霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

和歌山城

2011-11-04 17:37:10 | 歴史/古文書

何年ぶりの和歌山城であろうか、そうだ昭和53年ころからの33年ぶりになるのかなー。何かなつかしく思いましたが、虎伏せ山の丘を利用して秀吉の弟の秀長が天正13年(1585)に築城したのが始まりといわれている。現在の城は最盛期の4分の1の広さであるがそれでも広く感じられた。この城の天守閣は戦災で焼失し昭和33年に鉄筋コンクリート造りで再建されたものである。初めは若山と呼ばれたいたが秀吉が築城させたときに和歌山と改められて今日まで呼ばれている。
天正14年(1586)桑山重晴に3万石を与えう城代にして守らせた。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで桑山氏は東軍に属したため2万石で和歌山城の城主にされた。
間もなくして大和新庄藩に転封となり、その後同じく東軍に属した佐野幸長が37万6千石を与えられて紀州藩主となり和歌山城を預かった。
元和5年(1619)徳川家康の10男、頼宣が55万5千石を領し和歌山城主となり幕末まで徳川御三家の一角として栄えた。夕方4時半ごろバス駐車場に到着して城内の見学をはじめたのであるが日暮はつるべ落としのように早く暗くなった中をバスの駐車場へと下って行った。5時には一部の門が閉じられたりして遠回りして駐車場へ行くことになった。集合時間5時半を待っても3人が集まらず。4・5人が手分けして、暗い中探すも見つからず。うち二人はバスの駐車場が分からずお城公園を3回もまわったとのこと。40分も待ってようやくバスまで来ました。後の一人は宿泊のホテルへ着いたとの連絡が取れた。集団での行動の難しさがわかるので勉強になったというかほっとしたのである。