『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

茅葺屋根民家の今

2016年05月14日 | 「吉和地区」ぶらり


吉和地区に残されている茅葺屋根民家の現在で頓原地区と田尻地区に各1棟が残されている。茅葺屋根で傷みやすい棟部分は上画像の民家は板張りとしてあり下画像の民家は瓦葺の箱棟としてある。
屋根葺き職人の不足や茅の入手困難、十数年毎の葺替え負担などにより茅葺屋根の民家は減少している。田舎には茅葺屋根がよく似合うのであるが・・・

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屋根より低い鯉のぼり

2016年05月06日 | 「吉和地区」ぶらり


昨日は5日で端午の節句、外孫のために例年の如く屋根より低い鯉のぼりを半月前位から飾っており面白そうに泳いでいる。
下画像は吉和地区を流れる太田川の新田尻橋袂で張り渡らしたワイヤーに、吊り下げられた鯉のぼりが心地よい風を呑みこんで群れをなして泳いでいた。看板表示には「高瀬の鯉のぼり」とあった。

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瀬戸滝-咬龍の滝

2015年08月07日 | 「吉和地区」ぶらり


市域では最大の滝で十方山系から流れる瀬戸谷に形成された瀬戸の滝で、上下二段の滝があり約50m位の落差がある。瀬戸滝には遊歩道が整備されており滝下の展望所では天然のドライミストで涼を採ることができるが水量が多い時にはびっしゃこになる。
以前、瀬戸滝の上部から滝壷を見たことがあるが滝は下から見上げるものである。滝の上部から瀬戸谷を遡り右谷、ウシロヤマ谷の源流域から十方山登山道に至ったことが思い出される。

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こども炭焼き会社が倒産か!

2015年07月14日 | 「吉和地区」ぶらり


休業中の吉和魅惑の里から少し所山方面に向かった道路脇にかつてこども炭焼き会社と表示した炭焼き窯があったが現在は上画像のような状態であった。
これは吉和小・中学校の「総合的な学習の時間」で、かつてこの地方の産業であった炭焼きを体験するため地域の方々の協力によって作られた炭焼き窯のようであったが・・・

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酒蔵内のはね棒と巻き上げ機

2015年06月29日 | 「吉和地区」ぶらり


昨日紹介した旧酒蔵(民俗資料館)内にかつて酒を搾っていた太い丸太のはね棒とそれを巻き上げる巻き上げ機が小屋裏に残されていた。
搾り槽に太い丸太で荷重をかけて酒を絞り出したようである。以前どこかで見たことがある醤油の搾りに丸太に数多くの重しの石をぶら下げていたとのことであるが、早田酒造では丸太の重量だけで搾っていたのであろうか。

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もみのき森林公園内の民俗資料館

2015年06月28日 | 「吉和地区」ぶらり


もみのき森林公園内の家族旅行村スペースにある民俗資料館(看板表示は民族資料館)で、旧吉和村内において酒造業をされていた早田酒造から移築されたものである。以前都合で開館できないとのことであったが先日開館されていたので見学した。
1階は休憩所として使用されており2階にかつて早田酒造で醸造に使用されていた道具類や商品レッテルなどのほか民具など展示されていた。

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教龍寺の梵鐘2

2015年06月22日 | 「吉和地区」ぶらり


昨日紹介した教龍寺にはもう一口梵鐘があり本堂脇の廊下に置かれている。この梵鐘は明徳5年(1394)に鋳造されたもので元筑前州遠賀庄(福岡県岡垣町)黒山千手寺(廃寺)の梵鐘であったが、江戸後期この梵鐘は京都西本願寺から広隆寺に移ったようでその後どのようにして当寺へ移ったのかは定かではない。
以前紹介した宮島千畳閣に架けられている梵鐘(元筑前州宗像郡赤間庄の八所神社梵鐘)の撞座や乳の作風が教龍寺の梵鐘と類似していることなどから筑前芦屋鋳物師の鋳造作品ではないかとみられている。

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教龍寺の梵鐘

2015年06月21日 | 「吉和地区」ぶらり


吉和地区にある教龍寺の鐘楼に架かる梵鐘で寛政11年(1799)8月に海田鋳物師(安芸郡船越村住)植木源兵衛直昌が鋳造したもので、元広島の妙慶院のものであったが当寺に移った経緯は不明である。
鋳物師の植木直昌は芸備両国鋳物師筆頭を称し23ケ所の鋳造が判明しておりこれらのうち7ケ所の鋳造作品が残されている。鋳物師の植木氏については「安芸国鋳物師の鋳造活動」に詳述している。

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路傍の石仏群

2014年12月04日 | 「吉和地区」ぶらり


昨日紹介した太田川源流の森碑付近の道路脇に石造の地蔵菩薩など4基が安置されているが、各所で祀られていたものを集めたものとみられる。
焼山道は江戸期には虫所山村からの往還道で、昭和前期頃まで主要道として利用されていた道で行き来する人達の安穏を祈念して地蔵菩薩などが祀られていたものであろう。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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太田川源流の森碑

2014年12月03日 | 「吉和地区」ぶらり


休園中の魅惑の里より焼山川沿いを遡り道路脇にある「太田川源流の森碑」で、広島市の水道事業が平成10年(1998)に100周年を迎えた記念の年にこの地を太田川源流の森と定めて碑を建立したようである。
碑の前にはモニュメントとして置かれているものであろうか何かの礎石のようなものが?・・・
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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汐原の馬頭観音

2014年11月29日 | 「吉和地区」ぶらり


汐原地区の旧道脇に安置されている馬頭観音で刻銘は摩滅して読みにくいが「慶応二寅正月吉日」と刻されているようである。
虫所山村から筒賀村への往還道沿いであり多くの小荷駄馬が行き来していたものとみられ、この地で行き倒れた馬を供養するために安置されたものとみられる。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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田植え用の印付け民具

2014年11月28日 | 「吉和地区」ぶらり


吉和地区を散策していると今までに見たことがない田植え用の印付け民具があった。
枠を転がして跡をつけて交点に苗を植えていた六角枠、筋を引いて線上に苗を植えていた筋付けの両方を合わせたような効率的な民具を考案されたようであるが、田植え機が普及して出番がなくなったようである。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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汐原観音堂の喚鐘

2014年11月25日 | 「吉和地区」ぶらり


昨日紹介した汐原観音堂に吊り下げられている喚鐘は元妙音寺の喚鐘で、同寺の廃寺によって伽藍の一部や仏像、位牌などと共に移されたものである。
この喚鐘には宝永4(1707)5月、妙音寺開山で洞雲寺19晦巌忍随の刻銘がみられ、佐方洞雲寺と妙音寺との関わりが窺われるのである。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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汐原観音堂の紅葉

2014年11月24日 | 「吉和地区」ぶらり


汐原地区にある観音堂境内のイチョウの木とクヌギの木であろうか綺麗に紅葉していた。
この観音堂には廃寺となった妙音寺の伽藍の一部や仏像、位牌などが移されており、位牌の中には広島藩の家老上田家歴代のものもみられる。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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田中原3号、4号古墳

2014年11月23日 | 「吉和地区」ぶらり


昨日紹介した田中原大元神社のすぐ近くに田中原3号、4号古墳があった。
看板表示によると直径10mの円墳のようで、片袖式の横穴式石室のようであるが天井石は失われており、出土品などから6世紀後半に築造されたものとみられているようです。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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