説教「悪人は栄える」吉浦玲子
数年前、大阪城三時間ランという三時間ひたすら大阪城の周りを走り続けるというイベントに出たことがあります。三時間、ただひたすら、ぐるぐるぐるぐる天守閣の周りを走りました。一周二キロ弱だったように思います。私は遅いので、三時間で20キロちょっとしか走れなかったですが、ゴール地点に時間が表示されてて三時間間際になると、最後の一周と表示されます。すると、それまでよろよろ走っていたのが、最後の一周となると、急に力が出てきて、さっきまで足が痛い、腰も痛いと思っていたのに、しっかりと走れるようになります。
たとえば山登りなどでも、途中しんどくても、あと少しで頂上ということがわかると元気が出るのではないでしょうか?
また、たとえば、海で漂流したことはないですが、何日も何日もただ海原が見えるだけということが続いた後、だれかが、遠くに遠くにちいさく陸地があるのを望遠鏡で見つけたとします。そしてその陸地を見つけた人が「陸が見えたぞ!」と叫ぶその声で、他の漂流していた人、その人たちにはまだ陸の陰も見えませんが、「陸が見えたぞ」という言葉だけで、その人たちは元気になるのではないでしょうか。
ところで、洗礼者ヨハネという存在は、少し分かりにくい存在でもあります。イエス・キリストが来られることを、先だって伝えた存在、主イエスの道備えをした人ですが、なぜ神の御子であるイエス・キリストが来られることを前もって指し示さないといけないのでしょうか?偉大な神の御子が来られるのですから、人間の前座みたいな存在なんていらないようにも感じます。しかし、洗礼者ヨハネが旧約聖書にも記されている存在であり、来るべき方の道備えをする役割を与えられたのには、やはり意味があるのです。
それは、人間の罪があまりにも深かったからだと思います。この世界があまりにも混沌として救いようがない状態だったからだと思います。すぐる週、フランスで同時多発テロがありました。痛ましいことです。もちろんテロはあってはならぬことです。しかし、世界では、世界中の注目を集めるテロの被害の何倍もの規模で、多くの人々が注目されることなく殺されています。銃で、空爆で、先進国の身勝手な環境破壊による飢饉で、おびただしい人々が毎日亡くなっていきます。
そして、主イエスが来られた2000年前も、やはり変わらぬ、暗澹とした世界だったのです。
人々は打ちひしがれていました。どこまでもつづく闇のような世界だったと思います。ですから指し示すことが必要だったのでしょう。漂流していて、もうどこへ向かっているかもわからぬ人々へ「陸は近い、あっちだ」と指し示すように、洗礼者ヨハネは、「神の国は近い」「夜明けは近い」ということを示すために、立てられたのでしょう。神の国の方向へ、光の方向へ指し示す指として、また声として彼は立てられたのでしょう。神の国は近い、その指し示す声を聞いた時、深い深い闇の中にいた人々は、はじめて夜明けを待ち望むことができるようになったのです。それまでは希望を持つこともできないくらい混沌とした闇の中にいた人たちがヨハネの指し示す方向を向くことができた、神の国の到来を待ち望むことができたのです。
疲れていた足でまた走りだしたり、疲れ切っていたのにふたたび山に登ったりできるように、そして、さまよっていた海のうえで陸に向かって新しく漕ぎ出すことができるように。
その偉大な役割を担った洗礼者ヨハネの最期はあまりにも無残でした。まだ、戦いの末に殺される、あるいは殉教者として刑に処せされて殺されるというのであれば、それも無残ではありますが、まだ少しだけ納得できるかもしれません。
しかし、本日お読みいただいたように、洗礼者ヨハネは、殉教というにはあまりにも痛ましい、宴会の席での余興の一つとして殺されたのです。首が切られ盆に載せられるという猟奇的な場面でもあり、衝撃的な状況です。この場面は、絵画や文学、戯曲などにも多く描かれています。
ところで、このことを命じたヘロデは、主イエスがお生まれになったときイスラエルの王であったヘロデ王の子供です。ヘロデ王は、クリスマスの出来事の中で良く語られる三賢人と会った王であり、幼い子供たちを虐殺したとされる王です。その王の子供ヘロデ・アンティパスは父のヘロデ王と違い、ローマ帝国から王と名乗ることをゆるされていませんでした。他の兄弟と共に、ヘロデ王の領地を四つに分割されたもののうちのひとつ、ガリラヤを含む地域を治めるにすぎない小さな領主でした。つまり四分割された地域の領主、四分封領主だったのです。ですから新共同訳聖書には領主と書いてありますが、原語では四分封という言葉で記されています。
この四分封領主ヘロデは異母兄弟の妻を自分の妻としていました。まだ夫であった兄弟は生きていたのに、妻ヘロディアはヘロデ・アンティパスと勝手に結婚したのです。これは当時の律法からいうと姦淫の罪に当たります。その姦淫について、洗礼者ヨハネが指摘したので、そのことを口実にヘロデは洗礼者ヨハネを牢につないでいました。しかし、調べてみますと、ヘロデ・アンティパス自体は必ずしも、洗礼者ヨハネを嫌ってはいなかったようです。実際、マルコによる福音書にはこの場面はもっと詳細に記されています。そちらには領主ヘロデは洗礼者ヨハネの話を喜んで聞き、保護していたとも記されています。本日、お読みしたマタイによる福音書の箇所にはヘロデは民衆を恐れてヨハネを殺せなかったと記されています。ヘロデの中には、おそらくヨハネが偉大な人物だという意識はあったのです。恐れつつ関心があったのでしょう。しかし、それゆえに逆に自分の罪を指摘されて、憎しみを持ったかもしれません。しかしまた、それでもなお、ヨハネの影響力を恐れてもいたのです。
妻のヘロディアは自分たちの結婚に意見をするこの洗礼者ヨハネを恨んでいました。そしてヨハネを殺すチャンスをうかがっていたのです。そのチャンスが巡ってきたのがヘロデの誕生日の宴会の席でした。ヘロディアの娘が皆の前で踊りを踊ったと書かれています。この娘の名は歴史家の記録によるとサロメでした。サロメと題された絵画などを見ると、この娘はかなりセクシーに描かれている場合もあります。サロメの洗礼者ヨハネへの歪んだ愛といった描かれ方をしている芸術作品もあります。
しかし、聖書ではこの娘サロメの意思というより母であるヘロディアの意思によって洗礼者ヨハネが殺されたことが分かります。
聖書にはこのような男性を悪へといざなう女性が、ときどき出てきます。アダムとエバのエバもそうです。食べてはならないと言われていた実を自分も食べアダムにも食べさせます。あるいは預言者エリヤを苦しめたアハブ王の妻イゼベルもそうです。極悪で冷血な女性でした。しかし、今日の聖書箇所では、注目すべきはヘロデ・アンティパスです。まんまとヘロディアの策略にかかってしまうのですが、彼自身は権力を持っていたのです。洗礼者ヨハネを守る力を持っていたのです。しかし、彼はそうしなかったのです。「誓ったことではあるし、客の手前」とあります。彼は権力者でありながら恐れていたのです。何を恐れていたかというと人間を恐れていたのです。彼には神への恐れはなかったのです。ですから、彼は神に頼れなかった。つまり彼には本当のところ、頼るべきものがなかったのです。神を恐れない人間は、人間を恐れるのです。自分の対面、立場が脅かされることを恐れるのです。もちろん世のなかには神も人をも恐れないという人もいますが、そういう人は裁きの日に初めて恐れを知ることになるでしょう。
人間を恐れた人といえば、主イエスを十字架刑にすることをゆるしたポンテオ・ピラトもそうでした。彼は、主イエスに罪はないことがわかっていました。ユダヤの権力者たちがねたみのために主イエスを殺そうとしていることも知っていました。そして、ポンテオ・ピラトは主イエスを解放しようともしたのです。しかし、最終的には「十字架に付けろ」という民衆の声に怯えたのです。人間を恐れ、自分の立場を失うことを恐れ、ポンテ・オピラトは主イエスを十字架につけることをゆるしました。
ヘロデにしてもポンテオ・ピラトにしても、あからさまに最初から洗礼者ヨハネや、主イエスを迫害した人間ではなかったのです。むしろ、ある部分、冷静に判断はできていたのです。しかし、神への恐れという根源的なよるべきところを持たない人間は、目の前に起こる出来事にただ流され、怯え、結果的に大きな過ちを犯してしまうのです。そしてまたヘロデにしてもポンテオ・ピラトしても権力者の罪ということもあります。それは特別な地位を与えられている人間の果たすべき責務に背いているという罪でもあります。しかし、その罪の根源になるのはやはり恐れなのです。
今日の洗礼者ヨハネの死は、奇くしくも、イエス・キリストの死の先駆けとなるものでもありました。人間の罪によって、洗礼者ヨハネは殺され、また主イエスもまた十字架に付けられました。ヨハネだけではありません、旧約聖書の時代から、神の言葉を預かり、神の言葉を伝えた預言者たちもまた多く非業の最期をとげました。神を恐れない人間は、神の言葉を伝える人々を殺し、さらには神の御子まで殺してしまうのです。
それにしても、今日の聖書箇所を読みますと暗澹とします。
なにか救いがないようにも思えます。ヨハネほどの人物、高潔で禁欲的で、主イエスに洗礼を授け、主イエスの道を備えたヨハネが宴会の席の余興のざれごとのために殺されてしまうというのは、とても不条理なことです。
このような不条理は現代においても多く転がっています。
事件や事故、自然災害ということだけではありません。精一杯がんばって苦労して生活をしてきて、それが報われたようには見えない形で、地上での人生を終えるということは少なくありません。徒労の繰り返しのように見えることがらがこの世界にはたくさんあります。
この地上での生涯だけを見るならば、人生そのものが徒労とすらいえるようにも感じられるかも知れません。あるいは、悔いのないように頑張った、ささやかな満足と感謝を持って去っていく人も、やがて忘れられていきます。その人を知っていた人もやがてこの地上を去ります。結局、何も残らないではないか、そういう話になります。
ところで、ヨハネの弟子達はこのことを主イエスに報告したとあります。そもそも主イエスの宣教はマタイ4:12に記されているように、洗礼者ヨハネが捕らえられたときからはじまりました。洗礼者ヨハネの活動と主イエスの宣教は連動していると言っていいでしょう。主イエスは洗礼者ヨハネの死後、みずからが十字架にかかることを弟子達にあかしながら、宣教活動を続けられます。洗礼者ヨハネの死の前まではまだ天の国の到来を主として語られていましたが、こののちは、自らの死と復活を語り始められます。
そういう意味でヨハネの死は主イエスの働きのひとつの道しるべとなったのです。
そしてその道しるべの先に主イエスの十字架がありました。そしてその十字架は、十字架の死だけをみたら、むごたらしい、恥にまみれた死以外の何物でもありません。
しかし、その先に復活があるのです。
復活を、主イエスの死を嘆き悲しんだ人間の作り話だという人もいます。教会の創作だという人もいます。実際、復活を科学的に証明することはできません。
しかし、2000年にわたり、おびただしい主イエスの証人が、あかしびとが、主イエスの死と復活の希望を証してきました。そしてそれこそが教会の働きでした。こんにちなお、世界中で主イエスの死と復活の希望のあかしびとは起こされています。
わたしたちの人生が死で終わるならば、この世界の力を恐れ、なるべく平安に、無事に生きることを願いながら、怯えつつ生きるしかありません。権力を持っても、結局は、ヘロデやピラトのように恐れの中に生きるしかありません。今日の聖書箇所の最初のところに、人々が主イエスのことをヨハネが生き還ったのだと言っているというのを家来から聞く場面があります。そこから実際にヘロデがヨハネを殺したときの状況にさかのぼってこの章は記されているわけですが、おそらくヘロデは民衆の言葉を知って怯えたと思います。自分がヨハネを殺してしまったことへの罪悪感の裏返しでひどく恐れを持ったと思います。マルコによる福音書ではヘロデ自身が主イエスをヘロデの生き返りと考える場面が出てきます。神を知らぬ人間は、神を知ろうとしない人間は、恐れのゆえに罪を犯し、そのみずからの罪のゆえに、さらに恐れる者、怯える者となるのです。その恐れの循環を絶たない限り、つまり神の前に悔い改め、神を知る者とならぬ限り、けっして平安を得ることはありません。
神を知る者には、そして神を畏れる者には平安があります。神を知る者は主イエスの業を知っています。主イエスのゆえに、死を越えたとこしえの命に生かされている、そのことを聖霊によって、信じさせていただく時、私たちは恐れを乗り越えることができます。それはやせ我慢ではありません。むやみやたらと怖いもの知らずになるのでもありません。
ただ神のご支配の中に生かされていることを信じ、そこに平安をいただきます。目に見える状況は暗くとも、不条理であろうとも、なおそこに働いてくださる神の業を信じることができます。神のなさることに無駄はなく、それゆえに私たちの日々には徒労はありません。遠回りなようでも、結果が出ないように見えても、そこに注がれている恵みがあります。
神のなさることは絶望で終わるものではありません。ヨハネの死も、主イエスの道しるべとなり、主イエスの十字架への道を整えました。その道はすべての人間にとっての希望の道です。夜明け前の暗い海で、まだ見えぬ陸地へと、かならず導いてくださる、恐れから解放してくださる、救いの道です。それが神のご計画です。ヨハネもそのご計画の中にありました。おおいなる喜びの計画の中にありました。私たちもまたそのご計画の中にあるのです。