『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

講中椀セット

2022年05月16日 | 木地屋・轆轤師

 

 

かつて上平良の大原講中で昭和の後期頃まで使用されていた講中椀セットで明治37年(1904)3月に40セット位調製されている。昨日紹介したように廿日市・下平良で挽物細工が盛んに行われていたので地元で製造されたのは間違いなかろう。講中椀の使われ方は先に紹介しているので参照してください。

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轆轤細工の碁器が !

2022年05月15日 | 木地屋・轆轤師

 

 

物入れの片隅から轆轤細工の碁器が出てきた。昭和の中頃まで須賀町で轆轤細工の碁器を作っておられたのを記憶している。(下画像:図説廿日市の歴史より)江戸期から廿日市では挽物細工が行われており、椀や盆、木鉢、木皿などが作られたものとみられるが定かなことは不明である。大正期頃はけん玉などの玩具や宮島土産の挽物細工が製造されていたようである。

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厳島神社の反橋(曽利橋)

2022年05月14日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

厳島神社西廻廊の曲がり角から陸地側に架かる反橋で、瀟洒な勾欄と反りのある橋である。この反り橋に10ケ所の擬宝珠がありこの内1ケ所廿日市鋳物師が鋳造したものがみられる。刻銘によると安永5年(1776)3月に廿日市鋳物師の山田氏藤原貞利が鋳造している。解体修理前は廻廊側に取り付けられていたが、解体修理後はなぜか陸地側に取り付けられているのである。

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大願寺山門(楼門)

2022年05月13日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

厳島神社の西廻廊出口前にある大願寺の山門で江戸期の芸州厳島図会の絵図では南向きに描かれており、昭和20年代に現在のように東向きに移転されたようである。山門内の仁王像は要害山にあった仁王門に安置されていたものが明治維新時の神仏分離で当山門に移されたようである。

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三翁神社の鳥居

2022年05月12日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

厳島神社社務所の道路向かいにある三翁神社の鳥居で、以前にも紹介したが銘文があることに気が付かなかった。このほど訪れた時に銘文があることに気が付き「細工人 大坂江戸堀 錺屋吉兵衛」と刻されていた。銅板製の部材を鋲で鉸めて組み立てられた鳥居のようで細工人の錺屋吉兵衛が築造したものとみられるのである。以前は木鳥居に銅板を張り付けたのではないかと思っていたが・・・

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金岡水

2022年05月11日 | 廿日市関連

洞雲寺金岡水

龍文寺金岡水

杉の浦金岡水

洞雲寺の開山である金岡用兼に関連する金岡水をみていこう。洞雲寺本堂西側に金岡水があり、洞雲寺蔵の「金岡和尚行状記」には「寺、時ニ清水無シ、明神大宮司ニ託シテ岩畔ヲ穿タシム、清冷湧出ス、以テ茶水洗面等に充ツ、国人呼ビテ金岡水ト称ス」とある。金岡用兼の永平寺伽藍復興などの功績を称えるために金岡水と称されたものであろう。
金岡用兼は周防龍文寺の大庵須益・為宗仲心に師事しており、為宗仲心の示寂後弟子の金岡用兼と春明師透が法席を譲りあい、最後に春明師透が六世を継ぎ五世と六世の間に碑を建て金岡用兼を前住和尚とされている。開山堂裏手の金岡水は金岡用兼が仏祖に供える湯茶水のために岩を砕いて作ったという。
宮島杉の浦にある金岡水は「芸州厳島図会」には「・・・金岡和尚此處に座禅せられしことあり、その時はじめて湧出したりとぞ・・・」とある。

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洞雲寺の開山

2022年05月10日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

昨日紹介した洞雲寺は中世の長享元年(1487)に厳島神主で桜尾城に居た藤原教親が創建し、周防龍文寺(周南市長穂門前)の金岡用兼を招いて開山した寺である。
当寺には永正8年(1511)の紀年銘のある金岡用兼禅師の肖像画が残されており、県の重文に指定されている。勧請開山の功山寺(下関市長府)にも金岡用兼禅師の肖像画が残されている。(金岡用兼肖像画-左側:廿日市の文化、右側:金山功山禅寺より)

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とおーんじ-洞雲寺花まつり

2022年05月09日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

昨日は「とおーんじ」の日だった。廿日市駅裏にある洞雲寺の花まつりの日であるが「とおーんじ」といっても分かる人は少ないであろう。本堂前につくられた花御堂に安置された誕生仏に甘茶を注ぎお釈迦さんの誕生を祝う行事である。昨日は門前マルシェが開催されておりかつて植木露店や一般露店がずらりと並んで終日賑わっていた頃を彷彿とさせる。

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アオサギ ?

2022年05月08日 | 「宮島地区」ぶらり

 

嚴島神社西廻廊出口付近を流れている御手洗川の中にアオサギとみられる鳥がいた。御手洗川の片側道路沿いに土産物の商店街があり観光客が大勢行き来しているが逃げもせずに川の中で餌を食していた。我々には見えない水の流れの中の小魚を瞬時に口先でつかまえて食んでいた。

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台風一過

2022年05月07日 | その他

 

 

連休には孫達がやってきて長男が空飛ぶ自転車を作ると古自転車を分解始めると、次男・三男も幼児時代の乗り物を分解し始めてスクラップ状態に。カド(庭)を掘り返して泥んこ遊び遊びと転勤族でアパート住まいである孫達は町中では体験出来ないことを・・・

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厳島神社大鳥居の今

2022年05月06日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

 

 

大規模な保存修理工事が行われている朱の大鳥居は報道によると12月に防護シートが取り除かれ朱色の大鳥居が見られるようになりそうだ。看板表示によると現在行われている東廻廊、客神社拝殿・祓殿などの屋根葺替、塗装工事が来年3月で全体事業が終了するようである。

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厳島神社の鋳造燈籠

2022年05月05日 | 鋳物師

 

厳島神社の東廻廊入口の石段右脇に建立されている鋳造燈籠で、燈籠の竿部分の銘文をみると天明8年(1788)正月に萩の鋳物師である郡司信向が鋳造している。鋳物師の郡司信向は始め七兵衛信尚と名乗っており安永頃に七兵衛信向と改名している。この燈籠は信向時代のもので寛政初め頃に再び七兵衛信尚に復している。

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宮島連絡船

2022年05月04日 | 「宮島地区」ぶらり

ななうら丸

みやじま丸

みせん丸

宮島丸

厳島丸

連休の谷間の一昨日、孫達と宮島を訪れたが商店街や厳島神社は大勢の観光客でいっぱいであった。JR西日本宮島フェリーは「ななうら丸」「みやじま丸」「みせん丸」の三艘が10分間隔でフル運行しており、宮島松大汽船も10分間隔で運行していた。下画像は明治後期頃の連絡船「厳島丸」の絵葉書

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広電宮島口駅整備工事の今

2022年05月03日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

 

広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、以前紹介した頃には駅舎ホーム内へのレールの敷設作業が行われていたが終わっているようであり、レールの接続工事を除いてはレール敷設はほぼ終わっているようである。スロープ工事もほぼ終わっているようであり、新駅舎周辺の整備が行われているようである。

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井手堰

2022年05月02日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

5月第一日曜日である昨日は当ブログ主の田んぼに関係する井手堰で、田植え前の農業用水路の掃除補修の作業日であった。現在はコンクリート・U字溝井手となっているので多くの作業は要しないが、関係者一同が会することが出きたのである。

この井手は江戸期の地誌に記されているがどの井手に相当するものか今知る人はいない。知る限りこの井手で10戸の農家が田んぼを作っていたが、今年は3戸のみが田んぼを作る予定である。

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