『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

津和野藩御船屋敷の稲成神社

2007年12月08日 | 「廿日市地区」ぶらり


桜尾本町の元津和野藩御船屋敷跡にある稲成神社で津和野の太鼓谷稲成神社が分祀され御船屋敷の鎮護のために祀られたものである。
神社前の石灯籠は寛政3年(1791)に寄進されている。

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5 コメント

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Unknown (kei.)
2007-12-08 09:46:31
おはようございます!!

宮島の寝姿の件では、heraさんの意外な発想に
手を打って喜んでおります。

こちらははじめて知りました。
津和野とゆかりのある場所があったのですね。
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Unknown (hera)
2007-12-08 15:00:32
Kei.さま 参勤交代や特産品の紙など津和野街道を通りここ御船屋敷から船で兵庫県の室津まで行っていたそうですよ。
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Unknown (スタローン)
2007-12-08 18:52:27
こんにちは!
現在いろんなブログ応援しています。
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びっくり (乙女座おとこ)
2008-01-23 18:50:10
津和野から真東に向えば、確かに廿日市にたどり着くけれども、途中には羅漢山、宇佐郷など、名だたる難所が控えている。この道は中世から往還と生活物資輸送に用いられていたとのことであるが、どうしてこのような道が廿日市につながっていることを知ったのだろう?
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Unknown (hera)
2008-01-23 19:54:31
乙女座おとこさま 
地図で見れば最短距離ですが立体的にみれば大変な道ですね。歩行中心の時代に先人からの積み重ねでルートが定まったのでしょうか?
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