大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

大阪東教会主日礼拝説教 ルカによる福音書第8章4~15節

2024-10-08 17:58:21 | ヨハネによる福音書
2024年10月6日大阪東教会主日礼拝説教「誰が種を蒔くのか」吉浦玲子
<覆いを取る>
 今、聖書研究祈祷会や聖書を読む会で「ヨハネの黙示録」を読んでいます。「ヨハネの黙示録」はたいへん分かりにくく、神学者によっても解釈が大きく異なったりする書物です。「ヨハネの黙示録」を読まれる時、多くの方はもう少しスカッと分かりやすく書かれていればいいのにと思われるのではないでしょうか。しかし、「ヨハネの黙示録」は神の終末の時までのご計画が書かれている書物であり、そもそも神のご計画というのは人間の理性や思いをはるかに越えたものです。何月何日にどこそこにこういうことが起こりますよ、というように人間が知りえるものではありません。本来人間が知りえない事柄を、不可思議なイメージなどを駆使して語られたものが黙示録です。そもそも黙示という言葉の原語には、「覆いを取る」という意味があります。隠されたものが明らかにされるという意味です。ギリシャ語の原語では啓示と訳される言葉と同じ意味です。黙示は啓示の中で特に終末について語られたことを指すことが多いようです。
 神の出来事や神の国については、神御自身が覆いを取ってくださらなければ人間には分かりません。今日の聖書箇所に「たとえ」を用いる理由を主イエスが語られています。9節で「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ」と主イエスはおっしゃっています。あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されている、と主イエスは弟子たちにおっしゃいますが、「悟り」というと修行したり、いろいろと励んで、悟りの境地に達するような感じがありますが、聖書の神の事柄についてはそうではありません。神の方から「覆いをとって」示してくださるから悟ることができるのです。
 私たちは今日これから、聖餐にあずかりますが、今、聖餐のパンとぶどうジュースは今はまだ布と器の中に隠されています。これは埃をかぶらないようにするためとか、荘厳なイメージ出すために、こうしているのではありません。パンとぶどうジュースによって示されるイエス・キリストの死と救いの出来事、つまり聖餐式に起ころうとする神の出来事が今はまだ隠されているということです。聖霊によって聖餐式が導かれる時、覆いがとられ、神によって主イエスの死と救いの出来事が示されるのです。
<耳ある者は聞きなさい>
 主イエスが弟子たちにおっしゃっているのは、弟子たちには神の国の秘密が隠されていないということです。もちろん隠されていないといっても、弟子たちとて、すべてのことを知らされるわけではありません。しかし、主イエスご自身が覆いを取って示してくださるということです。
 福音書には、多くの人々に対して主イエスが語られている言葉もあれば、弟子たちに対して語られている言葉もあります。どうして弟子たちにだけお話になる話があるのでしょうか。弟子たちは伝道のための奉仕をしてくれるから特別待遇だったということではありません。弟子たちは主イエスと共に生きようと決め、実際、主イエスと歩みを共にしているのです。主イエスに心を向けているのです。その弟子たちに対して主イエスは覆いをとって神の国のことを語ってくださるのです。
 一方、主イエスに心を向けていない権力者たちや、病気を治してもらったらもうそれで結構という人々に対しては覆いはかかったままなのです。それは主イエスが人によって態度を変えるとかケチだということではないのです。心を向けていない人に無理に神の国のことを語っても、それは反発や憎しみを買うからです。神の国の出来事は、冒頭で申し上げた『ヨハネの黙示録』のように、人間には本来理解できない事柄です。人間の常識を超えたことです。安息日に腕の不自由な女性を癒しただけで主イエスは命を狙われるほど権力者から憎まれました。そのような主イエスのある意味、当時の常識から外れた業の向こうに神を感じることができる人にのみ主イエスは覆いを取ってくださるのです。8節で主イエスは「耳ある者は聞きなさい」と大声でおっしゃっています。肉体の耳はあって音や言葉を聞きとる聴力はあっても、主イエスのお語りになる言葉を神の言葉として聞けない者は耳はないのです。主イエスは大きな声で耳ある者へご自身の言葉を届けようとなさいました。そして耳ある者に対して覆いをとってくださるのです。
 翻って私たちは毎週礼拝で御言葉を聞きます。あるいはいろいろな集会で御言葉と接したり、またそれぞれに日々御言葉と接して神からの恵みを受けています。もちろん、聖書が語る救いについての基本的なことや歴史的背景を理解していたら、聖書を読みやすくなるという側面はあります。でも本当に御言葉が私たちに語りかける神の言葉となるのは聖霊なる神の導きであり、神御自身が御言葉の奥にある真理を、覆いを取ってくださって私たちに示してくださるからです。そして今日、私たちに与えられている御言葉は聖書に親しんでおられる方にはなじみぶかい「種を蒔く人」の話です。この話が今覆いを取られて私たちに神の国を示してくださるようにと願います。
<私はどんな土地>
 このたとえ話で「種を蒔く人」とは神のことです。神が種を蒔かれるのです。この種は御言葉、福音を指します。しかし、ある種は道端に落ちてしまった。またある種は石地におちてしまった。さらに茨の中に落ちた種もあります。しかし、良い土地に蒔かれた種もあります。11節以降で、このたとえ話の解説を主イエスご自身がなさっています。道端に落ちた種は悪魔によって奪われてしまって、御言葉を信じて救われることがない場合を指します。石地に落ちた種は根が出なくて、最初は御言葉を受け入れてもすぐに身を引いてしまう場合、そして茨の中に落ちた種は人生の思い煩いやさまざまな誘惑に覆いかぶされて実を結ぶことがない場合だと語られています。そして良い土地落ちた種は御言葉を聞き忍耐して実を結ぶ場合だと言われます。
 このたとえ話は、話自体は分かりやすいものですが、日本人の感覚では少し違和感もあります。現代の農業を考えますと、道端や石地、そして茨の中に種は蒔かないからです。しかし、主イエスの時代、どうも種まきはおおざっぱなものだったと言われます。道端や石地にこぼれてしまうような種もあったようです。ですからこの話を聞いていた主イエスの時代の人々にとってはたいへんリアルな話だったのです。
 ところで大阪東教会の戦中戦後の牧師であった久保喜美豊先生は、植物を育てることがとても上手だったそうです。「どうしたらそのように植物をうまく育てられるのか」とある人が久保先生に聞いたら「植物をじっと見ていたら、どのようにしてほしいか分かるんだ。植物がしてほしいようにしたら良いんだ」と答えられたそうです。久保先生はそのようにしてうまく植物を育てられたようですが、実際のところ、久保先生以外の者には、土に種を蒔いても、花を咲かして実を実らせるまで育てるのはなかなか難しいことです。教会の庭でもいろいろ蒔いたりしていますが、けっこう失敗することがあります。一方で、雑草はやたらと繁茂します。雑草におされて、せっかく蒔いた種が成長できない、まさに茨に覆われたところに蒔かれた種のようになります。
 そのような現実の植物の話を思い浮かべつつ、この話を土地の側の問題として読みますと、自分は良い土地になって立派な心をもって御言葉を聞き、実を結びたいと願います。一方で、思い煩いばかりしている私は茨の覆う土地ではないのか、なかなか信仰が成長しない私は石地ではないのかと思ったりもします。
<たった一粒でも>
 しかし、大事なことは種を蒔いてくださるのは神だということです。私たちが整えられた土地になって初めて神が種を蒔いてくださるのではありません。石だらけであろうが茨や雑草が生い茂っていようが、神は種を蒔いてくださるのです。気前よくばんばんと蒔いてくださる。逆に私たちがどれほどがんばって良い土地になったとしても神が種を蒔いてくださらなければ、実は結びません。しかし、神が蒔いてくださらないということはないのです。どんどんと蒔いてくださる、大盤振る舞いをしてくださるのです。そして神が覆いをとってくださるとき、私たちが真実を見えるようになるように、神御自身のご計画によって育てていただくのです。
そしてもう一つ注意したいのはこの土地は一つの畑だということです。イスラエルの土地には多くの石があり畑を作る時もすべてを取り除くことは出来ませんでした。また当時のイスラエルの畑は灌漑を行っていませんから、深く耕すと水が蒸発してしまうので浅くしか耕せず、根の深い茨などが生えやすかったのです。ですから一つの畑の中に石が多くあったり、茨が生えていたりする場所もあったのです。私たちの心や日々もまた、一様ではありません。信仰に熱く御言葉を求める心もあれば、思い煩ったり、他のことに心を奪われたりもします。そんなさまざまな部分を持っている私たちに神はどんどんと種を蒔いてくださるのです。
 そのように神が蒔き、神が育ててくださるのです。その種は私たちがどれほど茨や石まみれであっても、ほんの少しの良い土地に蒔かれたら、主イエスに耳を傾けるほんの少しの心があれば、その種は芽を出し、育ちます。たった一粒でも育ちます。その育つ、たった一粒の種のために、神は蒔き続けてくださるのです。そしてまた、私たちはいつまでも石まみれ、茨だらけではありません。神が良い土地へと変えてくださるのです。神は良い土地を広げてくださいます。土地は広がっていくのです。ですから道端に落ちることも少なくなります。
<命を与える種>
ところで、種は、聖書の時代、土の中で死んでいると思われていました。その死んでいた種が芽を出し成長をするということは、人々にはたいへん神秘的なことでした。主イエスはヨハネによる福音書のなかで、御自身が十字架にかけられて死ぬことを一粒の種にたとえておられました。一粒の種は土に蒔かれ、土の中でひとたび死ぬからこそ、多くの実を結ぶのだと主イエスはおっしゃいました。主イエスご自身が特別な貴いたった一粒の種でした。その種が死んでくださったので、私たちの心にとてつもなく多くの種が蒔かれるようになりました。その蒔かれた種によって、私たちに新しい命を与えてくださいました。どんなに石ころだらけでも茨だらけでも蒔いていただき、わずかに出た芽を大事に育ててくださいました。
私たちはこれから聖餐にあずかりますが、主イエスが私たちのために一粒の種として死んでくださり、それゆえに私たちに多くの種が蒔かれたことを感謝しましょう。その種は百倍の実を結ぶ、と語られています。この百倍は当時の農業の常識からすると、とてつもない数です。常識外れの収穫です。今年、たくさんのぶどうが教会で実りました。感謝なことでした。でも、主イエスが蒔いてくださる種は、私たちの中で、あのぶどう棚のぶどうの何百倍、何千倍も、常識はずれなほどに、私たちの中で豊かに実るのです。

大阪東教会主日礼拝説教 ルカによる福音書第8章1~3節

2024-10-01 15:08:18 | ヨハネによる福音書
2024年9月29日大阪東教会主日礼拝説教「感謝ゆえの奉仕」吉浦玲子
<感謝して目立たぬ仕事をする>
 今日はルカによる福音書の短い部分を読みました。主イエスが宣教をなさって町から町、旅から旅の生活をなさっていた、その一行の中には主イエスが特別にお選びになった12人の弟子たちもいれば、そのほかの多くの男性の弟子たちもいました。そしてさらに女性たちもいました。聖書の時代は今とは比べ物にならないほどの男尊女卑でしたから、記録の中に、女性の名前が残っているということだけでも驚くべきことです。聖書がどれほど女性を大事に考えているかということがこういう箇所を読むと分かります。
 主イエスの一行は総勢で百名ほどではなかったかと考えられます。それらの人々の衣食住を旅から旅の生活の中で賄っていく必要がありました。2009年に日本プロテスタント宣教開始150周年を記念して、「ウォークウィズジーザス」という取り組みがありました。東京の日本橋から京都まで、昔で言うところの東海道53次を歩いてトラクトを配って伝道するというものでした。一か月ほどかけて毎日20キロほど歩く取り組みで、全体参加のメンバーが十数名で、部分部分するメンバーが数十名ありました。当時私は会社員をしていたので当然全体には参加できませんでしたが、休みを利用して部分的に何回か参加しました。私が参加した時もだいたい40名から50名の人がいたように思います。東京から京都まで歩きながら日々沿線の教会でその数十名分の食事や泊まる場所を提供してもらうものでした。東京を出発した時、すべての旅程での宿泊先教会が決まっていたわけではなく、今日は野宿かもしれないと思っていたら夕方に急に、うちの教会に泊まってくださいという連絡がくることもありました。そのイベントのリーダーたちは日々かなり苦労されたと思います。主イエスの宣教の旅も日々、どこに泊まるか、どこで食事を入手するか、そういった泥臭い心配があったと思います。そして主イエスの旅は、一か月限定のイベントではなく、共に旅をする人々にとって、それまでの生活を投げうった人生をかけた旅でした。そのように集ってきた人々の衣食住を賄うことはほんとうにたいへんであったと思われます。
私たちは今、別に町々を巡りながら伝道をしていませんが、やはり伝道においては福音を語る、ということのために、備えないといけない泥臭いことが多くあります。私たちの教会では、道端で道行く人に語りかける路傍伝道はしていません。福音を聞いていただくための場所としての会堂やその他の施設を持って伝道をしています。先々週、長老方がかなり時間をかけて庭の手入れをしてくださいましたが、会堂および諸施設、そして敷地の整備が伝道のためには必要ですし、会堂内でも礼拝をするためにさまざまな機材、道具も要ります。町々を巡り歩いていなくても、福音を語るという時、そのために必要な泥臭い仕事がたくさんあり、そのための奉仕が多くあります。
良く申し上げることですが、信仰というのは、良い心がけで生きるとか、教理をしっかり理解すると言った頭や精神の問題だけではなく、教会の敷地の草を抜くとか、会堂の電気が切れた交換するとか、全体的な活動全般に関わるのです。そういった活動を信仰の本質とは違うけれど、伝道のためにやらなければならないから仕方なくやる、ということではなく、むしろ個人でも教会でも日々の活動全般に関わることこそが信仰を支えるという側面があります。精神や観念・理念だけで、私たちの信仰は深まってはいかないのです。信仰というのは全体的なものなのです。
そのような奉仕を女性たちが担ったと今日の聖書箇所に書かれています。この女性たちは、男性の弟子たちの配偶者や家族というより、個々に主イエスを信じ、奉仕に身を投じていたと考えられます。「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの女性たち」とあります。悪霊は、現代においては分かりづらいものですが、神から人間を引き離し、人間を苦しめる存在です。おそらく悪霊に取りつかれたと言われていた人々は、日常の生活もできないような苦しみの中にあったと考えられます。その悪霊を追い出して、健やかにしていただいた女性たちが、その感謝の気持ちゆえに、弟子たちの一行に加わったのです。
しかし、主イエスが宣教をなさっていたこの当時、悪霊を追い出していただいたり、病を癒されたり、さまざまな悩みを解決していただいた人々は多くいたのです。ですから、主イエスをいつも大群衆が追いかけていました。しかし、主イエスによって癒された大部分の人々は、主イエスの弟子となってついてくることはありませんでした。ルカによる福音書の別の箇所で十人の病の人が癒されて、主イエスのもとに来て感謝をしたのは一人だけだったと場面があります。癒された十人のうち九人は奉仕どころか、感謝の言葉さえなかったのです。苦しみから解放されても、主イエスに感謝したり、主イエスの語る神の国のことを信じる人々は少なかったのです。
しかし、いくばくかの人々は主イエスに感謝し、弟子として歩みました。主イエスについていくために、それまでの生活を捨てたのです。男性の弟子であるペトロたちが漁師の仕事を捨てて主イエスに従ったように、女性たちもまた、多くのものを捨てて、主イエスに従いました。
<さまざまな女性たち>
 従った女性たちはさまざまな境遇の女性でした。「マグダラのマリア」という名前は非常に有名で、絵画にもよく描かれています。福音書では、復活の第一の証人として登場します。このマグダラのマリアと7章に出て来た罪深い女を同一人物とする考えも古くからありますが、実際のところはよく分かりません。ただ家柄などが書かれていないので、上流階級の出身ではないようです。それに対してヘロデの家令クザの妻は、ガリラヤの領主ヘロデの側近として取り立てられている人物の妻でした。教養もある上流階級の女性であったと考えられます。
 本来ならば、マグダラのマリアとヘロデの家令クサの妻が共に生活をするなどということは当時としてはありえないことだったでしょう。単に共に礼拝を捧げていただけではありません。最初にお話ししましたように、日々の衣食住に関わる泥臭い奉仕をマグダラのマリアもヘロデの家令クサの妻も共に担ったのです。教会とは本来そういうところです。さまざまな出自の人、立場の人が共に奉仕を担うのが教会です。そしてまた、信仰において、社会的な立場や貧富の差を離れて一致するのが教会です。
<女性はサポート役か>
しかし、今日の箇所に書かれていることに、ややモヤモヤした気持ちもあります。書かれていることは、女性たちが奉仕をしたということであって、一人一人についての細かいエピソードなどはありません。ペトロやヨハネ、ヤコブのような信仰に関わるエピソードは書かれていません。うがった読み方をしますと、「神様は女性もちゃんと用いてくださるんですよ、ですから女性も頑張って教会のために働いてくださいね」というおすすめのようにも読めてしまいます。女性は泥臭い裏方でがんばってね、と言われているようにも思います。
 実際、日本の多くの教会では女性の方が男性より人数が多いことが普通ですし、教会の様々な働きや特別なイベントを行っていくとき、こまごまとした裏方の仕事は女性が支えていることが多かったと言えます。それに対して、長老や役員といった、ある意味、表の部分の役割には男性が充てられることが多かったと思います。教会全体の男女比率からすると長老会・役員会の男女比率は不自然に男性が高かったのです。男性が重要な意思決定や表に立つところを担い、女性は裏方でサポートという構図があったと言えます。ただその裏方こそが、特にコロナ前のさまざまに集会があったころは重要で、そこに女性たちの働きがなければ教会は回っていかなったというのも事実でした。
 昔は多くの教会で婦人会というものがありました。これは原則的に既婚女性で構成されていました。青年会の若い女性が結婚をしたら自動的に婦人会に入るという流れがありました。この婦人会が多くのこまごまとした教会の働きを担っているというのが多くの教会の実情でした。その婦人会は教会を支える良き働きをし、また教会の信仰の要のようなパワーも担っていました。しかし逆に、婦人会が、教会の中で大きな力をもってしまい、影の長老会のような存在になってしまうようなこともありました。「婦人会を制する者が教会を制する」という言葉も昔はあったくらいです。これは非常に不健全なことです。いま、多くの教会で婦人会というものはなくなりつつあります。晩婚化が進み、独身の女性が増え、また結婚しても働き続ける女性が多くなり、昔は主として平日に活動することが多かった婦人会の活動がこれまでのようにはできなくなってきたからです。そして何より、性別や結婚しているかしていないかといったことでの括りが時代にそぐわなくなってきたからです。大阪東教会も、性別や既婚未婚でくくる活動はしない方針です。そのような現代の状況の中で、今日の聖書箇所はどのように読むべきでしょうか。
<持ち物を出し合って>
 今日の聖書箇所の最後に「彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」とあります。さりげない一文です。女性たちは、経済的にも共同体を支えていたのです。しかし、女性の中には、貧しい人たちもいたでしょう。そんな女性たちもやはり「自分の持ち物を出し」たのです。自分の賜物や労力を一行のために差し出したのです。以前いた教会で、手芸の得意な女性がいて、彼女は教会で用いるクッションや、布製の飾り物を多く作ってくださいました。自分の出来ることで信仰共同体に奉仕をしていくのです。当然、これは女性だけでなく男性にも求められることです。やはり以前いた教会には建物関係の仕事をしていた男性がいて、修繕などのこまごまとしたことをしてくださっていました。その方はいつも作業服に長靴という姿で教会におられて、教会の周りを暇さえあれば点検して、あれこれ作業をしておられました。初めて教会に来た人はその作業服で長靴の男性のことを出入りの業者さんだと大抵勘違いされたりします。
<かならず報われる愛の業>
 ところで、さきほど、「精神や観念・理念だけで、私たちの信仰は深まってはいかないのです。信仰というのは全体的なものなのです。」と申しました。でも、ともすれば私たちは、クッションを作ったり、集会室の台所の水漏れを修繕することは信仰とは直接関わらないことと考えてしまいます。主イエスの弟子たち一行の食事の準備をすることもたいしたことではないと考える人もいたかもしれません。逆男女差別的な発言をすれば、個人差はありますが、おおむね男性の方がどうしても観念に傾きやすい傾向があるのではないでしょうか。
 繰り返し申し上げていることに愛は労力を伴うということがあります。聖書で語られる愛は情感や観念ではありません。愛のために私たちは「持てる物」を差し出します。それがクッション造りであったり、水漏れの修繕であったりするのです。泥臭い、地味な働きです。そのような愛で形作られるのが教会であり、信仰共同体であり、一人一人の信仰生活です。
 そして、その泥臭い、地味な愛の働きをこそ、神は祝福してくださるのです。これからのち起こる十字架の場面で最後まで主イエスの十字架を見守ったのはほとんど女性たちでした。男性は女性よりも逮捕される危険が高かったこともあり、皆、逃げていました。ヨハネによる福音書に「愛する弟子」と呼ばれる一人の男性が十字架の傍らにいたことが記されている以外は、十字架を目撃したのは女性だったと記されています。十字架を担い、ヴィアドロローサを歩く主イエスを追い、生身を十字架に打ち付けられた主イエスを見上げたのは女性たちでした。それまでたくさんの奉仕をしてきた彼女たちは、十字架の場面では何もすることはできませんでした。ただ恐れ、嘆きました。主のために恐れ、嘆くこともまた彼女たちの愛の業でした。はたからみたら、何の役にも立たない行為です。泣いて嘆いたところで、主イエスが十字架から解放されることはないのですから。
 しかし、そのような女性たちが、復活の第一の証人となります。すべての福音書において、復活なさった主イエスの空の墓の第一発見者は女性です。復活の最初の目撃者は主イエスの側近として一番側にいたはずの12弟子たちではありませんでした。かつ、それどころか主イエスが復活なさったと言う女性の言葉を男性の弟子たちは最初否定しました。もちろん女性たちも墓に向かったとき、復活のことを分かっていたわけではありません。ただただ主イエスのなきがらに香油を塗ってさしあげたい、ちゃんと葬りをしてさしあげたいという、現実的な願いによって主イエスの墓に向かったのです。女性たちはどこまでも現実的で、泥臭い働きをします。その女性たちに復活の主イエスは最初に現れてくださいました。泥臭い、表には出ない、愛の業のうえに復活の主は愛の言葉をかけてくださるのです。私たちはこの週もささやかな愛の業を為していきます。しかし、その業はだれも見ていなくても神はご覧になっています。神が見ているんだからしっかりしなくちゃ、ということではなく、私たちのすべては神のあいのまなざしの内にあります。だから安心して日々の業を為していきます。そのような私たちをご覧くださる神は、私たちに偉大なことを見せてくださるのです。女性たちが十字架と復活の目撃者となったように、私たちも偉大な神の奇跡を目撃する者とされます。
 

大阪東教会主日礼拝説教 ルカによる福音書第7章36~50節

2024-09-24 18:11:50 | ヨハネによる福音書
2024年9月22日大阪東教会主日礼拝説教「罪深きゆえに愛を知る」吉浦玲子
<罪深い女>
 知り合いで、若い時、暴走族の頭だった方を存じ上げています。暴走族といっても、ただ暴走するだけでなく、限りなくやくざに近い、警察にお世話になるようなかなり悪いことをしていたそうです。その方が、ひょんなことから、教会に通うようになりました。その方は、教会に行ったら、牧師がいつも「罪人、罪人」と罪人について話をしていて、どうしてこの人は自分のことを知っているのか?と思ったそうです。なんでいつも自分のことを話しているんだろうと不思議だったそうです。なんだか不思議に思いつつ教会に通い、やがて回心をして、クリスチャンになったそうです。クリスチャンになったあとも、昔の争っていた敵方の族のメンバーが襲ってくるのではないかと思って、しばらくは、寝る時は護身用にドスを枕元にずっと置いていたそうです。
 神の前での罪というのは、この世界で言う犯罪とか、道徳的・倫理的に悪いこととは違います。神と離れていること、神なしで生きることです。神なしで生きることはつまり自分が自分の神としていきることですが、それが神の前での罪です。神の前に罪を犯している時、その罪のあらわれとして、犯罪となったり、道徳的・倫理的な悪いことになったりするのです。ですからその元暴走族の人が、自分が警察にお世話になるような悪いことをしているから「罪人」だと思ったというのは、完全に間違っているわけではありませんが、厳密にいうと、神の前で罪を犯しているという意味での「罪人」とは異なります。
 さて、今日の聖書箇所で、主イエスはあるファリサイ派の人から家で食事をしてほしいと願われ、その人の家に行かれ食事の席につかれました。ファリサイ派というと多くの場合、主イエスと敵対している人として聖書には登場します。しかしこのファリサイ派の人は、主イエスを食事に招きました。当時のユダヤにおいて食事に招くというのは相手への敬意を示すものでした。このファリサイ派の人は、一応、主イエスを「先生」として家に招いたようです。しかし実際のところ、今日の後半のところを読むと、主イエスが来られても足を洗う水も出さなかったというのですから、丁寧な招き方ではありません。むしろ主イエスを試そうという思いがあったのではないかと考えられます。
 その主イエスを食事に招いたファリサイ派の家に、一人の女性がやってきます。「罪深い女」と書かれていますから、おそらく娼婦であったと考えられます。娼婦は当時、徴税人と並んで、「罪人」とみなされ、人々からさげずまれていました。「この町に一人の罪深い女がいた」と書かれていることから、有名な女性であったのかもしれません。当然、そんな女性をファリサイ派の人は呼ぶはずがなく、女性の方から勝手に入ってきたのです。当時、食事の席にふらっと人が入ってくること自体はあったそうですが、女性は自分が人々からさげずまれていることは知っていたでしょうから、この席に入ってくるのは大胆なことです。
 さらにその女性は異様なことをします。香油の入った壺をもってきて、「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらしはじめ、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」とあります。ヨーロッパの絵画を見ると勘違いしてしまうのですが、聖書の時代、食事はテーブルに椅子に座って食べていたわけではありません。床に横になって肘をついて食事をしていました。ですから、女性が主イエスの足元に近寄ったというのは、テーブルの下にもぐりこんだわけではなく、さほど不自然なことではありません。近寄ったこと自体は不自然ではなくても、自分の涙を他の人の足にかけるということも、それを自分の髪でぬぐうということも、足に接吻して香油を塗るということも、どれもこれもかなり異様です。この場面で女性は異様な行為をしているのです。これと似た場面にナルドの香油を女性が主イエスにぶちまけるという場面が別の箇所に書かれています。そのナルドの壺の場面も今日の聖書箇所も、主イエスは女性の行為を褒められますが、実際女性たちがしたことは非常識なみっともない行為です。うるわしい物語として美化して語られがちですが、けっして美しい場面ではありません。今日の聖書箇所でも、体を触れる行為が多く、これはファリサイ派の人でなくても、一体何なんだ?と思う光景ではないでしょうか。現代でも、ちょっと目立つあきらかに色っぽい格好をした女性が突然やってきて、その場にいる男性にべたべたボディタッチしていたら、ぎょっとしてしまうと思うのですが、それに近い状況です。まして当時は聖書を教える先生と呼ばれる人は女性と道であっても挨拶もしないようにしていたくらいなのです。
<愛をあらわす>
 それを見たファリサイ派の人は案の定、心の中で「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思います。
 さきほども申しましたように、この当時、徴税人や娼婦は罪人だとさげずまれていました。しかし、神の前で罪人であるということは、職業や生まれといったことでひとくくりにされて決められることではありません。あくまでも、神との関係において人間は罪に定められるのです。
 心の中で、この女性を罪深いと決めつけて、その女性に自分を触らせている主イエスに対してもファリサイ派の人は呆れていました。このファリサイ派の人は、神に遣わされた預言者だという評判もある主イエスが疑っていて、預言者ではないしっぽを捕まえてやろうと思っていたのです。そして、主イエスの様子を見て、「なんだこいつはやっぱり預言者なんかじゃない」と感じたのです。
 そのファリサイ派の人の心の中を分かっていた主イエスはたとえ話をなさいます。それは借金を帳消しにしてもらった人の話でした。とても単純なたとえ話で、500デナリオン借金している人と、50デナリオン借金している人がそれぞれ借金を帳消しにしてもらったけれど、どちらが帳消しにしてくれた金持ちを愛するかという内容です。ファリサイ派の人は躊躇なく「帳消しにしてもらった額の多い方」だと答えます。
 そしてこの女性について主イエスは語られます。女性が涙で足を濡らしたこと、そして髪でぬぐったこと、足に接吻したこと、香油を塗ってくれたこと、そのすべてがこの女性の主イエスへの愛を示すものだったのだと語られました。さきほど、客観的に女性の様子を見ると異様なことのように見えるだろうと申し上げました。しかし、人間の目にはどのように見えようとも、神は人間の感謝の思い、愛の思いを喜んで受け入れてくださいます。この女性が、多額の献金をするとか、教会のために熱心に奉仕をするといったことであれば、この女性の愛や感謝の気持ちは分かりやすかったかもしれません。しかし、今、この女性に出来ることは、涙で足を濡らし、髪でぬぐい、足に接吻し香油を塗ることだけだったのです。人間がそのとき、精一杯できることを通して神に愛を捧げる時、それが仮にこの世の常識からしたら変に思えることであったとしても、神は人間の思いを喜んで受け入れてくださいます。
 私たちは神を愛するというと、とてつもなく壮大なことや立派なことをしないといけないように思います。でもそうではないのです。私たちが本当に感謝をしてささやかな喜びを表す時、神はそれを喜んで受け入れてくださいます。いや、逆に言いますと、私たちが神に近づくということは、神からご覧になったらこの女性のようなものなのです。私たちは今、整った形式で礼拝をお捧げしています。しかし、心においては、この女性と変わらないのです。罪深い者が、感謝の思いでおずおずと主イエスの足元に近寄っていくのです。私たちが神に近づくということはそういうことです。
<多く赦された者>
 そしてまた神への感謝をあらわすとき、それは義務のように、がんばってあらわすものではありません。本当に心にあふれている感謝が自然にあらわれているものなのです。あふれているからおのずと出てくるのです。この女性もそうでした。感謝がとめどなくあふれてきて、他人から見たら異様とも思える行為となったのです。
 ではその溢れる様な感謝はどこから出てくるのでしょうか。主イエスはこうおっしゃいます。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
 感謝は、罪を赦されたことに対して出てきます。罪を赦された、ということはたとえ話のように借金を帳消しにされたということです。借金をチャラにされたというと世俗的なことのように思います。自分が作った借金なんだから自分で返せよ、と思ったりもします。でもほんとうのところ、私たちは自分の罪という神への借金を自分で返すことはできません。どれほど善行を積み上げても、私たちの罪の重さはあまりにも重すぎて、罪の借金を返すことはできません。借金を返せない私たちのために、主イエスがご自身の命を差し出して借金を返してくださった、だから私たちは感謝をします。その感謝ゆえに愛があふれるのです。
赦されることの少ない者は、愛することも少ない、と主イエスはおっしゃいます。神が多く赦されたり、少なく赦されたりするのでしょうか?そうではありません。神は主イエスの十字架による贖いと、肉体を持った復活を信じる者をお赦しになります。多く赦したり少なく赦したりはなさいません。すべてを赦してくださいます。それを多く赦されたと考える者は、多く感謝をし、多く愛するのです。主イエスの贖いの話を聞いて理解して、自分の罪も赦されたんだなあとありがたいなあとぼんやり考えている人は多く赦されたという実感がなく、感謝もそれほど湧いてきません。愛も薄いのです。赦されたという自覚は一人一人の罪の自覚と悔い改めによって異なります。多く赦されたと感謝できる人は、自分の罪をそれだけ多く自覚しているということです。
<あなたの罪は赦された>
主イエスはおっしゃいます。「あなたの罪は赦された」。救い主であり、十字架にかかられる主イエスただお一人が、人間の罪をお赦しになることができます。この女性は、赦されました。それはこの女性が立派なことをしたからではありません。さらにいえば懺悔をしたからでも信仰告白をしたからでもありません。懺悔や信仰告白が不要だということではありません。赦しというのはただただ一方的な主イエスからの恵みなのだということを申し上げたいのです。自分で罪の借金を返せない私に、主イエスが「あなたの罪は赦された」と宣言してくださるのです。そんな主イエスに近寄り、女性は愛を示しました。その行為は非常識でとんでもないことです。それでもなお主イエスは「あなたの罪は赦された」とおっしゃってくださるのです。
これを見てファリサイ派の人は「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた、とあります。おそらくこの人は主イエスへいっそう反発を強めたと思います。罪を赦す権限を持っておられるのは神お一人だからです。目の前にいるどこからどうみてもただの人間に過ぎないこの男が罪の赦しの宣言をおこなうなんて神への冒涜だと考えたかもしれません。しかし、神のもとから来られた子なる神であるキリスト・イエスは、罪をお赦しになることがおできになります。ただキリストゆえに私たちは赦されます。
ところで、冒頭でお話をした元暴走族の方は、その後、牧師になられました。最初は、犯罪と神の前での罪の違いが分かっていないかった方が、本当の自分の罪を知ったのです。そして、どれほど多く赦されたかを知ったのです。その方はそのとてつもない赦しの大きさゆえに、生き方を変え、牧師となられました。敵が襲ってくるかもしれないと恐れ、枕元にドスを置いていた人が、かつての罪の苦しみから解放されて恐れから解放されて、神の愛と赦しを伝える者にされました。
今、礼拝に集っている私たちは、それなりの服装をして、きちんと礼拝をしています。罪深い女とは違うように思うかもしれません。また寝る時にドスを枕元に置くこともしません。しかし、私たちもまた主イエスの足元におずおずと近寄り愛を捧げる者です。そのおずおずとキリストに近寄る場が礼拝です。礼拝を通して主イエスに近づいた私たちに、今日も主イエスは宣言をしてくださいます。「あなたの罪は赦された」と。
そのキリストの赦しの宣言を聞くところが教会であり礼拝です。そのキリストの声を聞いて、教会以外のどこにあっても得ることの出来ない平安と喜びをいただいて私たちはそれぞれの場所に出ていきます。キリストの御守りの内に出ていきます。私たちのちっぽけなたどたどしい愛を、信仰とみなしてくださり、主イエスは喜んで受け取ってくださり、この世へと送り出してくださいます。
「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」


大阪東教会主日礼拝説教 ルカによる福音書第第7章18~35節

2024-09-19 20:25:02 | ヨハネによる福音書
2024年9月15日大阪東教会主日礼拝説教「救い主を拒む者」吉浦玲子
<来たるべき方>
 洗礼者ヨハネは、主イエスに先立ち、救い主メシアの到来を告げ知らせた預言者でした。ルカによる福音書の最初のところには、洗礼者ヨハネの誕生について、そしてその働きについて書かれています。ユダヤにおいて、旧約聖書の時代から何百年も待たれていた救い主がいよいよお越しになる、その前に、洗礼者ヨハネは人々の心を神に向ける働きをしました。当時、ユダヤの人々は、自分たちは神から選ばれた特別な民なので、必ず救われると考えていました。しかし、洗礼者ヨハネは「そうではない、神に心を向け、悔い改めなければ救われないのだ」ということを伝えたのです。
 その洗礼者ヨハネ自身、救い主の到来を誰よりも待っていたと思います。ヨハネは主イエスに洗礼を授けた後、領主ヘロデによって捕らえられてしまいました。このヘロデはクリスマスの物語に出てくる有名なヘロデ大王の息子で、主イエスの時代、ガリラヤ地方を治めていました。洗礼者ヨハネがヘロデに捕えられた理由はルカによる福音書によるとヘロデが律法では許されない義理の姉妹を妻にしていたことを洗礼者ヨハネから非難されたことに腹をたてたからと記されています。背後には人々に絶大な人気を誇っていた洗礼者ヨハネにヘロデは自分の立場を脅かされるかもしれない、もともとあった自分への人々の不満が洗礼者ヨハネの活動を契機に爆発するかもしれないというヘロデの危惧もあったとも考えられています。いずれにしても洗礼者ヨハネは不当な理由で投獄されていたのです。
 そのように獄中にあった洗礼者ヨハネにも主イエスのうわさは耳に入ってきました。素晴らしい業をなしているイエスという男がいる、それを聞いて、洗礼者ヨハネは、自分が洗礼を授けたあのお方が救い主であろうか、どうなのだろうかと思いました。ですから弟子たちを遣わして主イエスに尋ねました。「来たるべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」。
 来たるべき方、つまり神から遣わされた救い主はあなたなのですか?どうなんですか? そうヨハネは弟子を介して問いました。
 その問いに対して主イエスは、「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい」とヨハネの弟子たちにおっしゃいます。
 「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」
 この目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、、という言葉はイザヤ書からの引用です。イザヤはやがて救い主がお越しになる時に起こることを、イザヤ書35章や42章で語っていました。そのまさにイザヤが語っていたことが、あなたたちの目の前で起こっている、その見聞きしたことをそのままヨハネに伝えなさい、そう主イエスは語られています。イザヤが語っていた救い主でなければ、実現できないことが、いま、起きているのだ、と。
<私たちにとっての来たるべきお方>
 これは2000年前、主イエスが地上でその働きをなさっていた時代のことです。その時代、主イエスがおられる地域にいたら、目の前で主イエスのなさることを見て、「ああまさに主イエスはイザヤが預言していた救い主なのだ」と理解することができたかもしれません。
 しかし現代は、主イエスのお体は天にあります。主イエスがこの大阪の地に肉体をもって来られて、目の見えない人を見えるようになさったり、足の不自由な人が歩けるようになさったりはしません。では私たちは主イエスというお方をただ聖書の中にそう書かれているから、教会でそう聞いたからということで救い主として信じるのでしょうか。
 私自身のことをいえば、教会に初めて行った頃、漠然とこの世界には神というような、なにか唯一のお方がおられるのではないかという思いはありました。しかし、よく聞く名前であるイエス・キリストというお方がなんなのかは、謎でした。受洗前に聖書の学びをしたり、いろいろと本を読んだりして、一応、イエス・キリストは救い主なんだ、私たちのために十字架で死んでくださったお方だとは理解しました。しかし理解をするということと、ほんとうに主イエスが、自分のために死んでくださった救い主だということを信じるということは一直線のことではありません。聖霊の働きがなければ分からないのです。
しかし、イエス・キリストがどなたなのか?私にとってどういうお方なのか、それを知らなければ、私たちには救いはありませんし、この世界に生きていく希望もないのです。そしてそれは聖霊によって知らされることです。どれほど勉強しても、どれほど礼拝に来ても、さらにいえば、洗礼を受けたとしても、教会の奉仕をたくさんしたとしても聖霊に導かれなければ、分かりません。何となく神様に守られて感謝とか、イエス様が十字架にかかってくださったことがありがたいことだというぼんやりとした認識はあっても、聖霊によって知らされていなければ、深い感謝や恵みの認識はないのです。
 でも聖霊を信じ、聖霊によって導かれる時、私たちはまさに主イエスによって「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」ということを知らされます。そしてそのような奇跡がほかならぬ自分自身の上にすでに起こっていることを知らされます。ここにおられる多くの方はもともと目が見え、歩くことができ、肉体は生きていますが、私たちの上にもたしかに奇跡が起こったのです。主イエスが私たちに救い主としての業を為してくださったのです。
<つまずき>
 このほかならぬ自分自身の上に主イエスがお働きになったということは、とても大きなことです。実は今日の洗礼者ヨハネの問いもそこに根差しています。洗礼者ヨハネは獄中にあったと最初に申し上げました。彼は神の特別な召しに従って忠実に生きてきました。しかし、暴虐な領主であるヘロデのために捕らえられ、明日の命も分からない身の上です。自分自身の死と向き合っていたのです。その中で「来たるべきお方は、あなたでしょうか」と問うたのです。この問いには、ヨハネがその人生のすべてをかけてきたことへの切実な思いが込められています。ヨハネとて主イエスのうわさは聞いていたし、その業がイザヤによって預言されたことと一致することも分かっていたでしょう。そのうえで、なお問うたのです。
 主イエスは28節で「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」とおっしゃっています。そのように偉大なヨハネですら、その命の危機の中で、主イエスを信じきれないところがあったのです。状況証拠的にはたしかに主イエスが来たるべきお方だと理解はできても、今一歩、信じきれない、主イエスのお言葉で言うと「つまずいて」いるのです。このつまずきは、今、獄中にいる自分にとっての救い、そして救い主とは?という極めて切実なことなのです。
 「しかし、神の国で最も小さな者でも、かれよりは偉大である」という言葉は、洗礼者ヨハネを最初「偉大な者」と持ち上げた後、落としている、非難しているようにも感じます。そうではないのです。洗礼者ヨハネですら主イエスにつまずくのです。そのつまずきを越えるのは、人間自身の大きさ、小ささではなく、ただひたすら、神からの恵みによって、自分自身に救いが来たことを知らされ、信じることなのだと主イエスはおっしゃっているのです。
 洗礼者ヨハネですら、信仰がゆらぎ、つまずきます。私たちも同様です。信仰が揺らぐことなく、確信をもって、最後まで歩めたら幸いですが、人間はそれほど強くありません。特に危機的な状況に自分が置かれた時、揺らぎ、つまずきます。同時に、その危機は私たちの信仰を揺らすために、主ご自身が備えられるという側面もあります。私たちが自分の信仰を過信しないように、私たちの限界を主が示されるのです。そして同時にそれを乗り越えるのは、自分の力ではありません。乗り越える力は神から与えらえるのです。
<今の時代>
 そしてまた、洗礼者ヨハネを「神の国で」は医大ではないとおっしゃっている言葉には別の意味もあります。この世界ではたしかにヨハネほど偉大な者はいないが、「神の国」では違うとおっしゃっています。「神の国」とは、主イエスがお越しになったことで人間に対して開かれたものです。主イエスの到来の前には人間の罪ゆえに人間から閉ざされていました。しかし、主イエスの到来によって新しい時代が来たのです。神の国が私たちに、新しく開かれた、この世界に突入してきたといっても良い時代が来たのです。洗礼者ヨハネは最後の預言者と言われます。洗礼者ヨハネは、言ってみれば、律法と預言によって成っていた旧約聖書の時代から、神の恵みによって神の国が開かれた新約の時代へと引き継ぎをする存在でした。彼によって旧約という古い時代が閉ざされ、新約の新しい時代が始められたのです。その時代の変遷を主イエスは「神の国では」という言葉でお語りになっています。
 今、新しい時代が始まりました。その時代にあって、主イエスに先立って現れ、神に向けて悔い改めを為すことを説いた洗礼者ヨハネを拒む人々がありました。ファリサイ派や律法の専門家です。彼らは自分の知識や行いに自信を持ち、自分中心の生き方をしていました。神のことを語りながら、実際のところは、自分が正しいと考え、神の愛と救いを求めていませんでした。そして洗礼者ヨハネを拒みました。洗礼者ヨハネを拒む者は、「来たるべきお方」である主イエスをも拒みます。新しい時代の到来を知ることなく、ただただ、自分のこれまでのあり方に固執しているならば、そこに救いも希望もありません。ただむなしく自分の正しさに固執して、神の国を知ることなく、永遠の命からこぼれ落ちてしまいます。
 洗礼者ヨハネは救い主を指し示しました。そして、実際に救い主が来られたのに、ファリサイ派や律法学者たちは、自らのかたくなさのゆえに、それを知ることができませんでした。「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。」洗礼者ヨハネと主イエスは、その生き方、生活のあり方は一見、異なっていました。しかし、共に神からの働きをしたのです。そのどちらのあり方もかたくなな者には見えません。
 私たちには聖霊が与えられています。ですから聖霊によって私たちは主イエスが来たるべきお方であることを知らされています。時に信仰が揺らいだとしても聖霊は私たちを主イエスのもとにとどめてくださいます。洗礼者ヨハネは自分自身の危機の中で信仰が揺らぎました。私たちも揺らぐことがあるかもしれません。命の危機という人生上の重大なことでなくても、ささやかなことでも揺らぐことがあるかもしれません。たとえば、クリスチャン同士の対立を目にするとか、あるいはクリスチャンから理不尽な目に遭わされるということがあったりすると、なぜ信仰者にこういうことが起こるのかと考え込みます。実際、私自身、なんで?と思うような理不尽なことを、周囲から立派だとみなされているクリスチャンにされたことがあります。しかしまた逆に自分自身が他のクリスチャンにつまずきを与えているのではないかと考える時もあります。
 結局のところ、私たちはどこまで行っても不完全な者です。その不完全な者が聖霊に導かれつつ、主イエスの御跡を歩んでいくのです。私たちの歩みは不完全で、時に人から傷つけられ、人を傷つけるような歩みです。しかし、その歩みは主イエスの到来によってたしかに「神の国」へと向かっているのです。私たちは私たちの歩みの正しさのゆえではなく、キリストが共にいてくださる、聖霊がキリストを示してくださる、ただそのことのゆえに「神の国」へとたしかに導かれている。そこにキリストによって開かれた新しい時代に生きる私たちの喜びがあります。


大阪東教会主日礼拝説教 ルカによる福音書第第7章11~17節

2024-09-12 14:19:45 | ルカによる福音書
2024年9月8日大阪東教会主日礼拝説教「起きなさい」吉浦玲子
<神は憐れんでくださる>
 カファルナウムで異邦人の百人隊長の部下をお癒しになったあと、主イエスはナインという町に行かれた、とあります。「弟子たちや大勢の群衆も一緒であった」とあります。弟子たちはともかく、群衆まで一緒でした。群衆は主イエスに期待していたのです。これまでも数々の奇跡を起こされた主イエスがまた素晴らしい奇跡を起こされるのではないか、ぜひその奇跡を見てみたいと思ったのです。群衆は熱狂していたと言えます。しかし、主イエスの御心は、そのような群衆の思いとは異なったところにありました。すごい業を見せて人々を感服させる、そのような思いを主イエスはお持ちではありませんでした。今日の聖書箇所では、たしかに結果的には主イエスは奇跡を起こされました。しかしそれは群集を熱狂させるためのものではありませんでした。
 さて、そのナインという町の門に近づくと棺が担ぎ出されるところでした。誰かが亡くなったようです。主イエスは病を癒し、悪霊を追い出されてきましたが、さすがにすでに息絶えている亡骸を入れた棺を前にしてはどうすることもできないと誰もが考えました。いえ、どうこうするということすら、誰も思わなかったでしょう。ここではだれも主イエスに何かをしてほしいと願ってはいません。死というものの厳然とした現実を前に人間は沈黙するか嘆くかしかできません。
亡くなった人は、やもめである女性の一人息子でした。愛する息子を失った母の嘆きは時代が異なっても変わりません。この女性の嘆きはいかばかりだったでしょう。さらに当時、女性は一人では生きていけませんでした。生きていくためには夫や息子に頼るしかありませんでした。同時に、家を保つということも大きなことでした。しかし、この女性は家を継ぐべき子供を失ったのです。旧約聖書の『ルツ記』には夫を亡くし、また息子たちをも亡くしてしまい、絶望して、故郷に帰るナオミという女性が出てきました。ナオミはこのように嘆きます。「出ていくときは、満たされていたわたしを/主はうつろにして帰らせたのです。(略)主がわたしを悩ませ/全能者がわたしを不幸に落とされたのに」。女性が、家を継ぐ存在を失うということは、物理的にも精神的にも絶望へと落とされる厳しいことでした。
ですから、このナインの町の一人息子を失った女性の嘆きは極めて大きかったと思います。同情した町の人々が大勢そばに付き添っていました。しかし、どれほど多くの人から同情され、慰められても、女性の嘆きは消え去ることはありません。大勢そばにいたということは、おそらく、この女性も一人息子も町の人々に好感を持たれていたのでしょう。女性が夫を失ったのはどのくらい前なのかは分かりません。ひょっとしたら、夫の死後、やもめとなった女性は大変苦労をして、ただ一人の息子を大切に育てたのかもしれません。そんな親子のことを町の人々はよくよく知っていたのでしょう。
主イエスは、その様子をご覧になり、「母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた」とあります。主イエスでなくても、この様子を見たら、誰もが同情をするでしょう。実際、町の人がたくさんそばにいたのです。しかし、ここで「憐れに思い」と訳されているギリシャ語の原語は「スプランクニゾマイ」という言葉です。この言葉についてお聞きになったことのある方もおられると思いますが、この言葉は「スプランクノン」という「内蔵」を表す言葉から派生したものです。つまり「憐れに思った」というスプランクニゾマイ」は「内臓がねじれる」、「はらわたよじる」という言葉なのです。
主イエスは、人間の苦しみに対して、「ああかわいそうに」と思われるだけではなく、御自身の内臓がねじれるような痛みを覚えられるということです。私は七年ほど前、大腸憩室炎で緊急入院しました。憩室は、大腸にできるポコッとした袋で、憩室炎は、その憩室の炎症です。憩室自体は右わき腹の上付近にあったのですが、炎症の膿が腸の下腹部までたまっているような状態で、かなりの痛みがありました。胃の前にエプロンのように垂れている大網というものは炎症などが起こったところを保護するそうですが、その大網がねじれていたようです。実際の体の中でねじれが起こるとたいへんなことになるのですが、主イエスは人間の苦しみを、ご自身のそのような肉体の痛みのように感じてくださっているのです。そして「もう泣かなくともよい」とおっしゃってくださるのです。
苦しみは、苦しみ自体でも苦しいのですが、その苦しみが自分にしか理解できないものであるとき、余計苦しみが増します。誰にもわかってもらえない苦しみはいっそう苦しいのです。でも、ただお一人、主イエスはそんな苦しみもご自身の苦しみとして共に苦しんでくださいます。
場合によっては、自分は気づいていない苦しみもあるかもしれません。自分ではまだ頑張れる、とか、たいしたことない、と思っていても、実際は心や肉体に大きな負担となっているような苦しみもあるかもしれません。そしてメンタルや肉体がむしばまれていきます。そのような苦しみをも主イエスはご存じです。そしてご自身の内臓がよじれるほどに痛んでくださるのです。
<もう泣かなくてもよい>
そのように私たちの苦しみをすべてご存じの主イエスは、おっしゃるのです「もう泣かなくてもよい」と。主イエスは苦しみを共に苦しんでくださるのみでなく、涙をぬぐってくださる方でもあります。私が共にいるのだから、「もう泣かなくてよい」そうおっしゃってくださるのです。
そしてそれは口だけの慰めのお言葉ではありません。主イエスは、この一人息子のなきがらが納められている棺に手を触れられました。棺を担いでいた人々は驚いて立ち止まりました。葬列の中に主イエスは入り込まれたのです。通常であれば、それは妨害行為であり、人々は怒ったでしょう。しかし、この時、人々は、主イエスのご様子に息を呑むように立ち止まったのです。そもそも葬列というのは生きている者の場所から、死者の場所である墓へと棺を運んでいくものです。命から死という方向は一方通行であり、そのけっして反対へは向かえない歩みを棺を担いだ人々は歩んでいたのです。その一方通行の歩みを主イエスは止められました。
「若者よ、あなたに言う。起きなさい」
驚くべき言葉です。起きなさいも何も、この若者は死んでいるのです。それをさらりと「起きなさい」と主イエスはおっしゃいました。ここには主イエスの確信と権威がありました。今ここで、蘇生のための特別な業をする必要もなく、こともなげに主イエスは若者を起こされました。さきほどまで、心臓も止まり、体が冷たくなっていた亡骸でした。大勢の人がそばに付き添っていたのですから、大勢の人がたしかにこの若者が死んだことを知っていたのです。
死人は起き上がってものを言い始めたとあります。ちょっと怖い場面でもあります。でも若者はゾンビのように起き上がったのではありません。亡くなる前、母親と共にいたときのままの若者として生きかえったのです。そして主イエスは「息子をその母親にお返しに」なりました。主イエスは、御自身の凄い能力を皆に見せるためにこの奇跡をなさったのではありませんでした。ただただ、この母親を憐れに思い、もう泣かなくてよい、とその涙をぬぐうためにこの驚くべき奇跡をなさいました。激しく嘆いていた母親、心がうつろになっていた母親に、若者の命をお返しになりました。そしてその母親のうつろになっていた心に豊かな恵みを満たされました。
<神はこころにかけてくださる>
 それを見ていた人々は「皆恐れを抱き、神を賛美して、『大預言者が我々の間に現れた』」と言ったとあります。主イエスの凄い業を期待していた群衆は、主イエスのなさったことが、神の力によるものであると気づいたのです。人間の業ではない、神から特別の力をいただいた大預言者でなければこのようなことはできない、そう思ったのです。実際旧約聖書に出てくるエリヤやエリシャといった預言者は死者を生き返らせるという奇跡を行っていました。ですから主イエスもエリヤやエリシャのような預言者だと人々は思ったのです。
 この時点でまだ人々は主イエスが神から来た救い主であることは分かっていませんでした。ただそのなさったことは神の力によるものだとは分かったのです。そして言いました。「神はその民を心にかけてくださった」。<心にかけてくださった>という言葉は口語訳聖書や新しい聖書協会共同訳では「顧みてくだった」と訳されています。神がそのまなざしをご自分の民にたしかにむけてくださった、というのです。そしてまた神が訪れてくださったということです。
 神の人間の間には罪という隔ての壁がありました。その壁がある限り、神と人間の間は遠いのです。しかし、主イエスはその壁を破り、神と人間をつないでくださるお方でした。主イエスが2000年前にこの世界に来られたということは、神と人間の間に新しい時代が始まったということです。主イエスがこの世界に来られたゆえに、神が人間を心にかけてくださる時代が始まったのです。神が私たち一人一人のことを顧みてくださるのです。それはけっして当たり前のことではありません。主イエスが来られ、そして十字架にかかってくださったゆえに、神と人間の間の罪の壁が壊されました。今日の聖書箇所は、まだ十字架の前の出来事です。しかし、主イエスが来られたということは、すでに新しい時代が始まったということです。そのさきぶれとして、病は癒され、悪霊は追い出され、若者は生き返りました。今日の聖書箇所で「死者は起き上がり」というところの「起き上がり」という言葉は「復活する」という意味の言葉でもあります。主イエスは十字架において死なれ、そして復活をなさいました。死んでいた者が生きかえったのです。墓場へと向かっていた葬列は、命の方向へと返されました。若者が生きかえった出来事は主イエスの復活の先触れでした。
 しかしまた思います。私たちの愛する者たちは帰ってきただろうか、と。この地上を去った人々は生き返ったでしょうか。昨年、大阪東教会でも愛する姉妹を天に送りました。今日の聖書箇所のように、現代において死者が息を吹き返すことはありません。じゃあこのお話は現代の私たちには関係のないことでしょうか。そしてまた今日の聖書箇所で生き返った青年も、その後、死なずに生き続けたわけではありません。ふたたびやがて死んだのです。
 では主イエスがなさったことは、ひととき、母親を慰めるためだけの業だったのでしょうか。そうではありません。さきほども申し上げましたように、たしかに死が打ち破られ、永遠の命が人間に与えれるさきぶれの出来事だったのです。単に死者が蘇生した、ということがデモンストレーションされたのではありません。まさに神が人間を顧みてくださる、涙をぬぐってくださる、死をも打ち破ってくださる、永遠の命を与えてくださる、そのことの先触れの出来事でした。
<失望では終わらない>
 詩編37編に「主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる。/人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。」という言葉があります。私たちの日々には、打ち捨てられたように感じる時もあります。しかしそのような時も、神はかならず私たちを心に留め、顧みてくださり、手をとらえていてくださいます。その恵みは主イエスの到来によって実現しました。棺を運ぶ葬列を止め、死をも打ち破るお方である主イエスが来てくださった。だから私たちは打ち捨てられないのです。主イエスの十字架と復活の業ゆえに、今も、神は私たちを心に留めてくださっている、だから私たちは絶望しないのです。私たちの希望は失望で終わらないのです。