『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

幻の『田の池』は !

2010年07月12日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日紹介したスマル滝は蛇の池から流れる水の滝と思っていたが、滝の上段部分を見ると右側が蛇の池からの滝で、左側の谷からも蛇の池よりも多い水量の滝があった。
資料をみると「田の池」から流れるとあったので水量から蛇の池と同じような池があるのではと探査してみた。展望所に行く遊歩道の途中から谷合を藪こぎ遡ってみたが池の痕跡は確認できなかった。
しかしその付近はズボッと埋まるような泥湿地帯が一帯に広がっておりここが水源地であった。田のような泥湿地であったので田の池と称されたのかも知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

極楽寺山のスマル滝

2010年07月11日 | 「廿日市地区」ぶらり


蛇の池手前の駐車場からしばらく遊歩道を下っていくと突き当たりに至り、そこからスマル滝を見ることができるのであるが、現在は倒木のためにあまり景色はよくない。
通常は下段の画像の滝を見るのであるが自己責任で滝を遡ってみると、何カ所かの滝が形成されており見所があるようだ。
かつてはこの滝のある谷を下っていくと清鈴園のところに出ることが出来たが今は全く通ることができない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国道433号線改良工事の今

2010年07月10日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区で行われている国道433号線の改良工事の進捗状況については時々紹介しているが、現在土盛り工事が原地区と平良地区の境付近まで進んでいた。
画像の左側が長野川と川末川が合流するところでここからは可愛川(一名には速谷川とも)となる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛇の池周辺のクソナバ-2

2010年07月09日 | 「廿日市地区」ぶらり


蛇の池の駐車場に向かう道路沿いに食用にはならないとみられるクソナバの群生があった。
道路沿いの雑草や雑木は幅員確保のために刈り取ってあったがこのキノコの部分だけ残されており、作業をされた方の心やさしさを窺うことができるのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛇の池周辺のクソナバ

2010年07月08日 | 「廿日市地区」ぶらり


蛇の池の周囲には色々な種類のキノコが生えており、門外漢なのでどんな種類のものか不明であるが食用にならないクソナバであろう。
手当たりしだい撮影したので同じ種類のものもあるかも知れない。中でも赤色のキノコは10本くらいが群生しており圧巻で、クソナバでは少し可哀そうである。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛇の池の睡蓮が

2010年07月07日 | 「廿日市地区」ぶらり


梅雨の中休み、極楽寺山にある蛇の池ではピンクや白など色とりどりの睡蓮が池全面に咲きはじめており、大蛇でなく錦鯉や亀が出迎えてくれた。池の周辺では多くのカメラマンが傑作をと思い思いにシャッターを切っていた。
蛇の池一帯は湿地帯であったものを明治・大正期に農業用溜め池として整備されたものとみられ、昭和43年(1968)の明治100年記念事業以降から順次現在のように整備された。
睡蓮は今頃から夏にかけては見頃になりますので避暑をかねて命の洗濯はいかがでしょうか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地御前神社奉納絵馬-材木入札場所の図

2010年07月06日 | 「廿日市地区」ぶらり


地御前神社の拝殿に奉納されている絵馬で、昨日紹介した材木入札場所の賑わいの様子を描いた絵馬で宝暦10年(1760)に奉納されている。
数年前の撮影時でも絵馬の退色劣化が激しく、入札場所の各窓口の名称が記されているのであるが判読することができない。しかし当時の入札場所の様子がわかる貴重な絵馬である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

材木入札場所役人の寄進手水鉢

2010年07月05日 | 「廿日市地区」ぶらり


地御前神社拝殿横に設置されている手水鉢で、銘文によると宝暦6年(1756)に材木入札場所の役人により寄進されたものである。
宝暦期に焼失した地御前神社の再建のために行われた市立ては盛大であったようで、材木入札払いや干鰯入札払いの名目で人寄せのために富くじや芝居が興行されたようである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地御前街並みに精米所跡

2010年07月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


地御前町屋が建ち並んでいる迷路のような小路を通っていると街並みの中に元精米所であった倉庫風の建物があった。
地御前の農地は少ないが農業をして稲作をしていた人が多くいたものとみられ、昭和49年(1974)の住宅地図に精米所とあるのでこの頃にはまだ存続していたものとみられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩倉発電所の跡

2010年07月03日 | 「佐伯地区」ぶらり


七瀬川の水を分水して昨日紹介した導水路を経て岩倉地区に設けられていた岩倉発電所で使用されていたが、今では発電所跡の痕跡はほとんど残されていない。
発電所跡とみられるところに高圧電流用のものとみられる碍子が唯一残されているのと吐出水路が七瀬川に向かって流れているのみである。
この発電所は昭和27年(1952)の農山漁村電気導入促進法により、電気が十分に供給されていなかった農村部に七瀬川の水資源を活かして電気の供給を目的に設置されたものであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元岩倉発電所の導水路

2010年07月02日 | 「佐伯地区」ぶらり


岩倉橋手前の三差路から所山方面にしばらく行くと右手道路沿いにコンクリート造りの導水暗渠がみられる。
七瀬川の水を分水してこの導水路を経て岩倉地区に設けられていた岩倉発電所に使用されていたものである。昭和49年(1974)の住宅地図には佐北農協岩倉発電所とあるのでこのころまでは稼働していたものと思われる。落差の小さい小規模発電所のために廃止されたようである

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白糸川渓流土石流の先端部

2010年07月01日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島の白糸川渓谷において平成17年(2005)9月の台風14号で大規模な土石流が起こったことは報道などで記憶に新しく土石流の跡は対岸からでもよく見える。
豪雨による土石流誘発部は駒ケ林の山頂近くからで、山の斜面が大きくえぐられているのが登山道からみられる。
土石流で流出した白糸川流域は災害関連緊急砂防工事が行われて渓流砂防や護岸整備、大聖院ル-トの弥山登山道整備などもほぼ完成している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする