周防の国の国庁の一部の跡です。今から約1350年前のことですのでその形としては目に見えないのですが、この地下にはその痕跡が眠っています。
国衙は大化の改新(645年)の後各地域に国庁が置かれ地域支配の拠点として創られ平安時代の初めには衰退して往ったそうです。
周防の国衙領はその後東大寺領に引き継がれたため、当時の面影がよく残っている国衙跡として有名です。今この国衙跡公園になっている広さは二町四方(212~218m四方)と広く、歩いて回るのもかなりの里程がありました。散歩コースとしてはちょうどいいのでしょう。
この東には鉄製品を製造する工房。北側には国庁の長官である国司の居宅の跡が見つかったと案内板には書かれていますが、どこにあるのかよくはわかりません。
しかしここは周防の中心地として一番利便なところです。本来は県庁もあってしかるべき地域なのですが歴史は違っています。確かに政庁として政務をつかさどるにはいい場所ですが、戦乱となると防御できない弱さを持っているからです。
国衙は大化の改新(645年)の後各地域に国庁が置かれ地域支配の拠点として創られ平安時代の初めには衰退して往ったそうです。
周防の国衙領はその後東大寺領に引き継がれたため、当時の面影がよく残っている国衙跡として有名です。今この国衙跡公園になっている広さは二町四方(212~218m四方)と広く、歩いて回るのもかなりの里程がありました。散歩コースとしてはちょうどいいのでしょう。
この東には鉄製品を製造する工房。北側には国庁の長官である国司の居宅の跡が見つかったと案内板には書かれていますが、どこにあるのかよくはわかりません。
しかしここは周防の中心地として一番利便なところです。本来は県庁もあってしかるべき地域なのですが歴史は違っています。確かに政庁として政務をつかさどるにはいい場所ですが、戦乱となると防御できない弱さを持っているからです。