約2年前2010年6月12日のブログは、「いまの」私の夢、という日記。
「医療者と患者の架け橋になりたいです。
将来、今とは違った形で、もっと直接的な方法で、実現したいと思っています。
医療者は患者の思いを知ること。患者は医療を知ること。互いのほんとうの気持ちに気づくこと。その橋渡しを。」
将来、と書いていますが、この春から、医療市民マイスターという形で当時の夢を現実に実践している 道の途中、です。
もう、これは、すでに、自分の気持ちの中では、「夢」ではなくなっています。
(夢のように思い描くことは多々あれど、ぼんやりと思い描く夢、ではない、の意です。)
この日記を書いたのが今回、医療市民マイスター講座にも登壇いただいた山崎洋実コーチの講座を受けた後、のことでした。
山崎洋実コーチのママイキといえば、私は「斜に構えてた人」で名高い。(なんじゃ、それ)
当時、子どものことに悩んでいたわけではない私でしたが、人間関係でかなり悩んでいて・・・。
受けてみて、人間関係と時間の使い方、がガラリと変わりました。
まず、人間関係、です。
夫の両親との関係、ガラッとよくなったとかなり以前にも書いてありますが、ついに、ついに、先月、言いました。伝えたかったことを。
Twitterでもつぶやきましたが、
「あなたの息子が家事育児を”手伝う”という感覚が一切なく、夫婦が協力して行うものだと考えていることは、あなたが子育てしながら一生懸命働いてくれたお陰。私はそのことに非常に助けられているし、本当にありがたい。」
お母さん、泣いていました。
当時、農家以外でその地域で(田舎です)働いている人はいなくて、「そんなに金がほしいのか」と言われたこともあったそう・・・お母さん、私たちの想像が及ばぬくらい、頑張ったんだ、と思います。
夫の両親は、自分の両親より10歳以上年上ですが、本当にいま言えてよかった。こういう気持ちになれてよかった、と思っています。
山崎洋実コーチの講座を受けなかったら、私は一生、姑とはうまくいかなかった、と思っています。
私は本当に夫のことは大好きだけれど、夫の姓を”断固”名乗りたくないほどに、夫の両親とはうまくいってなかった、のです。(いまは名乗ってもいいと思っていて、いつか、そのうちに改名しようかなーなんて思ってたりもする。)
あの、ママイキ4回目の「区別の回」の帰り道、目からウロコなんてもんじゃなく、ガラガラドッシャーンどっかーんといろんなものが自分から抜け落ちて、あの日以来、自分と他人の問題をごちゃごちゃにしてしまう、ということはなくなりました。
私は、先の日記↑にもあるように、いい意味でも悪い意味でも、他人に起きたことを自分だったらどうだろう?と考える癖のある人間で、それが日頃から、いいようにも悪いようにもはたらくのですが、考えることは今でもするものの、問題をごちゃまぜにする、ということは一切なくなった、と思います。
あの、帰り道、から。
一緒に受けた複数の方から、「なんでそんなにいつも落ちるの?」(ストンと落ちて自分のものにしてしまうの?)と聞かれますが、それはたぶん、頭で一切聴いていない(心で聴いている)、ということと、とことん自分のものにするまでやってみる、ということではないかと思っています。
これも、上の日記↑にあるように、初回から二回目までの2週間の間に私は「じぶんノート」に30枚位自分のこと掘り下げて書いているんですよね。
いいな、と思ったら、とことんやってみます。だからこそ、あっちこっちいろんな”手段”を探す旅に行かなくていいのかな、と自分では思っています。
話がそれました。大切な変化、もう一つ、ありました。
時間の使い方、です。
やりたいことがスッとできるようになりました。
それはもう原因はひとつ、人間関係で悩まなくなったから、です。
それまでの私は、やりたいことがいっぱいあるのに、人間関係でばっかり悩んでいました。
でも、もう、やめました。
これは、ママイキ5回が終了したときに書いた2010年3月の日記にあるように
===
時間は限られている。
人は常に死に向かって一歩一歩進んでいる。
寿命は昨日より確実に一日短くなっているのだ。
あなたは自分のやりたいこと・やるべきことに、時間を費やす。
あなたはあなたの限られた時間を永久にどうでもいいことに費やして、
死を迎えるのか?
それを選ぶのはあなた。
あなただけが選ぶことができる。
目の前に問題がやってきたら常に問おう。
「これは誰の問題なのか?」と。
===
自分の限られた時間を人間関係で悩むことに費やし、やりたいことができなくなっていいのか?ってこと、
もうこれに尽きると思うのです。
↑この日の日記、山崎洋実コーチの下にコメントくれた・・・
中学校の同級生のひびきちゃん、いまはもうこの世にはいません。
白血病で、3度も移植をして、本当に本当に苦しい痛みに耐えながら、それでも私たちを笑わせ続けてくれました。
病室に行ったとき、それは20年ぶりの再会だったのだけれど、とてもとても激しく苦しい痛みに耐えていたときだったのだけれど、中学時代と少しも変わらぬ色白のひびきちゃんが、私を見て、本当に信じられない、と首を振り、あのちっちゃくてかわいかったGYOっちゃんがこーんなお母さんになっちゃったのねー!と苦笑&爆笑していた姿を、今でも思い出します。
まったく、失礼な。天国に行ったからって許さないんだから!
いつも彼女は私に笑いとそして痛みに耐えぬいて死ぬ、ということの意味、と命ははかない、ということを身を以て思い出させてくれる大切な存在です。
なんだか話があっちこっちに行ってしまいましたが、山崎洋実コーチ(2年後の)ママイキ卒業の門出に際しての、応援日記でした。(これでも!)
※今日の日記はリンクがいっぱいですが、よかったらお暇なときにリンク先も読んでみてください。思わぬ発見がある、かも!?※
「医療者と患者の架け橋になりたいです。
将来、今とは違った形で、もっと直接的な方法で、実現したいと思っています。
医療者は患者の思いを知ること。患者は医療を知ること。互いのほんとうの気持ちに気づくこと。その橋渡しを。」
将来、と書いていますが、この春から、医療市民マイスターという形で当時の夢を現実に実践している 道の途中、です。
もう、これは、すでに、自分の気持ちの中では、「夢」ではなくなっています。
(夢のように思い描くことは多々あれど、ぼんやりと思い描く夢、ではない、の意です。)
この日記を書いたのが今回、医療市民マイスター講座にも登壇いただいた山崎洋実コーチの講座を受けた後、のことでした。
山崎洋実コーチのママイキといえば、私は「斜に構えてた人」で名高い。(なんじゃ、それ)
当時、子どものことに悩んでいたわけではない私でしたが、人間関係でかなり悩んでいて・・・。
受けてみて、人間関係と時間の使い方、がガラリと変わりました。
まず、人間関係、です。
夫の両親との関係、ガラッとよくなったとかなり以前にも書いてありますが、ついに、ついに、先月、言いました。伝えたかったことを。
Twitterでもつぶやきましたが、
「あなたの息子が家事育児を”手伝う”という感覚が一切なく、夫婦が協力して行うものだと考えていることは、あなたが子育てしながら一生懸命働いてくれたお陰。私はそのことに非常に助けられているし、本当にありがたい。」
お母さん、泣いていました。
当時、農家以外でその地域で(田舎です)働いている人はいなくて、「そんなに金がほしいのか」と言われたこともあったそう・・・お母さん、私たちの想像が及ばぬくらい、頑張ったんだ、と思います。
夫の両親は、自分の両親より10歳以上年上ですが、本当にいま言えてよかった。こういう気持ちになれてよかった、と思っています。
山崎洋実コーチの講座を受けなかったら、私は一生、姑とはうまくいかなかった、と思っています。
私は本当に夫のことは大好きだけれど、夫の姓を”断固”名乗りたくないほどに、夫の両親とはうまくいってなかった、のです。(いまは名乗ってもいいと思っていて、いつか、そのうちに改名しようかなーなんて思ってたりもする。)
あの、ママイキ4回目の「区別の回」の帰り道、目からウロコなんてもんじゃなく、ガラガラドッシャーンどっかーんといろんなものが自分から抜け落ちて、あの日以来、自分と他人の問題をごちゃごちゃにしてしまう、ということはなくなりました。
私は、先の日記↑にもあるように、いい意味でも悪い意味でも、他人に起きたことを自分だったらどうだろう?と考える癖のある人間で、それが日頃から、いいようにも悪いようにもはたらくのですが、考えることは今でもするものの、問題をごちゃまぜにする、ということは一切なくなった、と思います。
あの、帰り道、から。
一緒に受けた複数の方から、「なんでそんなにいつも落ちるの?」(ストンと落ちて自分のものにしてしまうの?)と聞かれますが、それはたぶん、頭で一切聴いていない(心で聴いている)、ということと、とことん自分のものにするまでやってみる、ということではないかと思っています。
これも、上の日記↑にあるように、初回から二回目までの2週間の間に私は「じぶんノート」に30枚位自分のこと掘り下げて書いているんですよね。
いいな、と思ったら、とことんやってみます。だからこそ、あっちこっちいろんな”手段”を探す旅に行かなくていいのかな、と自分では思っています。
話がそれました。大切な変化、もう一つ、ありました。
時間の使い方、です。
やりたいことがスッとできるようになりました。
それはもう原因はひとつ、人間関係で悩まなくなったから、です。
それまでの私は、やりたいことがいっぱいあるのに、人間関係でばっかり悩んでいました。
でも、もう、やめました。
これは、ママイキ5回が終了したときに書いた2010年3月の日記にあるように
===
時間は限られている。
人は常に死に向かって一歩一歩進んでいる。
寿命は昨日より確実に一日短くなっているのだ。
あなたは自分のやりたいこと・やるべきことに、時間を費やす。
あなたはあなたの限られた時間を永久にどうでもいいことに費やして、
死を迎えるのか?
それを選ぶのはあなた。
あなただけが選ぶことができる。
目の前に問題がやってきたら常に問おう。
「これは誰の問題なのか?」と。
===
自分の限られた時間を人間関係で悩むことに費やし、やりたいことができなくなっていいのか?ってこと、
もうこれに尽きると思うのです。
↑この日の日記、山崎洋実コーチの下にコメントくれた・・・
中学校の同級生のひびきちゃん、いまはもうこの世にはいません。
白血病で、3度も移植をして、本当に本当に苦しい痛みに耐えながら、それでも私たちを笑わせ続けてくれました。
病室に行ったとき、それは20年ぶりの再会だったのだけれど、とてもとても激しく苦しい痛みに耐えていたときだったのだけれど、中学時代と少しも変わらぬ色白のひびきちゃんが、私を見て、本当に信じられない、と首を振り、あのちっちゃくてかわいかったGYOっちゃんがこーんなお母さんになっちゃったのねー!と苦笑&爆笑していた姿を、今でも思い出します。
まったく、失礼な。天国に行ったからって許さないんだから!
いつも彼女は私に笑いとそして痛みに耐えぬいて死ぬ、ということの意味、と命ははかない、ということを身を以て思い出させてくれる大切な存在です。
なんだか話があっちこっちに行ってしまいましたが、山崎洋実コーチ(2年後の)ママイキ卒業の門出に際しての、応援日記でした。(これでも!)
※今日の日記はリンクがいっぱいですが、よかったらお暇なときにリンク先も読んでみてください。思わぬ発見がある、かも!?※
まさかこういう形で更にご縁が深まるとは
王子のイベントの時は
思いませんでした。
これからも宜しくお願いします(^_-)
あんなに斜に構えてた、と伝説にさせてもらうからね(笑)
先日は、ありがとうございました。
遡って日記を探していて、コーチの下にいまは亡きひびきちゃんのコメント見つけたら、だいぶ日記自体が変容しちゃって、タイトルも何も変わってしまい。
て、なんの言い訳だ。
これからも宜しくお願いします。
初めて王子のイベントで会ったとき、ほんとに心からあんた何者?って思ってましたー!爆 コーチ主催のイベントに出展させてもらってて、すみませーん!今さら。