大阪東教会礼拝説教ブログ

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ヨハネによる福音書21章1~14節

2020-05-03 08:17:11 | ヨハネによる福音書

2020年5月3日大阪東教会主日礼拝説教「岸まで泳げ」吉浦玲子

【聖書】

ヨハネによる福音書 第21章1〜14節

その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったのほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

 

【説教】

<食べる物はあるか>

 弟子たちは主イエスの復活ののち、漁に出ました。弟子たちは復活のイエス・キリストと出会ってすぐに意気揚々と宣教活動を始めたわけではなく、もともとの生業であった漁をしていました。このあたりの経緯はよくわかりません。彼らは慣れ親しんだティベリウス湖、つまりガリラヤ湖で漁をしました。このとき、漁に出たメンバーには漁師でなかった者も含まれているようですが、中心となったのは、もともとプロの漁師であったペトロたちでした。その彼らが、良く知った場所で一晩中漁をしたのにまったく魚は獲れませんでした。

 彼らは疲れ果てて、夜明けを迎えました。その夜明けの岸辺に主イエスは立っておられました。弟子たちはそれが主イエスだとは、最初、分かりませんでした。岸から舟は200ぺキスほど離れていたとあります。だいたい90mほどの距離です。朝の光の眩しさの中ではっきり顔が見えなかったのでしょうか。しかし、知っている人であれば、その距離なら判別できると思われます。でも、なぜか弟子たちは主イエスと分かりませんでした。

主イエスはおっしゃいます。「子たちよ、何か食べる物があるか」。「食べる物」という言葉は<パンと一緒に食べる物>という意味です。新しい共同訳では「おかず」と訳されています。これは単純に「漁の塩梅はどうだい?」と聞いたとも取れます。しかし、ここには主イエスの愛情もあると思います。一晩中漁をしていた弟子たち、疲れ果て、お腹もすいているでしょう。その彼らの食事を心配しておられるのです。実際のところ、この岸辺ですでに主イエスは火をおこし食事の準備をしてくださっていたのです。

これまでも繰り返しお話してきましたが、聖書は精神論や哲学を説いているのではないのです。人間が必要とするものを神がご存知であることを語ります。ですから十字架におかかりになる前、主イエスは神の教えを語ることと合わせて、病の人を癒し、空腹の人には食べ物を与えられました。もちろん、それは神の国の宣教よりも、慈善活動、社会福祉が大事だということではけっしてありません。しかし、神は憐れみ深いお方です。主イエスも人々の苦しむ姿をご覧になって憐れまれました。その憐れみの心のゆえ、主イエスは人々の必要なものを与えられました。病には癒しを、空腹には食事を。奇跡としか言いようのないやり方で与えられました。ヨハネによる福音書では、主イエスのなさった奇跡のことを「しるし」と表現しています。神の救いのしるしであり、神の国のさきぶれとしての奇跡の業でした。人々がそのしるしを見て神の救いを知ることができるようになるためのしるしでした。ですから、本当は、与えられた人たち、救われた人たちはそこに神の業を見るべきでした。しかし、病を癒されても、食事をいただいても、多くの人はそこにしるしとしての神の業を見なかったのです。そうなることはご存知であっても主イエスはなお憐れみのゆえ、しるしをなさったのです。

主イエスはここでも弟子たちにまず「食べる物があるか」とお聞きになるのです。今、彼らに必要なものは、神学や宣教の話ではなく、疲れ切った肉体を癒すことだと主イエスはご存知だったのです。弟子たちは「ありません」と答えます。すると主イエスは「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」とおっしゃいました。プロの漁師が、見知らぬ人からそのような指図を受けるのは不本意だったかもしれません。しかし、彼らがとりあえず言われたとおりにすると、多くの魚が獲れて網を引き上げることができないくらいだったというのです。舟の右側と言われた右というのは神の力の座を示します。網が引き上げることができないほどに魚が獲れたというのは、そこにまぎれもなく神の業、しるし、奇跡があったということです。ぼろぼろに疲れていた、食べる物もなかった弟子たちに、あふれるほどの神の恵みが与えられました。

私たちは、それぞれの困難な日々にあって、復活のイエス・キリストと出会います。一晩中漁をして、何の成果もなかった、そんな弟子たちと同様に、徒労に終わった夜のあと、私たちは朝にキリストと出会います。精いっぱいやってもうまくいかなかった、失望していた、そのとき、イエス・キリストと出会います。主イエスは待っていてくださるのです。そして聞かれるのです。「子たちよ、何か食べる物があるか」と。

食べ物などあるわけがないのです。精いっぱい探してきた、あれこれ努力してきた、それらがすべて無駄だった、何をいまさらおっしゃるのか?そう毒づきたくなるような思いの中で、それでも「舟の右側に網をおろしなさい」という主イエスのおっしゃったことに従うとき、恵みが与えられるのです。とてつもない祝福が与えられるのです。

<岸まで泳げ>

 さて、網を引き上げることができないほどの魚が獲れた時点で、主イエスが愛しておられた弟子は、岸におられるのが主イエスだと分かります。ルカによる福音書にも、似たような大漁の話がありますが、彼にはこの大漁が尋常なことではないのが分かったのでしょう。人間の業ではない、これは神の業であると。だから「舟の右側に網を打ちなさい」とおっしゃったのは主イエスだと気づいたのでしょう。そしてペトロに「主だ」と言います。するとペトロは、裸同然だったので上着をまとって湖に飛び込んだとあります。ペトロらしい熱心さが感じられる行動です。大漁の魚で身動き取れない舟で岸に向かうよりも泳いだ方が早いと飛び込んだのです。一刻も早く主イエスのところに行きたかったのです。プロの漁師であるペトロがもう魚のことはほったらかしなのです。さらにイエス様にお会いするのに裸同然では失礼と思ったのでしょう、わざわざ上着をまとって湖に飛び込みました。急いで主イエスのもとに行きたいのに、上着をまとうと泳ぎにくいはずなのに、少々、滑稽とも思えるペトロの姿です。しかし、そこにペトロの一途さがあります。

 さきほども、神から恵みを受けても、それだけで終わる人が多いことが聖書に記されているとお話ししました。それに対して、ペトロは一刻も早く、主イエスのもとに行きたいと湖に飛び込みました。それは人から見たら滑稽ともいえる姿です。

 しかし、信仰の姿というのは、けっして、崇高であったり、賢そうであったりはしません。上着をまとって湖に飛び込むような滑稽なこととして、周囲の人には見える時が往々にしてあります。毎日、働いて疲れ果てているのに教会に行くなんて、ある人にとってはばかげてみえるかもしれません。せっかくの休みの日は体を休ませるほうが賢く感じられます。祈る時間があったら、もっと人のためになる活動をした方が良さそうに思えます。

 教会にあっても、時として、信仰的な姿勢というのは嘲笑を受けることがあります。ある教会で20年ほど前、会堂を建築したとき、家が経済的に貧しくて会堂建築のために十分な献金ができなかった人が、醤油を作って売ってその売り上げを教会に献金したそうです。醤油は市販のものより安く一本百円程度で売られたのです。その方は一生懸命作って売りましたが、その醤油の売り上げの献金は会堂建築の費用全体からしたらごく微々たるものでした。しかし、そこには醤油を作って売った人の精いっぱいの信仰がありました。しかし、醤油作るなんて、手間暇だけかかって、非効率的でばかばかしいと思う人も、当時、いたのです。

 しかし、信仰的であるということは、スマートさや、賢さ、効率では測れません。しかし、ことに現代人は、スマートさ、賢さ、効率を重視します。教会の中でも往々にして、そういったものが幅を利かせます。醤油を作るようなことは泥臭いこと、湖に飛び込むようなことはばかばかしく恥ずかしいことと、教会の中ですら思われます。嘲笑されるのです。

 もちろんむやみやたらと泥臭ければよい、非効率であれば良いということではありません。大事なことは上着をまとうことです。ペトロは上着をまといました。そのこと自体は、それこそ、いっそう滑稽なことに見えます。しかしそこにペトロの神への畏れがありました。神への畏れを抱きつつ、そしてまた神への熱心を抱きつつ、ペトロは岸まで泳ぎました。その神への敬虔のゆえに、滑稽とも思えるペトロの姿は神に愛されるのです。

<祝された食卓>

 岸に着くと、先ほども申し上げましたように、主イエスはすでに食卓を準備しておられました。そこに新たに漁をして獲った魚が加わりました。主イエスがすでに備えてくださっていた食卓に彼らの漁をして獲った魚が加えられるというのは象徴的です。私たちの人生においても、大成功をした、ものすごく成果が上がったと思える局面でも、実際のところは、多くのものを神が整えてくださっていたのです。もちろん私たちも努力をします。ペトロたちが漁をするとき、抜かりなく舟の手入れ、網の準備をして、漕ぎ出して、季節や天候や魚の具合に合わせて知恵を絞って漁をするように、私たちも日々努力をし、精いっぱいのことをするのです。その喜びの成果が神の整えられたものに添えられる、そこにまことの祝福があります。

 主イエスが「今とった魚を何匹か持って来なさい」とおっしゃり、シモン・ペトロが獲れた魚を数えると153匹もあったとあります。153という数字についてはさまざまに解釈があります。しかしここでは、とても多かったとのだと読んでいいと思います。「それほど多くとれたのに網は破れていなかった」とあります。

 人間の為すことには破れがあります。無理があるのです。過労になるまで働いて病気になってしまう。経済的に恵まれていても、家庭が不和になってしまう。努力を重ねて名声を得たのに傲慢になって孤独になってしまう、というようなことが、この世の中でよく聞かれます。しかし、神と共に歩むとき、破れはないのです。あふれるほど魚が獲れても網は破れないのです。やり終えた後むなしくなったり、燃え尽きたりもしないのです。朝の光の中、香ばしく魚が焼ける香りのなか、和やかに食事をするような喜びに満たされるのです。

<私たちのガリラヤ>

 ところで、21章はガリラヤが舞台です。20章までの十字架から復活の出来事はエルサレムが舞台でした。場所的にはずいぶんと離れています。ガリラヤは言ってみれば、弟子たちのもともとの拠点でした。ホームとアウェイと言い方をすればホームです。復活の主イエスはエルサレムでも弟子たちとお会いになられました。しかし、ガリラヤでも会ってくださったのです。ある方は、エルサレムは日曜日であり、ガリラヤは平日だとおっしゃっています。つまり私たちは日曜日、教会で主イエスとお会いするだけでなく、平日、それぞれの場所にあっても主イエスとお会いするのです。

 「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのはこれでもう三度目である。」とあります。復活なさった主イエスとお会いするということは特別な一回だけのことではないということです。私たちは繰り返し出会うのです。教会で出会い、また日々においても出会います。

 弟子たちが、これまでも復活の主イエスとお会いしていたのに、最初、岸辺に主イエスを見たとき誰か分からなかったように、私たちもまた、すぐ忘れてしまうのです。奇跡的な体験をしても、決定的な神との出会いをしても、なお人間はすぐ忘れてしまうのです。神の救いを、神の憐れみを忘れてしまうのです。いつも食卓を整えてくださっている神の労苦をないがしろにするのです。ですから、私たちは出会い続けるのです。神と出会い、神を畏れつつ、しかしまた心弾ませ、岸まで泳いでいくのです。そこには祝福の食卓があります。



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