霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

伊都国について

2011-06-05 20:47:51 | 歴史/古文書
ここは伊都国の中心地であったといわれいる平原原である。魏志倭人伝によると邪馬台国の中で2番目に大きな国であったと、人口は千戸はあったと書かれているが歴史資料館に館員の説明では1万戸ではないかとおっしゃっていた。ここは玄界灘に面し大陸からの到着地であった。邪馬台国の海の玄関口としての役割を果たしていたのではないか、それが博多津の筑紫館→鴻櫨館に移りさらに大宰府へとその権力が移っていったといえる。私が質問をそのようにしたところ「そう」ですとのお答えであった。

伊都国は「一大率(いちたいすい)を置き、諸国を検察せしめる」など諸国に比べ格の高い国でもあった。

 今日はあいにくこのような雨のため車中から眺めただけであったが、ヘラバラ応募の方形古墳が見られるのである。このあたり一帯3から4個の古墳が見られた。