『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

隠岐の島探訪-舟小屋

2018年05月16日 | 建造物


都万の舟小屋



卯敷の舟小屋


飯美の舟小屋

 伊根の舟小屋・三方湖の舟小屋


隠岐の島では冬期の積雪量や降雨量が多いようで木造の舟を守るために小屋が設けられており、地域色のある舟小屋のある集落を探訪してみた。都万の舟小屋は昭和62年(1987)に農道建設のために移転再建されたようであり、21連棟の洋小屋組で屋根は伝統的な杉皮葺きで石置きとしてあるが、風情さに欠ける舟小屋である。
卯敷の舟小屋はかつて20棟もあったようであるが現在は7~8棟の舟小屋が所々にみられるのみで、画像のような状態であり消滅も近いかもしれない。飯美の舟小屋はかつて27棟あったようであるが現在では21棟の舟小屋がみられ、比較的いい状態で残されている舟小屋もみられる。伊後の舟小屋はかつて7棟あったようであるが現在は1棟のみで屋根がスレート葺きであり絵にならずパスした。
かつて訪れた京都府伊根の舟小屋や福井県三方湖の舟小屋とは少し違っており、地域によって建築的な特徴があるようである。 

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隠岐の島探訪-灯台

2018年05月15日 | 旅行


西郷岬灯台


西郷岬灯台


白鳥埼灯台

沖ノ島灯台


隠岐の島島後の南端白崎にある西郷岬灯台で銘文によると初點大正10年(1921)3月31日とあった。灯台は時代を感じさせるようなレトロな建物でありかつては吏員退息所などがあったようである。
訪れた時は雨と霧で周囲は見えず上画像のようであったがリベンジで帰る寸前に再度探訪した。下画像は島の北端にある白鳥埼灯台で昭和31年(1956)12月に点灯したようであり、さらに最先端部にある沖ノ島には沖ノ島灯台がみられる。

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隠岐の島探訪 

2018年05月14日 | 旅行




昨日は雨天の中を例の如く島中を徘徊・・・雨と霧で景観はさっぱりでタブレット撮影もできなかった。最初に訪れた玉若酢命神社の画像速報のみ。

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隠岐の島に向かって

2018年05月13日 | 旅行

 




本日は島根県七類港からフェリー(おき)にて隠岐の島に・・・生憎の雨天、どこに行こうか・・・

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御手洗川の橋-北山橋

2018年05月12日 | 「廿日市地区」ぶらり





 

市道の宮内越通り線で御手洗川に架かる北山橋で小字を橋名とされたようである。北山橋の上流側には歩道橋が架けられている。このルートは江戸期地御前村八ツ面地区に通じる村内の往還道だったようで御手洗川には土橋がかけられていたようである。

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不法投棄防止啓発看板

2018年05月11日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


原地区の国道433号線歩道脇の柵に不法投棄防止啓発看板(下画像)が取り付けられている近くに手作りの同様な啓発看板が柵に取り付けられていた。
うちわに張り付けられた赤い監視眼人(?)が「私は見ている ここを汚すな」と・・・

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阿多田島探訪-はね出し石垣塀

2018年05月10日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり




 人吉城・龍岡城・五稜郭

阿多田港近くにある民家の石垣塀上部にはね出しの平石が並べてある珍しい石垣塀があった。国土地理院の空中写真をみるとこの民家はかつて海に面していたようであり波除けのために設けられているものとみられる。
以前訪れた熊本県人吉市の人吉城と長野県佐久市の龍岡城、北海道函館市の五稜郭でこのようなはね出しを設けた石垣をみたことがあり、武者返しといわれ城壁越えを阻止する目的で設けられているようである。何れのはね出し石垣も防ぐために設けられたもののようである。 

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阿多田島探訪-共同用水池・井戸

2018年05月09日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり




 


阿多田島は水不足に悩まされていたようで昭和56年(1981)に海底送水管の布設工事により水道給水されるようになったようである。
それ以前に使用されていたものとみられる共同用水池と井戸の跡がみられた。共同用水池は昨日紹介した阿多田島神社の下にあり、神聖な用水とされていたものとみられ上屋があり現在でも注連縄が架けられている。

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阿多田島探訪-阿多田島神社

2018年05月08日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり










 


灯台資料館に向かう周回道路の入口にある阿多田島神社を参詣した。由緒などは定かでないが島民の人達に厚く信仰されているようである。境内には兵役満期記念に砲弾や砲弾を模した石造を載せた記念碑がみられる。
二の鳥居脇には昭和53年(1978)7月25日に天皇・皇后陛下(当時皇太子・皇太子妃)が当島を行啓された記念碑が建立されている。

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阿多田島探訪-観音堂

2018年05月07日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり




 


阿多田島灯台資料館に向かう途中、観音山にある観音堂に向かう参道があったので登って参詣した。小さなコンクリート製の堂であるが島民の人達に厚く信仰されているようであり、参道脇などには結婚記念樹などが植えられていた。
江戸期の地誌によると玖波村の網屋与右衛門が肥州平戸での漁で網に観音像がかかり、これを持ち帰ったが平戸の見える所に祀ってくれとの夢枕にこの地に堂を建て祀ったようである。

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阿多田島探訪

2018年05月06日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり










阿多田島には小方港から阿多田島汽船のフェリー涼凪が1日5往復している。上画像向う側に見える元阿多田島小学校は平成25年(2013)に廃校となったようで、小方学園に通学のためのフェリー涼凪に学生室が設けられていた。阿多田島は岩国基地に近く轟音を響かせ何機も米軍機が飛び立っていた。また阿多田島近海は安芸白石灯標があるように海上自衛隊潜水艦呉基地からの航路で潜水艦が浮上航行していた。

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阿多田島探訪-阿多田島灯台資料館

2018年05月05日 | 建造物


安芸白石灯標(旧白石桂燈立標)


阿多田島灯台資料館(旧白石桂燈立標吏員退息所)


事務所棟


物置棟


油庫棟

先日、久しぶりに大竹市沖の阿多田島を訪れて、以前調査に関わったことのある阿多田島灯台資料館を探訪してみた。灯台資料館といっても離島にあり訪れる人もなく、管理人への連絡方法も分からずほとんど活用はされていないようで老朽化が進んでいる。明治期に広島湾の阿多田島と大黒神島の間に存在する白石礁に設置された、白石桂燈立標の保守管理を白石桂燈立標吏員退息所から行っていたのである。

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御手洗川の橋-大方橋

2018年05月04日 | 「廿日市地区」ぶらり





 

地御前ハイツに向かう市道の大方金剛寺線で御手洗川に架かる大方橋で、この橋が架橋される以前には廿日市町の上水取水場に向かう小さな橋が架けられていたようである。昭和61年(1986)の国土地理院の空中写真によると大方橋は架橋されているようであるが地御前ハイツや金剛寺小学校用地など造成中であるので、同年か前年位に架橋されたものとみられる。

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御手洗川の橋-御手洗橋

2018年05月03日 | 「廿日市地区」ぶらり



 



市道の旧国道線で御手洗川に架かる現在の御手洗橋は昭和48年(1973)2月に架橋されたようである。
江戸後期、宮内村から地御前村に向かう里道で御手洗川では飛石を渡っており、明治初年に石橋が掛け渡されたようである。明治11年(1878)から海岸沿いの新道建設が行われ、明治15年(1882)西国街道が国道となり石橋は国道橋梁とされていたが、明治21年(1888)12月に御手洗橋木橋の架橋落成している。明治31年(1898)に土橋架け替えの願書が出されているが、それ以降土橋からコンクリート架橋に至った経緯などは明らかでない。

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フジ花盛り

2018年05月02日 | 「廿日市地区」ぶらり









 

原地区をウォーキングしているとあちらこちらでフジの花が花盛りであった。上画像と中画像は山フジの蔓が樹木に絡みついているもので花が咲いている時は綺麗であるが、絡みついた蔓は厄介なものである。下画像はフジ棚を作っておられ棚から垂れたフジ花であるが何という名のフジの花か定かでない。

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