今月8日のブログ「日本新に弾み」で、終わりの方に
>願わくばメダルを取って延岡を凱旋してほしい。
>延岡出身の五輪メダリストは何人だったか。
>旭化成柔道部や陸上部のメダリストは
>延岡出身ではなかったはず。
>他にメダリストは・・・、思いつきません。
と記しました。
実際には私が覚えていなかっただけで延岡出身の五輪
選手は3人もいました。それが29日付宮日、県北欄「や
じうま 地元学」の企画記事に掲載され、いつの時代の
五輪出場選手か詳しく掲載されていました。地元から輩
出された歴史的に有名な人物でありながら、知らなかっ
た自分がお恥ずかしい。しかし、言われてみると、そう言
えばという選手もいまして、これまた言い訳じみてすいま
せん。
宮日の「「地元学」から引用しますと、
古くは、1968年のメキシコ五輪、松田丈志選手と同種目
競泳バタフライの高田康雄選手、同84年ロサンゼルス五
輪水球の甲斐真吾選手(岡富中学校水泳部出身)、同92
年バルセロナから96年アトランタ00年シドニーと平泳ぎで
日本代表になった林享(あきら)選手の3人。
どうしてこの延岡で水泳人が上達したかは、宮日の記事に
詳細に書かれていますので興味のある方は是非ご覧下さい。
以前の松田選手の壮行会で高田大先輩のことが話題になった
こともあり、今さらながらそれを思い出しました。遅いッ。
林享選手は延岡に一時いましたが、出身はてっきり大分と
ばかり思ってました。しかも、お母様は昨年まで当社のプー
ルで開催してました「水中健康運動教室」のコーチとして主婦
層の受講者を熱心に指導されていましたし、しらない仲でもあ
りません(今年からその講座は終了し、新たに天下一メタボ大
作戦と称した事業に移行されています)。それでいながら、大
分出身とばかりの思い込みが何ともお恥ずかしい。
お母さんは同教室が縁で今は当社の会員になっていただき、
また、お父様も一緒にヘルストピアを利用されています。 大変
失礼いたしました。競泳界のエース北島康介選手は バルセロ
ナオリンピックでの林選手の見応えあるレースを見て、オリンピッ
クを目指し始めたというのはよく知られています。
というわけでして、今日のブログは延岡出身者が松田選手
以外にも3人いて、輩出した理由は今日の宮日県北欄に詳し
く掲載され、しかもそのことは私もあまり知らなかった、という
ものでした早い話が。
そういった努力人の過去くらい地元の人間なら知っておきな
さいよ、と言わんがばかりの記事に一瞬ドキッ。しかし、五輪
イヤーの今年、そういった話題から特集記事が組まれることは
良いことで、新たな延岡人の発見とともに、松田選手に次ぐ延
岡出身の五輪選手は誰になるだろうと、ワクワクしてきます。
そういえば高田選手は各界のプリンスと言われた貴ノ花(花田
満)がライバル視してまして、高田選手には勝てず「水泳では飯
が食えない」といって相撲界に転向したエピソードがあったそうで
す。昭和40年に臼杵高時代に日本選手権チャンピオン(2分15
秒40)、同43年、44年と二年続けて王者に(稲泳会所属)。43
年の2分08秒60が記録、日本記録保持者・松田丈志選手は1
分54秒42と、その差は約14秒。36年の歴史の中で世界のレ
ベルにまで押し上げ、日本のバタフライも高速化の時代を迎え、
純粋に“素晴らしい”以外に言葉も見つかりません。
と、資料を集めて延岡の努力人が残した記録を知る私でした。
反省、もう少し勉強して話題提供していきます。しかし、
出身者の話題、かなり指摘したかった方もいらっしゃったかも
しれません・・・ね。
ただ、高校生まで延岡で育った選手って言うのは、恐らく
恐らくですが、松田選手ただ一人でしょう。他の3人は、中学か
かそれ以前ではないですか(と最後までしつこい)。間違ってた
らすいません。