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☆あまちゃんの毎日ガハハハ日記☆

三男児+夫との生活、代表を務める会http://shirouiryo.com/のこと、自分の日常を綴る日日是好日

いつもしていることは、おんなじ。

2013-06-23 06:02:14 | GYOGYO
風疹対策については、引き続きちょこちょこと動いています。
いろいろな方のお力添えで、さまざまな成果物もできたり、今回限りにしたい!と動いています。

先日の厚労大臣のご発言に際しては、お手紙を書きました。
厚労行政を批判するわけではなく、淡々と、切々と、事実とそして一人の市民としての思いを綴り、投函しました。

今日は別のお話を・・・
我が家に学童後、男児たちが集っているのは(女児は一名)前から書いている通りですが、

何か私に話したいことがある子は、いつも遊んでいるお部屋からひょろっと出てきます。
夕飯前の時間なので、私はたいてい料理を作っていて、その横にちょこんと来て冷蔵庫の中を見たり、お皿洗いを手伝ったり
(朝のお皿が残っていることがばれますな!)お水を飲んだりして、すぐには戻らず横にいます。
そしてポソポソっと話し始めます。
学校や家庭で起きた嫌なこと、悲しかったこと、なんかについて、です。


先日、こんなことがありました。
「今日は帰りたくないな」とある男の子。以下、やり取り。
「んー?帰りたくないのー?」
「うん」
「ママがね、頭が痛いんだって」
「ママが頭が痛いなら、〇〇がいてくれたら嬉しいし助かると思うけど」
「違うよ。僕がいたら迷惑だって言ってた」
「そうー?迷惑ってママ言ってたの?」
「うん、時間は守らないし何もしないから〇〇がいると迷惑って言ってた」
「そっか。それは時間を守らないこととか何もしないことにお母さんが
怒ったんだね。大好きだから、つい怒っちゃうんだよねー。」
「大好きだから、怒るの?」
「大好きだから、真剣に怒るんだよ。どうでもいい子のことなんて怒らないよ」
「ママが怒っているときはさ、おーーオレのことが大好きなんだーって思ってみるといいよ」
その子、笑う。
「なんて、ママに言ったら叱られちゃうね。ちゃんと話を聴きなさいって言われちゃうか」
その子、笑う。
「それにさ、私も言いたくないこと言っちゃうときあるんだよ」
「えーーー、ゆうママも言いたくないこと言っちゃうの?」
「そうだよーほんと、言いたくもないひっどいこと言っちゃうときあるんだよ。
ものすごく反省して今朝も謝ったよ」

そこへひょっこり現れていた長男が参入
「そうだよ、昨日ね。ひどいんだよ・・・」(私が眠くなって暴言吐いた話が続く・・・)
その後、自然に時間になると明るい顔でその子はおうちへ帰っていきました。

このやり取りの中で、彼の顔が「大好きだから怒るの?」あたりからどんどんぱぁーっと明るくなっていきました。
親も、悪気なく、真剣だからゆえに結構きついこと言っちゃうとき、ありますよね。

こうして違う母さんに話して、気持ちが晴れたりすることがあれば、いいなって思っています。
学校でも結構友達同士や先生との気もちのすれ違いはあって、いつもそんな話を聴いています。
話すと決まって最後は笑っておしまい。

私はいつもどこでも、おんなじことをしているなあって思います。

結構前になりますが、栗橋病院のOrinasでもこんなことがありました。

「ちっとも優しい言葉をかけてもらえないのよ」
「優しい言葉をかけてもらえると嬉しいですよね」
「昨日も今日も言ってもらえなかったの。」
「昨日も病院にいらしたんですか?」
「夜中、かかっていて・・・」
「夜中も今日も同じ先生に診ていただいたのですね」
「そうなの。あら、そうだ。昨日も今日も先生病院にいたわ。」
「ずっと病院にいらっしゃったんですね。」
「先生も大変だわね」
「先生も大変かもしれませんね」
「疲れてるわね」
「先生のこと、大変だったり疲れていると感じてらっしゃると、先生が知ったら喜びますね」
「そう?そうだわね。言ってみようかしら」
「はい」
「そういえば先生に大変ね、とかありがとうなんて私、言ったことなかったわ」
「ありがとうって言われたら嬉しいですよね」
「そうよね」
「患者さんから優しい言葉をもらったら、先生、頑張れちゃいますよね」
「そうよね、人間だものね」
「そうですね」
「そうしたら先生も優しくなったりしてね」(笑)
「そうなるかもしれないですね」(笑)

子どもに対してやっていることも患者さんにやっていることも、おんなじですね。笑


こういうちょっとこじれた糸が本当はこじれてなんていないんだってそういうことを
その人と見つけていくようなこと、がとっても好きです。
相手の表情が徐々に変化していって、ぱぁっと明るくなっていくのを見ることが好きです。

母・父と子も互いに思いあうもの
医療者と患者も病気を治したいと互いに思いあうもの

互いに思いあっている二人がちょっとした思い違いですれ違っているのはとっても
残念だし、そこはちょっと見方を変えることで、よりお互いが素直に思いあえる
ようになったらいいなと思ってやっています。

よみうり新聞WEB版(yomiDr.)にも掲載されました。
コチラです。


病院でやっていることも家でやっていることもおんなじで笑っちゃうときが度々あります。

何がどう転じるか

2013-04-13 05:08:55 | GYOGYO
こちらの記事
ですが、怒っちゃダメーーーって言っているわけではないですよぉ。

私も怒ります。かなり本気なので、みんな震え上がります。
あまりの怖さに「これ言っても怒らないって約束して」なんて長男が約束から入る程。
(しかし、これは魔法のような言葉で、こう言われると絶対怒らないよね。子どももすごいなあと思う。)

でもいつもいつも怒っているわけ、ではないんです。
怒らないために、怒りたくないから、工夫する。ゆるやかなルールの話は前に書きました。

この記事を読んで、子どもの頃、親が存分にあまちゃんの良いところを見てくれて育ててくれたんだねーと言ってくれた方がいたので、その話を少し。

むしろ逆で、我が家の場合、とにかくスポーツ面で好成績を残すこと、が家族の絶対条件だったので、たいして好成績を残せない私は家族の中では相当落ちこぼれ。走っても泳いでも投げても姉弟は区大会都大会・・・と出ていくわけです。
「京子は何をやってもふつう、平均点」みたいな印象を家族に持たれていて。
小学中学時代くらいまでは勉強はできたけど、常に通信簿オール5の姉には及ばず。

でも心の中ではいつも私、「こういうことなら負けませんけど」「こんなんできまっせー」というのをいつも持っていた。
中1くらいでくじけそうになった時に(私、本当はいいものなんてもってなかったんじゃ?と疑い始めた・・・)担任の先生がそりゃあものすごい勢いで、いいもの持ってるから光るもの持ってるから頑張れ、とにかく良いものを伸ばせって励ましてくれて、その先生にはとっても感謝している。
(逆に高校時代の先生で、お前の考え方、間違ってるーって先生もいたなあ・・・。全教科に均等に力を配分せよ、っていう先生・・・)

だからまあ、なんというか親の影響ってあるような、ないような。

そうやってあまり私の中の宝みたいなものを親が発掘してくれなかったからこそ、アピールがうまくなったみたいなとこってあるから。

だから私が子ども達の良いところをあまり先に発掘して認めちゃうのはどうか、とも思ったりする。アピールする必要なくなって、アピール下手になっちゃうのももったいないものね。
私なんてこのアピールさ、みたいなもので世を渡ってきたわけだしね。
だから親には感謝している。
いまだにあんたの良さって全然わかんなくてって素で言ってくれます。爆 面白い!

何がどう転ぶか、どう転じるか、なんてわからない。

ただ彼らの成長とともに、成長につれて、出す手はひっこめ、口は出さず、しっかり見つめ、必要なとき・子どもが求めてきたにはしっかり寄り添う。差し出せるものがあるならば、求めてきたときに差し出す。
そこは大事にしていきたいなって思います。

よく言われることですが、【信じて待つ】ってことですよね。

昨朝、長男が「こんないつも忘れ物ばっかしてんのに、ママはなんでそんな信用してんの?」というので、私が「2000%信用してるよ。え、じゃあUくんより忘れ物ばっかりしてるママのこと、信用してないの?」と聞くと、長男が「に、2000%は信用してないよ。100%はしてるけど」とのことでした。笑

2000%信用される日まで、頑張りたいと思います。

その話をしてきたときの長男の表情から言って、たぶん、学校では信用されてないのかな、という感じの顔つき、でした。まぁ、母くらい2000%信用しててもいいんじゃないかな、と思っています。

良いところを見ようよ!

2013-04-11 09:59:56 | GYOGYO
毎日毎日書いていれば、まとめてドカンとならないと思うのですが、言いたいことがありすぎて、もう我慢の限界、というところまできてからたどり着きました。
いっぱいいっぱい書きたいことはあるのだけれど、今日はこれだけは言いたい。

【良いところを見ようよ】

これ、小学校の頃から自分の中で戦っていたことで、高校時代は先生ともかなりこの件でやりあった(?)経験もあるので、もう古い友人たちにはしつこいっと言われそうですが。

子どもの、そして自分の良いところを見てほしいなあと強く思うのです。

誰だってダメなことやできないことはあるし、それが人並みにできないことも人並み外れてできないこともある。でもそれが人間だもの。いいんだよーできなくて。

ある程度人並みにできてほしいというのは親なら持つ感情なのかもしれない。
でもそれが「今、必要なの?」「今、できていなければならないことなの?」とは思うのです。

我が家に出入りしている小学生のお子さんがいる複数の母さん達と話すことが時々あって、その時、いつも思うのです。(母さん達にもいつも言ってる)

できているほうを見ようよー!と。

ものすごく計算が早い子が漢字が苦手。
何でも素早くこなす子は字が雑。
何でも丁寧にこなす子は基本ゆっくり。

母さんたちは後ろのことばっかり注意するし、着目しているの。
私の前だけ謙遜している、家では良いところを見ているー!なんだったら全然いいんだけど、そうではないことは明らかで。

できているところ、良いところを伸ばしていけば、自信がついていけば、後から苦手なこと・嫌いなことは引っ張られて伸びていくよ。大丈夫。

自信がついたら、苦手なことも少しはやる気にもなるしね。

だからまず何よりも大事なのは俺はこれが得意だーこれが最高に好きだーを存分に味わうことじゃないだろうか
(俺限定になっちゃった・・・いやいや、女子もです。女子も!!!うちに来るのが圧倒的に男子なだけで・・・)

最高に好きなことがあって、目をキラッキラさせてその話だったら何分でも何時間でもしちゃうのね。
それがなんだっていい。
そのことだったら、負けない。実際、負けちゃうこともあるけど、負けるとすごく悔しいの。
それで、もっと頑張れる。そういうような、もの。

みんな良いところはある。
さっきの話↑は勉強のことだけれど、性質もね。

やんちゃで脱走したりどこでも登りたくなるような子は好奇心旺盛なのだ。
何でもチャレンジできる子だったりする。
おっとりしていて、マイペースな子は、ひとにペースを乱されず
黙々と自分の好きなことを邁進できたりする。
みーんな、みーんな、違う。良さが違う。

それが人の子だとすごく誉めるのに、わが子だと本気でダメ出ししているような光景、
というのが時々見られる。

すごーーーく残念なんです。
わが子にめちゃくちゃ厳しい親、わが子だけにめちゃくちゃ厳しい、という方、
いるんです。それが結構多かったりするんです。

大丈夫だよー悪いところだけ何とかして人並みにしようなんてしなくても
大丈夫だよー絶対大丈夫だから。(なんの根拠もない私からの「大丈夫」発言)
だから良いところを見てほしい。
心配しなくていいよ。
悪いこと、できないことで、そんなに人と比較しなくていい。

あるプールに友人の子をお迎えに行った。
違う子のお子さんが目をキラキラさせて「楽しかったー!!!」と言ってる。
それなのに、お母さんが「あんたいつになったら〇級になれるの?」
「〇〇くんを見なさい。〇〇くんは・・・」と。(これがかなり長時間続く・・・)
いやいやいやいや・・・ちょっと待ってよー!!!
あの全身から溢れる「楽しかった」「楽しい」「大好き」を受け止めようゼ!!!
思わずお節介ばばあが口挟みましたよ。「泳ぐの、好きなんだねー」と。
「うん!」と満面の笑みで答えてくれました。
あまちゃんだって泳ぐの好きなのは、負けてませんぜ!

時々、「あまちゃんって自分にも身内にも甘いよねー」と
言われたりします。(「あまちゃん」だけにね)

甘いよ。自分にも身内にも他人にも。良いところは良いもの。

「どこかの誰かさん」だけが優れているんじゃないんだよ。
みんな、みんな、良さが違うだけ。

自分の良さを最大限知っていて最大限味わっていれば、
子どもの良さがよーく見えるし、よーく味わえる。

子どもだけじゃない、周りにいるひと・ひと・ひと・・・
みんなの良さがよーく見える。

「どこかの素敵な誰か」だけが素晴らしいんじゃない。
みんな、みんな、素晴らしいんだよ。

ひとりひとり本当に違っているけれど、みんな、みんな、
本当に素晴らしいんだよ。
自分の中にある素晴らしさを知って味わって楽しんでね。

これだけは言いたい。
なんだこれ?遺言か?

自分を楽に、楽しく過ごすためのルール

2013-02-11 05:33:01 | GYOGYO
N-omiちゃんから「あまさんのブログ、60日以上更新していない、というメッセージが出るよ」
と言われて、そっか、60日も経ってしまったか、と思って久しぶりに訪問してみたら・・・
60日どころか!前回の更新、9月って!9月って!
本当に驚きました。ご無沙汰しています!

せっかくコメントくださった方、本当に放置してしまってごめんなさい・・・反省。

久しぶりの更新なので、改めて書きたいことがいっぱい。

今日は、ルールについて書こうかな・・・

ルールの話をした何人かのひとにすごく楽になった☆と言われたことがここのところ続いていて、
それはよかったなぁ、と思ったので、それについて書こうと思います。(前置き長い)

これを読んでくださっているひとが私に対してどんなイメージを持っているか、
実は実態とかなり違う場合もあるので、ちょっとそのあたりから・・・

最近、「活動する私」しか知らない、という方も出て来ていて、そこでの私って
すごくなんていうか・・・まあ、一生懸命頑張っているし、偉いとは微塵も思っていないけれど
「偉そうなこと」はやっていたりするので、結構実態とは違う。

実際の私ってどんなんかというと、
お財布を忘れて出かけることが週に一度はある。
先週は、商店街で1週間に3回もツケをし、これはいけない、と思っております。反省。

お財布がなくてお昼を食べられないことや帰りの電車賃が足りなくて途中駅から歩くなんてことも度々。
自分の忘れ物がひどいので、子どもの忘れ物の指摘なんて、絶対できません。

また、ボタンつけもできません。切ったり貼ったり縫ったり、何もできません。

毎日、毎日、いまを一生懸命生きていますが、前の日のことはてんで覚えていません。(なので、指摘してね♪)

20時には眠くなるし、19時になるとスイッチが切れます。
この時間以降は、家事が一切できません。
ちゃんと寝かしつけできたことは少なく、しょっちゅう母である私が最初に寝てしまいます。

すごく有能なひと、と思われていると、大間違いなので、これくらいでご理解いただけたでしょうか。

さて、そんな我が家のルール。自分のルール。

いくつかあります。

1.「毎日」やる子ども達ひとりひとりの家事:洗濯物を取り込む、お布団を整える、玄関をきれいにする

2.最低限自分ですること:パジャマは寝る部屋、脱いだものは洗濯機、食べたものは流し台、コートは掛ける
ごみはゴミ箱に捨てる(笑)

2.我が家に訪れる子ども達へのルール:宿題をやってから遊ぶ

3.週末に家族で行う家事:みんなでお風呂掃除、洗濯物をたたんでしまう

4.週末に仕事に出かける回数:月に2回まで

5.子どもの前ではPCは開かない

これらはすべてひと通り決まっています。毎日できなくてもいい。
でも毎日しようという働きかけはします。
週末毎回できなくてもいい。でもできる週末を増やしていたい。

できないことに固執しない。罪悪感は持たない、持たせない。

私は週末に仕事に出かける回数は「1ヶ月に2回」をルールにしています。
でもこの3か月間、できていない。自分で始めた研修を受けていて、勉強をしてきた。
だから、子ども達もそのことはよくわかってくれている。

取り組めない月もある。取り組めない日もある。それでいい。
でも、できるときはちゃんとやる。

5.の「子どもの前でPCは開かない」なんて今や全然意味ないよね。
全部スマホの時代だものね。でも私には意味があること、です。
(PCに届いたメールの返信は、ほとんどPCからするので・・・)
ちなみにすでに長男の前では、開く場合もあるようになりました。
長男が宿題をしているときに、私が原稿を打ったり、
そんなこともできるようになってきました。(成長・・・)

なんでできないことがあるのに、ルールを作るかと言うと、
それは
自分が楽になりたいからです。

「一応は、やろうね」というルール。
それがあることで、子ども達も最低限これだけはやろうという気持ちになるし、
私だって最低限これだけは守ろうと思う。

「時々できない」ことには腹は立たない。

でもルールがなかったら、いつも怒ったりしないといけないと思う。私はね。
だから、ルールがあることで、自分が楽になっている。

最低限やってほしいこと、だけをルールに入れてある。
ほんとに大したことじゃない。
でもたとえばパジャマがそのままになっていたら、
「自分でやること、なんだっけ?忘れてないかな?」
この一言で3歳の子も自分でササッと動ける。

「おもちゃを片付ける」なんて我が家の息子達にはまだハードルが高いので入れていません。
これは親も一緒にやること。もうちょっとできるようになったらプラスしていこうかな。

この次は「夢」について書きたい。次は5か月後、とならないようにしないと。汗。

便利さと豊かさの共存を目指して(街デビュー)

2012-09-26 04:38:15 | GYOGYO
私が街の一員としてかかわっている@pandunkさんによるイベント 街デビュー@和田商店街が今年も終わりました。

今年も、感動、発見の嵐だったので、改めて書こうと思い、過去の日記を読み返したら・・・
便利さはちっとも豊かじゃない
あれ、ほとんど書き尽くされていた!笑

↑ここにないのは、お風呂屋さんのこと。
今年はお風呂屋さんも行きました。お風呂屋さんも時々、とっきどきですが、我が家で訪れる場所。

でもやっぱり目からウロコでした。

昔はベビーベッドが5台も6台も並べて置かれていて、お母さんたちが互いに見守りながらまたお風呂屋さんの方々も見守りに参加しながら、交代でお風呂に入っていた。
いまはお客さんが少なくて番台にひとりしかいないから、気にはかけつつ、女湯に常駐はできない。でもその昔は、見守りだけに3人もいたこともあった・・・!!!

そうやって、みんなで育ちあっていた。助け合っていた。

ちょうどその前日に下の子が1歳未満(どころか6カ月未満!)の赤ちゃんを育てる2児の母3人と会う機会があって。そこで話題になったことが「どうやってお風呂に入れるか」「どうやって自分は洗うか」(⇒結果、ほぼ洗えない・・・)だった。

各家庭にはお風呂ができた。便利になった。いまやお風呂がある家が98%だそうだ。
でも、その分、大変になったことも各家庭で発生している。

ひとりで子ども2人(3人4人・・・)の子を入れるのはとても大変なこと。
いや、一対一だって大変だ。(旦那さんの帰宅が早い家はラッキーです☆)

もう、昔には戻れない。じゃあ、どうしたら、そのころの良さを今の時代に取り戻せるのだろう?

・・・助け合うこと。それだけだと思う。

うちには相変わらずよそのお宅の子がしょっちゅう出入りしている。最近お風呂まで入る子はいないけれど、でもいつだってウェルカムだ。

近くのママと銭湯に連れ立ったって行くのもいい。抱っこしていなければいけない時期は、うちは過ぎた。抱っこの赤ちゃんがいる人は、抱っこしてくれる人がいれば、ゆっくり身体を洗える、よね!

子どものころから家にお風呂があって銭湯の習慣がない私たち世代には、服を脱いで友人、どころかママ友とお風呂に入る、ということはなかなかにハードルが高い。でも、しかし。

それともう一つ。なぜ小さいころから家にお風呂があったのに、自分たちは今よりも子どもの頃、お風呂屋さんに行っていたのだろうか、とこの日その場で疑問を投げかけた。
すると、親はお風呂がない時代を過ごしているひとも多い。親には銭湯の習慣があったから、私達を連れて行ってくれた、と言ってくれた方がいて、なるほど!と思った。

親は銭湯の良さ、あの気持ちの良さを知っていたから、だね。

広いお風呂、それはまるで、温泉だもの。

先日、なんだかんだと降ったりやんだりで雨に打たれた日、身体がだるくて足元がとても冷えてる感じがして、子ども達を連れて銭湯へ。とってもあったまった。家のお風呂ではこんなにあったまらない。(銭湯のほうがいろいろお風呂があるから長時間入る。もったいないし☆)

銭湯はエコ、のポスターもあった。みんなでひとつのお風呂に入ること、のエコ。
銭湯に行く習慣がない私達世代では、このままでは、銭湯は存続の危機、だ。これは死守せねば。

15時に一番湯を狙い、並ぶおじいちゃん達、おばあちゃん達。笑いながら、悩み(たいていあちこちが痛いネタ)を打ち明けあいながら、楽しそうに話すお年寄りの姿。私もあんなお年寄りになりたいな。約束したわけでなく、銭湯に行ったらお友達のみよちゃん(誰だよ!)がいて、ああでもないこうでもないって話をして、小1時間はそこでのんびりする。そんな80代90代を送りたいなー♡

昔の時代には戻れないけれど、便利な時代にあった豊かさを、みんなで助け合える街の豊かさを、周りの人を慈しみながら育んでいきたい、と思った今年の街デビューでした。

今日はママフェスタでした。こちらのことも、また書きたいと思います。

どこで買い物をするか・・・

2012-09-11 01:17:42 | GYOGYO
今朝、夫とお買い物の話をしていて。
「スーパー派の方に、商店街やお店の良さをどうやったらわかってもらえるか」という話を振った。

夫はもろにスーパー派だった人で、今でもスーパー大好き。
でも「(妻が)こんななので、たまには行くようになった。肉と魚だけは店で買うよ」と。

でも「興味がない人に、商店街と親子のイベントがあるよ、と言ったところで来ないだろうなあ。商店街の会合に参加するみたいに聞こえるよ?」との指摘。

そ、そうなのか・・・

今日は授業参観でした。なんとテーマが「どこで買い物したか、2組のナンバー3を出そう」というもの。これまでの1週間、調査があって、毎日どこで何を買ったか、聞かれた。

それを今日は班ごとにベスト3を出して発表。さらにクラス全体でベスト3を出す、というものだった。

当然のことながら、グループごとのベスト3もほぼ全部スーパー、時々コンビニ、が入る程度。
クラスのベスト3も当然のごとながら、3位まで全部スーパー、でした。
個人店はうちの子がいれた票のみだった。
先生のお話は「なぜスーパーが人気か?」となる。

子ども達がわあっと手を挙げる。
いろんな理由がでる。

その中から受講参観に来ている母達に(この学年は父はいない。下の子の保護者会なんかだと平日でも多い。この話はまたの機会に)「スーパーを選ぶ1番の理由を選び、挙手して」という。

息子が振り向いて、「スーパー好きじゃないないから知らないよね」と大声で言われる。恥。

・安い 半額がある
・いろんな食料品がある
・生活用品がそろっている
・野菜がある
・ポイントカードがある

の中から母達が選びました。
思わず、メモしてしまった。笑

いろんな食料品がある、がダントツ一番だった。

そっか、なるほどなあ・・・と思ったのでした。

ってなにを授業で学んでいるんだ!?って。

今日の授業でなにを学んだか、というとワタクシ、メジャーぶって生きてきたけど(ぶってる???)こんなにもマイナーなんだなあと学んだ。

友達も結構いる。ママ友も。でもなかなか参加に結びつかない。
なぜだろう?って思っていた。

商店街がある、ということは

ちょっとした言葉で元気をもらえたり
車通りの多い通学路をちょろちょろ歩く子どもの安全を見守ってもらっていたり
何よりすごおおおく新鮮だし美味しい
お肉とかお魚とかスーパーで買うと子どもに「カタイ!」とすぐばれる

仕事の忙しい方が毎日お店で買い物をするのは難しいだろうけど
忙しいからこそ、お惣菜の日もあるだろうし、手作りの顔の見える方のお惣菜のほうが
ずっと安心ではないかな・・・

そして夫も大きく勘違いしていた、といったことは
「スーパーのほうが安い」ということだ。

確かに半額だったりポイントだったりいろいろ使うとスーパーのほうが
安いことだってある。
でも余計な物は買わないし、必要な物を必要なグラムで買えるんだ。

そしてスーパーもそうであるように、お店も安いものとそうでないものはある

選べばいいだけ、なんだよね・・・

すべてのお買い物をお店にする必要はないんだけれど、行けるときにさらっと
お店に行けるのがいいと思うんだなあ・・・

子どもの計算の練習にもなる。足したりひいたり。お釣りをもらったり・・・

私は、百人町で育った。今では韓流の街、だけれど、当時は
小学校から帰る道で、八百屋さんが桃やみかんやトマト、冬はお店の前で売っていた焼き芋なんかをよくくれた。ランドセル背負って、頬張りながら食べて帰った。

ちょっとぽやんとした果物や焼き芋もちょっと焦げたりしているもの。。。でもそれがおいしかった。

文房具屋さんも駄菓子屋さんもあって。とても楽しかった。

そういう経験があるからだろうか・・・

ずっとこういう心の触れ合う場所で買い物がしたい、という思いがある。

お店に行ったことがないひと、スーパーしか利用していない人がこんなにいっぱいいるのだと今日は本当に驚いたのだけれど・・・

最初のきっかけに街歩き。
子どもも一緒にお店屋さんをまわります。

お店のこだわりに驚くことと思います。
毎年、毎年、このイベントを機に、商店街が好きになる人が増えていっています。

今年も新たな出会いがあるように。

9月22日(土)または24日(月)のいずれか
詳細はコチラです

先日騒音問題(!?)でちょっと心がさ~みしーってなった時もやっぱり商店街に行って
おじちゃんおばちゃんに愚痴り、30年前に私も怒られたのよーとげらげら笑うおばちゃんと
胸のチクッを吹き飛ばしました。
(もちろん、できる限りは、気を付けますです!)


近頃のわたし

2012-07-26 04:16:01 | GYOGYO
先程つぶやいたことなのですが、gooブログの編集画面をポチッとしたら
「あの頃何してた?」という文字が出てきて、昔ブログにUPした写真が
自動的に出てくるというサービスが始まったよう。

懐かしすぎて笑っちゃいました。別人すぎて苦笑いです。子ども達がものっすごい成長していてびっくりでした。

お店の頃の写真が多くて、それもとっても懐かしく思い出しました。

この間、日本語教師の頃の話をしていて、「年をとったらまた始めるの?」って聞かれました。マレーシアの日本語教師時代の話だったのですが、夢中でしていて、「だってそんなに楽しそうに話すんだもの」と。ちょっと驚いたなぁ。

日本語教師もその後の国際交流の仕事もお店の仕事も、それはそれは楽しかったし夢中になっていたけれど、戻りたい、という気持ちは全然ない。それぞれにやりきった感がある。

もちろんそれぞれの諸先輩方を前にやりきった感なんて言えないけれど、でも「自分の今やるべきことではない」、というのが確かにある。

今、やるべきこと、をその時々で一生懸命やっている。今も、もちろん。

その時々の、ちっちゃな夢、を叶えている。そしてまたおっきな夢、が胸の中にある。今も。

どの仕事もどんな経験も本当に無駄になっていない。ひとつひとつが自分の糧になっている。

10代であれだけ苦しまなかったら、
20代であれだけ全力で仕事をしたりあちこち旅行したり、無駄だと思えるあれもしたりこれもしたり(笑)をしていなかったら、いまの自分はなかったなあと思う。

だから、戻ることは、ない。

ここのところ様々なご縁でいろいろな役割をさせていただき、本当にありがたい。
先日は『知ろう!小児医療 守ろう!子ども達』の会での私が、
小児救急看護認定看護師さんになる看護師さんたちのための養成課程で登壇。
3年前に私の講演を聞いてから、講義内容に含めるべく、ある方が何年も
働きかけてくださっていた。
しかし民間人を入れるという許可がずっとおりず。
ついにその方が今年私に講演を依頼してくださったとき、
「夢が叶いました」と言ってくださった。

いろいろなところで、自分の知らないところで、活動のことを熱心に伝えてくださっていたり
働きかけてくださっている方がいることを、時々、知る。本当に胸の熱くなることです。

医療市民マイスター事業はOrinasとして栗橋病院で活動を開始すると先日の日記に
書きましたが、先日初めてシンポジウムでOrinasを紹介する機会をいただいた。

様々な病院の院長先生等から、「栗橋病院いいなー自分のところでもやってほしい」といった半分冗談交じり、でも「頑張ってね」とお声をかけていただいた。

でも、このマイスターの話を、2年前にした頃、「いいね」って言ってくださる病院の方って本当にわずかで。病院関係者だけでない、とにかくたくさんの人に「難しそう」って言われた。

2年前の夏に病院を訪れた時と同じ濃く青い緑色の田んぼを見ながら、そんなことを思い出していた。

新しい挑戦を言いだす人(←私)はそんなに難しいことじゃない。
でも、その挑戦に賛同し、応援し、背中を押したり、周囲に根回ししたり、
形にしてくれる人がいるからこそ、新しいことが進んでいくのだと思います。

先日も栗橋病院で、医療者がいかに心を尽くして医療にあたっている人が多いかを
感じました。そしてまた、それでも患者さんとすれ違ってしまう悲しい現実が多く
あることも感じました。

すぐにすぐ何かお役にたつことができるだなんて思っていません。
でも時間をかけて、ああ、こんなに医療者が頑張ってくれているんだ、
患者さんもこんな風に思っていたんだ、そんなことが互いに分かり合えるような
瞬間がほんのちょっとでも訪れますように、と願い地道に活動を始めます。

いつも背中を押してくれるひと
たくさんのひとに伝えてくれるひと
細かいことをいっぱい引き受けてくれるひと
優しくあったかい言葉をかけてくれるひと
夢を形にしてくれるひと
いつも気にかけてくれるひと

みんなのおかげです。ありがとう。

病院にかかわる人々がいまより少しでも明るい気持ちとなれますように。

いのちって本当にはかない ママイキからも学んだこと

2012-04-05 00:18:43 | GYOGYO
約2年前2010年6月12日のブログは、「いまの」私の夢、という日記。

「医療者と患者の架け橋になりたいです。
将来、今とは違った形で、もっと直接的な方法で、実現したいと思っています。
医療者は患者の思いを知ること。患者は医療を知ること。互いのほんとうの気持ちに気づくこと。その橋渡しを。」

将来、と書いていますが、この春から、医療市民マイスターという形で当時の夢を現実に実践している 道の途中、です。

もう、これは、すでに、自分の気持ちの中では、「夢」ではなくなっています。
(夢のように思い描くことは多々あれど、ぼんやりと思い描く夢、ではない、の意です。)

この日記を書いたのが今回、医療市民マイスター講座にも登壇いただいた山崎洋実コーチの講座を受けた後、のことでした。

山崎洋実コーチのママイキといえば、私は「斜に構えてた人」で名高い。(なんじゃ、それ)

当時、子どものことに悩んでいたわけではない私でしたが、人間関係でかなり悩んでいて・・・。
受けてみて、人間関係と時間の使い方、がガラリと変わりました。


まず、人間関係、です。

夫の両親との関係、ガラッとよくなったとかなり以前にも書いてありますが、ついに、ついに、先月、言いました。伝えたかったことを。

Twitterでもつぶやきましたが、
「あなたの息子が家事育児を”手伝う”という感覚が一切なく、夫婦が協力して行うものだと考えていることは、あなたが子育てしながら一生懸命働いてくれたお陰。私はそのことに非常に助けられているし、本当にありがたい。」

お母さん、泣いていました。
当時、農家以外でその地域で(田舎です)働いている人はいなくて、「そんなに金がほしいのか」と言われたこともあったそう・・・お母さん、私たちの想像が及ばぬくらい、頑張ったんだ、と思います。

夫の両親は、自分の両親より10歳以上年上ですが、本当にいま言えてよかった。こういう気持ちになれてよかった、と思っています。
山崎洋実コーチの講座を受けなかったら、私は一生、姑とはうまくいかなかった、と思っています。
私は本当に夫のことは大好きだけれど、夫の姓を”断固”名乗りたくないほどに、夫の両親とはうまくいってなかった、のです。(いまは名乗ってもいいと思っていて、いつか、そのうちに改名しようかなーなんて思ってたりもする。)

あの、ママイキ4回目の「区別の回」の帰り道、目からウロコなんてもんじゃなく、ガラガラドッシャーンどっかーんといろんなものが自分から抜け落ちて、あの日以来、自分と他人の問題をごちゃごちゃにしてしまう、ということはなくなりました。

私は、先の日記↑にもあるように、いい意味でも悪い意味でも、他人に起きたことを自分だったらどうだろう?と考える癖のある人間で、それが日頃から、いいようにも悪いようにもはたらくのですが、考えることは今でもするものの、問題をごちゃまぜにする、ということは一切なくなった、と思います。

あの、帰り道、から。

一緒に受けた複数の方から、「なんでそんなにいつも落ちるの?」(ストンと落ちて自分のものにしてしまうの?)と聞かれますが、それはたぶん、頭で一切聴いていない(心で聴いている)、ということと、とことん自分のものにするまでやってみる、ということではないかと思っています。
これも、上の日記↑にあるように、初回から二回目までの2週間の間に私は「じぶんノート」に30枚位自分のこと掘り下げて書いているんですよね。

いいな、と思ったら、とことんやってみます。だからこそ、あっちこっちいろんな”手段”を探す旅に行かなくていいのかな、と自分では思っています。

話がそれました。大切な変化、もう一つ、ありました。
時間の使い方、です。
やりたいことがスッとできるようになりました。
それはもう原因はひとつ、人間関係で悩まなくなったから、です。
それまでの私は、やりたいことがいっぱいあるのに、人間関係でばっかり悩んでいました。
でも、もう、やめました。

これは、ママイキ5回が終了したときに書いた2010年3月の日記にあるように

===

時間は限られている。
人は常に死に向かって一歩一歩進んでいる。
寿命は昨日より確実に一日短くなっているのだ。

あなたは自分のやりたいこと・やるべきことに、時間を費やす。
あなたはあなたの限られた時間を永久にどうでもいいことに費やして、
死を迎えるのか?
それを選ぶのはあなた。
あなただけが選ぶことができる。
目の前に問題がやってきたら常に問おう。
「これは誰の問題なのか?」と。

===


自分の限られた時間を人間関係で悩むことに費やし、やりたいことができなくなっていいのか?ってこと、
もうこれに尽きると思うのです。

↑この日の日記、山崎洋実コーチの下にコメントくれた・・・ 
中学校の同級生のひびきちゃん、いまはもうこの世にはいません。

白血病で、3度も移植をして、本当に本当に苦しい痛みに耐えながら、それでも私たちを笑わせ続けてくれました。
病室に行ったとき、それは20年ぶりの再会だったのだけれど、とてもとても激しく苦しい痛みに耐えていたときだったのだけれど、中学時代と少しも変わらぬ色白のひびきちゃんが、私を見て、本当に信じられない、と首を振り、あのちっちゃくてかわいかったGYOっちゃんがこーんなお母さんになっちゃったのねー!と苦笑&爆笑していた姿を、今でも思い出します。

まったく、失礼な。天国に行ったからって許さないんだから!

いつも彼女は私に笑いとそして痛みに耐えぬいて死ぬ、ということの意味、と命ははかない、ということを身を以て思い出させてくれる大切な存在です。

なんだか話があっちこっちに行ってしまいましたが、山崎洋実コーチ(2年後の)ママイキ卒業の門出に際しての、応援日記でした。(これでも!)

※今日の日記はリンクがいっぱいですが、よかったらお暇なときにリンク先も読んでみてください。思わぬ発見がある、かも!?※

2012年の抱負 今年も宜しくお願いします

2012-01-19 02:35:22 | GYOGYO
年が明けました。

昨年の振り返りも新年の抱負もまだ語っていないというのに、もう明日で20日になってしまいます。
ブログとか「告知用」みたいなのっていやだなと思っているのですが、自分のブログが
そんな状態・・・いけない、いけない。

140字のつぶやきという名の吐き出しで、満足してしまっている今日この頃です。
でも、とっても久しぶりに会った方に「ブログも忘れないでね」「楽しみにしているんだから」と
言ってもらって、嬉しいなありがたいなと思い、久しぶりにこちらにやってきました。


やっぱり、ここは落ち着きます。何となく。もう8年近くやっていますからね。


さて、これは↓昨年の年頭の日記。

「毎年している通り、今年の目標、書きました。昨年の目標を見てみると、笑ってしまいます。
叶っていることばっかり(笑)。言ったもん勝ちですね。

今年は
「自分自身を整えて、日常のひとつひとつを丁寧にこなし、夢に向かって一歩進む年」

細かい目標はズラズラズラと書いています。おー来年にはこれが叶うのか、
と思うと嬉しくてにやけてしまいます。(なんて前向きな!)

キーワードは「整える」かな。

内面も外面も。一年かけていっちょ整えていきたいと思います!」
以上。


・・・

ううむ、整ったのだろうか。日常の一つ一つを丁寧にこなしただろうか???
ちょっと疑問の残る年でした。
でもある意味では、整ったのかもしれない。
跳ぶ、ための準備。

・・・

昨年は誰の胸にも忘れられない震災があって、
こんな私ですら、ある一時期は、耳をふさいでみたり、過剰な程心配が心をとらえたり、
「批判する人を批判、する人」を非難したくなる気持ちが芽生えたり、
ぐちゃぐちゃしたり、山ほど泣いたり、様々な感情を味わった年、でもありました。

様々な葛藤の末にたどり着いているのは、
やはりひとりひとりはかけがえのない存在で、
みんな、ひとりひとり、キラキラした素晴らしいものを持っていて、
それはあなたも私も。
あなたも私もそのまんまで、おっきなマル。
優劣じゃなく、そのまんまで、みんなそれぞれ本当にすごいものを持っていて
それがそのまんま出せる、そのまんま花開くように、願っているし、
自分もそうでありたい。

周りの人も、遠くにいる人も、家族も。

そんな当たり前だけれど、自分も人も丸ごと受け止める、というからだ、こころが
育って・・・んなエラそうなもんじゃなく、まだ育ってはいなくて、
そうでありたい、という気持ちが育って」いるように思っています。

保育園でも母に今年の抱負、の宿題がありました。

こちらでも、書きます。


●「ゆとり」をもつ。

そのために、

●家にいる時間を可能な限り増やす。


すっごいちっちゃい目標?笑 これなら叶いそう?爆

でも自分にとっては大事な大事な目標、です。

今まで、本当に出ずっぱりだったし、忙しかったし、様々なものを
何年もインプットしまくってきました。
今まで学んだこと、気付いたこと、感じたことを、今年はきちん、きちんと出していきたい。
そして、「出す」ためには、時間が必要です。
入れるのはもう十分。(もちろん学びは継続するけれど)

きちんとそのためのspaceを作りたい、と思っています。

家は私にとっては職場でもあります。
日中、忙しすぎて、出ずっぱり。そして作業はほとんど夜~明け方、ということが
もうかなり続いていますが、これも見直したい、と思います。


新しいことを始めます。
始める前に、それに耐えられるだけの場所を作る。
いまやっていることも、新しいことも、家族も、友人も、
大切に、大切にするために、ちょっと空っぽの時間と場所(心の)が必要です。


ほんの少し、じっくりと、「出す」ことに意識を向けて、そのために
時間を使っていきたいです。


新しく始まることは、もう目の前。
たくさんの、支えてくださる方に手を合わせ心から感謝をしつつ、
ともに楽しんで進んでいけたら、と思います。

お正月にひいたおみくじ。
時間はかかるがかならず目標をとらえることができる。
英気を十分に養って事にあたれば吉
ゆとりある心が良い



頭の中で行く道すがら
「英気を十分に養わなくっちゃなー」と思っていたら、出た「くじ」がそれでした。

英気を十分に養って、ゆとりある心で、事にあたろうと思います。
もう20日も過ぎようとしていますが、今年も宜しくお願いします。

皆にとって、よい年でありますように。

豊かさのこと こだわりのこと

2011-10-08 02:44:44 | GYOGYO
前回の日記で書き忘れたことに、いくつか補足、です。

その前に、前回の日記を書いた水曜日は、いつものように携帯の充電がなくなり、pan no meで食した絶品なバインミーをたまちゃんに撮ってもらったのだ。



ありがとう。こうしていつもiphoneになろうがどうなろうが、みんなに支えられて充電切れてから充電入れる、人生を送っております。苦笑。
結局、ほんと、本質はかえられないのよね(by ママイキ。これはほんとに真だなあ。)☆抵抗はしてみたりもするけど。

もとい。

前回の日記、前回の日記。

消費行動について、の話。
大事なポイントに触れるのを忘れてしまった。
お店のこだわり、の話。


自分たちもそうだったけれど、明けても暮れても、当時はラーメンのことを考えていた。
いまは小児医療のこと。小児医療を取り巻く環境のこと、かな。

食でも医療でもどんなものでもプロというか専門性というか、そういう人たちにはかなわないって思う。
毎日毎日そればっかり考えている方のこだわり具合がとても好きだ。

農家なんて行くとすごいところあるよね。1年365日休みなく畑!といった・・・
どうやったらもっと甘くなるか、どうやったらもっと美味しくなるか、もうあらゆる策を練りまくり、の農家さん。休みなく・・・。「その野菜が好きだから。もっと活かしたい」と・・・。

もう、感服。なんです。

だからそのこだわりを、おすそ分けしてもらう。

お肉屋さんに行って、そのお肉の一番美味しい食べ方を教えてもらえる。
お魚屋さんに行って、今日一番の旬を習う。

こだわりを聞けば、ただただ驚くばかり。

何十年もやっててお店屋さんにとって当たり前になっているこだわりを引き出す。
そういうお買い物はとても、楽しい。


時々、本当に、ごくたまに、あれ?というお店もあったりする。
安かろう悪かろう。。。
でもそういうことは、あまり、ない。
この時代に生き残っている、というだけでやはりそれ相応の努力やこだわりがあってこそ、なのだ。
(ごくたまにある、「あれ?」というのは医師にもあるよねーふふ。)

もともと。小さなお店や商店街が好きだったのだけれど、このイベントでぐいぐいぐいっとその引き出しを開けてもらった。

もしまだ出会ってなかったら、ぜひ。この秋もやるみたいですよ。(リンク先は昨年の模様だけれど、今月末には告知がある模様ですぞ)おススメです。特に小さな子を持つ親御さんには体験・体感してもらいたいなあ、商店街の良さ。目からウロコの、感動的な出会い。

あ、最後は告知みたいになっちゃったけど、一緒に街やお店と(私も)育っていきたい、(子らにも)育って行ってほしいなあと思うんです。
わが町、わが町、なんて言ってるけど、住んで二年目!爆

豊かさのこと ちいさな幸せ

2011-10-05 11:35:48 | GYOGYO
今日は”cococi”で小児医療の会・事務局のMTG。雨なのでみんなが遅刻してくれたお陰で(私も遅刻☆)、
時間に空きができ、ただいま”ぱんのめ”でブログを書いております。仙川に生まれた幸せな「ハシゴ」。

あたたかい空間。ほっとするお店。やわらかなひと。美味しい飲み物。幸せな食べ物。

なんとも幸せ。


ずっと書きたい、と思っていたことをこの場所でつづれる、ということは幸せです。

前回の日記でも前々回の日記でも書き残してしまった、豊かさのこと、です。

豊かさ、なんていうとエラそうなんだけれど、そんなエラそうなものでもなく。


自分が商売をやっていたからだろうか。
親が商売をやっていて、小さいころからそれを手伝っていたからだろうか。

もともと、個人店を応援する、という気持ちがとても強い。

外食はできるだけ、個人が経営しているようなお店(いわゆるチェーンではない)を選ぶ。
カフェもできるだけ個人店を選ぶ。
お肉やお魚、野菜もできるだけ、八百屋さん、お肉屋さんで買う。
文房具は文房具屋さんで。
本は本屋さんで。

できるだけ、できるだけ。
もちろん、すべて、ではないけれど。

私にとっては、とても大切なこと。
同じお金を使うのなら、そういうところに使いたい。

だから、行ったことない場所でご飯を食べそうなときはかなり、あらかじめ、行く前に探す。
もちろん時間がなくて、チェーンのお店に入ることもある。
別にそれはそれで、どうということはない。
スタバも好きよ。

でも個人店はもっと好き。

AmazonやASKULはほんとに便利だ。夜注文して朝届く。信じられない。素晴らしい!!!
確かに近くの本屋さんには読みたい本がなかったりもするけれど、この書店を通じて、注文する。時間もかかるんだけれど。この本屋さんがなくなったらいやだなって思うから。

Amazonの素晴らしさは、大手の素晴らしさは、こういうとこ。
来年3月に宮城にコールセンター、雇用は1000人!ほんとにすばらしいよ!!!大拍手。
こういう企業にはほんとに成長・発展を期待します。


なにを食べてなにを買ってなにに囲まれて過ごすか。
わたしの消費なんてとてもちっぽけなんだけれど、自分自身にとっては大きなことで。

ちっちゃな豊かさを感じる瞬間瞬間だったりしています。

わが街の商店街は10年後になくなる、と聞きます。
15時過ぎると誰からともなく、お店の人が通学路である商店街にうろうろと出てくれます。
青梅から環七に抜ける道でもあるため、車通りは結構あるのに、あっちこっちと子ども達はふ~らふらと。
そんな子達を注意したり見守ってくれたり。

時々通ると、「長男、いま帰ったよー」との声。
ギュっと胸が締め付けられる。嬉しくて。

本当にいやです。なくなったら、本当にいやです。

「淘汰されて然るべき」と産婦人科の閉鎖について、あるお偉いさんは言ったけど、お店もクリニックもそんな風には思えない。

もちろんすでになくなってしまった町も多くて。田舎に行くと大きなショッピングセンターしかない、という地域はいくらでもある。病院もしかり。

ほんとうは、そこは誰かの安心の源だったりするのだけれど。
ちいさな幸せを守っていきたいなあと思うんです。


それは私にとっては小さなお店で顔なじみのお店でどうしようおなくたわいのない会話をしたり、地震の後にはおばちゃんおじちゃん達と涙目で励ましあったり、日々の疲れを吹き飛ばすおじちゃんおばちゃんの「ママ、いつも頑張ってるね!」なんていう声掛けだったりするのです。

小さな消費からこつこつと。

だから歴史は面白い

2011-09-18 07:11:54 | GYOGYO
本日、2本目ーやったー!

歴史好きなことを書こうとして、以前書いた交通事故にまつわる話を探してみる。
自分が書いたものをめったに読まないのだけれど、やっぱりこうして残してあるのはいいよねえ。
私のように時々携帯やPCが完全故障しちゃうひとには、写真も内容も貴重だわー。

こうして自分が書いたものを振り返ってみると、変わった部分もあるし、変わってない部分もある。
大きく変わったのは、昔は話の中心がお店のこと、だったことかな。

携帯が壊れましたーとかは、全然変わってないやね。

自分の書いた記事で、笑ってしまったり。
「龍さんが鍵を持って出て行っちゃったよ」

ツイッターもいいけれど、ブログもいいねえ。

で、本題の「小学一年生での交通事故」のお話はココココ、先生とのエピソードはココにもあるように、結構書いているので詳しくはここでは省略。

入院中、ヒマでした。

おさるのジョージ全巻買ってもらったり、日本の歴史全巻、日本の偉人全巻、買ってもらって読んだ。
(ジョージは親からだったけど、お見舞いの人に何がいい?と聞かれると、次の巻を答えるちゃっかりな小1女子。)

それから、歴史にはまり、中学時代はどハマリ。これも以前に書いたのだけれど、今でも卒業生から文章集めて文集作り(時々寄稿してます。)、自転車で配達している80を超えた社会科のツワモノ先生の歴史の授業が、大変に大変に面白かった、ということもとても大きいと思っている。

(同じ中学校にいて、三年生だった姉が歴史の授業がつまらないつまらない、と嘆いていて、その先生はただ教科書に書いてあることを黒板に写すだけ、と聞いて驚いたのだが、当時一年生だった歴史の時間に代行で来られた時にその授業を実際に受けて、本当に驚愕した・・・)

そんなわけで昔から歴史が好きで、いまでいえば「歴女」ということなのだろう。
何しろ高校3年の卒業旅行は、ひとりで高知・京都・長崎をまわった。それは「龍馬さんの足跡を訪ねる旅」
歴女?そんなかわいいもんでもない。

で、私が何を書きたいか、というと。

この歴史好きな過程で、気づいてしまったのだ。

「いま目の前にあることは、それが昔からそうであるかのように感じられることはあるけれど、実際にはそうではない」ということに。

ははっみんな、そんなの、気づいているからもしれない。

いまの時代と同じような時代も過去にあったり、その逆の時代も過去にあったりする。

歴史の中でそういうことは繰り返されている、ということ。

たぶんみんな気づいているかもしれない。

でも私には、このことはとても大きな意味を持つ。

いま現在の課題が、過去のどこかで何らかの解決方法でもって、解決されたことがある、ということを知るということはとても面白い。

例えば、男女が平等に近い時代、男尊女卑の時代、そういうものは時代時代で結構違う。
「日本は歴史的に男尊女卑だったから」みたいなことをいう人がいると、日本っていってもさあ・・・と思うのです。

平等、というと評価が難しいけれど、女性に大きな発言権がある時代とそうでない時代、とか。

昭和の時代にできていないことが江戸の時代にはできていたことも、たくさんある。

江戸時代にはそうでなかったことが、室町ならふつうであった、ということもある。

平成の時代ではすでに過去となってしまったよい習慣が昭和にあった、ということならわかりやすいかもしれない。

「できていない」というのはなんだか表現がよくないのだろうけれど、こっちをとった結果こうなってしまった、みたいなこと。

歴史の中に様々な課題は眠っていて、その度に奮闘した方がいて、解決していく・・・

だから、歴史は面白い、と思うのです!古くて新しい。新しくて古い。
そんなわけで?日曜日の20時は週に一度の決まったテレビを見る時間なので、連絡はそれを避けてください。苦笑。

胸いっぱいの一日

2011-08-23 22:53:28 | GYOGYO
今日一日の話と、学童の話、と好きな歴史の話、そして新しい事業の話・・・いろいろ書きたい!のだけれど、まずは寝た後は忘れてしまう今日一日起きたことの感謝を。



ツイッターでもちょこちょことつぶやいていますが、小児医療の会サービスグラントさんの新しいプロジェクト(HP&リーフレット制作以外では初)に申し込みをして、チームの方に「講座開催マニュアル」を作成していただきました。

会で講座をしてきて4年、様々なルールもできてきたし、とにかくたくさんの書類もできてきていました。でも、その在り処はバラバラだったし、時には私の頭の中だったりする、現状。

会のメンバーの丁寧でかつ大いなる応援を受けて、半年かけて無事完成となりました。52ページもの大作!
これから、関わるメンバーの皆が少しでも楽になるように、メールをひっくり返さなくても講座が開催できるように、そしてそのことで会はさらに発展していく、「会の発展」すなわち小児医療の普及が進んでいくことを願います。

あああ、、、ここまででこんな長い、、、



そしてその後は、地方の会員さんとのスカイプMTGでした。これはiSB公共未来塾でプログラムオフィサーとしてお世話になったマドレボニータのマコ先生からご教示いただいたこと。

そして、この資料も一般公開!太っ腹です、マドレ。

地方の方と交流する術はそれまでメールやML上でしかなかったので、声を聴いて思いを受け取ったりできるようになったことが、とてもありがたいです。



その後、仙川のcocociへ。

HPより・・・
「子どもがいる暮らしの中で、自分が暮らす地域の中で、ゆるやかなペースで働くこと。
ゆるやかなペースだけど、本気で働くこと。
両立できそうで両立しにくい、このふたつの事を可能にするために
知恵や経験、資源や人材を持ち寄る場です。」

とっても素敵な空間で、がしがし仕事を進めたいときも、仲間とMTGしたいときも、様々な場面で使うことになりそうな、予感☆
おっきなチラシを印刷したり、スペースを借りたり、業務を委託したり・・・さまざまな関わりができそうです。期待!です。




そして、cocociからわずか数分の(仙川が熱い!いい街だねー)、ぱんのめ開催のIDOへ参加。

様々な活動を、お仕事を、今している、これからしようとしている、女性達と、いい感じに距離も近まるお部屋で、仙川名物!ぱんのめのとびきり美味しいスイーツとむちゃくちゃ美味しいお茶をいただきながら、あれこれトーク。皆さんのお話が本当に本当に大切なことで、いろいろ勉強になったのだけれど、「何が嬉しくていまの活動をしていて今後どうしていきたいか」というビジョンを夫と共有しているか、という話が出て、矢に刺さる。

子どもにはちょいちょい話すんだ、なぜやっているか、といったこと。夫には愚痴ばかりになっちゃってるな、と反省。
でも彼はいつもいつもひと通り聞いた後、「すごいね」「すばらしいことやってるんだね」とわかっているんだかどうだか、の感想なのだけど、改めてもっとこういう風にしていきたいーを話そうって思ったのでした。(話したよ♪)

あとはお金のこと、もうちょっとびしっとやろうと誓う。そのために、行ったのだと、確認する時間でした。
できることを(大したことはできないけれど)しないことは、とても気持ちが悪い。きちっとやろう。



そして、急いで帰宅。
地元商店街のお店で、わが街盛り上げ隊長!PONさんと待ち合わせ。学童の時間に間に合わないことが明らかだったので、長男はお店へ直行でね、と朝から告げてあった。

ちょっとした手違いで長男は早く着いていて、30分はお店で一人で待ち、その後の30分は二人でお店で待ってくれていたー

お店にいいよー♪とあったかくいさせてもらえることもありがたいし、一緒に待っていてくれる友人の存在も、一緒に待てた長男も、なんだか、どれも、とてもかけがえのない、出来事でした。

ありがとう。
やかまし村の村民三名がいたので、ゆっくりはお話できないけれど、このやかましさともお付き合いしてくれる人がいるのが、ほんと、嬉しいのです!



話はあっちこっちに行ったけれど、今日は本当に自分の活動もそして子育ても多くの人に支えていただいていることを感じて、本当に胸いっぱいなのでした。

ありがとう。これからも頑張ります。

子どもの頃好きだったことを夢中で、とことん!

2011-08-18 06:02:32 | GYOGYO
今年は家族と行った伊豆、実家族で行った伊香保、友人家族と行った秋川渓谷、と楽しみました。まもなく終わる長男の夏休み、秋川が最後の遠出、となりそうです。

そのどこでもやっていることは一緒で。海、プール、温泉、プール、川。水ものばっかり。


子どもの頃好きだったことを思い出したり、どんな形であれ今も継続してやってみるのがいいっていうのは、よく言われることですよね。

そしてそれは真だなあ、といま思います。

自分がワクワクすること、それは、なんてったって、私にとっては水の中にいることです。
あのキックをして全身が伸びたときの、スーっという、すべてが無になる感覚、子どもの頃から本当に大好きでした。

交通事故の後遺症で当時猛烈に痛かった足が、水中だと痛くない、ということも大きかったです。

それもあって、とにかく夢中になって泳いでました。

強化選手になってから、苦しいこともあったけれど、でも競泳をやっている間は夢中でやっていました。

でも、これ以上もう競泳では伸びない、となったときに、シンクロに転向、それからは本当に苦痛でした。

水が好きだったことも忘れ、むしろ嫌いに。

結局、親のフリをして先生に手紙を書いて印鑑押して、ズル休みを何回か。何度か騙すも、親・コーチ双方にばれ(そりゃあそうだ)それでもしばらくは嫌々続け、結局辞めました。

一生懸命やってきた最後、としては残念な辞め方でした。

記録が伸びなくても、競泳にいればよかったんですけどね。そういうことがうまく伝えられなかった。コーチや親の期待なんかもわかっていたし。

小学校でも中学校でも泳げないクラスメイトを夏休みの間にプールに連れ出しては、皆、泳げるようになっていったのを覚えています。関係ないけど、この同じクラスメイト3人に、英語と数学も教えていました。懐かしいー。いまじゃ(今後、息子の宿題でつまずきそう!)教えてもらいたいくらいよー。

そんなこんなで、その後10年位は水が好き、泳ぐことが好き、ということを封印した時代もあり。なんとmixiの紹介文にそのことに触れてくれた友人がいて、いまじゃすっかり過去の栄光みたいで格好悪いからその部分は削除して、とお願いするほど・・・情けない!(←10年位前の話)苦笑。

日本語教師になって、採用試験を受けたとき。
タイのバンコクとマレーシアのサラワク州、両方受かって。
どちらにしようかなって思ったけど、都会は生まれ育った東京で十分、っていうのもあったけれど、サラワクなら泳げる?という期待もあり、後者にしたのでした。

朝、現地日系企業のひとに日本語を教え、午前・午後と大学でクラスを持ち、夜は観光業のひとに教え、深夜に教案作成、という超、超、ハードな仕事だったけれど、それでも午後の授業が終わった後30分でも泳いだり浮かんだり・・・してました。懐かしい、15年も前の話。国境を超えるチャレンジをしたのもこの頃でした。

夫は水が大嫌いで。
彼は水辺で寝転ぶのは好きなので、ハワイでもタヒチでも沖縄でも神津島でも新島でも川でも・・・とにかくどこでも、私は泳いで彼は寝転んで、でした。
まあ、いっか、と思いつつ、なんでこのひとと結婚したかなー?と悔やんだことも。笑

でもそんな夫も、私と子ども達3人のお水好きに感化されたのか、以前は赤ちゃん担当として浅いプールで子守として大活躍してくれていたのに、いまや泳ぎたがります。変わりように驚きます。今日も川でがしがし泳いでてビックリしました。

毎週土日、家族でプールに行くのは、基本。映画に行くときも、プールを終えてから、という状態。

この間なんてとしまえんのプールに行くのに、子ども達はいつも通り、公共プールに行ってから行こうとするから、それは違うでしょ、と笑いました。

昔の友達も、とりあえずここに来ればいるのね、と中で待ち合わせる。


いま、また、本当に自分の好きなことを純粋に楽しめています。

自分のワクワクを最大限大事にしていると、子どものワクワク、夫のワクワクが最大限大事にできるようになる、と思います。

泳ぐのも好きだったけど、泳げなかった人が泳げるようになる、というのがとても嬉しくて、ここ2年くらいは長男の友達を連れてはちょこちょこと教えています。

みんな潜れるようになったり、泳げるようになったり、素敵。

でもわが子にはうまく教えられないわぁ。
昔、あんなにクラスメイトに教えるのうまいって言われたのにねー。

つい力が入りすぎてしまうのか・・・

でも昨年までめっきりだった次男がかなり泳げるようになったので、嬉しいです。泳法なんてめちゃくちゃだけれど、潜るのが楽しくて距離を伸ばすのが楽しい様子を見ていると、泳法とかどうでもいいわって思っちゃう。
三男もばっしゃーんと潜るの。笑っちゃいます。

今日一緒に秋川に行った長男の友人は、お水が大嫌いで授業の度に仮病を使うような子だったのに、この夏で本当に変わった。水の気持ちよさに本当に目覚めた、といっていいと思う。川でも浮き輪をつけて連れてってー引っ張ってーと来る。私にはそれがとても眩しくてとても素晴らしい気持ちになって、帰ってきました。カッコイイぞ。

もちろん野生児・長男はガンガン潜って魚つかみどりしてました。マス、美味しかったです。


昨年受けたママスペでお金・時間に制約がなかったら24時間何をするか?というお題で、南の島でとにかくどこまでも泳ぎたい、とした私ですが、いまは日々、自分のホーム(?)でそれができています。

もう昔のようにkmなんて泳げないのだけれど、いまのペースで続けていればまた楽しみながら距離は伸びていくと思っています。

やっぱり私は海女なんです。笑

また「自分が大好きなこと」の話は、いつか・・・歴史好きな話、に続きます。


※もちろん・・・心配がないことはない。
でも自分がここまで、と考える線量を超えない限りは好きなことを子ども達として笑っていたいと思います。ドイツ在住の友人にこれ読まれたら怒られますが。

そして、だからこそ、尊い海や川を、自然を壊した原発が憎いし、水遊びはもとより外遊びすら規制されている地域があることがたまらなく苦しいです。そしてこちらについても、できることをやっていきます!

終わりが近づいてきました

2011-08-05 01:33:29 | GYOGYO
先日ブログに書いた新事業のキックオフ、身近な方がたくさん申し込みしてくださっていて、本当に嬉しく思っています。

ちょっと勘違いを生む表現があったかと一点、補足。

母のくだりがあったので、今回の講習会で、救急の現状や病院の利用の仕方、などを学べる、と思ってきてくださる方がいるかも・・・と。

それはまた別のお話、です。こちらも準備中。

今回の講習会は、医療者と患者の対話について、を取り扱います。
これは夫婦、親子、職場、どの関係でも役立つもの。
楽しみにしていてくださいね

ところで。

毎年、夏は伊豆、冬は伊香保、へ行ってます。今年は夏も伊香保もあり。

いつも温泉三昧。

温泉大好きな母&子ども達、です。

毎年、やれ走るな、やれ泳ぐな、などと注意しつつ、あっちを洗いこっちを見守り、気持ちいいー最高ーとワイワイガヤガヤ・・・すみませーんの女風呂でしたが。

そう、今年はこの騒がしさは男風呂で、でした。

三男(2歳)はまだ時々はくるものの。
あと2年もすれば、完全にひとりで堪能できるんだ・・・と急に実感わきました。

当たり前っちゃ当たり前なことですし、寂しいとかそういうのとも違うんですがね。

ひと言で言うと、

ほんといまを大事にしなくちゃーーー。って気持ち、です。

全員見事に巣立っていく、ことを実感した旅でした。

とにかく伝えられることは伝えなくちゃ、と。

いつにも増して大好きだよ、大切だよ、光線

食事中も、お風呂でも、寝るときも、もうしつこくしつこく、触って、伝えて、うざがられ、笑われて、ます。

夜、腹筋競争で(もちろん私が負けます。)起き上がってくるたびに(息子達がかわるがわる足を支えてくれます)チューしようとしたら、本気で嫌がられたわー三男にも跳ね除けられたー