2020年9月27日大阪東教会主日礼拝説教「神は報いられる」吉浦玲子
【聖書】
そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。
ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。
神の言葉はますます栄え、広がって行った。バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。
【説教】
<壊滅的な打撃>
教会に次々と大きな試練がやってきました。そもそも、ペンテコステの後、最初に教会が立ち上がったとき、教会は周囲の人々から好感をもって受け入れられていました。当然ながら教会は反ローマといった政治的過激思想を持った集団でもなければ、反社会的な存在でもなく、ただ熱心に神を信じる人々の集まりと捉えられたからです。最初の迫害は、そのような民衆の教会に対する好意に嫉妬したサドカイ派である祭司たちから起こりました。しかし、当時は民衆の支持を得ていたので、大きな迫害とはなりませんでした。しかし、その後、ステファノの殺害に象徴される迫害がギリシャ語を話すユダヤ人たちによって起こりました。ギリシャ語を話すユダヤ人は、主として外国から帰って来たユダヤ人でした。彼らは祭司たちだけでなくファリサイ派も巻き込んで教会を迫害したのです。そして今日の聖書箇所では、ヘロデ王による迫害が起こったことが記されています。この迫害はヘブライ語を話すユダヤ人にも支持されました。つまり、いよいよ迫害がユダヤ人の主流の人々をも巻き込む状況になって来たといえます。
まず最初に、「ヘロデ王が教会のある人々に迫害の手を伸ばし」とあります。このヘロデ王は、かつて主イエスがお生まれになった時、幼子イエスを殺そうとしたヘロデ大王の孫にあたります。このヘロデ王家は純然たるユダヤ人の血筋ではなかったと言われます。ローマの支配下にあって、支配者であるローマに気に入られることはもちろん大事でしたが、同時に純然たるユダヤ人ではないヘロデ王は、ユダヤ人たちからも信頼を得る必要がありました。その思惑の中でキリスト教徒への迫害は、ユダヤ人から評価されることでした。そして迫害においては、特に目立つ人間を迫害したと考えられます。今風に言いますと、「迫害をやってる感」出す、パフォーマンス効果を狙っていたと考えられます。そこで、教会の中の中心的な使徒であるヨハネの兄弟ヤコブが殺害されました。主イエスと共に宣教活動をした最初の12弟子のひとりであり、そのなかでも特にペトロやヨハネと並んで重要な使徒であったヤコブが殺されたのです。それがユダヤ人に喜ばれたので、さらにヘロデ王はペトロをも捕らえ牢に入れました。「過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった」というのは、ちょうど主イエスが十字架にかけられたときのことと重なります。過越祭は、ユダヤ人がエジプトから解放されたことを記念する大きな祭りで、ユダヤ人の民族主義が燃え上がるときでもあります。その祭りの熱気に乗じて、ユダヤ主義とは異なる考えを持つキリスト教徒を迫害するのは効果的であると考えられたのでしょう。
当然ながら、教会には大きな動揺が起こったでしょう。さきほども申しましたように使徒の中でも特に中心であった三人のうちのヤコブが殺され、ペトロまで捕らえられ、まさに教会は壊滅的な打撃を受けていたと考えられます。一方、捉えられていたペトロもまた過越祭の季節にかつて十字架にかけられた主イエスを牢の中で思っていたかもしれません。先に殉教したステファノのことを思ったかもしれません。神の御国を信頼しながら、なお、この地上の命運のあやうさを思ったかもしれません。
<祈る教会>
「教会では彼のために熱心な祈りがささげられて」いました。キリスト教徒が、試練の中で祈りを捧げるというのは、ある意味、なんら不思議なことではありません。ここで、教会の人々は、祈ることしかできなかったから祈っていたのではありません。あるいは祈ることが義務だったから祈ったのでもありません。ペトロを助けてほしい、ペトロが無事でありますように。素朴に、そして熱心に祈りは捧げられました。
結果的にペトロは救い出されます。では、もし人々が祈らなかったら、ペトロは助からなかったのでしょうか?教会の祈りを神が聞かれてペトロに奇跡が起こったのでしょうか?ではヤコブが殺されたのは、それまでの教会の祈りが足りなかったからでしょうか?さらにさかのぼっていえば、ステファノが殺されたのも祈りが足りなかったからでしょうか。実際に、そう解釈してこの箇所を祈りの奨励として読む人もいます。しかしそれは間違いです。少し説明の仕方が難しいのですが、教会の人々はたしかに熱心にペトロの無事を祈りました。私たちもまたたしかにさまざまな願いをもって神に祈ります。しかしそれは祈るという自分の行為によって何事かがなされることを期待しているのではなのです。あくまでも主体者は神なのです。主権は神にあり自分が無力であることを知っているから祈るのです。祈りの熱心さによって何事かがなされるのではありません。熱心に祈ったから私たちは義とされるわけではないのです。
この世的に見れば、ペトロは、時の権力者ヘロデの手の中にありました。牢の中で、鎖につながれ複数の見張りがいました。それは絶対的に動かない現実でした。しかしその現実を越えた現実があることを信じることが祈りです。人間の現実を越えた神の支配、神の現実があることを知って、神の前で徹底的に無力な存在として、ひたすら神に期待したとき、おのずと出てくるのが祈りなのです。神のご支配への期待が祈りなのです。
<幻なのか?>
さてペトロは、厳重に鎖でつながれ、番兵に見張られていました。牢破りなどは到底できない状況でした。そこに天使が現れました。彼を起こし、鎖を外し、彼を導きました。たいへん不思議なことが起きました。ペトロ自身、「天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った」のです。
手の鎖が落ち、すぐそばで見張っていたはずの二人の番兵たちに気づかれず、当然見張りがいたはずの第一、第二の衛兵所も通り抜け、町に通じる門の扉までひとりでに開きました。この記述を見て、作り話めいていると感じられる方もいるでしょう。しかし、神は奇跡を為さる方であり、その奇跡は人間にとって理解不能な出来事なのです。当事者であるペトロ自身、幻のようだと感じた出来事でした。我に返った時、「主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ」と分かったのです。通常はこれは奇跡だ、と思っていた出来事が、われに返った時、奇跡でも何でもないことだったと分かるものです。しかし、この場合、その逆でした。最初は幻のように見えたことが、我に返ったとき、神のなさったことだと分かったのです。私たちの人生においても、その時は、たまたま運が良かったとか、偶然だと思っていたことが、あとから思い返すと、どう考えても神がなさったことだったと理解できることがあります。
教会の人々にしてもそうです。救い出されたペトロ本人が門の外に来ているにもかかわらずロデと言う女性はペトロだと分かったら門を開けもせず皆に告げに行きます。皆はその女性のいうことを信用せず、門の外に締め出されたままのペトロは門をたたき続けるという、少し滑稽な状況が展開されます。当事者のペトロが神の業を幻のように思ったくらいですから、この出来事は、人びとには到底理解できるものではありませんでした。神の出来事は、少なからぬ混乱を人間の側にもたらすのです。神の出来事を前にしてすぐに人間は状況を把握できるわけではありません。
そしてまたここで分かることは熱心に祈っていた人々は、どのようにしてペトロが助け出されるのかに関して確信は持っていなかったということです。いや実際のところ、助け出されること自体にも確信は持っていなかったのです。不安と動揺の中、祈っていたのです。神のなさることを人間があらかじめ予想して確信を持てるわけがありません。そういう意味で、祈りはいつも弱い人間の祈りで、確信を持って祈るというより、不安や動揺の中で祈るというのが自然な祈りなのです。
<神に栄光を帰す>
一方で禍々しいことも記されています。ヤコブを殺害し、ペトロをも捕らえ殺そうと目論んでいたヘロデ王の最期です。ヘロデに取り入らざるを得なかったティルスとシドンの人々がヘロデ王を訪ねたときのことです。ヘロデ王は王の衣装をつけて座に着き演説を始めたとたん、急死したのです。このことは歴史学者ヨセフスの「ユダヤ古代誌」にもほぼ同じ内容が記載されている歴史的事実です。
しかし、この事実を、立派に信仰を持っていた人は救われ、信仰を持っていない悪い人間は報いを受けるというキリスト教的勧善懲悪の物語というように解釈してはいけません。そもそもここでは救われたペトロも、最期は、殉教したのです。使徒言行録の後半で大きな働きをするパウロもまた殉教をします。
一方、今日の聖書箇所の最後のところには「神の言葉はますます栄え、広がって行った。」とあります。ヤコブの死やペトロの逮捕といった試練に遭いながら、なお、教会は広がって行ったのです。神が広げてくださったのです。そしてまた広げるために神に従って仕えた人々もさらに起こされたのです。バルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰ったとあります。このマルコが「マルコによる福音書」の著者となるマルコと同一人物かどうかはわかりませんが、バルナバとサウロの片腕となる新しい伝道者がここで立てられたのです。キリスト者は試練の中でむしろ力を与えられたのです。それは試練の中でも、かならず安全に守られるからではなく、試練の中でなお神の力を見るからです。神の恵みを知らされたからです。
パウロはコリントの信徒の手紙Ⅱで「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と神に語られたことを記しています。自分の病を癒してほしいと何度も切実に願ったにも関わらずパウロは病を癒されませんでした。その代わりこの言葉をいただきました。私の恵みはあなたに十分である、というのは贅沢言うな、いまある恵みで我慢しろ、「足るを知れ」ということではありません。むしろ、弱いままのあなたにあって、わたしの力は十分に発揮されるのだと神は語られました。人間が強い時、神の力は発揮されません。人間が弱い時、神の力は発揮されます。
ヘロデは撃ち倒されました。「神に栄光を帰さなかったからである」とあります。自分の力を誇っていたからです。しかしこれは信仰者にも起こることです。人間の信仰的な行為を誇る、誇らないまでも信仰的行為にこそ価値があるように思うことがあります。それは、神に栄光を帰していないのです。
私たちは、ただ弱い人間として神の前に立ちます。そして人間を越えた神の支配を信じます。そこにこそ私たちは神の恵みを見、神の偉大な力を見ます。私たちの喜びは、神の支配の中で、神の業を見せていただくことなのです。
2020年9月20日大阪東教会主日礼拝説教「愛は止まらない」吉浦玲子
【聖書】
さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、
わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。
ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。
バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。
【説教】
<命を与えられる神~先行する恵み>
ペトロがカイサリアで異邦人に洗礼を授けたことが、エルサレムの教会において議論を生みました。「異邦人が神を受け入れた」その喜ばしい知らせに対して、ペトロが異邦人と食事を共にしたことを批判するユダヤ人がいたのです。日本に住む私たちからしたら、伝道が進んだということより、食事のことの方が大事なのか?と突っ込みどころはそこ?と思うようなことです。
そもそも主イエスもユダヤ人でした。主イエスも生涯、律法の教えを守って生活をなさいました。そして最初に主イエスを信じた弟子たちもまた割礼を受けた者たち、つまり律法の教えに忠実な人々でした。彼らにとって、律法を守ることと、主イエスを信じることはなんら矛盾のないことでした。彼らは、主イエスを信じることによって救われることは分かっていましたが、律法を守ることもまた救いの条件であるかのように考えていました。このことはこののちも繰り返し問題となって来ることです。
それに対して、ペトロは順序正しく説明をしました。10章に記されている自分自身が見た幻のこと、異邦人コルネリウスが天使によって示されたこと、そして異邦人にも聖霊が降ったことが説明されました。これらのペトロの言葉を聞いて、人々は静まりました。「「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。」とあります。悔い改めによって、ユダヤ人であれ、異邦人であれ、神から新しい命をいただくことができる、そのことを皆が理解したのです。神のなさる素晴らしいことにユダヤ人たちは感嘆をしました。
ところで、「10代と歩む洗礼・堅信への道」という本があります。これはその名前通り、10代の小学生中学生への洗礼準備のために神学者や牧師によって記された本です。そもそも幼児洗礼ではない洗礼、信仰告白を伴う洗礼は何歳からかというのは教派や教会によってさまざまな考えがあります。欧米の教会ではだいたい10代の前半に洗礼や信仰告白のための教育をするのが一般的だそうですが、日本においては10代前半に洗礼や信仰告白のための教育をすることはそれほど広まっていません。その本では、もともとがキリスト教国であった欧米とは異なり、日本のようないわゆる異教社会においては、信仰を生涯貫くためには確固たる各自の自覚が必要という考えから、洗礼や信仰告白が10代前半ではなくもう少し年齢が加わった青年期とされることが多いのだろうと推測しています。
しかしその本では、「確固たる各自の信仰の自覚」を求める時、失われているものがあるということを指摘していて興味深く読みました。それは、「神の恵みはわたしたちの自覚に先行して、すでに存在しているということ」だというのです。信仰告白において、個人の信仰の自覚、個人の成長、個人の選択を重視しすぎる時、神より個人のあり方に重心がおかれます。本来は神が人間を選び、捉え、恵みとして洗礼があるのに、「確固たる各自の信仰の自覚」を重視しすぎる時、人間の側がキリストを選んでいるかのようなことに陥るのです。信仰が神の恵みによって与えられるのではなく、個人の側になんらかのふさわしい要件が備わったことに対して信仰が与えられるような感覚になります。しかし、そうではなく「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。ヨハネ15:16」という主イエスご自身の言葉のように、個人のあり方ではなく、神の選び、神の恵みがあくまでも各人の自覚に先行するのです。その本には「信仰を『確固たる信仰』とさせるものは、本人の自覚ではありません。わたしたちを確固として離さない、キリストの恵みです」と書かれていました。
これは洗礼を受ける時だけの話ではなく、キリスト教の信仰全体に言えることでもあります。主イエスが私たちを捉えてくださっていること、恵みが注がれていることよりも、自分自身の信仰者としてあり方に重点がいってしまうとき、神の恵みが分からなくなってしまうのです。すでにキリストの十字架と復活によって救われているにもかかわらず平安に乏しく、もっとがんばらねば、もっと成長しなくては、もっと奉仕をしなければ御国に入れないような不安だけが募っていくのです。しかし、すでにキリストは私たちの手を引いて歩んでくださっています。私たちは自分のおぼつかない歩みを悲しむのではなく、むしろ私たちの手を力強く引いてくださるキリストの力に感謝し、喜ぶべきです。もちろん、日々、神の前に悔い改めながら歩みます。しかしその悔い改めによって日々、新しい命に生かされるのです。今日の聖書箇所で、エルサレムの割礼を受けている人々も、割礼やら食事の規定などを自覚的に守っているから救いが与えられるのではないことを悟りました。神が人間を悔い改めに導き、まことの命を与えてくださる、つまり人間ではなく神の方に救いへの力、命への導きの力があるのだと悟ったのです。キリストが先立って、一人一人を愛してくださった、その愛してくださった手を握り返す時、私たちは豊かな命に生かされます。
<主から離れることのないように>
エルサレムの教会で、異邦人への伝道が受け入れられたことは、大きな前進でした。その流れの中、異邦人への伝道はさらに進み、アンティオキアに最初の異邦人教会が立ちあがりました。アンティオキアは大都市で、かつ、かなり不道徳な雰囲気の町だったそうです。のちに有名な教会が建つコリントに似た猥雑な大きな街でした。しかし、神は不思議なことにそのような不道徳で猥雑な街にむしろ信仰者を起こされたのです。
そして、かつてサマリアに信仰者が起こされたとき、エルサレムの教会からペトロたちがサマリアに派遣されたように、アンティオキアにバルナバが派遣されました。これは開拓され歩みを始めたばかりのアンティオキアの教会を健全に指導するためでした。
バルナバは、使徒言行録にこれまでも何回か登場しています。バルナバとは『慰めの子』という意味でした。彼は畑を売り払って立ち上がったばかりのエルサレムの教会に捧げた人でした。そしてまた、もともとキリスト教徒を迫害していたサウロが回心して宣教活動をしていたにもかかわらず、エルサレムの教会でなかなか受け入れられなかった頃、バルナバがサウロを使徒たちに紹介し、助けたのでした。今日の聖書箇所にバルナバは「立派な人物で」とありますが、人格的にバルナバが優れていたということより「聖霊と信仰とに満ちていた」と書かれているように、信仰の姿勢がしっかりした人であったということです。「聖霊と信仰に満ち」という言葉は、言葉の順序が少し違いますが、キリスト教における最初の殉教者となったステファノを表現するときにも使われた言葉です。なにより「聖霊と信仰に満ち」たバルナバは、また主を信じるアンティオキアの教会の人々の姿に喜んだのです。おそらく、バルナバから見て、アンティオキアの教会の人々の姿はユダヤ人の伝統や慣習とはかけ離れていたと思われます。しかしなお、「聖霊と信仰に満ちていた」バルナバはそこに神の業を見ることができたのです。現代でも、教会はこれが同じ宗教か?!というほど多様性を持っています。正教会やカトリックの礼拝はプロテスタントの礼拝とはおおよそ見た目も大きく異なります。プロテスタントの中でも、大阪東教会のように静かな礼拝を守る教会もあればロックバンドのようなバンドが大音響で奏楽をして賛美をする教会もあります。しかしそのような違いを越えて、そこに働いておられる神の働きを見ることが大事です。外側や雰囲気の違いを越えて神の働きを聖霊によって感じ取ることが必要です。
さて、バルナバは「固い決意をもって主から離れることのないように」とアンティオキアの人々に勧めました。さきほど神の先行する恵みを語りました。人間の側がキリストを選んだのではなくキリストが選んでくださった、キリストが人間を捉えてくださった、と。先に恵みを受けたのです。だからこそ、その恵みから離れないようにしましょうとバルナバは勧めました。この勧めはことに、異邦人の教会においては重要なことであったと思われます。もともと彼らは唯一の神や救いということとは遠いところにいた人々ですから、せっかくキリストに捉えられながらも、さまざまな誘惑や異端的な考えに惑わされて、キリストの差し出された手を離してしまう可能性があったと思われます。せっかく恵みにより、いただいた命から死へと後戻りする危険性もあったと考えられます。そういう意味で、ことに異邦人の教会においては信仰の土台をしっかりと作るための励ましや教育は重要だったと考えられます。
<「クリスチャン」誕生>
さて、最初にエルサレムの教会にサウロを紹介したバルナバはアンティオキアの教会を指導していくなかで、サウロこそこの教会に適任だと考えたのでしょう。サウロはダマスコにおいて回心をして宣教活動を始めましたがそこで命を狙う者があり、エルサレムに行きました。しかしそこでもサウロへの陰謀があり、それを逃れて生まれ故郷のタルソスにいたのです。ある意味、サウロは本格的な活動をできないまま、故郷にくすぶっていたという言い方もできるかもしれません。しかしまた別の見方をすると、そもそも神は異邦人伝道のためにサウロを召しておられたのです。教会が異邦人伝道へと向かう流れができた、神がその流れを備えられた、まさにその異邦人伝道の風が吹き出したときに、サウロは本格的に神に用いられるようになったとも言えます。一見、行き詰まりのような状況が、実は神によって最適な場が準備されている過程であったということが私たちにおいても往々にしてあります。
「バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った」とあります。バルナバがどれほどサウロに期待していたかがわかります。聖霊と信仰に満ちた立派な人物であるバルナバでしたが、しかし、アンティオキアの教会の働きは彼一人ではできなかったのです。そもそも福音伝道、宣教の働きは、一人の力ではなく、共に働く人々が神によって召され与えられて力を増していくのです。
そしてここで面白いことが書かれています。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」キリスト者とは、つまりクリスチャンということです。クリスチャンと言う名称が出て来たというのです。それまでは、ユダヤ教の一派のようにみられれていた教会が、明確に新たな信仰共同体として認知されてきたということです。もっともこのキリスト者、クリスチャンという言葉には当初侮蔑的なニュアンスがあったようです。しかし、それはこの最初の異邦人教会がそれだけ目覚ましい働きをし、存在感を放っていたということにほかなりません。
<助け合う教会>
さて、今日の聖書箇所の後半には、飢饉が起こって、特にユダヤにある教会が困窮し、それを支援するという話が出ています。ここだけでなく、のちのパウロが異邦人の教会からユダヤ人の教会へと献金を届けるということが記述されている箇所が聖書にはあります。ユダヤ人の教会は、ユダヤ教を信じる周囲のユダヤ人社会から孤立をしていました。ですから飢饉などの状況になると、余計、周囲からの支援が得られず困窮することになります。そこでアンティオキアの教会から困っているユダヤの教会の人々に支援が届けられたのです。異邦人教会は、指導者を派遣してくれる、つまり霊的な恵みをユダヤ人の教会から受けていることに対して、感謝のしるしとして、経済的に困窮しているユダヤ人の教会をに支援したのです。
最初にキリストを信じ、その後にできた多くの教会へ指導者を派遣しているユダヤ人の教会が、逆に、支援を受ける側になるというのは不思議なことです。しかしさきほど申し上げましたように、ユダヤ人の教会も、異邦人の教会も、霊的な援助、物質的な援助、それぞれの教会ができることをなしているのです。どちらがえらいということでもありません。それぞれ、たがいの援助を感謝して受けながら、自分たちは自分たちのできることを捧げていくのです。これは教会同士であってもそうですが、私たちのあり方としても同様です。良くいわれますことが、実際のところ「受ける方が難しい」のです。捧げたり支援することは積極的にできても、捧げられたり支援されたりすることにおいて往々にして遠慮してしまう、特に日本人はそういう傾向があるかと思います。しかし、最初にお話ししたことを思い出してください。私たちは先に神から恵みをいただいているのです。私たちから何かをしたことの見返りとしてその恵みが与えられたのではありませんでした。何もしなかったどころか神に背いていた私たちへ神から恵みが与えられたのです。そもそも私たちは恵みを与えられ、命を与えられてきた存在です。神から与えられ支えられてきた存在でした。そのことを覚える時、もちろん自分たちのできる隣人への愛の支援はなしますが、愛を受けることにおいても謙虚に素直になりたいと思います。助けていただくこと、祈っていただくことを感謝して素直に受け取りたいと思います。そもそも隣人からの助けは隣人を通して神が私たちに与えてくださるものだからです。私たちは与えることにおいても受けることにおいても、そこに神の働きを見させていただくのです。神から愛されたキリスト者、クリスチャンは、その愛を隣人の間でもまた与え受けて歩んでいきます。
2020年9月13日大阪東教会主日礼拝説教「神は本当に公平か 」吉浦玲子
【聖書】
翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。
次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。
ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」すると、コルネリウスが言った。「四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、言うのです。『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある皮なめし職人シモンの家に泊まっている。』それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」
そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」
ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。
【説教】
<主にある出会い>
10章の最初のところで、まずローマの軍人、コルネリウスに天使が現れて、ペトロという人物を呼ぶように伝えました。そのコルネリウスからの使者が、ペトロの滞在していたヤッファの町に近づくころ、ペトロは神によって幻を見せていただきました。その幻は異邦人を受け入れなさいということを神がペトロに示したものでした。その神の示しのゆえ、ペトロは異邦人であるコルネリウスの使者を快く迎え入れました。そこから今日の聖書箇所は始まります。しかし、ユダヤ人の家に、異邦人を招き入れ、ましてや泊まらせるなどということは、この時代ありえないことでした。実際、このことはのちの11章で、エルサレムの教会において批判されることとなります。以前にも申し上げましたように、異邦人と交際をしない、ということは今日的な意味での人種差別とは違う側面もある問題でした。それは、律法的な問題、神との関係の問題だったのです。しかし、神はその救いのご計画の中で、ペトロと異邦人であるコルネリウスを導かれ、出会わせられました。
私たちの人生にもまさに神が備えてくださった出会いがあります。それは自分の人生が開かれるような出会いの場合もありますし、逆に試練や挫折のきっかけとなる出会いもあります。キリスト者ではなくても、人との出会いによって人生が変わるということはよくあります。人生全体が人との関係性によって成っているといってもいいくらいです。しかし、特に、神の備えられる出会いは、救いに関わる出会いです。私たちは出会った人すべてに対して聖書の話やキリストの証をするわけではありませんが、私たちが出会った人たち、そしてまた離れていった人たち、そのどちらにも、神のしるしや業が私たちを通して実はなされます。私たち自身が気づいていなくてもそうです。ペトロとコルネリウスの出会いのように、神がまさにこのときしかないというご計画の中で出会いが備えらえ、コルネリウスが救いへと導かれたように、私たちの出会いの内にも神の働きがあります。救いへの働きがあります。
<神が命じられたこと>
もともとコルネリウスは神を求めていた人でした。ですから、その求めに神は応えられました。そしてペトロが招かれたのです。「親類や親しい友人を呼び集めて待っていた」とあります。コルネリウスはイスラエルを当時支配していたローマ側の人間でした。しかも、百人隊長という地位にあるにも関わらず、支配されているイスラエルの人間に過ぎないペトロを、親族や友人まで招いて待っていたのです。ここにコルネリウスの期待の高さが分かります。
そして実際、ペトロが来ると、百人隊長であるコルネリウスがペトロに対して<ひれ伏して拝んだ>のです。ペトロを神のように思って拝んだのです。ペトロはコルネリウスにとって天使によって示された人物ですから、神の使いにも等しく思えたのでしょう。しかし、ペトロはもちろん神でもなければ天使でもありません。ペトロは彼を起こして「お立ちください。わたしもただの人間です。」と言います。これはコルネリウスが特別におかしいというわけではなく、古今東西、まことの神を知らない人間は、人間を神や神に等しいもののように思うことがあるということです。権力者が自分を神であるかのように民衆に思わせるというのは古代のみならず近代や現代においてもあることです。残念なことに宗教の名前において、個人が教祖となって神のようにふるまうこともあります。まことの神を知らない人間は容易に神ならぬものを神とするのです。またそういう人間の性質を利用する人間もいるのです。
さてコルネリウスはペトロの「同じ人間です」という言葉を理解します。そして天使に示されたことを語り「今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」といいます。ペトロが普通の人間であることは理解しつつ、なおペトロが神に命じられて語る者であることを知り、それを「残らず聞こう」とするのです。神を求めていたコルネリウスは、いままさに神が備えてくださった出会いの中で、神に命じられたペトロの言葉を全身全霊をもって待っているのです。これは、今日における礼拝に向かう礼拝者の姿勢と同じです。
<なぜ証人なのか>
そのコルネリウスの切なる願いに応えて、ペトロはまさに神に命じられた言葉を語ります。ここで語られていることは、イエス・キリストはすべての人の主である、ということです。つまり福音を語りました。そのイエスはユダヤ人であって、その業はユダヤにおいてなされたこと、そしてユダヤ人によってイエスは殺されたこと、そして三日目に復活をなさったこと、そしてまたイエスは、生きている者と死んだ者とを裁く者であることが語られました。主イエスが裁き主であることは私たちが毎週告白しています使徒信条にも記されています。しかし、主イエスが裁き主であることは、恐るべきことではありません。この裁き主は、罪を赦してくださるお方でもあるからです。「この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる」とあるように裁き主である方は、罪の赦しのために来られた方でもあるからです。
つまりユダヤ人であり、またユダヤにおいて活動されたイエスは、この話を聞いているユダヤ人ではない異邦人のコルネリウスも含めたすべての人の主であり、裁き主であり、罪を赦してくださる方であるとペトロは語りました。
ところで、ペトロは「わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。39節」、「神はこのイエスを三日目に復活させ、人人の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。41節」と語り、また「この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。43節」とも語っています。ここに、証人とか、証しという言葉があります。つまり主イエスの出来事、つまり福音は証人によって証しされるものなのです。この証人は主イエスの働きや出来事を直接見た人々だけがなるのではなく、証人の証言を聞いて信じた者もまた証人とされるのです。
罪の赦しやキリストの復活は実験によって再現されるとか、エビデンスによって証明されることではなく、キリストを証しする人によって証言され、それを聞いた人々がその証言を信じ、福音を信じ、救われるのです。そうやってキリストの証人の証言が2000年に渡って続いて来たのです。ここにいる皆さんもどなたからかキリストのことを聞き、その証言を信じ、信仰を得られました。そして皆さんもまたキリストの証人とされています。
これは不思議なことです。天地創造をなさった神であれば、わざわざ人間にキリストの証しさせることなどなさらずに、一人一人にキリストの十字架と復活の意味を直接示されることも可能だと思うのです。しかしなぜか神は敢えて人間を証人として用いられるのです。
<愛の業としての証>
ある神学者は「神は私たちにご自分の御業にあずからせることを欲したもう」と言いました。つまり神は人間にご自分の業に関与することを望んでおられるというのです。神が御自身の業、つまり、人間の救い、福音の伝達を、御自分の中で敢えて完結なさいませんでした。神の中で完結することは可能であるのに、あえてそうなさいませんでした。福音の証言者として人間が語ること、すなわち人間による宣教を神は選ばれました。パウロがコリントの信徒への手紙で語っているところの「宣教という愚かな手段」を神は敢えて取られました。さきほどの神学者は植民地時代、ヨーロッパ人が現地の人の意向を無視してヨーロッパ的なものを押し付けたようには、神はご自身の業を一方的に押し付けることを望まれないと例を挙げて説明してされていました。神はその深い人間への愛のゆえ、人間自身が自由な意思によってご自分に従い、自由にご自分の業に関わってくることを望んでおられるのです。
宣教とか伝道というとなにか義務のような気がします。たしかに宣教は主イエスの大宣教命令によるものではあります。そのイエス様の命令に従うことは神の愛に応えることです。しかし、神の愛に応えて、宣教をなすとき、むしろ、私たち自身が、まさに生きて働いておられる神の愛をいっそう感じることができ、恵みを受けるのです。未信徒の方がキリストを自分の救い主として受け入れ、変わって行かれる様子を拝見することは、本人のみならず周囲の人にとっても大きな喜びと驚きに満ちたものです。「私は神を信じます」その言葉を聞くとき、自分が洗礼を受けたり、神から恵みを受けた時以上の喜びや感動を覚えたことが何回もあります。
以前いた教会で、ある時、なんだかちょっと変わった若者が教会にやってきました。大学生で運動部に所属していたらしく、いつもジャージを着て教会に来ていました。最初の頃は、どういう思いで教会に来られているのかあまりよくわかりませんでした。やがて、祈祷会の中で学びを共にする機会がありました。気がつくと真剣に求道をされていて受洗を決意なさいました。私はその時は牧師でも教会の役員でもなかったのですが、ひょんなことから、その方からの受洗志願書をなぜか預かりました。その一枚の神がとても重いものに感じられ、とても感慨深いものでした。洗礼式の日、その方は普段とは違って、スーツを着てこられ洗礼をお受けになりました。そこには、初めて教会に来られた時の何となくふわふわした感じの若者ではなく、はっきりと自分の言葉でキリストを証しされる青年の姿がありました。自分自身が直接伝道したわけではなく、志願書を預かっただけなのですが、それでも、大きな感動を覚えました。
<神は人を分け隔てなさらない>
さて冒頭に申しましたように、ペトロとコルネリウスは神の導きによって出会いました。その導きがまさに神によってなされ、神が異邦人をも救おうとされていることを知ったペトロは34節で「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」と語っています。この言葉は口語訳では「ほんとうによくわかってきました」と訳されていて、まことに、実際に、という強調のニュアンスがあります。ペトロにとって大きな驚きだったのです。ペトロ自身が神によって変えられたのです。
そしてまた神が人を分け隔てなさらないということが、実際に、神ご自身の業によって示されました。それが44節以降に記されている異邦人たちに聖霊が降ったという出来事です。 「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」と35節にあるように、神が受け入れられるのは、「神を畏れて正しいことを行う人」です。正しいこととは何かというと、善行を行うということではなく、福音を信じるということです。主イエスを自分の救い主として受け入れるということです。福音を信じる者を神は分け隔てなく受け入れられるのです。そしてまた、いまは福音を信じていない人にも神はキリストを通して救いへの道を開いておられます。キリストはすべての人間の主だからです。人種、国籍、性別、社会的地位、心身の障害の有無、といったことは神の前に意味はなさないのです。しかし、何回か申しましたように、注意しないといけないことは、これはヒューマニズム的な意味での平等とか公平ではないということです。人間は皆同じだ、平等だ、皆が公平であるべきだということは、私たちは耳がタコになるくらい聞かされています。しかし、私たちは実際のところ、他者との壁をそれぞれに持っているのです。人間は自分が直面さえしなければ、ヒューマニズム的な安易な平等主義を唱えることができます。しかし、実際に職場や、マンションの隣の部屋や、あるいは子供の結婚相手に、人種や国籍や社会的地位や心身の障害の有無といった点で容認できない人が現れた時、往々にして差別は起こるのです。
そしてまた神は分け隔てなさらないということは、救いにおいて分け隔てなさらないということでしたが、それはこの世界がただちに、平等な社会になるということでもありません。基本的な人権や、生存権が脅かされるような不平等はゆるしてはなりませんが、神は多様な人間の多様なあり方を容認されます。実際、ペトロたちはユダヤの権力者に対抗しようとしたわけでも、支配者であるローマに反旗を翻そうとしたわけでもありません。支配者と被支配者という構図、身分の上下、金持ちと貧乏人という違いは歴然とあったのです。その現実のなかで、支配者であるローマ側のコルネリウスたちに聖霊が降りました。ペトロに同行したユダヤ人もこの光景を見ました。人間の間の違い越えて神の力が働かれることをユダヤ人もローマ人も知らされたのです。
今日も神の力は働いています。どの国の人にも。豊かな人にも貧しい人にも働いておられます。力に満ちて元気に働く人にも寝たきりの人にも神は働いておられます。福音を信じて生きていくとき、神は私たちの内なる壁を取り除いてくださいます。他者との間の壁も、自分で自分に対して作っている壁も取り除いてくださいます。若すぎるからダメだとか、年を取ったからできないとか、体力がないから無理だといった限界を神が突破してくださいます。分け隔てなさらない神は、私たちを自由にしてくださいます。
2020年9月6日大阪東教会聖霊降臨節第15主日礼拝説教「殻を破る」吉浦玲子
【聖書】
さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。彼は天使を見つめていたが、怖くなって、「主よ、何でしょうか」と言った。すると、天使は言った。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、皮なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。」天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、すべてのことを話してヤッファに送った。
翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。
ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけて、「ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか」と尋ねた。ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」ペトロは、その人々のところへ降りて行って、「あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここへ来られたのですか」と言った。すると、彼らは言った。「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。」
それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた。翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。
【説教】
<ヤッファに居合わせたペトロ>
強力な台風が日本に近づいてきています。おととし大阪を襲った台風や、昨年千葉で甚大な被害をもたらした台風よりも強いものだと聞いています。昨日は関西でも大気が不安定となり雷雨がありました。台風の被害が最小となりますように、ことに九州、西日本の人々が守られますようにと切に祈ります。
ところで、自然災害ということで思い出すのが、阪神淡路大震災の時、たまたま神戸で震災に遭遇した竹山広という長崎の歌人の短歌です。教会報にも紹介したことがありますがこのような短歌です。
居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ
耳でお聞きになると分かりにくいかもしれませんが、震災などの場に居合わせること居合わせないこと、それは天の運であって、居合わせてしまう人の運命的なものを詠嘆している短歌です。阪神淡路大震災の時、竹山広はたまたま長崎から旅行で神戸に来て滞在していました。まさに大震災に居合わせてしまったのです。その竹山自身は20代のとき長崎で原爆に被爆しました。結核で入院していた病院で、ちょうど退院予定の日に被爆したのです。退院が一日早ければ、運命が変わっていたでしょう。居合わせることが幸いなのか、居合わせないことが幸いなのか、それはあらかじめ分からないことです。竹山広はカトリックの信徒でした。短歌の中では天運と書かれていますが、彼の中には神の摂理への強烈な思いがあったと思います。
さて、今日の聖書箇所では、ペトロはヤッファにいました。ヤッファに<居合わせ>たのです。これは天運であり、神の摂理、導きでした。もともとはエルサレムの教会の要請で、リダのクリスチャンの集まりへと派遣されたのでした。そのリダにほど近いヤッファでタビタという女性が亡くなり、ヤッファに来てほしいとヤッファの人々がペトロを招いたことから、ペトロはヤッファに行くことになりました。そこで革なめし職人のシモンの家に滞在していたのでした。このエルサレム、リダ、ヤッファという流れは、けっして偶然ではなく、まさに神が寸分の無駄もなく備えてくださった導きでした。
ヤッファは地中海沿岸の町で、カイサリアまで海沿いの平地を通って50キロほどです。そのカイサリアにコルネリウスがいました。このコルネリウスのために、さらには教会が公に異邦人伝道へと踏み出すために、神はカイサリアと行き来しやすいところへペトロを導かれました。神によってそこに居合わせたのです。
<求める者に応えてくださる神>
ヤッファとカイサリアは行き来しやすい位置関係でしたが、文化的には大きな違いがありました。そもそもカイサリアというのはヘロデ王の時代に成長した港湾都市でした。ローマのカエサルをもじったカイサリアという名前から分かるように、ローマの直轄領であり、多くのローマから派遣された人々が駐屯している町でした。カイサリアはローマの色の濃い町で、ヤッファとは距離的には近かったのですが、文化的にはかなり隔たっていました。ヤッファとカイサリアの間には距離以上の遠さがあったと得います。そのローマの力、文化が色濃いカイサリアにいた異邦人の一人がコルネリウスでした。
彼はイタリア隊の百人隊長というローマの地位ある人であったようです。そのコルネリウスは意外なことに「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。」とあり、イスラエルの神を信じていたのです。神は、このコルネリウスに福音を知らせるために働かれました。コルネリウスは、祈りや施しに熱心であったところから、行いによって救われると考えていたのでしょう。自らの熱心さによって神を見いだすことができると考えていたのです。それは方法論としては正しいことではありませんでしたが、神を求める思いは強い人だったのです。その神を求めるコルネリウスに神は応えてくださいました。
ところで、旧約聖書の時代から、イスラエルの民は特別に選ばれた民でした。イスラエルの民と、それ以外の異邦人の間には明確に区別があったのです。救いはまずイスラエルから起こると考えられていました。しかし、神はそもそも、天地創造をなさった神であり、すべての被造物の神でもあられました。ですから、旧約聖書の時代でも、イスラエルの民以外にも神が目を留められた人々はあったのです。旧約時代のイスラエルの偉大な王ダビデの曾祖母はルツという異邦人の女性でした。その異邦人ルツの物語は旧約聖書の中の一巻として納められています。神はすべての被造物の神であられ、ことに神から特別に創られた人間には、罪によって堕落したため完全ではないにしろ、神を思う心は与えられていたのです。ですから旧約の時代においても、さきほどのルツをはじめ、預言者エリシャに救われたナアマン将軍など、イスラエルの神を信じる異邦人はいました。異邦人を曾祖母に持つダビデの血筋から主イエスは誕生しましたから、主イエスの血筋には異邦人の血も入っていることになります。そういう意味で、神はけっして異邦人をその顧みから除外されていたわけではないのですが、ただ救いという範疇において、キリスト到来までは、イスラエルとそれ以外の民は厳密に区別されていました。
<内なる頑なさ>
この区別は、清い・清くないということに由来します。神の前で厳密に区別があり、それは今日の聖書箇所でペトロが食べ物について言っている「清くないもの、汚れたもの」ということに関わります。レビ記には細かく食べ物についての規定が記されていますが、これは単に衛生上、良い悪いというものではありませんでした。神との交わりに関わることでした。清くない、汚れているということは神と交わることができないということなのです。ですからペトロは清くないものも入れられている入れ物を見て「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」と叫んだのです。神との交わりに生きてきたユダヤ人にとって、神との交わりが断たれる清くない物、汚れた物に接することは絶対にありえないことでした。その感覚は、日本に住む私たちには到底理解できないことです。
しかしながら、私たち自身にも頑なさやこだわりというものは、実際のところはかなりあると思います。もちろん、文化や慣習、個人的な環境によって培われたものと、神の律法によって規定されたものを同一に扱うことはできません。しかし、内なる頑なさという点では私たちにも身に覚えのあるところです。たとえば九州は男尊女卑と言われますが、たしかにその傾向は強いのです。男はこうあるべき、女はこうあるべきという固定概念は地域や年代やさまざまな環境によって差はありながら、厳然と存在します。性別に限らず、意識しないうちに差別的な考えを自分がもっていることもあります。自分にとって異質なものや、未知なものへの頑なさや拒否反応は、人間の防衛本能の裏返しでもあります。これまで経験したことのないこと、接したことのないものとを受け入れていくということは、自分自身にとっては、自我の危機を伴うことでもあります。ある牧師は、これを移行期の危機と呼んでおられました。卒業や就職や引っ越し、結婚、人との別れ、定年、そういう環境の変化は、これまで自分が経験していないものを体験する転換期といえます。そこに危機があります。うまく適応できないと、自分自身を統合することができなくなるのです。
<神が清められる>
さて、神は清くないものは食べないというペトロに対して「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」と幻の中で示されます。こういうことが三度あったということは、ペトロの考えの頑なさの表れであり、それに対して神が強く導こうとなさっていることの表れでもあります。
<神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない>という言葉は、このとき、まさにペトロのもとに向かっていたコルネリウスの使者たちをペトロが迎えるための備えのためでもありました。食物のみならず、異邦人を汚れた者と考えるユダヤ人の考えに対して神がおっしゃったことです。
これは単に、人を差別してはならない、というヒューマニズム的なことではありません。神との交わりに関わることなのです。キリスト到来以前は、たしかに神との交わりは基本的にユダヤ人に限定されていました。しかし、キリストによって、その限定の殻は破られました。使徒言行録と同じ著者によるルカによる福音書で、幼子イエスが神殿に奉献される時、祭司シメオンが預言した言葉があります。「「これは万人のために整えてくださった救いで、/異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」
日本に住む私たちにとって、人類は皆同じで平等という考えは一般的なものです。<万人のための救い>と聞いても、神の子であればそうだろうと感じます。しかし、聖書の歴史の中で、これは大きなことです。アブラハムから始まりイスラエルの歴史の中に限定されていた救いが、キリストによって万人のものとなったのです。異邦人にキリストによって神が知らされるのです。その異邦人の中に日本に住む私たちも含まれます。
キリストが十字架によってすべての殻を破ってくださったのです。救いが万人に向かうことになったのです。そして今日の聖書箇所は、具体的に、教会の働きとして異邦人へと宣教が進んでいく、教会がこれまでの殻を破るという歴史的な場面が描かれています。もちろん、これまでもサマリア伝道、エチオピアの宦官への伝道等はありました。しかし、正式に教会が異邦人伝道へ舵を切っていく、そして、福音がパレスチナという地域から全世界へ殻を破って広がっていく、その大きな流れがここで生まれようとしているのです。
<愛のために>
少し前に、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所で、ユダヤ人でありながら同胞をガス室に送り出すナチスの手先として働いていたゾンダーコマンドと言われた人たちを紹介する番組がありました。ナチス自身がユダヤ人の殺害に直接手を下さないためにゾンダーコマンドを利用したのです。たいへんに重い内容で、軽々しく語ることはできないことですが、少し触れます。ゾンダーコマンド自身、さまざまな理由で自分が生き残るために苦しみながらゾンダーコマンドとして働いたのです。ゾンダーコマンドは出身地が異なるユダヤ人を巧みにナチスは選んだようです。同じユダヤ人といっても、ヨーロッパ各地から来た出身地の異なる、言葉も文化も違う人々を一緒に働かせたようです。まったく違う人間同士というより、近い関係でありながら差異があるとき、むしろ人間は反発します。近親憎悪のような感情があります。ゾンダーコマンドたちは互いに意思疎通のできない、むしろ反発しあうような人々が共に働かせられました。それは彼らが結託して反乱などを起こさないためでした。実際、彼らの残したメモには、当初、ゾンダーコマンドたちは互いに批判的であったようです。しかし、やがて彼らはひそかに連絡をとるようになり、ガス室を破壊するという反乱を企てました。限界状況の中、自分が生き残るために裏切者として働いていた彼らが、自分の命を捨てて同胞を救い出す決意をして決起しようとしたのです。結局、戦局の悪化のためか、収容所内の状況が急変して作戦は実行されなったようです。そしてゾンダーコマンドたちの多くはナチスから口封じのために殺されたのです。たいへん重く暗い話ですが、言葉も文化も違い反発していた人々が、極限状態の中で同胞を助けるために協力しようとしたという記録に胸を打たれます。
ある牧師は、神を伝える側の者に、より深く神への服従が求められるとおっしゃっていました。言い換えますと、愛の実践を行う者は神への服従を求められるということです。「神が清くしたものを清くないなどと、言ってはならない」と三度もペトロに示されたのは、ペトロが異邦人へ福音を伝えるためでした。ペトロがさらに神に従順なものとされるためでした。人間は愛を実践するために自分の殻を神によって破っていただかなければなりません。それは痛みを伴うものです。古い自分を捨てるものだからです。
しかし、救いにおいて、愛において、<神にできないこと何一つない>のです。神は頑なな私たちの殻を破ってくださいます。神に従えない私たちを従う者としてくださいます。私たちを、その日その時、神の最善の場所へと導き居合わせさせてくださり、救いのため、愛のために用いてくださるのです。