宿場町である玖波の町並みは慶長2年(1866)の長州の役で焼失したようであり、玖波村では423戸が焼失したということで、町並みにみられる町屋は明治期に建てられたもののようである。
上画像は酒造場をされていた町屋であり酒造場部分はなく住居部分と土蔵が残されているようである。二棟の町屋で屋根の低い厨子二階の窓に漆喰戸が設けられているのが特徴的である。
宿場町である玖波の町並みは慶長2年(1866)の長州の役で焼失したようであり、玖波村では423戸が焼失したということで、町並みにみられる町屋は明治期に建てられたもののようである。
上画像は酒造場をされていた町屋であり酒造場部分はなく住居部分と土蔵が残されているようである。二棟の町屋で屋根の低い厨子二階の窓に漆喰戸が設けられているのが特徴的である。