向原地区の山に近い高台でリンゴ栽培が行われており赤く色づいたものも見られた。どのような品種であるのかは不明であるが、紙袋がすべて取り除かれているので色づきをよくするためであろうか。
最近熊の出没が報道されており格好の餌食になるのではないかと思われるのである。近くには何を捕獲するのかは不明であるが捕獲用の檻が仕掛けてあった。
浜田市金城町青原地区にある厳島神社(恩賀山神社)で仁安3年(1168)に芸州厳島より此所に勧請したようである。
本殿を見るとなんと大社造りで祭神は山陽の厳島神社から勧請し、本殿建築は山陰の出雲大社の影響を受けたものでありこのようなものは珍しいのではなかろうか。
昨日、瀬戸内に大型船の姿が見えたので五日市港に行ってみると川崎汽船の自動車運搬船「SIERRA NEVADA HIGHWAY」が停泊していた。ネットによると44,364t、全長183m、幅30.2mとあった。
港のゲートには警備員と自衛隊員がいて船の手前には自衛隊ヘリコブターや車両が見え自衛隊員が多くみえ物々しく、警備員に写真を撮っても良いかと尋ねたら「チョッと待て逮捕されるかも知れないので」と脅かし、自衛隊員に了解をとってくれてフェンスの外側からならとOKがでた。
遠くの外にいた自衛隊員に聞いてみるとアメリカでの共同訓練が終わって装備などを陸揚げしているようであった。自衛隊のネットをみると米国ヤキマ演習場で行われたようで、89式小銃、迫撃砲、りゅう弾砲、74式戦車、対戦車ヘリコブター、観測ヘリコブター、軽装甲機動車などが主要装備のようである。
畑で人参を栽培していると作り人に似たこのような変わった人参が出来た。土が硬く下に伸び切れなかったのであろうか。
足を投げ出して腕を交差させているようにもみえるが、来訪者の方々はどのようにみえるでしょうか。
実りの秋を迎え昨日は絶好の秋日和で多くの手があるので稲刈りをした。猫の手を借りたいほどなので孫の手を借りたけれどあまり役に立たなかった。
先日9段のハゼ架けを紹介したが、当地では親の代から写真のようなハゼ架けで3本のハゼ杭と2本のハゼ杭を交互に立ててナル(横丸太)を架けて稲束を2段に架けているものである。
「ハゼ二十日」天日乾燥をして籾のまま米缶に保存して食べる時に精米をするので何時までもおいしく食べれるのである。
実りの秋を迎えた昨日は秋祭りで、上平良地区の1区から3区までの子供会・保存会などの俵みこしが氏神である速谷神社への奉納で境内は大賑わいであった。
趣向をこらした飾り付けをした俵みこしはお祓いを受けて、音頭を唄いながらヤートコセー ヨーイヤナーと掛け声をかけ神社をあとにした。
大虫地区に残されている火の見やぐらの残骸で、かつて半鐘が釣り下げられて火事などの緊急時に鳴らしていたものであろう。
大虫地区に居住されている家は数戸であり、超限界集落で集落の先行きが危惧されるのである。
厳島神社社殿西側の丘上にある多宝塔で二層とも屋根は方形であるが、一層の平面は方形で二層は円形の珍しいもののようである。
明治時代には宝山神社と称し加藤清正を祀っていたようで、大正時代に厳島神社附属の多宝塔となったようである。
町内一斉清掃で今年は雨天だったため近くの河野原川の草刈りをしなかったためにジュズダマ(数珠玉)が育って実が沢山成っていた。
この実で仏事に使用する数珠を実際に作っていたのであろうか。実に光沢があるので子供のころ女の子が腕輪やネックレスの玩具装飾品として、また硬いのでお手玉を作っていたようである。
実りの秋で当ブログ主も昨日は一番刈りの稲刈りをしてハゼ架けをした。
先日出雲方面に行ったとき加茂岩倉遺跡入口付近でナル(横材)の9段架けを見てびっくりした。上平良地区ではハゼ架けをする人は少なくなってきたが、通常ナルは1段で稲束を2段に重ねているのである。
彼岸を過ぎて実りの秋となってきたが上平良地区の都井手の泥上げ敷きや法面に彼岸花が今を盛りと咲き誇っている。
都井手は可愛川から取水しており井手の長い距離の周囲に群生している。井手の途中脇に都地蔵が安置されており、かつて古老から都井手の守り地蔵であると聞いたことがある。
実りの秋を向かえ氏神の秋祭りが近づいてきた。9日がよごろで10日には収穫を喜び合い氏神に奉納していた伝統行事の「俵もみ」が子供会によって行われる。
秋祭りを迎えるために昨日、町内会組内の人達によって幟を立てた。昔は講中単位で幟を作って立てていたようであるが現在は組内によって管理されている。
先日紹介した津田八幡神社の拝殿は昭和41年(1966)10月に改築されており、向拝の水平材の中央には笈形付大瓶束があり両側には蟇股状の植物文様とその下部には龍の彫刻がみられる。
向拝の水平材が柱を超えて出た両側部分の木鼻には装飾的要素のある漠鼻と獅子鼻が取り付けられている。
先日ヒロシマ五輪招致のための基本計画案が発表されていた。昨日は秋晴れで絶好の運動会日和で、市域の保育園では孫リンピックが開かれ将来のアスリート候補が一生懸命に走っていた。
当ブログ主は運動が苦手で運動会シーズンになると憂鬱であったが、唯一障害物競争のようなチゴマガするようなものは何とかうまく出来たのである。
可愛川の河口部分で広島南道路(湾岸道路)の北側にある県木材公社の貯木場跡の埋め立てについて何度か紹介しているが、現在1/3位埋め立てが終わっているようである。
埋立て後は廿日市シビックコア地区整備で臨海ゾーンとされ水辺の魅力を活かした賑わいのある街なみを形成するゾーンのようである。
昔は榎の浦沖のこの辺りは遠浅で海水浴や貝堀りをした親水海岸であった。砂浜には平良と宮内境の木杭が打ってあり宮内側で貝を掘っていると「ばんにん」に怒られたものである。