大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

エレミヤ書23章1~8節「主は我らの救い」

2020-11-29 16:06:28 | エレミヤ書

202011月29日大阪東教会主日礼拝説教「主は我らの救い」吉浦玲子 

 

【聖書】 

 「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。 

 「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。 

 見よ、このような日が来る、と主は言われる。 

 わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と恵みの業を行う。 

 彼の代にユダは救われ/イスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。 

 それゆえ、見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもはや、「イスラエルの人々をエジプトの国から導き上った主は生きておられる」と言って誓わず、「イスラエルの家の子孫を、北の国や、彼が追いやられた国々から導き上り、帰らせて自分の国に住まわせた主は生きておられる」と言って誓うようになる。 

 

【説教】 

<群れを散らす牧者> 

 今年のアドベントは、旧約聖書からキリストの到来について味わってみたいと考えています。旧約聖書というのは単にキリスト到来以前の歴史や律法を記したものではありません。よく言われるのは「新約の光に照らして旧約聖書を読まなくてはならない」ということです。旧約聖書を、旧約聖書のみで完結した書物として読みますと、分からないところがあるのです。旧約聖書には、多くのキリスト到来の預言があります。また預言とは異なるのですが、明らかに、新約の時代の出来事を暗示しているような事柄もあります。新約聖書の光に照らして読むと旧約聖書は深く味わえるのです。もちろん逆に新約聖書を読む時は旧約聖書を土台として読みます。出エジプトやバビロン捕囚といったイスラエルの歴史や律法の言葉によって新約聖書の語ることの背景が理解できます。聖書は旧約、新約両方が互いに結びついて、立体的にキリストを語っているのです。キリスト到来の意味や、十字架、復活の意味も、旧約聖書を知ると、より深く味わえるのです。 

 さて今日、神に与えられています聖書の箇所は、エレミヤ書になります。エレミヤはイスラエルの多くの預言者の中で、特に、南ユダ王国の滅亡を預言し、実際に国の滅亡を体験した預言者です。「涙の預言者」と言われます。このままでは神の裁きが起こる、神に立ち帰れと繰り返し警告を発したにも関わらず、迫害され、嘲笑された預言者です。 

 今日の聖書箇所は、22章までの、国家存亡の危機にあるユダ王国の王たちへの裁きの預言から続く箇所になります。今日の聖書箇所の後半には国が滅んだのちの希望が記されています。最初の2節は、「群れを滅ぼし散らした牧者」への批判が書かれています。これは、前の章からの関連でいえば、神に立ち帰ることのなかった王や王を取り巻く権力者を指します。 

 さきほど、エレミヤの預言は人々から顧みられなかったと申しました。エレミヤが預言すればするほど人々はエレミヤを罵り、笑い者にし、迫害を加えました。そんなエレミヤに、いよいよ戦局が思わしくなくなった頃、王の重臣たちが神の託宣を求めてやってきたことが21章に記されています。あれほどエレミヤを迫害し、それまでエレミヤの言葉を聞いていなかった権力者たちが、いよいよ国が危機に見舞われた時、エレミヤに伺いをたてに来たのは皮肉なことです。しかし、この期に及んでも、彼らがエレミヤのところに来たのは、神の奇跡によって勝利できるという預言を求めたからです。言ってみれば神風が起こると預言してほしいと願ったのです。実際、エレミヤに先立つイザヤの時代、アッシリアに攻められていたイスラエルは、イザヤが預言したように奇跡的な大勝利を得ました。センナケリブの戦いとして有名なものです。エレミヤにもまたイザヤの時のような、センナケリブのような奇跡が起こるという言葉を語ってほしかったのです。彼らは自分たちに都合のいい言葉を聞きに来たのです。これまでいくたびもイスラエルを救ってくださった神は、今度も救ってくださるに違いない。しかしその期待は裏切られました。エレミヤは神の厳しい裁きの言葉を語りました。「群れを散らす牧者」を神はお赦しになりません。個人の罪以上に、特に権力者の罪を神は厳しく問われます。なぜなら権力は、その本人が意識しているにせよ、意識していないにせよ神によって与えられているからです。力を与えられた者は、それにふさわしい責務を負います。力なき弱き者、貧しい者を助け、正しく導く責任があります。しかし当時のユダ王国の牧者たるべき王たち、重臣たちは、弱い羊たちを守るどころか散らしてしまったとエレミヤは語ります。実際、王国は滅び、バビロンへと人々は捕囚として囚われていくのです。(ノブレス・オブリージュ) 

<正しい若枝> 

 さて、「群れを滅ぼす牧者」によって荒らされ、羊たちが散らされた土地に、正しい牧者が立てられることをエレミヤは語ります。その牧者のゆえに「群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と語ります。牧者たる羊飼いは、群れを守ります。かつて羊飼いだったダビデがそうであったように群れの羊に害を与える狼や野獣と牧者は戦い、守ります。パウロが「残忍な狼」と語った異端的な者とも牧者は戦い、群れを守ります。 

 その牧者は「正しい若枝」と呼ばれます。これこそがダビデの子孫として与えられる救い主です。イエス・キリストが若枝として起こされるというのです。その若枝たるイエス・キリストは「主は我らの救い」という称号、呼び名を得ると語られています。これは「主は我々の正義」とも訳せる言葉です。実は南ユダ王国の最後の王の名前が「ゼデキヤ」で、これは「主はわたしの正義」という意味でした。しかしその「主はわたしの正義」という名を持つ王は国を滅ぼし人々を散らしました。それに対し「主は我らの救い」また「主は我々の正義」という呼び名は、ユダ最後の王、ゼデキヤを揶揄する意味もあります。そしてそのような愚かな人間の王ではない、まことに完全な王、まことの正義と救いを成就される方がやってくると語られています。正義とは神の愛を成就する力です。救いを完成させる力です。 

 いまテレビで戦国時代を舞台にした大河ドラマ「麒麟がくる」が放映されていますが、主人公の明智光秀をはじめ、多くの人は、世の平和を望んでいるのです。考えや立場は違っても、また戦が職業であるような武士であっても、好き好んで殺し合いや町の破壊をしたいわけではなかったのです。しかし、人間の歴史の中では、平和を得るためという大義によって戦争が繰り返されてきました。人間の正義を貫くための戦いが行われてきました。たしかにそこに命をかけて正義を求め、平和を求めて来た人々がいたのです。しかし結果的には、戦いや政治的力によって一方が一方を押さえつける形でのかりそめの平和が繰り返されてきました。この世では、正義とは勝ったものが正義であり、力あるものが正義でした。 

 しかし、正しい若枝がもたらす正義は、誰かが誰かを押さえつけることによって成立する正義ではありません。神はだれかを押さえつけて正義を立てられたわけではありません。むしろご自身を押さえつけられました。ご自身を殺して、正義を立てられました。神であり人間であられたキリストが十字架で死なれた、そのことによって正義が立てられ、平和が与えられました。クリスマスの出来事は神の御子がかわいらしく動物小屋で飼い葉桶に眠っている牧歌的なお話ではありません。ご自身を十字架に捧げるために神ご自身がこの世界に来られた、それがキリストの第一の到来でした。そして、神は私たち人間を絶対服従によって支配をなさいません。私たちは自由な意思が与えられ、自由な判断をすることが許されています。その自由の中で私たちは神の正義を受け入れていくのです。 

<私たちが帰る場所> 

 今日の聖書箇所後半では、人々が帰って来るという表現がされています。「主は我らの救い」と呼ばれる方は、散らされた人々を連れ帰ってくださるのです。これは国が滅び、離散した人々が、故国が再建されて戻って来るというイメージです。ちなみに私の母は、満州に住んでいました。戦後、日本に引き揚げて来たそうですが、敗戦の混乱の中の帰国はたいへんな困難を伴ったと聞きます。そのような体験をした人々には故国へ帰って来るというイメージが湧きやすいかもしれません。単に旅行から帰って来るというのではなく、戻れないはずだったところに戻っていくニュアンスがあります。ちなみに母は、博多に上陸する船で帰国したそうですが、博多湾に入ったところで乗員の中にコレラが発生して、博多の港を目前にして数日上陸できなかったそうです。命からがら帰って来てようやく日本の地を目前にして、上陸できなかった。何日も船に足止めされた引揚者に、何回か陸から差し入れがあったそうです。その差し入れは白いご飯のおにぎりだったそうです。戦後の大変な時代に、白いご飯が食べられたこと、引き揚げ船の上で博多の町を見ながらたべたおにぎりのことを母はよく話していました。満州から帰ってきた人々がおにぎりを複雑な思いで食べたように、イスラエルの人々も廃墟となった故国に戻って来て、さまざまな思いがあったかと思います。 

 しかしそれは新しい時代の始まりでした。<「イスラエルの人々をエジプトの国から導き上った主は生きておられる」と言って誓わず、「イスラエルの家の子孫を、北の国や、彼が追いやられた国々から導き上り、帰らせて自分の国に住まわせた主は生きておられる」と言って誓うようになる。>エジプトの国から導き上りとは、旧約聖書における最大の神の救いを描いた出エジプトの出来事を指します。しかし、「主は我らの救い」と呼ばれる若枝によって、新しい救いが起こるというのです。それは新しい時代の、新しい出エジプトの出来事でした。旧約から新約へと時代が開かれる出来事だと、預言者はここで語っているのです。エレミヤはエレミヤ書31章でもさらに踏み込んで、「新しい契約」について言及しています。紀元前6世紀にすでに、新約の時代が来ることを語っているのです。それは、神を見失いさまよっていた人々が、神によって、新しい約束された場所へと戻っていく時代です。私たちもまた、神によって、約束の地へと導き上っていただく神の民とされました。 

<アドベントは悔い改めの季節> 

 ところで、クリスマスには二重の意味があります。2000年前にお越しになったキリストの到来を祝うことと、やがてふたたびお越しになるキリストを待ち望むことの二つです。神学者の芳賀力(つとむ)先生は、現代のアドベントにおいては前者のみが強調されていると語っておられます。すでにお越しになったキリストを祝うことはもちろん大事なことですが、ふたたびキリストがお越しになること、つまり再臨への待望が薄れていると言われます。なぜ再臨への待望が薄れているかというと、再臨は、裁きの時だからです。そして裁きの前に私たちは悔い改めを求められるのです。ですから教会の暦から言いますと、このアドベントの時期は悔い改めの時期とされるのです。再臨を待ち望むとき、それはおのずと悔い改めが求められるのです。しかし、町にクリスマスソングが流れるアドベントの時期には人々は喜ばしい雰囲気を求めます。ですから厳しい裁きのイメージは敬遠されるのです。裁きがなければ悔い改めもありません。ただクリスマスソングに乗って美しいイルミネーションを見上げる楽しい雰囲気だけを私たちは求めてしまうのです。しかし、本来、私たちの本当の喜びの根拠は再臨にこそあります。それは救いの完成の時だからです。 

 キリストは「悔い改めよ。天の国は近づいた。」と福音宣教の第一声として語られました。悔い改めとは神の方を向き、神の言葉を聞くことです。心素直に神の言葉を聞くのです。聖霊によって聞かせていただくのです。エレミヤのところへ神風が起こってほしいというような預言を求めてきた王のように、神が自分の都合の良いことをなさってくださることを求めるのではないのです。 

 心素直に静かに神の言葉に聞くとき、私たちは神の救いの言葉、ほんとうの慰めの言葉を聞きます。日々の重荷を解き、新しい力を与えてくださる言葉を聞きます。たしかに天の国は近づいたからです。2000年前、キリストの第一の到来によって天の国は近づきました。以来、礼拝は天の国の先取りであり、私たちの日々も、神と共に生きる時、天の国の先取りと言えます。しかしそれで終わりではありません。私たちはいま、すでに救いの完成の港に入っています。戦後引き揚げてきた人々が故国の港に入り、白いおにぎりをいただいたように、私たちも救いの港にすでにいて、そこで日々恵みの糧をいただいています。しかしそれで終わりではないのです。私たちには上陸すべき故郷があります。今日与えられている恵みを感謝しつつ、顔を上げると、眼前にはなつかしい故郷であり、故国、キリストが準備してくださった帰るべき場所が見えるのです。もちろんそれはいまはまだ、霧の中におぼろにしか見えないかもしれません。しかしたしかにそこに天の国はあるのです。ふたたび来られるお方が、その天の国へと私たちの船を導いてくださいます。アドベントは到来という意味です。私たちはふたたび到来されるお方を今待ち望みます。 


使徒言行録第15章36節~第16章5節

2020-11-22 13:58:53 | 使徒言行録

202011月22日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子 

【聖書】 

 数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。 

 パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。 

【説教】 

<さあ、出かけよう> 

 第一回目の宣教旅行の後、アンティオキアの教会はユダヤから来た人々によって混乱をしました。パウロたちはそのためにエルサレムに出向き使徒会議に出席し、その決議の結果を携えてアンティオキアの教会に戻ってきました。その決議によってようやくアンティオキアの教会に平穏が訪れたのです。しかし、パウロはそこでとどまろうとはしませんでした。「数日の後」に、「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」というのです。パウロの宣教と牧会への情熱はとどまるところがありませんでした。 

 しかし、これは単にパウロが伝道熱心でえらいということではありません。本来、教会は主イエスが使徒言行録第1章で「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」とおっしゃったように、キリストの証をし続ける存在として召されている存在だからです。つまり教会はキリストの言葉を聞き、キリストの言葉を伝え続ける存在です。それはパウロの時代も現代も変わりません。実際、この大阪東教会も、かつて複数の新しい教会を生み出しました。この大阪市中央区から東や西へ新しい宣教地を開拓しに出て行ったのです。 

 教会はどっかりと腰をおろして、内向きに集まって、お茶を飲んでおしゃべりする所ではありません。神の言葉を聞き、神の言葉を伝えるところです。キリストを証し、あらたな証し人を増し加えていく所です。次週からアドベントが始まります。今年は新型コロナウィルスによる感染防止のため、例年行っていたことがほぼできなくなります。しかしこれはひとつの神が与えてくださったチャンスです。私たちは本来のアドベントのあり方に立ち帰らなくてはなりません。主を待ち望むとはどういうことなのか、この罪に満ちた世界に、神であるお方が人間となって、来てくださったとはどういうことなのか、祈りのうちに深く思い巡らせねばなりません。和やかな祝会がなくても美しいギャンドルサービスがなくても、確かに輝いている神の光を見るのです。多くの教会のクリスマスは大阪東教会に限らず、この世の世俗的なクリスマスに少なからず影響されていたといえるでしょう。いまこそ、立ち帰るべきです。アドベントは悔い改めの期間でもあります。私たちはこれまでのあり方を悔い改めるのです。どっかと腰を降ろしてお茶を飲むのではないとさきほど申し上げましたが、しかし、いたずらに外に出ていったり、教会の広報活動をすることだけが宣教、伝道ではありません。私たちは悔い改めつつ、神の恵みの前に立ちます。宣教は、なにより、一人一人が神の恵みを味わい、良きキリスト者とされていくことが基盤なのです。今日の聖書箇所で、パウロはこれまで開拓、伝道した諸教会をまた訪問しようと計画していますが、それは、まだ生まれたての諸教会を巡り、そこに集う皆を励まし、その信仰を育むことこそが、その諸教会が宣教する教会として成長するために大事なことだと考えているからなのです。 

<別れと旅立ち> 

 そのなかで、意見の対立が起きたことを聖書は伝えます。ヨハネと呼ばれるマルコを連れて行くか行かないかということでバルナバとパウロは揉めたのです。ヨハネと呼ばれるマルコは以前の宣教旅行のとき途中で帰ってしまった弟子でした。使徒言行録の13章に、キプロス島での伝道を終え、パンフィリア州に上陸したところでこの弟子はパウロとバルナバから離れてエルサレムに還ったのです。パウロは前回、途中で脱落したような者を連れて行くべきではないと主張し、バルナバは連れて行きたいと願ったのです。このマルコはバルナバのいとこにあたる人でした。バルナバには肉親の情があったのかもしれません。いずれにせよ、結局、パウロはシラスを連れ、バルナバはマルコを連れ、別々に旅行にでます。 

 そもそもバルナバはパウロにとっては恩人ともいえる人です。もともとキリスト者を迫害していたパウロは、エルサレムの使徒たちからなかなか受け入れられませんでした。しかし、バルナバが仲介してくれて、パウロはエルサレムの使徒たちから向かえ入れられるようになりました。年齢もパウロより上で信仰歴も長かったバルナバは当初、先輩としてパウロを導いたと思われます。すぐにパウロは頭角を現し、宣教の中心的役割はパウロが担うようになりました。しかしなお、パウロとバルナバは、共に宣教を担う仲間、同労者でした。その二人が別れて働くというのは、双方にとって痛手であったと考えられます。 

 初代教会のリーダーたちと言えども、喧嘩して、物別れして、別々に行動するということを人間臭いことととらえるべきでしょうか。聖書の文面にはそれ以上のことは書かれておらず、この対立に関して、パウロが厳しすぎるとも、バルナバの判断が甘いとも言えません。そもそも使徒言行録は、伝道者たちの活躍や人間模様を描く意図は全くないからです。使徒言行録は、何回も申し上げましたように、聖霊言行録です。初代教会の上に働かれた神の業を描くものです。この対立と別れの上にも神が豊かに働かれたことを使徒言行録は伝えるのです。しかし、いぜれにせよ、かつて心を一つにしていた者がわかれてしまう、共に歩めないということは不幸なことです。それは人間の愚かさかもしれません。しかしその愚かさを越えて、神は働かれます。人間の愚かさをも神は用いられます。 

 そう考えます時、私たちは対立を恐れるべきではありません。キリスト者にありがちな誤解の一つに、キリスト者は柔和で寛容でなくてはならない、だから喧嘩してはいけない、相手を受け入れなさいという考えです。むしろ、私たちは神に信頼をして、信仰や伝道の根幹に関わることに関しては、妥協をせずしっかりと議論をすべきなのです。 

 横浜指路教会の藤掛牧師はこの箇所について、このようにおっしゃっています。「信仰の核心に関わる場合、福音の真理が曲げられてしまうような場合には、私たちはむしろ断固として自分の確信を貫き、主張すべきなのです。それによって人間関係がうまくいかなくなることがあっても、真理を曲げるべきではないのです。」 

 もちろんやたらめったら人間関係を壊していいということではありません。しかし、私たちは人間関係を越えて働かれる神に期待すべきなのです。実際のところ、パウロとバルナバは袂を分かちましたが、逆に言えば、結果的には宣教活動が二手に分かれ、より広範囲な活動ができるようになったともいえるのです。そして何より大きなことは、パウロのこれから始まる二回目の宣教旅行は、パウロ自身が意図せず、ヨーロッパへ足を踏み入れるという歴史的な旅行となります。神のご計画は人間のちっぽけな思いを越えていくのです。 

 そしてまた、神が働かれる時、ひととき壊れたように見える人間関係も、不思議なことにやがて修復されるのです。マルコは迫害の激しい大陸の地域ではなく、バルナバの故郷でもあり、先の宣教旅行で総督がキリスト者となり、比較的平穏な状態で宣教ができるキプロス島での活動を通して成長することができたようです。テモテへの第二の手紙の4章11節にはパウロの言葉として「マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです」と記されています。使徒言行録に記されている対立の後、時を経て、パウロとマルコは和解したのです。むしろマルコはパウロにとって、自分を支えてくれる大事な同労者となったのです。 

<神の慰めのうちに> 

 とはいえ、バルナバと別れて宣教旅行を始めたパウロには痛みと挫折感があったと思います。しかし、そんな彼に、新しい協力者が与えられました。一人は先ほど述べましたエルサレムからやってきたシラスです。アンティオキアの教会が混乱し、その収拾のためにエルサレムから派遣されてきた人です。アンティオキアの教会の混乱は不幸なことでしたが、その混乱のゆえに、シラスという新しい協力者が与えられました。ここにも神の不思議な配慮があります。さらに宣教先のリストラでテモテという人物と知り合います。先ほど紹介しました「テモテへの手紙」という書簡が残っていますが、テモテもまた、パウロが愛した若い弟子でした。 

 神は必要を満たしてくださる方なのです。私たちの歩みは自分で自分の必要をすべて満たさないといけないとするならたいへん厳しいものとなります。パウロとバルナバが対立したように、私たちの日々にもうまくいかないことが多々あります。その都度、すべて自分で責任を負うのではありません。自分の限界を認めて、神にゆだねて次に行くのです。それは逃げでも辛抱が足りないということでもないのです。神は挫折の中で、パウロにシラスとテモテを与えられたように、私たちにもまた新しい出会いや恵みを与えてくださいます。 

 ことにこのテモテとの出会いはパウロを慰めるものでした。といいますのは、前回、リストラ宣教は、パウロとバルナバが足の不自由な人を癒したことから、最初、二人がギリシャの神々と勘違いされ祀り上げられそうになったのですが、やがては手のひらを返すように人々から迫害され石を投げつけられ町の外に引きずり出されました。パウロは散々な目にあったのです。しかし、その頃、信仰を与えられたのがテモテの祖母と母親だったことがテモテへの手紙を読むとわかります。命を狙われるひどい目に遭いながらも、そこで信仰者が与えられたのはパウロにとって慰めだったでしょう。しかも、再びその地を訪問したら、彼女たちの孫であり息子であるテモテが宣教者として成長していたのです。バルナバやマルコと対立して痛みを負っていたパウロに大きな喜びが与えられました。神は喜びと慰めを与えてくださるお方なのです。 

 さて、今日の聖書箇所の最後のところを読むと、このテモテにパウロが割礼を受けさせたことが記されています。異邦人に割礼などは必要ないと言って、あれほど揉めて否定していたパウロがここでは「ユダヤ人の手前」テモテに割礼を施した、というのです。これは矛盾ではないかとも感じます。しかしこの割礼は、当然ながら、救いの条件として割礼が必要だという意味で施されたのではありません。テモテの個人的な事情が背景にあるのです。少しわかりにくいところですが、テモテは父親がギリシャ人だったと記されています。しかし母親はユダヤ人でした。彼はユダヤの信仰を母から伝えられて育ったことがテモテへの手紙を読むと分かります。しかし、ユダヤ人であるしるしの割礼は、おそらく父親が異邦人であるということから受けていませんでした。ですからテモテは、ユダヤ人から見たら異邦人とみなされていたのです。しかしまた一方で、異邦人からはユダヤ人とみなされていたのです。ユダヤ人でもなく異邦人でもないという立場は当時の文化的背景としては厳しいものでした。ことにユダヤ人から見たら、異邦人と結婚した女の、割礼のない子供というのは、普通に異邦人というよりも、さげずまれる存在だったでしょう。そのようななかで育ったテモテへの配慮としてパウロは彼に割礼を施しました。ユダヤ人から不必要に後ろ指をさされないようにというパウロの愛の配慮でした。 

 ユダヤ人でも異邦人でもないという複雑な背景を持ち、自分の出自にうしろめたさを感じていたテモテは、そのような出自や過去のことにとらわれる必要はないのだと示されたのです。そしてそのような苦しみの中に生きて来たテモテこそ、こののちの異邦人伝道において、パウロの良き同労者となっていくのです。周囲から理解される傷ついたパウロと、その出自からさげずまれていたテモテ、しかしそのパウロにもテモテにもそれぞれに神から慰めが与えられたのです。神は不思議な形で慰めを与えてくださる方なのです。 

 アドベントは到来という意味です。キリストの到来お待ち望むのがアドベントです。アドベントはラテン語ですが、英語のアドベンチャーの語源でもあります。アドベンチャーはアドベントの未来形から来ていると言われます。アドベント、これは完了形です。キリストは来られたのです。しかしまた、未来にお越しになります。キリストがふたたび来られる再臨の未来に希望を持って生きることがアドベンチャーです。新しい冒険です。新しい冒険に出るパウロとテモテに神の慰めが与えられました。今、新しい一歩を私たちも踏み出します。そこに神の配慮と深い慰めが与えられるのです。 


使徒言行録15章22~35節

2020-11-15 12:54:40 | 使徒言行録

2020年11月15日大阪東教会主日礼拝説教「重荷を降ろす」吉浦玲子
【聖書】
使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」
さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ。ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけ、しばらくここに滞在した後、兄弟たちから送別の挨拶を受けて見送られ、自分たちを派遣した人々のところへ帰って行った。<底本に節が欠けている個所の異本による訳文>しかし、シラスはそこにとどまることにした。†しかし、パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって教え、他の多くの人と一緒に主の言葉の福音を告げ知らせた。
【説教】
<主を求める者とされて>
 最近、ある未信徒の友人と話をする機会がありました。彼女は若い時からかなり苦労してこられた方です。結婚生活においてもかなりご苦労をされていましたし、小さなお子さんを抱えながらご自身も命にかかわる重い病を得られました。幸い病は癒されましたが、いまも家庭的なたいへんな苦労は続いています。その方はたいへんしっかりなさっていて、愚痴などはこぼされませんし、淡々と前向きに生きておられます。その方と話していて、ある意味、私は圧倒される思いがありました。その方がクリスチャンであれば、ああこの方は神様に守られていたから、信仰によってこのような苦労の連続の中でも、耐えてこられたのだなと思えるのですが、そうではないということに驚いたのです。そもそも日本人のほとんどはクリスチャンではありませんし、これは当たり前のことかもしれません。自分自身が信仰生活が長くなって、信仰をお持ちでない人の心というのが分かりにくくなっているのかもしれません。しかし、つくづく思ったのです。本人の心の持ちようや強さで、人間は、どんな逆境でも耐えられるのでしょうか?耐えられる人には神の救いはいらないのでしょうか?
 先週の聖書箇所で旧約聖書の中のアモス書が引用されていました。「人々のうちの残った者や、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになるためだ。」神のご計画は人間を神を求める者とされるのだと預言者たちは預言したのです。そして、もともと神を知らなかった異邦人たちが神を求める者とされていく姿が今、礼拝で読んでおります使徒言行録には描かれています。2000年前に生きた異邦人にも、喜びも悲しみもあり、生活があり、誠実に行きたいと願い、実際、もともとは聖書の神は求めていなかったけれど、それなりに立派に生きた人々もあったでしょう。日本においてもそうです。日本に生きる私たちも聖書的に言えば異邦人です。しかし、キリスト教伝来以前の日本に住んでいた人々はダメな人間だったなどということはもちろんないのです。聖書の神を知らなくても、求めてなくても、それなりに生きていくことはできるのです。誠実に家族生活、社会生活を送ることはできるのです。
 神を求める、ということは人間の側の問題ではないのです。もちろん、実際のところ、試練や病が契機となって、神を求めるようになった方々は多くあります。しかし、直接的な事情はどうであれ、神を求める心は、神ご自身がお与えになるのです。「人々のうちの残った者や、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになるためだ。」とあるように、<求めるようになる>であって、<人間の方が求めたから>と神はおっしゃっていないのです。本来、人間は神などなくても、ある意味、生きていけるのです。しかし、神の方から、わたしを求めよ、と招いてくださるのです。招きに応じなくても、それまで通りの生活はあるのです。しかし、招きに応じた時、まったく違う新しい道が拓けていきます。それはこの世的な繁栄や利益にはつながらない場合もあります。しかし、確かな平安と喜びと光に満ちた道が与えられるのです。神を知らないときに担っていたもっとも重い荷物、罪の重荷を取り除かれ、軽やかに歩むことができるのです。
<正しさを伝えるために>
 さて、神によって神を求める者とされたアンティオキアの教会の異邦人たちに混乱が起こりました。ユダヤ人たちが、<ユダヤの律法を守らないと救われない>と、異邦人たちを惑わすような教えを伝えたのです。先週もお話をしましたように、律法というと現代の日本に生きる私たちには関係のない問題のように感じます。しかし、これは信仰の根本に関わる根の深い問題です。神を求める者と神が変えてくださったにも関わらず、人間の側の律法の遵守が救いの条件とされるというのはおかしなことです。キリストの十字架と復活によって罪贖われ、イエス・キリストを信じることによって神の前に立つことを赦されたにもかかわらず、十字架と復活以外のものが救いに必要だというのは、キリスト教におけるファリサイ派的思想です。しかしこれは現代における教会でも多くあることです。熱心な行いによって救われるという考えはありがちなのです。これは、神の恵みの業を信じられないということであり、十字架を冒涜することです。
 先週読みました聖書箇所では、このことに関して、エルサレムで正式が会議が持たれ、異邦人が律法を遵守する必要はないことが確認されました。これは全体教会として正式に決定され、その内容は丁寧に、ことの発端となったアンティオキアの教会へ伝えられました。アンティオキアの教会から派遣されてきたバルナバとパウロと共に、エルサレム側から指導的な立場にあったユダとシラスが使者として同行しました。彼らはエルサレムからの正式文書を携えてアンティオキアにやってきました。決定に関して、文書だけでなく口頭でもユダやシラスが説明したのです。単なる通達、事務手続きとして行われたのではなく、豊かな信仰的な交わりの中で決定は伝えられたのです。
 これは、混乱し、傷ついた人々もいたであろうアンティオキアの教会を力づける意味もありました。教会は教理的なことがらを曖昧にしてはなりませんが、ただそれを、頭ごなしに押し付けるのではないのです。人間の痛みや悲しみに心を配りながら、信仰の事項として丁寧に伝えていくのです。
 神の正しさは、愛と矛盾しません。神は十字架において、正しさと愛を示されました。そしてそれは人間同士においてもそうです。しかし、人間同士においては、正しさをむやみに振りかざして人を傷つけることが往々にしてあります。そこで振りかざされる正しさが、神にある正しさではなく、人間が勝手に考える正しさだからです。愛のない正しさだからです。現代は、バッシングの多い社会です。少しでも間違いを犯した人間を徹底的に批判をします。しかし、神から来る正しさは厳しい側面ももちろんあり、人間に悔い改めを迫るものでありますが、同時に人間を活かすものです。人間の命を豊かにするものです。愛へと人間を導くものです。
<励ましに満ちた>
 アンティオキアの異邦人たちは、エルサレムからの愛に満ちた知らせに励まされました。この励ましという言葉は、神による慰め、力づけという意味を持ちます。強い言葉です。彼らに伝えられたのは、単に論争に勝利したということではなく、干からびた心が水を得るような豊かさであり、力尽きた足腰がしゃんとされ立たされるような力です。
 そして正式な通達を聞くのみならず、エルサレムから来たユダとシラスと霊的な交わりをしました。「ユダとシラスは預言する者でもあった」とあります。つまりユダとシラスは神の言葉を語ったのです。神の言葉を通して、エルサレムから来たユダとシラス、そしてアンティオキアの人々は交わったのです。神を信じる者の交わりの中心には神の言葉があるということです。
 神に招かれて、神を求めて生きるということは、神の励ましのもとに生きるということです。神の励ましは、神の言葉によって与えられます。神の言葉によって私たちは、生ける神イエス・キリストと出会います。そこに本当の力の根源があります。そしてまた、隣人との交わりがあります。
 私たちは、人間的な努力や忍耐で人生を生き抜くことは可能かもしれません。しかし、神に招かれ神を求めて生きるというということは、人生の荒れ野の中に、たえずオアシスのような豊かさが与えられるということです。自分で調達した水や食料で生き抜くことは可能かもしれません。しかし、神を求める者は、神ご自身から注がれる水や命の糧によって生かされるのです。
 ところで、日本でも新型コロナウィルスの感染者がまた増えてきてました。第三波と言われています。ウィルスの性質が少しずつ解明されてきている側面もあり、春ごろとは状況は異なりますが、まだまだ未知の部分の多いウィルスであることは変わりはありません。全世界的に、まだまだ深刻な状況が続きます。北半球においては、冬に向かう季節の中で、重苦しく先の見えない戦いが続きます。
 当たり前のことながら、クリスチャンは新型コロナウィルスに感染しないということはありません。クリスチャンであれ、ノンクリスチャンであれ、精一杯予防をしてても、感染することはあるでしょう。ことにクリスチャンにとって象徴的なことは春のイースターに続いて、これからアドベント、クリスマスに向かう季節であるということです。教会の最も大きな祝祭であるイースターのみならずクリスマスにも新型コロナウィルスが影を落としています。今年はクリスマス礼拝の後の祝会やイブ礼拝は中止の予定です。寂しいクリスマスと言えます。しかしまたそこに神の問いかけがあるようにも思います。本来、春の訪れのようにイースターがあり、寒く暗い季節に灯りを灯すようにクリスマスはありました。2020年はそのいずれの祝祭も例年のようには祝えなくなりました。
 しかしなお、私たちは御言葉によって神の励ましの言葉を聞きます。パーティもゲームもプレゼントも例年のようではないかもしれない、でも私たちは神の言葉をいっそう聞くのです。静かに耳をすまして聞きます。2000年前、暗いベツレヘムの空に輝いた星の輝きを見るのです。天の大軍の賛美を聞きます。御言葉を通して聞きます。そこに本当の神の慰め、罪からの救いを与えてくださった神の恵みを見ます。そして例年のような直接的な交わりは持てないかもしれませんが、なおそれぞれに隣人を思いながら祈りを深め、共同体として歩みます。
<新しくされる>
 さて、新共同訳聖書の本文には記されていませんが、34節の後に、ギリシャ語聖書の写本によっては、シラスがアンティオキアにとどまったことが記されています。P272の捕捉によってそれがわかります。
 混乱と分裂に陥ったアンティオキアの教会でしたが、新たな人々との交わりが与えられ、また、新しい宣教者が増し加えられたのです。このシラスは、これからのちの、パウロの新たな宣教旅行にも同行するメンバーとなるのです。ひととき試練の中にあった教会が、くすしき神の恵みによって新しい出発をするのです。ようやく元の平静を取り戻したというのではなく、新しく歩み出すのです。
 私たちも神の恵みの内に、試練ののちに、なお新しく出発をします。教会の歩みもそうです。神を求める者には、必ず新しい希望が与えられるのです。
 
 

 


使徒言行録15章1~21節

2020-11-08 16:11:39 | 使徒言行録

す。それはユダヤから下ってきた人々でした。その人々は生まれた時からユダヤ人であって、当然のように生後八日目に割礼を施されていた人々でした。その人々がアンティオキアにやってきて、多くの異邦人の信徒を見て、割礼を受けていない彼らは神の民ではないと批判したのです。現在の私たちから見たら、割礼の有無などということはナンセンスな問題のように感じます。 

 しかしこれはある意味、根の深い問題なのです。私たちは洗礼によって神の民とされています。しかし、洗礼を受けて、体のどこかに受洗者であるというようなしるしが現れるわけではありません。肉体的にはなんら洗礼を受けても変わらないのです。教派によっては洗礼証明書を発行する教会があります。その洗礼証明書を持っていたら、神の民と言えるでしょうか。しかしそのような紙切れ一枚で神の民という証明はできないでしょう。神の民とされるということはあくまでも信仰の問題なのです。聖霊によって私たちは神の民とされるのです。聖霊によって神の民とされた、聖なる者とされたということははたからは分かりにくいことなのです。いえ自分自身でさえ実感を持ちにくいことなのです。たとえば、未受洗者に聖餐の配餐をするということも、神の民とされている、ということの捉え方の違いからくるのです。神による信仰の事柄を、人間的な差別の問題と混同していることに根源があり、その根っこには割礼の有無を問題とするような信仰認識の欠落があります。 

<公の会議> 

 これは重要なことでしたから、アンティオキアの教会だけで判断をするのではなく、全体教会での正式な判断を求めたのです。教会としてよるべき普遍的な判断を求めたのです。パウロがこういったからとか、アンティオキアの教会の方針ということではなく、信仰の根本的な筋道として検討をするということです。これはのちに公の会議が持たれるようになったことの起源になりました。教会は信仰の根幹に関わる議論、を特に4世紀ごろ、公の会議によって決議をしています。私たちはその教会の資産を現代においてもいただいています。 

 さて、パウロとバルナバはエルサレムの教会に向かいました。エルサレムで彼らに立ちはだかったのがファリサイ派から信者になった人々でした。「異邦人にもモーセの律法を守らせるべきだ」と彼らはいうのです。律法を守らせるべきということも、割礼と同じく、信じることによって義とされるというキリスト教の信仰の根本にかかわることです。彼らはイエス・キリストを救い主と信じてはいたのでしょうが、それだけでは足りないと考えていたのです。律法というと私たちには縁のない話のように感じますが、私たちもまた、信じるだけでは足りないと考える傾向はあります。良い人間にならねばならない、クリスチャンらしく生きなければならない、奉仕をたくさんしないといけない、そういうプラスアルファを自分に課す傾向があります。プラスアルファはさらにプラスアルファを求めるのです。もっと頑張らなくては、もっと熱心ならねばと心が急かされるのです。そして徐々に信仰自体に疲れてくるのです。こんな自分は神の国にはいれるのかどうか不安になってくるのです。本来は信じて救われたはずなのに、救われた確信が薄れていくのです。 

 「そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。議論を重ねた後」とあります。エルサレムの教会では慎重に議論を重ねました。使徒たちと長老が、とあるのは、皆でわーわー議論したのではないのです。教会の組織としてしかるべき人々が代表して話し合ったのです。これは今日の教会においても同様です。教会の会議は無秩序なものではなく、定められたところに従って行われます。これは堅苦しい決まりというのではないのです。組織や決まりというのは人間の恣意的な考えを廃止神の心を聞きとるためのものです。なんでもありにして、人間の思いを通していくのではなく、混沌から秩序を造られた神の御心を、秩序のもとに聞きとるのが教会における会議だからです。そこで当然人々はそれぞれの意見を言います。議論をします。しかしそれは、民主主義における議論ではありません。議論を重ねることはあくまでも神の御心を求めていくプロセスなのです。エルサレムの教会の会議でも十分に議論が重ねられました。御心を問うたのです。十分に御心をとうたのち、会議としての最後のとりまとめをします。 

<愛に基づく言葉> 

 そこで口火を切ったのはペトロでした。ペトロ自身、使徒言行録第10章でコルネリウスという異邦人が聖霊を注がれ信仰に入ったことを体験しています。ペトロ自身、ユダヤ人であり、律法を大事にして生きて来たのです。ですからもともと異邦人と交わること自体、抵抗がありました。そのペトロが神の導きによって変えられました。「神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ(使徒11:18)」という確信を持つようになったのです。 

 ペトロは語ります。「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。」神は、悔い改める心を、それがユダヤ人であれ異邦人であれ受け入れてくださるとペトロは語りました。むしろ差別は人間の側にあるのです。ペトロはさらに言います。「それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。」ユダヤの人々はたしかに神い特別に選ばれた民でした。律法を受けた民でした。それは彼らの誇りであり、歴史でした。しかしまた。せっかく受けた律法を守られなかったのがユダヤの歴史ではなかったのか?動物たちが農作業する時に首に懸けさせる軛のように、律法はありました。人間はそれを負いきれなかったのです。律法を守れなかった人間を罰するのではなく、神は愛を注がれました。神の愛と憐れみと恵みによって、いまやその軛を軽くしてくださる方、イエス・キリストが来られました。「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」そう主イエスはおっしゃいました。にもかかわらず、あなたたちは異邦人に律法の重い軛を負わせるのかとペトロは語ったのです。 

 彼は教理の議論の中で、単に理論的にこちらが優れているということを語ったのではなかったのです。むしろ自分自身の悔い改めの思いの中で語ったのです。悔い改めの心は偏狭な差別意識や優越感を砕くのです。そして、教理というのは悔い改めの心、そして信仰のリアリティと結びついたとき生き生きとした力をものだからです。 

 その信仰のリアリティと結びついた言葉は、人々の心を打ちました。その場は静まり返ったのです。さらにバルナバとパウロが宣教旅行で体験した、異邦人たちへ神がなさったことを語りました。最後にヤコブが語りました。ヤコブは、12使徒のなかのヤコブではなく、主イエスの兄弟と言われるヤコブです。ヤコブはエルサレムの教会で指導的な立場にありました。「神が初めに心を配られ、異邦人の中からご自分の名を信じる民を選び出してくださった次第については、シメオンが話してくれました。」シメオンとはペトロのことですが、ヤコブもまた、神の民とされるのは、ユダヤ人であるとか、ユダヤの慣習に従うからということではなく、「神の心配り」によるものだと語ったのです。この心配りという言葉は、神が訪れてくださったとか、神が選ばれたと訳せる言葉です。信仰は人間の側の態度の問題ではなく、あくまでも神の恵み、神の愛の問題だと語ったのです。そして彼は旧約聖書のアモス書を引用して、異邦人の救いが預言されていたことであること根拠に判断をくだしました。 

<愛に基づく共同体> 

 その判断は、「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはいけません。偶像に備えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血を避けるように。」ということでした。「偶像に備えて」以下の部分は少しわかりにくいものです。偶像やみだらな行いというのは特に異教社会で生きる異邦人にとって必要な戒めとも考えられますが、「絞め殺した動物の肉と、血を避けるように」というのは不思議なことです。これはやはり律法からくる規定なのです。結局ヤコブも律法の規定を部分的に異邦人に負わせようとしているのでしょうか?ある方はここをこのように解釈されていました。肉と血の問題は、ユダヤ人と異邦人が会食する場合を想定した勧めである、と。最初の偶像に備えられた肉も含めて、ヤコブの言葉は、救いの条件ではないのです。ユダヤ人たちが異邦人たちも割礼を受けなければ救われないとか、律法を守られなければ神の民ではないということとは根本的に違うのです。 

 文化や慣習の異なる者たちが共に生きる共同体において、相互に配慮してほしいということなのです。ユダヤ人たちは血を排除した肉を食べる習慣があり、そこに配慮をしてほしいということなのです。食事に関する問題は、実際のところ、ローマの信徒への手紙やコリントの信徒への手紙でもこの後、繰り返し問題となってくることです。しかし、それは救いの根本問題ではないのです。根本問題ではないにもかかわらず、繰り返し、教会が分裂するような争いになるということが起こったのです。それはばかばかしいことのようで、案外、どこの教会においても起こりうることなのです。信仰の根本問題ではないところで争いが起きるのです。習慣や文化の問題が信仰の根本の問題とすり替えられるのです。 

 以前、あるインド人の宣教師さんの話を聞いたことがあります。かつてその方の出身地で、なかなか、キリスト教の伝道が進まなかったそうです。それは、ヨーロッパ流の教会のスタイルをそのまま導入しようとしたことに原因があったそうです。その土地では、椅子に座る習慣がありませんでしたし、集会で男女が混じって座ることもなかったのです。そこで、礼拝堂を土間にして、男女が別々に座る形で礼拝をするようになったら、抵抗なく人々が集まるようになったそうです。日本においても、畳敷きの礼拝堂やキリスト教の施設があります。広島の修道院の聖堂がまさにそうだったのですが、初めて行ったときは、非常に驚きました。日本人の感性に合わせて伝道しようとした先人の努力をつくづく思いました。 

 パウロはローマの信徒への手紙の中でこう言っています。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです(ローマ14:17)」神の愛は文化、年齢、信仰歴の長さといったことからくる違いを越えるのです。その愛を受けた者は自由なのです。キリストによって神にかかれた律法から私たちは自由な者とされました。何を食べようと、何を着ようと、そこに信仰の根本はないのです。しかしまた信仰共同体において共に生きる時、私たちは隣人への愛に基づいて、自分の自由を制限することはあるのです。それは血抜きしない肉を嫌う人の前で、そのような肉を食べないというような、ある意味、ささいなことといえることなのです。しかしなおそのことも愛の心配りです。神に心を配られ、愛を注がれた私たちはまたその愛に基づいて、隣人への心配りをするのです。一方が一方に心を配るのではなく相互に愛に基づいて心を配るのです。そのとき、信仰共同体は豊かな多様性をもって自由な人間の集まりとして前進していくのです。その時私たち一人一人も狭い自分の思い込みや頑なさから解放されていくのです。 


使徒言行録14章21~28節

2020-11-01 13:47:16 | 使徒言行録

2020111日大阪東教会主日礼拝説教「信仰の門を開く」吉浦玲子 

【聖書】 

 二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、 

ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。 

【説教】 

<神が養われる群れ> 

 パウロたちは、各地に教会を立てながら、そして弟子たちを生み出しながら宣教旅行を続けました。これはパウロの第一回目の宣教旅行でした。その旅行を終え、彼らはシリア州のアンティオキアに帰っていきます。今回の宣教旅行の最後の宣教地テルベからシリア州のアンティオキアに戻るには陸路を東に向かうこともできるのですが、彼らは敢えて、これまで来た道を逆に戻っていきました。これは地図を見ましても遠回りであるようです。リストラ、イコニオン、ビシティア州のアンティオキアと西へ向かい、そこから南へとむかい、船でシリア州のアンティオキアに戻りました。 

彼らはこれまで宣教してきたそれぞれの町で迫害を受けました。石を投げられるといった命をも狙われることがあったにもかかわらず、パウロたちはそれらの町をたどり、ふたたび訪問しました。 

その町々には、パウロたちの言葉を聞き福音を信じるようになった人々が残っていました。激しい迫害にも関わらず、そしてまた最初の指導者たちが追われて出ていったにも関わらず、キリストを信じる群れは残っていたのです。神が残されたのです。本来ならば、生まれたばかりの集団は、その指導者を失えば力を失い離散してしまうものです。しかし、神がそれぞれの群れを養い育ててくださったのです。パウロたちが敢えて危険を冒して、かつて自分たちが宣教した町々をふたたび巡ったのは、その神の御業を確認し、喜ぶためでもありましたどれほどパウロたちが力ある宣教を行ったとしても人間の影響力や力には限界があります。その限界を越えたところに神は働かれますその神の御業をパウロたちはその目で見るために、そしてまた生まれたばかりの教会を力づけるためにあえて危険を冒して、訪問をしました。 

そしてパウロたちはそれぞれの町でクリスチャンを励まして言いました。22節の「弟子たちを力づけ」というのは「弟子たちの魂を強めて」「弟子たちの心を強め」という意味です。ただ、みんな元気か?たいへんだけどがんばってという力づけではなく、霊的に深いところへたしかな力を与えたのです。パウロたちと同様、弟子たちにも迫害との戦いがありました。その戦いを戦い抜く力を与えたのです。 

翻って考えますと、今日の日本では、目に見える形での社会的な迫害はありません。しかし、この国ではクリスチャンはマイノリティであり、信仰を持ち続けていくにはそれなりの困難はあります。大なり小なり周囲の無理解の中で生活していかなくてはなりませんそこにはやはり戦いがあります。しかしまた、結局のところ、それはおそらくキリスト教国と言われる国においてもやはり同様ではないかと思います。まことに信仰を持ち続けていくとき、そこにはかならず戦いがあるのです。たえず福音ならざるものは信仰者を脅かし、さいなむからです。 

<神の国へ入る> 

さて、パウロたちはその信仰の戦いの中にある弟子たちを励まして言いました。「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。」この言葉は、<苦しみを経てがんばったら神の国へ入る>あるいは<神の国に入るためには苦しみに打ち勝たねばならない>と勘違いして読みがちなところです。しかし、原文の構造からしますと、そうではありません。むしろ<私たちは、必ず神の国へ入るのだ。その道の途上には苦しみがある>というニュアンスになります。苦しみを経ることが神の国へ入る条件として上げられているわけではないのです。苦しみに打ち勝ったら神の国へ入れると言っているのではなく、すでに神の国への道は備えられている、かならず神の国に入れるのだ。しかしその途上には苦しみがある、戦いがある。でも、失望することなく必ず入れる神の国へむかって歩もうと言っているのです。 

当然ながら、キリストを信じた者、十字架と復活を心から信じる者信じて御言葉と共に歩み御言葉を行う者は、神の国に皆、入るのです。だから安心して十字架と復活を信じて歩んでいこう、そうパウロは力づけているのです 

そしてパウロは「信仰に踏みとどまるように励ました」とあります。信仰にとどまるという言葉も誤解されやすい言葉です。弱い自分の心を強くして、踏ん張って信仰を選び取る、守り抜くというイメージを持ってしまいます。特に迫害という背景があるとき、たとえば、殺されるのを覚悟で踏み絵を踏まないとか、拷問を受けても信仰を捨てないといった、イメージがあります。そのような激しい状況ではなくても、信仰に踏みとどまるというとき、問題とされるのは人間の側の行為や思いのように感じてしまいます。しかし、ここではそのような信仰者の行為や心がけを奨励しているわけではありません。 

問題なのは、とどまるべき基盤は何かということなのです。私たちがとどまるべき基盤は、自分が救われた、という現実なのです。そして先ほど申し上げたように、神の国へ必ず入れるというところなのです。つまり、キリストの十字架と復活によって神が成し遂げてくださったところに立つ、ということなのです。 

 私たちは弱い者です。踏み絵の前でどうしていいのか、現実的な迫害の中でどうしていいのか分かりません。特にそのような迫害がなくても、日々のさまざまな状況の中で、信仰が揺れ動くことがあります。そのとき、私たちは自分の力で揺れ動く心を押さえることはなかなかできません。しかし、ただ一点、自分がキリストによって救われた、ということに心を向ける時、力を与えられます。罪赦され、神の子とされている、そこに目を向ける時、私たちは信仰に踏みとどまることができるのです。 

 自分自身の信仰の話-証といいますが―その証に同じ話を繰り返す方がおられます。以前、ソリデオグロリアのコンサートをしていたとき、出演するたびに、同じ証しをされアーティストがおられました。その方以外にも、証しと言えば同じ話ばかりする人がいました。聞く方はまた同じこと言っているよと思うのですが、ある意味、それは語る人にとってごく自然なことなのです。自分自身が踏みとどまらせていただいている信仰の基盤となるところを語らずにはいられないからです。私自身、さまざまに奇跡のような神の御業の体験というのはしてきましたが、本当に自分が救われた、自分が神に愛されていることを知ったキリストとの出会いは、ある一回の決定的な出来事でした。さまざまな状況の中で、私自身の気持ちが揺れる時、立ち帰っていくのは必ずそのキリストとの出会いの出来事です。自分の信仰の強さで信仰にとどまるのではなく、キリストご自身の御業ゆえにとどまれたのです。キリストご自身がその救いの御業のゆえに私たちを踏みとどまらせてくださるのです。 

 そしてまた、御言葉を聞くということも信仰にとどまることです。キリストの御業を聞き続けるのです。そしてまた今日は聖餐式を行います。この聖餐式もまた神の御業を繰り返し体験することです。キリストの十字架と復活という救いの御業をパンとぶどうジュースというものを通して繰り返し体験します。聖餐式を通しても、私たちは神の御業を見て、信仰に踏みとどまらせていただくのです。 

主に任せる 

 さて、パウロたちは各教会で長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」とあります。教会の組織を整えたのです。ここでいう長老とは今日の長老ではなく、まだ司祭や牧師、長老、執事といった役職が分離する前の教会の指導者といえます。しかし神によって召された者であることは変わりません。「断食して祈り」というのは、その任命が神によるものであることを切実に祈り問い確信するためです。単に人間的な能力や適性ではなく、神の御心であることを彼らは問うたのです。パウロたち自身がシリア州のアンティオキアの教会から送り出される時も、教会の人々は断食して祈って、パウロたちを送り出しました。そして祈ったのち、神に任せたのです。人間ができることは熱心に祈って、御心を求めることだけなのです。その後のことは神にお委ねするしかないのです。 

 お委ねするしかないということは、消極的な響きを持っているかもしれません。しかしそうではありません。ある先生は繰り返し「すべての責任は神がとってくださる」とおっしゃっていました。立派な上司は部下に思い切り仕事をさせてその部下が失敗しても、その失敗の責任は上司自らがとってくれます。この世では、失敗の責任を部下になすりつける上司もいますが、神はどのようなときでも責任を取ってくださるというのです私たちはもちろん努力をします。でも完ぺきではありません。やりたくてもできないこともあれば、失敗もします。どんなに優秀な人であっても、その道の途上に多くのできなかったこと、失敗したことを残していきます。でも、その一つ一つを神様が後ろから拾ってきてくださるのです。だから安心して神にゆだねて前に向かって歩めるのです。失敗をおそれず、後ろを振り向くことなく、自分の力の及ばないところはゆだねつつ、神に信頼して前向きに歩んでいくことができるのです。 

<信仰の門を開く> 

 さて、パウロたちは、祈られて旅立ったシリア州のアンティオキアに戻ってきました。彼らは、長い旅の疲れを癒すのではなく、「すぐ教会の人々を集めて」この旅のことを報告しました。それは教会の支援を受けて旅に出たのだからすぐに報告しないといけないという義務からというより、語ることがあふれていたから「すぐに」集会を開いたのでしょう。神の恵みを分かち合いたかったのです。聖霊によって示され送り出された彼らは、聖霊の導きによって、豊かな実りをいただいたのです。彼らは「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」のです。福音書にも主イエスから派遣されて宣教に出かけた弟子たちが戻って来て喜びの報告をする場面があります。つまり主イエスが宣教をされていた時代から、教会は、信仰の門が開かれたことを報告する場であったのです。信仰の種をまき、その実りを喜ぶ共同体が教会、ギリシャ語でエクレシアでした。エクレシアとはもともと呼び出された者の集会という意味がありました。キリストによって呼び出された者の集まりがエクレシアです。キリストによって呼び出され、派遣され、その実りの喜びを分かち合う、それが教会です。 

 今日は逝去者記念礼拝として礼拝を持っています。例年のようなご遺族を招いての礼拝ではありませんが、気持ちの上では例年と同じように、先人を導いてくださった神の御業に感謝をいたします。大阪東教会に信仰の門が開かれたのは138年前でした。キリストに呼び出された人々が集められエクレシアたる教会が立ち上がったのです。まさに異邦人である日本人にキリストを信じる信仰の門が神によって開かれました。そのために奉仕された宣教師たちの喜ばしい報告は海を越えて伝えられましたそしてまた大阪東教会においても多くの宣教の種が蒔かれました大阪東教会もまた多くの信仰の門が神によって開かれたことを喜ぶエクレシアでした。 

 先人たち一人一人もキリストに呼び出され、お一人お一人が信仰にとどまられました。お一人一人に信仰の戦いがありました。神の国への道のりの途上、苦しみがありました。お一人お一人の人生に生活の労苦があり、病があり、高齢による困難があったことでしょう。しかしなおキリストがお一人お一人を呼び出され続けましたそしてお一人お一人がそれに応えられました。病の床の上で身動きならなくなっても、なお信仰にとどまり続けられました。私たちの命の貴さは、その一生で何を為したかではなく、どこにとどまったかによります。神が開かれた信仰の門の内側にとどまり続ける時、その命は輝かされるのです。先人たちも輝かされました。そしていまは神の国でやすらっておられます。続く私たちも、神によって輝かされるのです。神の御国に入るその時まで私たちの命は輝かせていただくのです。