山陽新幹線沿いの北側側道で永慶寺川に架かる棚田橋の脇にこのアーチ型水管橋が架けてある。アーチ型であると長スパンに架けることが出来るのでこのような水管橋となったのであろう。なぜか名前が棚田橋水管橋となっているのである・・・お役所的な名前の付け方なのだろうか・・・棚田水管橋でいい! と思う人はポチッとね!
今冬は暖冬で各地のスキー場は大変な状況であるが、冠高原スキー場は近年の雪不足のために数年前から閉鎖されており牧草地の中に初心者用のロープ塔跡が残されている。こちらの小屋から向こう側の廃自動車に向けてロープ塔があった。ポチッとね!
平成17年2月に鹿児島旅行した際に桜島大根の種を購入して種を蒔いて昨年一代目の桜島大根が出来、その種を蒔いて今年二代目が出来た。その内一本は在来大根と交配したものとみられせいが高くなり桜島大根らしくなくなった。(1月14日紹介)廿日市では土壌が違うので鹿児島で取れるものと比べると小ぶりであるが重さは3.3kgであった。それでも大きいな! と思う人はポチッとね!
JR宮島口駅の裏山手にある延命寺の石垣は無縁になった昔の墓石を利用して積み上げたもので、石垣は鍵の手に積み上げられており膨大な数である。赤崎の地は宮島の人達の大墓地があり、これだけ多くの無縁墓があるということはあらためて宮島の歴史を感じさせるのである・・・墓石で石垣? と思う人はポチッとね!
原地区にある民家の土蔵ケラバの蔵飾りで、牛に乗った金太郎が漆喰鏝細工で彩色され施されている。牛に籠か袋を乗せてなぜか金太郎が籠を背負いあぐらを組んで乗っている面白い鏝細工である。また、小屋根と鬼瓦を模した部分には家紋の違釘抜紋が表してある。金太郎は熊に乗るものだ! と思う人はポチッとね!
包ケ浦を過ぎて進んで行くと鷹ノ巣浦に至りこの浦には低砲台と鷹ノ巣山に高砲台の明治期の鷹ノ巣砲台跡が残されている。この砲台は広島や呉の重要施設を防衛するための広島湾要塞の一つとして設置され厳島海峡の防衛を担った。しかし、砲台は火を吹くこともなく役割を終えて廃止されたのである・・・神の島に砲台? と思った人はポチッとね!
宮島口にある任助親王墓所内にむかし懐かしい手押しポンプが残っていた。ポンプにはKOYO、コーヨーとあり高知市の㈱光洋機工商会が製作したポンプのようである。インターネットで調べると現在でも他のメーカーでは手押しポンプは製造されているようだ・・・懐かしい! と思う人はポチッとね!
上平良地区にある地域的な信仰互助集団である「講中」の什器類が保管されている講中倉庫である。昔は毎月当番の家でお寺さんを招いての御講寄や、葬儀の際の食事用配膳什器や炊事用具、葬儀用具などを保管していたが、時代の変革により保管されているものが現代風に変わってきている。講中? と思う人はポチッとね!
宮島口地区にある民家の土蔵ケラバの蔵飾りで、西洋装飾の文様のようであり中央には逆卍字が施してあり珍しい蔵飾りである。屋根の葺材や腰壁部分が洋風の仕上であり土蔵造りと洋風建築の混合した建物のようである。珍しい! と思う人はポチッとね!
送電線の鉄塔は通常は「やじろべぇー型」左右対称のバランスのとれたものが多いが、洞雲寺より東北側にある鉄塔は複雑な型をしている。どのような電気設備でこのような型になったものかは不明であるがあまり見られない形状だ・・・珍しい型だ! と思う人はポチッとね!
国道433号線の整備が原地区で進められているが、工事は年度で数10m位しか行われておらず現在は休止している。緊縮財政の折から進捗状況は停滞気味だ・・・酷道と言われる道が整備された国道になるのはいつのことだろうか・・・ポチッとね!
西国街道の難所であった四十八坂に、吉田松陰が旅の途中でこの岩に腰を掛けて休んだとの伝承があるらしい。四十八坂の頂上付近街道脇にある岩には無数の旅人が腰を下ろしたであろう。昔は史実でなくても脇にあるような大きな説明板が立てられていたが、さすがに現在は文章を変えたものが上に張ってある。四十八坂のロマン! と思う人はポチッとね!
JA佐伯中央農協は効率的な経営基盤をつくりあげるために支店等の統廃合が今春行われ、ここ原支店・原生産資材店・くみあいマーケット原が閉鎖されるようである。原郵便局が数年前に移転廃止となっており続いて・・・周辺地域に住んでいる住民の皆さんは大変だ・・・大変だ! と思う人はポチッとね!
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