平良保育所東側を流れている鷲川はほとんど暗渠となってどこを流れているのかほとんど分からないが、JR柳庵橋梁と広電宮島線の間が唯一開渠となっている。この開渠部分に堰板用の溝が彫られた石が両側にあるので、ここから水田の用水路が設けられていたものとみられるのである。現在の町並みからは水田があったことを窺うことが出来ないが古い絵図などによると可愛、須賀町の南側や常念寺の裏手などには田んぼが広がっていたのでそこへの用水路があったものと思われるのである。更新の活力になります! ポチッとね!
宮島口の西にある旧一茶苑が生まれ変わった庭園れすとらん「ふじ田」から窓越しに見える瀬戸内と宮島を借景とした日本庭園はすばらしい。高層マンション建築のために従来の庭園は縮小されているが、手入れが行き届いておりゆっくりと落ち着いて食事の出来る空間だ。石燈籠の横には朱の大鳥居が遠望できる。更新の活力になります! ポチッとね!
栗栖集落を外れた小瀬川沿いにある中国電力の栗栖川発電所の小瀬川からの出合第1取水口である。小瀬川上流の飯の山貯水池から流出しているのだが、このところの雨不足で水量が少なく取水口から下流の小瀬川にはケズ水以外全く水が流れておらず枯れ河川となっているが今朝の雷雨で増水しているのだろう。更新の活力になります! ポチッとね!
都市計画道路の畑口寺田線のスポーツセンター斜め前に架かる七尾陸橋の両側手摺にはカラフルな絵の焼付けタイルが22枚はめ込まれている。これは平良小学校児童・七尾中学校生徒と市との姉妹都市ニュージランドのマスタートン市の子供たちが描いたもののようである。この焼付けタイルは廿日市市の特産品であるけん玉をデザイン化したもので、斬新なけん玉が描かれている。更新の活力になります! ポチッとね!
宮島の町並みにある民家の土蔵にある蔵飾りで「丸ニ一文字」紋様が表されている。宮島地区の町並みの中にある民家で土蔵は2棟あることがわかっており、蔵飾りはこの1ヶ所のみのようである。更新の活力になります! ポチッとね!
小瀬川の羅漢渓谷の最深部付近にある夫婦滝で、大きな岩の両側を流れ落ちている滝の涼気を画像でどうぞ。小瀬川に沿って走っている国道186号線からかすかに見られるが、駐車スペースがなく川は下方を流れているので全貌を見ることは出来ない。少し下流ヶ所から川を岩伝いに遡ると夫婦滝の全貌が現れるが、残念ながら後方の道路ブロック積みは景観を台無しにしている。更新の活力になります! ポチッとね!
吉和地区のほぼ中心地で国道186号線沿いの休耕田に植えられたひまわりの数はものすごい数で今満開であり壮観である。ひまわりは何故か全部東側に向いて咲いている。遠くには冠の形をした特徴ある山で標高1339mの冠山が遠望できる。昨秋は冠高原方面から登山したので今秋には潮原温泉方面から登山挑戦をしてみたい。更新の活力になります! ポチッとね!
明石峠頂上付近にある作業場跡の建物が改修されつつあり、大きなテレビ画面が設置されて高校野球が映し出されていた。画面は通行する車から良く見えるような角度であり、建物には「Kinari Live Studio」とあり何の施設なのだろうか。更新の活力になります! ポチッとね!
今年はうまいスイカをと苗を買って植えたところ、スイカの台木が伸びだしてきたので何が出来るのかとそのままにしていたら大きなユウガオが4個実った。ユウガオのつるは勢いが良く養分を全部吸い取ったようでスイカのほうはさんざんであった。さて、このユウガオをどうするか・・・干瓢にするには技術を要するようなので観賞用で終りそうだ。更新の活力になります! ポチッとね!
潮音寺の裏にある小道でここから昨日紹介した可愛川の一本橋を通り、元マルニの工場内にあった小道を通って串戸方面に行く近道で、西国の大名行列は越垰垰(コイトウダオ)をさけて平らなこの小道を通っていたという。街道の街中では威厳を保つために槍持ち奴を先頭に行列していたのであろうが、街を出ると街道を外れた近道の小道を通るなどと現実的で滑稽でもある。更新の活力になります! ポチッとね!
可愛川に架かる可愛橋と榎の浦橋の中間に架かる小さな橋で、現在は榎之窪新宮線橋となっているが江戸時代には一本橋と記されている。江戸時代には潮音寺の裏にある小道からこの一本橋を通り、元マルニの工場内にあった小道を通って串戸方面に行く近道であった。更新の活力になります! ポチッとね!
大元神社手前の杜の宿の地にはかつて宮島ホテルがあったが、終戦後宮島でもっとも設備の整っていた宮島ホテルは英連邦日本占領軍(BCOF)のBCOF SCHOOLの施設として接収されたことは知られている。ところが宮島ホテルと共に宮島水族館前にある旧大元旅館も接収されていたことがわかった。和風旅館は部分的に洋風に改修されてペンキ塗りの痕跡がみられる異質な建物で、内部にはSTAFF ONLYと書かれたドアーが残されている。更新の活力になります! ポチッとね!
JR廿日市駅裏の元山手テニススクールの脇にある栴檀地蔵で、堂の裏手には樹廻り2.3mの栴檀の木がある。この地には昔、栴檀寺があった跡のようであるが詳しいことは不明である。廿日市病院があったころには患者さんがよく参っていたというお地蔵さんである。ここの周辺には五輪塔の残欠がたくさんあったのを地蔵脇に集められており、寺の跡であったことが想像できるのである。更新の活力になります! ポチッとね!
廿日市市スポーツセンターの道路向かいで陸橋東詰めの高台にはかつて高圧線鉄塔が建てられていたが最近取除かれ、その跡地に奇妙な像2体が設置されていた。以前ご教示頂いていたのでどんなものかと見物にいくと何と・・・写真でご判断下さい。スポーツセンターへの陸橋を通る人のみ見ることが出来る奇妙な像。更新の活力になります! ポチッとね!
広電廿日市駅の駅舎側下り線ホームでかつては多くの駅員がおり、改札口では切符を切ったり回収していた。当初の木製の改札口は鉄製に改修されているが歴史を感じさせる。ホームは高床車両時代のままで、駅舎とのからみで当時のままとなっているが、いずれ駅周辺の整備とともに駅舎全体が改修されるのではなかろうか。更新の活力になります! ポチッとね!
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