子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

66. 受験勉強 2

2013年06月05日 | 疎開生活
学校での受験勉強は課外授業もなく、進学希望者だけ放課後に集まって自分たちだけで勉強をしました。

受験するのは級長、副級長のほかは疎開児童だけでした。村にも隣の町にも中学はないので、級長とわたしは同じ中学を、副級長は市や町をいくつも超えた市の中学を受験すると言いました。

級長がリーダーになって勉強を始めました。
疎開児童の中に「知恵のまるくれのごたる」同級生がいました。「知恵のまるくれ」は知恵の塊、「ごたる」は……のようという意味です。背が小さい人を言ったごたるです。彼も背は小さく、丸っこかったです。
神戸から疎開して来ていました。サトウくんという名前でした。「神戸一中か二中を受験する」と話していました。

サトウくんがリーダーの級長をさしおいていろいろ問題を作って黒板に書いていました。「ツルとカメがいます。両方を合わせると○匹、足の数は○本です。ツルは何羽、カメは何匹でしょう」

担任の先生は滅多に見えませんでした。たまたま見えたときに「級長と副級長は大丈夫、級長といっしょに受験するK君も大丈夫」と言われました。
ここでもわたしは影の薄い存在でした。

勉強が終わると、級長は北へ、副級長とサトウくんは南へ、わたしは独り西へ帰ります。冬の日は早く暮れます。わたしの帰る道は人が通るだけで狭く、途中に大きな堤がありました。この堤の横を通るときには怖くて、いつも走ったものです。

サトウくんにも副級長にも卒業後は会っていません。サトウくんは同級生一番の成功者になっていることでしょう。小学校の同窓会にも同級会にも案内がないので、その後のことはわかりません。

65. 受験勉強 1

2013年06月03日 | 疎開生活
中学を受験すると決めてから受験勉強を始めました。

と言っても、なにを勉強してよいかもわかりません。教科書をただただ読むだけでした。

夜、土間のくど(かまど)の前にムシロを敷きました。そこに小さい一人用のちゃぶ台を置きます。1個しかない電灯をその上まで引っ張ってきます。
くどには木切れをどんどん燃やしました。桑の根が一番火持ちがよかったです。火がよく燃えていると気持ちが落ち着きました。

とうちゃんが火の番をしながら、黙って座っていました。

書いていて思い出したのですが、以前伯母さんちに来たときにもこんな光景がありました。
伯母さんの家ではたばこの栽培をしていました。たばこは収穫のあと、乾燥してから供出します。たばこを乾燥する小屋があり、そこで火を焚いていました。
伯父さんは火の番をしながら孫をあぐらの間において、孫守りもしていました。

その火のオキでカライモ(さつまいも)を焼いてもらったことも思い出しました。

このくどの前の勉強には後日談があります。
中学の受験には身体検査がありました。このとき膝の下に紫の斑点が出来ていました。火に当たりすぎて出来たものです。そこにいた先生に不思議がられて「どうしたのか」と尋ねられました。

64. 中学受験を

2013年05月31日 | 疎開生活
1945(昭和20)年12月ごろだったと思います。
義兄さんが訪ねてきました。このときはかあちゃんもいました。かあちゃんは空襲がひどくなっても独りで町にいて働いていました。いつもは町の家にいるのですが、このときはかあちゃんも疎開先に来ていました。義兄さんから話があるからと、連絡があっていたのかもしれません。

義兄さんはこれからは学歴も大事だから、中学を受験するように勧めに来たのです。義兄さんは高等小学校を出て、夜間中学校で勉強しながら大会社に勤めた人です。

かあちゃんは手に職を持つのがいいと、技術系に進むのがよいと考えていました。自分が働いているところが会社の建設部というところで、大工さんや左官さんを見ていました。手に職を持っていれば食いはずれがない、との思いが強かったのです。

それでも義兄さんの経歴や説得でかあちゃんも受験を認めました。それも工業や商業ではなく普通中学を受験することを。

63. 野いちごと蛇いちご

2013年05月27日 | 疎開生活
散歩していると野いちごを見つけました。それで疎開生活の話を5月か6月ごろに戻します。


わかりにくので、アップしてみます。


「野いちごは食べられるけど蛇いちごは食べられません」
5年生のしんちゃんがわたしに蛇いちごを食べないよう、しっかり言い聞かせます。
女の子は麦わらでいちごかごを作り、そこに摘んだいちごを入れます。男の子は摘みながら食べます。

ちょうど今の季節の楽しみでした。

前回リクエスト食は何にするかむずかしいように書きましたが、この1年に食べた桑の実や野いちごなどはもう1度食べられたらぜひ食べたいです。

61. お祭り 2

2013年05月20日 | 疎開生活
お祭りに伯母さんの家にはお客がありました。わたしが見たのはお客さんたちが座敷に座っていました。
床の間に近いところには、巡査さんがいました。村には役場の近くに駐在所があり、そこに巡査さんがいました。普段見たことがないので顔は知りません。サーベルを横に置いて制服で座っていました。巡査さんがサーベルを持たないようになったのはいつからか知りませんが、このときはまだ持っていました。

その横には国民学校の先生が座っていました。わたしたち6年生担当の男先生です。伯母さんちの孫たちの先生ではありません。これも驚きで、今も記憶しています。

ほかの客さんは覚えていません。

台所でいとこ(ここの主婦)は天ぷらを揚げようとしていました。鍋に一升瓶から油を注いでいました。その油の色、琥珀色というのでしょうか。まっさらの油の色、いままで何回も揚げた油しか見たことがない私には、その色が忘れられません。こんな油があるんだ!びっくりしたことを覚えています。

この二つがお祭りの記憶です。