子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

女学校は聖域

2015年10月04日 | 小学生時代
わたしたちの遊びの範囲内に女学校がありました。



この地図は昭和30年代の住宅地図の一部です。

この地図よりも20年くらい前の話です。遊び仲間は小学生でした。
女学校の近くには熊笹の竹やぶや空き地がありました。
そこではチャンバラごっこなどをして遊びました。

でも、女学校の中には入りませんでした。
↓のところは、土塀と言うべきか土塁と言うべきか、塀の代わりに高さが3メートルくらい、
幅が1メートル近い、土の壁がありました。

女学校の横をほぼ南北に走っている道路は拡げられたものです。いつかははっきりしません。
余談ですが、道路を拡張するときには、おっかさんはヒラクチ(マムシ)が何匹も出たと話していました。

土の壁はそのときに残されたものでしょう。

わたしと友だちはその土の壁には1,2度上りました。
でも、それから中には入りませんでした。女学校は聖域でした。
中学生まで男女共学でもなく、近所でも女子とは遊びませんでした。女子には近寄りがたく、女学校にも
入りがたかったです。

終戦後、中学生になってから1回か2回、グラウンドで野球をさせてもらいました。