大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ルカによる福音書第24章13~35節

2022-05-11 15:21:58 | ルカによる福音書

2022年4月17日日大阪東教会復活祭礼拝説教「心は燃えていたではないか」吉浦玲子

 肉体をもって復活をされたイエス・キリストはさまざまな形で弟子たちと出会ってくださいました。復活のキリストとの出会い方はマグダラのマリア、トマス、ペトロ、それぞれに違いました。今日、出てくる二人の弟子たちともまた特別な出会い方をされました。復活のキリストは、一人一人と特別に出会ってくださるのです。逆に言いますと、一人一人と特別に出会ってくださるからこそ、私たちは復活のキリストを信じる者とされるのです。

 さて、弟子たちはエマオという村に向かっていました。エマオはエルサレムから10キロほどのところにありました。彼らはエルサレムから離れようとしていました。先生として仰いでいた主イエスが捕らえられ十字架におかかりになり死んでしまわれた。その衝撃と悲しみの中で、そしてまた同時に、エルサレムにいては自分たちの身にも危険が迫るかもしれない。いろいろ混乱する思いの中で彼らは、エルサレムの町から去っていきました。

 彼らは主イエスの逮捕から十字架までの一連の出来事をどう受け止めていいか、まだ分かっていませんでした。19節を読みますと「行いにも言葉にも力のある預言者」だと彼らは主イエスのことを思っていたことがわかります。彼らは実際多くの素晴らしい主イエスによる奇跡の出来事を見て、この方こそイスラエルを救ってくださる、力強い預言者だと信じていました。そしてそれまで聞いたことのない神の国の話も聞きました。主イエスの言葉は知識や学問によるものではない、権威ある神の言葉だと感じて彼らは聞いたのです。この先生は、ほかの先生とは違う。大きな力を持っておられるお方だ、どこまでもついていこうと彼らは思っていたでしょう。しかし、その主イエスが、死んでしまった。それも英雄のような最期ではなく、みじめな罪人として、もっとも恥ずべき十字架刑を受けて死んでしまわれた。「この一切の出来事について話し合っていた。」とあるように、彼らは互いに論じ合いながら歩いていました。しかしいくら論じ合っても、せんないことでした。

 そんな彼らに「イエスご自身が近づいてきて、一緒に歩き始められた」とあります。「しかし、弟子たちの目は遮られていて、イエスとは分からなかった」のです。不思議なことです。ヨハネによる福音書では復活のキリストと出会ったマグダラのマリアもまた最初、相手が主イエスとは分からなかったと記されています。復活のキリストは十字架の前とお姿が変わっておられたわけではありません。しかし、二人の弟子たちもマグダラのマリアも分からなかったのです。

 二人の弟子は、イエスから「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と聞かれると「暗い顔をして立ち止まった」とあります。弟子たちは暗い顔をしていたのです。マグダラのマリアも墓の前で途方に暮れて泣いていました。復活のキリストがそばにおられても、目が閉ざされているとき、人間は明るくはなれないのです。暗い顔をしたり、涙を流すのです。これは私たちのキリストとの出会いとも同じです。そもそも二人の弟子たちはエルサレムで婦人たちが「イエスは生きておられる」と言っていることも聞いていたのです。誰かとの別れがあったり不幸に見舞われたとき、それでもその悲しみから心を整理して立ち直ろうとしているところに、その悲しみの根幹に関わる事柄で理解しがたいことを聞くと、当然余計心は混乱します。立ち直ることが難しくなります。彼らにとって復活についての言葉はいっそう、そうだったでしょう。弟子たちも心はさらに混乱し、顔はいっそう暗くなりました。しかしまた復活という神の現実を知らない限り、人は本質的に暗い顔をするのです。私たちもまた、キリストを知る前、暗い顔をしていたのです。

 その暗い顔をしていた弟子たちに、主イエスは「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」とあります。聖書についてなんと主イエスご自身から講義していただけたのです。今日の週報の表紙に弟子たちとエマオに向かって歩まれる主イエスの姿を描いたロバート・ズンドの絵画を印刷しています。美しい明るい春の道を三人がいきいきと語り合いながら歩む様子が描かれています。これは画家の想像力によって描かれたもので、実際の、エマオへの道がどのようであったか、三人の様子はどうであったかはわかりません。しかし、今日の聖書個所の最後にあるようにこのとき弟子たちの「心は燃えていた」のです。しかし、主イエスご自身が主イエスご自身について語られる言葉を聞きながら、なお弟子たちは、語っておられるのが復活の主イエスであることが分かりませんでした。復活のキリストを復活のキリストとして知るためには聖書の学びを超えた何かが必要なのです。

 彼らは目指す村に近づいたとき、先に行こうとされる主イエスに「一緒にお泊りください」と申し上げます。主イエスから話を聞いていた彼らの中に少し変化が起こりました。暗い顔をしていた彼らは客人として主イエスをもてなそうという気持ちがわいてきたのです。「一緒にお泊りください」主よ、共に宿りませ、そう彼らは言ったのです。

 今日は歌いませんが1954年の讃美歌39番に「日暮れて四方はくらく」という讃美歌があります。「日暮れて四方はくらく/わがたまはいとさびし/よるべなき身のたよる/主よともにやどりませ」という詞になっています。この讃美歌は静かなメロディーとあいまって、情感的に歌われることが多いと思います。この世をよるべなく生きる私たちと共に、神様、ともにいてくださいと切々と響いてくる讃美歌です。ちなみに豪華客船タイタニック号が海に沈んでいくとき、甲板で音楽家たちが最後まで演奏を続けた逸話は有名です。その時、演奏されたとされる曲の一曲は「主よ、みもとに近づかん」という讃美歌だと言われます。しかし、この「日暮れて四方はくらく」も演奏されていたという生存者の証言もあるそうでうす。たとえ暗い冷たい海に放り出されようとも、なお共にいてくださる神がおられる、パニックと恐怖の中で、この曲を人々がどのように聞いたのか想像もできません。しかしなお、絶望的な状況の中で神がおられる、命と死を超えて共に宿ってくださる神がおられる、それは私たちの希望です。その希望に揺るぎはありません。しかしまた私たちはこの讃美歌をあまり情緒的に聞いたり歌うことには注意をせねばなりません。主が共に宿ってくださる、ということは復活のキリストが共に宿ってくださるということです。二人の弟子たちのようにみ言葉を聞く者と共に宿ってくださるということです。人生の荒波の中、神が共にいてほしいということ以上に、復活のキリストがはっきりと見えるように、共に宿ってくださいと願うのです。まだしっかりと復活のキリストを見ることはできない、あるいは頭での理解でしかないかもしれない、しかし、少しずつみ言葉によって変えられて行っていく、確信はもてない、ちょうど夕暮れ時のくらい景色がはっきりしないような心のうちに、復活のキリストに「共に宿ってください」「一緒にお泊りください」と願うとき、主は共に宿ってくださるのです。そして復活という神の現実、肉体をもって復活してくださったキリストの現実を教えてくださるのです。復活のキリストにどうぞ私の内側にお入りくださいと扉を開ける時、その最初は洗礼の時とも言えますが、肉体をもって復活をされた主イエスは私たちと共に宿ってくださいます。

 さて弟子たちと家に入られた主イエスは不思議なことにその食卓において、客人ではなく、主人のようにふるまわれます。「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。」と食卓の主導権を握っておられます。そしてまさに主イエスがパンを裂かれたその瞬間、二人の弟子たちの目は開かれました。ここで分かることは人間の目が開かれること、復活のキリストを理解することは、キリストの側の働きかけによることなのだということです。どれほど勉強して聖書の知識を積み上げても、復活のキリストを自分の内にお招きし、そこでキリストご自身が働いてくださらなければ復活のキリストを知ることはできません。

 一方、復活のキリストを知ることは肉眼でキリストを見ることとは関係のないことが、二人の弟子たちがイエスだとわかったとたん、その姿が見えなくなったことからわかります。実際、復活のキリストと共に道を長い時間歩いたのに、彼らはそれが復活のキリストだとは分からなかったのです。しかし、キリストによって目が開かれました。そして彼らはエルサレムへと引き返しました。復活のキリストの弟子として生きることを選択したのです。彼らはもう暗い顔をしていませんでした。肉眼でキリストを見ることなくても、復活のキリストが共に宿ってくださり、これからも共にいてくださることを知ったからです。私たちもまた復活のキリストを肉眼で見ることはできませんが、復活のキリストの弟子となることを選択した者たちです。

 「道で聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」そう彼らは喜びの声をあげます。まさに傍らで主イエスの声をきいていたとき、すでに心は燃やされていたのです。自分自身が洗礼前、母教会に通っていた時、今思えば、確かにあの時、私の心は燃えていました。阪急電車の岡町駅を降りて母教会までの10分弱の道のりでした。まだ洗礼を決意していなかった時ですら、すでに今思えばキリストによって心を燃やされていました。あの阪急の駅から母教会までの道が私にとってのエマオへの道でした。みなさんにもそれぞれに心を燃やされたエマオへの道があったと思います。週報の表紙の絵のように生き生きと語り合っているそんなエマオへの道があり、今もその道が続いています。

 心が燃えていた、という言葉は、口語訳や文語訳では「心の内が燃えていた」と心の内側という言葉になっています。実際、ギリシャ語の原文でもそのようになっています。心の内側ですから、外からぼうぼうと燃えているような燃やされ方ではないのです。炭火が静かに赤く燃えるように、あるいは小さなともし火がともされているように燃やされるのです。燃えていない信仰などはありません。燃えていないひんやりとした信仰などはありません。形式的には厳粛だけど、内側は燃やされていない、そんな信仰はありません。ただ静かにお行儀よく学んだり祈ったり奉仕をするのが信仰ではありません。復活のキリストに内側で燃やされ、共に宿っていただく。そこに救いがやってきます。十字架の前のキリストの言動を知っていた弟子たちは目は開かれなかった。人の言動によって人間が変えられることもありますが、それは救いには至らないのです。復活のキリストによって心の内側を燃やされない限り、まことの救いには至らないのです。まことに救われた弟子たちがすぐさまエルサレムに戻ったようにそこにはダイナミックな動き、豊かな感情の働きが伴います。復活のキリストと出会うことはそのあなたの心が内側で燃やされることです。そしてキリストによって変えられることです。一人一人のエルサレムに向かうことです。私たちは今日も復活のキリストと出会い、心を燃やされます。

 


ルカによる福音書第3章7~20節

2021-11-28 15:14:17 | ルカによる福音書

2021年11月28日日大阪東教会主日礼拝説教「あなたを切り倒す斧」吉浦玲子 

<クリスマスの驚き> 

 アドベントが始まりました。アドベントではなく、一足早くクリスマスの思い出ですが、まだ小学校に上がる前のことです。ある朝、目が覚めると枕元に、折り紙が置いてありました。普通に文房具屋で売ってある何の変哲もない折り紙です。なぜ折り紙が置いてあるのか分かりませんでした。折り紙を手に取って怪訝そうにしている私に母が言いました。「今日はクリスマスだから」と。ひょっとしたら、それ以前にも、クリスマスプレゼントというものは貰っていたのかもしれませんが、記憶にあるクリスマスプレゼントはそれが初めてでした。私にとって初めてのクリスマスの体験でした。へえ、クリスマスというのは、折り紙がもらえるのだ、子供心にそう感じました。我が家はクリスチャンホームではありませんでした。そしてまたそれ以前にたいへん貧しかったのです。その一年ほど前に父が病気で急死して、母と子供二人が残され、まさに路頭に迷っていた時期でした。昼間はガラス屋として営業している店舗の奥の一間を借りて母子で住んでいました。四畳半ほどの畳の間と台所として使える小さな土間が母子の住居で、母は仕事を探している時期で、経済的な余裕はなかったのです。いつもきりきりとして、怖かった母が、何を思ったのか、その朝は、プレゼントをくれたのです。ですから、とても印象に残っています。信仰的なクリスマスとはほど遠い思い出なのですが、あれもまた、自分にとっては、クリスマスがやってきた出来事でした。クリスマスの意味は全く分かっていなかったのですが、驚きをもってクリスマスというものはやってきました。目を覚ましたら、不意打ちのように、枕もとに何かが置かれている。クリスマスというのは驚きなんだ、そう感じたのです。それから30年以上のちにクリスチャンになりましたが、その後も、毎年思うのです。クリスマスというのは驚きなのだと。ふいに神から届けられるものなのだと。 

 実際、聖書においても、クリスマスは驚きの到来でした。貧しい家庭の枕元のプレゼントというとなんだか甘いような、うるわしいような話になりますが、聖書に記されたクリスマスの到来はほのぼのとするお話でもなければ、一般的に言うような美しいお話でもありません。今日の聖書箇所は、クリスマスのまえ、キリスト到来を告げる者として洗礼者ヨハネが登場します。この洗礼者ヨハネの物語は、少しもハートウォーミングでないどころが、ちょっとむさくるしく、厳しい話になります。しかしここは、このアドベントの期間に読まれることの多い聖書箇所です。 

<悔い改め> 

 洗礼者ヨハネは、マタイによる福音書によれば、らくだの毛衣を来て、革の帯をして、いなごとはちみつを食べていたと描かれています。なんとも野性味あふれるイメージです。そして、これは旧約時代の預言者の風貌でもありました。彼は、旧約時代ののち、数百年途絶えていたと言われる神の言葉、預言を語る預言者として、イスラエルに登場したのです。そして実際のところ、彼は最後の預言者とも言われます。旧約時代のイザヤが、エレミヤが、エゼキエルが、預言した神の救いのできごと、この世界の回復を告げる最後の預言者としてヨハネは登場しました。そしてそれは、彼によって旧約の時代は完全に閉じられ、新しい時代の幕開けが高らかに宣言されたことを示します。そして彼が伝えたことはただ一つでした。 

 「悔い改めにふさわしい実を結べ。」 

です。枕元に折り紙が置かれるよりこれは当時のイスラエルの人々にとって驚きでした。悔い改めとは、神の方を向け、ということです。当時、イスラエルの人々は、自分たちこそが神を向き、何より神を重んじ、神に従って歩んできたと思っていたからです。自分たちは、当然、神の救いに与る権利があり、神の国は自分たちのものだと思っていたからです。イスラエル以外の人々、異邦人とは自分たちは違うそういう自負がありました。イスラエルの信仰の父と言われるアブラハムの子孫である自分たちは当然神の救いにあずかれる、天の国に入れると思っていたのです。 

 翻って、今ここにいる私たちは昨年のアドベントから一年を過ごしてきました。ここにおられる方はほとんどがクリスチャンでありクリスチャンとして神と共に一年を歩んでこられたと思います。しかし、教会の暦として一年の始まりの言葉として、私たちは聞くのです。「悔い改めよ」という言葉を。繰り返し繰り返し、毎年聞くのです。らくだの毛衣を着て革の帯をした古い時代の風貌をした預言者の声を聞くのです。あなたは救われないといけない、あなたは神の国に入らねばいけない、さあだから悔い改めよという声を聞くのです。自分はすでに洗礼を受け救われている、天の国への切符をいただいている、たしかにそうです。その切符がただの紙くずになることはないでしょう。しかしまた一方、私たちはすでに切符を持っているのだから、当然の権利として天の国に入れると大きな顔をして神に申し上げることはできないはずです。この一年を振り返ってみてください。ヨハネの「『我々の父はアブラハムだ』などと言うな」という言葉は、そのまま「『我々はクリスチャンだ』などと言うな」という言葉として、私たちに返って来る言葉です。それよりまえの箇所でヨハネは過激な言葉を吐いています。「蝮の子らよ」これは1世紀の人々が神を重んじると言いながら、実際は偽善的だったからそういわれていたのであって、私たちとは関係のない言葉でしょうか?毎週、礼拝に来て、祈って、奉仕をして、そのうえなぜ「蝮の子らよ」などと言われねばならないのでしょうか。それは、1世紀のイスラエルの人々も同様だったでしょう。厳しい律法を守り、精一杯生きていたのです。蝮の子だなどと言われる筋合いはないと感じるのが普通だと思います。実際のところ、これは何を言っているのでしょうか?もっと祈れとか、もっと奉仕せよと言っているのでしょうか。聖書通読、聖書日課をサボるなと言っているのでしょうか?そうではありません。ヨハネの言葉は「悔い改めにふさわしい実を結べ」なのです。悔い改めの実を結ばない、その状態が蝮の子なのです。 

 今年、中庭の大きな植木鉢に植えられていたドイツヒイラギを庭の土に地植えしました。植木鉢の中で育ちすぎて、根詰まりを起こしていたからです。ぱんぱんに根がつまり、さらに植木鉢の下の穴から根が出て地面に根付いていました。そのドイツヒイラギを地植えにするためには植木鉢を割って、外に出すしか方法はありませんでした。地植えにしたドイツヒイラギが土と馴染んで、枯れずに生き続けるかどうか心配でした。そのまま鉢に入れていても弱っていくだろうし、一方で、新しい環境で生きることができるか心配でした。しかし幸い、無事に土に根付き、このアドベントの季節、赤い実をつけてくれました。その赤い実は今朝のアドベントキャンドルを飾ってくれています。言うまでもなく、植物が実をつけるということは、土から養分をもらって、生きているということです。「実を結べ」ということは「生きよ」ということです。肉体が自己完結して生きていけないように、信仰の命も神から養分をいただかなければ死ぬのです。神につながって「生きよ」ということです。クリスチャンとはかくあるべし、祈りとはこうあるべきだ、そういう自分で作った勝手な枠を作って、植木鉢の中で根詰まりしていたドイツヒイラギのようになっていないか点検をしないといけないいのです。信仰の命がガチガチに自分で作った枠の中で固まっているのなら、その枠を壊さねばなりません。植木鉢を割ったように、私たちの勝手な心の枠を壊すのです。十年一日のような自分のやり方が熱心な信仰だと思い込んでいる傲慢さ、伝統だ厳粛さだといって愛をはじき出している冷たさを叩き割りなさいとヨハネは語っているのです。ただただ、心素直に神につながり、神から命を得なさいと言っているのです。そこに命があるのです。 

 命には新陳代謝があるのです。人間の肉体の細胞が入れ替わるように、私たち一人一人の信仰も新陳代謝するのです。私たちは罪赦され新しい信仰の命をいただいた日から、まだ残っている古い肉の体を少しずつ捨てていくのです。体の細胞は60兆とも37兆とも言われます。その細胞の多くは入れ替わっていくのです。もちろん細胞の中には人間が生まれた時から死ぬまで体内にとどまる細胞もあります。しかし、多くの細胞は、入れ替わりの期間の長さは細胞によって大小ありますが入れ替わるのです。信仰の命もそうです。御言葉は変わりません。いただいた聖なる霊は変わりません。しかし私たちの肉の心は変わっていくのです。変わらねば、健やかな命はないのです。健やかな命には健やかな行いが現れます。ヨハネは貧しい人に施せと言ったり、徴税人に金をごまかすなと言っています。これは施しや公正なあり方が救いをもたらすのではなく、健やかな信仰の命は、おのずと健やかな行いに現れるのです。そしてまた行いの健やかさによって、信仰自体の健やかさが保たれるのです。泥棒をしながら健やかな信仰の命は保てないのです。 

<聖霊の風> 

 ヨハネはさらに恐ろしいことを語ります。やがて来るべきお方、これこそキリストですが、このお方は、手に箕をもって脱穀場をきれいになさるというのです。麦と殻を分け、殻は消えることのない火で焼き払われる、というのです。この消えることのない火という言葉に私たちは恐れを覚えます。悪いことをしていると地獄の火で焼かれる、というようなイメージを持ちます。しかし、ここで語られているのは、麦の殻が取り去られ、その殻が焼かれるということです。ある人が麦で、ある人が殻で、殻の人が焼かれるということではないのです。私たちの中の殻が焼かれるということです。そしてまた箕というものを私は良く知らなかったのですが、これは塵取りのようなざるのようなもので穀物を放り投げて風によって殻や小さな混じり物を吹き飛ばして、ふたたび箕で受ける、あるいは不純物が取り除かれたものを地面に落とすというものなのですね。つまり風によって、不要なものを取り去るのです。キリストは確かに裁き主としてこの世に来られます。箕に穀物をのせて風で殻を取り除かれます。この風は聖霊の風なのです。つまり私たちの内に聖霊の風が吹かねばなりません。聖霊の風はただ一度吹くのではないのです。何度も何度も箕に穀物が乗せられて風で殻が取り除かれるように、何度も聖霊の風に私たちは吹かれるのです。聖霊の風が吹かないように心を閉ざし、魂の扉を閉ざしていてはいけないのです。 

 たえず風が吹くように、願い求めるのです。聖霊よ来てください、と。聖霊というとペンテコステのようだと思われるかもしれません。しかし、聖霊の風の吹かなければ私たちは新しくされないのです。固い殻に覆われ、命から離れていくのです。古い死んだ細胞が皮膚の表面で皮膚をくすませているように私たちの信仰もどんよりとしていくのです。喜びから離れていくのです。教会の周りのブロック塀が撤去され、風通しの良いフェンスに代わりました。そのフェンスにアドベントの電飾が輝いています。私たちの魂にも聖霊の風がたえず吹き渡るようにと願います。そこに信仰の命が息づき、豊かに輝くのです。私たちは聖霊の風に促されて悔い改めます。そして新しい命の輝きに生きていきます。 

  

 


ルカによる福音書第24章36~49節

2021-04-04 15:07:14 | ルカによる福音書

2021年月日大阪東教会主日礼拝説教「 約束を守られる神」吉浦玲子  

  

【説教】  

<復活の生々しさ>  

 キリストは復活されました。肉体をもって復活されました。それは生々しい出来事でした。復活は、キリストは亡くなれたけれど、心の中にいつまでも生きておられる、というようなことではありません。あるいは霊的な存在として主イエスは生きておられる、そういうことではありません。十字架におかかりになるまえと同様に、肉体をもって、復活をされました。そしてそのお姿は光り輝くものではなく、そのお体にはたしかに、十字架におかかりになったときの釘の跡、槍突かれた傷の跡が、生々しく残っていました。それは、主イエスが十字架の上で息を引き取られて三日目のことでした。それは、弟子たちの中に混乱を生じさせました。まず女性たちが主イエスの墓に行ったら墓が空になっていることを発見しました。遺体は一体どこへ行ったのか?何が起こったのか?弟子たちは分かりませんでした。一方、エマオへ向かっていた弟子たちに主イエスが姿を現されました。またシモンにも現れたとも聖書は記します。しかし、弟子たちはまだはっきりとは状況をつかめていませんでした。それが今日の聖書箇所の場面です。 

 「こういうことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた」こう記されています。これまで復活のキリストは復活されたと思われる痕跡を示したり、個別の弟子に姿を現されましたが、ここではじめて、弟子たち皆の前に現れられます。復活のキリストは弟子たちの真ん中に立たれたのです。これは今日私たちがお捧げしている礼拝の姿でもあります。復活のキリストが今も私たちの真ん中に立っておられます。これが週の初めの日の出来事です。もっとも、今もキリストは私たちの間に立っておられるというと少し話が混乱するかもしれません。いま、私たちはキリストを肉眼で見ることはできないからです。しかし、今日の聖書箇所では肉眼で見ることのできるお姿で復活のキリストは皆の前に立たれました。 

 そしてキリストはおっしゃいます。「あなたがたに平和があるように」。この言葉は一般的な当時の挨拶の言葉、ヘブライ語の「シャローム」であると考えられます。<こんにちは><こんばんは>そのような挨拶を主イエスはなさったのです。しかし、普通のことのように主イエスは挨拶をなさっていますが、その状況はとんでもないものでした。主イエスは話をしている弟子たちの真ん中に「いきなり」立たれたのです。どこかから入って来られたという形跡がありません。主イエスは普通に「こんにちは」とあいさつをなさっていますが、弟子たちは当然驚きます。「彼らはおそれおののき、亡霊を見ているのだと思った」とあります。当然でしょう。たしかに主イエスが息を引き取られたのを弟子たちは知っています。もし、いったん死んだものの、実は仮死状態だったので、蘇生をしたということなら、キリストはドアを開けて部屋に入って来られるはずです。しかし、突然、皆の前に現れられました。しかしここで、短絡的に、なにか霊的な存在としてキリストが復活をされたと考えてはなりません。 

 とはいえ、どうにも理解しがたい形で復活の主イエスは現れられました。むしろ霊的な存在として現れられたのであれば、たとえば弟子たちが考えたように亡霊であれば、まだ私たちも納得できるでしょう。しかし主イエスは自分は亡霊ではないとおっしゃるのです。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい」とおっしゃるのです。亡霊ではなく、触ることのできる肉体という実体を伴った存在なのだと主イエスはおっしゃるのです。さらには焼き魚を食べるというパフォーマンスまでなさいます。 ここは弟子たちのみならず、多くの人々が戸惑うところです。復活なさった主イエスは亡霊のようなものではないが、壁をすり抜けられるようなところがあり、物理的な制約において十字架におかかりになる前の体の様子とは少し違うのです。少し違うのですが、たしかにキリストは生々しく肉体を持って復活をされました。 

<復活のキリストと出会う> 

 ところで、7年前、私がこの大阪東教会に主任として仕えるようになった年の復活祭の礼拝では、平山武秀牧師が説教をしてくださいました。私が当時、伝道師であって、聖餐を執行できませんでしたので、平山先生にお願いしてお越しいただいたのです。その時の説教の中で、平山先生は「聖書には主イエスを目撃した人々、主イエスと出会った人々の証言がたくさん記されています。その聖書において、主イエスに関する出来事の中で、受肉と復活は、特に重要な出来事です。受肉と復活は、神の救いの根幹に関わる最も大きな奇跡です。しかし、そのふたつの出来事を直接目撃した者はいないのです」と語られました。キリストの語られたことやなさったことを多くの人々が目撃しました。そしてそのことは福音書にも手紙にも書かれています。しかし、受肉と復活の決定的瞬間を直接に目撃した人はいないのです。復活に関していえば、すべての福音書で「空の墓」から話が始まります。墓の中で主イエスが目を開け起き上がられる場面、歩き出される場面などはだれも見ていないのです。復活なさった主イエスとの出会い方も尋常なあり方ではありません。突然、姿が見えたり、消えたりします。亡霊だ、幽霊だと言われる方がよほど信じやすいのです。決定的な場面の目撃証言がないままに不思議な書かれ方で聖書は復活の出来事を伝えています。それゆえ、復活なんて信憑性がないとか、教会の捏造だとかいう愚かな人々も出てきます。 

 しかし、たしかに2000年に渡り、キリスト者は受肉と復活の奇跡を信じて来たのです。それが愚かな作り話であれば、2000年前に発生した新興宗教のたわごととして歴史の中で消えていったことでしょう。実際のところ、決定的瞬間の目撃者はいないにも関わらずキリストが復活されたという伝承は消えませんでした。復活のことが記されたもっとも古い文書はコリントの信徒への手紙であると言われます。この手紙はキリストの死後20年頃に書かれたことが学問的に解明されています。十字架の出来事から20年という時間はけっして長くはありません。今から20年前のことを思い出してみてください。アメリカの同時多発テロが起こった頃です。当時物心ついた年齢であった人間にとってはツインビルが崩壊する衝撃的な映像は生々しく記憶にあるでしょう。キリストの復活の記事もそうです。実際に主イエスがエルサレムで十字架におかかりになった記憶が鮮明にある人々がまだ残っていた時代です。復活は十字架の出来事をリアルで知っている人々がいなくなった100年や200年後に言い出されたことではないのです。 

 しかしなにより決定的なことは、復活のキリストと実際のところ、多くの人々が決定的な形で出会ったことです。その復活のキリストは出会った人々に対して決定的な変化を生じさせたのです。単に亡霊と話をしたというのではない、出会った人々の人生を根底から変える存在として復活のキリストは人々と出会われたのです。ですから、復活のキリストと出会った人々はそのことを語らざるを得ませんでした。そしてその証言は、2000年後においても聖霊によって聞くとき、リアルな生々しい言葉として響いて来るのです。 

<肉体をもった復活> 

 そして繰り返しになりますが、キリストご自身が肉体をもって復活なさったことはとても大事なことです。そもそも肉体、体とは何でしょうか?キリストご自身が「触ってみなさい」とおっしゃっていますが、肉体とは触れ合えるものなのです。観念や概念ではなく、触ることができる実体なのです。聖書が語ることは哲学や精神論ではありません。現実の世界において起こる出来事であり、現実の世界を生きる私たちの生活に関わって来ることです。 

 愛というものが、単なる概念であれば、私たちにとって愛は意味をなしません。愛は、愛するという行為を伴ったときはじめて意味を成します。そしてその愛するという行為は肉体によって行われます。聖書には主イエスが病人を治された話がたくさんあります。主イエスは病人に優しい言葉をおかけになっただけではなく、実際に肉体に働きかけられたのです。肉体に対して愛を実践されました。つまり肉体というものは、抽象的なものではなく、実際に愛し、愛されるという現実に生きる存在であるということです。 

 以前、どうしても出席しないといけない会で、周りはあまり親しくない人ばかりで、アウェイ感満載で、いごこちが悪い思いをしました。会が終わり、周りの人はまだ三々五々それぞれに雑談をしていましたが、私は、そそくさとその場を離れ帰ろうとしていました。戸口のところで、ふと視線を感じて振り返ると、一人の人が、私に向かって、部屋の向こう側から「さよなら」という感じでニコニコしながら手を振ってくれていました。別に駆け寄って来て話しかけるということではなかったのですが、アウェイ感、疎外感を感じていた私はその人が手を振ってくれていたのがとてもうれしく感じました。その人は私が話す相手もなくとぼとぼ帰っていく姿を見て、わざわざ手を振ってくれたのです。その気持ちがうれしくて、私も手を振って会釈をして帰りました。その人は肉体の目で私を認識して肉体の手を振って気持ちを表してくれました。言ってみれば小さな愛を示してくださったのです。 

 肉体は、愛を入れる器として存在します。そしてまた愛を受ける器として存在します。 重い荷物を持ってしんどい思いをしている人に、口で愛してると言っても意味はありません。小さな荷物の一個でも一緒に持ってあげる、そこに愛があります。疲れた家族のために、その人が好きな飲み物をそっと準備をする、そこに愛があります。泣いている子供をぎゅっと抱きしめてあげる、その時、子供は愛を感じます。 

 そもそも肉体は神がお造りになりました。神が愛を持って造ってくださいました。その肉体をもって私たちは愛を表現する者となるのです。キリストご自身がその肉体にお苦しみを受け愛を示してくださいました。そしてまた愛と救いを示すために、肉体をもって復活してくださいました。2000年前、弟子たちはたしかに肉体を持った復活のキリストと出会ったのです。天から響くキリストの声を聞いたのではありません。わざわざ魚まで食べてみせられる生身のキリストと出会ったのです。 

<神の約束としての復活> 

 そしてそれらのことはすべて神のご計画の内にありました。愛のご計画、救いのご計画の中にありました。愛を持って私たちの肉体を造ってくださった神は、2000年前突然キリストを復活させられたわけではありません。44節に「わたしについてモーセの理っぽいと預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」と主イエスが語っておられます。復活は、人間の救いのために、罪からの救いのために、すべては神がご計画されていたことでした。そしてそのことはあらかじめ知らされていたことでした、神が約束されていたことでした。神はその約束を果たされました。しかしそれで終わりではありません。神の約束はまだ続きます。いま肉眼で私たちは私たちの真ん中におられるキリストを見ることができませんが、やがて見ることのできる日が来ます。再臨の時です。そしてまた私たち自身も復活をします。すでにこの地上を去った愛する兄弟姉妹もそうです。終わりの日に肉体をもって復活をします。先に地上を去った人々も復活をします。その日、すべての涙はぬぐわれます。神の約束は続くのです。その約束の希望に生きる力を与えられるのがキリストの復活の出来事です。キリストの復活は、神の約束の成就であり、さらに与えられる約束への確かな希望です。 

 


ルカによる福音書23章44~56節

2019-09-08 13:35:59 | ルカによる福音書

2019年4月14日 大阪東教会主日礼拝説教 扉は開かれた吉浦玲子

<ゆだねること>

 十字架の上の主イエスの言葉から聞いています。今日は最後の七つ目の言葉です。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と主イエスは十字架の上で叫ばれました。主イエスは神に等しい方であり、父なる神の御子であるお方でした。ルカによる福音書ではその降誕の時、天使と天の大軍の大いなる賛美がなさました。しかし、十字架に主イエスがつけられているとき、天使と天の大軍が来ることはありませんでした。もちろん、けっして主イエスは無力であられたわけではありません。神と等しいお方が、その神の力を最後の最後には発揮することがおできにならなかったわけではありません。ただ、主イエスはすべてを父なる神におゆだねになりました。父なる神は天使も天の大軍もその御子の十字架のときには遣わされませんでした。それが父なる神の御心でした。そして主イエスはその父なる神にすべてをおゆだねされたのです。

 わたしたちの人生ということを考えます時、往々にして神にゆだねざるを得ない局面があります。人間の努力や意思ではどうにもならない局面があります。高度一万メートルで航行している飛行機の機体にトラブルが起きたとき乗客にはどうしようもありません。実際、仕事でアメリカに行ったとき、気流の状態がひどく悪く何千メートルも乱降下する飛行機の機内にいたことがありますがそういうときはもうどうしようもないのです。私たちは不可抗力のトラブルや事故に巻き込まれた時、あるいは病が重篤な場合、神にゆだねるしかりません。わたしたちは自分でどうにもできなくなったとき、神にゆだねざるを得ません。力尽き倒れたときわたしたちは神にすべてをゆだねざるを得ません。それは人間的な感覚でとらえますと、ある意味、敗北でもあります。

 しかし主イエスはそのようなわたしたちとは異なります。十字架の上で敗北をなさったわけではありません。主イエスは天の大軍を呼び寄せることも、自ら十字架から降りることもおできになったでしょう。しかし、主イエスは、ご自身の意思として、父なる神にご自身をゆだねられました。肉体が滅び、やがて陰府にまで下ることになる、それを父なる神の御心としてお受けになりました。フィリピの信徒への手紙2章6節にこのような言葉があります。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」とあります。まさに主イエスはその死に至るまで、十字架の上でへりくだり、従順であれました。徹底して神にゆだねられました。この主イエスの父なる神への従順は見習いたいと願うものであります。たとえば自分が死の床にあるとき、主イエスのように「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と祈れたらどんなにいいでしょうか。もちろん、そう祈れるかどうかはそのときにならないとわからないことです。しかし、多くの場合、なかなか難しいことであるとも思います。

 さきほど申し上げましたように、人間にはもう自分ではどうしようもない局面があります。神にゆだねざるを得ないときがあります。しかし、そのどうしようもないときに、もちろん、神よ、ゆだねますと自分を差し出したら良いのですが、しかし、実際のところは、それまでの人生においてどれだけ自分が神にゆだねて生きて来たかということがそのとき問われます。いよいよもうだめだというとき、自分を神の前に投げ出すとき、もしそれまでの人生においても、神にゆだねた生き方をしていたらならば、そこに平安があります。心から自分を神にゆだねる時、それは敗北ではなく、むしろ勝利であり平安なのです。もちろん恐れや不安はゼロではないでしょう。しかし、それまでの人生において神に従い、神に従順に生きてきたとき、いよいよというとき、自然に神に身を任せることができるようになります。

 良く「自分を神に明け渡す」と言われます。自分が自分の人生の主人公で、自分中心に生きていくありかたから、自分の人生の真ん中に神に入ってきていただく生き方が「神に明け渡す」生き方です。自分の心を部屋に例えると、たくさんの自分の好みの家具や雑貨が所せましと置かれている状態が最初の自分です。それらのモノの管理は自分がやっています。そしてどんどんと好みのモノは増えていくのです。そこには神が入るスペースがありません。自分の好みの家具や雑貨の間の狭いところで神は窮屈にしておられます。神は本当はもっと豊かに働き恵みを与えたいと願っておられますが、私が神の働きをとどめている状態です。しかし、神と共に生きていくとき、祈りと御言葉の生活をしていくとき、どんどんと心の中のモノを捨てていくことができるようになります。神の働きの邪魔になるモノを捨てることができるようになります。そして神様が自分の部屋の真ん中にゆったりといてくださるように整えていくことができるようになります。そうやってどんどんと自分の心の部屋のスペースを神に明け渡していくのです。そうやって神が自分の心の中心におられるようになったら、これまで自分の好み、自分のやり方でやってきたことが、だんだんと神様が喜ばれるモノに変わっていきます。神様が主体的に私たちの心の部屋を整えてくださるようになります。これは一生かかって変えていただくものです。一生かかって私たちは、神に自分を明け渡していきます。そして一生かかって私たちは神に自分をゆだねる者とされます。

<罪を砕く叫び>

 ところで、今日の聖書箇所は少し前に一緒にお読みしましたマルコによる福音書においてイエス様が亡くなられる場面と内容的に重なっています。全地が暗くなり、イエス様が叫ばれて息を引き取られ、そしてまた神殿の幕が裂けたというところは似ています。しかし、中心となる、イエス様の言葉が違います。以前お読みしましたように、マルコによる福音書ではイエス様は「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。しかし今日の聖書箇所では、主イエスが叫ばれたのは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」でした。言葉についてはマルコによる福音書を一緒にお読みしたときお話ししましたのでここでは触れませんが、しかしよく読みますと主イエスの言葉の違い以外にも、少し違うのです。たとえば全地が暗くなることも、マルコによる福音書では「全地は暗くなり、それが三時まで続いた」と記されていますが、今日の聖書箇所では、「全地は暗くなり、それは三時まで続いた。太陽は光を失っていた。」と「太陽は光を失っていた」という言葉がさらに重ねられています。これはいずれもアモス書で預言されている裁きの日の成就ですが、ルカによる福音書の方がさらに闇が深く描かれています。ある説教者は、「太陽が光を失っていた」というのはキリストを十字架につけた人間の罪の深さのゆえに神がそのみずからの光を人間に注ぐことをおやめになった状態であると語っておられました。創世記において「光あれ」とおっしゃった神が、光を人間に注がなくなった状態です。それは罪なきキリストを十字架につける人間の罪のあまりのひどさのゆえに、神が人間からその御顔を背けられている状態であるとも言えます。

 神が御顔をそむけられる、あるいは神が沈黙をなさる、それは神が冷酷で残酷だからではありません。人間の悲惨から目をそむけ、放っておかれているわけではないのです。あまりにも人間の罪が深いゆえに神は人間から見るとその光を隠され、御顔を隠されるのです。十字架の時は、まさに神の御子を、神と等しいお方を、人間が十字架につけるという、人間の罪が極まった時でありました。そのとき、太陽は光を失ったのです。神は御顔を隠されました。

 そしてまた、神殿の垂れ幕が裂けました。これはマルコによる福音書では主イエスが息を引き取られたときに裂けたと記されていましたが、本日の聖書箇所では主イエスが息を引き取らられる前に裂けたと記されています。これは福音書間で事実が矛盾して記述されているというより、それぞれの福音書を記した人々が、それぞれに聖霊によって語られたことを信仰的にとらえて記したことによる違いといえます。ルカによる福音書においては垂れ幕は主イエスの死の前に裂けました。ある方は、これは神殿の破壊、すなわち、人が神を礼拝することができなくなったことを意味するとおっしゃいました。人間の罪が極まり、太陽が光を失い、神が御顔を背けられた、そして人間と神をつなぐ礼拝をおこなうための神殿が壊れたのです。神と人間の間をつなぐものが破壊されたのです。人間の罪のゆえに破壊されたのです。神と人間の間が断絶したのです。神を礼拝することができなくなってしまったのです。

 しかし、その人間の罪のゆえの闇の中、神殿が崩壊して、神と人間をつなぐものがなくなったそのとき主イエスは叫ばれるのです。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と。父なる神が人間から顔を背け、恵みの光を注がず、礼拝を捧げられることも拒まれている、そのとき主イエスは叫ばれました。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と。これは御子からの父なる神への呼びかけでした。主イエスはここで父なる神を信頼し、すべてをゆだねられ、平安に死へと向かわれただけではありません。人間の罪の闇が極まるなかでなお父に呼びかけられたのです。沈黙される父へとなお御子はご自身を捧げるということを伝えられたのです。ご自身を罪の贖いの捧げものとして捧げることを叫ばれたのです。どうぞ父よ、お受け取りください。犠牲の小羊であるこの私の霊を、わたしのすべてをお受け取りください。そしてこの罪の闇を打ち破ってください。ふたたび人間があなたを礼拝することができるように、あなたの御顔を見上げることができるようにしてください。そのような新しい時代を開いてくださいという叫びが「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」でした。

 その主イエスの叫びが闇を切り裂き、新しい扉を開きました。もちろんそれが明らかになるのは復活の朝です。しかし、その叫びを聞いた人々はその朝を前にして、なにごとかを悟ったのです。百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って神を賛美したとあります。百人隊長はまさに主イエスを十字架につけたローマ側の人間でした。十字架にかかった罪人を見たのは初めてではなかったでしょう。多くの罪人を見てきたと考えられます。だからこそ、わかったのです。主イエスは他の罪人とまったく違うお方であることを。百人隊長は主イエスの叫びを聞いて、なにごとかを感じ取ったのです。そこに偉大なことが起こったことを感じ取ったのです。主イエスの十字架が神の出来事であったことを悟ったのです。それも恐ろしいことではなく、神の恵みの出来事であることを悟ったのです。ですから神を賛美したのです。とてつもない神の業がそこにあったこと、新しい扉が開かれたことをを悟ったのです。また見物人たちは「胸を打ちながら帰って行った」とあります。主イエスをののしっていた人々もまた、なにごとかを感じて帰って行ったのです。

 主イエスの十字架は人間の罪の闇が極まったところに立ちました。本来なら神が御顔を背け、人間との交わりを断絶するそのときに、主イエスの叫びによって新しい扉が開かれました。私たちは普段自分が闇の中にいるとは思いません。いえむしろ現代は光にあふれています。偽りの光にあふれています。偽りの光に慣れて、闇を知らない私たちの内側で闇はいっそう深まっているでしょう。しかしそこにも主イエスの叫びが届くのです。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と。罪深い闇の中にいる私たちを救い出す叫びです。闇を破り神の恵みの光を私たちに注いでくださるための叫びです。


ルカによる福音書23章39~43節

2019-07-19 08:40:46 | ルカによる福音書

2019年3月17日 大阪東教会主日礼拝説教 あなたは今日楽園にいる~十字架の上の七つの言葉」吉浦玲子

 聖書を読みますと、人間が神を畏れる、というとき、恐ろしい神の姿を見たり、神の怒りにふれたから畏れるということではなく、むしろ、神の恵み、神の慈しみに触れたとき、人間は神を畏れる者とされることがわかります。ルカによる福音書5章には有名な大量の話が記されています。もともと漁師であったペトロは、あるとき、一晩中漁をしても魚がとれませんでした。夜通し頑張ったのに魚が取れなかったのです。ところが、イエス様の言葉に従って網を降ろしますと、おびただしい魚が網にかかって網が破れそうになったのです。もともと漁師でありますから、この大量がとんでもないことであることがペトロには良く良くわかりました。神の業以外の何物でもないことがわかりました。そのペトロは主イエスの前にひれ伏して言います。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。」とんでもない大量、驚くべき神の恵みの前に、初めて人間は神への畏れを覚えるのです。そして自分の罪深い姿を知るのです。

<二人の犯罪人>

 今日の聖書箇所でもそのような一人の人間がでてきます。彼は主イエスと一緒に十字架にかけられた犯罪者でした。主イエスを真ん中にして、三本の十字架が立てられていました。主イエスの両脇の十字架にはそれぞれに犯罪者がいたのです。二人の犯罪者が主イエスと共に十字架にかけられたことは他の福音書にも記されていますが、ルカによる福音書は特徴的な書き方をしています。一人の犯罪者は、権力者や兵士や野次馬と同様に主イエスを罵るのですが、もう一人の犯罪者はそうではなかった、そう記されています。犯罪人の一人は「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」と主イエスを罵ります。しかしもう一人の犯罪者は「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」ともう一人をたしなめます。

 二人の犯罪人がどのような人間であったのか聖書は語りません。政治犯であったかもしれません。十字架刑になるのですから、ローマ帝国への抵抗運動をしていたのかもしれません。他の福音書には強盗と書いてあります。いまでいうところのテロリストのようなものであったかもしれません。ローマを倒すために殺したり、盗んだりしてきたのかもしれません。そしておそらくこの二人はこれまでの生き方において本質的な違いはなかったのではないかと考えられます。

 しかし主イエスへの態度において、きわめて鮮やかな対比を二人は見せます。共に、十字架の尋常ではない苦しみのなかにありました。自分の命が終わりに近づいているその中で、一人は、その苦痛の中で八つ当たりするように「我々を救ってみろ」と主イエスに叫びました。絶望の叫びでした。彼は自分のしてきたことはローマへの抵抗であってなんら悪いことだとは思っていなかったかもしれません。そしてまた主イエスが救い主であるなんてことはまったく思っていなかったでしょう。しかし苦しみとぜつぼうのゆえにこの犯罪人は主イエスを罵ったのです。

 しかしもう一人は「お前は神をも恐れないのか」という言葉でたしなめます。このもう一人の犯罪人は、主イエスがただならぬ存在であると感じていたようです。そして主イエスが何も悪いことをなさっていないことも感じていたこともわかります。この犯罪人がどうして主イエスに対してこのような思いを抱けたのか、その理由は聖書には記されていません。この犯罪人は、エルサレムからゴルゴダの丘までのビアドロローサをいっしょに十字架を担がされ歩きました。映画などで見ると、この場面は、ことに主イエスはいくたびもよろめき力なく歩まれています。それゆえに今日の聖書箇所の前の場面ではキレネ人のシモンが主イエスの十字架をになわされることになったのです。一方で主イエスと一緒に十字架にかけられた犯罪者は、それなりに腕っぷしも強かったかもしれません。体力もあったのではないでしょうか。実際、十字架において、他の二人の犯罪人より主イエスは早く絶命されたようです。共に十字架につけられた、普通に見たら、みじめな罪人の姿です。

主イエスのお姿はことに弱弱しくみじめに見えたかもしれません。しかも、野次馬たちは、ことにこのイエスという男を罵っている、その罵りの言葉からこのイエスという男は「自称メシア」、自分を神から来た救い主と言っていたらしいことが分かります。最初はなんて愚かな男だろうと感じたかもしれません。しかし、十字架に共にかかりながら、すぐ横で、主イエスの様子を見ながら、この犯罪人は分かったのです。自分と同じ苦しみ、みじめさの中にあって、死を目前にしてなお「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈られる姿に、ああ、この方は罪のない方なのだと分かったのです。同じ苦しみ、同じみじめさの中にいるからこそ、その中で、自分を殺そうとしている者、侮辱する者たちのために祈られていることがただならむことであるのが分かったのです。

 それまでの生き方において、二人の犯罪人には大きな違いはありませんでした。しかし、死を直前にした十字架の上で決定的な違いが起こりました。同じように主イエスのそばにいて、そして同じように主イエスの言葉を聞きながら違いが出たのです。これは私たちにも起こることです。同じようにみ言葉を聞きながら、そしてまた聖書を読みながら、その御言葉の前で態度に違いが出るのです。主イエスはたとえ話をお語りになると木、「耳ある者は聞きなさい」とおっしゃいました。これは耳があっても、つまり、言葉は聞こえ言語としては理解できても、それを神の言葉として受け取れない人々がいることを主イエスはご存じだったからおっしゃったのです。つまり、十字架の上の二人の犯罪人のうち、一人だけが耳があったということになります。

 「父よ、彼らをお赦しください。」その言葉の恵みを受け取ったのです。そこにイエス・キリストの愛を感じたのです。そのとき、彼は神への畏れを感じたのです。

<楽園にいる>

 彼は言います。「我々は、自分のやったことの報いを受けているから当然だ。」彼は自分の罪が分かったのです。ローマを倒すためにやってきたことをそれまで彼は悔いていなかったかもしれません。他の福音書で書いてるように強盗だったとしても、罪の意識はなかったかもしれません。捕まって運が悪かった、運と自分を殺そうとするローマを憎みながら死んでいたでしょう。しかし、彼は罪が分かったのです。イエス・キリストの愛の前で、自分は死に値する罪を犯したことが分かったのです。その時彼に言えたことは、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」という言葉だけでした。「このような私を御国に入れていただけませんか」とか「救ってくださいませんか」という言葉は到底言えなかったのです。自分の罪の深さを知ったとき、ただ、「思い出してください」としか言えなかったのです。

 すると主イエスは「はっきり言っておくが、あなた今日わたしと一緒に楽園にいる」」とおっしゃいました。この楽園とはなんであるか?そもそもの言葉はエデンの園で言われるような「園」なのです。これは解釈がいろいろあります。この「楽園」という言葉は、コリントの信徒への手紙でパウロが1回使っているだけで、新約聖書には出てきません。ただ、この言葉は一般的にいう「天国」と解釈をすべきではないでしょう。「あなたが御国においでになるときには」という言葉と対比させて、御国も天国と解釈して、イエス様があなたも天国にいくよとおっしゃったと解釈するのは違うでしょう。

 ここで語られているのは、決定的な救いです。「あなたは今日わたしと一緒に」いる、そう主イエスはおっしゃいました。キリストと同じところにいる、つまりキリストの救いの中に入れられている、ということです。そもそも多くの人が天国とか神の国というのは何かエデンの園のようなきれいなところに幸せに暮らすということではなく、神と共に赦されて生きる、ということです。そしてまた「御国においでになるときには」という言葉は天国に行かれる時にはということではなく、むしろ、キリストの再臨のときのことをさしています。ふたたびキリストが権威を持って、この世界の支配者として来られるとき、ということです。罪人は、キリストが再臨され、ご支配を完成されたとき、私のことを思い出してほしいと願いました。それに対して、主イエスはあなたはすでに今日、私と一緒にいる、つまり、今日、あなたは赦され恵みのうちにいる、とおっしゃったのです。

 この犯罪者はその死を前にして、キリストの言葉を聞き、救いを宣言されました。主イエスとこの犯罪者を見物している人々の中には祭司やファリサイ派という当時の宗教指導者たちもいました。彼らは何十年も律法を守り、宗教祭儀をなしてきたのです。しかしそのような宗教的生活をしてきた人々ではなく、十字架につけられた犯罪人の上に、救いは与えられました。

<天国泥棒?>

 この主イエスがから「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言っていただいた犯罪者は「天国泥棒」とよく言われるようです。先ほども言いましたように、いわゆる「天国」というのは主イエスのおっしゃる楽園の解釈とはちがうのですが、多くの人が、死ぬ直前に改心して救われたこの犯罪者に強い印象を持ってこういうようです。

 こういうことは現代でも起こります。私が洗礼を授かった教会の当時の牧師のK牧師は今は東京の教会で牧会されていますが、数年前、その先生から突然電話がかかってきました。近藤芳美という歌人がK先生の教会の教会員で亡くなったので、その方の歌人としてのプロフィールを教えてほしいとの電話でした。私が短歌をやっていることをご存じだったので問い合わせてこられたのです。近藤芳美といえば、歌壇の大家であって、私は面識はなかったのですが、その関係の歌人は存じ上げていたので、その方に問い合わせてお答えしました。近藤芳美さんがクリスチャンとは知らなかったのですが、よくよく聞くと病床洗礼だったようです。近藤芳美さんのご親族がK先生の教会の方で、そのご親族の願いで、K先生が、近藤芳美さんのお宅を訪問され、話をされました。近藤芳美さんはすでに聖書のこと、キリストのことをよくご存じで、K先生の語る話もすぐに理解され受け入れられました。そしてその場で洗礼を受けられたのです。もうお体がだいぶ悪く、おそらく教会の礼拝に出席することはかなわないままに召されたようです。そのしばらくあと、大阪で近藤芳美さんの弟分にあたる岡井隆という歌人を囲む会がありました。岡井隆は近藤芳美の後輩で、戦後の歌壇を担ってきたやはり大家と言える歌人でしたが、その方は、クリスチャンでした。その岡井さんに私は近藤芳美さんが亡くなる直前に洗礼を受けられたことをご存知ですか?とお聞きしましたら、ご存知なく、たいへん驚いておられました。でもしばらくして、少しにんまりとされて、「なんだか近藤さん、ずるいね。僕はずっとクリスチャンだったんだよ、何十年も。なのに、彼は、ほんのちょっとの期間だけクリスチャンになって天国行きってこと?なーんかずるいよねー」とおっしゃっていました。まるで、キリストと共に十字架に上げられて、死ぬ直前に救いに入れられた罪人のように先輩の近藤さんのことを感じておられていたようです。

 十字架の上の犯罪人にしても、今日における、病床での緊急洗礼にしても、どのような時にも救いがおこるのだということを示しています。じゃあ、死ぬまでにキリストを信じれば救われるのであれば、長い期間クリスチャンとして生活をしているのは意味のないことでしょうか?もちろん、そうではありません。主イエスは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」とおっしゃいました。「今日」私たちも信じて主イエスと共にいるのです。そこに恵みがあるのです。まさにそれは「楽園」といってもよい祝福があるのです。その祝福の日々は長ければ長いだけの喜びに満ちているのです。今日、私たちはイエスと共に生き、イエスと共に光の中を歩みます。