大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録8章1b~25節

2020-08-09 14:53:32 | 使徒言行録

2020年8月9日大阪東教会聖霊降臨節第11主日礼拝説教「」吉浦玲子

【聖書】

その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。

さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。

ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。

エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」

このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。

【説教】

<神がゆるされること>

先週は平和主日でした。日本基督教団では八月第一主日は平和主日と定められています。教会のみならず、八月は日本において平和について深く考えるべき月です。しかし、年年歳歳、戦争や平和についてメディアに乗ることは少なくなり、今年は特に新型コロナウィルスのことで大変な状況ですので、いっそう、戦争や平和について語られたり報道されることは少ないようです。とはいえ、今日は長崎に原爆が投下された日です。私は長崎県出身ですが長崎市内ではなく県北部の佐世保市の出身ですので、長崎市内のように原爆の痕跡が残っているなかで育ったわけではありません。それでも子供のころは被爆経験のある人が数人は周囲にいましたから、原爆のことはある程度、同世代の他地域の方よりリアリティをもって感じられるかもしれません。

ところで、ある方がおっしゃいました。「どのような理不尽でひどいことでも、それが現実に起こっているということは、それが起こることを神がゆるしておられるということだ」と。これは個人の人生においても、社会においても、教会においてもそうです。だとするならば、広島や長崎への原爆投下も神がゆるされたことなのでしょうか。大阪でいえば、大阪大空襲で多くの方が犠牲になったことも、この大阪東教会の会堂が焼け落ちたことも神はゆるされていたのでしょうか。あるクリスチャンが、長崎への原爆投下は、神への燔祭-焼き尽くす捧げもの―として長崎が捧げられたものだと語ったそうです。その方は、ご自身も被爆され家族も失われましたが、神の大きな摂理の中で、原爆というものを捉えようとされたのです。原爆は神の摂理の中にある、すなわち神のゆるされたことだと考えられたのです。しかし、これは誤解を与える危険のあることでもあります。そもそも戦争や、原爆投下は、人間の罪によって引き起こされたものです。神の摂理だから、神がゆるされたからといっても、戦争や原爆投下を引き起こした人間の罪が正当化されてよいわけではありません。

しかしまた人間の罪による悲惨も含めて、そこにも神の摂理が働いているということは事実です。本日の聖書箇所では、ステファノの殺害が契機となり、教会への迫害が燃え上がったことが書かれています。これまで順調に成長してきた教会が大打撃を受けます。純朴にキリストを信じ、持ち物も共有する平和な信仰生活を送っていた人々が次々と牢に送られました。そもそも教会は最初からけっして反社会的な存在ではありませんでした。もともとは教会外の人々からも好意を持たれていた存在でした。しかし、悪意を持った一部の人々の策略が発端となり、ステファノが殺害され、迫害が始まりました。たいへん理不尽なことでしたが、一度火のついた迫害の嵐は簡単には収まりませんでした。多くのキリストの弟子たちはエルサレムから逃れました。しかし、逃れつつ、伝道をしたのです。「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」とあります。「散って行った」とありますが、これは原文では、「散らされた」と受け身形で書かれています。弟子たちの意志ではなく、散らされたのです。誰が散らしたのか?それは、迫害者ではなく、神なのです。迫害そのものは人間の嫉妬やかたくなさという罪の表れですが、神は迫害の起こることをゆるされ、むしろ大きな歴史の中でご自身の業を前進させられました。何回か語ってきたことですが、この使徒言行録の時代のみならず、キリスト教の歴史において、迫害によって繰り返し弟子たちが散らされたことは、散らされた先で新しく福音が伝えられる機会になったのです。しかし現実的なことを考えますと、もともとの生活基盤を失って、散らされた人々が、細々と、慣れない土地で伝道をするのはたいへんな困難があったでしょう。そもそも生きていくための糧を得ることからしてたいへんだったでしょう。迫害のなかでステファノのように命を落とした者もあったでしょう。それぞれの状況を個別で見ますとひどい話です。しかし、なお、いよいよ福音は伝えられました。迫害を通して、神はさらに多くの人々を救おうとされました。ただ、神は結果的により多くの人に福音が伝えられれば、個々の人々が苦しもうが、個別の教会が迫害で立ちいかなくなっても構わないということではありません。散らされた弟子たちそれぞれに神の顧みがあり、そこに恵みがあったのです。

<魔術ではない>

そんな散らされた弟子たちの一人フィリポはイスラエル北部のサマリアで伝道をしました。そのフィリポにも神の顧みがありました。サマリアでの伝道は順調でした。汚れた霊に取りつかれた人たちも中風や足の不自由な人も癒され、町の人々は大変喜びました。

そこにシモンという人が出てきます。この人は魔術を使って人々を驚かせて人々から注目されていました。客観的に見ますと、不思議なことを行うという点においては、フィリポも、このシモンという男も同じなのです。実際、人々は長くこのシモンの魔術に心を奪われていたのです。シモンは「この人こそ偉大なものと言われる神の力だ」と人々から言われていました。そしてその称賛をシモン自身も否定しなかったと考えられます。シモンは魔術によって自分を偉大なもののように人々に見せていたのです。これはたとえば使徒言行録の3章で生まれつき足の不自由な男性を癒したペトロとヨハネとはずいぶん違う姿勢です。ペトロとヨハネは、ペトロとヨハネたちが足の不自由な人を癒したと思っている人々に「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見るのですか」と言っています。ペトロとヨハネは、この足の不自由な人が歩いたのは自分たちの力でも信心によるのではなく、神の力なのだと語りました。今日の聖書箇所でもフィリポはシモンのように自分を偉大なものと自称することはせず、神の国とイエス・キリストについて告げ知らせました。

そもそも聖書には人智を越えた奇跡が多く記されています。キリストご自身のみならず弟子たちもまた奇跡的なことを行いました。今日の聖書箇所のフィリポもそうです。神や弟子たちによる奇跡と、シモンが魔術で人々に見せていたようなものは、見ようによっては同じに見えるのです。不思議なことが起こるという点においては同じように見えるのです。

旧約聖書の出エジプト記を読みますと、イスラエルの人々を解放してほしいとモーセがエジプト王ファラオと交渉します。その交渉において、神が奇跡を行い、神の力を知らしめてファラオに決断を迫ります。しかし、その奇跡のうちのいくつか、たとえばナイル川を血に変えるとか、かえるを大量発生させると言った事柄はエジプトの魔術師にも同じことができたのです。さらにいえば、新約聖書の時代、今日の聖書箇所でも、病の人が癒されるという記事がありますが、2000年前の病の多くは現代であれば医学によって癒される可能性があるでしょう。では医学を使って病を癒す現代の医師は神と並ぶ存在なのでしょうか。もちろんそうではありません。普通の人間にはできないことが起こるという点においては、神のなさることも、魔術師や現代の医者がなすことも変わりません。もちろん魔術師はともかく、医者は人間を病の苦しみから救ってくれるのですから感謝な存在です。

医学は人間にとってありがたいものではありますが、神の業は、人間を神に結びつけるためになされる点において、人間がなすこととは異なります。魔術や医学や科学技術によって奇跡的がことができたとしてもそれは神の業とは根本的に違います。神の業によって、病が癒されたり不思議なことが起こるのは、人びとを神の国へと導くための入口に過ぎません。その入り口が派手で、目をくらませるようなものであっても、その内側に、まことの救いと平安がなければ、奇跡はただの一過性の魔術のようなものです。肉体の病が癒されても、そののちの人生が罪にまみれ、不安と絶望に満ちたものであれば意味はありません。しかし神の業は魔術ではなく、信じる者を、救いへ、平安へ、そして永遠の命へと導くものです。

<聖霊が与えられる>

 そのようななか、エルサレムからペトロとヨハネがやってきます。「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた」ペトロとヨハネが祈ると、サマリアの人々が聖霊を受けたと記されています。ここは、読まれて、混乱される方もおられるのではないでしょうか。フィリポから洗礼を受けたのに、サマリアの人々は聖霊を受けていなかったのはなぜなのか?迫害によって人々が散らされたはずのエルサレムになぜ使徒たちが残っているのか?本来迫害のターゲットになるのは、ペトロやヨハネといった教会のリーダーであるペトロやヨハネといった使徒たちであるはずではないか?この箇所は、さまざまに解釈をされている部分です。

 ここで考えられるのは、最初の殉教者のステファノを初め、サマリア伝道をしていたフィリポもギリシャ語を話すユダヤ人であったということです。ギリシャ語を話すということは、もともとイスラエル外にいて、イスラエルに戻ってきた帰国者であるということです。それに対してペトロやヨハネたちはもともとからイスラエルにいるヘブライ語を話すユダヤ人でした。そもそもステファノが陥れられたのは、ギリシャ語を話すユダヤ人からでした。そういうことから考えると、迫害は、ギリシャ語を話すユダヤ人を中心に起こっていたといえるでしょう。ヘブライ語を話すもともとイスラエルにいた人々への迫害はゆるやかでペトロたちはエルサレムにとどまることができたと考えられます。

 ではなぜ、フィリポの洗礼では聖霊が与えられず、ペトロやヨハネが祈ると聖霊が与えられたのでしょうか?六章を読みますと、フィリポは使徒ではなく、今日でいうところの執事という職務にあったことが分かります。これをもって、聖霊を授ける権能は使徒だけにあり、執事であるフィリポにはなかったのだと解釈する人もいますが、おそらくそうではないでしょう。

 ここにはユダヤ人とサマリア人の問題があります。サマリアはもともとイスラエルのなかの地域でしたが、イスラエルがソロモン王の以降、南北に分裂し、北の王国がアッシリアによって滅ぼされたのち、外国人が多く入ってきた地域です。人種的にも宗教的にも混血してしまった地域です。また歴史的にもユダヤ人と、その混血したサマリア人の間には争いがありました。ユダヤ人とサマリア人は仲が悪かったのです。福音書にはサマリアの女の話や、良いサマリア人といった話が出てきます。ことさらにサマリア人ということを出しているのは、そもそもユダヤの人々の間で、サマリアを劣った者たちと見ていたからにほかなりません。ある意味、自分たちこそ純潔のユダヤ人と思っている人々からしたらサマリア人は異邦人よりもゆるしがたい近親憎悪的な感情がありました。

 その異邦人よりも劣っていると思っていたサマリアの人々が主イエスを信じ、受け入れたということはヘブライ語を話す純然たるユダヤ人からなるエルサレムの教会の人々にとって驚きだったと思われます。神を知らず、劣っていると思っていたサマリアの人々が自分たちと同じように神の業を受け入れたと聞き、とりもなおさず、使徒たちが派遣されてきたのです。実際に、サマリアの人々は神を、主イエスを受け入れていました。それを見て、ヘブライ語を話すユダヤ人である使徒たちは心打たれたのです。人間をわけ隔てなさらない神の御業の偉大さを知ったのです。福音がすべての人々に開かれていることを知ったのです。もともと教会の中でも、ヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の間でいさかいがあったくらいです。ましてや純然たるユダヤ人ではないサマリア人へのユダヤ人から見た偏見は大きなものです。しかし、ユダヤ人とサマリア人の間の壁が壊れました。まことの和解が起こったのです。主にある交わりが実現したのです。その主にある交わりの中に聖霊が降ったのです。ペトロとヨハネがすぐれているから聖霊が降ったのではなく、まことの神の前の交わりのなかに聖霊が降ったのです。聖霊は交わりの霊でもあるからです。逆に言いますと、人間的な分裂や差別の中には聖霊は降らないのです。聖霊が降ったということは和解の象徴であり、真の交わりの表れなのです。

<神のプレゼントは無償>

 その喜ばしい状況をみて、魔術を使っていたシモンはよからぬことを考えます。使徒言行録の時代、聖霊ははっきりした形で人々に降ったようですが、それを見たシモンは、お金を積んで、自分にも聖霊を人に与えられる能力をもらいたいと使徒たちに言いました。実に愚かなことです。和解と交わりの象徴である聖霊を、お金で自在に繰れると思っているのです。

 そもそも聖霊というのは、人間が自由に所有したり与えたりはできない神の力です。聖霊が降り、聖霊に満たされる、ということは、聖霊に支配されるということです。それはキリストに支配されるということと同じ、むしろ自分を神のものとしてゆだねることです。

聖霊を自由に所有したり与えたりすることはできませんし 自分のために利用することはできません。シモンという男は愚かなのですが、私たちもまた、同じような愚かなことをしたり考えたりすることがあると思います。自分の利益のために神の力を求めたり、自分の努力や信仰の強さで神の力が与えられると思ったりします。

 自分が努力して得たお金で買ったものは、たしかに自分のものです。しかし、神の力は、自分の努力で得るものではありません。和解と交わりの中で、サマリアの人々に聖霊が降ったように、私たち自身が神と和解をしてその喜びのなかで神の力が注がれます。罪の中で自分の力を頼りに生きていた私たちが、キリストの十字架によって罪赦され、神との隔たりが取り去られたところに、神の力が与えられます。自分の努力や力を放棄したところに無償で神の力は注がれます。ヘブライ語を話すユダヤ人が自分たちこそ純潔のユダヤ人で神の民だと自分を誇っていたように、自分の中に何か良いものがあると誇っている時には神の力は注がれません。ただただ神の力はプレゼントなのです。私たちは喜びをもってそのプレゼントを受けるのです。ヨハネの黙示録で「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、値なしに飲むがよい。」と言われます。この世界で最も価値のあるものは値なく神からいただくものです。人間には値をつけることも、支払うこともできない高価なものです。その最高に高価なものを私たちは今喜んで受けます。



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