『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

遊びの菜園-切葉松本地大根

2015年10月16日 | その他


4年前、信州方面に行った時に切葉松本地大根の種を買っていた残りの有効期限(2013)が過ぎた種を蒔いたら画像のように成長した。
切葉松本地大根は松本市東北部が特産の大根のようで切れ込みが深くギザギサになった特徴のある葉で根の形は尻詰まりの形で、大根おろしにすると繊維が硬く強烈に辛いので桜島大根と同様に食卓には上がりそうにない。

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船の葬地?

2015年10月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


大野地区の塩屋川の河口近くには数隻の船が係留されており使用されていないような船や廃船となってものがみられる。
画像にみられる2隻の船は相当以前に廃船となって沈没したものとみられ水葬で朽ちるのを待っているのであろうか。

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奉納神楽の御幣

2015年10月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


先日、速谷神社の例祭で奉納神楽が演じられたことを紹介したが、神楽を奉納された東谷神楽保存会で使用した御幣が見物している人達に配られた。
色紙を切り込んだもので込み入っており綺麗であったのでこれを持っていた子供さんに撮影をさせてもらった。御幣は色々と意味合いがあるものと思われこの御幣は奉納された演目のみに使用されるものであろうか。

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蔵飾り―縁起の良い字

2015年10月13日 | 「佐伯地区」ぶらり


玖島上川上地区の民家土蔵に設けられている蔵飾りで「寿」の字が表された民家土蔵と「福」の字が表されていた民家土蔵があった。
「寿」はめでたいこと「福」は幸せとか運が良いとか、どちらの民家も繁栄安泰を願い縁起の良い字が表されている。

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秋祭り-子供俵みこし

2015年10月12日 | 「廿日市地区」ぶらり


秋祭りの昨日、上平良地区の1区、2区、3区の子供会による俵みこしが各地を練り歩いて速谷神社に奉納した。速谷神社境内は各地からの子供俵みこしが集合して大賑わいであった。
俵もみの音頭は所望-木遣り前口上、木遣りから道中の流し歌に・・・
      ♪ イャハエー 安芸の宮島 廻れば七里 イャー 七里七浦 ヤンデ 七恵比須 ♪

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速谷神社奉納神楽

2015年10月11日 | 「廿日市地区」ぶらり


本日は秋祭り、ヨゴロの昨晩速谷神社では桃祓祭が斎行され、続いて幣殿では島根県邑南町の雪田神楽団による儀式舞の「神迎え」が演じられた。
神楽殿では岩国市美和町の東谷神楽保存会、雪田神楽団の人達により「湯立」「荒神」「岩戸」「安珍清姫」「塵倫」「大蛇」などの演目が夜遅くまで演じられた。

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石州平板瓦葺きの塀

2015年10月10日 | 「佐伯地区」ぶらり


永原地区に大きな屋敷の旧家跡がありすでに母屋は無くなっているが門塀と付属建物が残されており、塀の屋根には石州瓦の平板瓦が葺いてあった。
古い町並みでは日本瓦の平板瓦葺きを見たことがあるが石州瓦のものは初めてみるものである。平板瓦は常時使用する瓦ではないので特別注文して焼かれたものをこの塀に葺いたものとみられる。

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変わった稲架け

2015年10月09日 | 「佐伯地区」ぶらり


先日、山陰地方の高架稲ハゼやヨズクハデを紹介したが当ブログ主ももうすぐ稲刈りをしてハゼ架けをしなくてはいけない時期となってきた。先日佐伯地区を散策していると道路脇のガイドレールと防護柵に稲架けしているところが数か所みられた。
ハゼの組み立て作業が省略できるが田んぼからそこまで運ぶ作業と稲こぎ場所に運ばなければいけないので大変であろう。

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大峯山登山-5

2015年10月08日 | 登山


ツヅラガ谷を下っていると杉林の中に変わった杉がみられた。杉は通常まっすぐ一本立ちするものと思っていたが途中から幹が分岐してカズラのように巻きついている珍しいものである。
山の境木については何度か紹介しているが西大峯山系の尾根道に芯を止めて枝分かれし10本の幹になっているものもみられた。中画像の下に現在のプラスチック製の境杭がみられるのでこれらの樹木は境木に間違いないであろう。

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大峯山登山-4

2015年10月07日 | 登山


大峯山三角点から峯太郎を通り過ぎて2つの小さなピークがある比較的緩やかな尾根筋を西大峯山に向かう。通称の西大峯山は点の記には崇峰山とあり標高1009.7mの四等三角点がある。
昔、大虫、大谷、雲出方面に行き来していたというツヅラガ谷を下っていると大きな岩を流れ落ちる小流のナメラ滝がみられる。田んぼ跡とみられる平壇がある付近には南無阿弥陀仏と刻された石碑と古七人賊難と刻された石碑が建立されており、大正8年に夢のお告げで建立されたようであるが定かなことは不明である。

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大峯山登山-3

2015年10月06日 | 登山


大峯山最高所の尖塔岩場から縄梯子を伝わって下りていくと平坦地があり小さな祠堂が祀られている。江戸期の地誌には大峯山に天狗城戸と記されており、この祠堂は山岳信仰に関係するものかと思われたが、明治初年に小多田の西法寺の分仏として祀られたようである。
大峯山東端には「カムロ懸崖」「縁のタキ」「廻り縁」などと呼ばれている岩場があり、巨岩上はテラス状でその下側がえぐれて周回出来るようになっているが懸崖であり新聞沙汰になってはと腰が引けた。大峯山の三角点から西大峯山方面に向かってしばらく下っていくとブナの巨樹「峯太郎」への表示があり、すぐに幹周り約4m位の「峯太郎」はみられる。

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大峯山登山-2

2015年10月05日 | 登山


胸突き八丁の登山道を登って尾根筋に到達すると大峯山-標高1039.55mの二等三角点があり西方面に向かうと西大峯山、東方面に少し進むと大きなテラス状の巨岩がある。
テラス状の巨岩からさらに尖塔岩場に梯子を登っていくと標高1050mの最高所で、三角点は最高所でないところに設置されている。この巨岩の上からは瀬戸内の島々から遠くは四国の山並みもみられる。上画像の右方面に野貝原山のアンテナ群がみられその向こうに石鎚山系がみられる。

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大峯山登山

2015年10月04日 | 登山


玖島地区に聳える大峯山に久しぶりに登った。今回は大峯山から尾根道を通って西大峯山に向かいツヅラガ谷から上川上集落へ下りる周回コースとした。
川上分校跡から大峯ランド別荘地内道路を通り、杉・桧植林地内の急勾配の登山道には丸太階段が多く設置されているが、蹴上げ高さが大きく大股で上り下りしなければならないので丸太階段を通らず脇を通る人が多く各所に迂回道ができている。

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ゴゴロ山から原地区遠望

2015年10月03日 | 「廿日市地区」ぶらり


中央に横切っている道が先月30日に開通した国道433号線で、画面中央遠くに見える大きな建物群は国立療養所原病院の跡で現在ふれあいライフ原の施設となっており、その後方の山が野貝原山である。
手前の建物は市営樫原住宅でその手前に長野川が流れている。右上の奥の集落が川末地区でその後方の山で右側のくびれ筋が大沢峠、左側のくびれ筋が泉水峠方面である。

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三翁神社の鳥居

2015年10月02日 | 「宮島地区」ぶらり


厳島神社社務所の東側にある三翁神社(山王社)の鳥居で木造の鳥居に銅板が巻付けられているものとみられる。宮島町史には銅製鳥居とあるが銅板の継目部分と中間部分に釘の頭がみられることから木造柱に打ち付けられたものであろう。
天保13年(1842)に刊行された厳島図会の絵図に三王社の鳥居が描かれており、現在の鳥居柱と同じように継目が表されているので江戸期から銅板巻きの鳥居であったようである。

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