大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録2章37~47節

2020-06-14 11:47:56 | 使徒言行録

2020年6月14日大阪東教会聖霊降臨節第三主日礼拝説教「悔い改めの実り」吉浦玲子

【聖書】

人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

 

【説教】

<心打たれて>

 ペトロが聖霊に満たされて、説教をしました。イエス・キリストは神のもとから来られた方であった、イエスは主である、つまり神その人である、その主を殺したのはあなた方だと語りました。そう語られたら、通常、神を信じるイスラエルの人々は、神を冒涜していると怒り狂うところです。不思議な業はしたかもしれないが、人間であって、十字架で死んでしまったイエスという男を神扱いするなど、たしかに神を冒涜した行為です。

 しかし、不思議なことが起きました。「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロと他の使徒たちに「兄弟たち、わたしたしはどうしたらよいのですか」と聞いた」のです。たしかにエルサレムにいた人々からしたら、田舎者で、学識もないナザレの人間であったイエスを、主だと言い、そしてその主をあなたがたは殺したと言うような輩は、おおいに糾弾されるべきです。しかも、そのイエスは復活をしたというのです。ペトロたちは<私たちは主イエスが復活したことの証人だ>と言いますが、聞いていた人々は、もちろん復活のイエスと会っていないのですから、復活など、通常は信じられないことです。神を冒涜し、また、荒唐無稽な作り話をする連中だと、かつてイエスを殺したように、人々はペトロたちを殺しても不思議はありませんでした。

 しかし、人々は「大いに心を打たれ」たのです。ここの部分について、いろいろな訳を読みましても、ほとんどの訳は、ここは「心を打たれ」と訳されています。しかし、文語訳聖書では「心を刺され」と訳されていました。いずれにせよ、単に、知識としてペトロの説教を理解したのではないのです。心が揺さぶられたのです。「大いに心を打たれた」そして「心を刺された」のです。それはペトロ自身の弁舌が見事だったからではありません。語るペトロにも、聞く人々の上にも聖霊が働いたからです。

 先週、洗礼式がありました。司式者として、もちろん私は感動しました。涙を流しました。心打たれました。でも私だけではありませんでした。信徒の方のみならず、未信徒の方も涙ぐまれたと聞きました。未信徒の方が、「なぜかうるうるしてしまいました」とおっしゃっていました。洗礼式はもちろん厳粛な儀式です。しかし、そこにただ厳粛な雰囲気だけがあったのであれば、緊張感はあっても、「うるうる」はしないと思います。そこに神、ことに聖霊が働いて、私たちの心に語りかけてくださるものがあったのです。私たちの心に刺さるものがあったのです。

そして、心打たれ、心刺され、心動かされた者は、そこにとどまりません。心打たれたゆえに問うのです。「わたしたちはどうしたらよいのですか」と。

<悔い改めなさい>

 どうしたらよいのですかと問う人々に対して、ペトロは言います。「悔い改めなさい」と。主イエスがこの地上で、かつて宣教をはじめられた時の言葉がマルコによる福音書にはこう書かれています。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」。

 キリストが来られた、ということは、それはつまり私たちが悔い改めることができるようになったということでした。私たちは罪の上に罪を重ねて生きてきました。しかし、その罪を悔い改めることができるようになりました。時は満ちたからです。神の国は近づいたからです。それまで神の国は遠かったのです。人間の罪ゆえ、神の国は遠く隔てられていました。しかし、キリストの到来によって神の国は近づきました。それがキリストの到来の恵みでした。そしてさらに十字架と復活によって神の国は私たちに開かれました。キリストが開いてくださいました。私たちは悔い改めることができるのです。悔い改めとは神の方を向くことです。遠かった神の国が開かれ、神は、神の方を向く私たちをうけいれてくださるのです。

 悔い改めは恵みです。もう一度やり直すことができるのです。キリストの十字架がなければ、私たちはやがて神の審判において罪を問われて滅びます。しかしいまや、私たちはキリストによって、やり直すことができるようになったのです。洗礼によってそれまでの罪をすべて赦され、そののちも犯した罪を悔い改めることができます。いくたびもやりなおすことができるようになりました。

<洗礼>

 そのペトロの言葉を聞き、その日、3000人ほどが洗礼を受け、仲間に加わったとあります。3000人というのはとても多いように思われると思います。初めてのペンテコステの日であり、それは特別の出来事であったと思われるかもしれません。

 しかし、こういうことは、この使徒言行録の2章に描かれた日だけの特別なことでもありません。私はかつて、中国に伝道をしている方の話をお聞きしたことがあります。中国では公にはキリスト教は認められていません。しかし、伝道は進んでいて、地下教会、政府非公認の教会がとても多くあって、実際のところ、数千万人、あるいは億と言われるくらいのクリスチャンが存在するようです。その中国での伝道の様子の写真のなかに、洗礼式の写真があって、そこにはおびただしい数の人々が洗礼のために川に降りていました。10人、20人ではありません。何百、あるいは千人を超えた人々が、川で洗礼を受けているのです。クリスチャンになることは、かの国にあっては、かなり危険なことでありながら、信仰告白をして、おびただしい人々が洗礼を受けるために川の水の中へ入っていくのです。そういうことは現代においてもあるのです。

 しかしまた、何百人とか3000人ということ以前に、一人の人が、心を打たれ、また心を刺されて、信仰告白をして、洗礼を受けるということは聖霊の業です。聖霊による奇跡が起こったということです。今ここにおられるクリスチャン一人一人の上に、聖霊による奇跡が、かつて、たしかに起こったのです。私の上にも起こりました。聖書は興味を持って、教会に行きましたが、当初は絶対に私は宗教などは信じないと確信していました。そのかたくなな私の心もまた動かされました。心打たれ、心刺されました。

 大阪東教会の歴史を見てもそうです。ヘール宣教師が兄弟で大阪に来られ、民家を借りてキリスト教の講義をするようになったのが1879年でした。これは大阪西教会の前身です。キリシタン禁制が解かれて6年の後でした。まだまだキリスト教やクリスチャンへの偏見は強く、クリスチャンは耶蘇と言われ、一般の人々は近づくと恐ろしいものと思っていたようです。クリスチャンでない一般の人々が教会で結婚式をあげるような現代とはまったく世間の感覚は違っていました。キリスト教への恐怖もありましたが、当時の日本には、個人とか人格の概念がなかったので、キリスト教を理解することは難しい面があったようです。現代では普通に私たちが持っている近代的概念を当時の人々は持っていなかったからです。ただお一人の神がおられ、その神が個人的に自分に関わってくださる、つまり人格的な交わりをしてくださる神ということがまったく理解できなかったようです。宣教師たちは説教をしながら、一言一言、聞いている人々にどういう風に理解したか確認しないといけなかったようです。聞くたびにまったく違うように解釈されていて、そのつど宣教師たちは説明をしなおしたようです。しかしそのようななかでも、1879年に開設されたキリスト教の講義所から、翌年には2人の受洗者が出ました。3000人ではありませんが、しかし、これも当時の状況を考えると、奇跡的なことだと思います。さらに伝道のために大阪東教会の前身である講義所が1882年内本町に開かれるときには、すでにヘール宣教師たちの弟子となっていた複数の日本人が、宣教師たちを助けるほどに成長していました。これもまたひとつのペンテコステの出来事だと思います。

<邪悪な時代から>

 洗礼を進めるペトロはさらに力強く語ります。「邪悪なこの時代から救われなさい」と。<邪悪なこの時代>とは何でしょうか?この使徒言行録の時代、イスラエルはローマに支配されていました。主イエスがお生まれになったのもローマ皇帝による人頭税聴取のための人口調査が行われていた頃でした。お金も労力もローマに搾取されていました。しかしまた「ローマによる平和」も保たれていた時代です。戦乱の世ではありませんでした。ローマによって道路や町などのインフラも整備されました。植民地であっても、自治は認められていました。ローマに表立って逆らいさえしなければ民族の伝統や慣習、自由はそれなりに守られる時代でもありました。

 しかし、ペトロは言います。<邪悪な時代>と。別の訳では「曲がった時代」と訳されている言葉でもあります。神から曲がった時代なのです。本来、神に造られた人間は、まっすぐに神へ向くべき存在でした。しかし、神から曲がってしまった。罪に落ちてしまいった。アダムとエバ以来、この世界は曲がってしまったのです。邪悪な時代なのです。現代もまたそうでしょう。ヘール宣教師たちが神の救いを説いて140年ばかり過ぎた今日においても、私たちは時に神を見失い、神から曲がっていきます。

 一方で、イエス・キリストが十字架にかけられた2000年前のイスラエルは、神から来られたお方を十字架につけたということにおいて、邪悪さが極まった時代であったといえます。アダムとエバ以来、ノアの時代の洪水のころ、バベルの塔の時代、バビロン捕囚の時代、人間の罪は深まっていきました。そして、十字架において人間の罪が極まりました。人間の邪悪さが最も明らかにされました。その罪の極み、邪悪さの深みにおいて、救いがやってきました。

 私たちは救われるのです。救われる、というのは受け身のことです。災害地に救援隊がヘリコプターやボートでやってきて、孤立していた人々を救い出します。そのように私たちも救われたのです。迫りくる水や炎や、周りを埋め尽くすがれきの中で、どうしようもないとき、救いがやってきます。私たちは邪悪な時代、罪の禍のなかから、ただただ救われました。神が救ってくださったのです。曲がっていた私たちであったのに、神ご自身が私たちを救ってくださいました。

<救われた者>

 洗礼によって救われた人々は「使徒の教え」「相互の交わり」「パンを裂くこと」「祈ること」に熱心であったと書かれています。パンを裂くことは今日でいうところの聖餐です。つまり人々は今日における教会生活と同様の信仰生活を守っていたということです。むしろ逆で、私たちが使徒言行録の時代からの信仰者の生活を守っているといえるでしょう。しかし、少し違うところもあるようです。生まれたばかりの教会は、財産なども共有化していたようです。このことの背景にはいろいろなことがありますが、現代においては現実的なことではありません。

 しかし、「毎日ひたすら心を一つにして」信仰生活を送っていたのです。心を一つにしてというのは神によって一つにされてということです。人間は一つの目的のためにひととき一致団結することはあります。共通の敵と戦うために、会社の売り上げを伸ばすために、子供を育てるために、さまざまに目的があります。しかしその目的が果たされたとき、心は離れます。そもそも心は一つではなかったからです。目的によってつなぎ合わされていただけだったのです。しかし神によって一つにされた心は異なります。まことに一つなのです。「民衆全体から好意を寄せられた」とあります。単に伝道にギラギラしている新興宗教の集団なら人々から嫌がられたでしょう。しかし、人々は好意をもったのです。そこに通常ではありえない熱心と平和な姿を見たからです。

 内本町に講義所ができて138年たった今、大阪東教会は心を一つにしているといえるでしょうか。先日、コロナ禍のなかの教会のことを話をしているとき、ある先生がおっしゃいました。この時こそ、教会が一つにされているかどうかが分かる、と。神殿を失いエルサレムから散らされたイスラエルの民が散らされながらも神の民として一つの心に歩んだように、今、私たちも会堂に集う人集えない人それぞれに心を一つにできているでしょうか?コロナの禍が起こってから、ばらばらになっても一つになりましょうと言っても無理な話です。もともと、心を一つにして集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美する、そのようなまことの兄弟姉妹の交わりをしていたなら、どのようなことがあっても心は一つであり、物理的に散らされても離れることはないでしょう。単にお固くお勉強するように教会に来ていたなら、離れたらそれまででしょう。それはコロナの禍の時だけではありません。やがて誰でも教会に集えなくなる時が来ます。病や老いで物理的に教会から隔てられる時が、多くの人にやってきます。しかしその時でも心を一つにできるのです。神が心を一つにしてくださいます。聖霊なる神は交わりの神でもあります。人と人とをつなぐ神です。救われた者は、その神によって一つにされるのです。



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