山の姿は見る位置によって大きく形をかえる。標高700mの権現山山頂から標高1040mの大峰山を遠望すると昨日紹介したとがった形の山からなだらかな稜線の山となる。更新の活力になります! ポチッとね!
山の姿は見る位置によって大きく形をかえる。玖島川上地区に聳える標高1040mの大峰山を遠く南方面から眺めるとなだらかな稜線の山であるが、平谷地区から眺めると尖がった形の山となる。更新の活力になります! ポチッとね!
明石地区で山の斜面を砂防工事中でダンプが出入りしており現場には「広島西部山系宮内4号外管理用道路」と長~い工事名が表示してあった。明石峠のバイパス工事かと思ったら砂防用堰堤工事の取り付け道路とのこと。更新の活力になります! ポチッとね!
下平良の民家納屋軒下に2輪運搬車のホタが残されていた。このようなホタで長い木材を載せて馬で曳いて運搬していたものであるが、これが何の運搬に使用されていたのかは不明である。更新の活力になります! ポチッとね!
峠地区の民家土蔵の蔵飾りで負けず劣らずの龍と虎の争いを表した龍虎の像である。上平良地区にある蔵飾りと構図が良く似ており同じ左官の作品かもしれない。更新の活力になります! ポチッとね!
昨日の朝は冷え込んだ、大町地区を走っていると田んぼから湯けむりが???山間地は大霜が降りており田んぼでは日差しがあたったところから湯気のように霜が蒸発していた。更新の活力になります! ポチッとね!
吉和地区の道路を走っていると???小さな可愛い建物が目についた。周囲に薪木のような木が置いてあり外風呂と思ったが煙突は見当たらないようであり何の建物であろうか。更新の活力になります! ポチッとね!
県境に聳える標高1109mの羅漢山の山頂には三角点と以前に紹介した磁石岩が露出しており展望台やベンチ、テーブルが設置されている。昔は車前子峠山といわれていたようで、山頂は今朝あたりうっすらと雪化粧をしているのではなかろうか。更新の活力になります! ポチッとね!
桜尾本町の元津和野藩御船屋敷跡にある稲成神社で津和野の太鼓谷稲成神社が分祀され御船屋敷の鎮護のために祀られたものである。神社前の石灯籠は寛政3年(1791)に寄進されている。更新の活力になります! ポチッとね!
昨日の朝は寒さが厳しくいつも見ている宮島が雲海に浮かんだような幻想的な姿を現していた。手前の山陽自動車道高架橋はチョッと興ざめであるがこのような珍しい風景は余り見ることが無くシャッターを切ったのである。更新の活力になります! ポチッとね!
廿日市町並みの旧材木町に位置する町屋で昭和49年頃の個別地図を見ると塩貯蔵所とあり塩の販売をされていたのであろうか。隣接してロスアンゼルスオリンピックに出場した石津光恵選手の生家があった。更新の活力になります! ポチッとね!
広電宮島線の線路上で線路の幅員の検査作業をされていた。1年に一度行われているようで5m毎に手作業でチェックをされているようである。安全運行のためにこのような地道な作業が行われているのだ。更新の活力になります! ポチッとね!
津田の町並みにある民家の土蔵で妻側にある窓周りの飾りで中央方立て部分のデザインが良い。鉄格子の中にある土戸にも何かが描かれているようであるか何かは不明である。更新の活力になります! ポチッとね!
西国街道に設けられていた一里塚跡で、JR大野浦駅より少し東よりに設けられていた一里塚は本川橋東詰めの広島元標より六里目の塚であった。現在は駅前広場に一里塚跡碑と今川了俊の歌碑が建立されている。江戸時代の旅人に里程を教え街道松と共に旅情を豊かにした西国街道の施設であった。更新の活力になります! ポチッとね!
冠山は標高1339mで県内2番目、市域では1番高い山であるが、何と山頂にある大きな岩には沢山の名前らしき刻字がみられるのである。落書きでなく落刻と言うのであろうか?岩に字を刻むには工具がなければ出来ない。登るだけでも大変なのに・・・更新の活力になります! ポチッとね!
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