悟るな」と語れと言っているように読めるのです。これは神の言葉を預かる預言者の困難さを示す言葉です。神の救いを説いても、人間は受け入れようとしない、理解も悟りもしない、しかしなお預言者はその不毛な働きをせねばならない、そう神は語っているのです。理解しようとしない民に語ることは「理解するな」と語ることと同じことだ、それほどに民は頑迷なのだとイザヤに神はお語りになっているのです。そのイザヤへの神の言葉は、パウロへの言葉でもありました。これまでも何回もパウロは経験してきたことです。リストラでもエフェソでも、時として、命すら落としかねないような、実際半死半生の目にあうようなユダヤ人の攻撃にあってきたのです。しかしなおパウロは同胞であるユダヤ人の救いのために語りました。語らざるを得なかったのです。イザヤと同様、神が語らされたからです。神の救いを語ることは、良き知らせを告げることです。良き知らせを告げるならば、多くの人が喜び、そこに平和で麗しい共同体が立ち上がるように思います。しかし、神の良き知らせは、多くの人間にとっては、けっして良い知らせではないのです。良き知らせを良きものとして受け取るには、神の方を向き、神に立ち帰る必要があるからです。しかし、人間は、神を向き神に従うよりも自分のやり方、自分の考え、自分の力で生きたいのです。神に特別に選ばれていたはずのユダヤ人もそうでした。神にほんとうに従って生きるのではなく、自分の力で律法を守る、自分の行いで救いを得る、そう考えていたのです。これは現代においても変わらぬことです。人間は神に従うよりも自分を頼りにするのです。自分の行いで天国を勝ち取ろうとするのです。それは教会に中においても同様です。
<中途半端な幕切れ>
結局、パウロはローマまで苦労してやってきて、これまでと同じことを経験しました。そもそも、一年に渡って読んできました使徒言行録の最後に当たる部分に書かれていることは「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」です。
ローマで宣教が進み、教会が大発展した、とか、パウロがローマ皇帝の前ではなばなしく証をした、というようなことは書かれていません。ただ自費で借りた家に丸二年住んで主イエス・キリストのことを教え続けた、とだけ書かれています。少々尻すぼみのような、不完全燃焼のようなすっきりしない最後です。
パウロはローマで処刑されたと言われています。もっともイスパニア、今のスペインにまで行って伝道をしたという説もありますが、ローマで処刑されたという説の方が優勢です。著者であるルカは、敢えて、パウロが主イエス・キリストについて教えた二年間ののちのことには触れていません。処刑されたとしたら、結局、パウロは熱心に宣教したけれども報われなかったという印象を与えるから、敢えて、不幸な結末をルカは書かなかったという人もいます。しかしそうなのでしょうか?不幸な結末を伏せるために、なんだか中途半端な終わり方でルカは使徒言行録を閉じたのでしょうか?そうではないと思います。この終わりかたこそ、ルカを用いて神が私たちに与えてくださった使徒言行録のあり方なのです。
ところで、繰り返し申し上げたように、使徒言行録は聖霊言行録であって、使徒たちの武勇伝や初代教会のすばらしい発展のさまを書いたものではありません。聖霊なる神の働きを記したものです。そしてまた、使徒言行録の第一章にある主イエスの言葉の成就を記したものです。第一章にある主イエスの言葉はこうでした。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、そして地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」聖霊が降ると、あなたたちは地の果てに至るまでわたしの証人となると主イエスはおっしゃっています。その第一章の主イエスの言葉に対して、この最終章の終わり方は呼応していないようにも感じます。当時のパウロにとってローマこそが地の果てだったのでしょうか?いえそうではありません。パウロ自身、ローマの信徒への手紙の中で、ローマを経由してイスパニアまで行きたいと語っています。パウロにとって、もともとはローマは終着の場所、地の果てではありませんでした。
フィクションですが、2018年の映画に「パウロ―愛と赦しの物語」というものがありました。この映画はローマでのパウロの最後の日々が描かれています。皇帝ネロによるキリスト教徒への残酷な迫害のなか、最後は斬首刑となるパウロとそれを支えるルカの物語でした。ルカは、残される信徒たちのために使徒言行録を記そうとしています。獄中にいるパウロのところに忍び込んでルカはパウロと様々な話をします。そして書こうとしている使徒言行録の最期は「自費で借りた家に二年住んで、神の国を宣べ伝えた」ということにしようとルカはパウロに提案します。その場面でパウロもルカも和やかに語るのです。映画全体は明るいものではありませんでしたが、この場面には不思議な印象を持ちました。もちろんこれは映画の中のフィクションなのですが、ルカが意図的に使徒言行録をこのように終わらせたということは納得できることでした。
使徒言行録はパウロの物語ではなく、使徒言行録を読む人々の物語なのだとルカは考えたのです。つまり、今ここにいる私たちの物語だと考えたのです。パウロが二年間、自費で家を借りて宣教をした、そのあとに続く物語がある、地の果てにまで続く物語がある、それを意図して2000年前、ルカは使徒言行録をいったん閉じたのです。いったんルカは筆を置きましたが、さらに書き続けられる物語だとルカは考えたのです。パウロは勇敢に殉教しました、で終わるとそれはパウロの物語になります。しかしそうではない、この物語はのちのすべての信仰者へ向けた物語なのだ、なお地の果てにまで続く物語が続くのだとルカは私たちに語りかけているのです。
<私たちの聖霊言行録>
それにしても、パウロが二年間自費で借りた家に住んだことなど、どうでもいいようなことに思います。しかしここで語られていますことは、この二年間、パウロは自由に妨げられることなく宣教ができたということです。もちろん囚人ではあって、ローマの見張りはついていました。これまでのように、あちこちにいって集会をすることはできなかったかもしれません。しかしそのようななかでも、彼のところに多くの人がやってきて、その人たちに対してパウロは神の国の話をすることができたのです。ここに平安があったということです。立派な邸宅で贅沢をして過ごすのではないけれど、そこには明るい充足感があったのです。パウロの生涯は不自由で苦労だ不自由で苦労だらけのようでありながら、そこに神の平和があった。それがキリストを証しするすべての者に与えられる平和なのだと語られています。
そしてまた、私たちも、信仰者だからといって衣食住に関してどうでもいいということはないのです。賃貸であれ持ち家であれ、私たちは多くの場合、それぞれにどこかに住んで生活をします。生活を抜きにした人生、信仰はありえません。世捨て人のように、山里に庵を組んで自給自足の生活をするわけではありません。そういう意味でも、パウロが自費で借りた家に住んだというのは、のちの私たちへの一つのメッセージです。私たちは生活をしながらキリストの証し人とされるのです。世俗から完全に離れて、きよい生活をするのではないのです。それぞれの場で、それぞれのあり方で、交わりの多い少ないの差はあれ、生活の中で人々と交わりながら、信仰生活を送っていくのです。逆に言えば、教会にいる時間だけキリスト者として生きるのではありません。自宅で食事をしている時も、仕事をしている時も、趣味に打ち込んでいる時も、私たちは信仰者として生きているのです。それは四六時中、キリスト者らしく立派に生きなさいということではありません。私たちはすでにキリストの者とされているのです。先週から、聖書日課をお配りしていますが、私たちが日々聖書を読もうが読むまいが、毎日祈ろうが祈るまいが、すでに私たちはキリストの者とされていて、その恵みの中にあるのです。日曜日だけではなく、礼拝や奉仕をしているときだけでなく、余裕がなく神さまのことを思えない時でも、さらには心が神から離れているとき、キリストに反発を覚えているときでも、私たちは神のものなのです。生きる時も死ぬ時も神のものです。
この話も何回かしたことですが、私が初めて海外に行ったのはアメリカへの出張でした。海外旅行にその時まで行ったことがなかったのです。初めての海外、初めての海外出張でとても緊張していました。海外出張といってもかっこいいものではなく、泥臭い仕事を朝から晩まで、ホテルに戻ってもしていました。そもそも当時、自分としては望んでいない職場へ異動させられて、くさっていたときでもありました。いろんな意味であまり行きたくなかった出張でした。仕事もたいへんしんどかった一週間の出張の最終日、サンフランシスコに行きました。それまで観光らしいことは全くしていなかったので、その日、現地駐在の方がわざわざ連れて行ってくださったのです。しかし、あいにく土砂降りでした。でも、夕暮れ時に、小高い丘の上に上ったとき、ほんのしばらく雨があがりました。ちょうど陽が落ちるころでした。一瞬雲が切れて、雲の間から射す夕日はとても美しく「ああアメリカの夕日だ」と思いました。夕日はどこでも同じなのですが、そのときは格別に美しく感じられたのです。つくづく思いました。神は望んでもいないところへ連れて行かれる。来たくなかった出張にも連れてこられた。でも悪いことばかりではない、そう感じました。いや悪いことどころか、素晴らしい恵みではないか。私の思いを越えて神の恵みはあるのだ、行きたくないところに連れていかれても、そこに美しいこの夕日のような輝きが見せていただける、祝福がある、これからもずっとあるのだ、そう感じました。
これから、私たちはどこへ神さまに導かれていくでしょうか?ローマでしょうか?イスパニアでしょうか?あるいはずっと変わり映えしない同じ場所にいるかもしれません。しかし、どこに連れて行かれても、あるいは同じところにいても、そこに恵みがあります。私たちは神のものだからです。その恵みの内に、地の果てにまで私たちは行きます。神のものとして祝されて行きます。私たちが行けないところへは、また、後に続く人々が行ってくれます。私たちの一人一人の人生もそうですし、教会もそうです。教会も私たちで終わりではありません。私たちが地の果てまでいき、さらに私たちのあとからさらに遠くに行ってくれます。だから安心して私たちは歩き続けます。私たちの聖霊言行録は終わりません。