2024年9月29日大阪東教会主日礼拝説教「感謝ゆえの奉仕」吉浦玲子
<感謝して目立たぬ仕事をする>
今日はルカによる福音書の短い部分を読みました。主イエスが宣教をなさって町から町、旅から旅の生活をなさっていた、その一行の中には主イエスが特別にお選びになった12人の弟子たちもいれば、そのほかの多くの男性の弟子たちもいました。そしてさらに女性たちもいました。聖書の時代は今とは比べ物にならないほどの男尊女卑でしたから、記録の中に、女性の名前が残っているということだけでも驚くべきことです。聖書がどれほど女性を大事に考えているかということがこういう箇所を読むと分かります。
主イエスの一行は総勢で百名ほどではなかったかと考えられます。それらの人々の衣食住を旅から旅の生活の中で賄っていく必要がありました。2009年に日本プロテスタント宣教開始150周年を記念して、「ウォークウィズジーザス」という取り組みがありました。東京の日本橋から京都まで、昔で言うところの東海道53次を歩いてトラクトを配って伝道するというものでした。一か月ほどかけて毎日20キロほど歩く取り組みで、全体参加のメンバーが十数名で、部分部分するメンバーが数十名ありました。当時私は会社員をしていたので当然全体には参加できませんでしたが、休みを利用して部分的に何回か参加しました。私が参加した時もだいたい40名から50名の人がいたように思います。東京から京都まで歩きながら日々沿線の教会でその数十名分の食事や泊まる場所を提供してもらうものでした。東京を出発した時、すべての旅程での宿泊先教会が決まっていたわけではなく、今日は野宿かもしれないと思っていたら夕方に急に、うちの教会に泊まってくださいという連絡がくることもありました。そのイベントのリーダーたちは日々かなり苦労されたと思います。主イエスの宣教の旅も日々、どこに泊まるか、どこで食事を入手するか、そういった泥臭い心配があったと思います。そして主イエスの旅は、一か月限定のイベントではなく、共に旅をする人々にとって、それまでの生活を投げうった人生をかけた旅でした。そのように集ってきた人々の衣食住を賄うことはほんとうにたいへんであったと思われます。
私たちは今、別に町々を巡りながら伝道をしていませんが、やはり伝道においては福音を語る、ということのために、備えないといけない泥臭いことが多くあります。私たちの教会では、道端で道行く人に語りかける路傍伝道はしていません。福音を聞いていただくための場所としての会堂やその他の施設を持って伝道をしています。先々週、長老方がかなり時間をかけて庭の手入れをしてくださいましたが、会堂および諸施設、そして敷地の整備が伝道のためには必要ですし、会堂内でも礼拝をするためにさまざまな機材、道具も要ります。町々を巡り歩いていなくても、福音を語るという時、そのために必要な泥臭い仕事がたくさんあり、そのための奉仕が多くあります。
良く申し上げることですが、信仰というのは、良い心がけで生きるとか、教理をしっかり理解すると言った頭や精神の問題だけではなく、教会の敷地の草を抜くとか、会堂の電気が切れた交換するとか、全体的な活動全般に関わるのです。そういった活動を信仰の本質とは違うけれど、伝道のためにやらなければならないから仕方なくやる、ということではなく、むしろ個人でも教会でも日々の活動全般に関わることこそが信仰を支えるという側面があります。精神や観念・理念だけで、私たちの信仰は深まってはいかないのです。信仰というのは全体的なものなのです。
そのような奉仕を女性たちが担ったと今日の聖書箇所に書かれています。この女性たちは、男性の弟子たちの配偶者や家族というより、個々に主イエスを信じ、奉仕に身を投じていたと考えられます。「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの女性たち」とあります。悪霊は、現代においては分かりづらいものですが、神から人間を引き離し、人間を苦しめる存在です。おそらく悪霊に取りつかれたと言われていた人々は、日常の生活もできないような苦しみの中にあったと考えられます。その悪霊を追い出して、健やかにしていただいた女性たちが、その感謝の気持ちゆえに、弟子たちの一行に加わったのです。
しかし、主イエスが宣教をなさっていたこの当時、悪霊を追い出していただいたり、病を癒されたり、さまざまな悩みを解決していただいた人々は多くいたのです。ですから、主イエスをいつも大群衆が追いかけていました。しかし、主イエスによって癒された大部分の人々は、主イエスの弟子となってついてくることはありませんでした。ルカによる福音書の別の箇所で十人の病の人が癒されて、主イエスのもとに来て感謝をしたのは一人だけだったと場面があります。癒された十人のうち九人は奉仕どころか、感謝の言葉さえなかったのです。苦しみから解放されても、主イエスに感謝したり、主イエスの語る神の国のことを信じる人々は少なかったのです。
しかし、いくばくかの人々は主イエスに感謝し、弟子として歩みました。主イエスについていくために、それまでの生活を捨てたのです。男性の弟子であるペトロたちが漁師の仕事を捨てて主イエスに従ったように、女性たちもまた、多くのものを捨てて、主イエスに従いました。
<さまざまな女性たち>
従った女性たちはさまざまな境遇の女性でした。「マグダラのマリア」という名前は非常に有名で、絵画にもよく描かれています。福音書では、復活の第一の証人として登場します。このマグダラのマリアと7章に出て来た罪深い女を同一人物とする考えも古くからありますが、実際のところはよく分かりません。ただ家柄などが書かれていないので、上流階級の出身ではないようです。それに対してヘロデの家令クザの妻は、ガリラヤの領主ヘロデの側近として取り立てられている人物の妻でした。教養もある上流階級の女性であったと考えられます。
本来ならば、マグダラのマリアとヘロデの家令クサの妻が共に生活をするなどということは当時としてはありえないことだったでしょう。単に共に礼拝を捧げていただけではありません。最初にお話ししましたように、日々の衣食住に関わる泥臭い奉仕をマグダラのマリアもヘロデの家令クサの妻も共に担ったのです。教会とは本来そういうところです。さまざまな出自の人、立場の人が共に奉仕を担うのが教会です。そしてまた、信仰において、社会的な立場や貧富の差を離れて一致するのが教会です。
<女性はサポート役か>
しかし、今日の箇所に書かれていることに、ややモヤモヤした気持ちもあります。書かれていることは、女性たちが奉仕をしたということであって、一人一人についての細かいエピソードなどはありません。ペトロやヨハネ、ヤコブのような信仰に関わるエピソードは書かれていません。うがった読み方をしますと、「神様は女性もちゃんと用いてくださるんですよ、ですから女性も頑張って教会のために働いてくださいね」というおすすめのようにも読めてしまいます。女性は泥臭い裏方でがんばってね、と言われているようにも思います。
実際、日本の多くの教会では女性の方が男性より人数が多いことが普通ですし、教会の様々な働きや特別なイベントを行っていくとき、こまごまとした裏方の仕事は女性が支えていることが多かったと言えます。それに対して、長老や役員といった、ある意味、表の部分の役割には男性が充てられることが多かったと思います。教会全体の男女比率からすると長老会・役員会の男女比率は不自然に男性が高かったのです。男性が重要な意思決定や表に立つところを担い、女性は裏方でサポートという構図があったと言えます。ただその裏方こそが、特にコロナ前のさまざまに集会があったころは重要で、そこに女性たちの働きがなければ教会は回っていかなったというのも事実でした。
昔は多くの教会で婦人会というものがありました。これは原則的に既婚女性で構成されていました。青年会の若い女性が結婚をしたら自動的に婦人会に入るという流れがありました。この婦人会が多くのこまごまとした教会の働きを担っているというのが多くの教会の実情でした。その婦人会は教会を支える良き働きをし、また教会の信仰の要のようなパワーも担っていました。しかし逆に、婦人会が、教会の中で大きな力をもってしまい、影の長老会のような存在になってしまうようなこともありました。「婦人会を制する者が教会を制する」という言葉も昔はあったくらいです。これは非常に不健全なことです。いま、多くの教会で婦人会というものはなくなりつつあります。晩婚化が進み、独身の女性が増え、また結婚しても働き続ける女性が多くなり、昔は主として平日に活動することが多かった婦人会の活動がこれまでのようにはできなくなってきたからです。そして何より、性別や結婚しているかしていないかといったことでの括りが時代にそぐわなくなってきたからです。大阪東教会も、性別や既婚未婚でくくる活動はしない方針です。そのような現代の状況の中で、今日の聖書箇所はどのように読むべきでしょうか。
<持ち物を出し合って>
今日の聖書箇所の最後に「彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」とあります。さりげない一文です。女性たちは、経済的にも共同体を支えていたのです。しかし、女性の中には、貧しい人たちもいたでしょう。そんな女性たちもやはり「自分の持ち物を出し」たのです。自分の賜物や労力を一行のために差し出したのです。以前いた教会で、手芸の得意な女性がいて、彼女は教会で用いるクッションや、布製の飾り物を多く作ってくださいました。自分の出来ることで信仰共同体に奉仕をしていくのです。当然、これは女性だけでなく男性にも求められることです。やはり以前いた教会には建物関係の仕事をしていた男性がいて、修繕などのこまごまとしたことをしてくださっていました。その方はいつも作業服に長靴という姿で教会におられて、教会の周りを暇さえあれば点検して、あれこれ作業をしておられました。初めて教会に来た人はその作業服で長靴の男性のことを出入りの業者さんだと大抵勘違いされたりします。
<かならず報われる愛の業>
ところで、さきほど、「精神や観念・理念だけで、私たちの信仰は深まってはいかないのです。信仰というのは全体的なものなのです。」と申しました。でも、ともすれば私たちは、クッションを作ったり、集会室の台所の水漏れを修繕することは信仰とは直接関わらないことと考えてしまいます。主イエスの弟子たち一行の食事の準備をすることもたいしたことではないと考える人もいたかもしれません。逆男女差別的な発言をすれば、個人差はありますが、おおむね男性の方がどうしても観念に傾きやすい傾向があるのではないでしょうか。
繰り返し申し上げていることに愛は労力を伴うということがあります。聖書で語られる愛は情感や観念ではありません。愛のために私たちは「持てる物」を差し出します。それがクッション造りであったり、水漏れの修繕であったりするのです。泥臭い、地味な働きです。そのような愛で形作られるのが教会であり、信仰共同体であり、一人一人の信仰生活です。
そして、その泥臭い、地味な愛の働きをこそ、神は祝福してくださるのです。これからのち起こる十字架の場面で最後まで主イエスの十字架を見守ったのはほとんど女性たちでした。男性は女性よりも逮捕される危険が高かったこともあり、皆、逃げていました。ヨハネによる福音書に「愛する弟子」と呼ばれる一人の男性が十字架の傍らにいたことが記されている以外は、十字架を目撃したのは女性だったと記されています。十字架を担い、ヴィアドロローサを歩く主イエスを追い、生身を十字架に打ち付けられた主イエスを見上げたのは女性たちでした。それまでたくさんの奉仕をしてきた彼女たちは、十字架の場面では何もすることはできませんでした。ただ恐れ、嘆きました。主のために恐れ、嘆くこともまた彼女たちの愛の業でした。はたからみたら、何の役にも立たない行為です。泣いて嘆いたところで、主イエスが十字架から解放されることはないのですから。
しかし、そのような女性たちが、復活の第一の証人となります。すべての福音書において、復活なさった主イエスの空の墓の第一発見者は女性です。復活の最初の目撃者は主イエスの側近として一番側にいたはずの12弟子たちではありませんでした。かつ、それどころか主イエスが復活なさったと言う女性の言葉を男性の弟子たちは最初否定しました。もちろん女性たちも墓に向かったとき、復活のことを分かっていたわけではありません。ただただ主イエスのなきがらに香油を塗ってさしあげたい、ちゃんと葬りをしてさしあげたいという、現実的な願いによって主イエスの墓に向かったのです。女性たちはどこまでも現実的で、泥臭い働きをします。その女性たちに復活の主イエスは最初に現れてくださいました。泥臭い、表には出ない、愛の業のうえに復活の主は愛の言葉をかけてくださるのです。私たちはこの週もささやかな愛の業を為していきます。しかし、その業はだれも見ていなくても神はご覧になっています。神が見ているんだからしっかりしなくちゃ、ということではなく、私たちのすべては神のあいのまなざしの内にあります。だから安心して日々の業を為していきます。そのような私たちをご覧くださる神は、私たちに偉大なことを見せてくださるのです。女性たちが十字架と復活の目撃者となったように、私たちも偉大な神の奇跡を目撃する者とされます。