大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録第20章13~38節

2021-02-28 15:12:45 | 使徒言行録

2021年2月28日大阪東教会主日礼拝説教「受けるより与えよう 」吉浦玲子

【聖書】

さて、わたしたちは先に船に乗り込み、アソスに向けて船出した。パウロをそこから乗船させる予定であった。これは、パウロ自身が徒歩で旅行するつもりで、そう指示しておいたからである。アソスでパウロと落ち合ったので、わたしたちは彼を船に乗せてミティレネに着いた。翌日、そこを船出し、キオス島の沖を過ぎ、その次の日サモス島に寄港し、更にその翌日にはミレトスに到着した。

パウロは、アジア州で時を費やさないように、エフェソには寄らないで航海することに決めていたからである。できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである。パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。

長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。

わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」

このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。

人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。

【説教】

<弱いパウロ>

 パウロはヨーロッパからアジア州へと戻ってきてエルサレムへ向かっています。パウロは今回の旅の前半で大きな騒動がおきたエフェソには寄らず、エフェソより南にあるミトレスにエフェソの長老たちを呼びよせました。エルサレムに向かう前に、最後にエフェソの長老たちにパウロは彼らに語りたいことがあったのです。ここで長老と書かれていますが、この長老という言葉は現在の教会における長老とは異なります。この当時は牧師、長老、執事といった今日の教会のような職務の明確な分担はありませんでした。ここで書かれている長老とは、ざっくりと教会の指導者層ということです。

 さて、エフェソをパウロが前回、訪問した時、アルテミス神殿の模型を造って商売をしてた人々を中心にアルテミスの女神を信奉する人々によって暴動のような騒ぎが起こりました。そのような町でキリストを信じる信仰を守っていくことはたいへんな困難を背負うことでした。パウロには、これから自分が去ったあとのエフェソの教会の苦難がよくよくわかっていたのです。ですから特にパウロはエフェソの人々を励まし、力づけ、かつ、警告を与えたかったのです。

 パウロは「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、全く自分を取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」と語り始めます。パウロは自慢話をしているわけでも、自分を正当化しようとしているわけでもありません。そもそもエフェソの人々はよくよくパウロの姿を見ていたのですから、パウロがここで自分を良い者のように言っても、正当化しても意味はないのです。

 そしてそもそも、このパウロの言葉から分かることは、パウロはけっしてエフェソの人々に正しく強い姿を見せていたわけではないということです。「涙を流しながら」という言葉があり、「ふりかかってきた数々の試練」という言葉があります。けっして彼は強い者としてエフェソの人々の前にあったわけではなかったのです。むしろ自分のこれまでの罪を包み隠さず語り、そんな自分が「悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」によって、キリストから恵みを受け救われてきたことを素直に証ししたのです。「全く自分を取るに足りない者と思い」というのは、そこまで自分を卑下するのかというような言葉ですが、この言葉には、パウロがパウロの思いや考えで宣教を続けてきたのではないということを表しています。よく教会で、「みんなで意見を出し合って良い教会にしましょう」ということがいわれます。これは全くの間違いです。そしてもちろん「牧師の考えで教会を作り上げていきましょう」と私が言ったとしたらそれも間違いです。教会を作り上げる、そしてまた宣教を行うということは、「全く自分を取るに足りない」者と思って、ひたすら神に聞いて仕えていくことだからです。自分の思い、考えを捨て、神に従っていくということです。

 一方で、パウロは試練の中でも平気で乗り切ったというわけではなく、苦しみ悩み、また弱り果てる姿をエフェソの人々に見せていたのです。コリントの信徒への手紙の中にパウロ自身が自分のことをこういう風にいう人がいると書いています。「「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいる」たしかに私たちもパウロというと力強く、弁舌も得意なイメージを持ちますが、実際にパウロに会うと弱々しくて話もさほどではないという思いを持つ人もいたのです。実際のところ、パウロは自らの信仰の武勇談を語ったのではなく、あるいは高邁な神学を語ったのではなく、ただただ自分を導いてくださった神を指し示したのです。

<聖霊に導かれて>

 さらにパウロは22節で「そして今、わたしは、”霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けていることだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」と語ります。 パウロはエルサレムに向かうことが大変危険なことであることを知っていました。「投獄や苦難が待ち受けている」、逮捕や命の危険すらあることは分かっていたのです。しかし、なおエルサレムに向かおうとしています。それは自分を悲劇のヒーローにするためではありませんでした。あるいは自分を傷めつけ、苦行のようなことをすることがキリストの御跡と追うことだと思っていたということでもありません。

 もちろんパウロはキリストの御跡を追うことは目指していました。しかしそれは無意味かつ無謀な危険を冒すことではありません。パウロは信じていたのです。はっきりとこれから起こることの詳細は分からないけれど、エルサレムに行くことが神の御心であることを確信していたのです。「”霊”に促されて」と語ってある通り、パウロ自身が決心して、計画してエルサレムに行くのではないのです。ここで”霊”と聖霊は同じことです。聖霊が導いておられるのだから従うしかないのです。

 しかし、この点において、個人でも、また教会でも、よく誤りを犯します。聖霊に聞くことなく、さまざまなことを進めてしまうのです。それが顕著にあらわれるのが会堂建築などの事業です。人間的に考えれば大変良い計画で、その地域で伝道がしやすいように工夫してうまく建てられたと思ったのに、その会堂がなぜか祝福されないということがあります。会堂は建ったけど、なぜか教勢が落ち込んでしまった。会堂建築の途上で対立が起こって、その対立が建築後も教会に分裂を残した、そういうことは多くあるのです。

 逆に聖霊に導かれているならば、パウロのように、明らかに困難が待ち構えているような状況でも、なお平安に歩むことができるのです。そして実際、その歩みは祝福されるのです。神が大きく用いてくださるのです。実際、エルサレム行きは、意外な形で、パウロを最終的にローマへと導くことになりました。

 そもそも聖霊に導かれるということは、神の自由なご計画の内に自分をゆだねるということです。ゆだねるといっても、ただ流れに身を任せて、のんびり過ごすということではありません。パウロのようにまさに苦難が待ち受けるエルサレムに飛び込んで行くということです。むしろ戦いの中に身を投じるということです。

 ところで、私たちが歩む日々が運命や宿命といったものに支配されているのなら、運命や宿命に身をゆだねるというのは消極的な生き方になります。そしてまた運命や宿命に抗って戦うということはどこか悲劇的な負け戦になります。しかし私たちは、そのような運命や宿命に支配されているのではありません。愛なる神が私たちを愛によって導いてくださるのです。具体的には聖霊なる神が祝福の道を備えてくださるのです。ですから聖霊に導かれるということは、現実生活にはたしかに戦いがあり困難がありますが、本当の意味で平安と喜びを与えられることなのです。聖霊にゆだねず、自分の思いや考えで生きていくとき、聖霊に導かれて決断をしない時、それは一見自由であるようで、不安が満ちているのです。

 そして聖霊の導きは、多くの場合、「こちらの方」という向きをその都度知らされながら、最終地は知らされない歩みです。最終地を知らされて、自分で効率的な歩み方を計算するということはできないのです。回り道もあれば、場所によっては足止めをくらってしまうことをあります。しかし、回り道も足止めも、すべてあとから考えると恵みなのです。聖霊に聞いて歩む時、無駄な歩みは一歩たりともないのです。実際、パウロがばりばりのファリサイ派のユダヤ教徒であったこと、そのために最初はエルサレムのキリスト教徒に信頼されなかったこと、ユダヤ人からさまざまな妨害活動を受けたこと、そういったマイナスと思えることも含めて、すべてが結局のところ、宣教に役立ったのです。

<受けるより与える人生>

 さらにパウロはエフェソの教会が向かうことになる困難について語ります。「残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らす」と29節にあります。福音ならざるものを教会に持ち込もうする者がやってくるというのです。残忍な狼と表現されていますが、それは神の恵みから人々を引き離すゆえに残忍な狼なのです。しかし、見るからに残忍そうな顔をしてやってくるわけではないのです。むしろ親切そうな姿でやって来るのです。あるいは信仰深そうな態度でやってくるのです。狼は聖書の言葉も語るのです。それは現代であれば、教会に世俗を持ち込んでくるような狼であるかもしれません。神の愛を語りながら、教会を世俗的なサロンにしようとするような狼がどこの教会にも入り込んできます。あるいは隣人愛を語りながら、実際のところは御言葉が置いてきぼりになったままで社会福祉活動に力を入れるというような狼もやってきます。十字架と復活が置き去りにされひたすら人間の業としての弱者救済を教会が行っていくということも起こります。だからパウロは「目を覚ましていなさい」というのです。私たちは霊的にまどろんでいたら、容易に狼に翻弄されるのです。目を覚まし、絶えず、聖霊の風を感じ、御言葉に聞き、祈りに集中していなければ、福音ならざるものに、教会も、私たち一人一人も捻じ曲げられてしまうのです。

 そして目を覚まして、人に与えて。生きていくのです。パウロの言葉は「「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた言葉を思い出すようにと、わたしは身をもって示してきました。」で終わります。受けるより与える、というと何か自己犠牲の精神のように聞こえます。しかし、そもそも与えることができるということは、与えるものを持っているからできるのです。与えるものがなければ、与えられないのです。自分が日々のパンに事欠く状態では飢えた人にパンを分けられないのと同じです。その状態で無理にパンを与えたら自分が栄養失調で倒れてしまいます。そもそもこの言葉はルカによる福音書の6章38節の主イエスの言葉から引用されています。「与えなさい。そうすれば、あなたがたいも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。」これは愛を与えたら、むしろ自分自身にいっそう愛が与えられるということです。押し入れ揺すり入れあふれるほどに入れてもらえると主イエスはおっしゃるのです。

 そして、先ほども言いましたように先に与えられているから、つまり豊かに神からいただいているゆえ、隣人に与えることができるのです。そもそも神からいただいたものを自分だけで握りしめていることはできないのです。神からいただいたものを、つまり受けたものを隣人へと与えるのです。そうするといっそう豊かにに与えられるのです。

 しかし気をつけないといけないことがあります。ある牧師はこういうことをおっしゃっていました。受けるより与える方が幸いというとき、与える方が相手に対して優位に立ったような気分になるから与えたいという側面があると。受けることは相手になにか借りを作るような気持ちになって嫌なのだ、と。ですから困った人を助けることは喜んでできても、逆に自分が困った時、人に助けてもらうことには抵抗を感じる人は多いのです。受けることができない人が多いのです。しかし、誰よりも自分が神に与えられている存在であることを思う時、そして自分が取るに足らない者であることに立ち帰るとき、私たちは本当の意味で、人に与えることのできる者にされます。自分のプライドや思いというのは小さなことだと知ります。そして自由な者とされます。その時本当の意味で与える存在になります。与えるのは愛であり、そして何より福音です。クリスチャンが、そして教会が与えるべきものは福音なのです。聖霊に導かれる時、私たちはまことに福音を与える者とされていきます。

 


使徒言行録第20章1~12節

2021-02-21 15:33:47 | 使徒言行録

2021年2月21日大阪東教会主日礼拝説教「礼拝中に居眠りをした青年の末路」吉浦玲子

【聖書】

この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。

この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。

週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。

【説教】

<主にある交わり>

 パウロは三回目の宣教旅行の途上でした。彼は第二回目の宣教旅行に続き、ふたたびマケドニア州、ヨーロッパへと向かいました。エフェソでたいへんな騒動があった後のことでした。これは、かつて2回目の宣教旅行の時に開拓し、建て上げた教会をまわり、指導をしたのです。若い教会を育てあげる働きでした。それぞれの教会で、これまで弟子になった人々との再会もあり、また、新たな信仰者が与えられるという喜びもあったでしょう。これまで使徒言行録で読んできましたように、パウロは、かつてキリスト者になる前、ファリサイ派として、キリスト者を迫害していました。かつて迫害者としてパウロがダマスコに向かっていた当時も、たしかに彼には仲間はいたでしょう。パウロはユダヤの権力者とも懇意だったと考えられます。パウロと当時の仲間たちは、自ら熱心に律法を守り、律法を守らない輩は、神を冒涜する者として徹底的に叩きのめしていました。当時、パウロはユダヤ人のなかで多数派で、思いが一致していた人々がたくさんいたのです。

 しかし、そこには本当の愛ある交わりはなかったのです。本当の交わりは聖霊によって与えられるものですから、かつてのパウロには本当の隣人との交わりはなかったのです。そこにあったのは、かつて主イエスが嘆かれた頑なな律法主義、冷酷な心でした。目の前に苦しむ人を見ても今日は安息日だからと助けようとしない、そのような愛に乏しい心でした。みかけの宗教的厳粛さはあったかもしれませんが、心は堅く冷たかったのです。本来、律法は、神を愛し隣人を愛せと語っていたのに、かつてのパウロを始め律法学者たちには本当の意味で、神へ向かう心はなかったのです。一見まじめで立派そうな宗教者が、苦しむ人々への慰めも与えることができなかったのです。パウロもかつてそうでした。

 このようなことは今日の教会においても起こることです。ことに長老教会には起こりやすいのです。厳粛ではあっても、生き生きとした信仰がなく、本当に主にある愛の交わりがないのです。そして逆にむしろ世俗的な交わりが蔓延していくのです。そこに主にある交わりがあったとしても、聖霊に導かれていないがゆえに、主にある交わりと、世俗的な人間的な交わりの区別もつかない霊的な貧しさがあります。

 さて、そのように頑なであったパウロは実際のところ、孤独だったのです。その彼がキリストと出会って福音を知った時、かつての仲間は敵となりました。今度はパウロ自身がかつての仲間から命を狙われるようになりました。そもそも、もとから本当の仲間ではなかったからです。福音を信じないユダヤ人たちからのパウロへの攻撃はずっと続きました。しかし、一方で、その苦難の中、パウロにはまことの信仰の友を与えられました。それは共に宣教をする仲間たちでもあったし、各地の教会でパウロたちの教えを聞いてイエス・キリストを信じた人々でありました。かつてダマスコで、パウロは劇的にキリストと出会い、目も見えなくなって三日間、孤独に過ごしていましたが、いまや、行く先々で多くの人々との本当の交わりを持つことのできる存在となりました。そして危険を冒してもパウロを守ろうとする人々もありました。もちろんパウロはたいへん影響力のある大伝道者でした。だから多くの人々がパウロを中心にして集まりました。神が集められたのです。そして、人々は彼を支えました。

 では、パウロのように影響力のある人物、特別に人を引き付ける人間だけが、豊かな交わりをもてるのでしょうか。そうではありません。神は一人一人に必要な交わりは必ず与えられます。自分自身、洗礼を受けた時、同世代の女性が教会の中にほぼいなくて、信仰者の友がいない状態が何年か続き、正直、少し寂しかったのです。しかし、やがて、わたしの信仰生活に大きな影響を与えてくださることになる友との出会いを神は備えてくださいました。もっともその友はもう天に召され、期間的には長いお付き合いではなかったのですが、生涯、忘れえぬ主にある交わりをいただきました。神はかならず必要なときに必要な交わりを与えてくださいます。

 さて、パウロは神に与えられた多くの人々との交わりの中、旅を続けていきます。相変わらず、ユダヤ人による危険と隣り合わせの日々でした。実際、3節にはユダヤ人による陰謀があったことが記されています。そのなかでも、パウロは多くの人々に支えられていました。4節に同行した人々の名前が記されていますが、みずからにも危険があるかもしれないのに、多くの人々がパウロを守ろうとしたのです。

<神が与えられた時間>

 さて、パウロはヨーロッパからまたシリア州へと戻ってきました。そこでも多くの人々が、パウロが語る福音を、涸れた大地に注がれる水のように欲しました。7節以降には、トロアスでの集会の様子が書かれています。「週の初めの日」と書かれていますから、これは日曜日です。当時は、まだ日曜日は休みの日ではありませんでした。ですから、集会を行うのは、それぞれの仕事が終わってからです。人々は、一日の疲れを覚えながら、礼拝に集いました。

 そんな人々を迎えるパウロにも熱がこもっていました。ここに書かれているパン裂きとは聖餐のことです。共に食卓を囲み、礼拝を捧げました。そして皆、パウロの説教を聞いたのです。ここで、パウロが夜中まで話をしたとありますが、それは礼拝としての説教が延々と長かったのか、礼拝を終わったあと、なおパウロが聖書研究なり、別の集会として語っていたのかは、よくわかりません。

 パウロは、翌日にはトロアスを旅立つ予定でした。限られた時間、残された時を惜しむように、できる限りのことを伝えようとしたのです。それは、懇親会や送別会ではなく、パウロが遺言のような熱を持って渾身の力を込めて福音を語った夜だったのです。皆さんも経験がおありではないかと思います。人生の時間は、けっして、均一に流れていくものではありません。時として、ひどく凝縮された濃密な時間が与えられるときがあります。パウロにとって、そしてその話を聞く人々にとって、このひと晩はそうであったかもしれません。それまでも福音を何回も聞いて来たでしょう。豊かな主にある交わりがあったでしょう。しかし、この時は特別であったのではないかと思います。パウロは、これからエルサレムに向かうつもりでした。パウロにとってエルサレムは特に危険な場所でした。具体的には、エルサレムの教会に各地の教会から集めた献金を持っていくためでもありました。パウロは異邦人伝道に特別に召しを受け、仕えた伝道者でしたが、キリストを信じる信仰の源はエルサレムにあると考えていました。すべての教会は、霊的な恵みをエルサレムの教会から受けているのだから、逆に、それぞれの教会は経済的な恵みをエルサレムの教会へ捧げるべきだとパウロは考えていたのです。

 しかしまた、先週もお話ししたように、パウロにとってエルサレムへ行くこと、そしてまたローマへ向かうということはキリストの御跡を追うことでした。かつて主イエスが十字架におかかりになるために、敢えて、主イエスの命を狙う者が多いエルサレムに向かわれたように、パウロ自身もまたエルサレムを目指していたのです。

 そのことは、トロアスの人々もよくよくわかっていました。ことによると、パウロとの交わりはこれが最後かもしれないと思っていたでしょう。パウロは単に神学や教理、聖書の解釈を説いたのではありません。そこに自分自身の信仰者としての真実な歩みを重ねて、人びとに示したのです。ですから彼の言葉は人々に響いたのです。パウロ自身がまさに御言葉を行う人として生きていた、キリストに倣う者として生きていた、その真実の姿が人々に分かったのです。

 とはいっても、やがてくるかもしれない別れは悲しいものです。もし地上で共に過ごすことが本当に最後であったとしたら、天において再び会えるといっても、やはりつらいものです。このトロアスの集会に集っている人々は、パウロから生き生きと語られる福音に満たされ豊かな思いを与えられる反面、おそらくどこか緊迫した思いを持っていたと考えられます。

<居眠りをした青年を用いられた神>

 その特別な夜、あろうことかエウティコという青年が居眠りをしてしまいます。おそらく彼も昼間労働をした後に礼拝にやってきて疲れていたのです。しかも礼拝は深夜に及びました。肉体の疲労に打ち勝ちがたく青年は眠りこけてしまって、三階の窓から転落してしまいます。青年が窓に腰を降ろしていたのは、外気に当たって眠気を払い、さらには窓という危険な場所に敢えて座って気を引き締めて眠らないでパウロの話を聞こうとしたためと思われます。エウティコは単に居眠りした青年というより、むしろ熱心に御言葉を聞こうと努力した青年でした。

 ところで、ヨハネによる福音書の11章には、主イエスが十字架におかかりになる前、病気で亡くなったラザロという男性を主イエスが生き返らされた話が書かれています。すでに墓に入れられて四日も経っていたのにラザロは蘇りました。死者を巻く布をつけたまま、墓から出てきた場面は衝撃的です。今日の聖書箇所のエウティコの蘇りは、ラザロの時のように衝撃的な記述はされていません。しかし、主イエスや、そしてまたパウロの大いなる命の危機が迫っている状況での、人間の命の蘇りという点においてはラザロの場合とエウティコの場合は似ています。

 いずれも、神が与えてくださっている「しるし」なのです。私たちのすべてが肉体の死では終わらないという「しるし」なのです。その「しるし」は置かれている状況が厳しかったからこそ、神が与えてくださるのです。慰めとして与えてくださるのです。主イエスが十字架に向かわれたように、これからパウロにも苦難がきます。そしてまた、残されることになる教会の人々にも苦難がくるのです。しかしなお、神が共にいてくださり、失望で終わらない希望へと導かれることを神はエウティコという青年を用いて「しるし」として与えてくださいました。エウティコという青年は、聖書でここにしか出てまいりません。居眠りした青年として2000年後の私たちにも、その名が残されました。しかし、その名は、2000年後を生きる私たちにとっても希望の象徴です。神によってエウティコはそのような役割を与えられました。死では終わらない、私たちの命の希望を伝える者とされました。私たちに日々にも苦難があります。しかし、私たちの命には苦難も死も消すことのできない輝きを与えられている、そしてまた私たちもエウティコなのです。弱くて心ならずも居眠りをしてしまうのです。エウティコが3階から1階に落ちたように、神の道から転げ落ちてしまう者なのです。しかし、「まだ生きている」、そういっていただけるのです。そう神はエウティコという青年を用いて、今日も力づけてくださるのです。そしてまたこの蘇りの奇跡は礼拝という場で起きました。これも重要なことです。エウティコのようにこの場で死んだ人が生き返ることはないかもしれません。しかし、なお礼拝は命を新しく生み出す場です。聖書において慰めとは力を与えることでした。礼拝において私たちは力を得ます。まことの命をいただきます。


使徒言行録第19章21~40節

2021-02-14 15:43:47 | 使徒言行録

2021年2月7¥14日大阪東教会主日礼拝説教「」吉浦玲子

【聖書】

このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。

そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。

そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」

これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。

そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。

他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。

さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。

そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとした。

しかし、彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。

そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。

これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。

諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒瀆したのでもない。

デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。

それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。

本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。【説教】

<あなたのローマはどこか>

 使徒言行録の16章から18章に書かれています二回目の宣教旅行において、その旅の初めのころ、パウロはヨーロッパ伝道は考えていませんでした。しかし、神がパウロを導かれました。パウロの宣教計画がことごとく頓挫する中、思いがけない形で、パウロはヨーロッパへと足を踏み入れました。しかし、その宣教の旅も投獄されたり、反対者による騒動が起こったりと大変なものでした。その二回目の旅行を終えた後、パウロは三度目の宣教の旅にました。いま、いっしょに読んでいます箇所はこの三回目の宣教旅行の場面となります。ここでも、パウロの行く所行く所、さまざまなことが起こります。その旅の中で、パウロに「ローマも見なくては」という思いが起こって来たことが記されています。当時、世界を制していたのはローマ帝国であり、その中心であるローマを見なくては、というのは、世の果てまで福音を宣べ伝えよとおっしゃった主イエスのご命令に従うことでありました。当時の世界の中心、政治と権力の中心でキリストを証ししたいと願ったのです。もともとパウロたちの宣教はそれぞれの地方の中核の都市でまず宣教をしていくやり方でした。その考えで行くと、世界に宣教するためにはその中心であるローマに行きたいという思いは当然出てくるでしょう。

 しかし、一方でパウロの旅は困難を極めました。それは迫害だけでなく、教会内部の問題もありました。コリントで、テサロニケで、コロサイで、教会内で、福音ならざるもの律法的なことを語る人々がいました。あるいは福音が正しく理解されていない場合もありました。パウロにはさまざまな戦いがありました。しかしなお、パウロはローマへの思いを与えられます。

 そもそもローマへの道も普通に考えれば、希望に満ちたものではありませんでした。パウロの生涯の同労者となったアキラとプリスキラ夫妻は、おそらくローマでのクリスチャン迫害のためにローマを退去させられコリントに来ていたのです。この夫婦などからパウロはローマの状況を聞いていたでしょう。ローマはキリストを信じる者にとってむしろ危険な場所でした。パウロは敢えてその場所に行こうとしたのです。それは、パウロにとってキリストの十字架の御跡を追うことでした。

 パウロにとってローマに行くことはなにか英雄主義的な野望を満たすことではありませんでした。かつてキリストがゲツセマネで祈られゴルゴタの丘へ向かって歩まれた。その道のりをパウロなりに追いかけることでありました。もともとクリスチャンを迫害していたパウロを愛し、赦し、新たな使命を与え、歩ませてくださった神への感謝のゆえに、危険なローマへ向かうことをパウロは願っていました。

 今週の水曜日はキリスト教の暦でいえば「灰の水曜日」です。この「灰の水曜日」から受難節が始まります。キリストのご受難を覚える季節です。教派によっては、断食をしたり、さまざまに身を慎みます。私たちは特にそのような習慣を持っていませんが、それぞれに十字架を思い巡らす季節であることに変わりはありません。アドベントやクリスマスというと楽しみに備えますが、受難節、レントにおける私たちの備えはどうでしょうか?

 しかしまた、私たちは、受難節だから特別に十字架を覚え、備えるというのではないのです。私たちの人生全体が、キリストの十字架へと向かっている歩みであると言えます。神によって救われ、愛され、喜びの日々を歩みます。神との豊かな交わりの内に、私たちはキリストに似た者に変えられていきます。キリストに似た者に変えられていく私たちはおのずと十字架を目指すのです。おのずと十字架を担う者とされるのです。一人一人の十字架は異なります。ひとりひとりのローマは異なります。いま、共に暮らしている家族との生活があなたにとっての十字架かもしれませんし、新しい使命を感じて働く職場がローマであるかもしれません。十字架を担うこと、ローマを目指すことは、苦行をするとかことさらに奉仕をするということではありません。日々祈り、御言葉に聞きながら歩む時、立ち上がってくるのが十字架です。もちろんそこに試練はありますが、キリストの光が豊かに注がれてくるのです。まことの光が十字架から注がれるのです。

<エフェソ人のアルテミスは偉い方?>

 ところで、パウロが第二回目の宣教旅行中、幻によってヨーロッパへ渡ることを示された時、彼はすぐに行動を起こしました。しかし、ローマへ向かうことにおいては、彼は神の時を待ったのです。私たちも、今が進むべき時なのか、とどまるべき時なのか、判断に悩む時があります。原則的には、悩む時は、とどまった方が良く、行くべき時には否が応でも行かざるを得ないように神はなさいます。とはいえ、判断に迷うときはあるのです。迷いの時もまた、それは神の御心を問うために神から与えられた恵みの時です。

 その恵みの中で、日々には様々なことが起こります。今日の聖書箇所では、アルテミス神殿の模型を造って利益を得ていた人々がパウロの伝える福音によって経済的な打撃を受けることを恐れ、騒動を起こします。アルテミスというのはたくさんの乳房をもった豊穣の女神でした。また金融、商業の神でもあったようです。各地でアルテミスは祀られたようですが、エフェソには壮大な神殿があったようです。この神殿は巨大なもので、世界の七不思議にも数えられるもののようです。

 言ってみればエフェソにとって神殿が観光の中心であり財源でした。神殿の模型を造っていたというのは、これはおそらくお土産品か何かであったと考えられます。銀細工師たちは、パウロたちが偶像崇拝を批判していることを知り、危機感を覚えます。デメトリオという銀細工師は、自分たちの経済的利益が損なわれる危機感と共に、「アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえ失われてしまうだろう」と語ります。現実的な不利益への危機感を、世界的に有名でエフェソの誇りである女神をあがめるという宗教的観念を交えて、同業の人々の宗教心にうまく訴えて煽ったのです。

 デメトリオの意図したとおり、聞いた人々は腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び出したとあります。この言葉は、当時、エフェソの人々によく知られていた女神への賛美の言葉であったでしょう。そして町中を混乱させてしまったのです。そしてパウロの同労者が捕らえられ、野外劇場へとなだれこんでいきました。この劇場は町の中心にあって、2万人くらいが収容できる大きなものであったようです。町は暴動のような状況になったのです。ここでパウロはこの騒ぎをおさめようと群衆の中へ入っていこうとしたのですが、弟子たちはそうはさせじととどめていたようです。パウロが飛び出していこうとするのを弟子たちが押さえつけている様子が目に浮かびます。一方、パウロの友人のアジア州の高官もまたパウロをとどめようとします。この騒乱の状態では、先に捕らえられたマケドニア人以上にパウロの命は危ういと判断されたからです。弟子たちや友人にとって指導者であるパウロの身に何かあったら共同体全体が損なわれますから、彼らは何としてもパウロを守ったのです。神、弟子たちやを友人を通してパウロを守られたのです。

 それにしてもこの騒ぎは不思議な様相を呈しています。「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び出した人々は、二時間も叫び続けたというのです。何かに憑かれたかのように人々が熱狂し叫び続けたのです。これは実体のない偶像を拝む時、悪しきものの力が入り込んできて、異様な熱狂に人々が包まれている状態だと感じます。「大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」とあります。滑稽にすら感じますが、何だか分からずに集まる人々によって無秩序な暴動は膨れ上がっていくことがわかります。実際のところ、状況は危険だったようで、この時のことをパウロはコリントの信徒への手紙で「野獣と戦った」と書いています。

 私たちは<アルテミスは偉い方>と叫ぶことはないかもしれませんが、時代の波の中で、あるいは圧倒的な同調圧力の中で、気がつかないうちに、とんでもないことを叫ぶようになる可能性がないとはいえません。歴史的に見て、そのような熱狂や暗黙の圧力の内に世の中が危険な状態になることは繰り返されてきました。ことに、この、先の見えないパンデミックの中、社会全体の閉塞した鬱屈した雰囲気から、スケープゴートのように誰かを貶めるようなことがあるかもしれません。実際、コロナに感染した人の情報が晒されて、その家族がバッシングを受け、その町で生活ができなくなるということがあります。生徒が感染した学校が批判にさらされるということもあります。自粛警察と言われる目の光る息苦しい日々です。何かのはずみでバッシングの嵐が自分に向くかもしれない時代です。「アルテミスは偉い方」と叫び続けるような大きな声で、自分の小さな声などかき消されてしまう、人ひとりの生活や命などつぶされてしまう、そのようなことが容易に起こる社会です。そしてまた、逆に気がついたら自分がバッシングする群衆の中で叫んでいるかもしれませんし、なにがなんだかわからないままに野外劇場のなかにいるかもしれません。

 だからこそ、私たちは本当に正しいお方、ただお一人の神に依り頼まなければなりません。そうでなければ、大きな時代の嵐のようなもの、あるいは個人を押し流す大水のような試練のなかで、私たちは自分を見失ってしまいます。

<謙遜に生きる>

 幸い、この騒動は、冷静にその場を治める官吏によって解散されました。この人物は、アルテミスを否定したわけではなく、むしろ言葉巧みに人々の女神を思う気持ちを持ち上げながら、あくまでも法的秩序を守ることを訴えました。パウロたちが直接に神殿を荒らしたり、女神を冒涜したわけではないこと、訴えたいことがあるなら法的にプロセスにのっとることを語りました。そしてこの騒動を無秩序な集会として断罪し、警告を与えています。

 使徒言行録の中で、このようにクリスチャンでない人々、それも別段、クリスチャンや聖書に好感を持っているわけではない人々によって、使徒たちが助けられる場面がこれまでもありました。これもまた象徴的なことです。神はご自身の弟子たちを守られる時、さまざまな方法を用いられます。私たちのさまざまな隣人をも用いられるのです。逆に言いますと、私たちはこの社会の中で生きています。ことに日本においてはクリスチャンはマイノリティーです。私たちが一般的に日々出会うのはクリスチャンではない人々です。その人々に対しても、私たちは当然ながら敬意を払って共に生きていきます。隣人愛に生きていきます。そしてまた社会秩序に従って生きていきます。クリスチャンであることをことさらに誇ったり、神を知らない人々と周囲の人を見下ろしてはならないのです。

 私たちはこの日本の社会の中で、むしろ謙遜に慎ましく生きていきます。それは何かのとき助けてもらうためではありません。しかし、私たちの日々のあり方は、自然に慎ましく生きていくとき、おのずとキリストを証しする生き方になるのです。隣人を愛する生き方になっていくのです。エフェソでのパウロのように助けてもらえるかはわかりません。そうではない逆の場合もあるでしょう。しかしなお、私たちは世にある限り、この社会で生きていきます。不公平で矛盾に満ちた世界です。そのなかで、なお私たちは誠実に生きていきます。それはクリスチャンらしく立派に生きましょうということではありません。立派などではなくてもいいのです。しかしただ謙遜に生きていくのです。神を見上げながら。キリストが「人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」とフィリピの信徒への手紙で言われるように、私たちも神に従順に歩みます。その歩みこそがキリストの十字架を担う歩みです。


使徒言行録第19章11~20節「罪の告白」

2021-02-07 16:28:22 | 使徒言行録

2021年2月7日大阪東教会主日礼拝説教「罪の告白」吉浦玲子

【聖書】

神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。

また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。【説教】

<病のいやしとは>

 今日の聖書箇所では、パウロの手を通して病人の癒しが与えられたことが記されています。病の癒しのついては何度かお話ししてきたことですが、こういう箇所を読みますと信仰が深ければ病気が癒されるのだろうか、病気が治らないのは信仰が足りないからだろうかと思ったりします。あるいはここの教会の牧師は、病気を治すこともできない、力のない牧師だと考える人もあるかもしれません。逆に、病の癒しなんて、原始教会時代の特別なことであって、現代ではそんな非科学的なことはありえないと考える人もあるかもしれません。

 教会は病院ではありませんし、牧師は治療家でもありません。教会は魂の救いを人々に与えるところであって、牧師はそのための福音を語る者です。しかし、愛と憐れみに富みたもう主なる神は、一人の人間の罪を赦すために、福音へと導くために、さまざまな手段を使われます。その手段の一つとして、奇跡的な病の癒しというものもあります。それはたしかに、今日においても、起こりうることです。

 実際、私自身も癒された経験はいくたびかしていますし、祈りによって、祈った相手のお具合が変わったということはあるわけです。しかしそのこと自体に過度な意味を持たせることは危険です。病気が治ることだけが、神を信じる目的ではないからです。症状が治まることが信仰の証しではないからです。神は、病気というものを通じて、一人一人の人間に問いかけられます。ある場合は癒され、またある場合は、病気と共に生きていくことを求められます。いずれにしても、そこに神の愛が示されているのです。

 さて、パウロを通して神の癒しの業はすさまじい力を見せました。「パウロの手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。」というところだけを読むと、なにか怪しい新興宗教の話のようにすら聞こえます。

 ここで悪霊と出てきますが、悪霊というと、おどろおどろしい感じがありますが、人間を神から引き離す力を表しています。そのような力はたしかにこの世界に働いていますが、それは神によって取り除かれるものなのです。

<イエスの名によって>

 さて、先週は、イエスの名による洗礼について聖書から聞きました。<イエスの名>というとき、そこにイエス・キリストの現実的な力があります。イエスの名による洗礼は、イエス・キリストご自身に人間がどっぷりと浸されることでした。今日の聖書箇所ではいやしの業についても「イエスの名」によってなされていたことがわかります。イエス・キリストご自身の力によっていやしていただくということです。パウロ自身がなにか魔術的な力を持っていたわけでなく、パウロを通して、イエス・キリストの力が働いたのです。

 ここで不思議なことが書かれています。ユダヤ人の祈祷師たちが「試みに、主イエスの名を唱えて、パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言ったというのです。祈祷師たちは、たしかにパウロが宣べ伝えているイエスという名前には力があると考えたのです。そのイエスの名によって、パウロと同様に病人をいやせると思ったのです。この祈祷師たちにとっては、イエスの名、イエスの力というのは、アラジンの魔法のランプのなかの魔人のようなものであったのでしょう。その力を利用し、自分の願いをかなえるための存在だと祈祷師たちは考えました。祈祷師たちは病気を治したり不思議なことをして見せて、金銭を稼いでいたでしょうから、イエスの名は飯のタネになると思ったのです。

 しかし、彼らは逆に悪霊からひどい目に遭わされます。イエスの名、イエスの力、すなわち、神の力は、悪霊をはるかにしのぐものです。しかし、その力を、自分の利益のために利用しようとしてももちろんうまくいかないのです。「彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した」とあります。少々滑稽な状況です。私たちはこの祈祷師たちのような馬鹿げたことはしませんが、しかし、よく考えたらまったくこういったことは私たちと関係がないわけではありません。

 旧約聖書の出エジプト記に十戒という神の戒めがあります。そのなかに「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」という戒めがあります。これは分かりにくい戒めですが、<みだりに唱える>というのは自分の勝手に唱える、とか、自分の利益のために唱える、ということです。まさにユダヤ人の祈祷師たちが、今日の聖書箇所でおこなったようなことです。自分たちの金もうけのために、イエスの名を利用しようとしたのです。

 私たちも、神が私たちのために良いことをしてくださるなら従いましょう、私たちの思い通りにしてくださらなかったら従いません、と考えるならば、神の名、イエス・キリストの名を、自分のご利益のために利用しているのです。みだりに神の名を唱えているのです。

 そしてみだりに神の名を唱えることは実際のところ危険なことでもあります。この祈祷師たちのように、むしろ悪しきものに巻き込まれてしまう場合があるのです。人間の力ではないものをみだりに求める時、ひとときはことがうまくいったとしても、滅びにむかっていくのです。

<恵みを知った時罪を知る>

 さて祈祷師たちは逃げていったわけですが、聖書は、「悪い人間は退散しました」というところで終わっていません。パウロを通したいやしの業、祈祷師たちの失敗と退散、これらのことを通して、人々に神への恐れが生じたのです。「このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシャ人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。」

 神は恵みを与えてくださるお方です。私たちはその恵みを喜びます。しかし、それがほんとうに神の業だと知った時、恐れが生じるのです。ペトロが主イエスに従って漁をしたら、とんでもない大漁でした。そのことを通してペトロは神への恐れを抱き、また自分の罪を知りました。

 今日の聖書箇所でも「信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した」とあります。ペトロがおびただしい魚を獲ったあと、主イエスの足もとにひれふし、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。」と言ったように、神の力を知った人々は、罪を告白せざるを得なくなるのです。神の方を向くということが回心、悔い改めですから、当然、そうなるわけです。神の方を向くとき、わたしたちは、おのずと自らの罪を知らされるのです。

 罪を知った時、それは心の中で反省をして終わるのではありません。生き方が変わっていくのです。クリスマスの時期に読まれる聖書箇所で、幼子イエスを東の国から訪問してきた占星術をしていた学者たちが、主イエスと出会い、主イエスに黄金・没薬・乳香を捧げて、自分たちの国に帰っていきました。黄金・没薬・乳香は占星術に使う道具であったとも言われます。彼らは自分たちがこれまで生きて来た占星術の道具を主イエスに捧げて帰っていったのです。つまり占星術をすることをやめて、新しい生活をするために帰っていったのです。今日の聖書箇所でも、「魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨が五万枚にもなった。」とあります。魔術を行っていた者たちが、魔術を行うために必要だった書物、銀貨五万枚の価値があったものを焼き捨てたというのです。当時の銀貨の種類はいくつかあって、それぞれに価値が異なるものですが、聖書に出てくるデナリ銀貨として考えると、おおむね、銀貨一枚は当時の労働者の日給でした。銀貨五万枚というと、140年分の賃金ということになります。ちなみにイエス・キリストが、裏切ったユダによって売られた値段も銀貨30枚でした。こういうことを考えますと五万枚とはとてつもない枚数です。逆に言いますと、五万枚の銀貨を元手にできるほど、魔術を使える者たちはお金を稼いでいたということです。そしてまた多くの人々がその生活を捨てたということです。漁師だったペトロが舟を置いて主イエスに従ったように、主イエスに罪の告白をした人々はそれまでの生き方を捨てて主イエスに従いました。

<明け渡す生き方>

 さて、エフェソの人々は、悔い改め、主の言葉に生きるようになりました。そもそもこの世界は神が御支配されています。その神の支配に従わない時、つまり祈祷師たちのように自分の都合の良いように利用しようとするとき、かえって悪しき力に、悪霊のような者に支配されるようになります。わたしたちは、神のご支配のなかに自分を明け渡します。神に自分を支配していただくのです。支配されるというと不自由なことのように感じますが、むしろそれは不自由からの解放なのです。天地創造なさった神に自分をゆだねるとき、私たちはむしろ自由を得るのです。

 しかし一方で、これは難しいことでもあります。御心を問いながら、神に従って生きているつもりでも、実際は、自分の思い、自分の考えで歩んでしまうことは多いのです。熱心に祈り、一生懸命に奉仕をしているつもりでも、結局のところ、自分に固執した生き方をしてしまうことがあるのです。これは教会のあり方においてもそうです。教会をよくするためにと言いながら、実際は自分にとって心地の良い教会を作りたい、そのような人間中心の思いで教会が動かされ乱れていくこともあります。そういうとき、神はストップをかけられます。個人にも教会にも「やめよ」とおっしゃるときがあるのです。

 詩編第46編11節に「力を捨てよ、知れ/わたしは神」という言葉があります。この「力を捨てよ」ということは「やめよ」ということです。口語訳では「静まれ」と訳されていました。私たちは自分が熱心で一生懸命な時ほど、意識的に力を捨て、静まらねばなりません。それができないとき、私たちは場合によっては強制的に神からストップをかけられるときがあるのです。否が応でも、今までの生き方を変えざるを得ない状況に置かれる時があります。自分自身を振り返りましても、たとえば、望まない形での職場の異動、左遷やリストラにあったとき、自分を振り返らざるを得ませんでした。子供がまだ小学校の低学年だったとき、所属していた事業部が赤字で、多くの人員が異動になりました。私自身も子会社に出向になりました。その子会社は通える距離にはあって、会社の規定では引っ越しを伴う異動ではありませんでした。しかし、通勤時間は一時間ほど長くなりました。それで、新しい職場に近いところに引っ越すことにしました。引っ越し費用も家賃も負担が大きかったのですが、振り返りますと、そのことを通して神は私に「やめよ」と生き方の変革を迫っておられたのだと思います。

 神から「やめよ」のご命令もまた恵みです。そのことを通して、自分の欲望やちっぽけな思い込みから解放され、この世界の悪霊から自由にされて生きていくのです。そして神のご支配のもとに生きる時、私たちは本当の自分の願いをも知ります。そして心素直に神に自分の願いを申し上げることができるようになるのです。新しい道を神が拓いてくださるのです。