勉強って、何のためにやるんだろう?って思ったことはありませんか?
私は、小さいとき、中学や高校のときなど、
勉強をするのがいやになったとき、勉強がよくわからないときは、
本当によくそんな風に思っていました。
『プロの勉強法』という本の中には
今も、予備校などに来てる子に聞くと、
『みんなが行ってるから』とか『親に行けといわれたから』など、
自分の意思のない子がいるのだそうです。
何のためにだれのためにやっているのかをよく理解していなければ
正直伸びない、そうです。。
何のために勉強するのかを突き詰めていくと、
結局は将来の自分の幸福のためという結論に行き着く。
では、自分の将来がどうなれば幸福感を得られるかというと、
充足感や幸福感は、自分の能力を高め、その能力で誰かを助けてあげられたとき
自分の存在を認めてもらえたときに感じるものだと思う。
と書かれてありました。
私もそうだなぁと思います。
自分の能力の限りを尽くして行ったことが、
誰かの役になったとき、誰かに喜んでもらえたとき、
自分が誰かに必要とされていると感じたときは
ほんとうにうれしく、幸せな気持ちになります。
人はそのために一生懸命勉強しているのだと思います。
ただ、中学・高校の勉強がすぐにその幸福感に結びつくのではなく、
『勉強は10年後の自分へのプレゼント』というように
長いスパンで考えなければならないものだと思います。
でも、自分がその目標をしっかりと見据えていれば、
頑張れるものなのだと思います。
私は、ここ何年かでいくつかの資格をとりましたが、
資格を取ろうと思う人には2つのタイプがあるそうです。
ひとつはその資格がなければ仕事ができないから取るタイプ。
お医者さんや学校の先生、弁護士さん、宅建や建築士の資格、
会計士や税理士の資格など、
その資格がなければ仕事ができないのだから、必死で取ります。
また、逆にその資格があれば、実際の仕事に結びつきやすくもあります。
もうひとつのタイプは、
現状に対する不満や将来に対する不満や将来に対する漠然とした不安にかられて資格をとろうとするタイプ。
資格が仕事に生かせない人の多くがこのタイプだそうです。
私もこのタイプですね。。
こういうタイプは、資格をとること自体が目的になっているので
資格をとるまでは、その資格取得のために必死で勉強するけれど
いざ資格をとってしまうとそれで満足してしまって
その先に進めないというか、その資格を生かしきれないんですよね。
資格をとった後にどんな仕事をしたいか、
10年後、20年後にどんな自分になっていたいか、
その先を見据えた上で必要であると思うなら資格をとればいいけれど
そうでないのであれば、資格も意味のないものになってしまいます。
勉強への投資を惜しんではいけないというのは、
使う当てのない資格に何十万円ものお金を使っていいといういいではなく、
資格と自分のやりたい仕事の間にどれくらい強い結びつきがあるの考えることだと
書かれてありました。
私も何十万というお金を使って資格を取得しましたが
果たしてその資格を活かしきれているのか・・というと
とても悩んでしまいます。
でも、なぜ私が資格をとろうかと思ったかというと、
その資格を職業にしようというよりは
自分に自信が持ちたかったのだと思います。
何もない自分が、『私にはこれができる!』という自信がほしかったのだと思います。
直接の職業にはまだ結びついてはいないけれど
自分を変える、自分の毎日を生き生きと笑顔で過ごすためには
本当に必要なものだったと思います。
変わっていく自分を楽しむため、
そういう動機があってもいいですよね。
自信がないのはできるようになりたいという気持ちの裏返しで、
それを克服したいという気持ち、ということです。
だから、自信がないと感じる気持ちは、未来へのステップアップへのチャンスなのかもしれません。
私は資格をとってよかったと思っていますが、
でも、少しずつ職業に生かせていけたら、もっとステキだなぁと思います。
勉強って難しくって、なかなか思うように進まないけれど
やっぱり、一生学ぶ気持ちを忘れないでいたいと思います。
最近読んだ本
ザ・シークレット (単行本)
ロンダ・バーン (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳), 佐野 美代子 (翻訳)
すごいシークレットがいっぱい~
今日のよかったこと
お休み~花粉の季節は家でのんびりしてました~
お好み焼き作りました~表面がぱりぱりして美味~
私は、小さいとき、中学や高校のときなど、
勉強をするのがいやになったとき、勉強がよくわからないときは、
本当によくそんな風に思っていました。
『プロの勉強法』という本の中には
今も、予備校などに来てる子に聞くと、
『みんなが行ってるから』とか『親に行けといわれたから』など、
自分の意思のない子がいるのだそうです。
何のためにだれのためにやっているのかをよく理解していなければ
正直伸びない、そうです。。
何のために勉強するのかを突き詰めていくと、
結局は将来の自分の幸福のためという結論に行き着く。
では、自分の将来がどうなれば幸福感を得られるかというと、
充足感や幸福感は、自分の能力を高め、その能力で誰かを助けてあげられたとき
自分の存在を認めてもらえたときに感じるものだと思う。
と書かれてありました。
私もそうだなぁと思います。
自分の能力の限りを尽くして行ったことが、
誰かの役になったとき、誰かに喜んでもらえたとき、
自分が誰かに必要とされていると感じたときは
ほんとうにうれしく、幸せな気持ちになります。
人はそのために一生懸命勉強しているのだと思います。
ただ、中学・高校の勉強がすぐにその幸福感に結びつくのではなく、
『勉強は10年後の自分へのプレゼント』というように
長いスパンで考えなければならないものだと思います。
でも、自分がその目標をしっかりと見据えていれば、
頑張れるものなのだと思います。
私は、ここ何年かでいくつかの資格をとりましたが、
資格を取ろうと思う人には2つのタイプがあるそうです。
ひとつはその資格がなければ仕事ができないから取るタイプ。
お医者さんや学校の先生、弁護士さん、宅建や建築士の資格、
会計士や税理士の資格など、
その資格がなければ仕事ができないのだから、必死で取ります。
また、逆にその資格があれば、実際の仕事に結びつきやすくもあります。
もうひとつのタイプは、
現状に対する不満や将来に対する不満や将来に対する漠然とした不安にかられて資格をとろうとするタイプ。
資格が仕事に生かせない人の多くがこのタイプだそうです。
私もこのタイプですね。。
こういうタイプは、資格をとること自体が目的になっているので
資格をとるまでは、その資格取得のために必死で勉強するけれど
いざ資格をとってしまうとそれで満足してしまって
その先に進めないというか、その資格を生かしきれないんですよね。
資格をとった後にどんな仕事をしたいか、
10年後、20年後にどんな自分になっていたいか、
その先を見据えた上で必要であると思うなら資格をとればいいけれど
そうでないのであれば、資格も意味のないものになってしまいます。
勉強への投資を惜しんではいけないというのは、
使う当てのない資格に何十万円ものお金を使っていいといういいではなく、
資格と自分のやりたい仕事の間にどれくらい強い結びつきがあるの考えることだと
書かれてありました。
私も何十万というお金を使って資格を取得しましたが
果たしてその資格を活かしきれているのか・・というと
とても悩んでしまいます。
でも、なぜ私が資格をとろうかと思ったかというと、
その資格を職業にしようというよりは
自分に自信が持ちたかったのだと思います。
何もない自分が、『私にはこれができる!』という自信がほしかったのだと思います。
直接の職業にはまだ結びついてはいないけれど
自分を変える、自分の毎日を生き生きと笑顔で過ごすためには
本当に必要なものだったと思います。
変わっていく自分を楽しむため、
そういう動機があってもいいですよね。
自信がないのはできるようになりたいという気持ちの裏返しで、
それを克服したいという気持ち、ということです。
だから、自信がないと感じる気持ちは、未来へのステップアップへのチャンスなのかもしれません。
私は資格をとってよかったと思っていますが、
でも、少しずつ職業に生かせていけたら、もっとステキだなぁと思います。
勉強って難しくって、なかなか思うように進まないけれど
やっぱり、一生学ぶ気持ちを忘れないでいたいと思います。
最近読んだ本
ザ・シークレット (単行本)
ロンダ・バーン (著), 山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳), 佐野 美代子 (翻訳)
すごいシークレットがいっぱい~
今日のよかったこと
お休み~花粉の季節は家でのんびりしてました~
お好み焼き作りました~表面がぱりぱりして美味~
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