大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

マルコによる福音書 第3章1~6節

2022-02-27 15:51:04 | マルコによる福音書

2022年2月27日大阪東教会主日礼拝説教「愛ゆえの殺意」吉浦玲子 

 ふたたび安息日のことです。主イエスと弟子たちは会堂に入りました。主イエスは、その宣教の初めの時から、安息日に礼拝をしている会堂に入り、巡回伝道者のような形で、御言葉を語り、神の国の宣教をなさっていました。この時も、同じように、御言葉を語るために会堂に入られました。そこには、主イエスが何をおっしゃるか、注目していた人々がいました。純粋に主イエスのこれまでの素晴らしい業や言葉のことを聞き知っていて、期待をもって主イエスの言葉を待っている人々もいたかもしれません。しかしそうでない人々もいました。彼らは別の意味で期待をしていたのです。徴税人や娼婦たちと一緒に食事をし、断食もしない、そして安息日も守らない、律法に対して冒涜的だと彼らにとって思える人物に対して、今度こそ、しっかりと律法違反の尻尾をつかまえて、やっつけてやろうと身構えていました。 

 その会堂には、片手の萎えた人がいました。主イエスを訴えようとしていた人々は、これまでの主イエスの言動から、おそらく、この手の萎えた人を癒すであろうと予想していました。そして癒されたら、安息日違反の現行犯として訴えることができると踏んでいました。前にも言いましたように、安息日であっても、命に関わる病気に関しては治療を行ってもよいことになっていました。しかし、この手の萎えた人に関しては、病ではありますが、一刻一秒を争う命に関わることではありません。なので、安息日にわざわざ癒されなくてもいいという理屈があるのです。 

 主イエスは当然、自分を訴えたい人々がいることをご存知でした。そしてご自分が手の萎えた人をここで癒したら、どんなことになるのか十分わかっておられました。十分わかったうえで、主イエスは、この人を癒されました。意図的に主イエスは癒されたのです。主イエスであれば、誰にも気づかれずに、こっそりと癒すということもできたでしょう。しかし、主イエスはそうはなさらなかったのです。敢えて、注目を受けている中で、さらに注目を浴びるやり方で癒されました。ここでの主イエスのなさり方は、ある意味、確信犯的であり、自分を批判する人々に対して挑戦的でした。 

 実際、イエスは手の萎えた人に「真ん中に立ちなさい」とおっしゃいました。会堂の真ん中には律法を読む場所があったようです。その真ん中にきなさいと主イエスはおっしゃったのです。そう言われた手の萎えた人も、その場にいた人々もたいへん驚いたことでしょう。敢えて注目を浴びながら、主イエスはおっしゃいます。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」ここで、善悪を主イエスは問われています。善とは何かと実際考え出すとわからなくなるところがあります。哲学的に探究しても話が難しくなります。主イエスを陥れようとしていた人々にとっての善は明解なものでした。彼らの律法の解釈に合うものが善でした。つまり、安息日に手の萎えた人を癒さない、それが彼らの善でした。しかしそうなのか?主イエスはまさに律法が読まれる場所で問われたのです。先週も申し上げましたように、律法は弱い人間のために、人間の心と体と霊的な健康を守るために、神が定めてくださった休むための日でした。神の創造と救いの業を覚え感謝する日でした。それが主イエスの時代には人間の行動を禁止するための掟となっていました。本来は神の創造の業を覚え、神の救いの恵みを覚え感謝して過ごすためにありました。しかし、エレベーターのボタンを押してはいけない、麦の穂を摘んではいけない、あれをしてはいけない、これもいけない、というような人間の行動を禁止すること自体が安息日の目的になってしまいました。もちろん人間が自分の判断で何でもありという風にやってしまうのはよくありません。大事なことは神を覚え、神の恵みにあずかるということです。神の恵みというのはなにか抽象的なこと精神的なことではないのです。そこには空腹であれば食べ物が与えられ、苦しみがあれば取り除かれる、ということも含まれるのです。 

 手の萎えた人は、苦しみの中にありました。おそらくそれは昨日今日に始まった苦しみではなかったでしょう。しかしまたその一方で、その苦しみは、今日、癒されなければいけなかったでしょうか。安息日の終わった明日でもよかったでしょうか。実際のところ、一日遅れたくらいで大きな差はなかったかもしれません。しかし、ここで考えなければならないのは、今、主イエスがおられるところが会堂であるということです。礼拝の場であるということです。ここに人々は神を礼拝しにやってきているのです。神を讃え、神の御言葉を聞くためにやってきているのです。人間を愛し、救ってくださる、安息を与えくださる神の業を覚え、喜び祝うのが礼拝です。神は苦しむ人の苦しみを取り去り、喜びを与えてくださるお方です。礼拝も喜びの時になるべきなのです。手の萎えた人も喜び、神を祝い賛美する人とされなければならないのです。本来、天の喜びの宴の先取りであるべき礼拝の場であるゆえ、敢えて、主イエスのは手の萎えた人を礼拝の場である会堂で癒されました。この人が本当に心から喜び安息を得られるように。 

 何が善であり、悪であるか。人間が神の業を喜べることが善であり、神の業を喜べないことが悪なのです。善である神は、人間に命を与えてくださった方です。「命を救うことか、殺すことか」と主イエスは問われました。さきほども申し上げましたように、この手の萎えた人は、生きる死ぬの命の瀬戸際にいたわけではありません。しかし、主イエスがおっしゃる命は単に生物学的に生きているということではなく、心も体も霊的にも生き生きと生きていることをさします。苦しみの中にあって本当の命に生きていない人を救い出すこと、本当の命へと救い出すこと、それこそが会堂においてなされるべきことでした。それこそが律法の目的でもありました。 

 主イエスは<怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた>とあります。主イエスはご覧になっていたのです。たしかに手の萎えた人も苦しみの中にあり、本当の命に生きていませんでした。しかし、主イエスの問いに答えなかった人々もまた、ほんとうには生きていなかったのです。本来喜びの日であるべき安息日に、人の落ち度を責め、糾弾しようとしていたそのかたくなな心は死んでいたのです。生きていなかったのです。主イエスはその姿に怒り、また悲しまれました。 

 本当に救われなければならなかったのは主イエスに答えることをしなった人々の方なのです。彼らこそ、本当の命に生かされなければならない人々でした。彼らは、イスラエルの民であり、アブラハムの時代から神を信じて生きて来たと自負している人々でした。しかし、その心は本当の神の善も命も分かっていなかったのです。彼らは自分たちは信仰を持っていると思っていたかもしれませんが、それは冷え冷えとしたものでした。本当に神の命に生かされている信仰は冷たくはありません。霊的なあたたかさがあります。それは人間的なあたたかさや、性格的なおだやかさとは少し違います。ほんとうに神の恵みにあずかっていることを感謝している人は、もともとの人間的なあたたかさとか冷たさとは別のところで、霊的なあたたかさを持っているのです。そのような霊的な心は、神が私たちを憐れんでくださったように、苦しむ人痛む人への愛と憐れみをもって接します。目の前に手の萎えた人を見て、安息日には癒してはならないという心にはならないのです。 

 さて、目の前にいる苦しむ人の苦しみが見えず、ただただ人の揚げ足を取ろうとしていた人々の貧しさ、ぞっとするような霊的な冷たさを主イエスは悲しまれました。憐れまれました。悲しみつつ、主イエスは会堂で、まさに礼拝の場で、愛の業をなさいました。神の愛を示されました。しかし、そのことのゆえに、主イエスに殺意を抱く人々が起こされました。「ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。」とあります。かたくなな心は、神の愛を退けるのです。まことの愛に対して殺意すら抱くのです。神を信じていると自負しながら、神の愛を目の当たりにしたとき、喜びではなく反発を覚え、殺意すら抱くのです。ここで滑稽なのは、ファリサイ派というのは、本来は、まじめに律法を研究する人々で、ユダヤ人中のユダヤ人という自負のある人々でした。そのファリサイ派の人々がヘロデ派と組むということはあり得ないことです。ヘロデ派というのはローマ帝国の傀儡のような人々で、ユダヤの律法や伝統を重んじる人々からは嫌われていたのです。ファリサイ派からはもっとも軽蔑されていた人々といっていいでしょう。しかし、憎しみというのは人々の心を狂わせるのです。大義や建前を失わせ、節操ない態度を取らせるのです。そして共通の敵を持つことで結びつきます。憎しみと憎しみは本来の大義と関係なくつながっていくのです。 

 主イエスを殺そうと思った人々は、安息日を形式的に守るという、自分の行為を大事にしていました。神の恵みではなく自分の行為を信じていたのです。神の愛を感じることのできなかったゆえです。不思議なことですが、神の愛を感じることのできない人々は、むしろ神の愛を目の当たりにしたとき、憎しみを感じるのです。自分の行為が軽んじられるように感じるのです。カインとアベルの物語では兄のカインが自分の捧げ物に目を留められなかったゆえに弟アベルに嫉妬をしてアベルを殺してしまいました。カインは捧げ物をした自分の行為を認められなかったと考え、憎しみを感じたのです。カインしても、ファリサイ派の人々にしても殺意までいただくなんてちょっと極端すぎるのではないかと感じられるかもしれません。しかし、人間の罪深さを思う時、自分の行為を否定された、自分が評価されなかったと感じたとき、人間の思いはとんでもなくどす黒いものになっていくのです。その思いはだれしも思い当たるところがあるのではないでしょうか。 

 私たちは日々の手の業をやめ、いま、この会堂にいます。ネットを介して共に礼拝を捧げておられる方もいらっしゃいます。文書で礼拝を捧げておられる方もいらっしゃいます。今日、この場で、皆の目に見える形で奇跡は起こらないかも知れません。しかし、一人一人に奇跡は起こっています。それはたとえ話的な奇跡ではなく、一人一人の心と体と霊において現実的に起こっているのです。神の愛を感じ、神の恵みを覚える時、それが分かります。今週の水曜日は「灰の水曜日」です。キリストのご受難を覚える受難節が始まります。「律法で許されているのは命を救うことか、殺すことか」主イエスはそうおっしゃっています。その主イエスの思いは理解されずご自身は殺されました。お苦しみにあわれました。私たちすべての命を救うためでした。受難節は、身を慎んで過ごしますが、けっして、受難を覚えるからと暗くなって過ごすのではありません。キリストの死によって私たちの命が生かされていること、救われていることを覚えて歩んでいきます。 

 

  


マルコによる福音書第2章23~28節

2022-02-20 13:29:55 | マルコによる福音書

 

 

2022年2月20日大阪東教会主日礼拝説教「人の心を縛るもの」吉浦玲子 

 ある安息日のことでした。主イエスと弟子たちは麦畑を通って行かれていました。麦がたわわに実っていたのでしょう。弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めたとあります。弟子たちは食べるために麦の穂を摘んでいたのです。彼らは空腹だったのです。通りすがりの畑の麦を食べないといけないほどお腹が空いていたのです。麦を見てお腹を空かせていた弟子たちはほっとしたことでしょう。主イエスと弟子たちは町から町へと宣教の旅をしながら、招かれた家で食事をすることもありました。前にお読みした聖書箇所では、徴税人の家に招かれて食事をしている場面もありました。しかし、旅から旅の宣教の歩みにおいて、いつも豊かな食事に恵まれていたわけではありませんでした。むしろ、食べる物にも事欠くような日の方が多かったのではないでしょうか。今日の聖書箇所の前の場面では断食についての問答がありました。主イエスの弟子たちはなぜ断食をしないのかと問われていました。たしかにすでに神の御子が来られて共におられる、その喜びの場面で断食はしないものだと主イエスはお答えになりました。しかし、一方で、実際の食べ物事情からいうと、弟子たちは日常的に断食をしていたとすら言えるような状態だったようです。 

 ですから、弟子たちは麦畑に入り、麦の穂を摘んで、そして手で揉んで殻をとって食べていたのです。そのこと自体は律法でゆるされていたことです。貧しい人が麦畑に入って手で麦を摘んで食べることはゆるされていました。鎌などの道具を使って刈り取ったり脱穀することはゆるされていませんでしたが、手で摘んで揉んで食べる分にはなんら問題がなかったのです。 

 しかし、問題はその日が安息日であったということです。ファリサイ派の人々は、弟子たちの行為をとがめました。「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか。」この麦の穂を摘むという行為が労働だと判断されたのです。安息日に、禁止されている労働を主イエスの弟子たちはしていると、とがめられたのです。私たちの感覚では、なんて細かいことをグチグチいうのだと感じます。しかし、ファリサイ派の人々は真剣です。神の律法を真剣に守ろうとしていたのです。今日的な感覚で、ファリサイ派の人々を単純に杓子定規な教条主義者とはいえないところもあります。 

 安息日の根拠は旧約聖書では二通りあります。一つは出エジプト記にあります。天地創造の時、神がこの世界を6日間で創造され、7日目にお休みになったことが安息日の根拠の一つです。「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」出エジプト記にこうあります。神は天地創造をなさって疲れたから七日目にお休みになったわけではありません。七日目に、お造りになった世界を喜び、祝福されたのです。「見よ、それは極めて良かった」とあるように、世界を祝福されたその七日目を特別に聖別されたのです。その特別に聖別された日が安息日でした。その「極めて良かった」世界は、人間の罪のために壊れてしまいました。今や不完全な世界です。しかしなお神の顧みは続いています。神はこの世界を守ってくださっている、そのことを覚え、神が聖別された七日目を特別な日として過ごす、それが安息日です。 

 安息日のもう一つの根拠は、申命記にあります。かつてエジプトで奴隷になっていたイスラエルの民は、エジプトにいる間、奴隷ですから、当然安息日などはありませんでした。しかし、出エジプトによって、エジプトを脱出し、奴隷から解放されましたた神によって、イスラエルの人々は自由な人間として解放されました。救われたのです。そしてイスラエルの民は安息日を守ることができるようになりました。安息日は神の救いと人間の解放を記念する日となったのです。 

 いずれにしても聖書は「休みなさい」と人間に言っているのです。安息日というものは、神が御自身の業のゆえに与えられる安息の日、休みの日なのです。休みなさい、そして神の業を覚えなさいという日です。休まなければどうなるでしょうか?もちろん働きづめでは人間は心身を病みます。一見タフで、昭和の時代のコマーシャルのように24時間戦えるような人であっても、実際のところ、体と心にダメージが蓄積されているのです。休むということは、そのような人間の弱い肉体と心を守る面もありますが、それ以上に、神を業を覚えるということが人間にとって必要なのです。安息日には神を礼拝するのです。休まなければ、あるいは仕事が休みでも、レジャーだ家族サービスだと忙しく動き回っていては、神の業を覚えることができません。結局、日曜から土曜まで、すべてが人間の働き、業だけで過ごすことになります。そうなると、すべてを人間が牛耳って制御しているように錯覚します。そうではないのです。私たちは神に造られ、神に救われ、日々、神に守られている、そのことを覚えるために休むのです。仮に私たちが休まなければ、神さまは私たちを守ってくださらないということはないでしょう。でもどうしょうか?たとえば、子供たちが、両親が働いてることに一切感謝をしない、お父さんとお母さんは勝手に働いてて、自分たちは自分たちで学校に行ったり日曜日も塾や習い事にいったり友達と遊ぶから、ということであれば、そこに家族の喜びはあるでしょうか。親と子が共にひとときでも時間を過ごし、家族での休養の時を持つとき、そこに家族の喜びがあるのではないでしょうか。神と人間の関係もそうです。神様が勝手に働いていて、私たちは私たちでやっとくから、というのでは、そこには神と人間の交わりはありません。信仰の喜びがありません。安息日は神と交わり、神の業を覚え、感謝して、心安らかに喜ぶ日なのです。 

 かつて信徒のころ、私たちはかなり熱心に教会の奉仕をしていました。日曜日も朝早く教会に行って、昼ごはんの準備、教会学校の奉仕、礼拝のあとはパソコンに向かってさまざまな事務処理を夕方近くまで行っていました。日曜日、教会から帰ってくるとき、とても疲れて、なんだか平日に会社で残業して帰っているのと変わらないなあとどんよりと暗くなって思うことが、よくありました。今思うと、神との交わりを喜ぶという肝心なことを私は忘れていました。神の前で安息するということの意味が分かっていなかったのです。会社の仕事は休んでいても、結局、自分の手の業を続けていたのです。 

 これは、聖書に出て来るファリサイ派の人々も同様でした。空腹でやむを得ず、麦を食べていた弟子たちに、律法違反だとチェックを入れる、そんな彼らは、本来の安息日の意味を取り違えていました。もちろん、彼らは神の戒めに真面目な宗教家ではあったのです。主イエスの時代には、律法に違反をしないように、モーセの律法に加えて、口伝律法と言われるものがありました。もともと律法には安息日に関して39の禁止事項があったようですが、さらにその39に対して39のもっと細かい細則ができたのです。つまり全体で39×39の1521の禁止事項がありました。何を安息日に休まねばならない労働と考えるのかということが細かく規定されているのです。弟子たちが麦を摘んで手で揉んで食べることも脱穀するという労働と見なされました。現代のイスラエルでは、たとえば、エレベーターのボタンを押すことも労働として安息日には禁止されています。しかしまた反面、命に関わるような病気に対しての医療行為はなしてもよいとも定められています。 

 安息日に関しては、単純にお腹空いているんだから、飢えているんだから堅苦しいこと言わなくていいではないかという問題でもないのです。主イエスはそれに対しで、かつて命を狙われて逃亡していたダビデが、本来祭司以外は食べてはいけない祭司のパンをもらってたべたことを引き合いに出して答えられました。この話はサムエル記にある話ですが、祭司は、ダビデたちが身を清めていることを条件にパンを渡したのです。これは、安息とは何かということを示すことです。安息は神が与えられるものです。奴隷であった民を解放し、自由を与えてくださった神が、人間に平安を与えるために安息を与えてくださいました。奴隷から解放された出エジプトの民は、安息日を守りました。そして毎日、天から降って来るマナという食べ物で人々は養われていました。マナを拾って持ち帰って食べたのです。しかし、安息日の前日にはマナは二倍の量降って来たのです。安息日にマナを拾いに行かずに済むように。安息日にはお腹空かして神のことを思っておけというのではないのです。神は心身の必要を満たしてくださり、人間が本当に安息を得られるようにしてくださったのです。追手から逃げ回り空腹だったダビデたちに、祭司を通して、神は安息を与えてくださったのです。神は人間を愛し、弱い人間のために安息を与えてくださったのです。 

 そしてまた、この箇所で、ある牧師は、パンをもらったのがダビデということにも意味があるとおっしゃています。ダビデは祭司からパンを受け取った時、まだ王に即位はしていませんでしたが、すでにサムエルから油を注がれていました。神から王になる者としてすでに選ばれていました。その神に選ばれた王であるダビデに対してパンが与えられ、ダビデは、自分に従う者たちにそのパンを分け与えることができたのです。つまり王たるダビデがパンを人々に与えたのです。主イエスはダビデの血筋であり、ダビデの王権を継ぐ者でした。いえ、ダビデ以上の王たるお方でした。ですから、「人の子は安息日の主である」とおっしゃったのです。神が人間のために安息をお与えになった、そして地上に来られた神、そして完全なる王である主イエスもまた人々にまことの安息をお与えになるお方でした。人間に対してまことの平安をお与えになる方でした。ですから人の子、主イエスは安息日の主でもありました。 

 今日、私たちは安息日の定義で人々を縛ることはないかもしれません。しかし、私たちが神から顧みられていることを忘れる時、私たちは自分で自分を縛るのです。そしてまた人をも縛るかもしれません。日曜日に残業するような気持ちで奉仕をしていた私もそうです。本来、神に与えられた安息を喜ぶ日なのに、自分はこれをやらねばならないと自分で自分を縛っていました。そしてまた、ほかの人はなぜわたしのように奉仕をしないのか、と不満にも思っていました。ファリサイ派の人々が飢えている弟子たちに対して批判をしたように安息ということを人を裁くための道具としていたのです。 

 神はこの世界を造ってくださいました。それは命を造ってくださったということです。私たち一人一人の命を造ってくださいました。神は私たちの一人一人の命を慈しんでくださる方です。命が損なわれることを願っておられません。私たちが肉体的にも、心も健やかに、生きていくことを望んでおられます。そしてまた霊的にも健やかに豊かに生きていくことを願ってくださっています。そのために安息日は定められました。心身共に、霊肉共に神に守られ、慈しまれていることを覚えるために安息日が定められました。 

 旧約の時代、土曜日が安息日でした。主イエスの復活ののち、主イエスが復活をなさった週の初めの日、つまり日曜日を、キリストを信じる者は礼拝を捧げる日と定めました。この日曜日を旧約時代と同じように「安息日」と呼んでいいかどうかは神学的には議論があります。しかし私たちはこの日曜日を主の日として礼拝をいたします。この日、神から安息をいただきます。しかし、人によっては日曜日が仕事である方もあるでしょう。また病やご高齢のため礼拝に集えない方もあるかもしれません。しかし、すべての人々に対して、神は安息を与えられます。それぞれの場で、場合によって、曜日を違えてでも、一人一人に、神は安息をあたえてくださいます。一人一人の命を慈しんでくださいます。私たちの縛られていた心を主イエスが解放してくださいます。私たち一人一人の命が本来の息を吹き返すのです。それが神に与えられた安息の時です。 

 


マルコによる福音書第2章18~22節

2022-02-13 08:49:13 | マルコによる福音書

2022年2月6日大阪東教会主日礼拝説教「発泡する福音」吉浦玲子 

 ここにいる多くの人にとって、断食というのはなじみの薄いものではないでしょうか。ですから、断食について書かれた聖書箇所を読むと自分とは関係ないと思ってしまわれる方もあるかもしれません。信仰によって救われたんだから、断食という苦行めいた行為などは必要ではないと考える方もおられるかもしれません。一方、断食は聖書の世界のみならず、多くの宗教で、宗教的行為として行われます。旧約聖書の時代からイスラエルにおいては悔い改めの時や神への特別な嘆願の時などに行われてきました。時代によって変遷がありますが、バビロン捕囚ののちは年に四回断食の期間が設けられていたようです。その後、新約聖書の時代には週に二回、月曜日と金曜日に断食が行われていました。イエス様ご自身、荒れ野で40日間の断食をなさいました。断食はユダヤ教においては神への敬虔のしるしでした。初代教会の信徒たちも断食をした記録があります。現代でも、キリスト教の多くの教派で断食や、なんらかの食物の規定を守っています。アドベントや受難節、あるいは決まった曜日には肉を食べないとか、お酒を飲まないといったなんらかの決まりをもっているところがあります。プロテスタントの教会でも教会によっては断食祈祷を積極的に行うところもあります。私が洗礼を受けた頃、母教会の献金報告の中の「感謝献金」のところに、牧師ご夫妻の名前があって「断食祈祷感謝」と書かれてあったことがあります。へえ!牧師先生は断食祈祷をされるんだと驚いた記憶があります。だからといって信徒も断食しなさいと言われたりした記憶はありませんでした。ただ「祈りと断食」というのはペアなのだということはお聞きした記憶があります。 

 いずれにしても断食というのは、その行為そのものに良し悪しがあるのではありません。もちろん、イエス様ご自身が断食をなさっていることから、断食自体が否定されるものではないのですが、断食は形式化する危険がありました。本来断食は神へと心を向けるためのものでした。先ほど申し上げましたように、祈りとペアのもので、深い祈りとともになされるべきものでした。しかし、断食そのものが立派なことであって、断食自体が目的化してしまうことがありました。 

 今日の聖書箇所を読みますと、洗礼者ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人々は熱心に断食をしていたことがわかります。彼らは熱心に神を求めていたのです。ですから祈りと断食を熱心にしていたのです。その態度は、ある意味、立派でした。しかし、その立派な宗教的行為をする人々の中には、断食を形式的に行っている人々もいたのです。断食が形式、あるいは律法的に行なっていると、ほかの人々の行いを批判的に見てしまうようになります。今日の聖書箇所には批判したとは書いてありませんが、ある人々が主イエスに対して「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言ったと書いてあります。直接に批判はしなかったのですが、やはり批判的なのです。本当に神への祈りのために、また神を求めて断食をしているならば、他の人のことは気にならないはずです。しかし、彼らは気になるのです。自分たちはちゃんとやっているのに、なぜこいつらはちゃんとやらないのか?と。行為が形式化する、教条主義化するとこうなるのです。自分がちゃんとやっていることを人に見てもらいたいし、人がやっていないとケチをつけたくなるのです。そこには本当の神との交わりの喜びがないからです。 

 そしてまた、今日の聖書箇所の前のところでは、主イエスたちが徴税人や娼婦たちと一緒に食事をする場面が描かれていました。律法を守る当時の人々の感覚から言ったら、罪人、神から離れている人々とみなされている徴税人や娼婦と食事をすること自体、ありえないことでした。しかも、徴税人たちは裕福だったので、その宴会も豪華であったと考えられます。これは実際、宗教や宗教者へのイメージとして考えた時、分かりやすいと思います。ファリサイ派の人々は、週に二回断食をしている真面目な宗教者のイメージがあります。しかし片や、主イエスの弟子たちは、やくざのような徴税人やいかがわしい娼婦たちと大宴会を開いているのです。じゃあ宴会をしていないときは断食をしているかというと、その様子もないのです。普通に考えて、どちらが真面目に神を求めているように見えるかということです。現代においてもそうではないでしょうか。宗教者がやたらグルメな食事をしたり、宴会を開いて大酒飲んでいるより、質素な食事をして定期的に断食している方が、立派に感じられるでしょう。人間は形式や見た目を気にするのです。本当の神との交わりがないとき、人から宗教的に思われたい、信仰深い人と思われたいという思いが出てきます。そしてまた人に対しても、あの人の態度は信仰的ではないと批判的に見たりするのです。 

 それに対して主イエスはおっしゃいます。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。」前にも申し上げましたように、神と共なる喜びは、聖書において、宴会、それも婚礼の祝いの祝宴で良く表現をされます。そもそもイスラエルでは婚礼の式はとても大事にされていて、真面目なファリサイ派でも婚宴のときには聖書の講義を休むというくらいだったそうです。ここで花婿とは主イエスです。時は満ち、神の国は近づき、まさに花婿たるキリストがこの世界に来られた。そのキリスト、救い主たるイエスと共にいるということは、神の祝宴にすでに連なっているということです。ですからそこで断食はできない、そう主イエスは答えられたのです。 

 そして先ほども申し上げましたように、断食は特に神への悔い改めや嘆願のためになすものでした。神への特別な祈りを伴うのが断食でした。神との特別な交わりを求めるのが断食でした。しかし今や、天から来られた神の御子、神そのものであるお方が直接に語り、交わってくださっているのです。ですから、主イエスが共におられる場で断食は不要なのです。 

 そしてこの聖書箇所では、有名な言葉が出てきます。「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」 

 固い古い布に柔らかな織りたての布で継ぎをあてると破れがひどくなる、また新しくて発酵が進んでいるお酒を固い革袋にいれると発泡しているお酒で皮が破れてしまう。新しいものは新しいやり方でやっていかねばならないという譬えです。 

 たとえば、あたらしい時代にあった伝道の仕方があるのだから、新しい伝道を考えようではないかという意見があります。また、新しい時代にあった礼拝の仕方があるから、礼拝の仕方も変えようということもあるかもしれません。実際、キリスト教2000年の歴史において、初代教会と現代の教会は大きくいろんなものが変わっています。礼拝の捧げ方、祈り方、賛美の仕方、さまざまに違うでしょう。宗教改革ののちであっても、バッハの時代と今では、やはりずいぶん違います。だから現代においても、若い人が好むような音楽を用いて礼拝を行ったら若い人が教会に来るようになるでしょうか?実際、そのようになさっている教会もあります。それは悪いことではありません。しかし、新しい革袋というのはそのような問題でしょうか? 

 ヨハネによる福音書の中にニコデモという男性が出て来る場面があります。彼は善良なユダヤ教の指導者でした。権力者でありながら、権力者たちから疎まれていた主イエスのところへ教えを乞いに来たのです。そのニコデモに主イエスはおっしゃいます。「水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」。新しく生まれ変わらなければ、神の国には入れないと主イエスはおっしゃったのです。新しい教えを学んだら良いとか、これまでの生き方をこのように変えたら良いということではなく、新しく生まれなさいとおっしゃったのです。よく生まれ変わった気持ちでやり直すということは言われます。しかし主イエスはニコデモに生まれ変わった気持ちでやり直せとはおっしゃっていないのです。生まれ変わりなさい、新しく生まれなさいとおっしゃったのです。そもそも私たちは自分の命を新しく生まれさせることはできません。生まれ変わったように心を入れ替えることはある程度はできるかもしれません。しかし、主イエスはそういうことをおっしゃっていはいません。水と霊によって生まれるとは具体的に洗礼によって新たに生まれるということですが、神によって新しくされなければならないとおっしゃっているのです。 

 翻って、この「新しいぶどう酒は新しい革袋に」ということは、神によって新しくされたぶどう酒は新しい革袋に入れなさいということですが、神によって新しくされたぶどう酒とは何でしょうか?それは福音そのものです。福音とは何でしょうか?それは神ご自身が人間を救ってくださるということです。人間の側の努力や善行や断食や祈りのゆえではなく、神ご自身が救ってくださるということです。罪にまみれた人間を新しく生まれさせてくださるということです。神が、人間の側にいっさいの理由がなく、そして人間の行いによらずに、救ってくださる、新しく生まれさせてくださるということです。その神の救いの業を信じること、それが新しい革袋ということです。単に断食を止めるとか行うとか、礼拝のスタイルを変えるということではなく、神の救いの恵みを信じる生き方をする、神がすでに与えてくださっている恵みを感謝する生き方をするということです。 

 さて、しかし20節に「花嫁が奪い取られる時が来る」と語られています。これは直接的には十字架の時です。主イエスが共におられなくなる時が来るということです。ということは、主イエスが肉体をもってそばにおられない今は、やはり週に二回断食をすべきでしょうか?そうではありません。私たちには、キリストを示してくださる聖霊が与えられています。ですから、時は満ち、神の国は近づいたということは変わりません。私たちはすでに救われた喜びのうちに生かされているのです。しかしまた同時に、主イエスによって救われたことを感謝して生きる時、おのずとそれは主イエスの御跡を追う歩みとなります。神の恵みに感謝して生きる歩みには、時に、試練もあるのです。そのとき、私たちはよりいっそう神への祈りを深めます。キリストの十字架の苦しみを覚える時もあります。そのとき、祈りのために断食をすることもあるでしょう。形式的な断食ではなく、さらに神を求める祈りとして、キリストの十字架の歩みを覚えるための断食をすることもあるでしょう。 

 断食をするにせよしないにせよ、大事なことは私たちはすでに新しいぶどう酒をいただいているということです。昔、ぶどう酒ではないのですが、友人との食事会の折り、日本酒の新酒をいただいたことがあったのですが、それがスパークリングワインのように発泡していたのです。それに頓着せず、ふたを開けたとたん、勢いよくお酒が噴き出して来て慌てたことがあります。新しいお酒はいきいきと生きているのです。命にあふれているのです。それを形式主義的な、古い革袋に入れてはいけないのです。入れることはできないのです。神の愛があふれているように、神に救われ神の愛を知った私たちもまたその信仰の心は豊かに動き、泡立ち、勢いよく飛び出していくのです。そこには、自分はこんなにがんばって信仰してるのに、あいつらはなんだ?と人を批判したり、単なる形式的なことスタイルに過ぎないことを教会の伝統だと固執する姿はみじんもありません。もちろんだからといって何でもありの無秩序ではありません。神の前に畏れと敬虔をもって、そして神の秩序に従って歩むのです。私たち一人一人も教会も古い革袋ではありません。福音はそのようなものに入り切れるようなものではありません。春が近づいています。土を突き破って、草花の芽が出てきています。枝々につぼみが膨らんできています。福音によってわたしたちの命も天に向かって勢いよく伸び伸びと飛び出していきます。 


マルコによる福音書第2章13~17節

2022-02-06 08:26:47 | マルコによる福音書

2022年2月6日大阪東教会主日礼拝説教「罪人を招いたら祝福が広がった 」吉浦玲子 

 レビという男は徴税人でした。徴税人はその名の通り、税金を取るのが仕事でした。その税金というのは、イスラエルを支配していたローマに支払う税金でした。ローマに支配されていた植民地に生きる民として、ことに神から選ばれた民だという自負のあったイスラエルの人々にとって、ローマ帝国への納税は屈辱的なことでした。徴税人たちは、言ってみれば、ローマに媚びをうって自分の懐を温めている存在でした。そしてまた、この徴税人たちは、規定以上のお金を取り、自分の懐に入れていました。税の取り立ての仕方もかなりえげつなかったようです。ですから人々からかなり嫌われていたのです。徴税人は罪人と扱われていました。 

 そのような徴税人としてレビは生きていました。生活は裕福であったかもしれません。同じ徴税人の話がルカによる福音書にあります。ザアカイという徴税人が出てきます。このザアカイは、主イエスの話を聞きつけて一目主イエスを見ようと思って、木に登って主イエスの姿を見ていた男でした。そのザアカイを主イエスは招かれました。それに対して、このレビは、主イエスの話を聞きに行ったりお姿を見ようとしたとは書かれていません。彼は「取税所に座っていた」のです。群衆は主イエスの周りに集まっていました。しかし、レビは無関心でした。実際、無関心であったか、無関心を装っていたのかはわかりません。主イエスのことは耳には入ってはいたでしょう。町中、主イエスのことで持ちきりだったでしょうから。しかし、レビはザアカイのように主イエスに興味を示すことはなかったのです。自分には関係がないこと、そう思っていたのでしょう。 

 最初に申し上げましたように徴税人は罪人とみなされていました。神から遠い人間、救われようのない人間、そうみなされていました。そして徴税人であるレビ自身も自分のことをそう思っていたのでしょう。自分は神から見捨てられた人間だと思っていたのです。少し前に悪霊に取りつかれた人や重い皮膚病の人の救いの物語をお読みしました。ことに、当時、重い皮膚病の人は、律法で汚れた者と見なされ、信仰共同体から切り離されていました。片やこの徴税人は病ではありませんし、町の中に住むことはゆるされていましたが、やはり、共同体いは受け入れられない人々でありました。そして悪霊に取りつかれた人や重い皮膚病の人はある意味、当人にはどうしようもないことで苦しんでいた人たちであったともいえます。それに対して、徴税人たちは、徴税人になった経緯はさまざまにあるでしょうけれど、自らの意思によってあくどいことをしていた人々であったという側面があります。意識的に罪を犯してきた人々です。しかしそのような人々もまた、主イエスの招きによって、神との関係を回復していただきました。それが今日の物語です。 

 しかしまだ、主イエスと出会う前のレビは、イエスという男がどれほどすばらしい神の業をしていたとしても、そもそも神から見捨てられている自分とは関係がないと考えていたのです。だからレビは主イエスに興味も持たなかったのです。レビは魂の深いところで痛み、闇を抱え、そしてそれを見ないようにして、あきらめて生きていたのです。もてはやされているイエスという男を見たら、そして実際にそれが神から来た者であったとしても、いや神から来た特別な者であればあるほど、むしろ自分が神から遠いこと、自分が救われようのない存在であることを、いっそう突きつけられるかもしれない、そうレビは思ったかもしれません。 

 そんなレビを主イエスは通りかかりにご覧になりました。そして「わたしに従いなさい」と言われました。レビは立ち上がってイエスに従ったとあります。たいへん短い記述です。主イエスがレビのことをどのように思って声をかけられたのか、またレビがなぜすぐに主イエスのお言葉に応じたのか、聖書は語りません。ただ、レビが「すぐに立ち上がった」とだけ書かれています。この立ち上がるという言葉は、先週読みました中風の人が起き上がるという言葉とは別のギリシャ語になります。しかしまたこの、「立ち上がる」という言葉も、主イエスがよみがえられる時に用いられる言葉です。(マルコ8:31) 

 この場面で、レビはよみがえったのです。神から離れ、救いからこぼれていると考え、霊的に死んでいたレビは、命を与えられ、生き返ったのです。主イエスの招きのゆえに、神のもとに帰って来たのです。彼が立ち上がりたいとか、神のもとに行きたいと願ったわけではなく、主イエスがお呼いになったのです。その声を聞きとめたのです。人々から不正に金を巻き上げ嫌われながらも財産を為し、その物質的豊かさの中で、実際のところはむなしく感じていた自分の心から目をそらしてたレビは立ち上がり、よみがえりました。主イエスの招きに答えたとき、彼は本当の自分の人生に向かって立ち上がったのです。彼は主イエスの「わたしに従いなさい」という言葉を聞いて、その言葉を吟味し、なるほどこの人に従おうと決心したのではなく、主イエスの言葉そのものによって、レビは立ち上がらせられたのです。主イエスの言葉がレビを立たせてくださったのです。 

 私たちも聞くのです。「わたしに従いなさい」という主イエスの声を。虚しさの中で、疲れの中で、混沌の中で、さまざまな人間の思惑の中で怒りさえ覚える日々に、あるいは自信を無くして座り込んでいる心に聞くのです。「わたしに従いなさい」その主イエスの言葉を聞くのです。私に従って徳を積んだら救われる、私に従って聖書を勉強したら神に喜ばれる、そういうことではないのです。ただただ主イエスの歩むそのあとをついて行くのです。示される道を歩むのです。主イエスの御跡をついていくとき、私たちにはまことの力が与えられるのです。空元気ではなく、自然な元気をいただくのです。 

 さて、こうして主イエスに従ったレビは食事の会を開きました。「食事の席に着く」というのは食事に横たわるという意味です。これは当時、ユダヤにおいては食事の時、人々は実際、横たわっていたということもあります。同時にこの言葉は、宴会を指す言葉でもありました。祝宴ということです。実に大勢の人がいて、とあるように大宴会でした。そもそもユダヤにおいて、食事を共にするというのは大きな意味がありました。ユダヤ人は、基本的には罪人や異邦人とは一緒に食事をしませんでした。しかし、主イエスは徴税人たちと共に食事をしました。「徴税人や罪人たち」といわれているというのは、そこには娼婦もいたと考えられます。おそらくその光景は、当時の人が見る時、おどろくべきものであったでしょう。町で鼻つまみ者である徴税人と、いかがわしい女性たちが集まっているのです。 

 そして今日の聖書箇所には有名な言葉が出てきます。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」医者を必要とするのは健康な人ではないという言い回しは当時、寛容的に使われていた言葉であったようです。そこに重ね合わせて主イエスはこの言葉をおっしゃったのです。一般的に、宗教的と考えられる生き方は、正しい人間になること、少なくとも正しさを目指すことであると考えられます。しかし、主イエスは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」とおっしゃいます。主イエスは、正しくない罪人を招いてくださる、私たちはそこに慰めを覚えます。こんなどうしようもない自分をも主イエスは招いてくださる、そのままの自分を、罪人のままで招いてくださる、何と感謝なことだろうと思います。もちろん実際、これはとてつもなく感謝なことなのです。しかし、覚えなくてはいけないことは、罪人である私たちを招くために、主イエスは十字架におかかりになったということです。聖なる清い神の前には本来罪人は立つことができないからです。ですから、主イエスは私たちの罪の裁きを代わりに受けてくださいました。主イエスの命と引き換えに私たちは招かれたのです。 

 徴税人や娼婦と食事をされる主イエスのお姿は、ともすれば、人を差別しないおやさしいイエス様という薄っぺらなヒューマニズムで捉えられたりします。しかし、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」というこの言葉を私たちはじっくりと味あ 

わなければなりません。この宴会を見たファリサイ派の律法学者は非難をしました。これは主イエスが人を差別しない人格者で、律法学者たちは高慢な差別主義者だという側面だけでは見てはいけないのです。神の前には厳然とした秩序があるのです。聖なる清い神と、罪や汚れは一線を画さねばならない、神の前にあるとき、自らの清さを保たねばならない、それが律法によって定められたことでした。ですから、律法学者たちがいうように、徴税人や娼婦と交わることは本来ゆるされないことでした。しかし、主イエスは、すべての罪を、汚れを、清めるお方でした。時は満ち、神の国は近づいた、その主イエスの言葉によって、福音が与えられました。実際に、神の国は近づいたのです。だから、罪人も徴税人も娼婦もすでに近づいている神の国に主イエスと共にいるのです。 

 ここで宴会の場面が描かれていますが、聖書において終わりの日の天の大宴会がよく描かれます。キリストの再臨ののち、天のエルサレムで、私たちは喜びの宴に着くのです。主イエスご自身、地上を歩まれる時、多くの人々と、食事を共にされました。それは天の宴の先取りでした。すでに救い主なる主イエスが共におられる祝福された食事です。そこに招かれている者たちはすでに天上の宴にいるのです。そこには徴税人も罪人も関係ないのです。主イエスが共におられるからです。神の前に清くされた存在として、皆、祝宴に連なるのです。教会はその天の祝宴の先取りでもあります。私たちは今、主イエスと共に宴についているのです。招かれた罪人として、私たちは喜びの宴に今います。 

 ところで、現実的な話をしますとき、教会の多様性ということはたいへん難しいことです。遠いお話として読むだけならば、なかばやくざのような存在であった徴税人や娼婦たちと一緒に食事をとっておられる主イエスのお姿は素晴らしいと思うのですが、実際問題として、現時点で教会に集っておられる人々とは、背景の異なる人々が教会に多数入って来られたら、やはり難しい問題が起こると思います。実際、初代教会では、ユダヤ人ではない、異邦人が教会に入って来たとき、対立や問題が起きたのです。背景や身なりや言動が自分とは異質な人々であっても、率直に言って、嫌悪感すら覚える人々であっても、その人々は主イエスに招かれた人々です。そして私たちも、その人々と罪人であることにおいてなんら変わらない者です。神から憐れまれなければいけない存在です。しかし、そのことが頭ではわかっていても、どうしても教会は同質な人々で固まりがちになります。多様性を持てないのです。 

 昨日は大阪東教会の140年目の創立記念日でした。本来、今日は、創立記念礼拝として持つべき礼拝でした。創立記念、それも140年という節目の記念です。その記念すべきとき、私たちは、会堂に集い礼拝を行うことができません。140年前、身を粉にして宣教をされたヘール宣教師兄弟、そして教会草創の頃の信仰者たちは、いま、私たちがこのような状況であることをどう思っておられるでしょうか。この二年、コロナの禍の中、礼拝出席は低迷しました。財政的にも危機といってよいでしょう。しかし同時に大きな祝福もありました。この二年に、4名の方々が洗礼をお受けになりました。神の憐れみが教会に注がれていることを覚えます。私たちはかつても、今も、未来においても神の憐れみの内に生かされています。心貧しく、時に傲慢で、罪を繰り返す者でありながら、なお神が招き続けてくださっています。その感謝の内に私たちは新しく生きていきます。本来、招かれるはずがなかったのに、恵みのゆえに招かれた者として生きていきます。そして新たに招かれた人々を迎える者として生きていきます。罪贖われた罪人として、謙遜に、そして喜んで神の宴に連なります。その原点に立ち150周年へ向けて歩んでいきましょう。150周年の記念の日には、多くの信仰者が、多様な信仰者が集う、大いなる神の宴となっていることを信じます。それを信じることは、私たち一人一人の信仰生活の喜びの源でもあります。私たちはそれぞれに孤独を抱えて生きていきますが、同時に信仰共同体の中に生かされています。共に招かれた者として、愛し合う共同体の祝宴にすでに入れられています。